晴乗雨読な休日

休日の趣味レベルで晴れの日は自転車に乗ってお出かけ。雨の日は家で読書。

宮部みゆき 『三鬼 三島屋変調百物語四之続』

2021-07-31 | 日本人作家 ま
今ここで書いているのは小説の素人書評ブログなわけですが、そういや「若者の〇〇離れ」といわれていつも上位にくるのが「読書」なのではないでしょうか。もっとも中には「若者の漬け物離れ」といったように、いやいや若者なんてもともと漬け物好きじゃねーし、みたいな自分たちの営業努力不足を棚に上げてなんでも若者のせいにしてる向きもあったりしますが、まあでもこれは実は良い現象だとする考え方もあって、昔の若者の夢とか目標とかって、ともすれば国家戦略や企業戦略であったり、「大人のたしなみ」といって好きでもないのに酒タバコをやったり、バブル期の「クリスマスにはイタ飯で赤プリでティファニー」みたいなマニュアル好きであったり、そういった「呪縛」から解放されて、趣味の多様性、主観的幸福感、自分はこれが好き(これが嫌い)と言い易い世の中になったのかな、と。

以上、若者いまむかし。

さて、宮部みゆきさん。このシリーズも現時点で7巻まで出版されていまして、1巻で4話か5話くらいあったとして「百物語」まで少なくとも20巻は超えないと到達しないのですが、100話までやるんでしょうか。それはそれとして、そもそも主人公のおちかの(心の傷)を癒すためにこんな酔狂なことを始めたのであって、ぶっちゃけ傷が癒えたら百までいかなくても途中でやめても別にいいんですけどね。どうなんでしょ。

お客さんは、(おつぎ)という名の女の子。江戸から相模国の平塚までの中原街道の途中にある小さい村から来ました。おつぎは(お化け)を見た、というのですが、正確には(もうじゃ)つまり亡者、亡くなった人。この村では、春先に、ある「祭り」が毎年開催されるのですが、今年は諸事情で中止との噂が。しかしその祭りは田圃の神様にお祈りするものなので、中止なんてしようものなら秋に米が収穫できなくなると恐れて一部の人らは強硬開催しようとします。そんな中、おつぎが山の中の小屋で見たのは、死んだはずの人で・・・という「迷いの旅籠」。

おちかたちは花見に出かけます。そこで「だるま屋」の弁当を食べたらこれがめっぽう美味しくて、でも話によればだるま屋は一年の半分は休業するというのです。そのだるま屋の主人がやって来て「うちが夏場に店を閉めるのには、面妖な理由がございまして・・・」ときました。主人が房州の田舎から江戸に出て料理人の修行をして、葬式で実家に戻ってまた江戸に戻ろうとしたとき、道の途中で急に空腹に襲われ身動きが取れなくなります。ところがそれからツキが回ってきて・・・という「食客ひだる神」。

今回のお客は、齢五十半ばという武士。といっても、この武士の主家が改易となって、今は浪人暮らし。まだ藩士だったころ、ある揉め事から、山奉行の山番士という役に就かされ、三年という期間、山の中の村に送られることになります。村に行くのはもうひとり、二十歳の若侍。雨が降れば土砂崩れが起き、風が吹けば木々が倒れ、真冬は大雪が降って凍えるほど寒いという過酷な場所。ちなみに前任者のうちひとりは逃亡し、ひとりは行方不明。この村の住人は、過去に罪を犯した者かその家族、または他の藩から逃げてきた者、といった、もう他所には行けないような人たち。そして、この村に伝わる、頭に黒い籠を被った、ものすごい速さで移動する「鬼」が・・・という表題作の「三鬼」。

三島屋に主人の次男が怪我をして奉公先から戻ってくるという話もありつつ、お客が。年配の女性でありながら島田髷に振袖という若い娘の恰好をしているというちょっと変わった(お梅)という老婆。家は芝の神明町で(美仙屋)という香具屋をやっています。初代の嫁がたいそう美人で、それから代々、生まれる娘はみな美人という話で、お梅は三姉妹の末っ子で、長女も次女も巷で評判の美人。ある風の強い日、火事が起こって、周りが焼け落ちてしまったのに、美仙屋はなぜか無事でした。しかし、家の中では、次女のお菊が亡くなって・・・という「おくらさま」。

最終話の中で、「瓢箪古堂」という貸本屋が登場します。おちかと「百物語」を陰で支えるお勝が「お嬢さんは、あの方とご縁があります」と意味深なことを言います。さらに、三島屋の、現在は他所で奉公をしている次男の富次郎が怪我をして三島屋に戻って来て、おちかが面白いことをやっているということで、手伝うことになります。そしてさらに、手習い塾の師匠で浪人の青野利一郎に、仕官の話が・・・

冒頭で説明したおちかの過去の(心の傷)も、少しずつではありますが、癒えてきているところではあります。
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垣根涼介 『室町無頼』

