神戸花鳥園
おじいちゃんの着物・・・
らくだのシャツにパッチ、
夏の盛りは丸首シャツにステテコだけ?
外出の時はその上から単衣を着て、
三尺をくるりと巻いて、かんかん帽を被っていた。
おじいちゃんは何時も外出時は帽子をかぶっていた。
つるつる坊主だったからかな~。
たまにおじいちゃんも怒るんですよ。
すると私は悔しいので
「ツルツルピーカノハゲアタマ、ハイガトマレバ
チョットスベル」って歌うんです。
おじいちゃんがどんな顔をしていたか知らないのです。
後ろに廻ってあたまを蠅が滑ったように上から下に
指を這わせるんです。
「こら!」って追いかけてくるんです。
鬼ごっこになって、二人で笑ってお終いなんです。
私も自分が悪い事は知っているんです。
どうにか機嫌を直してもらって遊んでほしいのです。
口下手な私の考えた、不器用な方法だったのです。
どんな理由で魚崎に一人泊まる事になったかは
思い出せないんですが、大きなお兄ちゃんと
小さなお兄ちゃんのいる横屋(地名)に泊まったんです。
一人で心細かったし、寂しかったんでしょう、
その夜おねしょをしたんです。他所のおうちで・・・
私は「ごめんなさい」とおばさんに言えば良いことは
解っているのですが、はっきっり言えない子だったのです。
おじいちゃんが居てさえくれれば謝ってくれるのに、
そう考えた私は、そ~っと家を抜け出し走りました。
魚崎駅までは少し距離があったと思うのですが、
よく道を覚えていたなと思いますが、
おじいちゃんに逢いたい一心でした。
駅舎に入る事はせず、線路と道路を区切っている
コールタールで真っ黒な焼けぼっくいの杭の所で
しゃがんで待っていました。
駅員さんに声をかけられるのが嫌だったのでしょう。
しばらくして、小さい兄ちゃんが迎えにきました。
「お母さんが、きっとここだろうって、ごはんたべよ」
「おじいちゃんが来るの待ってる・・・」
お兄ちゃんが帰って、今度はおばちゃんが来られました。
しぶしぶ帰ったのですが、どうしても「ごめんなさい」の
一言が言えませんでした。
急いでご飯を食べて又駅に行きました。
おじいちゃんはきっと早く来てくれるに違いないと
信じていました。予想どうりおじいちゃんは来ました。
私が居たのに驚いたでしょう。「おねしょした」
それだけで全てを察してくれたおじいちゃん・・・
私は謝ったのか?記憶にないのです。
子供や孫の「おねしょ」に私が寛大なのは、
自分の経験から、大人になれば自然に治るもの、
子供心に恥ずかしい、すまないという気持ちはあるのに、
それを怒ってはいけないと思うからです。
天国からこの世が見えるとすれば、
おじいちゃんは苦笑しているでしょう。
「黙ってれば良いことを書いて・・・」って。
それが堂々と出来る年になったんです。
これも加齢現象?
おじいちゃんの着物・・・
らくだのシャツにパッチ、
夏の盛りは丸首シャツにステテコだけ?
外出の時はその上から単衣を着て、
三尺をくるりと巻いて、かんかん帽を被っていた。
おじいちゃんは何時も外出時は帽子をかぶっていた。
つるつる坊主だったからかな~。
たまにおじいちゃんも怒るんですよ。
すると私は悔しいので
「ツルツルピーカノハゲアタマ、ハイガトマレバ
チョットスベル」って歌うんです。
おじいちゃんがどんな顔をしていたか知らないのです。
後ろに廻ってあたまを蠅が滑ったように上から下に
指を這わせるんです。
「こら!」って追いかけてくるんです。
鬼ごっこになって、二人で笑ってお終いなんです。
私も自分が悪い事は知っているんです。
どうにか機嫌を直してもらって遊んでほしいのです。
口下手な私の考えた、不器用な方法だったのです。
どんな理由で魚崎に一人泊まる事になったかは
思い出せないんですが、大きなお兄ちゃんと
小さなお兄ちゃんのいる横屋(地名)に泊まったんです。
一人で心細かったし、寂しかったんでしょう、
その夜おねしょをしたんです。他所のおうちで・・・
私は「ごめんなさい」とおばさんに言えば良いことは
解っているのですが、はっきっり言えない子だったのです。
おじいちゃんが居てさえくれれば謝ってくれるのに、
そう考えた私は、そ~っと家を抜け出し走りました。
魚崎駅までは少し距離があったと思うのですが、
よく道を覚えていたなと思いますが、
おじいちゃんに逢いたい一心でした。
駅舎に入る事はせず、線路と道路を区切っている
コールタールで真っ黒な焼けぼっくいの杭の所で
しゃがんで待っていました。
駅員さんに声をかけられるのが嫌だったのでしょう。
しばらくして、小さい兄ちゃんが迎えにきました。
「お母さんが、きっとここだろうって、ごはんたべよ」
「おじいちゃんが来るの待ってる・・・」
お兄ちゃんが帰って、今度はおばちゃんが来られました。
しぶしぶ帰ったのですが、どうしても「ごめんなさい」の
一言が言えませんでした。
急いでご飯を食べて又駅に行きました。
おじいちゃんはきっと早く来てくれるに違いないと
信じていました。予想どうりおじいちゃんは来ました。
私が居たのに驚いたでしょう。「おねしょした」
それだけで全てを察してくれたおじいちゃん・・・
私は謝ったのか?記憶にないのです。
子供や孫の「おねしょ」に私が寛大なのは、
自分の経験から、大人になれば自然に治るもの、
子供心に恥ずかしい、すまないという気持ちはあるのに、
それを怒ってはいけないと思うからです。
天国からこの世が見えるとすれば、
おじいちゃんは苦笑しているでしょう。
「黙ってれば良いことを書いて・・・」って。
それが堂々と出来る年になったんです。
これも加齢現象?