晴乗雨読な休日

休日の趣味レベルで晴れの日は自転車に乗ってお出かけ。雨の日は家で読書。

ピエール・ルメートル 『その女アレックス』

2017-01-13 | 海外作家 ラ・ワ
あれは2、3年前でしたか、すごく話題になってまして、
読みたい読みたいとずっと思ってたんですが、また例の
ごとく後回し。

海外では有名なミステリの賞を受賞、日本でもミステリの
いろんなランキングで1位とまあとにかくここまでハードル
上げてどうするんだって話ですが、読んでみることに。

この作品は、パリ警視庁の警部、カミーユ・ヴェルーヴェン
のシリーズ第2段ということなんですね。

文中でも、カミーユが捜査に戻るまでの葛藤が描かれている
のですが、それが第1作の物語になるそうです。

さて、文庫の帯に「読み終えた方へ、101ページ以降の展開は
誰にも話さないでください」とあり、この物語は全部で449ページ、
ってことは4分の3は書けないじゃん!

というのももっともな話でして、まあざっとあらすじを。

アレックスという女性が服屋に入ったり、食事をしたりして
いると、男の目線が。しかしアレックスはその男を知りません。

店を出て歩いていると、車が急に止まってアレックスは殴られて
車に投げ込まれます。

誘拐事件だと上司のル・グエンはカミーユに現場に行けと命令。
しかしカミーユは1年間の休業で職場復帰したばかり。
他に人がいないのでしかたなく現場へ。

目撃者によると、夜9時、白いバンから男が1人出てきて、女性
を殴って車に押し込んだ、と。

アレックスは目が覚めると、どこか倉庫のようなところ。
するとあの男が。

命だけは助けてほしいと願うアレックスに、男は「おまえが
くたばるところを見てやる」と一言。
そして狭い木箱に入れられて、ロープで宙に吊るされます。

一方、警察の捜査は少ない目撃情報や監視カメラで女性の
行方や男の正体を探します。

・・・「101ページ」はここまで。ここから「え?」という
展開になって、さらに「え!?」となって、「ええっ!?」
で、最後に「わーっ!」となります。喜怒哀楽が総動員。

なんといいますか、残酷な話ってあまり好きじゃないんですが、
不思議と読めました。というのも、ストーリーとは直接関係の
ない描写が独特で、例えば横に流してる髪型の男を「たった今
平手打ちをくらったような髪型」としてみたり、こういうところ
がショックを和らげるといいますか。

カミーユとル・グエンのでこぼこコンビも面白いですね。
カミーユはニコチン依存症の母の影響で身長が低く、一方
ル・グエンは背が高く横幅もあり、つまり太ってます。
 
カミーユの部下で一緒に捜査にあたるボンボンのルイ・マリアーニ
と、どうしようもないケチのアルマンもいい感じですね。


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ローレン・ワイズバーガー 『ハリー・ウィンストンを探して』

2014-01-17 | 海外作家 ラ・ワ
去年の暮れ、文庫用の書棚を木材買ってきて自分で作って(DIYってやつ)
部屋にあふれてた文庫を整理してたときに「あれ、こんな本買ったっけ?」
というのが出てきたのです。

デビュー作「プラダを着た悪魔」は面白かったので、ほかの作品も読んでみ
ようかな、と買ったはいいけど、そのまま放置パターン。

『ハリー・ウィンストンを探して』は、ローレン・ワイズバーガーの3作目に
なります。
今回も舞台はニューヨーク。主役は30歳手前になる女性。調理師のエミー、
出版社勤務のリー、親が大金持ちのアドリアナの3人。

エミーは、長年付き合ってきた男にアッサリ振られます。彼女を慰めようと
リーはアドリアナも呼んで話を聞いてあげることに。

3人とも30歳を目前に控えての独身、リーには恋人がいるのですが、あまり
結婚を意識してはいません。アドリアナは親の金でニューヨークのペントハウス
に住み、夜な夜なパーティーに出かけては男漁り。

リーとアドリアナはエミーに「もっといろんな男を知って遊んだほうがいい」と
提案します。
はたして3人はいい男と出会えることができるのか。

とまあ、全体的にはそういう感じの話ですが、この3人のガールズトークという
んですか、話が弾んでる中にさらりと適度な嫌味だったり皮肉だったりが入って
きて、思わずクスリとします。

