晴乗雨読な休日

休日の趣味レベルで晴れの日は自転車に乗ってお出かけ。雨の日は家で読書。

井上靖 『孔子』

2019-11-29 | 日本人作家 あ
あれは確か去年でしたか、井上靖さんの本をはじめて
読んだのは。作品は「敦煌」。

本を買う基準としては
・書店で目立つ位置に平積みされてる話題の新作
・文学賞の受賞作
・映像化された原作
と、まあ、いろいろあるとは思いますが、自分としま
しては、読書に目覚めたのがだいぶ遅咲きで新作より
もまずは名作(過去の)を片っ端から読みたく、まず
有名な作品を読んで、その作家さんの別の作品を集め
てゆくといった傾向にありまして、ただあまりにそれ
にこだわるとその作家さんの作品をコンプリートしな
ければならなくなり、さすがにそこまでの情熱も時間
も金銭的余裕もありませんので、書店に足を運んで、
「あ、この作家さんのこれ読んでないや」という本を
見かけたらとりあえず買う、といった感じ。

また出会ってしまいました、お気に入りの作家さんに。

井上靖さんといえば「あすなろ物語」、「しろばんば」、
「天平の甍」、「楼蘭」など有名作のオンパレードで、
ポジティブに考えれば、また楽しみが増えた、というこ
とになるでしょうが、ネガティブに考えると、果たして
残りの人生何年かわからんが読めるのか・・・?

さて「孔子」です。「論語」ですね。(子、曰く~)や
(四十にして~)は、一度は耳にしたことはあると思い
ますが、この作品は伝記でも論語解説でもありません。

おおまかな内容としましては、(えんきょう)という、
孔子の「架空の弟子」が、孔子の研究者たちの質問に答
えたりします。
(えんきょう)は「ひなびた生姜」とかいう意味らしい
ですが、変換できません。ので、このままひらがなで。

今から2500年前の中国、春秋時代。戦国時代ですね。
「蔡」という国の青年(えんきょう)は、隣国との戦争
に敗れて他所に移動しているときに、ある旅の一行と出
会います。それが孔子と子貢(しこう)、子路(しろ)、
顔回(がんかい)という、こちらは記録に残ってる孔子
の弟子の3人、その他数名。
そこに、雑用係といいますか道案内といいますか、同行
することになります。

もともと孔子さんは「魯(ろ)」という国の政治家であり
教育家であり哲学者であり思想家であり・・・まあスゴイ
人だったのであります。
その孔子さん、クーデターに失敗して亡命します。それか
ら10年以上も遊説の旅に出ます。
そうしてなんやかんやあって、故郷に戻ります。

この作品のメインテーマといいますか、孔子研究会の人た
ちも謎に思っている「そもそもこの亡命・遊説の(本当の
目的)」とは一体なんなのか。

あとは、生前の孔子を知る生き残りである(えんきょう)
さんにさまざまな質問がぶつけられます。
・「五十にして天命を知る」の(天命)とは?
・「仁」の本当の意味は?
・「巳(や)んぬるかな(もうおしまいだ)」というの
 は本当に孔子先生の御言葉なのか?
・子貢、子路、顔回の3人のうちで一番先生が可愛がっ
 てたのは?
・もし後継者を選んでいたとしたら3人のうち誰?
といった感じ。

ですが(えんきょう)さんは「自分は直弟子ではない」
というスタンスは崩さずにおり、確かに先生の御言葉
は拝聴していたが、あくまでポジションは末席。
ただし、ごくたまに議論の場で先生から「きみはどう
思う?」と聞かれたこともあったとか。

「これは論語解説ではない」と書きましたが、架空の
弟子が(見聞き)したことを独自の解釈も混ぜつつ、
論語の(素地)となった部分を孔子研究会のみなさん
と質疑応答をしていくので、「いや本当にそう思いま
すよ孔子先生」とタメになる言葉がいっぱい。

論語を学んでいなくとも、「仁」と「信」については
おなじみですね。「仁」という字は人がふたり。親子、
師弟、誰と誰とでもいいですが、人と人が会えばそこ
には「仁」がある、愛情ですね。
「信」は人の言葉。そこに嘘、偽りがあっては信じる
という前提がありませんので、嘘、偽りは駄目。

