晴乗雨読な休日

休日の趣味レベルで晴れの日は自転車に乗ってお出かけ。雨の日は家で読書。

アーサー・ヘイリー 『ストロング・メディスン』

2010-05-27 | 海外作家 ハ
『ストロング・メディスン』は、アメリカの製薬業界の話で、
新薬の開発、医療現場、製薬会社の企業理念といった、ちょっと
「小難しい」話になるところを、巧みな構成と時折り入るユーモア
でとても読みやすく、娯楽小説おしても、また経済小説としても
楽しめました。

アメリカの製薬会社、フェルディング・ロスの女性プロパー(外交員)
、シーリアは、セント・ビーンズ病院で瀕死の重病患者に、開発中で
認可が下りる前の新薬「ロトロマイシン」を提供すると医師のアンドルー・
ジョーダンに提案、アンドルーはその新薬を患者に投与、そして患者は
明くる日、快復するのです。
このニュースに病院は大騒ぎ、アンドルーは一躍ヒーローに。もともと
製薬会社のプロパーを鬱陶しがってたアンドルーもシーリアに感謝します。
しかしシーリアはそんなアンドルーの気持ちもよく分かるといい、さらに
プロポーズ。ふたりは結婚します。

1950年代のアメリカは、製薬会社のみならず女性の社会進出の黎明期で、
シーリアも女性初のプロパーとして入社し、偏見にとらわれない男性の上司
と仲良くし、さまざまな壁にぶつかるも持ち前の才知と努力と直観でどんどん
頭角を表してゆきます。

シーリアを理解する数少ない男性上司であるサムは順調に出世の階段を上がり、
サムはシーリアにいずれ「それなりの地位」を約束、大衆薬に販売部門や、
中南米販売部門にまわされるも、シーリアはそれぞれの部で輝かしい実績を
上げます。

一方、家庭でのシーリアは夫アンドルーとのあいだに二人の子どもをもうけ、
時に波風も立ちますが、幸せな生活を送ります。
順調に出世してゆくシーリアですが、妊娠中の女性の「つわり」を軽減する
モンテインというフランスの会社が開発した新薬をフェルディング・ロスが
販売契約をとることに、取締役会でシーリアが唯一反対を唱えます。

それは、数が少ないながらも、この新薬が新生児に悪影響を及ぼすという報告
が入っていて、しかしフェルディング・ロス製薬の社長であるサムも、開発部長
のロードも、販売開始に踏み切ります。

やむを得ず、辞表を提出するシーリア。夫のアンドルーとともに世界一周旅行を
計画し、最後の目的地ハワイに着くと、会社から電話が・・・

物語は1950年代から80年代までの主にアメリカが舞台となり、公民権運動、
ウーマンリブ、ケネディ大統領暗殺、ベトナム戦争という激動の時代に、ひとりの
女性が一介の販売員から大手製薬会社の社長に登りつめるといった話がメインと
なっているのですが、たんなるサクセスストーリーではない幅の広さがあります。

翻訳が永井淳さんだったからなのか、読んでいて、ジェフリー・アーチャーお得意
の「サーガ」という長編小説(ひとりあるいは複数の主人公の生涯を描くもの)が
想起されました。やはり読みやすいというか、微妙な言葉のチョイスが上手なんで
しょうね。それと、日本語に敢えて訳さない、英語のユーモア(韻を踏むような)を
残すあたり、これが翻訳モノを読む楽しみでもあります。

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宮本輝 『ここに地終わり海始まる』

2010-05-23 | 日本人作家 ま
昔のヨーロッパ人は、大陸の西端、ポルトガルやイギリスよりも西、
つまり大西洋の「向こう側」は、滝のように海が流れ落ちると想像
していたそうです。つまり、地球は球体ではなく、半円状で、その
平面の上に陸地があったと考えていたのです。

古代エジプトでは地球は球体であることを分かっていたのに、それより
ももう少し時代が進んで、地学が退化したというのは、宗教観が絡んで
くるのでしょうか。フランスのモン・サン・ミシェルという修道院は、
湾上に浮かぶ島の上に建てられていて、なぜそんな(辺鄙)な場所に教会
を建てたのかというと、海の向こう側は人生の終焉、神の審判を意味し、
つまり現世と来世の境界線で、大天使ミカエル(フランス語読みでミシェル)
はその門番というか守護者である、と。

