晴乗雨読な休日

休日の趣味レベルで晴れの日は自転車に乗ってお出かけ。雨の日は家で読書。

藤原伊織 『蚊トンボ白鬚の冒険』

2009-07-31 | 日本人作家 は
ハードボイルド作品の典型的なパターンとして、主人公がひょん
なことからある事件に巻き込まれ(自分で首を突っ込む場合もあ
るけど)、主人公の過去やら現在抱えている複雑な事情やらが
事件に絡んで、乗りかかった船から途中で下りることができず、
問題解決に奔走するといったもの。
あるいは、はじめから複雑な問題解決を専門に扱う組織に所属
しているというのもありますが、どちらにしても、そもそもあまり本
意ではないスタンスであることが、物語が進むにつれて主人公の
発する「男意気」「男くささ」とのギャップとなって面白いんですね。

さて、『蚊トンボ白鬚の冒険』なのですが、これは従来のハードボ
イルド的ではあるものの、奇妙なファンタジーも絡んでくるといった
ちょっと変わったテイストの作品。
身寄りがなく、配管工として暮らす青年が主人公。この青年の頭
の中からだれかが話しかけてくるのです。その正体は、なんと蚊
トンボ。そしてこの蚊トンボのおかげで青年は驚異的な能力を身に
つけることになります。それは、短時間ながら、通常の肉体能力
をはるかに超える力を出せるということ。
パチンコ玉を指ではじくだけで、その威力は当たった相手が骨折
するほど。
こんな青年が、アパートの隣室の住人の抱えるトラブルに巻き込
まれます。
隣室の住人はしがないサラリーマン風情でしたが、実は凄腕の
金融ディーラーで、ある暴力団事務所に損害の濡れ衣を着せら
れて逃亡中だったのです。
それを追っていた暴力団に、青年は果敢に立ち向かうのですが、
ここの設定に多少の無理はありますが、ハードボイルド小説の特
質上、巻き込まれざるをえなくなるのです。

物語の全体的に、青年と頭の中に住む蚊トンボ「シラヒゲ」との会
話が、暴力団と金融界というおどろおどろしい世界の中にちょっと
したユーモラスを盛り込む効果を与えています。
「シラヒゲ」とは、この蚊トンボの出生地である、東京の隅田川に
架かる「白髭橋」からとったもの。

それはそれとして、主人公の青年と恋仲になる女性がいるので
すが、キャラ設定がキャラに縛られすぎているというか、こういう
育ちでこういう性格の女性はこういう言動のはずだ、という先入
観みたいなものが見え、そこが気にはなったのですが、物語に
引き込まれ、設定もユニークで、読み終わりには満足感。
今まで読んだ藤原伊織作品のなかでいちばん面白かったかな。
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トルーマン・カポーティ 『ティファニーで朝食を』

2009-07-28 | 海外作家 カ
はじめて出会ったカポーティの作品は「冷血」という、実際に
起きた事件をドキュメントタッチで描く「ノンフィクションノベル」
という手法の作品で、衝撃を受けたことを鮮明に覚えていま
す。
そんなカポーティという作家が「冷血」を執筆した数年前に、
あのオードリー・ヘップバーン主演の映画「ティファニーで朝
食を」の原作を書いていたということを知り、二重に衝撃を受
けました。

そして、その原作を読んでみたのですが、映画のほうはかな
り前に観たので記憶が曖昧なのですが、それでも原作と映画
かいろいろな点(おおまかな部分も細かい部分も)で違ってい
ることにビックリしました。
まず、オードリー・ヘップバーン演じるホリーが映画の冒頭で
ニューヨークの五番街にある宝石店ティファニーのショウウィン
ドウの前で、紙コップのコーヒー片手にパンを食べる、これこそ
ティファニーで朝食、という場面なのですが、原作の小説では
これはあくまでホリーの比喩で、究極のセレブになれば五番街
の一流宝石店で朝食でも食べられるわね、といった表現。
ちなみに、翻訳者も現地に赴き、ティファニー界隈で飲食店を
探すも見つからず。これがニューヨークに観光に来た「おのぼり
さん」のお決まりなんだそうです。

