晴乗雨読な休日

休日の趣味レベルで晴れの日は自転車に乗ってお出かけ。雨の日は家で読書。

ジェフリー・アーチャー 『プリズン・ストーリーズ』

2010-03-30 | 海外作家 ア
この作品は、著者ジェフリー・アーチャーが2001年から
2003年まで、刑務所に収監されていたときに、囚人仲間
から見たり聞いたりした話を小説にした短編集。
刑務所内での話はノンフィクション小説として出版されて
いるものの、そのノンフィクションでは載せられなかった、
ちょっとした話をまとめて、ほかにも、海外の面白話など
もあります。

それぞれがユーモラスで、シニカルな作品になっているのです
が、ちょっと気になるのが、中には、ある一定レベル以上の英語
を理解できるか、あるいは海外の文学に詳しい人でなければ
その意味がわからない「オチ」があり、はたしてどれだけの人
が分かるのかと余計な考えを持ってしまいました。

それは、「もう10月?」という作品で、アイルランド人で出稼ぎ
でイギリスに来るも、仕事がなく、寒い冬をしのぐために故意に
軽罪を犯して10月から春の間、収監される、といった話で、この
オチが、
「リバプールの建築現場で働いてるときに、いまいましいイギリ
ス人現場監督が、偉そうに梁(ジョイスト)と桁(ガーダー)の違い
を知ってるか、と聞いたんだ。でももちろん知ってたさ、ジョイス
は『ユリシーズ』を書き、ゲーテは『ファウスト』を書いたんだよ」

かなり難易度の高いというか、高尚なというか、もちろん知っていれ
ば「ニヤッ」とすること請け合いなのですが。

他の作品「めざせダウニング街10番地」でも、イギリスの政党の
党首選挙に3人の立候補が出て、ひとりが本命のスマートな候補、
もうひとりが若いだけが取り柄の候補、そして最後に高齢の候補。
ある新聞がこの3人の候補者を豆に例えて、本命が「ストリング
ビーン(さやえんどう)、若いのが「ジャンピングビーン(ぴょんぴょん
豆)」、そして高齢の人が「ハズビーン(過去の人)」という、こちらも
ちょっと難易度の高いネタ、というかシャレ。

さまざまな知識を吸収することでより理解が深まるものもあるので、
学校での勉強以外にもまだまだ勉強は必要だなあ、と思わされました。

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有吉佐和子 『悪女について』

2010-03-29 | 日本人作家 あ
爆笑問題がやっている日曜午後のラジオ番組(関東ローカル?)
の中のコーナーで、有名人や有名な場所にまつわる人にインタビュ
ーをするのですが、その冒頭で、有吉佐和子の小説『悪女について』
では、27人の証言で謎の死を遂げた女性の人生を浮き彫りに云々・・・
というナレーションが入り、この小説になぞらえて証言してもらう
のですが、毎回時間が押して27人分の証言は聞けずに終わります。

まだ男女雇用均等法も無い昭和の中頃、女性実業家、富小路公子が
ビルから転落して死亡しているのが見つかります。
自殺か他殺か、その謎の死は彼女の人生とともに謎だらけで、週刊誌
やワイドショーなどではスキャンダラスな生涯を紹介します。

彼女の少女時代から、亡くなる寸前に言葉を交わした男、さらにふたり
の息子まで、生前に関わりのあった総勢27人のインタビューを通して
見えてきた富小路公子像とは一体・・・

まず、この名前は改名したもので、その改名にまつわる話も証言に
あります。そして、前述にもありますが、長男、次男とふたりの息子
がいます。が、この息子は一度目の結婚相手の男との間にできた
子供ではなく、ここら辺はよく読まないと混同してしまいます。
まあつまりそのくらい男性遍歴がお盛んだったということなのですが、
しかしこれは彼女の策略とも取れる証言もあり、じっさい、彼女に
ひどい目に合わされたという人が何人かいたりします。