それにしても、この作者の「ニューヨークの切り取り方」は面白いですね。
誰に頼まれたわけでもないのにニューヨークに住んで、ニューヨークで暮らすなら
こう、みたいな背伸び感も描きつつ、でも浮世離れした中にあっても、どっこい
人間が生きているんだ、という視点。




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ジョナサン・ワイナー 『フィンチの嘴』

2011-06-02 | 海外作家 ラ・ワ
この作品は1995年、ピュリッツァー賞を受賞、ダーウィンが
「種の起源」で実証できなかった進化の過程の研究を記した
ものです。

ダーウィンが紹介し、世界的に有名になったガラパゴス島には、
(ダーウィンフィンチ)という、さまざまな嘴の形をもつ鳥が
住み、その嘴の違いは、食べ物の違いによって少しずつ形を変
えているのです。

たとえば、固い種子を食べるために、大型ペンチにように種子
を割りやすくなったり、サボテンの花の蜜を吸うために細くな
ったり、さらに、要因は食べ物だけにとどまらず、気候の変動
にも左右されるというのです。

生物進化学の研究者、グラント夫妻はそれを20年にわたって
調査し、「進化」とは、数百万年、数千万年かけてゆっくりと
変わってゆくものではなく、今現在でも遂げている、というの
は驚きです。つまり進化とは抽象的概念などではなく、“そこ
にあるもの”ということですね。

と、ここまで書くと、なんだか小難しい学書か何かとお思いで
しょうが、本文はとても分り易く、堅苦しさはありません。

しかし、こういった進化系の本を読むと、「強いものが勝つ」
というのは地球の歴史にとってじつに刹那的なものであって、
たとえば地上の生物の“おおもと”にあたる祖先は、もとは
大海原から追いやられて仕方なく川に上って暮らし、そこでも
追いやられて枝や流木が堆積する水辺で暮らし、そのおかげで
枝をかき分けて進むためにヒレが手足のように進化し、酸素が
少ないために肺機能も進化し、そして上陸したので、いってみ
れば“負け組”の種類が最終的には生き残ることになるのです。

本文では、ガラパゴス島の鳥の進化を説明するにとどまらず、
人類の「文明」に対しても警鐘を鳴らしており、考えさせられ
ます。

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アルトゥーロ・ペレス・レベルテ 『ナインスゲート』

2011-05-11 | 海外作家 ラ・ワ
この作品は、もともと「呪いのデュマクラブ」(日本語訳タイトル)
だったのですが、映画化にともない、タイトルも映画と同じになった
そうです。

ところで「デュマ」とは、説明も不要ですが「三銃士」の原作者。
まあ、オマージュとまではいかくとも、このミステリーに欠かす
ことのできない要素。
だからといって、あらかじめ読んでないとチンプンカンプンでもな
く、きちんと(ざっくりとですが)紹介されています。

スペイン人のレア本を探すという職業のコルソは、大金持ちのレア
本収集家から、中世イタリアで出版されたという悪魔関係の書「
九つの扉」が、その収集家が持っているのが本物かどうか、また
贋物であれば、本物を探してきてほしいと依頼されます。

さらに、友人から、“自殺”した出版社の社長が持っていた、アレ
クサンドル・デュマの「三銃士」の一部原稿も、本物かどうかの
調査も頼まれます。

経営もこれといって拙くはなかった社長の死は不審ではあるもの、
ひょっとして、原稿欲しさに自殺に見せかけて・・・などという
おだやかでない事がなければいいのですが、その原稿を持ち歩く
コルソは明らかに何者かに尾行されています。

まず「九つの書」は、今までポルトガルの同じく収集家、そして
フランスの財団、コルソの依頼された計3冊があることは確認さ
れており、しかし詳しく調べていくと、そのうち1冊だけが本物
ということで、まずはポルトガルに向かいます。

道中の電車で、ある女性と出会うのですが、何やら意味深な、
それでいて「あなたとは関係なくてよ」という雰囲気もありつつ、
その場は別れるのですが、コルソがポルトガルの収集家を訪ねた
後、コルソの泊まっている宿に、その女性が「収集家の命が危険
よ」と教えに来るのです・・・