そして、決定的に違うのが、主人公が一人称である「私」の職業
が、原作では小説家希望の男であるのに対し、映画ではヒモ。
もっとも、リアリティーを追求すれば、マンハッタンのアパートに
貧しい作家志望が住めるわけはなく、このディテールが原作に
は無かったので、ここは責められないとしても、映画ではホリー
と「私」がゴールインする、という設定ですが、原作の冒頭では
ホリーとの出会いから別れの数年後、アフリカにいたという情報
を耳にする「私」なのです。

原作と映画の違いを挙げていけばキリがないのでここらでやめ
ますが、例えるならば、設計の骨組みを拝借して仕上がりは完
成予想図とは違う建物を作ってしまった、そんな感じ。

ところで、原作では同じアパートに住む日本人は「ユニオシ」と
いう登場人物がいて、物語のけっこう隠し味的なアクセントにな
る働きをするのですが、確か映画では苗字が同じかは覚えてま
せんが、出っ歯でメガネで浴衣という、偏ったイメージの役者でし
た。というか、おそらく日本にこんな苗字はないでしょう。
「冷血」でも日本人一家が出てきましたが、そんなに悪い描き方
というわけではないので嫌日家ではなさそうですね。
「ユニオシ」って、他の苗字と聞き間違えたんでしょうね。

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石田 衣良 『4TEEN』

2009-07-25 | 日本人作家 あ
著者のデビュー作「池袋ウエストゲートパーク」では、池袋の
カラーギャングの抗争といった、大都会東京のダークサイドを
描き、少年たちは少年たちなりに精いっぱい生きている様子
が面白いのですが、本作「4TEEN」も同じ東京、とはいえど、
こちらは月島が舞台、14歳の中学生4人組がああでもない
こうでもないと考えて行動する話で、この時期をすでに送った
大人にとってはガラクタのような時間やモノでも、今まさにこ
の年代を過ごす子どもたちにとっては、大切な宝物であり、
きっと十年二十年先でも語るであろう思い出に「なりうる」と
信じている、そんなビタースイートな共通点があります。

優等生のジュン、デブで大食いなダイ、若年性老化症という
病気のナオト、そして「ぼく」の同じ中学に通う4人組が、さま
ざまなことに悩み、苦しみ、笑い、喜び、地元月島を自転車
で走りまわります。

月島という土地(島)は、対岸に築地、銀座といった抜群の
ロケーションで、それこそリバーサイドでアーバンライフを勤
しむための高級マンションが乱立していますが、それでも、
佃界隈は今でも100年前から変わってないような下町情緒
を残し、もんじゃ焼きのお店が軒を連ねている、新旧入り交
ざった「トーキョー」がまさに顕著です。

4人組は中学生なので交通手段はもっぱら自転車なのです
が、ポケットには携帯電話と、なんだかアンバランス。
もっとも、大人びてみたりそれでもやっぱり子供だったりする
この年代は人間としてアンバランスな年代。

「ガキンチョ」がメインの物語は、大抵が読む対象は大人で、
甘酸っぱい青春群像をある程度期待するものですが、この
作品はいい意味で甘酸っぱくはありません。

著者はアンバランスをいかにバランス良く描ききるか、これ
に長けているなあ、と感じました。
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藤原伊織 『てのひらの闇』

2009-07-23 | 日本人作家 は
最近気になっていることが、本の帯に書かれているキャッチ
コピーや物語の見せ場で、ほんとうに上手な仕上がりという
ものは少ない、だからして難しい仕事なのだなあと感心もす
るわけであります。
本作「てのひらの闇」の帯には

「感謝する・・・。その言葉に報いるため、男は闘うことを選んだ――」

「二人の男の道を決定づけたのは、生放送中のスタジオで発せられた
 不用意な、しかし致命的な一言だった――
 二十年後、その決着をつける時が訪れ、一人は自死を、一人は闘う
 ことを選んだ」

そして、じっさい読み終えてみると、前者のコピーは、作品の
情報を漏らしすぎず、かといって与えすぎずのちょうどよい塩
梅なのですが、後者はというと、たしかに気になるキャッチー
なコピーではあります。そしてこの部分は、物語の重要なカギ
で、話がこれから面白くなってゆく分岐点でもあるのですが、
これこそがまさに決定的な因果とまではいえないかな、と思い
ました。