ヨーロッパの西端、ポルトガルのロカ岬に『ここに地終わり海始まる』という
碑文があり、ここから、日本で6歳から24歳まで18年という長い時間、
結核治療のため療養所で過ごして来た女性に絵はがきが届くのです。

その絵はがきは、文は短いながらも簡潔に「あなたが好きだ」という意味が
こめられていて、しかしこの患者、志穂子には身に覚えがありません。
というのも、送り主は、有名なミュージシャンだったのです。

人気コーラスグループに在籍していた梶井克也は、芸能界の汚濁に疲れ果て、
メンバーの女性と逃避行。しかし旅先で揉めて別れてしまい、女性は旅先で
知り合った宝石商と結婚、梶井はポルトガルに辿り着き、以前チャリティー
で訪れた長野の療養所で見かけた美しい女性――のちに職員に名前を訊いて
いた――に手紙を出します。

結核が完治する見込みは薄い志穂子のもとにこの手紙が届き、不思議と彼女
の心の中になにかが芽ばえ、そして病状はみるみる回復してゆき、とうとう
退院できるまでになったのです。
単純に恋心なのかというとそうでもなく、手紙にあった「ここに地終わり海
始まる」という一文に心惹かれたのです。
しかし、なぜ梶井が自分なんかに手紙をくれたのか、退院してから志穂子は
梶井の所属する事務所へ一人で出かけることに。
そこで、梶井は勝手にメンバーを脱退し仕事を放棄して逃げたと聞きます。

事務所の社長が来るまで、ビルの喫茶店で待っている時に、ウェイトレスを
している、のちに志穂子の親友となるダテコと知り合います。
ダテコは梶井を知る人物から、彼の居場所を聞き出します。尾辻という男が
志穂子の手紙の件を梶井に訊くと、どうやら人違いで出してしまったらしく・・・

志穂子にとっては、それまで一生療養所暮らしだと思っていたところに舞い
込んできた手紙に、まさに生きる喜びをもらいます。
家族に支えられ、徐々に社会に適合していこうとする志穂子。新しく出会った
ダテコや尾辻といった人たちとの友情、そして梶井。

志穂子に関わる登場人物それぞれが、なにがしかの過去を背負い、しかし未来に
向かって前向きに生きていこうとしています。
人生の大事な時期、6歳から24歳までをベッドで過ごした志穂子にたいして、
からかいや蔑視などといったことは誰一人言いません。自分は世間知らずだと
考える志穂子に、周りは、それは違う、病院というところは社会の人生の縮図
だから、あなたは誰よりも世間を知っているはずだと諭します。

志穂子の周りの人物はおしなべて「いいひと」(一部、事務所の社長などダメ
なやつもいる)であって、これが、やたらリアルを追求する現代小説だと「現実
離れ」な感があるのですが、なにも、安直に世間の現実、人間の汚らしい部分を
フィーチャーしたものが正解かというとそうではなく、たとえ登場人物がみんな
「いいひと」であっても、筆の力でそれを不自然に思わせない、それが小説を読む
醍醐味なのだ、というしごく当たり前な事を再確認させていただきました。

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馳星周 『漂流街』

2010-05-20 | 日本人作家 は
これまで読んだ馳星周作品で、『漂流街』は4作目となるのですが、
「不夜城」、「鎮魂歌~不夜城<2>~」、「夜光虫」いずれも、人間の
奥深くから抉り出したグロテスクをこれでもかと描いて、まあそれは
それはえげつないものなのですが、『漂流街』は、前に読んだ作品を
凌ぐ、メチャメチャのドロドロのグッチョングッチョン。

毎回、読み終わるたびに、見たくないものを見てしまった、知らない
ままでいたかった、と軽い後悔に包まれるのですが、それでも本屋に
行って、未読の作品があると、つい買ってしまうんですね。

ブラジル移民3世のマーリオ。祖父は鹿児島から移住、マーリオと
今は亡き弟にとって祖父は恐怖の存在で、事あるごとに暴力をふるい
ます。
兄弟の母は自殺、父も弟も死に、マーリオは従姉妹をたよりに日本へ
渡ります。しかし、日本語をまともに話せないブラジル人は、ただの
「ガイジン」扱いで、まともな仕事にありつけず、失意のままブラジル
へ戻る仲間も多く、それでも日本に残る日系たちは、たくましく地べた
を這いずるようにして生きています。

