晴乗雨読な休日

休日の趣味レベルで晴れの日は自転車に乗ってお出かけ。雨の日は家で読書。

垣根涼介 『人生教習所』

2024-02-22 | 日本人作家 か
暦の上では春ということで、先日お散歩に行ったら梅がちらほらと咲いていました。桜は関東南部だと3月下旬には満開になってしまって入学式シーズンにはすでにサクラチルになっているといった温暖化ではありますが、そういえば南半球では季節が反対なので9月ごろが桜の季節になります。たとえ季節が反対の場所に植えられてもちゃんと春に咲くなんてずいぶん律儀な木だなと思いますが、ところで季節が反対の場所の最初の年ってどうだったんでしょうね。おそらく日本から苗を持っていってむこうで移植したんでしょうが、おや?って思ったのでしょうかね。

以上、木の気持ち。

さて、垣根涼介さん。ここ最近は歴史小説が多いですね。アウトロー的なシリーズものも面白いです。

小笠原に向かう船にある「共通の目的」を持った28名が乗っています。その目的とはセミナーなのですが、主旨に「新しい生き方の指針となるセミナーを行う」と、一見怪しい団体っぽいですが、主催の代表は元経団連会長で、途中で試験を行い、合格者には就職の支援もあります。応募したのは浅川太郎、19歳。現在は東京大学休学中。柏木真一、38歳。元ヤクザで現在は無職。森川由香、29歳。フリーのライター。物語のメインはこの3人と、あと竹崎という定年退職した人の4人が中心になってます。

まずは一次セミナーでいくつかの科目の講義を受けてレポートを提出し、中間試験を受けて合格者は二次セミナーへと進みます。二次セミナーに進んだ人はその後の最終試験はありますが、そこで不合格はないので、二次に進めば就職支援が受けられます。

最初の講義は「確率」。人生における確率というテーマで、レポートを提出します。他にも心理学や社会学といった講義があって、中間試験の合格者は父島から母島へ渡って二次せみなーへ。はたして何人が進めるのか・・・

セミナーの参加者は人生をやり直したい、再出発したい、自分探し、まあいろいろですが、こういったセミナーの是非はともかくとして、少なくとも現状に満足はしていないわけで、それを解決しようと行動に移せるということが大事ということですね。その第一歩の踏み出しがないと自暴自棄になって「誰でもよかった」になってしまいますからね。

これは個人的な話ですが、とあるホームレスや生活困窮者支援のNPOにボランティアに行ったことがあって、そこでは生活相談や健康相談といったのもやってまして、NPOの方とのお話でとても印象に残っているのが、「本当に助けが必要な人はこういう場所に来ない(来れない)人」という言葉で、たしかにそういった団体に相談に来る人はその時点で現状を変えたいと思っているわけですからね。
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垣根涼介 『光秀の定理』

2021-08-15 | 日本人作家 か

気が付いたら一年の半分どころか三分の二が終わろうとしています。個人的には秋から冬にかけてのだんだんと朝起きるときに布団から出たくなくなってきて、日照時間が短くなってゆく、あの感じが一年の中で一番好きなので、はやくこないかなー。

さて、垣根涼介さんです。この作品が初めての時代小説ということなんでしょうかね。

タイトルに(光秀)とあるくらいですから主人公は明智光秀なのですが、光秀といえばあの自分の上司というか雇用主を宿泊先もろとも燃やしちゃったでおなじみの(変)がありますが、その場面の詳細はなく、光秀が無職というかニート同然だったころに新九郎という兵法者と愚息という破戒僧の二人と出会ったのですが、秀吉の天下に移ったあたりにこの二人が「なんで光秀はあんなことをしたのか」と回想というか分析をする、という方式。

もう今さら「あの(変)の真相は!」みたいなのは、過去に映像作品でも小説でもさんざん考察されてますから、この作品内でも事実のみで特に触れていません。

関東から京に来た兵法者の新九郎。ある日のこと、道端に人だかりができていたので覗いてみると、坊主が足軽を相手に賭け事をしています。坊主の前には四つの伏せてある茶椀。その中のひとつに石ころが入っています。賭ける椀はひとつで、当たれば足軽の勝ち、外れれば坊主の勝ち。坊主は、賭けられてない三つのうち二つを開けます。石ころは入っていません。残りは二つでどちらかに石ころが入ってます。そこで坊主が「最初に賭けた茶椀を変えてもよい」といいます。どちらかに石ころが入ってるわけですから、確率は半々。こうやって、足軽が勝ったり、坊主が勝ったりするのですが、回数を重ねていくうちに、坊主のほうが勝っていきます。そのうち足軽が「お前イカサマやってるだろ」と怒り出しますが、だれがどう見てもインチキはしていません。そのうち賭け事がお開きになると、新九郎は坊主に声をかけて、さっきの四つの茶椀のからくりを教えてもらおうとします。坊主の名は愚息。逆に「では、一から十まで足した数はいくつかすぐ答えよ」と聞かれますが、すぐに答えられず、愚息から凡人じゃなと馬鹿にされます。