急いで駆けつけると、部屋の中の暖炉には、燃えかけた「九つの扉」
の本物と思われる3冊中1冊があり・・・

ここから、フランスへと渡るのですが、女性も同行します。が、
聞いても身分を明かそうとしません。そしてコルソを尾行してくる
謎の男もフランスへ。黒いマントで顔に傷のあるヒゲの男は、まる
で「三銃士」に出てくるリシュリューそのもの。
はたしてこの男は、呪われた「九つの書」に関係あるのか、それとも
「三銃士」の原稿を奪おうとしているのか。

「三銃士」はあらすじというか基礎知識程度しか知らなかったのですが
この『ナインスゲート』を読めば、たまに話が並行したりして、なんだ
か2冊読んだ気分。
なのですが、本文で重要なのは悪魔書のほうで、そこら辺が詰め込みすぎ
な感があります。


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ローレン・ワイズバーガー 『プラダを着た悪魔』

2011-03-07 | 海外作家 ラ・ワ
自分の中で決めた(まあどうでもいいたぐいの)ルールとして、
日本の作家の小説、海外の翻訳小説と交互に読んでいくという
のがありまして、さらに、同じジャンルもなるべくなら連続は
避けます。というのも、気が滅入ってしまうようなミステリー
を読んだあとまた陰気なミステリーだと、どうしても読む気が
うせてしまうのですね。あと、日本と海外を交互、というのは、
まあかんたんにいえば気分転換。

ですがたまに、そんな単純なルールを破ってしまうほど、書棚
に並んだ未読本の中に、たまらなく惹かれる作品があったりする
わけです(自分で買っておきながら)。

前に読んだのは、海外ミステリ。とくれば今回読む「べき」作品
は国内の、ミステリは避ける。という不文律は・・・まあ置いと
いて。

正直、この本を見つけるまで『プラダを着た悪魔』に原作の小説
があったことを知りませんでした。映画はすでに見ていて、あの
ファッション雑誌編集長演じるメリル・ストリープの印象があまり
に強烈で、さてじっさい原作を読み始めてみると、ううんなるほど
さすが名女優、ファッション誌(ランウェイ)編集長、ミランダ・
プリーストリーを見事に立体化再現しましたね。

物語は、大学を卒業し、文章を書く職業を希望しているアンドレア
が、とある雑誌社に面接に行くと、面接官から、ファッション誌
(ランウェイ)編集長のアシスタントを勧められます。しかしそれ
は口実で、ランウェイの編集長、ミランダのアシスタントは採用さ
れてはすぐ辞める、過酷な現場だったのです。
しかしアンドレアには、アシスタントを一年勤めれば、第一希望の
雑誌編集に就かせてあげると”いいくるめ”ます。

かくして、それまでファッションに興味をまるで持っていなかった
アンドレアは、「アメリカじゅうの百万の女の子の憧れ」である、
ミランダ・プリーストリーのアシスタントとなったわけですが、初日
から、シニアアシスタントのエミリーから、アンドレアのダサダサ
な格好をなじられ、着替えさせられます。
そして、アシスタントの仕事内容とは、コーヒーを買いに行かされる
のですが、決まったカフェの決まったメニューでなければならず、
ちょっとでも遅れてコーヒーが冷めるとまた買いに行かされ、ランチ
もどこそこの何というお決まりのメニュー、クリーニングを家まで
届け、毎朝、決まった新聞と雑誌をデスクの上に並べ、あげくミランダ
の家族(夫と双子の娘)のケアまでしなければならず、毎晩遅くまで
ミランダからかかってくる携帯電話の着信に怯え、開放されるのは
日付の変わるちょっと前、それでも翌朝は7時までにオフィスに着いて
いなければならず・・・

その要求たるや、「前に新聞に出てたレストラン調べといて」「車で
通ったときに見かけた64丁目辺りの店を調べといて」などと、無理難題
をふっかけてきます。しかし口答えや聞き直すのはご法度。
アンドレアはなんとしてでも一年間、アシスタントを続け、自分の希望する
雑誌編集に移るべく、恋人や友人との時間を犠牲にしてまでもアシスタント
を最優先します。

いっそのことミランダを殺してしまおうとアンドレアは何度となく思う
のですが、果たして気に入られる優秀なアシスタントになれるのか・・・

作者のローレン・ワイズバーガーは、大学卒業後にファッション誌
(VOGUE)の編集長アシスタントとして勤務経験があったそうで、
つまりミランダは、VOGUEの編集長がモデル?などと噂されたそう
です。