マーリオは、デリバリー風俗の送迎係と、客とトラブルになった場合の
用心棒役という仕事。事務所の店長はギャンブル狂で借金まみれ、ヤクザ
からの取立てに怯えます。
マーリオも日系の仲間であるリカルドから金を借りていて、50万円を
返さなくてはならず、風俗嬢の美沙の貯金を借りようとするも断られ、
逆上したマーリオは美沙を殺してしまいます。

死体を始末しなければならず、中国系のマフィアに頼むことに。しかし
それにも金がかかり、にっちもさっちもいかなくなります。
そこで、マーリオを気にかけてくれているケイという風俗嬢の上客で、
関西のヤクザが、近々、大金が動く取引をするらしいという情報をつかみ、
しかもその取引相手が、マーリオが死体を始末するのに頼った中国マフィア。

なんとか中国マフィアの懐に入り込むことに成功するマーリオ。関西ヤクザ
との麻薬取引の金と麻薬両方をなんとかしてぶん取ろうと画策します。

ケイと風俗事務所の店長、そしてケイを知る銃の売人の山田と4人でこの
無謀な計画は進行して・・・

店長の兄は服役中で、ヤクザの組に世話になっていて、ケイはその服役
している男の妻。その組にいる伏見という男にマーリオはなぜか目をつ
けられてしまいます。

マーリオの母の自殺は、じつは祖父が母を陵辱して、弟の死も、マーリオ
がついカッとなり殺してしまった、というもの。マーリオは祖父の汚れた血
を自覚するように、衝動を抑えきれず、同じ南米出身のペルー人を見下して、
彼らの店を襲撃したり、アトランタオリンピックのサッカーでブラジルが日本
に負け、どうしようもない怒りが湧き、喜びに浮かれる日本人たちを襲ったり、
つまり、自分のせいで次々にトラブルを背負い込み、逆ギレして、また新たな
トラブルに見舞われ・・・という状態。

コロンビア人の風俗嬢と、その家に住む盲目の少女とのつかの間の平穏な時間
は、この物語中にある唯一といっていい清涼剤的な役割。
しかし、このふたりも伏見に捕まってしまい・・・

「不夜城」を読んだとき、怖くて歌舞伎町には行けないと思ってしまったのですが、
『漂流街』は、なんというか、東京という町そのものが怖くなってしまいました。
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アーサー・ヘイリー 『ホテル』

2010-05-18 | 海外作家 ハ
翻訳家で、去年2009年に亡くなった永井淳さんといえば、ジェフ
リー・アーチャーの作品の翻訳が有名で、個人的な話ですが、「ケインと
アベル」を10代のときに読んで、はじめて翻訳者というのは素晴らしい
ということを意識させていただいた、いわば「恩人」のような方なのですが、
その永井淳さんが翻訳した海外の作品では、他にスティーヴン・キングや
アーサー・ヘイリーなどが挙げられ、娯楽小説の翻訳に徹しました。

そのアーサー・ヘイリーの作品は未読。出世作の『ホテル』は永井さんの翻訳
ではないのですが、ついでに永井さんの手がけた「ストロング・メディスン」も
買ったので、それは後日読むことに。

時代は1960年代でしょうか、アメリカの南部、ニューオーリンズにある
ホテル、セント・グレゴリーは、全米じゅうのホテルが大手チェーン化されつつ
ある中、いまだにオーナーのウォーレン・トレント所有の個人ホテルとして
なんとか営業しています。

しかし、その経営はずさんの一言、やる気のない従業員、レストランの料理はまずく、
エアコンやエレベーターもあちこちガタがきていて、深刻な赤字状態。
そんな中、ある大手ホテル・チェーンをトラブルで解雇され、ブラックリストに
載っている、セント・グレゴリー副総支配人のピーターは、なんとか立て直そうと
します。

数日後には抵当の期限が切れて、銀行からの融資も得られずといった状態のなか、
ある大手ホテルチェーンの経営者がセント・グレゴリーに宿泊するというニュース
がホテル内の従業員じゅうの噂となって・・・