そもそも出自からして、ただの八百屋の娘か、さる高貴な家柄の私生児
と、言うことがバラバラなのですが、学校を出て、ラーメン屋でレジ係
(これもある人の証言によれば彼女の経営する「レストラン」となる)
のアルバイトのかたわら、簿記学校に通い簿記1級を取得、宝石店で
働きながら、なんだかんだで大金をせしめます。

この「なんだかんだで大金を」という部分は、ここが富小路公子こと
鈴木君子という一介の女性が富豪にのし上がっていく重要な部分なので
詳しいことは書きませんが、ただ持ち前の美貌を武器に、ということ
です。ここもまた証言によると、いや彼女はさして美しくはない、と
あるのですから、他人の証言というものは分かりません。
しかし、単に女性を武器にしてリッチになったわけでもなく、時代の
先を読む嗅覚(不動産投資など)や、機を見て敏なところは、成功者
の資質とでもいいましょうか。

かなり頭の切れる、でも時には甘えて「放っておけない」男心を巧みに
くすぐり、金を散財するかと思えば、金の大切さを説くこともあり、彼女
の一生は、読む人によってはまったく違った印象をもたれることと思われ
ます。

そういえば、7、8年前に芸術座で『悪女について』の舞台がやってました
が、あとがきに、有吉佐和子は演劇評論家を志していたほどの芝居好きで、
舞台用の脚本も書いたことがあるそうです。
この作品は、映画やドラマといった映像よりも、舞台演劇でやったほうが
面白そうですね。
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横山秀夫 『出口のない海』

2010-03-27 | 日本人作家 や
第二次大戦末期、日本の敗戦は濃厚だという中、愚かな大本営は
「最後の一人まで戦う」と、いわば国民に向かって「死ね」と命令
したも同然の、軍人が国を国民を守ることを放棄したわけで、それ
だけにとどまらず、戦闘機に片道だけの燃料しか入れずに敵の船に
当たって来いという命令を出す始末。
『出口のない海』では、海軍が考えた人間魚雷「回天」に乗ること
になった、大学で野球に青春を燃やしていた若者たちのうちのひとり
にまつわる話です。

大日本帝国は、昭和16年12月、アメリカのハワイに停泊中の戦艦を
急襲、大損害を与えて、これによりアメリカ・イギリスに宣戦布告。
当初は破竹の勢いで太平洋南方、インドシナを次々と攻め落としますが、
ミッドウェー海戦での敗北をきっかけに日本軍は連敗街道を進むことに
なります。
国内では未来ある若者が徴収されてゆき、大学生は徴収免除されていた
のですが、そうもいってはいられない状況で、ついに大学生も徴収され
ることに。いわゆる「学徒出陣」です。

A大学の野球部では、敵国のスポーツということで、試合ができなくなり、
寮の食事も満足なものは出せず、野球どころではありません。
そんな中、かつて甲子園を沸かせたピッチャー並木が肘のケガを克服、
魔球を考えたとキャッチャー剛原に告げます。
そんな魔球も完成する前に、とうとう大学生にも召集令状が届きます。

並木が海軍兵学校に入るとそこには、同じ大学の陸上部だった北という
男がいて、彼は一足先に軍に入り上官という立場。
北はオリンピックも狙えるほどの逸材でしたが、戦争でオリンピックが
中止となることで断念、北と並木は戦争や将来に対する思いをぶつけ合い、
そして、人間魚雷「回天」の訓練が始まり・・・

「回天」とは、人間ひとりがかろうじて入ることのできる小型の潜水艇で、
中に基本的な操縦システムがあるのみで、それで敵の船に当たって爆発
するというもの。
こんなことしか思いつかない時点で日本の負けは決定だったのですが、
その回天に乗ることになる若者たちは、故郷にいる家族や愛する人たち
を守るために敵の上陸を防ぐべく、訓練をするのです。

