晴乗雨読な休日

休日の趣味レベルで晴れの日は自転車に乗ってお出かけ。雨の日は家で読書。

深田祐介 『神鷲(ガルーダ)商人』

2010-03-08 | 日本人作家 は
この小説は、戦後の日本とインドネシアとの関係を描いたもので、
インドネシアは第2次大戦後にスカルノというリーダーのもと、独立
を果たします。それまで300年以上オランダの植民地支配を続け、
20世紀に入って今度は日本軍が占領、ようやく独立国家としての
船出となったのですが、資源は豊富ながらも億を超える国民の教育
水準は低く、労働技術力もなく、また、群島国家ゆえに島々での
反政府運動もあって、一筋縄ではいきません。
戦後、日本の対インドネシア賠償金をもとに、日本から船舶を輸入
したり、日本企業はホテル建設やラジオ、テレビの開設といった
事業を展開しはじめます。インドネシアの発展と日本経済のアジア
進出という利害関係の影にさまざまな人間ドラマがあり、そして物語
はスカルノ政権の崩壊のきっかけとなった軍事クーデター、やがて
スハルト第2代大統領誕生、独立の父スカルノの死去と続きます。

筆者あとがきに、これはフィクションだと書かれていますが、実在
の政治家や事件以外は、人物名、企業名などは微妙に名前を変えて
登場します。たとえば、日本とインドネシアの関係で出てくるのが
デヴィ・スカルノ夫人。文中ではディアという名前で登場。

岩下商店と東邦商事(架空の会社)が、賠償の借款を利用してインド
ネシアで事業展開を行います。しかし、その裏には、スカルノが大の
日本女性好きということにあてこみ、芸者やクラブのホステスなどを
あてがい、有利にことを運ぼうとします。
じつは、そのクラブ歌手こそ、文中では根岸直美という名で出てくる
本名は根本七保子さん、のちのデヴィ・スカルノ第3夫人。

表向きは会社の秘書としてインドネシアへ行く直美ですが、実際は
「夜のプレゼント」としてスカルノの相手をします。
その見返りとして、直美の家族には謝礼と住宅をもらうのです。
やがて正式に結婚、第3夫人となるのですが、第2夫人の力が強く
表立って大統領夫人と行動できず、日本との交渉には「特別顧問」
としてスカルノに同行します。

スカルノは独立運動のために、インドネシア共産党団体の援助を
受けます。しかしそれは軍部との対立など、軋轢を生むこととなり、
ついには軍事クーデターに発展。
これには、スカルノがアメリカや日本といった民主主義国家からの
経済援助を受ける一方、中国やソ連といった共産主義からの援助も
受けており、スカルノは民主主義を標榜していながらも支持母体は
共産党という状態だったのです。

1960年代、経済政策は失敗し国内は大インフレに見舞われ、
さらに隣国マレーシア建国のイギリス介入を非難したスカルノは
国連を脱退、世界から孤立してしまいます。
1965年、大統領親衛隊は軍事行動を起こし、陸軍将校を殺害、
ラジオ局を占拠します。このとき陸軍少将だったスハルトはこの
クーデターを制圧。大統領親衛隊には共産党シンパが多く、宮殿
から避難したスカルノは、この軍事クーデターの拠点となった
空軍基地に逃げ込んでしまうのです。
これが、大統領が事件に関与しているとの疑いをかけられることとなり、
殺害された陸軍将校たちの国葬にも欠席、国内では「共産党狩り」
が横行し、ついにはスハルトに大統領権限を譲ることになります。

このようなゴタゴタの中でも、日本の企業戦士たちはたくましく
働き、また、はじめこそ「接待役」として来たディアも帰化し、
インドネシア発展のために尽力します。
とはいっても、この小説はデヴィ夫人本人の手記をもとに描かれて
いるのが大半(当時の大統領の心情など)ですので、どうしても
夫人を好意的に描いているのは仕方ないのですが、まあイメルダ
ほどではなかったにせよ、かなりの乱費は当時国内で問題になって
いたそうです。

私事ながら、かつてインドネシアに滞在していたことがあり、それが
ちょうどスハルト政権崩壊の直後、首都ジャカルタはもちろん各地で
小規模なデモが毎日起き、大使館から夜間外出禁止のお達しがFAXで
届くなんてこともありました。
そういうこともあって、この小説でインドネシア誕生以後をさらに
深く詳しく知ることができて楽しめたのですが、もちろん企業小説
としても、政治ドラマとしても、人間ドラマとしても楽しめます。
コメント
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