ピーターにとっては、過去の汚点のために、セント・グレゴリーがチェーンホテル
となってしまったら、辞めさせられるのではと危機感を募らせます。
そんなことはお構いなしに、ホテル内ではさまざまなトラブルが起こり、ピーター
はトレントの秘書であるクリスティンとともに奔走します。

大手ホテルチェーン総帥のオキーフェとトレントの買収に関する折衝、宿泊中の
イギリス貴族夫妻が起こしたあるトラブル、エアコンの壊れた部屋で死にそうに
なる謎の老人客、若者のパーティーで襲われかけた女性客、このホテルに目をかけ
た客室荒らし(泥棒)と、なんともバラエティ豊かな登場人物や出来事。
さらに、この時代の社会的な問題である人種差別も盛り込まれ、娯楽であり社会派
でもあり、といった幅の広さを感じます。

なんというか、終盤にこのホテルで大事故が起きてしまうのですが、最終的に話が
うまくまとまって大団円とまではいかなくとも、変な「含み」を持って終わらす、
といったことはありません。「まあそれが小説だよ」という安直なフィクションでは
なく、構成がしっかりしているなあ、と。

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垣根涼介 『ワイルド・ソウル』

2010-05-16 | 日本人作家 か
2006年、東京地裁で画期的な判決が出ました。それは、1956年から59年
にかけて、当時、戦後の引き揚げ者で国内人口が急増したことで、政府が
行った「人減らし政策」、いわば棄民政策で、夢のような謳い文句で国民を
中南米へ移住させたことについてです。
しかし、その計画のずさんさはあまりに酷く、ろくすっぽ現地調査も行わず、
「肥沃な大地を無償譲り渡し」とは真っ赤な嘘で、塩の浮き出た荒れた土地
であったり、あるいは未開のジャングルだったのです。
この棄民政策のひとつで、ドミニカ移住があり、前述のとおり、政府の詐欺
行為にあった移住者たちは、ハイチとの国境沿いに入植させられ、まさにそれは
「人間の盾」としての移住でした。

そして、2004年、当時の総理大臣小泉純一郎は、政府の不手際を認め、
2006年、当時の政府の棄民政策は違法とした判決が出て、和解案として、
移住者ひとり当たり最高200万円の「見舞い金」を支払い、現職首相が正式
にドミニカ移住者にたいして「謝罪」することで解決。
しかし、その悪の根源である外務省は、いまだ謝罪をしていません。

『ワイルド・ソウル』は、そんな「棄民政策」に騙されブラジルに渡った日本人
移住者たちが政府に「復讐」をするといった話なのですが、まずプロローグ、
そして物語のはじめに、当時の移住者たちの過酷な状況が描かれます。
譲り渡された土地は、アマゾンの奥地の未開のジャングル。日本人たちはそれ
でも懸命に開墾にいそしみますが、なかには栄養失調死ぬ人もいて、そして
耐え切れずに逃げ出す人も。
衛藤という男も、妻と弟が死に、もう限界とみて、アマゾンから逃げ出すことに。
そして、日本領事館に苦情を訴えようとしますが、けんもほろろの状態。
衛藤は、金鉱で働きはじめるも、強盗に遭い、命からがらふもとの街まで出て、
そこで未来の妻となるブラジル人女性と出会います。
その後、衛藤はサンパウロへ渡り、野菜の市場の仲買として頭角をあらわし、
成功を収めます。

しかし、衛藤には心残りがあったのです。それは、アマゾンの奥地から出るとき
に、いつか必ず戻ってくると約束した他の一家がどうなっているのか。
アマゾンへ船で向かう衛藤。そして、かつて住んでいた場所へ着きますが、そこ
には人はだれもいません。しかし、少年の姿が見え、話しかけると、片言の日本語
は解するらしく、その少年はともに移住してきた野口さんの息子だったのです・・・

ここから話は日本が舞台となり、野口啓一、通称“ケイ”は、同じくブラジル帰り
の山本、そして、ケイが少年時代にジャングルでともに遊び、それから流れ流れて
コロンビアマフィアと関わりを持つことになる松尾、この3人である「計画」の遂行を
企てるのですが・・・