実話で映画にもなった「最後の早慶戦」という話があり、学徒出陣の
前に最後に野球がやりたいと、非公式で早稲田大学と慶応大学の野球部
が試合をします。大学側にかけあう学生たち、最後には熱意に負けて
了承する学長。その思い出を胸に戦地に赴く学生たち・・・
『出口のない海』では、最後の試合で、学生行きつけの喫茶店のマスター
が商店街の寄せ集めで野球チームを作って、そこと試合をします。
もはや勝ち負けなんて関係ありません。ただ白球を投げて打って、それ
だけでいいのです。

年なのでしょうかね、この手の話は涙腺崩壊してしまいます。
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宮部みゆき 『クロスファイア』

2010-03-25 | 日本人作家 ま
以前読んだ、黒武洋の「そして粛清の扉を」という作品の書評で
宮部みゆきが「作家が神になってはいけない」と述べていたこと
が印象強く残り、文中で神のごとく審判を下すのは踏み込んでは
ならない領域ということ。

『クロスファイア』では、ごく平凡なOLが実は念力で相手を焼き
殺すことができる超能力の持ち主で、いとも気軽に他人の命を
奪う傍若無人な若者を、司法の裁きの前に探し出して殺す、と
いうもので、一方的な正義感のもと「悪をくじく」のですが、これが
はたして正義なのか、単なる勧善懲悪で終わってしまわないとこ
ろに、作者が伝えたい部分があるのでは。

東京の下町にある、工場跡地で、縛られた人が複数の男によって
水槽に投げ入れられそうなところを、近所に住む青木淳子が目撃し、
若者をあっというまに念力で焼き殺し、一人は取り逃がしてしまい
ます。
縛られた人を救い出し、瀕死の状態ながら、恋人の安否を気づかい、
そして息を引き取ります。
どうやら、縛られた男は恋人とふたりでいたところを3人組の若者
に襲われ、女性は連れ去られ、男は工場跡で処分されるところだった
のです。淳子はその女性を探そうと、逃げたリーダー格の男を探します。

工場跡地で焼死体が見つかったことで警察が動き、警視庁放火班の
石津ちか子は、数年前に似たような焼死体があったことを思い出します。
それは今回と同様、かなりの高温で焼かれているにもかかわらず、死体
の周囲はどこも焼けていないという奇妙な点。
調べていくうちに、今回の焼死体は若者の不良グループだと判明。
数年前の焼死体も、当時世間を騒がせた連続女性暴行殺人の一味だと
判り、石津は関連性があるとにらみます。

警視庁ではこの件は殺人事件として扱うことになり、放火班の石津は
捜査に参加できず、上司に相談すると、数年前の焼死事件の担当だった
牧原刑事を紹介してもらいます。
そこで牧原は突拍子もないことを石津に話します。それは「念力放火能力」
“パイロキネシス”という超能力で、その持ち主がこの事件を起こしている
のではと、当時捜査会議で言ったところ、変人扱いされたという経験が
あったのです。
そして、今度は別の場所で焼死事件が起こり・・・

牧原の過去に、念力放火能力を信じさせる出来事があり、また物語で重要な
カギとなる女の子と家族もまた、この不思議な力に翻弄されます。

悪事を働きながら捕まらずにのうのうと生きている輩に正義の裁きが
下されるというのは痛快ですが、淳子は、自分の行いは正義だと肯定
しなければならないことに、一抹のやりきれなさを感じます。
正義のためなら何をしても許される世の中ってどうなんですか?という
問いかけに、考えさせられます。


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フレデリック・フォーサイス 『ジャッカルの日』

2010-03-23 | 海外作家 ハ
『ジャッカルの日』は、スパイスリラー小説の御大、フレデリック・
フォーサイスのデビュー作で、この一作品ですでに貫禄のある作家
の仲間入りをしたかのような、それくらい重厚感のある筆力で、
通信社の特派員経験を生かしてのイギリスおよびアメリカ、ソ連、
その他外国の政治、とりわけ秘密情報、諜報機関について精緻で
たまに実在の政治家も登場し、これはどこまでがノンフィクションで
どこからがフィクションなのか混同してしまいます。

