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晴乗雨読な休日

休日の趣味レベルで晴れの日は自転車に乗ってお出かけ。雨の日は家で読書。

A.J.クィネル 『イローナの四人の父親』

2025-04-25 | Weblog

ブログの引っ越しですが、楽天ユーザーなので楽天ブログにしようかなと思ったらインポート機能がついてないので諦め、VivaldiユーザーでもあるのでVivaldiブログにしようとしたらこちらもインポート機能がなく、とりあえずはてなブログに今までのデータを移して、今後は・・・どうしましょう。

以上、先延ばし。

さて、A.J.クィネルさん。まだ全部ではありませんがほとんど読んでます。

1956年、ハンガリーで市民の蜂起が起きて(ハンガリー動乱または革命)、ソ連軍はこれを鎮圧。エヴァ・マレイターは自分のアパートに4人の男性を招待します。その4人とは、ロシア人のミハイル、イギリス人のポール、ドイツ人のクラウス、アメリカ人のジャック。エヴァがこの4人を呼んだのは、お金がなくて仕方なく娼婦家業をしてしまったのですが、そのお相手がこの4人で、最初がロシア人で、イギリス人が最後で、それ以前も以降も誰とも関係を持っていなく、エヴァは妊娠してしまったというのです。そこで、公平に4人で話し合って決めてちょうだい、ということになります。

それから15年後、エヴァは病気で亡くなります。一緒に住んでいたエヴァの伯父は、エヴァの娘のイローナに「4人のおじさんたち」のことを話そうと決意します。そしてイローナは、4人に手紙を書くことにします。書き出しは「これはイローナからの手紙です」、そして締めくくりは「あなたの愛する娘、イローナ」と・・・

ここから、アメリカのCIA所属ジャック、ソ連のスペツナズ大佐のミハイル、ドイツのBND所属のクラウス、そしてイギリスのMI6所属のポールが、イローナからの手紙を受け取るのですが、ジャックは香港で、ミハイルはアフリカで、クラウスはオーストリアで、ポールはマルタ島で、彼らの本職である死と隣り合わせの諜報活動、あるいはギリギリの心理戦、とこれぞまさにクィネルといったスパイスリラーやアクションがてんこ盛り。

そして4人はハンガリーで再会し、翌日、イローナと会うのですが、そのイローナが誘拐され・・・

文庫の背表紙にかんたんなあらすじがありますが、もうこれを読んだだけで「こんなの絶対面白いじゃん」となって、じっさい面白かったです。参りました。


髙田郁 『あい 永遠に在り』

2025-03-09 | Weblog

所属している学校から卒業式のお知らせが来てまして、4年半(履修期間を延長したので)の学生生活、といっても通信制でしたのでキャンパスライフを謳歌したというのはほぼありません。あ、でもスクーリングでちょくちょく行ってはいましたが。でも通信制のスクーリングはほぼ土日。まあ働いてる人がメインですから仕方ないですけど。

以上、卒業写真のあの人はやさしい目をしてる。

さて、髙田郁さん。一般的にかどうかはわかりませんが、歴史小説は史実や実在の人物をメインに描き、時代小説はたんにその時代を背景に描かれる、といった違いがあるようでして、髙田郁さんの今まで読んだ作品は時代小説。ですが、この作品は幕末から明治にかけての蘭方医、関寛斎の妻が主役となっています。

関寛斎に関しては資料も文献もたくさんあって過去には関寛斎が主人公の小説もたくさん出てますが、あとがきにありましたが妻の記録はほぼ無いとのこと。

時は幕末の天保。上総国山辺郡前之内村の農家の娘あいは、木綿を紡いで糸にするのがとても上手で、母親はこの糸を年子伯母さんに持っていくようにいいます。年子の夫は関俊輔と名乗り、私塾を開いていて、年子は機織り名人。あいは機織りを教わります。