もう、読み始めてから物語にぐいぐいと引き込まれ、スケール感に圧倒されっぱなし。
読み終わってからしばらく、興奮冷めやらぬといった状態でした。
こんなに心震えた日本のアクション&ミステリー作品は、服部真澄の初期作品か、
真保裕一「ホワイトアウト」を読んで以来なのではないでしょうか。

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宮本輝 『海辺の扉』

2010-05-13 | 日本人作家 ま
個人的に起こった宮本輝マイブーム、これで4冊目の読了となったわけ
でありますが、ここまで読んでみて、たんなるストーリーテラーではなく、
登場人物の描写、機微の巧みさに魅了され、あるテーマを軸に物語が進行
してゆく合間に、警鐘というか、とても「ためになる言葉」がグサッ、グサッ
と心に突き刺さります。

ギリシャに住む日本人、宇野満典。彼は数年前、2歳の息子が食事中にレタス
を食べるのを嫌がり、つい手が出てしまい、それが当たり所が悪く、息子は夭折。
裁判では過失致死となるも、妻は夫を責め、離婚を切り出されます。
その後、逃げるように日本を飛び出し、シンガポールで出会ったギリシャ人女性
エフィーと恋仲になり、満典はエフィーとともにギリシャへ、そしてふたりは
結婚。

エフィーは日本語の勉強をしており、いつか日本で働きたいという夢があり、
今はアテネで日本人観光客のガイドの仕事。満典は、妻に日本企業から依頼さ
れた書類のギリシャ語翻訳の仕事を嘘をつき、じっさいは下っ端の「運び屋」
で日銭を稼いでいるのです。

そんなある日、いつものように「ブツ」の受け渡しのため、美術館に行く満典、
近寄ってきた男と合言葉を交わし、手渡します。しばらくしていると、馬に乗った
少年の像が目に入ります。その少年が、わずか2歳の生涯だった息子に見えた
のです・・・

このまま逃げてばかりの人生をやり直すために、妻エフィーとともに日本へ
帰ろうと満典は決意、運び屋からも足を洗おうとしますが、最後に大仕事を
まかされます。しかし、その大掛かりな運びの仕事は、途中、謎のドイツ人に
妨げられそうになったり、さらにそのドイツ人に大金を渡されたり、そして
これまた謎のアラブ人に脅されたり・・・

ん、これはアクション物語に発展していくのか?と思いきや、これは物語に
おける満典の、人生をやり直すにあたっての試練というか苦しみで、満典は
さまざまなことを考えそして悩みます。

そして、なんだかんだでエフィーを残し、ひとり日本へ戻る満典。
心配していた母、元妻の琴美、そしてかつてお世話になった元職場の上司
などに会い、それまで逃げっぱなしだった人生のリスタートをきろうとします。

人は歩んできた人生の長さだけ過去があり、そしてその過去の中には、いまだ
癒えぬ傷もあったりしますが、すべて清算することが正しいわけではありません。

前を向いて生きることだけが強さではなく、後ろを振り返ることもまた勇気なのだ、
ということを教わった気がします。

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ベルナール・ウエルベル 『蟻(アリ)』

2010-05-10 | 海外作家 ア
はじめは、昆虫生物学かなにかの本かと思い、裏表紙を見てみると、
読者からの好評価の反響、さらに各紙誌絶賛の書評もあり、ああ、
これは小説なんだと分かり、読んでみることに。
タイトルどおり、主人公は「アリ」なのですが、著者は幼少の頃から
アリに魅了されていたそうで、その生態の描写は多少のフィクションも
織り交ぜてはいるものの、リアリティある迫力で、読むものをミクロの
世界に誘い、飽きさせません。

フランスのパリで鍵の会社をクビにされたてのジョナサンと妻のルシー、
息子のニコラは、亡くなった伯父エドモンの遺産が手に入り、古いアパ
ートに引っ越すことに。
しかしジョナサンはエドモンのことをあまり憶えておらず、祖母に聞く
と、子供のころからそれは変わり者だったとのこと。
そして、祖母はエドモンからジョナサン宛ての手紙を手渡します。
そこには「何があっても絶対に、地下室には行ってはならない!」
という、たった一行の文章があったのです。