自分にとって(良い、して欲しい)と思うことって、
他人もそうだとは限りません。相手が望んでない場合
もあったりします。
それを考えると「自分がされたらいやなことは相手に
するな(自分が欲しくないものをあげない)」のほう
がどちらも「自分基準」ではありますがまだ相手側に
立って考えていますね。

孔子は所謂(スーパーマン)ではありません。
生まれたときに蓮華が咲き乱れ海で鯛が飛び跳ねたり、
死んで生き返ったり、盲目の人の目が見えるようにし
たり、魚の口から金貨が出てくるといったパワーはあ
りません。

では(えんきょう)さん、孔子先生の、いったい何が
すごいんでしょうか?
その答えは文中にいくつかあります。
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藤沢周平 『橋ものがたり』

2019-11-19 | 日本人作家 は
別に約束したわけでもありませんが、週に一回は投稿
できたらいいなという「努力目標」は、まだたったの
三週目ではありますが、いちおう継続しております。

藤沢周平さんです。じつは(読まずぎらい)でした。
「暗い」という先入観といいますか、まあじっさいに
暗い話もありましたが、それでもその根底の「深い」
ところまでは、読んでみないとわからないものでして、
派手さはなくとも味わい深いことを知ってからは未読
の作品を見つけては手にしています。

タイトルどおり「橋」が舞台の短編集です。そういや
宇江佐真理さんの作品にも江戸のお堀を舞台にしたの
がありましたっけ。

幼なじみと五年ぶりに、小名木川にかかる萬年橋の上
で会うことになってる幸助。ところがお蝶は約束の時
間になっても来ず・・・という「約束」。
ひとり暮らしのおすみの家に突然「かくまって下さい」
と何者かから逃げてきた男。おすみは婚約中なのです
が・・・という「小ぬか雨」。
源作が両国橋で毎朝見かける、気になっていた女のひと
と、ひょんなことから話すこととなり、名前と勤め先を
教えてもらうのですが、行ってみるとそれはまったくの
嘘で・・・という「思い違い」。
夫に色女がいるという噂を耳にしたおもん。ある日、お
もんの育ての親が病気で余命いくばくもないと聞いたの
で駆けつけてみるとなぜかおもんは監禁され・・・とい
う「赤い夕日」。
父親は蒸発し、母親は飲み屋で働いて毎日酔って帰宅、
姉に(変な虫)がつかないように送り迎えをして自分の
遊ぶ時間を犠牲にしている朝吉が家に帰ると母が知らな
い男と・・・という「小さな橋で」。
吉兵衛が一代で大きくした小間物屋を息子に譲りますが
経営方針に納得できず、家に居づらくなって出かけると
橋の上に今にも身投げしそうな女性を助け、知り合いの
居酒屋の女将に預けますが、居酒屋に風体の悪い男らが
・・・という「氷雨降る」。
人妻の(お峯)と不倫して逃げて今は裏店にお峯とひっ
そりと暮らしている吉蔵。ここのところお峯の様子がお
かしいので隣に住む浪人の善左ェ門に見てもらうのです
が・・・という「殺すな」。
深川の呉服屋・美濃屋の娘おこうはもうすぐ祝言で浮か
れています。がじつはおこうは美濃屋の実の娘ではなく、
もらい子。そんなおこうのもとに「あんたのおとっつぁ
んの知り合いだ」と名乗る男が・・・という「まぼろし
の橋」。
博奕打ちの弥平は、賭場でのイカサマが親分にバレたの
で江戸から逃げて、そうして六年ぶりに江戸に戻ってき
た弥平は、亭主のせいで身売りしたおさよという女が気
になり・・・という「吹く風は秋」。
蒔絵師のまだ修行中の新蔵は、親方の家に通うために毎
朝大川の永代橋を渡るのですが、早朝に三日も同じ場所
に立ち続ける女を見かけますが、ある朝、その女が倒れ
ているのを見つけ介抱し、おさとという名前で飲み屋の
酌取りをしていると分かり・・・という「川霧」。

全体的に暗くはありません。ただ「ほっこり」はできま
せん。でもこの作品を読めて良かったなあと思えます。
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池波正太郎 『戦国幻想曲』

2019-11-13 | 日本人作家 あ
前回の投稿で「これから週一で投稿できたら(努力目標)」
と書いた手前、いきなりサボるというのもどうかと思った
ので、どうにかこうにか間に合いました。

