晴乗雨読な休日

休日の趣味レベルで晴れの日は自転車に乗ってお出かけ。雨の日は家で読書。

川田 弥一郎 『白く長い廊下』

2009-03-30 | 日本人作家 か
過去に江戸川乱歩賞の受賞作品を数冊読みましたが、やはりこの賞
を受賞する作品は、おしなべて面白いです。

『白く長い廊下』は、はじめは医療ミスと思われた患者の不審死は
じつは巧妙に仕掛けられた殺人ではないか、と疑問を抱いた麻酔医
が調べ進んでいく、といった作品で、作者は現役医師だけあって、
病院内部の人間関係、手術の描写などとてもリアルで、それでいて
専門用語の羅列で分かりにくいといったこともなく、いよいよ真相
を手にするまであと一歩という段階で、また目の前に立ちはだかる
疑惑が現れて、ドラマチックな展開が、ミステリー好きにはたまり
ませんね。

昨今、巷の話題を賑わしている、地方病院の閉鎖あるいは縮小とい
った問題は、大学病院や医学部の医局員が関連病院に派遣されると
いったシステムのなかで、臨床研修制度が義務化し、研修先を自由
に選べるようになった結果、研修医は都市部へ集中してしまい、い
っぽう地方では医師数が減り、大学病院は関連病院への派遣を切り
上げてしまい、その結果、地方の病院は医者が足りなくなり、やむ
なく閉鎖あるいは縮小となってしまったのです。

作品の中で、医者はどの大学の出身かというのはさほど問題ではな
く、どの大学病院の医局に入るかによってその後が左右される、と
いうことが書いてあり、比較的入りやすい地方の大学を卒業してか
ら地元に帰って地元の大学病院の医局に入る、というシステムがあ
るらしいのですけど、もはや医局人事制度は崩壊しつつある現在の
地方医療問題をテーマにした医学ミステリーを書いてもらいたいも
のです。
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大石 直紀 『パレスチナから来た少女』

2009-03-29 | 日本人作家 あ
本作は、広い意味での推理小説というかミステリーで、まずタイトル
から、中東の混乱した中での悲劇的な一幕か、と想像するに難くない
のですが、ここに現実世界ではあまり絡んでいなさそうな日本と中東
の問題を上手に組み合わせていくのです。

ある日本人ジャーナリストが、難民キャンプ取材中に、ひとりの少女
を救い、日本に連れて帰り養女として育て、彼女は新しい家族のもと
心を開いていくのですが、難民キャンプでの忌まわしい記憶の断片や、
アイデンティティに悩み、義父であるジャーナリストに、自分が連れ
てこられた時の様子を聞き、じっさいにイスラエルに行く決心をします。

一方、イスラエル国内では、パレスチナの暫定自治をめぐって暗殺や
テロなどが横行。ある女性コマンド(兵士)が、日本へ行けと命令され
密入国します。日本では、イスラエル政府とパレスチナ側の秘密会談
が行われようとして、本国からの命令を待つ女性コマンドは、日本人
の男といっしょに住み、潜伏します。

イスラエル・パレスチナとその周辺のヨルダンやレバノン、エジプト
など中東での諸問題は、もはやこじれにこじれまくって、そのこじれ
の中で難民キャンプで助けられた少女と女性コマンドは翻弄されてい
くのです。
もう、これを読み終わったら、どっちが良くてどっちが悪いだの、国
や民族としての優劣だの、そこに生まれ住んでいる人たちにはほんと
うに申し訳ないですが、「どっちでもいいよ、とにかく殺し合いなん
かしてる時点でどちらも悪い」としか思えません。

文中では、中東戦争やパレスチナ問題の発端として、「シオニズム」
のかんたんな説明がありましたが、シオニズムとは、世界中に住み、
各地で迫害を受けていたユダヤ人が、ユダヤ人国家を建設しようと
する運動で、エルサレム市内にあるシオンの丘があって「シオンの地
に戻る」という意味です。
とうぜん、もともとそこに住んでいたアラブ系のパレスチナ人は、
追い出される格好となり、周りのアラブ諸国も黙って見ていること
もなく、中東戦争となるのですが、それ以前の、そもそもなぜユダヤ
人たちは祖国を負われて各地に飛び散ったのか、であるとか、かの
悪名高い「フサイン・マクマホン協定」のことであるとか、全部を
詳しく説明すると長くなってしまいますが、せめて断片的にでも、
そこらへんの説明もあればさらに物語に深く入り込めたのかなあ
と感じました。
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ジェフリー・アーチャー 『ロスノフスキ家の娘』

