遊煩悩林

住職のつぶやき

煩悩が足りない!

2013年01月07日 | ブログ

年末。まさに諸行無常の除夜の鐘を撞こうとしていた時、1件の電話がありました。
伊勢の初詣に向かわれる電車内で急逝したという方の葬儀のご依頼でした。
伊勢の火葬場は元日だけがお休みなので、正月2日に葬儀をしたいとのこと。
お電話いただいたのは伊勢で葬儀社を営むご門徒さまでしたが、その葬儀社さんもインターネットでお葬式を売る業者からの依託業務ということで、御布施の方がどうなることやら・・・ということでしたが、インターネットの葬儀屋に登録してるわけじゃないので、ご門徒からの依頼としてお引き受けをしました。
いまやネット上でパッケージ化された商品としてのお葬式。
「商品」を購入する「消費者」にとって魅力的なのは金額が設定されていることでしょう。
金額が設定されているのは結構なことですが、たとえば今回のように静岡の人が伊勢で火葬する場合、地元住民とは火葬料金が大きく異なってきます。「追加料金をいただきません」が売りの「商品」ですから、その差額は請け負った業者が被るのか、それとも僧侶の布施に被せるのか・・・。いずれにしても売る方の利益は保障され、消費者も定額料金で安心なのかもしれませんが、請け負う方はリスクを伴うのでしょう。
請け負わなければいい、という問題ではありません。近年では喪主の宗旨を無視する業者も少なくないといわれる中、「お東さんで・・・」というご家族の意志と、それを尊重される田舎の葬儀屋さんも尊いことです。
今回のように静岡の方が旅先の伊勢で急逝し、名古屋の家族が喪主になって大阪のインターネット葬儀社が伊勢での葬儀を取り仕切る・・・。
私にとってもイレギュラーなケースですが、一人の消費者となれば同じ選択をせざるを得ないのかもしれません。
葬儀を済ませ、それなりに納得されたように遺族の方々は遺骨を持ってお帰りになられました。「それなりに」というのは、何というか「サービスの内容」に対してという感覚です。サービスの業務内容の「読経」、パッケージングされた商品としての「経」。
僧侶のコンプライアンスとでも言うのでしょうか。アイデンティティというのでしょうか。僧侶として守らなければならない事柄。何をもって僧侶というのか考えさせられました。なるほどそれを「戒」と「律」というのかなんて思い至りますが、そういえば自分こそ破戒の坊主でありました。
お布施は、ネット上で謳われている以上の金額が包まれてましたので、いわゆる「追加料金」が発生したことになります。火葬代の差額についても、おそらくご理解をいただいたのでしょう。
葬儀社のホームページによると、御布施は全国統一のコミコミ(戒名・車料・膳料・心付)価格で◯万◯千円と明記されていますが、内訳として御布施金額◯万円+手配料◯万◯千円となっています。この「手配料」って・・・?もしかして紹介料的なもので葬儀屋さんにバックせぇーよ!ということ・・・なのか?と、業界の常識もよく分からぬ住職は思いがけずこの業者のフリーダイヤルに問い合わせようかと思ったのでした。
もし、ネットに明記された金額を「きっちり」受けとっていたとすれば、「経」を商品化し、読経サービスを営んでいるような自己猜疑心?罪悪感はますます強くなったような気がします。明記されようが、本人の気持であろうが布施は布施。それについて多いとか少ないとか、アレコレ思惑を挟み込むこと自体が罪ですが、ついつい常に自己を正当化して、自分の常識の中で生きていると、イレギュラーな出来事を「あるまじき」こととして評価してしまう自分に気づかされました。つまり、俺はお経を商品だとは思っていないぞ、読経はサービスでやってんじゃねーぞという「つもり」で真面目ぶり、自己を正当化したいだけなのかもしれません。その意味では、坊主が罪悪感を覚えようが猜疑心に苛まれようが勝手なことです。大切なことはどういうケースであれ、亡き方をお浄土にお還りになった諸仏として確かめ手を合わせることだけです。

さてさて、大晦日。そんな対応に追われている間に、あるまじきことかどうか判りませんが、除夜の鐘は今年82吼で撞き止まってしまいました。
煩悩が108に集約されるならば、煩悩の数が足りないことになります。

煩悩の氷解けて 功徳の水となる

のですから、煩悩が足りないとすれば致命的です。
しかし心配はないのでしょう。来られなかった方に後日「身体でも悪かったの?」と聞くと、「寝てた」とか「飲み過ぎた」とか「寒くて出られなかった」とか・・・。煩悩だけは満ち足りています。ただ私自身のこととしていえば、煩悩の自覚が足らないのでしょう。煩悩を自覚せしめるのが仏教だとすれば、どうも自覚が足らないというのは、その学びが足りないということです。
足りない分の煩悩を取り戻すべく今年も煩悩にまみれて、ともに学んでまいりたいと思います。
何とぞ遊煩悩林を今年もよろしくお願いします。

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