遊煩悩林

住職のつぶやき

タダよりコワイもの

2012年04月07日 | ブログ

Img_0386昨日、小学校の入学式で息子と緊張をともにしてきました。
少子高齢化と同居率の低下の実態を物語るかのような18人の新1年生。
開式前、教員の「おしっこしたい人は行ってきて下さい」という声に17人はトイレへ。
「お父ちゃんのためにも行ってくれ」「何とか絞り出してきてくれ」という願いも通じず・・・。
まだまだ子離れできそうにない親バカを自覚しつつ、18人の入学式はあっさりと終了。
義務教育のスタートということで早速、数冊の教科書をいただいてきました。
「こくご」「さんすう」「おんがく」「ずがこうさく」「せいかつ」「しょしゃ」の6冊。
まるで興味を示さない息子にかわってパラパラとページをめくってみると、どれもイラストや写真がふんだんに盛り込まれていて、いかにも楽しく学ばせよう!という印象。
さて、その6冊が封入された「にゅうがくおめでとう 文部科学省」と書かれた紙袋の裏に、「保護者の皆さまへ」とあります。

お子様のご入学おめでとうございます。
この教科書は、義務教育の児童・生徒に対し、国が無償で配布しているものです。
この教科書の無償給与制度は、憲法に掲げる義務教育無償の精神をより広く実現するものとして、次代をになう子どもたちに対し、我が国の繁栄と福祉に貢献してほしいという国民全体の願いをこめて、その負担によって実施されております。
一年生として初めて教科書を手にする機会に、この制度にこめられた意義と願いをお子様にお伝えになり、教科書を大切に使うよう御指導いただければ幸いです。
文部科学省

要するに「大切に使いましょう」なのですが、どうして大切なのかということを親が知り、子に伝えなさいというメッセージとして受けとりました。
わざわざ冒頭に「国が無償で配布している」というのも何か恩着せがましいような気もしますが、「国民全体の願いを込めて、その負担によって実施」というフォローがあります。
ただ、その「国民全体の願い」が「我が国の繁栄と福祉に貢献してほしい」にとどまるならば説得力に欠けるような気がするのです。
極端にいえば「タダでやるから、お国のために頑張れ」みたいな印象さえ持ちます。
子どもたちは決して「国」のために生まれてきたのではない。また「家」のために生まれてきたのでもない。「親」のために生まれたのでもない。
人間になるために生まれてきた。人の間の関係を生きる「私」が、「私」になるために生まれてきた。
とすれば、何のために学ぶのかという問いがあるならば、それは「生まれた意義と生きる喜びをみつける」ためであって、人間と人間とがそれを尊び合うために学ぶべきだと思うのです。
もちろん国とか文科省という「立場」からすればこうなるのかもしれません。ですが「我が国」だけの繁栄と福祉に貢献するのが国民全体の願いというならば、どうもさもしいような気がするのです。
かつて文部省は、憲法の義務教育無償について「授業料は無償」「教科書は有償」でやってきた。にもかかわらず、今日の教科書無償について、この制度に込められた意義と願いを子どもに伝えよということですが、さて、何と伝えればいいのか・・・。
少なからず、教科書無償化には血のにじむようなご苦労があったことを、まず私たち親が知り、正しく子どもたちに伝えなくてはなりません。

遊煩悩林 2008.02.16(教科書無償化)知らずにいたこと」
http://blog.goo.ne.jp/ryoten-jyosyoji/d/20080216

文部科学省 教科書無償給与制度
http://www.mext.go.jp/a_menu/shotou/kyoukasho/

コメント (1)