2009-03-27 | 海外作家 ア
この作品は、ロビタの一番好きな、人生の書といってもいい『ケインとアベル』の、
いわば続編。

『ケインとアベル』は、ポーランドで猟師の息子として育てられたヴワデクは、のち
に地方の城に住む男爵の息子であることが判明しますが、ロシアに攻め込まれて捕虜
となり収容所に連行されます。ヴワデクは収容所から脱走し、モスクワ、トルコ、イ
ギリスを経由し、アメリカに移民として渡ります。移民審査の時、男爵からもらった、
銀の腕輪に書かれていた男爵の名前であるアベル・ロスノフスキと名乗るのです。

ボストンの銀行家の長男として生まれたウィリアム・ケインは、裕福な暮らしながら、
甘やかされず、しっかり者に育ちます。やがて、ハーヴァードを卒業し、父親の銀行に
就職。

アベルは、ニューヨークで仕事に勉強に励み、一流ホテルのウェイターから給仕長に
出世します。その働きぶりが、ホテルチェーンを経営する男の目に止まりシカゴのホ
テルを任されることになります。
ホテルでのトラブルも乗り切り、なんとか軌道にのるかという時に、大恐慌が襲いか
かりますが、匿名の支援者が融資をしてくれるということになり、倒産をなんとか免
れます。
やがて、アベルの経営するホテルチェーンを、男爵という意味である「バロングループ」
と改名し、急成長を遂げます。
ウィリアムも、ニューヨークの銀行と合併し、大銀行の頭取となります。
アベルは、ウィリアムの銀行の株を買い、大株主となりやがてウィリアムを銀行から
追い出すという画策を企てます。双方、株の売り買いの攻防戦を繰り広げている最中、
アベルの娘と、ウィリアムの息子が出会い、恋に落ち、結婚するのです。
当然どちらの両親とも納得せず、娘と息子は西海岸へ渡ってしまいます。

ウィリアムは、アベルではなく、銀行内の抵抗勢力に遭い、頭取の座を奪われます。
それから時は過ぎ、娘と息子夫婦が、西海岸ではじめたブティックのニューヨーク
支店の開店セレモニーをのぞきに行ったアベルは、道の反対側で一人の老人と目が
合い、その老人は帽子をあげて挨拶します。その老人こそウィリアムで、ウィリアム
とアベルが会った最期となり、ウィリアムは亡くなります。
アベルのもとに銀行から連絡がはいり、大恐慌の際の匿名の融資者はじつはウィリア
ム・ケインであり、死ぬまで正体は伏せておくという条件だったことを知り、アベル
は感動と後悔するのです。

・・・とまあ、ここまでが『ケインとアベル』のあらすじなのですが、
『ロスノフスキ家の娘』は、アベルの娘フロレンティナが主役。
ケイン家の息子リチャードと結婚し、経営するブティックは成功し、
おたがいの父親の死後、フロレンティナはホテルの社長、リチャード
はかつて父が頭取をしていた銀行の新頭取に就任します。

やがてフロレンティナは、政界入りしますが、またここから波乱万丈。
ちなみに、またさらに続編というか、スピンオフ作品というか、
『大統領に知らせますか?』という、フロレンティナがアメリカ初の
女性大統領に就任し、その任期中におきたトラブルを描いた小説なので
すが、つまり『ロスノフスキ家の娘』では、フロレンティナは最終的に
大統領になります。

しかしまあ、ようやく2008年になって、あとちょっとで現実世界でも
女性大統領が誕生しかけたわけですから、先見の明というか、もし4年後
ヒラリーが大統領になったら、この作品の話題がどこかで出ることを祈り
ます。
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ジョン・グリシャム 『依頼人』