1960年代前半のフランスでは、第五共和制の大統領シャルル・
ドゴール政権で、彼の政策に反感を抱くテロリスト「OAS」という
組織は、数回におよぶ大統領暗殺に失敗、トップクラスの逮捕、
銃殺でOAS存続の危機の中、新しく主任に選ばれた男は、組織
に秘密で、海外の殺し屋に接触。

ブロンド、青い目、長身のイギリス人という情報のみの「ジャッカル」
と名乗るその男は、破格の契約金で現職フランス大統領暗殺の依頼を
受けることになります。
しかし、フランスの秘密情報機関はOAS幹部の不穏な動きを察知、
どうにか彼らの陰謀を掴みとります。

OASはジャッカルに連絡を取ろうにもつかまらず、さらに情報機関も
ジャッカルについてわずかな情報しか持っていなく、海外の警察や
情報組織に連絡、それらしき人物は浮かんでくるのですが、ジャッカルの
正体は不明。

さらに、暗殺の情報のみで、いつ、どこで大統領を狙うのかも分からず、
作戦中止命令も届いていないと思われるジャッカルはどうやってフランス
国内に侵入するのか・・・

ちなみに、ドゴールは現職中に暗殺されておらず、政界引退後に田舎で
余生を過ごして亡くなっているので、これがノンフィクションであれば
ジャッカルの計画は失敗に終わることになり、しかしフィクションだと
どうなるのか・・・

久しぶりに手に汗握りながら読みました。松本清張「点と線」、アガサ・
クリスティ「そして誰もいなくなった」以来ですかね。
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船山馨 『石狩平野』

2010-03-20 | 日本人作家 は
この作品は、吉永小百合主演の映画「北の零年」のベースになった
(公式には映画の原作とされてない)もので、明治初期に開拓移民
として北海道に渡った鶴代という女の子が、親子3人で貧しく過酷
な生活を送り、助け合い、時には冷たくもされ、結婚そして子供も
生まれ、時代的には明治末期の伊藤博文暗殺までを描いています。
そして『続・石狩平野』では、大正から昭和、太平洋戦争という激動
の時代とともに歩む鶴代と家族や友人たち、さらに、混沌と陰謀
渦巻くこの時代の政局を詳細に描いていて、いかにして日本が間
違った道を歩むことになったのかがよく分かります。

新潟から開拓移民として北海道に渡り、小樽に住む鶴代と両親。
その後小樽市ほぼ全域の大火により札幌へ移住、鶴代は役人一家の
もとへ奉公に出されます。奉公先の息子、次郎に惹かれるも、身分
違いの片思いと割り切ります。しかし娘の多佳子には見抜かれて
しまい、多佳子は奉公人の鶴代を可愛がり、次郎との恋の応援まで
してくれます。この多佳子とは、後年お互いお婆さんになるまで
鶴代と付き合い、よき相談相手となります。

とうとう一大決心をする鶴代。結婚はできない次郎と一夜の恋で
子供を身ごもります。
この時代は、父親不明で妊娠するなど人間の所業ではないといった
偏見があり、しかし、奉公を斡旋してくれたランプ屋の養子の壮太が、
鶴代との結婚を承諾。明子という女の子が産まれます。
その後、奉公先の役人の主人は時の政治の混迷の煽りを受けて、陰謀
により失脚、事業をしようとするも嵌められて、落ちぶれた挙句の犯罪
で逮捕されてしまいます。