文庫で買ったんですが、表紙の絵は、槍を持った騎馬武者。
ということで、この作品の主人公は「槍の勘兵衛」こと、
渡辺勘兵衛です。

冒頭、勘兵衛の少年時代、父が亡くなるシーンからはじま
ります。死に間際、父は息子に「女には気を付けろ」と言
って息を引き取ります。これがその後の勘兵衛の人生にど
う影響を及ぼすのか。

当時、渡辺家は近江の国、山本城主の阿閉(あべ)淡路守
長之の家来でした。阿閉淡路守は浅井長政の家臣。その後
「姉川の合戦」で浅井・浅倉軍は織田信長に負けたのです
が、阿閉淡路守は直前に信長側に味方したので、なんとか
生き残ります。

ですが、いくら「死んで花実が咲くものか」とはいえ、こ
れはイメージが悪いもので、信長も阿閉淡路守を「たより
にならぬは淡路のような小虫じゃ」と評したとか。

それから5年。北近江を治めているのは羽柴秀吉。一方、
勘兵衛はといいますと、渡辺家の当主となって、家中の
「槍の達人」から激烈な稽古に耐え、達人をして「もう
教えることはない」と言わしめます。

勘兵衛20歳のこの年、長篠の戦で負けた甲斐の武田勝頼
がまだ信長の言うことを聞かないので、とうとう甲州へ
出向いて攻略しようとします。これが勘兵衛の初陣とな
ります。
勘兵衛は、伊那口から攻略する織田信忠(信長の長男)
の配下に入ります。そこで大活躍をし、勘兵衛は信忠に
お褒めの言葉と信忠愛用の短刀をもらいます。そして、
「わしがもとに来ぬか・・・?」と、スカウトされます。
これには勘兵衛、天にも昇る気持ちで「あ、わしはこの
人に一生ついていきたい・・・」と思ったのです。

さて、そうこうしていると、日本史上の一大事である、
「本能寺の変」が起こるのです。

これで織田信長も長男信忠も死に、さてこれからどうな
るのか・・・といったときに明智側につくかどうか迷っ
ている阿閉淡路守に「あ、コイツもうダメだ」と勘兵衛
はとうとう見限ってしまいます。そして家にいたふたり
の妹、(るい)と(もん)を呼び「わしはどこぞに逃げ
るから、おまえたちも逃げよ」と言い残してどこかへと
消えるのです。

それから勘兵衛は、山賊の真似事のようなことをやった
り、一時期は関東の北条家や信州の真田にも仕えたとか。

天下の覇権取りレースのトップが秀吉に本決まりになろ
うかというそのころ、秀吉の家臣、中村一氏につかえる
九(いちじく)庄九郎が、京の街中を歩いていると相撲
をやっていて、それを見ていると粗末な格好の浪人がい
て、庄九郎は「ありゃ、勘兵衛じゃ!」と叫びます。

庄九郎と勘兵衛は旧知の仲で、さっそく家に招くと、な
んと勘兵衛、小さい息子をつれているではありませんか。
さっそく庄九郎は、勘兵衛を中村一氏に紹介します。
武田攻めの際に信忠軍にいて大活躍をした、かの「槍の
勘兵衛」はもはや伝説になっていて、一氏は喜んで勘兵
衛を家来にします。

そんなこんなで秀吉が関東の小田原・北条家をいよいよ
攻めることとなり、なんと勘兵衛、息子の長兵衛を庄九
郎に預けて、さらに「欲しかったらあげる」と言い放ち
ます。息子も息子で「この人はこういう人なんで、別に
構いませんよ」と、ドライというか無感情というか。

この「小田原攻め」でも大活躍した勘兵衛ですが、武田
攻めのときは、信忠が信長に「父上、あれなるが渡辺勘
兵衛でござる」と信長に引き合わせてくれたのですが、
中村一氏が秀吉に呼ばれ、お褒めの言葉をいただいた時
に、大活躍をした勘兵衛の名前も戦功も一言も出さずに
終わります。
家来の活躍は主人のものではあるのですが、当時の戦国
大名の「常識」として、家来の手柄を無視するとは有り
得ないことで、この一件はあっという間に拡がり、秀吉
の耳にも届いてしまい、あせった一氏は勘兵衛を呼んで
秀吉からもらった陣羽織を勘兵衛にあげようとしますが
すでに手遅れ、またも主人を見限りFA宣言。