正直、女性のファッションには疎いですが、それでもじゅうぶん楽しめ
ました。特にユーモアの描写は素晴らしいですね。
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ウォルター・ワンゲリン 『小説「聖書」』

2010-10-12 | 海外作家 ラ・ワ
今まで、世界で一番発行されている本は?という問いに、
ハリー・ポッターと答えるのはある種のギャグ。正解は
聖書です。

キリスト教徒はもちろん必読ですが、それ以外の宗教あるい
は無神論者でも読んだことがあるという人は相当数います。

この聖書を、難解な書としてではなく、ドラマチックに、
エンターテインメント性あふれる「小説」にして、聖書に
出てくる有名なキリストの奇跡の前後には、弟子たち、村人
たちとこんな会話が交わされていた、など、2000年前の
イスラエルが舞台のある奇跡の物語として描かれています。

まず冒頭、イエス誕生のころのイスラエルの状況が説明されて
います。当時はローマ帝国の支配下にあり、その地に君臨して
いたのは、ヘロデ王。ユダヤ人たちは圧政に苦しめられますが、
しかし完全に帝国スタイルに同化させるのではなく、あくまで
統治として、ユダヤ人のために神殿を新築したりもします。

イエス誕生の前に、マリアとヨセフのちょっとした恋物語が
描かれ、マリアの父は、年齢差のある結婚にはじめこそ躊躇い
をみせますが、大工として働き者のヨセフを気に入り、婿と
して認めます。

そして、例の有名な、馬小屋での生誕、の前に、ひとりの重要
な人物の生誕が先に描かれます。それはのちにイエスを洗礼する
ことになる、イエスの親戚にあたるヨハネ。

聖書をすみからすみまで読んだわけではないので、この本を読んで
はじめて知ったのですが、ヨハネもまた「天からの啓示」によって
この世に現れるのです。釘職人のザカリア、妻のエリザベトは、
連れ添って長く、しかし子どもはもうけませんでした。しかしある日
ザカリアは天使ガブリエルの声を聞きます。
「あなたの妻はあなたに男の子を産む。あなたはその子をヨハネと
名づけなさい」
そして、かなりの高齢(65歳!)ではありますが、妊娠します。
そんな中、エリザベトの甥の子ヨアキムの子、マリアが訪ねてきたの
です。すると、マリアも、神からの恵みをうけ、子をみごもり、男の子
をやどすと言われたのです。

ヨハネが誕生し、マリアのお腹の子も成長し、マリアは家に戻ります。
しかし、マリアとヨセフはこの時点でまだ婚約中だったのです。
結婚前に妊娠するとは不義の子であるはずで、はじめヨセフはマリア
と婚約解消を考えますが、ある夜、夢に天使が出てきて、マリアのお腹
の子は聖霊によって身ごもったのであって、おそれてはならない、と
告げたのです。

いよいよ、かの有名な、馬小屋でのイエス生誕のシーンとなるところ
ですが、そもそも妊娠中のマリアがロバに乗って、どうしてナザレから
ベツレヘムへと向かっていたのか。それは当時のローマ統制下の、今で
いう「国勢調査」が行われ、夫ヨセフはダビデ王の血筋であったため、
身重ではありましたが、登録のために、ダビデ王生誕地のベツレヘム
へと向かっていたのです。

イエスが誕生し、大きくなって親戚のヨハネから洗礼を受け、それから
お弟子さんたちが集まって、ありがたい言葉をかけ、村人たちにさまざま
な奇跡、施しを与え、ユダヤの安息日でありながらも病を治したりして、
それが律法学者やユダヤ教の熱心な信者から反感を買います。
また、罪人や病気の人は、心が悪いからそうなるのだ、としていた当時の
ユダヤの教えに背き、彼らの病気を治し、罪人と語らいます。
「健康な者に医者はいらない。いるのは病人だ」
これは、じつは本来の教えを実践したにすぎないのですが、なにかと保身
に走り、空疎な教えをばらまく祭司らにとっては厄介で、しかしイエスは
そんな彼らをやりこめます。

