晴乗雨読な休日

休日の趣味レベルで晴れの日は自転車に乗ってお出かけ。雨の日は家で読書。

浅田次郎 『黒書院の六兵衛』

2020-05-27 | 日本人作家 あ
テレビをつければ毎日毎日、人と会えば話の切り出しは新型ウィルスのことばかりで、もう泳げたいやきくんばりに「いやになっちゃうよう」とつぶやいてしまいます。
そんな中、現実逃避としての読書はありがたいです。

さて、多分けっこう久しぶりに読んだ浅田次郎さんの作品。

時代は幕末。260年も続いてきた徳川さんの政権も音を立てて崩壊しはじめ、もはやビフォーアフターに出てくるリフォームの匠もサジを投げるような状態。江戸を火の海にするのはやめてくれという願いも通じた無血開城。江戸城に、西洋の軍服を着た男がいます。彼の名は加倉井隼人。身分は御三家の尾張徳川家の江戸定府御徒組頭。
加倉井に上司から「物見の先手を務めていただきたい」と命令が。つまり、江戸城明け渡しの際の、ちょっと先に行って見て来てくれ、というお役目。しかし加倉井、江戸城に入ったことなんてありません。自分にとっての(殿様)といえば尾張大納言。それよりもさらに偉い総軍様のお住まいである江戸城に行くという大役をなぜ自分が・・・と思います。
江戸城に入り、用向きを伝えると、通された部屋にいたのは、勝安房守。わかりやすくいうと、勝海舟。そう、官軍の西郷隆盛との会談で江戸城無血開城にこぎつけた人。その勝さん、「西郷さんがいうには、江戸城明け渡しと決まったからにはどんな些細な悶着を起こしてはならない」とのこと。まあ、不平不満を持つ侍はいるけれども、本気で許せないという人は江戸城を出てっているし、残ってる人は(あらかた)恭順を誓っているそうです。
勝の言葉に加倉井は引っかかります。「あらかた」とは?

なんと、西の丸御殿に、ずっと居座っている侍がひとり、いるというではありませんか。
その侍の名前は的矢六兵衛。身分は御書院番士。大政奉還の知らせ以降、梃でも動きません。

ここでようやく加倉井は自分のミッションに気付きます。この六兵衛なる侍を説得して下城させること。

さて、どうしましょう。

まずはこの的矢六兵衛という侍の身辺調査。彼の同僚に聞けば、入れ替わった、というではありませんか。

入れ替わった?

加倉井の見た、城内に居座ってる六兵衛は別人らしいのです。しかし、おうちを聞いてもなまえを聞いても「的矢六兵衛です」としか言いません。
太平の世の中になりますと、武士の身分の売り買いというのが起こりはじめました。しかし身分といってもせいぜい御家人クラス。ですが、的矢六兵衛の「御書院番士」といえば、立派な旗本つまり「御目見得格」なのです。さすがに旗本は金では買えないとは思うのですが、とんでもない話が・・・

六兵衛の上司、的矢家の中間や女中、さらに前の?六兵衛の父母にも話を聞きますが、要領を得ません。いったいこの的矢六兵衛は何者なのか。目的は・・・

文中には、勝海舟をはじめ、歴史の教科書に出てくる幕末の人物がいっぱい出てきます。なんと加倉井は、西郷隆盛と会い、話をするのですが、生まれて初めて耳にした薩摩弁はもはや外国語。それを「コンタビャーゴナンギサアナコテ」「ドゲンショット」とカタカナで表現していて、思わず笑ってしまいました。

例えば会津藩。藩祖の保科正之が残した「将軍家に忠勤を誓え」といった家訓があり、それを頑なに守って最終的にあんなことになって少年兵士が自害するといった悲劇も生みました。
例えば伊勢津藩。真っ先に裏切って官軍に付きます。当時の幕府側は「さすが伊勢津。藩祖の教えが行き届いている」と苦笑したとか。ちなみに藩祖は藤堂高虎。浅井→織田→豊臣→徳川とコロコロ主君が変わっても生き残った、今風に考えれば転職先で必ず結果を残してステップアップしていった優秀な人材。
滅びの美学を取るか、生き残りを取るか。別にどっちが正しくてどっちが間違ってるとかそういう答えはありませんが、この時代の作品を読むと、なんだか考えてしまいます。
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池井戸潤 『ルーズヴェルト・ゲーム』

