ちいさな幸せ

幸せの基準ってある?
それは自分の心の中にあると思う。
私は何時も陽だまりのような幸せの中に居た。

元町通り

2006年04月08日 | 思い出話
               肥後スミレ
        1~1.5㎝のたちつぼ系のスミレです
      スミレといえども独特の葉の形をしています
     一度枯らして先日又頂いた。ニューフェイスです


歩き遍路のオフ会「曼荼羅」のお仲間の岡田さんの
個展に行ってきました。今回が5回目で高野山へ結願の
お礼参りに行かれた絵なんです。写真を元に
コンピューターで書かれたものです。広重の浮世絵ばりの
版画調です。絵の中に何時も一人のお遍路さんがいます。
岡田さんご自身だそうです。

元町に久し振りに行きました。元町は私の故郷です。
小学校3年までと18歳から23歳結婚するまで居たので
色んな思い出があります。

幼稚園の頃だと思います。「窓際のトットちゃん」の
黒柳徹子さんではありませんが、私も「ちんどんやさん」が
大好きでした。元町は「ちんどんやさん」がよく来ました。
あの音を聞くと私はすぐ家を飛び出すのです。

その日の「ちんどんやさん」が面白かったのでしょう、
どんどん後からついていって三宮の「そごう」まで行きました。
「そごう」のそばに美容院があって母にくっついて来た事が
あるので「そごう」は知っていました。
子供心に遠くまで来てしまったと思ったとき、
ぞろぞろ付いていたいた子供は私一人になっていました。

「ちんどんやさん」のおじさんが気がついて「お嬢ちゃん、
もう帰ったほうがいいよ。一人で帰れるの?」「帰れない」
「じゃ~交番に連れて行ってあげるからね」近くの交番に
連れて行かれました。おまわりさんに色々聞かれて、
家の電話番号を知らなかったからおまわりさんが
家まで連れて帰ってくれました。

勿論家は大騒ぎになっていて、母にこっぴどく叱られました。
近くを探しにいっていたおじいちゃんは帰ってきて、
私を何も言わず、しっかりと抱きしめてくれました。

その翌日から迷子札をつけられました。
その迷子札は今でも手元にあります。
シルバーで4㎝ほどの楕円形で、裏に住所氏名が彫ってあり
表はその子の干支の絵が刻まれていますから、
一目でその子の年齢が解るという優れものです。
なぜか私が疎開をする時持って行ったんです。

私は生田神社の氏子です。生田さんのお祭りにお稚児さん
になりました。当時は人力車を連ねての稚児行列でした。
(戦後は小さなトラックに何人も一緒に乗っているのを見て
私のときは優雅でよかったな~と思いました)
小さい子は母親と一緒に、私は小学生でしたから一人で
乗りました。両側に稚児行列を見る人たちが居て、
元町4丁目に来ると、近所のおじちゃんおばちゃんが
名前を呼んで声を掛けてくれて、嬉し恥ずかしの思いでも
元町通りでした。
稚児の正装のお澄まし顔の写真が残っています。

我家では私の成長過程は写真に残しているのですが、
母と一緒のも一枚だけで、おじいちゃんとの写真は
一枚もないのが不思議といえば不思議です。
常に私一人のものです。そのアルバムを疎開していく
荷物の中に母が入れていてくれたので焼けずにすみました。

中には「第二国防婦人会」なんて印刷された襷を掛けて、
頭は日本手ぬぐいできりりと縛り、木製のバケツを持った
写真もあります。そんな時代だったのですね~。









コメント (4)
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