年子と俊輔には豊太郎という養子がいるのですが、とても頭がいいと評判で、佐倉順天堂という医学校に進学することに。それを機に「寛斎」と改名します。17になったあいは縁談が持ち込まれるようになります。すると年子は「あいは寛斎の嫁にすると決めている」というではありませんか。しかし寛斎は医者になる修行中でいつ帰ってくるかわかりません。しかしこの当時の結婚というのは親同士が決めるというのが当たり前で、ましてや娘には拒否権などありません。私塾で勉学に励んでいた豊太郎を見て知ってはいましたが、佐倉から一時戻った寛斎と初めてまともに会話します。関係性でいえば、あいの父と俊輔が兄弟で、年子の妹の息子が寛斎、つまり血の繋がりはありませんが義理のいとこにあたります。

豊太郎改め寛斎は佐倉順天堂で修行して、家に戻って診療所を設立します。それから数年後、師匠の佐藤泰然の推薦で、銚子に医院を開業することになるのですが、そこで老舗の醤油屋の主人、濱口梧陵と出会うことに。

長崎でコレラが発生し、やがて江戸でも発生します。すぐに銚子でも起こると心配した梧陵は寛斎に江戸に行って治療法を学んで来てくれと資金を出します。そのおかげか銚子ではわずかな罹患者しか出ませんでした。それから、長崎でオランダ人医師のポンペからの指導を受けるための資金援助もしてくれます。

長崎から戻ってのち、江戸へ出かけます。その用とは、阿波藩主の国詰め侍医になってほしい、というもの。しかし寛斎には金や地位などには興味がなく、佐倉順天堂の後輩に銚子の医院を継いでもらって梧陵に支援してもらえば優秀な医師が増えるのと、両親と妻のあいと子(この時すでにふたり)のためにも安定した暮らしがしたい、とどこまでも利他の精神。

結局、両親は上総に残ることになりますが、寛斎ファミリーは阿波へ。しかしいきなりやって来た余所者の蘭方医がそれまでいた漢方医に受け入れられるはずもなく厳しい立場になったり、吉野川の洪水被害に遭ったり、さらに阿波に越してきてから産まれた赤子を亡くしたりと大変でしたが、時代は大政奉還、阿波藩は倒幕軍として京そして江戸へ行くことになり、寛斎も軍医として同行することに。新政府軍は奥州へと向かうのですが、そこで多くの負傷兵の治療に当たったことで評価され、しかも敵味方なく治療に当たったことで西郷隆盛からも評価されて東京で軍医として残ってくれと懇願されますが阿波に戻ります。そして藩と新政府からの遺留もすべて断ってそれまでの家禄を返上し、徳島市内に医院を開業。金持ちからは多くの治療費を、貧しいものからは治療費をもらわず、やがて「関大明神」と呼ばれることに。

寛斎とあいも還暦を過ぎ、寛斎は北海道の札幌農学校で勉強している息子のところへ行ってきて、返ってくるとあいに「北海道で暮らしたい」と・・・

小学校のとき、図書室に「千葉県をつくった人々」という本があって、千葉県にゆかりのある歴史上の人物、古くは平将門、千葉常胤、日蓮、里見義実、堀田正睦などなど、近代になってキッコーマンの人とか二十世紀梨の人とかと並んで関寛斎も載ってて、寛斎のエピソードはある程度知ってたのですが、晩年に北海道に移住して亡くなったのが北海道というのは覚えてませんでした。

個人的な話ですが、病院で働いてまして、こんな素晴らしい医者がいたのかと医療従事者の(はしくれ)として恥ずかしくなりました。

 


葉室麟 『神剣 人斬り彦斎』

2024-11-11 | Weblog

まだ確定ではありませんが、おそらく来年には転職して、その際に引っ越すかもしれません。今から引っ越す予定の市の物件情報を見てどこがいいかなーなんてけっこう楽しんでます。ただ問題がありまして、家にある本をどうしようかなと考えてます。いっそのこと全部売っちゃおうかと思ったのですが、今まで読んだ本は自分の人生の一部、血と肉、といってはオーバーですが、少なくとも人生に楽しみと彩りを与えてくれたことは間違いないので、今のところは引っ越し先に持って行く予定でいます。もっとも今より歳を取ってヨボヨボになっちゃったらさすがに売ろうかと。

