晴乗雨読な休日

休日の趣味レベルで晴れの日は自転車に乗ってお出かけ。雨の日は家で読書。

髙田郁 『あきない世傳 金と銀』

2021-08-26 | 日本人作家 た
どうでもいい類の個人的な話で恐縮ですが、今まで夏に食欲が落ちるという経験がありません。というかむしろ夏バテを警戒して食べ過ぎて、しかも暑いのであまり運動しないので、結果、夏場はちょっぴり太るくらいです。ただ、料理好きにとって夏場はあまり腕が振るえなくて残念なのです。というのも暑いとなるべく火の前にいたくないので調理時間は短めの料理が多くなり、例えばお昼なんかはほぼ麺類になっちゃいますね。

はい。

この作品は「みをつくし料理帖」シリーズが終わって、次のシリーズもの、だそうです。髙田郁さんの作品を全部隅から隅まで読んだわけではないので作風分析など生意気ですが、あれですね、ひと昔前の大映ドラマ的な、最近ですと韓流ドラマですか、次から次へと主人公に困難が襲いかかりますね。
まあ、そういう系はキライではない方なので、楽しく読まさせてもらってます。

時代は江戸中期、享保年間からはじまります。摂津(現在の兵庫県)、武庫郡津門村というところにある私塾の先生の娘、幸(さち)は、勉強を教わりたいのですが、母親からは「おなごに学など要らん」などと怒られます。この学者のお父さん、商人をものすごく嫌っていて、「商(あきない)とは即ち詐(いつわり)」と厳しいです。

幸には兄と妹がいて、兄も学者で、賢い兄は幸にとって自慢の兄。ゆくゆくは、村の豪農の娘と夫婦になって塾も安泰・・・といくはずでしたが、二十歳になる前に病死します。さらに、後年(江戸の四代飢饉)のひとつに数えられる「享保の大飢饉」が起こります。西日本で風邪が流行り、幸の父があっけなく亡くなります。母は妹を連れて豪農の家に住み込みで住まわせてもらうことになり、幸は九歳になったので、大坂に奉公に出されることに。綿買い商人に連れられて、着いたのは、大坂の天満にある呉服商「五鈴屋」。

ところが、幸の他にも三人の女の子がいて、五鈴屋が欲しいのは一人だけ。「お家(え)さん」と呼ばれる店主の祖母、富久(ふく)は、半襟という、襦袢や着物を髪油で汚さないように襟の部分に縫い付けるものをお土産に渡すことに。他の女の子たちは高いのを取りますが、幸は一番安い黒い半襟を取ります。それを見ていた富久は背後の男に「治兵衛、何ぞたずねたいことはおますか」と問いかけ、治兵衛と呼ばれた男は幸に「なんでそない地味なのを選びはったんだすか」と訊ねます。幸は、黒の方が汚れが目立たない、母に使ってもらおうと、肌触りが良いものを選んだ、と答えると、幸だけを残して、他の三人は「ご苦労さん」といって帰されます。じつは、値札はどれも適当で、幸の選んだのがいちばん上等な生地で、高い値札の半襟は安物だったのです。

現代風にいえば会社の面接、入社テストみたいなことをやらされ、しかもあの女の子たちも飢饉で田舎から口減らしのために大坂に連れてこられた、幸と似たような境遇だろうに、そんな子らに人の心をもてあそぶような真似をしたことで、父親の「商は即ち詐」という言葉が浮かび、暗い気持ちになります。

五鈴屋は、今の当主が四代目の徳兵衛でまだ二十歳。(お家さん)の富久は二代目の嫁で、まだ若い四代目の後見人であり五鈴屋の女将。四代目徳兵衛は長男で、次男の惣次、三男の智蔵と三人兄弟。番頭は治兵衛。奉公人は九人で、女中はお竹とお梅、それと新入りの幸。

ある夜、幸は治兵衛が丁稚の小僧らに字を教えているのを目撃します。それを見かけた智蔵は「そういや幸の父親は学者だったな」と思い出します。智蔵は商売よりも読書が好きで、奉公人の手習いを食い入るように見ている幸に「商売往来」という書を渡します。
後日、智蔵は治兵衛に「幸にも勉強をさせてやってくれ」と頼み込んでいるのを見かけ、ふと、亡くなった兄が思い浮かびます。

