遊煩悩林

住職のつぶやき

争いのもと

2016年02月01日 | ブログ

宮崎駿のアニメ「もののけ姫」に登場する全身に包帯を巻いた登場人物はハンセン病患者をモデルにしたということを先月30日の新聞報道ではじめて知りました。

http://www.chunichi.co.jp/article/front/list/CK2016013002000240.html

あわせて1月31日が「世界ハンセン病の日」ということも。

記事は、この「世界ハンセン病の日」を前に宮崎駿さんがハンセン病療養所の多磨全生園で講演された内容でした。

常照寺の報恩講。おかげさまで30・31日の両日にわたってお勤めすることができました。

毎年お逮夜の晩、御伝鈔の拝読後、プロジェクターを使って様々な映画や視聴覚教材を観ていますが、実は当初の予定では昨年全国各地で上映された映画「あん」を観たいと思っていました。

昨年の上映時期からするとすでにDVD化されているだろうという予測のもとで。

http://an-movie.com

「あん」は、ハンセン病の元患者を描いたドリアン助川原作の映画。1月31日が「世界ハンセン病の日」なんてこともつゆ知らずに、昨夏に劇場で映画を観てから報恩講はこれだ!と思ってお寺で勝手に放映会を考えていたのですが、全国のシアターでこの春頃までアンコール上映が行なわれているということで、それに合わせてDVD化も遅れているのだとか。

宮崎駿さんの記事の見出しは「ハンセン病歴史継承を」とありましたが、まさにこの映画もこの歴史を忘れてはならないとの願いがロングラン上映につながっているように思えますし、決してハンセン病の問題が遠い昔のことでなく現代的な課題をもっていることを意味しているように思えてなりません。

「あん」の上映会は後に譲るとして、常照寺報恩講30日のお逮夜の晩は、東日本大震災後にNHKが放送している「証言記録 東日本大震災」のDVDを観ました。

http://www9.nhk.or.jp/311shogen/link/program1.html

この番組の存在を私は知らずにいました。なんでだろと思っていましたが、いま日曜日の午前中に放送されているようです。よく考えれば日曜日の午前中にテレビの前にいることがまずなかった・・・。

DVD化された番組の中で今回は第30回の放送にあたる「福島県双葉町 ~放射能にさらされた病院~」をご参詣の皆さまと視聴しました。

原発の危機が迫るなか、双葉町の病院が寝たきりの老人や重篤な患者の緊急搬送用にチャーターした自衛隊のヘリコプターに、それまでの避難指示に従わずに残っておられた住民たちが乗り込んでしまったために、放射能の降り注いだ待機所に取り残されてしまったという50数名の患者と医療関係者に焦点をあてた記録でした。待機所で一夜を明かした患者のなかには夜が明けるのを待たずに亡くなった方がいた。災害弱者のために用意されたはずのヘリに一般の健常者が乗り込んでしまったために起きた悲劇でした。

原発が立つ双葉町。いわゆる原発の「安全神話」を信じずには生きてこれなかった町民。地震と津波の混乱のなかで出された避難指示を受け止める心的余裕もなく、避難せずに地域にとどまった人びとが、いよいよ原発の爆発をその身に感じ、その音を直接耳にして飛び出した。てっきり爆発を受けて派遣されてきたのであろうと乗り込んだヘリコプターは、実は病人を搬送するためにチャーターされたものだった。

現場におけるそれぞれの立場によって視点はさまざまでしょう。不謹慎かもしれませんが思い浮かんだのは戦後の「引き揚げ船」のイメージでした。我れ先に他人を蹴落としてでも船に乗ろうと・・・と聞いた記憶がある。

避難指示に従わなかったことを責めたり、重篤患者の搬送用と知らずにヘリに乗ってしまったことを責めたりするつもりはありません。

報恩講という場で、親鸞さまの眼でこの悲劇を見たときに、この災害弱者とよばれる方々の命を奪ったのは誰か。それは「お前だ」と言い当てられた気がしました。如来の目線をいただくならば「愚かな凡夫よ」と。

これだけの惨劇が起こらなければ、その喚び声を聞くことができない私。

「愚かな凡夫よ、気づいてください」と常に喚びかけられていながら、自分を正当化して生きている私。

報恩講さまに遇わせていただいて、大事なことを忘れて生きていることをまた知らされた。

さて2月。大事なことを忘れていることにも気がつかないまま今年もはやひと月が過ぎてしまった。

そんなことを思いながら、ある掲示板の言葉を思い出して2月の掲示板にしたためました。

私が正しい これが争いのもと

奥羽教区電子掲示板より

避難指示に従った人が正しいとか、絶対安全を信じて疑わないことが正しいとか、悲しまれているのはそうやって裁いてばかりいる私でした。

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