それからは、これでもかというほど鶴代に苦労や悩みが襲いかかり、
次郎が洪水で亡くなり、両親も亡くなり、奉公を斡旋してくれた女将
の再婚相手に金をせびられ、明子は帰還兵に道端で犯され、不幸にも
妊娠してしまい、隠れるように産むも、鶴代が産んだことにします。
壮太との間にできた壮太郎という息子は難しい性格。

やがて時代は大正から昭和へ、軍国主義が日本を覆いはじめ、日露戦争
の勝利から大陸への進出、満州建国から日中戦争そして太平洋戦争へと
進んでゆきます。鶴代の家族も無関係ではなく、息子や孫を兵に取られ
、矛盾と欺瞞に憤り、列島じゅうが閉塞感に包まれます。
後半の『続・石狩平野』では、この大正・昭和史考察にかなり重きを
置いて書かれています。

「風と共に去りぬ」や「ジェーン・エア」といった、力強く生き抜く
女性を描く作品は数多くありますが、『石狩平野』はそれらに匹敵する、
男女関係なく、読む者に勇気を与えてくれる名作です。

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スティーヴン・キング 『シャイニング』

2010-03-17 | 海外作家 カ
思えば、スティーヴン・キング原作の映画作品はけっこう観ていて、
でもその原作の小説はまだひとつも読んでいないということに気づき、
さっそく読んでみることに。
宮部みゆきさんが「小説の師匠みたいな存在」といったようなことを
公言されているので、面白いのは折り紙つきなのですが、なるほど
これはただ怖いだけではなく、情景や心理の描写の緻密さで、ぐい
ぐいと物語に引き込まれます。

ジャック・トランスという名の男が、コロラドの山中奥深くにある「オー
バールック・ホテル」の冬季管理人の面接を受けます。
オーナーはさる有力な人からの紹介ということで、売れない作家で元
教師のジャックを不本意ながらも採用。ジャックの妻と息子の3人で、
冬の間、ホテル休業中の管理をすることになります。

妻ウェンディ、息子ダニーとは、現在こそ良好な家族関係ですが、ほんの
少し前までは、ジャックのアルコール中毒と時たま起こす「癇癪」で一度
などダニーの腕を骨折させてしまい、さらに生徒による暴力で教師をクビ
になり、荒みきっていました。

一方、息子ダニーは、よく悪い夢にうなされます。そこには「トニー」という
少年が出現し、いろいろなことを教えてくれます。あたかもそれはダニーに
予知能力でもあるかの様で、じっさいダニーは他人の考えを「読む」ことが
できるのです。しかしここ最近、トニーが不気味な忠告をダニーに与える
のです。

ホテルに到着するジャック一家。ホテルの中を案内され、料理長のハロー
ランを紹介されます。このハローランもダニーと同じような「能力」を持って
いて、ハローランはダニーに、その能力は「かがやき」というもので、この
ホテルにはさまざまな悪い何かがいるけど、決してダニーたちに悪さは
しないと言い、しかし、もし危険な目にあったら、頭の中で呼べば助けにくる
とダニーに約束します。

そうして、ジャック一家を残し、従業員は方々に去ります。さまざまな仕事に
精を出すジャック。しかし、動物のかたちに刈り込められた植木が「動いた」
ような気がしたり、地下のボイラー室に置いてあった過去このホテルで起きた
さまざまな事件の切り抜きにジャックは心奪われたり、どうにも様子がおかし
いのです。
そして、立ち入り禁止と言われていたスイートルームに呼ばれるように入る
ダニー。なんとバスルームには女性の死体が。その死体は起き上がり、ダニー
のもとに歩み寄って、ダニーの首をしめて・・・

密室ホラーというか、ホテルという存在そのものが家族を狂わせ、襲います。
ジャックはホテルにだんだんと蝕まれてゆき、とうとう心が崩壊、息子と妻
を殺そうとするのですが、そこに至るまでのジャックが人間性を失ってゆく
過程の描写が芸術的といえるほどコワイ。