それらが、イエスが十字架で処刑となる原因となるのですが、ここから
ユダの裏切り、理不尽な裁判、そしてゴルゴダの丘での処刑と描かれます。
これが、けっこう生生しく描写されていて、「あ、痛いっ」と思わず
顔をゆがめてしまうほど。
さらに、死から3日後のイエスの復活、その後、弟子たちは各地へ旅立ち
イエスの教えをひろめるのです。

訳者もあとがきで書かれていたように、あれ、聖書ってこんな話だっけ?
と思うシーンもあったりしますが、それでも2000年前の生活様式が
細かく描かれていて、そこで生きる市井の人々の息づかいまでもが感じ
られるような、そして、イエスと弟子たちとの会話、最後の晩餐での
緊迫したシーンなどは、とても興味深かったです。

マグダラのマリアがフィーチャーされていて、イエスは世界初の男女同権論者
だというダン・ブラウンの作品中に出てくる教授の言葉を思い出しました。

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ガストン・ルルー 『オペラ座の怪人』

2010-05-01 | 海外作家 ラ・ワ
『オペラ座の怪人』といえば、日本では劇団四季でお馴染み、映画や
ミュージカルとして世界中で有名ですが、じつは原作の小説があった
ことは意外と知られていません。

十九世紀末、フランスのパリで毎夜貴族たちが訪れ、華やかで煌びやかな
舞台が上演されるオペラ座。
支配人のドビエンヌとポリニイが退任する夜、ひとりの踊り子が「あれは
幽霊よ!」と叫ぶのです。
それを聞いた道具方主任も見たと言い、追いかけてみたものの、あっという
間に姿を消したとのこと。
チケット係も、二階五番のボックス席は「幽霊の特等席」として、そこには
誰も入れさせないという命令があったのです。

そして、地下の舞台道具置き場で、道具方主任が死体となって発見されるの
です。

幽霊騒ぎのあったのち、貴族のフィリップ伯爵と弟のラウル子爵が、今宵の
舞台ですばらしい歌声を披露したクリスチーヌ・ダーエに挨拶しようと、舞台
裏へと向かいます。実は、ラウルとクリスチーヌはこどもの頃からの知り合い
で、しかしお互いの身分の違いから、恋仲には発展しませんでした。

ラウルが彼女の楽屋に入ろうとすると、中からクリスチーヌと男性の話し声
が。「クリスチーヌ、わたしを愛さなくてはいけない」「あなただけのために
歌ってるのに」「天使たちは今夜泣いたのだ」という会話をラウルは盗み聞き
してしまいます。しばらくしてクリスチーヌが楽屋から出てくると、中には
男の姿はなかったのです・・・

この夜のクリスチーヌの好演に面白くないのが、オペラ座のスターであるカル
ロッタ。しかし「ファウスト」の上演を控える彼女のもとに、役を降りろという
脅迫文が。同様のものは新支配人のモンシャルマンとリシャールのもとにも
届けられたのです。これを悪い冗談と一蹴する新支配人。そしてカルロッタは
「ファウスト」の大事なシーンで、突然声が出ず、「ぐわっ」という、蛙の
ような鳴き声になってしまい、そして、客席のシャンデリアが落下して・・・

この事件は、クリスチーヌの陰謀だとささやかれたりもし、支配人たちが幽霊
との「約束」を破り、五番ボックス席に客を入れてしまったことによるとも
いわれました。
はたして、幽霊とは何者なのか・・・

この物語の時代背景は、1875年にオペラ座が竣工して間もなくの頃で、
煉瓦舗装の道路には馬車が行き交い、夜にはガス灯がともって、上流階級
の男女たちが夜ごとオペラ座に通うといったもの。
オペラ座は、かなり無理のある土地に建築したようで、地盤には地下水が
溜まっていて、浸潤防止のために隔壁を設けなければならず、さらに劇場下
は、深くまで落ちる奈落、迷路のような廊下と、なんとも幽霊話にはもって
こいのシチュエーション。

映画もミュージカルも観ていないのですが、それでもシャンデリアの落下
というのは知っていて、てっきりクライマックスなのかと思っていたので
すが、前半のシーンだったことに驚きました。

http://twitter.com/robita_seven
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デニス・ルヘイン 『ミスティックリバー』