2009-03-25 | 海外作家 カ
アメリカの小説や映画で、小学生くらいの子どもが主人公の作品
というのは、けっこう多いですが、正直、ロビタ的にはどうにも
すっきりしないというか、アメリカで育つ子どもの思考や振る舞い
が、好きになれないのです。
例を挙げれば、スティーブン・キングの『スタンド・バイ・ミー』
や、映画『ホーム・アローン』など。

もちろんこれは個人的意見ですので、逆に大人顔負けの立ち回りに
喝采する、という意見も否定しません。

本作『依頼人』は、トレーラーハウスに住み、父親は度重なる暴力で
出て行き、母親は低賃金労働で一家を養うという家庭環境で育つ、11
歳の少年マークとその弟が、近くの野原でタバコを吸おうとします。
そこに、一台の車が止まり、男がホースを排気ガスに繋いで、自殺を
企てようとするのをマークは目撃し、車まで隠れるように近づいて、
ホースを外し、自殺を食い止めます。それが男に見つかり、マークは
車内に連れ込まれ、殴られたり、男の自殺するに至った身の上話など
を聞かされて、マークに、ある死体を隠している場所を教えると、男は
ピストルを口に突っ込んで自殺します。

その一部始終を見ていたマークの弟は、様子がおかしくなり、車から
逃れたマークは弟を連れて家まで帰ります。
この件を警察に言おうと電話しますが、問題に巻き込まれたくないの
と、タバコを吸っていた後ろめたさから、匿名で電話します。
その後、母親に顔の傷を尋ねられても、その後やってくる警察にも
車の中で男に殴られたことを隠します。

一方マークの弟は、容態が悪化し、緊急入院します。
自殺した男は、FBIが目をつけていたマフィアの顧問弁護士で、FBI
は現職中の上院議員を殺した犯人をこのマフィアと断定しつつも、
死体が見つからずにいることで逮捕起訴に踏み込めずにいます。
FBIは、弁護士が死の間際に、マークに死体の在処を告げたのでは
ないかと考えます。
マークは、警察やFBIの追及に恐れ、ある女性弁護士に、手持ちの
1ドルで弁護を依頼します。

マフィアから脅され、警察やFBIから尋問され、板挟みになるマーク
と、マークを助ける女性弁護士。
この女性弁護士レジーは、さまざまな問題を過去に抱えてそれを克服し、
家庭問題などで傷つく子どもの権利を守る活動をしているので、マーク
に同情し、行動をともにします。
しかしFBIと検事はなりふり構わず、捜査妨害だとしてマークを拘束しよ
うとしますが・・・

ストーリーとしては、アイデアは素晴らしいように思えるのですが、
この作品の書評として、連邦判事でシカゴ大学講師リチャード・ポズナー
は「子供レベルな作品で、どのキャラクターも11歳のマークと同じように
しゃべり、良い者も悪者も深みがない」と評していますが、そう、これこそ
ロビタがどうにもしっくりこない、子どもを主人公にした作品の特徴。

子どもが大人顔負けで立ち回るにはどうしても限界があって、話につじつま
を合わせようとすると、子どもが出来る限界、あるいは子どもの思考の限界
に大人が「譲歩」しなければならないというのが、この作品を読んでいて、
随所に垣間見られたなあ、という印象でござんした。
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宮部みゆき 『あかんべえ』

2009-03-23 | 日本人作家 ま
宮部みゆきの時代小説は、おもに江戸時代の深川近辺が舞台で、
登場人物は料理屋夫婦、女中、岡っ引きといった市井の人々。
彼らの人情話であったり、幽霊が出てくる怪談話であったりする
のですが、そもそも時代小説といっても、リアリティーを追求し
たければ史実や史料に基づいて書いたとしても、それらが事実や
真実であると断定はできないのであって、ましてや当たり前です
が、その時代に生きていて、いまも現存している人なんていません
ので、確実な証言も取れない。つまり舞台設定は読者にとって、想像の
範疇であるということ。
さらに、非科学的だと一蹴するつもりはありませんが、化学的に
実在するとは断言できない、幽霊が登場してくる。
これに作者のユーモアと筆力と想像力が結集すると、あら不思議、
ファンタジーになるのですね。

