遊煩悩林

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2015年10月16日 | ブログ

真宗大谷派三重教区社会教化小委員会主催の「真宗と平和」と題した公開講座が、津市の真宗高田派本山の高田ホールで開催され、委員の端くれとして常照寺のご門徒らと聴聞させていただいてきました。

社会問題をとおして浄土真宗の視点を広く一般に公開することを目的に、講師は僧侶ではなく、また宗派や地域を超えて高田ホールでの開催。

「真宗に立って憲法問題と安保法制に向き合う」というテーマで平川宗信名古屋大学名誉教授にお話をいただきましたが、講義後の質疑応答では「こういった(政治的・社会的)内容の講義であることを事務局(高田派当局)は把握してたのか!」と、おさまらない気持ちを発せられた参加者がいらっしゃいました。

講師の平川先生はこうしたリアクションを想定してかどうかはわかりませんが、講義中にこういっておられたように記憶しています。

自己を問うことは社会を問うことであり、社会問題を自己の問題として問うのが真宗ではないか。逆に、自己を問わないで社会だけを問題にするのは、真宗ではない。それは社会問題・政治問題である。

さらに資料には、

この世の中における自己の生き方を問うことは、念仏者として社会問題を課題として生きていくことです。その意味で、社会問題が、念仏者としてどう生きていくのかという信心の課題となっていく。社会問題を考えていく中でわれわれの信心が問われ、信心が確かめられてくる。そして、真宗とは何かがあきらかになってくる。

とあります。

お寺で、いわゆる政治的問題や社会的問題をテーマにすると必ず批判的な意見が出てきます。それがいけないとは思いません。ましてや健康的な姿といっていいかもしれません。

それによって、なぜ寺が仏教の名の下に、浄土真宗の名の下に、ナムアミダブツの名の下に、親鸞の名の下に、こうした問題を取り上げているのかということを学ぶことができる。

さて、当日の資料に日本の主体性を問うものがありました。

それはいわゆる「アーミテージ・ナイ報告書」という、2012年にアメリカの国務副長官や国防次官補らが共同執筆した文書。

アーミテージ氏、ナイ氏の別名は「ジャパン・ハンドラー」。安保関連法の制定もここに要求されていたとおりだと、先の国会で山本太郎議員が指摘したとおりです。

東日本大震災の翌年に作成されたこの報告書には「原子力は日本の包括的な安全保障に不可欠な要素」と記載されている。

川内原子力発電所の1号機に続いて、昨日、2号機が再稼働したという。

早速、宗派のホームページに「九州電力川内原子力発電所の再稼働に関する声明」が再掲載されました。

http://www.higashihonganji.or.jp/news/important-info/12933/

それは自己を問う信心の課題だからだ。

ただ単に宗派の声に乗っかっているばかりでは元も子もない。国の主体性を問うことは同時に私自身の主体性が問われているのです。

 

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