恐れ入りました。
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夏目漱石 『道草』

2010-03-14 | 日本人作家 な
『道草』は、夏目漱石の自伝的小説ということで、晩年の漱石が
神経衰弱あるいは慢性的に胃痛に悩まされていたのがよく分か
るくらい、日常生活の厄介ごとが多かったと思われます。
まず、こちらは実際の話として、漱石こと金之助少年は4歳のとき
に養子に出されて、その後養父の家出や離婚などで実家に戻され
ます。その後、文学界でスターダムを確立するや、かつての養父
からの金の無心がはじまります。
というのも、籍を戻す際に、それまでの養育費を養父に支払うと
同時に、何かあったときには助けてくれ的な一札も入れてしまい、
義理堅い漱石は養父に金をせびられることになるのです。

主人公の健三は、海外留学から戻り、大学の講師の職につきます。
講師のかたわら、自宅で健三は執筆作業に勤しむのですが、ある日
町中でなつかしい顔を見かけます。
それは、かつて少年時代に養子に出された先の養父であった島田。
しかし、養父は愛人をこさえて家出し、健三は実家に復籍して以来
交流がなく、今ごろ自分の前に現れたことを訝ります。
案の定というか、島田は健三宅に来て、爪に火をともすような貧窮
生活を語り、健三に金を貸してくれと言います。
しかし健三は、姉夫婦や兄にも毎月金を送り、さらに妻の父、健三
にとって義父からも金の相談があるのです。
肉親や妻の家族に金の工面はいいのですが、島田とは縁遠くなって
久しかったのですが、いくらか包んで島田に帰ってもらいます。
しかし再びやって来て、今度はある紙を買ってくれと言ってきます。
それは、籍を戻す際に、実家から島田に「将来困ったときには不実
のないように」という証文で、それを突きつけてきて・・・

金銭問題に苦しむ健三。そんなに高給取りというわけでもないのに
毎月生活費に苦しみます。家庭では、妻との価値観や性格の不一致
にも悩みます。妻は夫に冷たく、だらしなく、狡猾というふうに
健三は思って、一方妻のほうは夫の理屈っぽく常に自分を小ばかに
する態度に辟易しています。
たまにある妻の発作のときには健三はかいがいしく付き添い世話を
するのですが、それ以外はお互い見つめ合うことはありません。

ただ、文中の健三は、おいおいそれは女性、ましてや妻に対する
言動じゃないだろ、、そりゃ家庭不和にもなるわな、という感じ
で、妻の非よりも健三の悪い部分を強く描いています。

というのも、『道草』の前に書かれた「こころ」「行人」、さらに
「彼岸過迄」「虞美人草」での登場人物の苦悩は、そんなに深く
醜く描かれてはいないのですが、『道草』の健三は、これでもかと
人間の心に潜む卑しい部分を抉り出していています。

このような「苦悩、嘆きのスパイラル」を描くのは、それでもどこか
に救いや光明が見出せなければ作品として“しまらない”のですが、
例えばフランスの作家、モーパッサンの「女の一生」という作品があり、
一筋の希望や救いはこのように書くのだよ、という手本があります。
『道草』での光明は、ラストの妻の台詞と生まれたばかりの赤ん坊に
接吻するところにあるのでは、と思いました。



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山本甲士 『あたり(魚信)』

2010-03-12 | 日本人作家 や
去年、著者のデビュー作で横溝正史賞受賞作「ノーペイン・ノーゲイン」
を読んで、意外で斬新な構成と旧式の密室トリックを融合させるという
作品で、けっこう楽しめました。