2020-05-15 | 日本人作家 あ
なんだか年がら年中、池井戸潤さん原作のテレビドラマをやってると思ってしまうくらいやってますね。

しかし、自慢にもなんにもなりませんが、まだ映像化した作品を一度も見たことがありません。あ、「一度も」ってのは大げさですね。ほんのチラリ程度ですが「半沢直樹」のシーンは見たことがあります。あとつい最近やってた「ノーサイド・ゲーム」もチラリと。

そんな与太話はさておき、やはり池井戸潤さんの作品は面白いですね。

主な舞台は銀行であったり会社であったり、いちおうは「経済小説」の括りになるんでしょうが、エンターテインメント感あふれる内容でページをめくる手が止まらずに気が付いたら読み終わってた、という感じ。

長引く不況の影響でリストラを考えなければいけない電気部品メーカーの青島製作所。かつては社会人野球の強豪、今やまったく勝てない青島製作所野球部もリストラ候補に。追い打ちをかけるように、監督と主力選手が引き抜かれます。しかしこの野球部、創業者の思い入れは強く、また一部ですが応援している社員はいて、部員もあきらめてはいません。そこに新監督が来るという話が。経歴を調べると、高校野球の監督経験はあるそう。

ベテランのスタメン固定制をやめて新人にも出番を増やすといった考えは、当然ですが新人とベテランの軋轢を生むことに。しかし新監督はしっかりとデータに基づいた守備陣地や打順構成で、部員たちも「あれ、俺らイケるかもしれない」という雰囲気に。

そんな野球部事情と並行して、青島製作所の会社としての話も。ライバル会社との値下げ合戦も体力的にキツく、社長の細川は決断を迫られます。そんな中、件のライバル企業の社長から経営統合の話が・・・

野球部は、社内の製造部野球チームと練習試合。普通にに考えると野球部の圧勝ですが、息をのむ展開に。それもそう、製造部のピッチャーは高校野球の名門出身で、エースだったそうな。さっそく監督は彼をスカウトに。ところが高校時代に部内暴力事件に関わったとして自主退部したというのです。彼に何があったのか・・・

企業経営や熾烈な取引合戦といった「会社」としての話と、社会人スポーツの社内における立ち位置や彼らの奮闘を描く「スポーツ」としての話と、ふたつの話が交差しつつ楽しめて、なんともお得感。

タイトルの「ルーズヴェルト・ゲーム」というのは、アメリカのルーズヴェルト大統領の言った「野球で一番面白いスコアは8対7だ」というもの。

何も関係ありませんが、滋賀県に「伊香(いか)高校」があり、千葉県に「多古(たこ)高校」があるのですが、いつの日かこの2校が対戦したら最高ですね。スポーツ新聞やテレビのニュースでも「イカ対タコ」と騒ぎになる事間違いなし。
しかも10対8で伊香高校が勝ったらなお最高。
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髙田郁 『みをつくし料理帖 天の梯』

2020-05-10 | 日本人作家 た
とうとう最終巻。

澪にとって育ての母の「ご寮(りょん)さん」こと芳の再婚も決まり、てっきり周りは澪が芳の嫁ぎ先である料理屋の厨房に入るものと思っていたのですが、澪は貸家で吉原に卸す料理を作ると一大決心。しかし夜は引き続きつる家を手伝うことに。そんな中、新しい料理を考えることになり、葛を使ってはどうかと思ったのですが・・・という「結び草 葛尽くし」。

澪のもとにある武士が千代田城内の徒組のために十六文で十人前の弁当を作ってほしいと依頼。その弁当が千代田城内で好評と聞き喜んでいる中、次の新作料理に自然薯を使おうとしていると、つる家の料理人の政吉が、なんと皮つきですりおろしはじめるではありませんか。ところがこの料理が料理番付で・・・という「張出大関 親父泣かせ」。

芳のもとに遊びに行った澪。するとある客の忘れ物を目にした澪は、この物体は何だと疑問に思います。医師の源斎に聞いてみると牛の乳に砂糖を加えて煮詰めた「酪」ではないかというのです。ただし、この「酪」は将軍様のみが口にできるもので、民間には出回らないもの。そこに、芳の旦那さんが自身番に連れていかれたと・・・という「明日香風 心許り」。

吉原に卸している澪の作る料理が話題になるのですが、ひとりで作るには一日に三十個が精一杯。こんなんじゃいつまでたっても目標金額には届かないと考える澪ですが、そこでレシピごと売ってしまえばいいとひらめいた澪は、さっそく札差に相談するのですが・・・という「天の梯 恋し粟おこし」。