2021-07-18 | 日本人作家 か
その昔、元アナウンサーでタレントの徳光和夫さんがなにかのテレビ番組に出ているのを観まして、それが競艇だか競馬だかに行って、同行していた別のタレントさん(どなたか忘れましたが)が、どうやって買ったらいいかと訪ねると、徳光さんが「好きに買ったらいい」といって一句「神は神 仏は仏 俺は俺」と詠み、笑ってしまったと同時に感心しました。今でもこの句はたまに思い出します。誰かに惑わされたり誰かの意見を鵜呑みすることなく、自分の信じた道を進むのみだなと思います。

さて、垣根涼介さん。過去に何作か読みましたが、作風がけっこうバラエティに富んでいます。時代小説を読むのははじめて。この作品は直木賞候補になったんですね。

物語の時代は、室町時代の中期から応仁の乱の直前あたりまで。過去に大河ドラマや歴史小説で室町時代を扱った作品はありますが、そのほとんどは応仁の乱以降、つまり戦国時代。あるいは南北朝時代で室町初期ですかね。史上初の太政大臣と征夷大将軍の二つの位に就任した三代将軍の足利義満という人がいますが、日本史的にあまりフィーチャーされません。あと、文化的にも、室町時代あたりに、いわゆる「日本文化」が出来上がった、とされています。

牢人の親子がどこぞの農村で厄介になっています。父は体を悪くしていて、息子の才蔵が働きに出て、気の毒に思った寺の和尚が才蔵に読み書きを教えてあげます。やがて父が死に、才蔵は京へ出て天秤棒を担いでの振り売りをします。ある日、ふたりの男に「金を出せ」と脅されますが、無我夢中で天秤棒でやっつけます。この頃の京はほぼ無法地帯で、才蔵は「自分の身は自分で守る」と強く思い、天秤棒で自己流の棒術の稽古をします。やがて、土倉(質屋と金貸し業)の用心棒にスカウトされます。三か月ほど経ったある夜、いきなり土倉が襲われます。相手は二十人くらい。才蔵は「今夜死ぬのだな」と覚悟を決めて立ち向かいます。そこに、賊のリーダーらしき男が登場します。才蔵の棒術が全く通用せず、相手の一撃で意識を失います。

才蔵が目を覚ますと、そこには土倉を襲った賊が。周囲から「御頭」呼ばれている人物の名は「骨皮道賢」。無法者およそ三百人のリーダー。はじめこそ「使える」と思い殺さずに連れてきたのですが、道賢の手下としては使いづらい、ということで、他の人に預けることに。それは「蓮田兵衛」という、何をやってるのかよくわからない男。蓮田の家にはいろんな人が出入りしていて、飯を食べたり泊まっていったり。でもお金を取ろうとはしません。
ある日のこと、蓮田は河内まで行くので才蔵について来いといいます。道中には関所が設けられており、通行料を払わなければなりません。が、蓮田はあっという間に門番の一人を倒し、もう一人から銭を奪います。次の関所では門番をなぎ倒し、さらに関所に火をつけるのです。じつは道賢らは京の公方の警護を請け負っていて、これには才蔵も「どういうおつもりでござる」と聞きますが、蓮田は笑って「道賢の困った顔が浮かぶわい」と余裕。
河内に着きますが、蓮田は村人らと情報交換をし、帰りには摂津や和泉にも立ち寄って同じように村人と語らいます。才蔵は、彼らから「京の武士や坊主などにこれ以上いい気にさせてたまるか」というすさまじいエネルギーを感じ取ります。

蓮田は才蔵をある人物に預けることにします。その人物とは琵琶湖のほとりに住む老人。じつはこの老人、今では廃れてしまった棒術の達人。才蔵は手も足も出ません。老人は、才蔵に一歩間違ったら命を落としかねない凄まじい修行をするのですが・・・

命がけの修行を終えて、才蔵は京に戻り、蓮田のもとへ。「吹き流し才蔵」という二つ名は、京洛界隈ではちょっとした有名人。その間、蓮田は農民や地侍らの蜂起の計画を立てて・・・

この話は、のちに「土一揆」と呼ばれることになる、現代でいうと過激なデモというか、こころみに調べてみると「民衆の政治的要求活動」とあります。この時代(応仁の乱の直前)あたりは幕府の政治が全く機能しておらず、土一揆は「割とマジで政府の転覆を狙った」ある種のクーデター未遂といいますか、飢饉で農民の暮らしがきつくて年貢の減免要求など同じ部分はありますが、そういった意味では江戸時代の百姓一揆とはちょっと違っていますね。文中では、この土一揆がきっかけに「足軽」という、武士(職業軍人)ではない、平時は農民の傭兵部隊が合戦で重要視されてゆくことになるとあります。

この物語で、才蔵、道賢、蓮田と3人の男と関係する芳王子という遊女が出てきます。この人物の役割が実にいいですね。
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髙田郁 『出世花』