2010-01-27 | 海外作家 ラ・ワ
たしか、舞台演出家の蜷川幸雄さんだったと記憶しているのですが、
「芝居は最初の1分で勝負が決まる」というようなことを言っていて、
時間が1分か10秒か、言葉のニュアンスも違ってたら申し訳ない
ですが、音楽にしても、イントロをちょっと聴いただけで、これいい曲
だと直感で分かるような、良質な作品というのは、はじめの部分から
して飛び抜けていなければならないということですね。

『ミスティックリバー』を読み始めたときに、まさに冒頭の20行
くらいで「ああ、これは面白い」と感じました。全体的なストーリー
は、どこまでも暗く、また登場人物もみんな暗く悲しい。幸せな人は
出てきません。
そして物語の冒頭は、ショーンとジミーという登場人物が子供だった
ころ、ふたりの父親は町のお菓子工場に勤めていて、いつもチョコレ
ートの臭いを家に持ち帰ってきて、服やベッド、車の座席までも甘い
臭いが染み付いて離れず、おかげでショーンもジミーも甘い物嫌いに
なってしまい、そして残りの生涯、コーヒーはブラックで、デザートは
必ず残すようになった、というもの。

ジミーの父親は息子を連れてショーンの家に飲みに行き、こどもたちは
外で遊ぶようになります。そしてもうひとり、デイブという少年も加わり
3人で遊びます。
ショーンの家は町の「岬」方面に建ち、ジミーとデイブの家は「集合住宅
地(フラッツ)」にあります。岬には一戸建てがあり、集合住宅地は賃貸
で、両地域とも労働者階級ではあるものの、そこには差があります。
この対比の描写が面白く、「岬の家族は教会に行き、助け合い、選挙の
ある月は街角でプラカードを揚げた。集合住宅地の人々は勝手気ままに
生き、ときに動物並みの生活をし、通りにはごみが散乱していた」、
ショーンは制服で教会の教区学校に通いますが、ジミーとデイブは公立の
小学校に通い、私服なのは格好良いけれど、毎日同じ服で、それは格好
悪かったのです。

こどもたちもヒエラルキーを漠然と理解していて、ショーンはジミーと
デイブと遊んでいるものの、距離を感じます。

そしてある日、道路で3人が遊んでいると、警官の車が止まり、デイブ
だけを家まで送り届けるといって車に乗せます。しかしそれは偽の警官
で、誘拐事件に発展します。その4日後、デイブは自力で逃げ出し無事
保護されるのですが、明らかに様子が違います。

ジミーもデイブにどう接していいか分からず自然に遠のき、ショーンも
遠くの学校に通うことになり疎遠に。

時は過ぎ、25年後。チンピラ稼業から足を洗い、小さな店を切り盛り
するジミーの娘が、真夜中に公園で殺されます。
州警察の刑事であるショーンは犯人を探します。ジミーの娘が殺された
夜、デイブは血まみれで帰宅します。デイブの妻が理由を訊くと、黒人
の暴漢に襲われそうになり、反撃をしてそのまま殺してしまったと告白
します。そかし妻は、話がどこか不自然なデイブを疑います。

やがて、ジミーの娘殺しの捜査線上にデイブが・・・

25年前にジミーとショーンの目の前で連れ去られたデイブ。彼の心の
闇は大人になり結婚し子供をもうけても消えることはなく、この事件を
きっかけにふたたび3人は顔をあわせることになるのですが、しかし
ジミーとショーンも25年前のことで心に傷を負っているのです。

冬の夜明け前、空は夜じゅうでいちばん暗くなり、そしていちばん冷え
込みます。しかし、明けない夜はなく、春は遠からじ。
この本を読み終わったちょうどそんな時間に、明るい兆しを見出そうと
しました。

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ジェームズ・レッドフィールド 『第十の予言』

2009-12-07 | 海外作家 ラ・ワ
この前、ラジオを聴いていたら、松尾貴史さんが超能力について
語っていたのが面白かったので聞き入ってしまいました。
まず、超能力とは、人間にとって有益であること。スプーンを念力
で曲げるというのは、人間にとってまったくの無益なので、これを
超能力と呼んではいけない、というのです。
さらに、鉄を曲げる力があるのなら、世界中の核兵器や拳銃の
ここを曲げられたら機能しないという部品を念力で曲げれば世界
平和に役立つし、それこそが本当の超能力である、と。