『あかんべえ』は、江戸市中で孤児だった少年が、料理人として
出世して、結婚しますが、なかなか子宝に恵まれず、ようやく娘
が授かると、料理人の師匠である旦那から独立して、料理屋をま
かされることになります。
ようやく引越しも済み、いろいろ下準備にかかろうとすると、娘
が生死をさまようような重い病気に罹ってしまい、その時に娘は、
夢の中で川岸にたたずみ、川岸にいたお爺さんと会話します。
目が覚めると、お坊さんが娘の体を指圧してくれています。その
お坊さんは「これでお前の病気は治る」といって、すっと消える
のです。
じじつ娘の容態は良くなり、しかし、娘はこの新しい料理屋に、
なにも喋らず娘と目が合うと「あかんべえ」をしてくる女の子や、
二枚目のお侍さん、遊女などといった、さまざまな幽霊がいること
が分かります。この幽霊は、娘の両親も、娘がおばちゃんと慕って
いる女中にも見ることはできません。

幽霊がこの料理屋に居座っている理由とは・・・、なぜ成仏できて
いないのか・・・、女の子の「あかんべえ」の意味とは・・・

見事といえる伏線で、これらすべて解明されていくのですが、ほんと
うにおもしろい。話に無理もなければ無駄もない。
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伊集院静 『受け月』

2009-03-20 | 日本人作家 あ
表題作品『受け月』のほか、すべて、なにかしら野球にかかわりの
ある人たちを描いた短編集。

表題『受け月』は、高校野球の盛んな地方にある強豪校で、かつて
スターで甲子園を沸かせた男が、社会人野球を辞めて、母校の野球部
監督に就任します。
地元では飲み屋での大人たちの会話では野球部の話題でもちきりで、
負けた日にはおいそれと監督は飲み屋に足をむけられないほど。
監督が就任してから、成績はふるわず甲子園に出場できず、名選手
は名監督にあらずなどと陰口を叩かれ、しまいには、野球の才能が
ある息子は、他県の強豪校に進学してしまい、それがさらに地元の
野球ファンたちの怒りを買います。
今後の身のふり方、家族とのぎくしゃくとした関係など、さまざま
な悩みにぶつかっていくのですが・・・

ロビタの住んでる千葉県では、高校野球に熱を上げている地域とい
えば、東端の銚子市。今でこそ過激な応援は無いと思うのですが、
ひと昔は、ライバル習志野高校に負けた日には怖くて銚子に帰れず、
夜遅い電車でひっそりと帰るといったこともあったそうです。

それにつけても、アメリカ発祥のスポーツが、なぜこんなにも日本人
に浸透したのか。「犠牲バント」「犠牲フライ」といった、他のスポ
ーツにはあまり見られない自己犠牲の精神が引き付けるのでしょうか。

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瀬名秀明 『ブレインヴァレー』

2009-03-18 | 日本人作家 さ
最近、やたら露出の多い脳科学の研究者。もっとも、宇宙と同じ
くらいのミステリアスな領域なので、結局のところ「ここまでは
わかってるんですけどね」というふうに、人間が理解できる限界
を論ずるわけで、それ以上は倫理的にも技術的にも踏み込めない
からこそミステリアスだったりするわけです。

『ブレインヴァレー』というタイトルは、日本にある村に建てられた
脳科学、生理学研究施設「ブレインテック」があり、アメリカのシリ
コンヴァレーになぞらえて、そう呼ばれるようになった、というもの。

で、なにをする施設かというと、表向きは脳科学の研究なのですが、
所長の北川は、「新たな神を創る」という野望というか信念を持って
いるのです。
神とは、人間の幻覚で、それが気持ちよかったり、ポジティブなこと
だったりしたことを超自然的に「神」と形容し崇めはじめた、という
のですが、つまり、ある物質が人間の脳内のある部分で多くなれば、
幻覚が見やすくなるというもので、それじゃあその物質を人工的に
増やすようにして、「優れた脳」を作れば、さらに「優れた神」を
創造できるのではないか・・・
まあ、いわばマッドサイエンティストに近い発想です。だって、人体
実験も厭わないわけですから。