引っ越したアパートには確かに地下室に行く扉があり、伯父のメッセージ
どおり、ジョナサンは自分も家族も誰も地下室に行けないように、封鎖
します。
しかし、飼い犬がある日行方不明になり、封鎖した地下室の扉が少し開いて
いて、犬は地下室に行ってしまったということで、ジョナサンは地下室に下
りてみることに。すると、階段の途中、血まみれになって死んでいる犬が・・・

一方、パリ郊外のフォンテーヌブローの森にある、赤アリの都市“ベル・オ・
カン”での話が、人間界の話と交互に描かれていきます。
ベル・オ・カンはこの地域の六十余ある都市連合最大の「巣」で、その近く
には赤アリの敵である小型アリの都市や、宿敵白アリもいて、さながら戦国
時代の様相。
ベル・オ・カンに住む327号(327番目に親アリから生まれた)は、遠征
の帰り、仲間たちが死んでいるのを発見、それは未知の兵器によるものと考え、
かつて「ケシの丘の戦い」で小型アリとの壮絶な戦争があって以来の、ふたたび
小型アリとの戦争が始まるかもしれないと、急いでベル・オ・カンに戻って報告
するのですが、兵隊アリたちや見張りアリたちは327号の言う事を信用せず、
327号は女王アリに直接報告することに・・・

一体、地下室には何があるのか。ジョナサンは地下室に下りてみることに。
はじめの調査から戻ってきたジョナサンは明らかに様子がおかしく、妻ルシー
は、地下へ下りるのをやめさせようとしますが、ジョナサンはふたたび地下へ。
そして、ジョナサンは戻ってこなくなり、ルシーも夫の安否を確認しに地下へ
行き、また戻ってきません。警察と消防隊もこの部屋の地下室に下りて、その後
上がってくることはありません。
孤児になってしまったニコラは孤児院に預けられてしまいます。

物語は、人間界の地下室にまつわる話、アリの世界の話、そしてジョナサンの
伯父のエドモン・ウエルズが生前書き残した「相対的かつ絶対的知識のエンサイ
クロペディア」の、アリの生態に関する説明、その他、地球の大自然の観察があ
いだあいだに書かれていて、読み進めていくうちに、だんだんと人間界とアリの
世界が混同してきます。

地球が誕生して、陸上に動物が進出して、さいしょの「社会組織」を形成した
のは、アリの祖先である生物で、かれらは弱く、捕食の対象でしかなかったの
ですが、他の昆虫とちがって、たとえばトンボのように羽を持たず、カマキリ
のように武器を持たず、ガのように擬態もせず、生き残る術として「集団で行動
しよう」ということになったのです。

社会組織すなわち「群れ」とは、そこに暮らす仲間たちが幸せに生きることが
基本目的ですが、中には利己的な目的で動くものが現れて、内部崩壊、はては
絶滅となってしまいます。
しかし、過去の間違いを教訓に「社会組織」はさらにより良い暮らしを手に入れ
ようと模索し、少しずつですが前進していると信じたいものです。

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綿矢りさ 『夢を与える』

2010-05-07 | 日本人作家 ら・わ
綿矢りさといえば、「インストール」という作品で、高校在学中に
当時最年少で文藝賞受賞、そして「蹴りたい背中」で、こちらも
最年少で芥川賞受賞と、華々しい文壇デビューとなったわけで
すが、『夢を与える』は、3作目となります。

母親の幹子は日本人、父親のトーマはフランスと日本のハーフ、
このふたりの間に生まれた夕子は、母の知り合いの紹介で、チャ
イルドモデルになります。そのうち、有名な食品会社のチーズの
CMに、夕子を子ども時代から大人になるまで、その成長ととも
に半永久的に出演し続けるという話がきて、夕子はCMに出演。

チーズのCMに出演している無名の子役は徐々に評判を呼び、
夕子のもとにくる仕事のオファーは増える一方、母親兼マネー
ジャーの幹子だけでは手が回らず、大手のプロダクションに
入ることに。

バラエティやドラマ、歌といったマルチな活躍の夕子、しかし
子育ての方針で母と父は対立、あげく父は日本語の勉強をしに
きたフランス人女性とマンションに住み、母と夕子は利便性を
考え都内のマンション住まいとなります。