また別の日。治兵衛が丁稚の小僧に墨を磨るのがなってないので練習しろ、と叱ります。とうとう泣き出す小僧。するとお竹が幸に「あんた、学者の子なら墨磨りできるやろ、教えてやりなはれ」と言い、幸は小僧に硯と墨の違いと相性で磨り方が変わることを丁寧に教えます。その様子をじっと見ている治兵衛。小僧は墨汁を治兵衛のところに持っていき「ええ墨だす」と褒められ、今度は嬉し泣きします。治兵衛は幸を呼び「夜、墨を磨る手伝いをしてくれ」というのです。
夜になって、幸は治兵衛に中座敷に案内され、ここで墨を磨るように、と言われます。その部屋からは、治兵衛が小僧たちに「商売往来」を教えているのがよく見えるのです。というのも、五鈴屋では(店)と(奥)、(主筋)と(奉公人)の区別がはっきりとしていて、女中の幸が店での勉強には参加できません。が、中座敷から「覗く」のであれば構わないだろう、という粋な計らい。

そのうち、幸は智蔵や治兵衛に商売に分からないことを質問しますが、その内容が九歳の女の子とは思えないほど。番頭の治兵衛は「五鈴屋はどうやらとんでもない拾い物をしたようだすな、お前はん、ひょっとしたら大化けするかも知れん」と笑います。

ところで、先述したように、この時代は享保年間。質素倹約を国家政策とした「享保の改革」は、呉服を扱う五鈴屋にとっては大打撃。ですが、四代目徳兵衛は店を弟の惣次と番頭の治兵衛に任せて本人は遊びまくり。富久は、四代目が嫁でも取れば変わってくれるだろうと思い・・・

「大映ドラマか韓流ドラマ」と例えましたが、あれですね、「昼ドラ」ですね。まあさすがに(たわしコロッケ)が出てきたりはしませんかね。もうすでに九巻まで買ってます。こりゃ一気読みしそうな。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

垣根涼介 『光秀の定理』

2021-08-15 | 日本人作家 か

気が付いたら一年の半分どころか三分の二が終わろうとしています。個人的には秋から冬にかけてのだんだんと朝起きるときに布団から出たくなくなってきて、日照時間が短くなってゆく、あの感じが一年の中で一番好きなので、はやくこないかなー。

さて、垣根涼介さんです。この作品が初めての時代小説ということなんでしょうかね。

タイトルに(光秀)とあるくらいですから主人公は明智光秀なのですが、光秀といえばあの自分の上司というか雇用主を宿泊先もろとも燃やしちゃったでおなじみの(変)がありますが、その場面の詳細はなく、光秀が無職というかニート同然だったころに新九郎という兵法者と愚息という破戒僧の二人と出会ったのですが、秀吉の天下に移ったあたりにこの二人が「なんで光秀はあんなことをしたのか」と回想というか分析をする、という方式。

もう今さら「あの(変)の真相は!」みたいなのは、過去に映像作品でも小説でもさんざん考察されてますから、この作品内でも事実のみで特に触れていません。

関東から京に来た兵法者の新九郎。ある日のこと、道端に人だかりができていたので覗いてみると、坊主が足軽を相手に賭け事をしています。坊主の前には四つの伏せてある茶椀。その中のひとつに石ころが入っています。賭ける椀はひとつで、当たれば足軽の勝ち、外れれば坊主の勝ち。坊主は、賭けられてない三つのうち二つを開けます。石ころは入っていません。残りは二つでどちらかに石ころが入ってます。そこで坊主が「最初に賭けた茶椀を変えてもよい」といいます。どちらかに石ころが入ってるわけですから、確率は半々。こうやって、足軽が勝ったり、坊主が勝ったりするのですが、回数を重ねていくうちに、坊主のほうが勝っていきます。そのうち足軽が「お前イカサマやってるだろ」と怒り出しますが、だれがどう見てもインチキはしていません。そのうち賭け事がお開きになると、新九郎は坊主に声をかけて、さっきの四つの茶椀のからくりを教えてもらおうとします。坊主の名は愚息。逆に「では、一から十まで足した数はいくつかすぐ答えよ」と聞かれますが、すぐに答えられず、愚息から凡人じゃなと馬鹿にされます。