この施設、ものすごい辺境の村にあるのですが、この村には、代々、
神秘的な能力を持つ巫女のような女性がいて、その女性を詳しく調べ
ていけば、高レベルな脳を創り出せると目論む所長一派。

ダン・ブラウンの『天使と悪魔』という作品も、宗教と科学をテーマ
にしていましたが、人智を超えた「存在」や「意識」を解明しようと
したり研究したりするのは結構なことですが、じゃあそれですべてが
解明できたとして、平和がもたらされるのかといえば、それはない。

とにかく、専門用語のオンパレード。読んでいて、なんとか理解しよう
と努力しましたが、途中で断念。なんとなく読み進んでしまいました。
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 『サークルオブマジック・邪悪の彫像/王様の劇場』

2009-03-15 | 海外作家 サ
だいぶ前に第一作『魔法の学校』を読んで、それから時間が空いて
しまったのですが、こういった冒険ファンタジー小説となると、どう
しても同国イギリスの「指輪物語」「ナルニア国ものがたり」、あと
「ハリー・ポッター」と比べてしまうのは抗えないものです。
しかし、第2作目の『邪悪の彫像/王様の劇場』を読むと、まあ似て
非なるというか、独自性が盛り込まれた作品となっております。

主人公のランドルは、魔法使いになるための修行として旅を続け、
その途中、かつて魔法学校時代に世話になった年上のニックと再会
します。ニックは優秀な魔法使いになれる素質はあったのですが、
自分から断念し、木工職人になります。
いっしょに旅を続ける仲間であるリースと、ニックの住む村に泊ま
ろうとしますが、ランドルの宿の部屋に、ある魔法使いがベッドに
横たわっています。
その魔法使いは、ランドルに、袋に入ったある物を差し出し、これ
をデイゴンという名の男に渡してほしいと伝えると、死んでしまい
ます。
その袋の中身は、象牙のような素材でできた老婆の彫像でした。
しかし、その彫像は、不思議な強い魔力を持っているのです。
デイゴンを見つけ、彫像を渡そうとすると、兵士に襲われます。
はたして彫像の正体とは・・・ 
今度は、ランドルとリースにニック、デイゴンと4人で旅をするの
ですが、目的地の街で一体何が・・・

で、話は変わって、リースの故郷へ向かいます。そこの宮殿でまた
いろいろな出来事に巻き込まれるわけですが、あいつがあいつに魔法
で変身して、本物だと思ったら偽者で・・・、とごちゃごちゃになり
ます。このごちゃごちゃ具合が、登場人物も混乱しますが、読むほう
も混乱して、面白い。

さて、第3作でこのシリーズはいちおう完結となるのですが、さらに
続編の第4作もあるそうなので、まあそんなに急がずに、また時間を
おいて読みます。
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ジョー・R・ランズデール  『ボトムズ』

2009-03-12 | 海外作家 ラ・ワ
この作品はアメリカ探偵作家クラブの賞を受賞したというのですが、
過去に同賞を受賞した某作品を読んでガッカリした記憶が残っていて、
まあそんなに期待せずに読みはじめたのですが、これがまた面白く、
あっという間に読み終えてしまいました。