やがて、夕子は高校に入学します。あらゆるプライベートな
事柄も夕子の一挙手一投足もワイドショーや週刊誌の話題に・・・

『夢を与える』という題は、作者が「違和感を覚えた言葉」「高飛車な
言葉」という印象を持ち、文中でもたびたび夕子の口から、あるいは
夕子の周りの大人たちの口から出ます。しかしその言葉は夕子の
本心ではなく、取り繕い的な、なんとなく聞こえの良いフレーズ
なのです。

確かに、プロ野球選手や俳優がこの言葉を口にすると、なんとなく
鼻持ちならないなこいつは。という気持ちになってしまいますね。

読み終わって感じたことは、「距離感」が絶妙というか、作者と登場
人物の距離感が、変に感情移入しておらず、かといって完全に他人事
でもなく、あと登場人物どうしの距離感もいい具合の均衡を保ってい
ます。

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宮本輝 『ドナウの旅人』

2010-05-04 | 日本人作家 ま
ヨーロッパの2大河川といえば、ライン川とドナウ川。ライン川は
スイスからはじまり、ドイツ・フランス国境を流れ、ルール工業地帯
を通り、オランダへ、そして北海に注いでいます。
こちらは東西冷戦時代でいう「西側」諸国を通過するので、ライン川
下りをやろうと思えば容易にできますが、一方ドナウ川はというと、まず
ドイツ南部「黒い森」が水源とされ、そこからオーストリアの首都、音楽の
都ウィーンへ。そこからは「東側」、つまり社会主義国家圏内へと向かう
のです。
ハンガリーの首都ブダペスト、ユーゴスラビア(旧)のベオグラードを
通り、ルーマニアとブルガリアの国境沿いを流れ、やがて黒海に注いで
いるのです。

ライン川はゲルマン民族が「父なるライン」と呼んだのに大して、ドナウ
は母なる川。
人間という、自然にとってはあまりに小さくあまりに無力な「こどもたち」
を暖かく優しく、時に厳しく見守ります。
ときに「こどもたち」は、つまらない意地や見栄の張り合いでいさかいを
起こすのですが、それでも母は見守り続けるのです。

ドイツで5年間働き帰国、日本に住む麻沙子のもとに、ドイツから母の手紙が
届きます。父宛てには、ちょっとフランクフルトへ旅行とだけ書いてあったの
ですが、娘には、17歳も年下の男とドナウ川下りを楽しんでくるという衝撃
の内容。
麻沙子の父は厳格で、母は20歳ほど若く見え、それが時に娘の目にも危なっか
しく映り、父の退職を機に別々の道を歩むことになるんだと思っていた矢先の
母の狂乱ともいえる行動に麻沙子は怒りを覚え、母を連れ戻しにドイツへ向かい
ます。

まず、フランクフルトでかつての上司の八木夫妻に久しぶりに会います。八木の
妻は、麻沙子のドイツ在住時代の恋人シギイの話を振ってきます。
ふたりは2年ほど交際したのですが、将来が見えず、別れてしまったのです。
とりあえず母の行き先に見当をつけ、ドナウ沿いの街にあるホテルに片っ端から
連絡を取って探します。
数日後に日本人ふたりが予約を入れているというホテルを見つけ、麻沙子は向かお
うとしますが、母の連れの男に会いたくなく、元恋人シギイの親友ペーターと供に
行ってもらうことに。

しかし、ペーターの運転する車は行き先とは違い、ニュルンベルクへ。ペーター
は麻沙子に、シギイと再会させるつもりだったのです。
そして、ふたりは恋の炎を再燃させます。

母と男の泊まるホテルに着いた麻沙子とシギイ。母と会い、恥知らずな親と詰り
ます。しかし母の父に対する嫌悪や、旅の決意を聞いて、説得を諦め、シギイに
男の方を説得してもらうようにします。
しかし、この長瀬という男は、日本で事業に失敗し、とんでもない負債を抱え、
死地に赴くつもりで今回の旅に来たのです・・・

ここから、なんだかんだで、麻沙子とシギイ、麻沙子の母絹子とその恋人長瀬
という奇妙な4人でドナウ川下りの旅がはじまるのです。
ウィーンで出会う日本人留学生たちやタクシーの運転手、そしてハンガリー、
ユーゴスラビア、ルーマニアで出会う人たち、さらにペーターや、長瀬を追う謎
の日本人と、さまざまな人たちがさまざまなかたちでこの4人に関わります。

