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遊煩悩林

住職のつぶやき

刻念会

2007年12月20日 | ブログ

常照寺が所属する南勢一組二部の今年最後の部会が志摩国府の源慶寺を会場に開かれました。
南勢一組二部というのは、京都の東本願寺を本山とする真宗大谷派の行政区分で、三重教区に属し、そのなかの南勢一組(「なんせいいっそ」と読む)は、一部と二部に分かれています。一部は松阪ブロック、二部は伊勢ブロックというとわかりやすいですが、伊勢といっても多気郡、度会郡、伊勢市、志摩市と実に広範囲です。
二部はこの地域の10ヶ寺の大谷派寺院で形成されていて、隔月で部会を開催してきました。
今回は、源慶寺さんにお世話になって部会の後、的矢の旅館で親睦を深める場(忘年会?)を持つことができました。
さて翌日、解放運動の学びの深いご住職の提案でフィールドワークを行いました。
目的地は渡鹿野島という離島です。古くは遊郭の島として有名でした。
どうして渡鹿野島かというと、私も解放運動に関わる人間として恥ずかしながら知らなかったのですが、この島は1945年に「志摩会談」といわれる会合が開かれたその地なのでした。
戦後の解放運動の再建について、もと全国のメンバーが話し合ったといわれています。
そしてその会場となった「A」ホテルを訪れたのですが、現在荒れ果てた状態で閉じられていました。地元の人によれば、シーズン中は経営しているそうです。
ところで、当時わざわざこの島で会談がもたれたことから、戦前戦中の解放運動の取り締まりが厳しかったころ、運動家が身を潜めなくてはならない状況が思い浮かびます。その時代をくぐり抜けてきたメンバーはやはり取り締まりの届かない離島を選んだと考えるのが妥当なところでしょう。(メンバーはこの島のなじみでもあったそうな・・・)
たまたま今回私たちは、この地にて部会を開催して話し合いの場を持ったわけですが、言論や思想の統制下において命をかけた運動を思ったとき、いまこの時代にあって言いたいことを言いたい放題いえる事の重みを感じました。
さかのぼれば、私たちが本尊とする「南無阿弥陀仏」は「首が飛ぶ念仏」といわれるとおり、念仏弾圧によって死刑にされた歴史を持っています。いま私にとって南無阿弥陀仏は、命をかけたご本尊となっているだろうか。
今年の部会は忘年会ならぬ、そんな事を考えさせられた刻念会となりました。
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【写真】
的矢の「橘」旅館の客室から見える的矢湾と朝日。
牡蠣づくしの料理でしたが、どれだけ食べても飽きさせないおいしい料理でした。

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