ちいさな幸せ

幸せの基準ってある?
それは自分の心の中にあると思う。
私は何時も陽だまりのような幸せの中に居た。

またも 祖父

2006年04月07日 | 思い出話
               神戸花鳥園

おじいちゃんの着物・・・
らくだのシャツにパッチ、
夏の盛りは丸首シャツにステテコだけ?
外出の時はその上から単衣を着て、
三尺をくるりと巻いて、かんかん帽を被っていた。

おじいちゃんは何時も外出時は帽子をかぶっていた。
つるつる坊主だったからかな~。

たまにおじいちゃんも怒るんですよ。
すると私は悔しいので
「ツルツルピーカノハゲアタマ、ハイガトマレバ
チョットスベル」って歌うんです。
おじいちゃんがどんな顔をしていたか知らないのです。
後ろに廻ってあたまを蠅が滑ったように上から下に
指を這わせるんです。
「こら!」って追いかけてくるんです。
鬼ごっこになって、二人で笑ってお終いなんです。
私も自分が悪い事は知っているんです。
どうにか機嫌を直してもらって遊んでほしいのです。
口下手な私の考えた、不器用な方法だったのです。

どんな理由で魚崎に一人泊まる事になったかは
思い出せないんですが、大きなお兄ちゃんと
小さなお兄ちゃんのいる横屋(地名)に泊まったんです。

一人で心細かったし、寂しかったんでしょう、
その夜おねしょをしたんです。他所のおうちで・・・
私は「ごめんなさい」とおばさんに言えば良いことは
解っているのですが、はっきっり言えない子だったのです。
おじいちゃんが居てさえくれれば謝ってくれるのに、
そう考えた私は、そ~っと家を抜け出し走りました。

魚崎駅までは少し距離があったと思うのですが、
よく道を覚えていたなと思いますが、
おじいちゃんに逢いたい一心でした。
駅舎に入る事はせず、線路と道路を区切っている
コールタールで真っ黒な焼けぼっくいの杭の所で
しゃがんで待っていました。
駅員さんに声をかけられるのが嫌だったのでしょう。

しばらくして、小さい兄ちゃんが迎えにきました。
「お母さんが、きっとここだろうって、ごはんたべよ」
「おじいちゃんが来るの待ってる・・・」
お兄ちゃんが帰って、今度はおばちゃんが来られました。
しぶしぶ帰ったのですが、どうしても「ごめんなさい」の
一言が言えませんでした。

急いでご飯を食べて又駅に行きました。
おじいちゃんはきっと早く来てくれるに違いないと
信じていました。予想どうりおじいちゃんは来ました。
私が居たのに驚いたでしょう。「おねしょした」
それだけで全てを察してくれたおじいちゃん・・・
私は謝ったのか?記憶にないのです。

子供や孫の「おねしょ」に私が寛大なのは、
自分の経験から、大人になれば自然に治るもの、
子供心に恥ずかしい、すまないという気持ちはあるのに、
それを怒ってはいけないと思うからです。

天国からこの世が見えるとすれば、
おじいちゃんは苦笑しているでしょう。
「黙ってれば良いことを書いて・・・」って。
それが堂々と出来る年になったんです。
これも加齢現象?





コメント (3)
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