さらに、念力というのは、距離には関係ないんだそうです。つまり
遠隔で曲げることができる。しかし、その能力を持っているとされ
る人たちは、失敗すると、近くに疑っている人がいるから集中でき
ないと言います。が、距離に関係ないのなら、世界中に懐疑的な
人はゴマンといるはずなので、地球のどこでやっても集中できない
ことになり、矛盾なのです。

…とまあ、超能力であったり、スピリチュアルであったりといった俗
にいう「超常現象」(ひと括りにしてはいけないんですけど)に対して
懐疑的な人からすれば、そこには「ネタ」があり、矛盾が存在してい
る段階では信用できない、というのも分かりますけど。

『第十の予言』は、前作『聖なる予言』の続編で、前作では、古い
友人が突然「わたし」のもとを尋ね、ペルーで発見された古代の
予言が見つかったことを教えてくれ、「わたし」はいてもたっても
いられずにペルーに飛びます。旅の途中にさまざまな人と出会い、
予言を順番に知っていくのですが、その予言を隠蔽しようとする
組織の妨害などがあり、第九の予言を知った直後拘束され、「わた
し」は帰国せざるをえなくなるのでした。

そして、アメリカに戻って数ヵ月後、予言を教えてくれた友人が
いまだに消息不明と連絡が入り、彼女の残したメモをたよりに、
アパラチア山脈へと向かうのですが・・・

前作では、第一の予言から第九の予言まで紹介されて、スピリ
チュアルを前面に押し出しているというよりは、冒険小説風に話
が進行してゆくことで楽しめたのですが、『第十の予言』でも、
いちおうは冒険ぽく描いてはいると思うのですが、前作よりは
現代の世界あるいは人間社会に対する警鐘、そしてよりよい暮
らしをする提言が強く描かれています。

ただ、「こうしてこうなってこうすればみんな幸せに暮らせる」
という提言も、ちょっと考えると「あれ?」という矛盾点が見つかり、
一筋縄ではいきません。
幸せはこうだ、と断定すると、どこかで不均衡が生じる恐れもあり
ますね。
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ジェームズ・レッドフィールド 『聖なる予言』

2009-11-05 | 海外作家 ラ・ワ
『聖なる予言』は、いわゆるスピリチュアルを扱う小説として
アメリカで大ベストセラーとなりました。
たんに、こうすればあなたは幸せになる、のような説教主体
ではなく、海外で騒動に巻き込まれる主人公が順番に予言
を知ることになる冒険物語ぽくなっており、アクションもあり、
そういった「読みやすさ」を考えてか、スピリチュアルにあり
がちな胡散臭さはあまり感じられません。

主人公である「わたし」は、独り身でほぼ隠遁生活のような
状態を過ごしていたある日、元恋人から連絡が入ります。
それは、南米ペルーの山奥で古代文書が発見され、そこに
は人間社会が大きな変化をきたすことを予言していることが
書かれており、ペルー政府はどうやらその写本を隠滅させよ
うという動きがあるのです。

この話に心が動かされ、ペルーに向かうことになった「わたし」
は、道中でさまざまな人たちと出会うことになり、写本にある
第一の知恵から第九の知恵までを探します。
しかし、行く手には政府軍やペルーの教会関係がこの写本が
海外に流出することを拒み、写本を研究するグループの活動
を妨害していきます。

はたして「わたし」は無事に第九の知恵まで辿りつくことがで
きるのか・・・

知恵の内容に関しては詳しく書きませんが、要は「偶然の一
致を見逃すな」ということでしょうか。
この世はすべてなんらかの関係性で繋がっていて、そこには
偶然ではなく必然なのだと。
あとは、自分自身をよく見直し、他人との関係も見直し、そう
することによってこの世から争いごとは無くなり、平和になる
といったプロセスがこの写本には書かれていて、読む人によ
っては現代の宗教否定ともとれるので、この物語では、教会の
枢機卿が陣頭指揮でこの写本を隠滅しようとしています。

スピリチュアルとは関係ありませんが、顔の整形手術に賛否
の意見があります。しかし、それまで他人から心ない悪口雑言
を叩きつけられて、自信を無くし、うつむいて生きるだけだった
のが、整形手術によって、前向きで明るく生きる喜びを得て、
満面の笑みになるのは悪いこととは思えません。

不幸に甘んじるよりは幸せに向かって歩き出そう、ということ
でしょうかね。まあなにごとも行き過ぎはいけませんけど。
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