おかげさまで常照寺の報恩講が勤まりました。
寒い中のご参詣ありがとうございました。
またお手伝いいただいた皆さまにお礼申し上げます。
翌朝、お浚いのお参りをして後片づけをしつつ、やれやれ感と同時に来年の報恩講までどないして過ごすのか、いやいや来年の報恩講に遇う保証はどこにもないなどと、例年のごとく明け暮れています。
さりとて、来年の報恩講に向けて365日のカウントダウンははじまっているわけです。
1年間、来年の報恩講に向けて何をするのか。
毎日が報恩の日々であればよいのですが・・・。
真宗教団連合のホームページにこんな調査結果がアップされています。
「浄土真宗に関する実態把握調査」
http://www.shin.gr.jp/activity/event/800/pdf/report2018.pdf
いろいろありますが、こと「報恩講」に関していえば、真宗門徒といえども「何それ?」という数字が上回ると。
果たして「報恩講」を知らずに真宗門徒といえるのか、という疑問と同時に私自身「お伝え」の至らなさを思います。
門徒を門徒でなくさせているのは誰なのか。
その正体が暴かれたような結果といってもいいのでしょう。
来年、再来年、5年後、10年後・・・100年後の報恩講に向けて坊主が汗をかかなくてはなりません。
真宗寺院と真宗門徒の果たすべき勤めは「先祖供養」なのか「報恩講」なのか。
先祖供養を否定するつもりは毛頭ありません。知らぬ間に身に染み込む先祖供養の感覚の機が、いかに一人ひとりの上に「報恩」に展開されていくのか。
自身、一人の門徒として実践する日々の積み重ねでございます。
とは言いつつ、できるだけ汗をかきたくない本性が来年、再来年、5年後・・・に、結果として現れてきます。
寺がやる。住職がやる。坊主がやる。ではアテにならないのでしょう。ご門徒として、ご門徒とともに。
また来年の報恩講まで、どうかよろしくお願い申し上げます。