話は、1930年代、大恐慌の余波もいまだ冷める兆しも見えない、
アメリカテキサス州東部の小さな村で、地元治安官の息子と娘ふたり
が家近くの森の中で、鉄線で縛り上げられて体じゅうを刺されていた
女性死体を発見。そのとき子どもたちは、この森に住むと言い伝えの
ある、頭に角が生えた、半身山羊で半身人間の「ゴートマン」らしき
ものを見ます。
被害者は黒人女性で(のちに白人と黒人の混血であることが判明する)
アメリカ南部ではいまだに黒人差別意識が高く、村の医者は被害者の
死因を調べることを拒否、仕方なく治安官は黒人しか住んでいない、
隣の村まで出向き、そこの医者に調べてもらうことにします。
死因は判明しても犯人像は憶測しか見えてこず、そうこうしている間
にも、同じような手口で殺された女性が発見されます。
その女性の財布を持っていたということで、治安官は、川岸近くに住む
老黒人の身柄を拘束します。その老黒人は治安官にとって釣りの先生で
あり、心優しく他人のものを盗むような性格ではいのですが、たまたま
川で財布を拾っただけだという言い分を心の半分では信じ、逮捕はせず
に、知り合いの家でかくまってもらうことにします。
この治安官は、黒人蔑視の意識は薄く、また子どもたちにもそう教育し
ます。しかし、この一件が村の白人達の知ることとなり、老黒人は襲わ
れて殺されてしまいます。
その後、村では女性殺害は無くなり、老黒人の仕業であったと村人は思
い、一方、心を痛めた保安官は無気力になってしまい、副業の散髪業も
畑作業もせず、やがて酒に溺れてしまいます。
そんな中、またしても女性の死体が発見されます。その女性は、村に住む
美人の未亡人で、保安官の息子もひそかに憧れを抱きつつ、村の男たちも
好意を寄せていた女性であったのです。
この一連の猟奇殺人の犯人は、子どもたちの見た、森に住む「ゴートマン」
なのか、それとも村の誰かなのか・・・

全体の流れとして、治安官の息子ハリーが過去の記憶を思い起こすように
一人称形式で話は進んでいきます。
家族や愛犬との触れ合い、村の住人、黒人差別が公然とされていた当時の
世相、それから当時のテキサスでは、まだ各家庭に電気が通ってたわけで
はなく、自動車も少なく道路事情も悪く、これらがじつに分かり易く頭の
中に情景が浮かび、とてもていねいな描写をしているなあという印象でした。
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加賀 乙彦 『宣告』

2009-03-10 | 日本人作家 か
今年のセンター試験の国語現代文で、加賀乙彦の短編『雨の庭』が
問題として引用されていました。
名前だけは聞いたことはあったのですが、読む機会はなく、しかし
その短編がおもしろかったので、ちょっと興味がわいて、作家・加賀
乙彦なる人物、代表作をネットで調べてみると、作家になる前に医師
で、フランスで医師として勤務後帰国してから日本で研究室助教授の
かたわら、作家となり、なんだか森鴎外の経歴にちょっと似てるかな
(東京帝国大医学部→ドイツ留学→軍医→作家)と思い、さらに海外
での経験をもとにしたデビュー作「フランドルの冬」は、鴎外の「舞姫」
を彷彿させます。

作品は、死刑囚楠木他家雄(タケオと読む)の、死刑囚確定に至る経緯、
通称「ゼロ番区」と呼ばれる房に収容されている楠木とその他の死刑囚の
犯した罪、いつ死刑宣告されるか分からずにただ生きながらえているとい
う状態にあり、精神的に追い詰められて心が崩壊する者もいます。
自傷行為、心が幼児化、殺人は貴き革命的行為だと正当化、日がなお経を
唱える、食餌を拒否、等々。
刑務所勤務の医官で精神医の近木は、そんな彼らを観察する中で、彼ら
の精神異常の根源は、死刑の実行をただ待つのみで、その不安と恐怖に
苛まれて極限状態に陥るのではないかと診断するのです。
しかし、診断して精神状態を通常に戻したからといって、彼らはいずれ
死刑台に登ることを免れることはありません。

死刑という国家による殺人というものに疑問を投げかける作品です。
が、しかし、死刑反対論者の意見は尊重しますが、では、なぜ死刑がある
のかというと殺人があるからであり、はじめに死刑ありきではなく、まず
大前提として死刑になるのは人を殺めるという行為をはたらいたからであ
り、ある日突然、理不尽な暴力によって、人生も人権も奪われてしまうと
いう大罪に、死をもって償うべきというのはただの感情論と一蹴するのは
人間の「尊厳」を軽視することではないのか、と。

ただ、加害者家族ははじめのうちこそ死んでお詫びしろと、家族に犯罪者
がいることを恥じ、そう育てたことに後悔し、後ろめたい生活を余儀なく
されるのですが、楠木と母親との関係を描いている部分は、胸に詰まるも
のがあります。
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