晴乗雨読な休日

休日の趣味レベルで晴れの日は自転車に乗ってお出かけ。雨の日は家で読書。

ジョン・ル・カレ 『寒い国から帰ってきたスパイ』

2018-06-17 | 海外作家 カ
だいぶ前にジョン・ル・カレの他の作品を読んだのですが、
おのれの読解力の無さを棚に上げていうのですがものすごく
読みづらくて、この『寒い国から帰ってきたスパイ』を読み
たかったのですが、どうしても「苦い経験」がよみがえって
きて、なかなか手を出せませんでした。

ですが、さすがにもうそろそろ読解力もついてきただろうと
いうことで、読んでみることに。

主な舞台はドイツのベルリンなのですが、そういえば今の
10代、いや20代もそうですか、「東西ドイツ」という
のは、世界史で習うのでしょうか。

今の地図では東西ドイツの国境は書かれていないとは思い
ますが「ドイツ 国境」でネット検索すれば簡単に知るこ
とができるでしょう。そういえば「ベルリンの壁」とは、
東西ドイツの国境のことだと思っている人が割と多いよう
ですが、「ベルリン市の西ベルリンの国境」が正解。
ベルリンは旧東ドイツの領内にあって、そこに「西ベルリ
ン」というエリアが絶海の孤島のように地図上にポツンと
あったのです。ではそこにどうやって行くかというと西ベ
ルリンに空港があって、空からですね。

まあ、東西分断の象徴ということで国境=ベルリンの壁、
と思っていたとしてもそれは仕方ないかな、と。

さて、この作品は、イギリスの諜報部員リーマスが任務を
失敗してベルリンから帰国、諜報部をクビになり、その後
謎の人物がリーマスに近づいてきて、東側に情報提供をす
る、という逆スパイ的な話と思いきや、東ドイツの諜報部
副長官のムントを追いやるための作戦だった・・・?

と、まあ、これ以上書いてしまうとネタバレになってしま
うので「あとは読んでください」としかいえないのですが、
リーマスがフィードラーという(東の人)に尋問を受ける
シーンがありますが、ここからラストまではしっかりと読
んでいかないと(置いてけぼり)に遭ってしまいますから、
流し読みはイカンですね。

テレビでベルリンの旅番組をちらりと見て、壁が建ってい
た場所に地面にレンガが線状に埋められていて、それがか
つての国境になっているのですが、そのレンガをしばらく
辿っていくとその途中の真上にビルが建っていて、もはや
街の区割り自体が変わっていて、(残さない)というのも
ひとつの平和のかたちなのかなと思いました。

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宇江佐真理 『大江戸怪奇譚 ひとつ灯せ』

2018-06-07 | 日本人作家 あ
この前の前の投稿で「宇江佐さんの未読本は少しずつ
読んでいく」と書いておきながら、さっそく。

まあ、全部読み終えたとしても、初めのころに読んだ
作品はあまり覚えてないので、再読でもすればいいの
です。

再読したくなる作家(作品)と、1回読んでもういいや
と思う作家(作品)って、あるのです。
「自分との相性」がありますから、再読しない作品でも
世の中では名作と呼ばれるものもあったりします。

相変わらずどうでもいい前置きですが、『ひとつ灯せ』
は、サブタイトルに(怪奇)とあるように怪談です。
といっても、稲川淳二さん的なのとはちょっと違って、
「長い間生きてたら理屈では解明できないことってある
よね」といった、不思議な出来事を、大人たちが語る、
そんな話。

料理茶屋「平野屋」の主、清兵衛は、五十三歳になり、
隠居します。すると具合が悪くなり、友人の甚助が見
舞いに来ても「もうわしはだめだ」と言います。

すると甚助、いきなり般若心経を唱えだし「ここはお
前が来るところではない」と(見えない何か)に叫び、
「これで大丈夫、明日には床払いできるよ」と言うと
清兵衛は翌朝、体が軽く感じ、ご飯も平らげて散歩に
も出られるように。

清兵衛は死神を追っ払ってくれた甚助に御礼に伺うと
甚助は清兵衛に、ある(遊び)に誘います。それは、
世間でいう酒だ女だといった遊びではなく、怖い話を
ひとりずつ話していく会。といっても「百物語」のよ
うな本格的なものではなく、不思議な話を酒の肴に話
す程度のもの。

興味を持った清兵衛は甚助に付いて行くと、菓子屋の
主、浄瑠璃の師匠、町医者、論語の先生、北町奉行所
の同心と、そこら辺の町家の連中とは違います。
ちなみに甚助は蝋燭問屋。

さて、本日の話は、医者の山田玄沢。ある藩での奇妙
な話から始まり、次いで論語の先生が似たような話を
します。ですが、清兵衛は、面白くはありましたが、
別に恐ろしくは感じませんでした。

ですが、家に戻り、女房と土産にもらった菓子を食べ
ていると急にさっきの会での話が頭に浮かび、清兵衛
は恐怖に震え・・・

みんなそれぞれいい年の大人で、経験も豊富。そんな
人たちが集まってあんな話やこんな話をしていくので
すが、清兵衛は、つまらないことで菓子屋の主の恨み
を買うことに・・・

といったような、これといって大事件も起きない地味
な作品ではありますが、これが「地味」というよりは
「滋味」といった感じで、心に豊かで深い味わいがじ
んわりと沁み込んでいくよう。
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笹沢左保 『花落ちる 智将・明智光秀』