こんな出会いがあってしばらくして、夜のこと。旅姿の武士が「命が惜しければ金と剣を置いていけ」と脅してきます。ところが新九郎が構えると、相手はあっさり降参します。新九郎はいつぞやの愚息の問い「一から十まで足した数はいくつか」と武士に聞くと「五十五」と即答。なんでそんなに短時間で答えられたのか聞くと、武士は地面に

一二三四五六七八九十
十九八七六五四三二一

と書き、「上と下をそれぞれ足すと十一で十個あるから百十になってそれの半分」とすんなり答えます。新九郎と愚息はこの武士の名を訪ねます。武士は「姓は明智、諱は光秀、字は十兵衛、明智十兵衛光秀と申す」と名乗ります。
今は細川藤孝の屋敷に厄介になっているので、遊びにきてくれ」といいます。

「明智家」は、清和源氏の流れを組む美濃(現在の岐阜県)源氏の土岐氏の庶流で、いわば正統の武家で、主君である美濃の斎藤家が戦国時代の天下取りレースでは序盤に脱落してしまい、(正統)明智家の光秀も浪人として細川藤孝の家に厄介になっています。ちなみに細川家も清和源氏の足利家の支流にあたります。

新九郎と愚息は細川の屋敷に招かれ、藤孝は愚息が天竺に行って原始仏教の経典を学んできたことに興味を持ちます。そんなこんなで時は過ぎ、京の政局で大事件が。十三代将軍足利義輝が殺されたのです。しかし、足利将軍家の「嫡男以外は出家する」という伝統で奈良の一条院門跡の覚慶(義輝の実弟、のちの十五代将軍足利義昭)は、いずれ興福寺別当になるとのことで南都と余計な争いは避けたい松永家・三好家は覚慶を幽閉するにとどめておきました。そこで、藤孝と光秀は、覚慶に将軍になってもらおうとして、一条院からの脱出を計画します。尾崎豊の「今夜、家出の計画を立てる」どころの騒ぎではありません。作品中では、この脱出計画に新九郎と愚息も関わってきます。

この頃、新九郎は村で道場を開いて、村の子どもたちに剣術を教えます。金が無いので木刀が揃えられず、しかたなく笹の棒で打ち合いの稽古をします。しかし、フニャフニャした笹ではまともな打ち合いなどできません。そこで新九郎は、余計な力を抜いて正しい構えから正しい打ち込みをすれば笹でも打つことができると気付いて、そこから剣の腕もメキメキ上達し、やがて「笹の葉新九郎」という異名で京界隈ではちょっとした有名人に。光秀が新九郎と愚息に「覚慶脱出計画」の協力を頼むと、今後、光秀が出世したら、一万石につき黄金一枚をもらう、という出世払いを契約します。しかしこの時点では、信長の家臣になって十万石の大名になったのを皮切りにすぐに直轄領だけで五十万石に、系列の家臣の領地を合わせたら二百万石を超えて「近畿管領」と呼ばれるまでに大出世するとは思ってもいませんでした。

覚慶を無事に近江から若狭へ逃がした光秀。しかし、この計画で、藤孝のしたある判断が、光秀と愚息・新九郎との関係にヒビが入ることになるとは・・・

ここからはおおよそ史実の通り、光秀は十五代将軍足利義昭の家臣に、そして織田信長の家臣になります。といっても歴史書ではなくあくまで小説でエンタテインメントですので、オリジナル部分をちょいと紹介。近江の六角氏との戦いが長期化するのを恐れた信長はもともと木下藤吉郎(のちの豊臣秀吉)の後方支援だった光秀に「長光寺城を落とせるか、なんなら兵を六百ほど使ってもよい」と訊ねると、光秀は「手勢のみで」と答えます。さっそく長光寺城のある小山の麓に行ってみると、山頂に登る道は東西南北それぞれに一本の計四本。光秀は間者を偵察に向かわせます。戻ってきた間者は「四本のうち三本の道に兵を配置して、うち一本は捨てる模様」という報告を受けます。そこで光秀の脳裏に浮かんだのは、いつぞや愚息と新九郎がやっていた、四つの椀のうちひとつに石ころを入れてどれに入れたか当てるという賭け事。光秀は、この近くの寺にいる愚息と新九郎を呼び、どの道に行ったらよいのか、(四つの椀)のヒントを聞こうとしますが・・・

光秀はなぜあんなことをしたのか、という解釈は、ははあ、なるほど、という感じ。まあ起きてしまったことはしょうがないとして、「歴史は帳尻合わせをする」という言葉がありますが、たとえ光秀がやらなくても、いずれ他の誰かが同じようなことをしていたでしょう。つまり信長さんは普通に布団の上で死ねない、そういう運命だったのです。

