薩摩芋
へたを少し余分に残して水栽培
涼しげです
大きなお芋なら大きな葉が出るのでしょうが
2㎝ほどの小さな切れ端です
富士山に掛かる笠雲の様な雲があちこちにぽっかり浮かんでいます。富士の笠雲の様なスピードはありませんが、ゆったりと薄れたり濃くなったりしています。その雲の中を音だけ響かせて飛行機が飛んでいきます。何処に向かっているのだろう。5ヶ月前に乗ったきりだ。又乗りたいな~。歩きたくなるような雲海を見たいな~。
バースディ・カードが4通届きました。カードと言っても郵便ではなく電子メールです。幾つになってもやはり嬉しい。私もパソコンを始めた頃は、色んな事がしたくて送っていた。頂いてこんなに嬉しいのだから、私も送ろうかな~。でも誕生日を知らないしな~。
年に一回の「エスカルゴ」の日。昔は年に何回か食べていたのだが、だんだん「お寿司」が良くなって、「エスカルゴ」も年一回となった。名前は「エスカルゴ」だが「カタツムリ」とは似ても似つかない、黒いんです。「あわび」に似ているでしょうか。其れも今日が最後になってしまいました。
食後のコーヒー、私は苦いと飲めないのでアメリカンのように薄めてもらいます。
店主がやって来て「実は今月一杯で店を閉めます」「えっ!」2人して驚いた。そして「そうか、やっぱり・・・」去年の誕生日は私達だけで、私の為に「お客さんが居られないので・・・」と小さなバースデーケーキを作ってくださった。「来年又来ますね」その日が今日だった。
今日は割りとお客さんが入っていた。だのに、「もしおいでくださったらいけないので、又何処かでするようなことがあればお知らせしたいと思いますので、よろしければご住所を・・・」と用紙を持ってこられた。勿論書きました。又神戸の老舗が消えていきます。社用族が居なくなって、自前となると、一寸高いのです。主人が言いますには、社用族として昼の接待にも使っていた時には満席だった。私達家族が行く夜も勿論満席だった。
今の若い人は自前だし、回数を行くので、安い店に行く。少し高い店は敬遠され客が減っていく。頑固に昔からの形を守るとこういう結果になる。
私が先日東京に行った時、久し振りに「六本木の瀬里奈」でランチを食べようかと思って調べると、昔と変わってしまっていた。安くなっているのである。此処も昔は社用族、外人、スターといわれる人の店だったが、今は個人の入れる店に代わって居る。私にすれば、願っても無い事と行くつもりになっていたが、「神戸牛使用」と言う。東京に行ってまで「神戸牛」は無いだろうと行く事をやめた。その店の特徴を持たない、何処も同じと言う店が増えて、それが流行る時代なんだろう。
これから「エスカルゴ」を何処に行けば食べられるのだろう。また探さなければならない。何処にでもあるというメニューではないので、さみしいな~。
寒いときの「ココア」を飲んでいた「チョコレートの店・コスモポリタン」も一年前に店を閉じた。私の知らない神戸にどんどん変わっていく。
そういえば、昔の夜の町といえば大人のものだった。今日もセンター街を歩いていて恥かしかった。若い人ばっかりなの。どちらを見ても20代が圧倒的、其れと趣味のいいという服装が見当たらない。個性的と言うのだろうか、私の感覚が今とずれてしまった?それともセレブ階級の人は夜遊びはしないのだろうか?世代のずれを感じた誕生日でした。
へたを少し余分に残して水栽培
涼しげです
大きなお芋なら大きな葉が出るのでしょうが
2㎝ほどの小さな切れ端です
富士山に掛かる笠雲の様な雲があちこちにぽっかり浮かんでいます。富士の笠雲の様なスピードはありませんが、ゆったりと薄れたり濃くなったりしています。その雲の中を音だけ響かせて飛行機が飛んでいきます。何処に向かっているのだろう。5ヶ月前に乗ったきりだ。又乗りたいな~。歩きたくなるような雲海を見たいな~。
バースディ・カードが4通届きました。カードと言っても郵便ではなく電子メールです。幾つになってもやはり嬉しい。私もパソコンを始めた頃は、色んな事がしたくて送っていた。頂いてこんなに嬉しいのだから、私も送ろうかな~。でも誕生日を知らないしな~。
年に一回の「エスカルゴ」の日。昔は年に何回か食べていたのだが、だんだん「お寿司」が良くなって、「エスカルゴ」も年一回となった。名前は「エスカルゴ」だが「カタツムリ」とは似ても似つかない、黒いんです。「あわび」に似ているでしょうか。其れも今日が最後になってしまいました。
食後のコーヒー、私は苦いと飲めないのでアメリカンのように薄めてもらいます。
店主がやって来て「実は今月一杯で店を閉めます」「えっ!」2人して驚いた。そして「そうか、やっぱり・・・」去年の誕生日は私達だけで、私の為に「お客さんが居られないので・・・」と小さなバースデーケーキを作ってくださった。「来年又来ますね」その日が今日だった。
今日は割りとお客さんが入っていた。だのに、「もしおいでくださったらいけないので、又何処かでするようなことがあればお知らせしたいと思いますので、よろしければご住所を・・・」と用紙を持ってこられた。勿論書きました。又神戸の老舗が消えていきます。社用族が居なくなって、自前となると、一寸高いのです。主人が言いますには、社用族として昼の接待にも使っていた時には満席だった。私達家族が行く夜も勿論満席だった。
今の若い人は自前だし、回数を行くので、安い店に行く。少し高い店は敬遠され客が減っていく。頑固に昔からの形を守るとこういう結果になる。
私が先日東京に行った時、久し振りに「六本木の瀬里奈」でランチを食べようかと思って調べると、昔と変わってしまっていた。安くなっているのである。此処も昔は社用族、外人、スターといわれる人の店だったが、今は個人の入れる店に代わって居る。私にすれば、願っても無い事と行くつもりになっていたが、「神戸牛使用」と言う。東京に行ってまで「神戸牛」は無いだろうと行く事をやめた。その店の特徴を持たない、何処も同じと言う店が増えて、それが流行る時代なんだろう。
これから「エスカルゴ」を何処に行けば食べられるのだろう。また探さなければならない。何処にでもあるというメニューではないので、さみしいな~。
寒いときの「ココア」を飲んでいた「チョコレートの店・コスモポリタン」も一年前に店を閉じた。私の知らない神戸にどんどん変わっていく。
そういえば、昔の夜の町といえば大人のものだった。今日もセンター街を歩いていて恥かしかった。若い人ばっかりなの。どちらを見ても20代が圧倒的、其れと趣味のいいという服装が見当たらない。個性的と言うのだろうか、私の感覚が今とずれてしまった?それともセレブ階級の人は夜遊びはしないのだろうか?世代のずれを感じた誕生日でした。