以上、歳は取りたくないですねえ。

 

さて、葉室麟さん。タイトルの「人斬り」とは幕末の不穏な情勢の中で活躍?した名うてのヒットマン、ヒットマンは銃ですが、幕末なら刀ですね。

物語は、幕末におきた大事件「桜田門外の変」から始まります。井伊直弼を殺害した浪士のうち何人かは細川越中守の屋敷に向かいます。そこに出てきたのは若い茶坊主で、彼らから井伊大老を斬ってきたと告げると「あなたがたはまことの義士です」と褒め称えます。傷の手当や食事、酒までも用意してくれて浪士たちは感動し、名を訊くと「川上彦斎」と名乗ります。

この彦斎、天保年間に肥後国、熊本藩に生まれ、十歳で養子に出され、茶坊主になります。剣術は道場で習わず、独学で習得します。先述の桜田門外の変より十年ほど前、彦斎は熊本である男と出会います。長州藩士で九州を遊学しているという吉田寅次郎。藩の兵学師範の家に行くと、話題はアヘン戦争に。欧米列強に好き勝手にされてしまった清国のように日本もされてしまうのでは、そうなる前に備えがなければ、といった熱いトークに彦斎は影響されます。吉田寅次郎とは、のちの吉田松陰。日本史でおなじみ「安政の大獄」で吉田松陰は危険思想の持ち主とされて江戸で獄中死します。

彦斎は京都へ。このときに他の「人斬り」で有名な岡田以蔵、中村半次郎、田中新兵衛らと遭遇します。そして、日本史でおなじみのメンバーと会ったりしてます。当時のゴタゴタに何かしら関わっていて、長州へ行ったりと大忙し。

なんだかんだいろいろあって彦斎は明治になるまで生き残って最終的には処刑されるのですが、新しい時代とは彦斎の求めていたものとは真逆のもので、蓋を開けてみたら政治体制から軍隊まで何から何まで外国をお手本にして、天皇が国家のトップとはいえ「まるで薩長幕府やないか〜い!」とシャンパングラスで乾杯したくなっちゃうってなもんです。

自分が斬った佐久間象山の理想とした国家になってしまうのか、高杉晋作の言っていた「あなたの望むような将来は来ないよ」なのか・・・

この時代のトレンドだった「尊王攘夷」とは、天皇を尊ぶ尊王論と外国を斥けようとする攘夷論が合体した思想で、もう徳川幕府も限界だったので新しい政治体制にならないと海の向こうの大陸のように大変なことになっちゃうよ、といったもので、賛成側も反対側も武士ならではの解決方法、つまり相手を斬って殺害するという血なまぐさいナントカの変だとかナントカ事件だとかがあちこちで起こります。さすがに市中で銃をパンパン撃つわけにはいかないので、そうなってきますと「人斬り」が重宝されるわけですね。

しかし不思議なもので、葉室麟さんが書くと血生臭さがあまりないといいますか、ああこれが直木賞の某選考委員の「文章が清廉」ってことか・・・


ブログのタイトルが変わりました

2022-03-07 | Weblog

突然ですが、ブログのタイトルが変わりました。以前当ブログで「自転車でも買おうかなー」なんて書き込んで、とうとう買いました。あ、でもまだ自転車保険の加入、ヘルメット、パンク修理キットその他サイクリングに必要なものの購入といったもろもろが済んでおりませんで、自転車に関する投稿はもうちょい後。

とりあえず新タイトルは「晴乗雨読な休日」です。


入院してました

2014-11-20 | Weblog
私事ですが、9月のはじめから11月の半ばまで
およそ2ヵ月半、入院しておりました。

その間、病院のベッドで読んだ本のいくつかの
内容を思い出し、投稿していきたいと思います。

10冊ぐらい読んだかな・・・