大手の飲料会社の宣伝部に勤務する男は、会社の業績悪化に
伴う早期希望退職を承諾し、投げやりな態度で残りのサラリー
マン生活を送ろうとします。
男が手がけた新商品のCMが好評な中、ある日会長に呼び出さ
れます。そして会長の持っていたビデオ映像を見せられます。
それは、会長が趣味の散歩を兼ねて家庭用ビデオカメラで撮影
をしている風景で、マンションから子供が転落し、それをたまたま
通りかかった男性がキャッチした、というもの。
会長は、この映像が現在好評の新製品のキャッチコピーに適し
ていると思うので、これを使えないかと要求。
男はこの映像を調べてみると、合成された映像であることが分
かり、それを会長に報告すると、会長は「感謝する」という言葉
を男にかけるのです。
その日の深夜、会長が自殺したと会社から電話があり・・・

男と、その部下の女性が名コンビとなり、難局を打開していく
のですが、ときにコミカルで面白く、ほかの登場人物も個性を
打ち出しています。
そして主な舞台となる飲料会社の内部事情も、経済小説にな
らない程度にしっかりと描かれて、ハードボイルド小説といえば
良くも悪くも主人公のキャラで話を引っ張るものが多いなか、き
ちんと均衡のとれた、それこそ「よい塩梅」な作品でした。

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町田康 『告白』

2009-07-22 | 日本人作家 ま
この作品は、明治時代に起きた事件「河内十人斬り」を題材にした
小説で、大阪の河内赤坂村水分(すいぶん)という寒村の熊太郎
という男が舎弟の弥五郎とともに村の有力者一家ならびに自分の
妻まで計十人を殺害、その後ふたりは山奥に逃げ込み自害、とい
う当時は大ニュースになったそうでして、河内音頭の演目にもなり
ました。

「人はなぜ人を殺すのか」という帯に書かれた一文。じっさい読み
終えても、正直にいうと答えは見出せませんでした。
この答えが仮に見つかったとしても、世の中から殺人が消えること
はないでしょう。しかしこの永遠のテーマに取り組むにしては、主
人公で加害者の熊太郎青年を取り巻く環境や人間性は単純という
か、前者の「人」と後者の「人」の関係性がさほど目新しいものでは
ない、という印象を持ってしまいました。

熊太郎という人間を紐解くキーワードの中でも重要なのが「思弁的」
な性格。自分が心の中で思っていることでも、言葉でうまく伝えられ
ず、少年時代からたえずもどかしい状態が続くのです。
これにより、熊太郎少年は疎外感、被害妄想、自己嫌悪に苦しみま
す。
そして、彼を悩まし続けることになる出来事が起こります。それは、
座布団のような四角で大きい顔の葛木ドールと、森の子鬼と名乗る
葛木モヘアの兄弟にまつわる話で、熊太郎は森の子鬼と相撲を取
って、子鬼の腕を折ってしまいます。子鬼は山に帰りますが、その後
熊太郎とその仲間は村の水車が壊れた現場にたまたま居合わせて
しまい、犯人と思われてしまいます。しかし、熊太郎らは子鬼が犯人
だと考え、鬼の行方を探します。
ある山中で、恐ろしく顔の大きい葛木ドールに遭遇、弟の腕を折った
お前らを殺すと脅されますが、その時同行していた仲間は否定し、熊
太郎ひとりに罪をかぶせます。結果、熊太郎は葛木ドールを殴り殺し
てしまい、洞穴に死体を埋めて逃げます。
この一件が、熊太郎のその後の人格形成に大きく影響を及ぼすこと
になります。じぶんは殺人を犯したことと、仲間の裏切り。

しかしその後、洞穴にはドールの死体はなく、さらに当時の仲間は熊
太郎との記憶の食い違いが甚だしいのです。
幻想のような話です。思弁癖に悩む熊太郎の抽象的概念あるいは空
論なのか。

話の流れは全体的にこの事件が起きた明治はじめですが、ところどこ
ろ著者の現代的解釈の説明が差し挿まれます。時間を旅するイリュー
ジョン効果と、虚構と現実の間を漂う浮遊感のような気持ちに誘って
くれます。