『あたり(魚信)』とは、釣りで魚が餌に食いついたときに浮きが
ちょんちょんと引っぱられる手応え。これをタイトルにするという
わけで、川魚釣りの短編オムニバスです。
ある地方都市に流れる支流は、工業排水などが流れ込まずに清流の
状態を保っている貴重な川があり、そこにはさまざまな人たちが釣り
を楽しみに竿を垂れます。
この地域には「奇跡を信じたければ釣りをするがいい」という言い伝え
があり、その昔、隠れキリシタン狩りから逃れてきた人たちが隠れ住み、
飢えをしのぐために魚釣りをして、それが地元の村人に見つかったの
ですが、その時代の地元民たちは網などの漁しか知らなかったので、
竿と糸と針を使った魚釣りというのを教えてもらうことになり、この
地域で匿ってもらうことになったのです。

そんな言い伝えが、悩みを持った人たちにとっての救いとなり、まさに
小さな「奇跡」が起こるのです。いや、何もしなければ奇跡なんて訪れ
ません。彼ら彼女らが何かしら行動することによって、その行動のうち
のひとつが良い事になり、やがて人生は好転していくのでしょう。
釣りを介して、失われてしまった、本来人々があたりまえに持っていた
はずのものと出会います。

オイカワ、雷魚、うなぎ、鮎、たなご、真鮒といった川魚にまつわる
話、それらの生態や釣り方などが詳しく説明されていて、正直それまで
川魚釣りに興味がなかったのですが、「奇跡」がほしいかどうかは別に
して、ちょっと出かけてみようかな、なんて気になりました。




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レイ・ブラッドベリ 『火星年代記』

2010-03-10 | 海外作家 ハ
今までそんなにSF小説は読んでいないのですが、アーサー・C・
クラークの「2001年宇宙の旅」を読んで、おそらくこれがSF小説界
のなかで最高峰なのではないか、と思うくらいに、読み終わったあと
感動に打ち震えたものですが、ここにきて、あのときの感動に匹敵する
くらいの作品に出会ったのです。

レイ・ブラッドベリという作家の名前くらいは聞いたことがあり、また
他の小説などにもよく登場したりしているので、一応は有名なSF作家
という知識はあったのですが、『火星年代記』は1950年に出版された、
いわば古典SF。

短編なのですが、それぞれの話がどこかで間接的につながっていて、
ひとつの長編という構成になっていて、まず、1999年1月、ロケット
が飛び立つところから始まります。
そして1999年2月、火星に住む一組の夫婦がいて、その妻が奇妙な
夢に悩まされます。それは、目の青い、背の高い、髪の毛の黒い男が、
輝く金属製の物体に乗って空から下りて来る、というもの。
そして男は、太陽系第3惑星から来たと言うのです。それを聞いた夫は
妻がその夢に登場した男に惹かれていると思います。やがて、実際に
地球からロケットが火星に到着し、探検隊が火星に下り立つのです。
妻の夢の続きを聞いて、「緑の谷」に下りた金属の物体を探しに、夫は
銃を持ち、その探検隊を撃って・・・

その後、第2次、第3次探検隊とも、火星人に殺され、2001年、第4次
探検隊が火星に下りたときには、生きた火星人の姿は見えず、調査をし
たところ、人間の持ち込んだ水疱瘡で火星人はほぼ全滅したのです。

やがて地球では戦争が終わらず、火星に移住する者たちがどんどん増え、
火星は新しい入植地のようになります。
里心というか、郷愁というか、やがて地球で大きな出来事があり、
火星に住む地球人たちは地球に戻ります。
しかしそれでもしぶとく火星に残る何人かの地球人たちもいました。

とうとうゴーストタウン化してしまった都市が点在するだけの火星。そこに
2026年、夫婦と3人の子供の家族がロケットで火星に下り立ちます。
子供たちは無邪気に火星人を見たいといって探します。
しかし、親たちは、乗ってきたロケットを爆破させ、2度と地球には戻らない
決心を固めるのです。

そしてラスト、子供たちは、パパに火星人を見たいとせがみ、パパは
火星人を見せるのです。
この終わりの4行が、今まで読んだジャンルを問わず小説のなかで、最も
素晴らしい締めくくり方のひとつですね。とても美しい。

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