旧共産圏である東ヨーロッパへ入る一行。入国審査などで嫌な思いもしたり
しますが、そこに住む市井の人々は、民主主義圏に住む人たちと変わらず、
困ってる人があれば助け合い、そしてそこには笑いも悲しみも当たり前のよう
にあり、基本は同じ人間なのです。

「自分以外の人の心というものに重きをおかないやつは、どんなに勉強ができ
ても馬鹿だ」
「人間に優劣をつけたがるのは中流のやつらだ。暮らしがじゃない、心が」
全体を通して、「他人に対する意識」というテーマがあるように感じました。

文中、ドナウ川、その沿岸に暮らす人たちの思い出の音楽がとても印象深く
描かれています。「モルダウ」「ツィゴイネルワイゼン」、そしてジプシー
の音楽。これらの曲を聴きながら読むというのもまた一興かと。
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ガストン・ルルー 『オペラ座の怪人』

2010-05-01 | 海外作家 ラ・ワ
『オペラ座の怪人』といえば、日本では劇団四季でお馴染み、映画や
ミュージカルとして世界中で有名ですが、じつは原作の小説があった
ことは意外と知られていません。

十九世紀末、フランスのパリで毎夜貴族たちが訪れ、華やかで煌びやかな
舞台が上演されるオペラ座。
支配人のドビエンヌとポリニイが退任する夜、ひとりの踊り子が「あれは
幽霊よ!」と叫ぶのです。
それを聞いた道具方主任も見たと言い、追いかけてみたものの、あっという
間に姿を消したとのこと。
チケット係も、二階五番のボックス席は「幽霊の特等席」として、そこには
誰も入れさせないという命令があったのです。

そして、地下の舞台道具置き場で、道具方主任が死体となって発見されるの
です。

幽霊騒ぎのあったのち、貴族のフィリップ伯爵と弟のラウル子爵が、今宵の
舞台ですばらしい歌声を披露したクリスチーヌ・ダーエに挨拶しようと、舞台
裏へと向かいます。実は、ラウルとクリスチーヌはこどもの頃からの知り合い
で、しかしお互いの身分の違いから、恋仲には発展しませんでした。

ラウルが彼女の楽屋に入ろうとすると、中からクリスチーヌと男性の話し声
が。「クリスチーヌ、わたしを愛さなくてはいけない」「あなただけのために
歌ってるのに」「天使たちは今夜泣いたのだ」という会話をラウルは盗み聞き
してしまいます。しばらくしてクリスチーヌが楽屋から出てくると、中には
男の姿はなかったのです・・・

この夜のクリスチーヌの好演に面白くないのが、オペラ座のスターであるカル
ロッタ。しかし「ファウスト」の上演を控える彼女のもとに、役を降りろという
脅迫文が。同様のものは新支配人のモンシャルマンとリシャールのもとにも
届けられたのです。これを悪い冗談と一蹴する新支配人。そしてカルロッタは
「ファウスト」の大事なシーンで、突然声が出ず、「ぐわっ」という、蛙の
ような鳴き声になってしまい、そして、客席のシャンデリアが落下して・・・

この事件は、クリスチーヌの陰謀だとささやかれたりもし、支配人たちが幽霊
との「約束」を破り、五番ボックス席に客を入れてしまったことによるとも
いわれました。
はたして、幽霊とは何者なのか・・・

この物語の時代背景は、1875年にオペラ座が竣工して間もなくの頃で、
煉瓦舗装の道路には馬車が行き交い、夜にはガス灯がともって、上流階級
の男女たちが夜ごとオペラ座に通うといったもの。
オペラ座は、かなり無理のある土地に建築したようで、地盤には地下水が
溜まっていて、浸潤防止のために隔壁を設けなければならず、さらに劇場下
は、深くまで落ちる奈落、迷路のような廊下と、なんとも幽霊話にはもって
こいのシチュエーション。

映画もミュージカルも観ていないのですが、それでもシャンデリアの落下
というのは知っていて、てっきりクライマックスなのかと思っていたので
すが、前半のシーンだったことに驚きました。

http://twitter.com/robita_seven
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