この本を読んでまたひとつおりこうになった豆知識。ちょうどこの時代あたりで、夜の照明が荏胡麻油から菜種油に変わって、明るさが激変したとのこと。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

髙田郁 『出世花 蓮花の契り』

2021-08-07 | 日本人作家 た
暑いです。心頭滅却すれば涼しくなるのかなと思って心頭滅却してみましたが暑いままです。

個人的なお話をひとつ。今の体重は年齢と身長からすればだいたい理想的な体重でして、ところが7~8年前くらいまでは今より30キロ以上太ってまして、まあ世間でいう「デブ」、ギョーカイ用語でいう「ぶーでー」でして、このままじゃいかんと一念発起して今の体重になったわけですが、その当時のことを思い出してみますと、やはり今よりも暑く感じてましたね。もともと汗っかきでしたが、痩せてから汗の量が減ったような気がします。

はい。

さて、この作品はデビュー作「出世花」の続編になります。といってもシリーズではなく、完結編ですね。

ざっとあらすじを。不義密通の上に脱藩した妻を追って夫は娘を連れて江戸まで出てきますが夫は死んでしまい、娘ひとり残されます。娘を預かったのは、江戸の郊外、下落合村にある青泉寺というお寺。娘はもとの名前を(お艶)といったのですが寺の和尚から(お縁)と名付けてもらい、さらに、火葬の手伝いをするようになって(正縁)と名付けてもらいます。いつしか、青泉寺で火葬してもらう前に正縁に死に化粧をしてもらうと極楽に行けると巷の噂になります。

前作で、内藤新宿の菓子舗の主人夫婦がお縁を養女に迎えたいといってきますが、なんだかんだでお縁はその申し出を断り、これからも寺で葬式の手伝いをすることに。ここで豪快にネタバレを。この「桜花堂」という菓子舗の主人の後妻というのが、じつはお縁の実母だったのです。

前作で、とある遊女の死に化粧を頼まれたお縁ですが、その話を持ってきた(てまり)という遊女をある日たまたま見かけます。しかし、てまりの住む一帯は大火事があったばかりで、てまりの消息は不明でした。別の日のこと。数珠の修理をお願いに職人の家を訪ねたお縁は、そこに出てきた女性がてまりにうりふたつ、いや、てまりそのものだったのに驚きますが、本人は別の名前を・・・という「ふたり静」。

「桜花堂」の主人の息子、仙太郎が青泉寺に訪れます。仙太郎は桜花堂の日本橋支店を任されていたのですが火事で焼失、営業再開まで新宿本店に身を寄せることになったのですが、仙太郎の義母にあたるお香と、仙太郎の嫁が険悪で、ここはひとつ、お縁にしばらく桜花堂に来てほしいとお願いに。桜花堂に世話になるお縁ですが、さっそく事件が。桜花堂の菓子を食べたお得意さんが急死して・・・という「青葉風」。

「青葉風」で菓子を食べて急死した謎を解いたお縁は、捜査にあたっていた同心の新藤からえらく気に入られ、死因不明の事件があるとお縁に相談にくる始末。お縁は新藤に「桜花堂に世話になるよりも、早く青泉寺に戻りたい」と告げます。そんなことはさておき、とうとう仙太郎の嫁が出て行ってしまいます。お縁は仙太郎の嫁に会いに行くと、じつは赤ちゃんができた、というのです・・・という「夢の浮橋」。

大川(隅田)に架かる永代橋が崩落して、大勢の死者が出て、その亡骸を並べて、亡骸の着物を整えたり髪を結ったりしていたお縁を見ていた人が「ありゃあ生き菩薩様だ」と話題になります。幕府は、そういう「人心を惑わす」ような存在に対しては厳しく取り締まるので心配していたら案の定、役人がやって来て、あれこれ難癖をつけてしばらく閉門せよとの命令が・・・という表題作「蓮花の契り」。

これで完結。まあスッキリというエンディングではありませんが、ちゃんと収めるべきところに収めてくれたな、といった感じ。「生きるとは、死ぬとは、なんのために生まれてきたのか」という難しいテーマではありますが、そういうことをちょっとでも考えている方には手に取って読んでほしい作品です。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする