遊煩悩林

住職のつぶやき

確信を聞く

2010年10月01日 | ブログ

先月末、姫路医療センターの医師で真宗大谷派教学研究所の研究員でもある梶原敬一氏のお話を聞きに京都へ行きました。
親鸞聖人が著された「教行信証(顯淨土眞實敎行證文類)」全6巻の中からとくに「文類の五」、いわゆる「真仏土巻」に学ぶ連続講座です。
これまでトリツクシマもなく遠ざけてきた「教行信証」ですが、地元伊勢志摩の住職らで構成した「一闡提の会」では、まずこの輪読からスタートし、また宗祖の御遠忌事業として修復された『教行信証』坂東本(国宝)http://higashihonganji.or.jp/を複写した「カラー影印本」をご門徒らの浄財で求め、そして今回の学習会のご縁を仲間からいただいて、いよいよ逃げられず向かい合わなければならなくなってきたわけです。そもそも逃げ切れるわけはありませんが・・・
それにしても正直な感想として、お話のスピードとその深さに付いていけないというのが実感でした。「学ぶ」という水準にさえ達していない私を知らされています。「真実の教え」を聞くのに資格も水準もないかもしれませんが、「救い」を求める姿勢といったらいいのでしょうか、「救い」とか「たすかる」という事柄がどれだけ本質的に「自分」に向けられるかということが問われてきます。つまり「真実」によって「自分」が「救われる」ということが見出せていないわけです。
大学で真宗学を専攻する学生の質問に感心しながら、それに対して「大学の真宗学では親鸞の思想は捉えきれない。またそこで捉えようとしてはダメだ」という意のアドバイスが印象的でした。
それは、ご自身が小児科の医師としての仕事場にもかならず「真宗聖典」を離さずに持っているということから察するに、人間が「生きて苦悩する」現場に親鸞の思想が生きているんだという実感によるものではないかと思いました。
そして仏教を学する人の「参考」になるような話をするつもりはないとも言っておられました。
「親鸞の思想が現代に通用するのか」「現代を救えるのか」そしてその「説明ができるか」ということを課題に教行信証に向かい合ってきて、その「確信が持てた」、つまり親鸞の思想は現代に通用し、現代に苦悩する人を救うことのできる思想であることを確信して、ここにそれを説明しているのだから、一人の仏教理解の「参考」なんかにしてもらっては困るんだと、このように受けとめさせていただきました。
「現代における救い」を求める姿勢と内容の深さには全然ついていけませんでしたが、何とかこの「確信」について聞いていきたいと思います。

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