2021-07-01 | 日本人作家 た
もともとインドア派ですし、ひとりで過ごすことのほうがむしろ気が楽なので、「遊びに行きたい!」とか「友達と会って飲み食いしたい!」みたいな欲求は特にありません。ですが、お買い物は好きでして、お買い物に行けないのでもっぱらネットショッピング。海外のサイトで国外(日本)発送可のところからお買い物して商品が届くと当然ながら伝票はすべて英語で、梱包を開けるとその国のニオイがするといいますか、なんとなく海外に住んでる気分が味わえます。輸送料とか関税が高いですけどね。
潰した段ボールを廃品回収にだすためにビニールひもで縛ってるときに(なんか段ボールが多いなあ)と気付いて「あ、今月買い過ぎた」と軽く後悔。いかんですね。でもまだ中毒とまではいってません。自制はできてます。

以上、「だれでも陥る!ネットに潜むワナ」。

さて、高田郁さんです。この作品はデビュー作だそうでして、つまり「みをつくし料理帖」の前。

九歳の女の子、お艶(えん)は、江戸の田舎にいます。いっしょにいるのは父親。母親はいません。というのも、母は父の同僚と不義密通のうえ藩から逃げてしまいます。敵討ちはだいたいは父が殺されたら息子が、息子が殺されたら父が、あるいは兄弟が、というように「侍」のルールなのですが、お艶のお父さんのケースは「妻敵(めがたき)討ち」といって、これもいちおうはオフィシャルだったらしいのですが、(男の肉親)の敵討ちは周囲の応援(金銭的援助など)はありますが、妻敵討ちは「アイツ寝取られてやんの・・・」といった冷笑もあったりで周囲は協力的ではありません。

さて、そんなお父さんと娘、とうとう行き倒れてしまいます。お艶は目を覚ますと、そこはお寺。住職によると、父は死ぬ間際に「どうか娘に別なよい人生を送るように名前をつけてやってくれ」と頼んで息絶えます。そこで住職は読みは同じの「お縁(えん)」と名付けます。

という壮絶なシーンからスタート。

ところでこのお寺は、江戸府内から西、下落合村にある青泉寺。この寺は火葬ができる寺。江戸には公設の火葬ができる寺が五か所しかなく、それらはすべて寺社奉行の管轄。ですが青泉寺は江戸の外ですのでうるさい縛りなどはなく、かえってそれが人気。
青泉寺には、住職の正真、修行中の正念、それと(毛坊主)と呼ばれる寺男が三人が生活しています。そこにお縁が加わります。

和菓子屋「桜花堂」の主人夫婦が「お縁を養女に迎えたい」と申し出が。ですが、息子から「ぶっちゃけどこの馬の骨ともわからぬ娘だし、いきなり養女ではなく(通い)扱いということで様子を見ては」と提案。それから二年、桜花堂の女将はお縁に早く娘になってほしいとお願いします。ところが、お縁は寺にいるときは手伝い、つまり葬式の手伝いをしていて、それを女将はあまり歓迎をしていません。お縁は葬式の手伝いをするうちに青泉寺で正式に働かせてほしいというと、それを聞いた女将は・・・という表題作の「出世花」。

棺桶を作る職人、岩吉は身長六尺(百八十センチ超)で顔は痘痕だらけ、おまけに無口で岩吉が棺を青泉寺に運んできたときにお縁が挨拶してもそっぽをむかれます。寺にちょくちょく顔を出す同心から、最近、女の髪をバッサリと切るといった事件が多発していると教えてもらいます。巷では(髪切り魔)などと妖怪の仕業と噂されています。
それはさておき、新宿に「新宿小町」と呼ばれる美人で有名なお紋という娘がいるのですが、どこぞの武家に嫁ぐという噂が。このお紋が(髪切り魔)の被害に遭います。すると岩吉が役人に連れていかれたというのですが・・・という「落合蛍」。

青泉寺にお縁に用があると来た女が。聞けば女は神田の女郎屋の遊女で名前はてまり、おみのという遊女が病気でもう長くはなく、おみのに世話になったてまりはおみのが亡くなったらぜひともお縁に湯灌をしてあげてほしい、というのです。お縁は承諾し、寺に許可をもらっておみのの長屋へ。てまりから「おみの姉さんは武家の娘だったらしい」と聞いていましたが、なるほど寝たきりでも話し方や表情などどこか品があります。ですが、お縁が湯屋に行った帰り、おみのから思いがけない告白が・・・という「偽り時雨」。

青泉寺に初老の武士が訪ねて来て、正念に向かって「若、お久しゅうございます」というのです。正念は「拙僧は正念と申します。人違いでは」とつれない態度。すると初老の武士が「いくら隠居の身とはいえ、長年お世話させていただいた宜則(のぶのり)さまのお顔を忘れることなど決してござりません」と言い、続けて「お母さまがご危篤です」といって正念の腕を引っ張ります。ところが正念は「人違いです」と。
翌日、こんどは若い女が正念を訪ねて来ます。正念にとっては異父妹にあたりますが、説得もむなしく正念は「行きません」とつっぱねます。そして、正念の母親が亡くなったとの知らせが来て、湯灌を頼まれていたお縁は正念を無理やりいっしょに連れて行こうとしますが、そこに住職の正真が「正念、行ってきなさい」と・・・という「見返り坂暮色」。

時代小説版「おくりびと」、納棺師あるいは死化粧師ともいうそうですが、そういうお話ですので、あまりハッピーなお話ではありませんが、とても「優しい」お話。
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