遊煩悩林

住職のつぶやき

コジンマリ

2010年07月28日 | ブログ

真宗同朋会運動を提唱し、平成10年7月26日に逝去された訓覇信雄師の13回忌法要が祥月命日の一昨日、名古屋の東別院で営まれ、北海道から沖縄まで全国から150名を超える方々とともにお参りさせていただきました。
「純粋なる信仰運動」としてスタートした真宗同朋会運動はやがて50周年を迎えるわけですが、30代半ばの私には「教団問題を引き起こしてきた真宗同朋会運動が提起されねばならなかったのは歴史的必然」という「空気」がなかなかピンときません。
もちろん勉強不足によるものですが・・・
今回ご案内をいただいて、その歴史的な必然性を少しでも感じることができればという思いで足を運びました。
会場には師の写真パネルがいくつか展示されていましたが、恥ずかしながら私はそのお姿にはじめてお会いしたのでした。
また、今回の法要の記念に「訓覇信雄師講演集」というCDが配られ、その声にもはじめて接したのでした。
法要は、東別院本堂にて勤行が営まれ、続いて対面所で、数名の発題者からお話をいただきました。
訓覇師が興された聞光洞の現在の代表を勤めておられる増田友子氏、そして大谷大学教授の水島見一氏、元宗務総長の木越樹氏、そして作家の高史明氏から、それぞれの視点で師を偲びつつ問題提起をいただきました。
とくに印象的なのは、高史明氏が母国である韓国のメディアから「なぜ朝鮮人であるあなたが、日本の宗教を信仰するのか」という質問を受けたということについて、氏は「親鸞の仏教は、日本だけの宗教ではない。世界に開かれた教えです」と語っておられたことばでした。
世界に発信されなければならない必然性を感じておられるように拝察しました。
「お念仏の津波」という表現を用いられていたのも印象的でした。第3次世界大戦への予感までも口にされ、それを視野にふくめながら「お念仏の津波によって人類が助かることができる」という意として受けとめさせていただきました。
たった6字のお念仏ですが、そのみ教えを伝えられた一人として、あなたはそれをどうやってお伝えしていくのですか、という問いかけでありましょう。
世界に向かって堂々と発信すべき教えをいただきながら、それをコジンマリとさせているのは誰かという指摘でもあります。
「必然なる道理」を知るのが仏教だと思います。その道理を受けとめるということがいわゆる「信」を獲るということであれば、真宗同朋会運動は、いかに私一人が信を獲るかということに集約されてくるのだと思います。
私たち一人ひとりの「信」が、津波となって起こってくるということが願いかけられていることを教えられました。
呼びかけ人の皆さまと事務局の方々のご苦労に頭を下げつつ・・・

コメント    この記事についてブログを書く
« 何もわかっていない | トップ | オイドのカミサマ »

コメントを投稿