そうして次の奉公先は増田長盛。ここからは「天下人」
となった秀吉に付き合っていくというか振り回されて
ゆくことに。
しかし秀吉も死んで息子秀頼の代にはゴタゴタがあって、
なんだかんだで徳川家康の天下となってさあ勘兵衛さん
どうするといったところですが・・・

この小説の締めくくり、つまりラスト数行が、なんとも
「味のある」といいますか、お洒落だなあとすら思うの
ですが、あれ、これどこかで見たことあると思って家の
本棚をバーっと調べてみたら、短編小説集「黒幕」に
「勘兵衛奉公記」という作品が掲載されてました。
この短編の初掲載は昭和39年で「戦国幻想曲」は昭和45
年となっております。
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池波正太郎 『男振』

2019-11-05 | 日本人作家 あ
今年に入って当ブログに投稿したのがまだ十数回、
一か月にせいぜい一回か二回しか投稿してないと
いう惨憺たる有様、これでよく書評ブログだなぞ
と名乗れるなと、まあ言われる前に手前でも十分
わかっておりますです。

そこで今年も残すところ二か月、せめて週に一回
は投稿したいな・・・努力目標です。

さて、この作品は未読です。いきなり読み終わって
の感想ですが、きっとまたすぐに読み返すでしょう。
一回読んだだけじゃ理解できなかったわけじゃあり
ません。感動したからです。

越後・筒井藩の江戸藩邸に(堀源太郎)という少年
がいます。彼は国許である越後で生まれ、幼いころ
から文武の秀才で、江戸に住む嗣子(殿さまの後継)
のご学友に選ばれます。

ところが源太郎、十七歳のある日、なんと髪の毛が
(ぼとぼとと・・・)抜け落ちてしまうのです。

そしてとうとう事件が起きます。藩主の長男、千代
之助がちょっとしたことから源太郎の「頭」のこと
をからかい、これに激怒した源太郎、千代之助の顔
を何発もぶん殴ります。

これは「子ども同士の悪戯で・・・」なんてレベル
の話ではありません。源太郎は屋敷内の(牢屋)に
監禁されてしまいます。

自分はこのまま切腹して短い人生を終えるのか・・・
こんな頭で今後生きていくのも辛かろうしそれもい
いか、などと諦めの境地にいたのですが、いつまで
たっても(切腹の沙汰)が下されません。

そしてまたもや事件が。牢屋から出された源太郎、
いよいよ切腹かと思いきや、目の前には江戸家老が
います。処刑の立会人に家老クラスはおかしいと訝
しんでいると、家老が「堀源太郎は死んだ。お前は
今日から(杉本小太郎)じゃ」といって、裏門から
外に出されたのです・・・

源太郎あらため小太郎は、原田小平太という若い藩
士といっしょに国許である越後に向かうことに。
ところがその道中、数人に後をつけられていたこと
がわかります。
なんだかんだで越後に着いた小太郎に、ここでもま
た奇妙なことを言いつけられます。

それは「杉本小太郎は、筒井藩士・堀源右衛門の養
子となるのじゃ」というのです。堀源右衛門とは、
源太郎の国許の父親のこと。これは一体・・・?

江戸に戻ることになる源太郎と小平太。というのも、
源太郎を殺害しようとする(刺客)が江戸から送り
こまれたというのです。これは、殿さまの嗣子であ
る千代之助を殴ったことで激怒していた千代之助の
実母はまだ源太郎のことを許していなかったのか。

千代之助の実母というのは、将軍の妹にあたり、ま
あ越後の小大名クラスなど(なんぼのもんじゃい)
といった態度で、藩内でも(ご権勢)を振るわれて
います。

ここで最悪のニュースが。なんと筒井藩主のご長男
千代之助が亡くなったのです・・・
ここから話は御家騒動に発展。はたして堀源太郎の
出自とは、彼の運命は・・・

この源太郎には(いちおう)モデルの人物がいるそ
うなのですが、作者の池波さんは「それを明かすと
興ざめ」とのこと。

読み終えて、なぜこんな素晴らしい作品が映像化さ
れていないのだろうと考えました。そして、すぐに
「あ、こりゃ映像化は難しいな」と思いました。
ぶっちゃけ映像化しても、監督がよほど独自の演出
を加えでもしない限りはさほど面白くはならないか
な、と。ただそうなっちゃうと別の作品になってし
まいます。
ですが、この読み終わった後のなんともいえない心
が気持ち良くなった感覚というのは、もっと知られ
て欲しい!
つまり「読んで欲しい」ということですね。
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