カミュの「異邦人」では、殺人の理由について「太陽のせい」にしていま
す。意味不明と切り捨ててしまえばそれまでですが、結局そういうこと
なのかもしれません。心理学やら元捜査一課やらがどんなに唾吐き吐き
解説したところで、殺した人がそう言うならそれが答えだ、と。
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ディーン・クーンツ 『インテンシティ』

2009-07-20 | 海外作家 カ
この作品は「超訳」という、翻訳とはちがって、日本語的に
読みやすく、訳者の独自解釈が強く出る訳のことで、ときに
訳文として間違っているのでは、とされる部分もあるのです
が、たとえば映画の日本語字幕などは、はじめから文字数
が決められているので意訳するしかない場合もあります。

そこには若干のニュアンスの食い違いがあるでしょうけど、
海外の小説の日本語訳には、翻訳に気を使いすぎて、なん
だか人間味が薄れてしまったような作品も中にはあるので
まあ一長一短といったところでしょうか。

さて、ディーン・クーンツという作家ですが、ある書評では、
『節操ないくらい面白い』なんて評価をされているのですが、
節操あるかどうかは別にして、描写の細かさや正確さは
臨場感たっぷりで、およそ紙に文字だけの二次元で表現さ
れているとは思えないほど。

アメリカのある田舎、カリフォルニアの大学で心理学を学ぶ
女チーナは、友達の運転する車で、友達の実家に遊びに行く
ところ。
チーナは友達の家族にあたたかく迎え入れられて、おいしい
夕飯をごちそうになり、客室で寝ようとしますが、階下から
悲鳴やら大きい音が。
気になり部屋を出て家の中を見てみると、主寝室には友達の
両親が殺されており、そして友達は部屋で縛られて殺されて
います。
チーナはなんとか見つからないように犯人の行方を追いますが
犯人は外に停めてあるキャンピングカーに友達の死体を担いで
運び込もうとしています。
ふたたび家に戻ってきた犯人に見つからないようにチーナは
キャンピングカーに忍び込みます。
そして車は発車・・・
途中寄ったガソリンスタンドで、給油している犯人に見つから
ないように車から抜け出し、併設している店に逃げ込み、匿っ
てもらいます。
会計しに店に入ってきた男に不審がる店員。
そんな店員をよそに、犯人は一枚の写真を店員に見せます。
写真の少女はアリエルという名で、家に監禁していると言い、
さらに犯人は店員を射殺。

チーナはその監禁されている少女を助けなくてはと思い、ふたたび
犯人の車に戻ります。そして犯人の運転するキャンピングカーは
人里はなれた森林地帯の奥地の一軒家へ・・・

はたしてチーナは無事に少女を救い出せるのか、残虐非道な
男の正体とは・・・

読んでいて、つぎつぎと迫りくる恐怖、緊迫感。ようやく見えた
希望はしかしすぐに潰え、ふたたび恐怖・・・
ほんと心臓に悪いですよ。
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乃南アサ 『凍える牙』

2009-07-17 | 日本人作家 な
ミステリーやサスペンスでは、面白い「条件」のようなものがあり、
まずは当然ながら、物語の秀逸がありますが、なんといっても恐怖
を演出する側(犯人など)がどれだけ読者に恐怖感を煽るか、それ
とその対極側(刑事、探偵など)のキャラクター設定がどれだけ個性
的か、というもの。
刑事や探偵は、まず強く印象に残るキャラクターでなければならず、
ここが弱いと、ただお化け屋敷をぐるりと歩き回っただけという不完全
燃焼というか、なんともバランスの悪さが目立ちます。
だからこそこのジャンルには個性的な刑事や探偵のシリーズものが
多いということでしょうか。

『凍える牙』は、こういった犯人側の与える恐怖感と、それを追う側の
設定やキャラクターの面白さがじつにバランス良く整っています。
登場人物の背景や過去を描くのは推理小説ではお馴染みですが、
たまにですが、この部分が「どうだ!」といわんばかりに強調されてし
まい、現在進行形の本筋を邪魔するような作品もあるのですが、それ
がちゃんと物語の奥行き、奥深さを持たせるしっかりと味を立たせる
材料となっていなければならず、『凍える牙』は、追う側追われる側の
背景と過去が本筋のアクセントとして効いています。