2018-06-02 | 日本人作家 さ
笹沢左保さんの作品は何を隠そうこれが初めて。

まあそこまで大げさなカミングアウトでもありませんが、
「そろそろ読んでもいい頃」だなと思ったんですね、な
んとなく。

この作品は、本能寺の変、三日天下でおなじみの、明智
光秀の歴史小説。歴史の教科書に出てくる史実のみでこ
の人を評価すれば「主君を殺した裏切り者」となるので
しょうが、まずこの評価は戦国時代というバックグラウ
ンドを考慮に入れてではないということ。じゃあ信長は
裏切りをしなかったのか?この時代の武将は大なり小な
り裏切りでもしなければ生き残ることは困難。

いずれにせよ、起きてしまったことはどうしようもない
ので、本能寺の変から天下統一のバトンは秀吉に渡され、
その後アンカーの家康がゴールインしたのは、そうなる
ようになっていたのです。

信長をメインに描くと、どうしても光秀は「のちに謀反
を起こすヤツ」という描き方といいますか、その伏線を
人物に盛り込んでしまい、例えば「知恵は回るが、戦は
からきしダメ」といったような。
これは光秀が茶の湯や歌などにも通じていたことで彼に
「教養豊かな知識人=ひ弱なイメージ」を持たせようと
すればできます。
ですが、実際には優秀な武将で、丹波の攻略の最中にも
ほかの戦の援軍に出て行ったりもしていることから分か
るように、信長は武将としての光秀をけっこう頼りにし
ていました。

そしてなにより、信長の部下としての最大の功績はとい
えば、将軍足利義昭とのセッティング。まあこれが彼を
「智将」と呼ぶにふさわしい部分かなと。

この小説は、明智光秀ともうひとり、名倉助四郎という
人物を中心に書かれています。
架空の人物で、設定は、もともと光秀に恨みを持つ敵方
で、僧に化けて光秀に近づきます。すると光秀は、別に
おれのこと殺してもいいよ、抵抗もしないよと言います。
助四郎はこれで復讐心が消え、光秀に仕えることに。

光秀は助四郎を側に置くようにして、ふたりだけになる
と、心の内を話します。

本能寺の変の数年前、佐久間信盛、林道勝というふたり
の信長の家臣が追放されます。佐久間信盛に関しては、
いくら信長の父親時代からの家臣とはいえ、あまりにも
「使えない」ということだったのですが、林道勝は、こ
ちらは信長の父信秀が二十年以上前に亡くなった時に家
督争いで道勝は信長の弟を推挙したのが許せんという、
急に思い出したから。気まぐれ、思いつき。
これは部下からしたら、たまったものではありません。
韓国の財閥のナッツ姫だの水ぶっかけだのと同レベル。

さらにちょうどこの頃、足利義昭は、信長のおかげで、
将軍位に返り咲けたというのに、他の武将に信長討伐の
手紙をせっせと送っていて、これにキレた信長はもはや
用無しとばかりに義昭をポイ捨てします。
ここで問題が。義昭との会談開催の尽力者は光秀。しか
し、もう信長にとって足利将軍という権威は用済み。
こうなると次に追放されるのは・・・

ここで信長の人物像。この小説では「信長は(変人)で、
変人というのは自意識過剰タイプ。ただ陰性の変人は殻
の中にこもって自己満足させてるだけだから問題ないが、
信長は陽性の変人で、自己過信、自己中心、自己顕示、
つまりエゴイスト」と、後世の評価では非常に革新的な
やり方で(建設のための破壊)だというが、それは結果
の判断にすぎない、と。
先人が用いた流儀は踏襲したくないので、他人の力を頼
りにしない。誰にも頼らないということは誰も信じない。
自分以外の他人は敵と認定して殺すか従わせるかの二択。

馳星周さんの小説で登場人物が「狂った世の中で、一番
狂ってるやつが一番マトモ」というのがとても印象に残
っていますが、まあ戦国時代はどう考えても狂った時代
で、その中で一等賞になろうという人は狂気が無かった
ら無理だったでしょう。
そう考えると、彼のやった「悪魔の所業」として有名な
比叡山焼き討ちや、荒木村重の家臣たちの女房子どもら
五百人以上を焼き殺したことも納得できなくもないので
すが、いずれは天下人になる人がこれでは遅かれ早かれ
しっぺ返しが来るわけで、これが本能寺の変だったので
しょう。

こんな状況で、光秀の心中に芽生えてきたものとは自分
が天下を取ってやるという欲だったのでしょうか。

本能寺の変があってのち、当然ですが「主君の仇」にな
り、信長の家臣たちは光秀討伐に向かいます。いちおう
光秀にも勝算のプランというものはあったのですが、そ
のすべてが裏目裏目に出てしまいます。
光秀は助四郎にある命令を出します。それは「もう帰っ
てこなくてよい」というものだったのですが、はたして
助四郎は・・・

会社の業績が良ければ、周りはトップを「カリスマ社長」
などと褒めそやします。スポーツでもそうですね。
ですがふたを開けてみたらセクハラパワハラ何でもアリ
というのはよくあること。
信長も、なまじ戦の能力が優れていたばかりに天下取り
の一歩手前まで行きましたが、では彼が幕府を開いたら
その後どうなっていたのか。

過去は振り返らないという未来志向もけっこうですが、
過去から何も学ばない人はかえって未来に盲目なのです。
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