豪快にネタバレをブッコミますが、最終巻であさひ太夫こと野江ちゃんと澪は念願の再会。そして澪個人も幸せに。
素晴らしい作品です。きっとまた近いうちに読み返すでしょう。

世間では気の滅入る話題でもちきりですが、現実逃避といっては聞こえが悪いですが、そんな嫌なことをひとときでも忘れさせてくれるのが「読書」の醍醐味であると思っています。いや別に読書だけでなく、映画やドラマやアニメなんでもいいですが、こういうご時世だからこそ心に余裕を持っていたいものです。
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レイチェル・カーソン 『沈黙の春』

2020-05-06 | 海外作家 カ
こんなご時世ということで、本を読む(読むことが出来る)というのは、時間的にも金銭的にも、そして精神的にもある程度の余裕がないと難しいんだなということが分かりました。

書評ブログで私的な話で恐縮ですが、外出や移動の自粛・休業要請などありますが、一応、業種としては(エッセンシャルワーカー)の部類に入るのでしょう、仕事は減ることもなく、いやむしろ忙しくなっていまして、そんな中にあって読書は貴重な(息抜きタイム)としてありがたい存在ではあります。

そう、息抜きの為に読むはずだったのですが、まあエライ作品に手を出してしまいました・・・

この作品は1962年に発表されたもので、今回読んだのは新装版。旧国名や地名などに(現どこそこ)といったように入っています。

殺虫剤や除草剤、いわゆる農薬(化学薬品)を使って、環境にどのような影響が出たのか、世界中の具体例を挙げて、はたしてわれわれはこのままで良いのか?という警鐘、といったのがこの作品の全体像。
戦後まもなく、シラミやノミの駆除ということでGHQが日本の子どもに頭からDDTをぶっかけている白黒の記録映像がありますが、今にして考えるととても恐ろしいですね。

「害虫」や「害鳥」といったように、人間にとってなにかしら困る存在だからといって、それが地球全体にとっての「害」であるはずはありません。
例えばプレーリードッグ。北アメリカ大陸に生息するげっ歯目で、地面に穴を掘って生活をしています。そこに、ヨーロッパから入植者がやって来て、牛を飼いはじめたり、畑で野菜を作ろうとしますが、牧場のあちこちにあるプレーリードッグの掘った穴に牛が足を突っ込んで骨折するといった(事故)が起き、また畑を荒らしてしまうといった(被害)があって、怒った入植者たちはプレーリードッグを毒薬で殺しました。するとプレーリードッグが食べていた虫が繁殖して牧場の草を食べ、それまでプレーリードッグを捕まえていたキツネやワシなどは他の草食動物を襲いさらに虫が繁殖し、結果、アメリカの西部は不毛地帯になってしまいました。
シカを守ろうとオオカミを駆除したらシカの個体数が増えすぎて逆にシカが自然破壊の害獣になっちゃった、ビーバーがダムを作って家が浸水してしまったので駆除したら大洪水が起きて家の浸水どころじゃなくなっちゃった、なんて話はよくあること。

広大な土地で1種類の植物(麦やコメ、トウモロコシなど)を作ったりすると、それらを食べる虫が大量発生する。
よく考えたら「その通り」なんですよね。

殺虫剤である虫を駆除しようとしても、次か次の次の世代で(殺虫剤で死なない)という虫が出てきます。つまり環境に適応するものが生き残る「適者生存」でありまた「自然淘汰」でもあります。すると人間はさらに強力な殺虫剤を作ります。たしかにその世代の虫には効果的です。しかし、すると虫だけでなく魚や鳥、小動物といった他の生き物にも影響が出ます。そして最終的にはもちろん人間にも。

その昔。アフリカで、現地の部族が飼っている牛がライオンに襲われているのを部族はただ見ているだけだったのを、ヨーロッパ人は部族の長老に「なんでライオンを殺さないんだ」と聞いたそうです。すると長老が「そんなことをしたら他の草を食べる動物が減らなくなってこの周りの草が減ってうちらの飼っている牛が死んでしまうではないか」と答えたそうな。
なにを当たり前なことを、と思うでしょうが、人間は目先の利益や手っ取り早いラクな方法を取ってしまうものです。

読み終わって、結局、人間が地球にとっていちばんの「害獣」だよな、と思ってしまいました。
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