遊煩悩林

住職のつぶやき

仏事と祭祀

2006年11月03日 | ブログ

2日の晩、常照寺を会場に南勢1組(なんせいいっそ)の推進員研修会が開催されました。
南勢1組は三重教区の南勢地区のそれぞれの寺院で組織されていて、推進員というのは、真宗大谷派が掲げる真宗同朋会運動を推進していただく方々のことです。
三重教区内の組(そ)において行われている「壮年特別伝道(以下『特伝』)」を受講し、本山での後期教習を受けられた方々を推進員と呼んでいます。
南勢1組では来年、真宗入門講座と題した第8次にあたる壮年特別伝道が開催されます。現在その受講者を募集しています。(詳細は常照寺ホームページinformationをご覧下さいhttp://homepage.mac.com/jyosyoji/
推進員の研修は、組内の教化事業として年間2回開催されています。それ以外にも推進員の方々を対象に2回の研修をお呼びかけしていますので、年に合計4回の研修の場を持っています。
7月に2006年度がスタートして、今年度最初の推進員研修です。昨年度から引き続いて北勢町阿下喜の相願寺住職である片山寛隆先生にお越しをいただき、お話を頂戴しました。
毎回、特にテーマを掲げてお話をいただくわけではないのですが、あえてテーマをつけるならば、今回は「仏事と祭祀」についての問題を提起いただいたと了解しています。
はるか仏教が伝来する以前にまでさかのぼり、その時代の信仰と仏教伝来の背景について、そしていま私たちがお勤めしている精神はどんなところにあるのかを確認させていただきました。なかなか難しいテーマではありますが、ご参加いただいた方々は推進員ということもあり、仏法聴聞に慣れておられるということと、片山先生の分かりやすいお話によって、それぞれが推進員という以前に一人の真宗門徒として問われている課題をそれぞれがいただかれたことと思います。

先生は、そもそも仏教が伝えられるまでの信仰を「冥顕信仰」または「冥見信仰」とおさえられました。「冥」は「冥土」といわれるように、いわゆる「あの世」、「顕(見)はそれに対して「この世」のことである、と。
そして「あの世の霊」を慰めるのが「祭祀」であり、この「祭祀」によって生きているものの幸・不幸が決定するということが信じられていた時代にあって、伝えられた「経」がその道具として使われたのだ、と。
では、いま私たちは親鸞聖人の教えによって真宗門徒として生活をしている中で、根本的な精神はどうなっているかといえば、1500年経ってもいまだに当時のこの精神がまだ生き続けているのではないか、と。
推進員として、また寺に住まいするものとしての日ごろのあり方について一人ひとりが問われる課題であります。

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