深夜、東京都下のファミレスで、客の男から突然火が出て、そのまま
燃えてしまいます。他の客や従業員に被害は無かったものの、その
原因は店側の過失ではなく、焼死した男の体に付いていた時限発火
装置だと判明。
管轄署に捜査本部が設置され、機動捜査隊に所属の音道貴子は、
ベテラン刑事の滝沢とペアを組むことに。
滝沢はあからさまに女と同行するのを嫌がり、そんな蔑視や偏見に
慣れっこの音道も負けじとしますが、溝は埋まらず意地の張り合い。
そんな中、東京湾岸で動物に襲われて死んだ男が発見されますが、
ファミレスで焼死そた男の足にも動物に噛まれた跡があり、同一犯行
の可能性が見えてきた本部は、音道と滝沢に動物の線から捜査する
ように命令。
そして、またしても別の場所で動物に襲われ殺された女性が発見。
焼死の男と動物に襲われた被害者の接点とは・・・

音道と滝沢のコンビもはじめこそ相性最悪の不協和音奏でっぱなし
だったのが、両者の溝もだんだんと埋まっていきます。
たんに治安維持や正義感ではない、両者の司法警察官としての生
き方が物語に幅を持たせております。


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マイクル・クライトン 『アンドロメダ病原体』

2009-07-15 | 海外作家 カ
早川書房では「マイケル」ではなく「マイクル」と統一しております。
それはさておき、「ジュラシック・パーク」や「ディスクロージャー」、
「ライジング・サン」と大ヒット作を数多く執筆した御大クライトンの
出世作と呼んでいい初期の代表作「アンドロメダ病原体」。
このころからすでに、トラブル発生→解決→と思いきや見過ごして
いてまだトラブル→今度こそ解決→問題提起、という大まかな流れ
といったクライトン作品の共通したメッセージが見られて、基本のス
タンスは変わらないのが、失敗作の少ない所以。

「アンドロメダ病原体」とは、実際のアンドロメダ星雲から持ってきた
菌床というわけではなく、地球外に生息していた人間に害を及ぼす
ウィルス。
アメリカの西部、数十人の住む村の付近に人工衛星が落下します。
米軍の兵士はこれを回収しに赴きますが、人々が死に絶えているの
を発見、そしてこの村に着いた兵士も息絶えます。
この兵士から村の状況を通信で聞いた本部はただちにウィルス回収
の専門部隊を派遣。そこで、村人の死因は血液が固まっているもの
と判明します。
村人は全滅かと思いきや、老人と赤ん坊の二人の存命が確認、この
生存者を研究所に連れて帰ります。

血液が固まって死にいたるのはウィルスが原因で、宇宙から帰還した
衛星に付着していたのではないか、そして人間の血液を固まらせるメ
カニズムとは、ふたりの生存者はなぜ感染しなかったのか・・・

人間の進化の過程には、なにがしかの「外的要因」、それも地球で起
こる程度のものではなく、宇宙からの、例えばウィルスの感染により、
ここまで発展できた、とする学説が文中にあるのですが、確かにこれは
素っ頓狂な空論というわけではなく、人間の進化の過程では、それまで
階段でビルを上っていたものが、突然ある階から10階分エレベーターで
上ったくらい急速に進化している時期があるのです。

ただし、これはあくまで人間の力の及ばないものなので、これを人間が
コントロールあるいは利用しようなんておこがましいぞ、というクライトン
の問題提起、戒めが小気味良いですね。

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松岡圭祐 『催眠』

2009-07-13 | 日本人作家 ま
昨日、あるラジオ番組で、先代の故引田天功のことを特集
していたのですが、そこで、2代目のプリンセス・テンコーが
助手時代に、あるパーティーで催眠術にかかった演技を要求
され、同じく舞台に上がっていた岡本太郎氏のひざの上に座
り、さらに「あなたはキスをしたくなる」と言われ、仕方なくキス
したそうです。
プリンセス・テンコーのファーストキスのお相手はなんと岡本
太郎氏であった、とのこと。

