ちいさな幸せ

幸せの基準ってある?
それは自分の心の中にあると思う。
私は何時も陽だまりのような幸せの中に居た。

飛騨高山春祭り(4)

2006年04月24日 | ちっちゃな旅
         JR下呂駅プラットホームからの桜

風邪のため入湯を控えていたが、折角日本で3本(草津 有馬 下呂)の指に入ると言われる下呂温泉に来ながら、入らないのも惜しいので、朝風呂に入った。主人のように温泉大好き人間ではない私でさえ、「お肌によさそう!」と感じる優しいお湯だった。

宿でゆっくりするつもりが、貧乏性と言うか、せこいと言うか、切符は午後だったので、宿から歩いて5分の「合掌村」に行く事にした。此処にも「朝市」があた。
その前を通ると近道で「合掌村」に行く事が出来る。

そこの桜は満開だった。一軒の中で老人が黙々と「わらじ」を編んでいた。私も縁故疎開で富山の砺波郡に疎開していた時、編んだ事があるので懐かしかった。小さな篭の中に「1,5cmほどのわらじ」がちゃんと一足でストラップになっていた。「91歳のおばあさんが編んだんだ。足腰丈夫のお守りよ」こんなに小さいのをどのように編まれたのか、足腰丈夫につられて500円でお買い上げ。

屋内の二階は富山と一緒で「蚕の棚」があった。私が縁故疎開したのは2ヶ月だけで、夏だったけれど、1階の囲炉裏は使われていたと記憶する。囲炉裏の周りを囲んで食事をする。囲炉裏の灰にくべて焼かれた「玉蜀黍」おいしかったな~。天井は煙が抜けるようにだろう板と板の間が開いていた。そこから時々「蚕」がポトンと落ちてくる。恐いと思っている私の上に落ちてくる。私は飛び上がったな~。沢山居ると「蚕」の桑の葉を食べる音ってすごいんだな~。何しろすごい食欲なんだ。「桑のは」をやる仕事をするのだが私は恐くて気持ち悪くて出来なかった。

仏間は南向きの大きな部屋で、大きな仏壇がで~んと据えられていた。家族、特にお嫁さんの部屋は北側の薄暗い小さな部屋だった。子供の私でさえ「嫁」の居場所でその立場が感じられた。牛部屋は同じ屋根の下にあったと思うが、お便所は外だった。夜中、外に出るのは恐かった。お便所といっても足を置く板が2枚掛っていると言う感じで中央から下丸見え、戦時中だからかも知れないが確か「わら」で拭いていた。水は裏山から引かれて台所の竹筒で受けていた。入り口の前に小さなせせらぎがあり洗濯はそこでしていた。

園内の演芸館しらさぎ座で「夢芝居」をしていて、主人が見たいと言う。2時間見ていると電車に間に合わないので1時間だけ見る事にした。桟敷を区切っている仕切りは通路だそうで、その上に「おひねり」用の紙の入った篭が置いてあった。芝居の1時間が過ぎ、幕を引き始めるとおひねりが数十個飛んだ。思ったより人が(100人程)入っていた。時間で帰りかけると「これからが歌謡ショーで良いのに帰るの?」と言われた。歌好きの私後ろ髪を引かれる思いで退出。

無事立花に着いた。お医者さんに駆け込んだ。「風邪です。こんな売薬飲みました」「風邪?珍しいですね」そう言われれば風邪を引く回数がへったが、反比例して長引く。

何はともあれ、長々とお付き合いありがとうございました。
お疲れ様でした。






コメント (9)
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