つまり催眠術とは、それ自体がインチキだと断罪するのでは
なく、ある種の娯楽というか演芸で、かからなきゃと思い込ん
で言うなりに行動することが催眠術にかかったということにな
るんだなあと納得させられました。

本作「催眠」は、そんなテレビ的に催眠術を行い一時はもては
やされたものの、すっかり落ちぶれてしまった男が、緑の猿に
かけられた催眠を解いてほしいという、特殊な能力を持つ女を
利用して金儲けを企もうとするも、この女は精神的な病気だと
気になる心理センターの職員が女を治療しようとする、といった
話です。

この女は、怒鳴られるといった衝撃を受けると、自分は宇宙人
だと言い、相手の心の内をずばずばと当てるのですが、これは
専門に勉強した心理センターの職員によると、わずかな顔表情
の動きと目線の配り方で相手の思考状態が分かるとのこと。

この続編と位置付けられている「千里眼」でも、こういった催眠や
透視のようなもののからくりを説いているのですが、臨床心理士
である著者ならではの考察で、他人の心を読んだり意のままに
操るといった魔法じみたものは肯定しません、という姿勢がうか
がえます。

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高杉良 『金融腐食列島』

2009-07-12 | 日本人作家 た
ちょっと昔、海外で働いていた時に、お世話になっていた方から
借りて読んだのが、清水一行の経済小説。仕事で疲れて家に
帰ってまた仕事の話なんて余計疲れるだけだろうと思っていた
のですが、読んでみたらこれが面白い。

大企業や大銀行、世界をまたにかける投資会社やヘッジファンド
なんて、ある意味、妖怪大戦争。

そんな日本の大銀行でバブルの後始末に奔走する行員を描いた
「金融腐食列島」は、ときに主人公やその周りの人間関係に笑い、
悲しみ、怒り、ときに無責任体質な政治、官僚、財界に辟易し、読
んでいる最中、ずっと重低音サウンドに包まれているような、肩に
重いなにかがのしかかっているような気分。

都銀大手の協立銀行の支店勤務竹中は、ある日突然本店異動を
命ぜられ、総務部「渉外班」で総会屋対策にさせられるのかとため
息を漏らします。
しかしその異動の裏には、同行の同期入社の現在MOF(モフ)担
杉本の画策がありました。
MOF(モフ)担とは、ミニストリーオブファイナンス、大蔵省の出入り
担当で、都銀のエリートというか官僚でいえばキャリア。
その杉本から聞かされたのが、会長の娘がある男と不倫関係にあ
って、その男とは“その筋”と思われ、その筋の関係者につけ込まれ
ないようにしてほしいとのこと。そしてこの調査は、会長秘書役でか
なりの切れ者ともうわさされる鈴木からの依頼。

しかし調査をしてみると、娘の相手の男は暴力団関係者ではなく、
かつて横浜支店に融資を断られて嫌がらせをしたくらい。しかしどう
にも後ろ暗い人物で、挙句この男は現在経営しているブライダル会
社に10億の融資を頼んできます。
これで娘と別れることを条件に融資してしまいますが、別れるどころ
かより親密に、しかも会長とも仲良くなってしまいます。

とりあえず総務部での影の任務は終わり、本来の総務部での勤務
がはじまり、総会対策に翻弄します。
そんな中、竹中はある大物総会屋に気に入られ、その後たびたび
来る小さな脅しやゴシップ脅迫などその大物総会屋に始末してもら
うのです。

総務部からほかの部署に異動しますが、そこでの勤務はバブルの
後始末。そこにつけ入る暴力団関係者からの執拗な嫌がらせに耐え
難きを耐え・・・

バブルの発生から崩壊、そして住専などの後処理問題がよく分かる
ように、時の政治家も実名で登場し、ちゃんと解説されていて、あの
時代は日本全体が浮き足立って拝金主義に成り果てていたっけなあ、
と巨大ディスコのお立ち台で踊り狂うギャルの映像とともに頭に浮か
んできます。
しかしそれにしても、バブル崩壊から15年経ちますが、いまだにちゃん
と総括されていないのは、この国がちゃんと「あの病気」から完治してい
ないということですね。
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