こんな出会いがあってしばらくして、夜のこと。旅姿の武士が「命が惜しければ金と剣を置いていけ」と脅してきます。ところが新九郎が構えると、相手はあっさり降参します。新九郎はいつぞやの愚息の問い「一から十まで足した数はいくつか」と武士に聞くと「五十五」と即答。なんでそんなに短時間で答えられたのか聞くと、武士は地面に

一二三四五六七八九十
十九八七六五四三二一

と書き、「上と下をそれぞれ足すと十一で十個あるから百十になってそれの半分」とすんなり答えます。新九郎と愚息はこの武士の名を訪ねます。武士は「姓は明智、諱は光秀、字は十兵衛、明智十兵衛光秀と申す」と名乗ります。
今は細川藤孝の屋敷に厄介になっているので、遊びにきてくれ」といいます。

「明智家」は、清和源氏の流れを組む美濃(現在の岐阜県)源氏の土岐氏の庶流で、いわば正統の武家で、主君である美濃の斎藤家が戦国時代の天下取りレースでは序盤に脱落してしまい、(正統)明智家の光秀も浪人として細川藤孝の家に厄介になっています。ちなみに細川家も清和源氏の足利家の支流にあたります。

新九郎と愚息は細川の屋敷に招かれ、藤孝は愚息が天竺に行って原始仏教の経典を学んできたことに興味を持ちます。そんなこんなで時は過ぎ、京の政局で大事件が。十三代将軍足利義輝が殺されたのです。しかし、足利将軍家の「嫡男以外は出家する」という伝統で奈良の一条院門跡の覚慶(義輝の実弟、のちの十五代将軍足利義昭)は、いずれ興福寺別当になるとのことで南都と余計な争いは避けたい松永家・三好家は覚慶を幽閉するにとどめておきました。そこで、藤孝と光秀は、覚慶に将軍になってもらおうとして、一条院からの脱出を計画します。尾崎豊の「今夜、家出の計画を立てる」どころの騒ぎではありません。作品中では、この脱出計画に新九郎と愚息も関わってきます。

この頃、新九郎は村で道場を開いて、村の子どもたちに剣術を教えます。金が無いので木刀が揃えられず、しかたなく笹の棒で打ち合いの稽古をします。しかし、フニャフニャした笹ではまともな打ち合いなどできません。そこで新九郎は、余計な力を抜いて正しい構えから正しい打ち込みをすれば笹でも打つことができると気付いて、そこから剣の腕もメキメキ上達し、やがて「笹の葉新九郎」という異名で京界隈ではちょっとした有名人に。光秀が新九郎と愚息に「覚慶脱出計画」の協力を頼むと、今後、光秀が出世したら、一万石につき黄金一枚をもらう、という出世払いを契約します。しかしこの時点では、信長の家臣になって十万石の大名になったのを皮切りにすぐに直轄領だけで五十万石に、系列の家臣の領地を合わせたら二百万石を超えて「近畿管領」と呼ばれるまでに大出世するとは思ってもいませんでした。

覚慶を無事に近江から若狭へ逃がした光秀。しかし、この計画で、藤孝のしたある判断が、光秀と愚息・新九郎との関係にヒビが入ることになるとは・・・

ここからはおおよそ史実の通り、光秀は十五代将軍足利義昭の家臣に、そして織田信長の家臣になります。といっても歴史書ではなくあくまで小説でエンタテインメントですので、オリジナル部分をちょいと紹介。近江の六角氏との戦いが長期化するのを恐れた信長はもともと木下藤吉郎(のちの豊臣秀吉)の後方支援だった光秀に「長光寺城を落とせるか、なんなら兵を六百ほど使ってもよい」と訊ねると、光秀は「手勢のみで」と答えます。さっそく長光寺城のある小山の麓に行ってみると、山頂に登る道は東西南北それぞれに一本の計四本。光秀は間者を偵察に向かわせます。戻ってきた間者は「四本のうち三本の道に兵を配置して、うち一本は捨てる模様」という報告を受けます。そこで光秀の脳裏に浮かんだのは、いつぞや愚息と新九郎がやっていた、四つの椀のうちひとつに石ころを入れてどれに入れたか当てるという賭け事。光秀は、この近くの寺にいる愚息と新九郎を呼び、どの道に行ったらよいのか、(四つの椀)のヒントを聞こうとしますが・・・

光秀はなぜあんなことをしたのか、という解釈は、ははあ、なるほど、という感じ。まあ起きてしまったことはしょうがないとして、「歴史は帳尻合わせをする」という言葉がありますが、たとえ光秀がやらなくても、いずれ他の誰かが同じようなことをしていたでしょう。つまり信長さんは普通に布団の上で死ねない、そういう運命だったのです。

この本を読んでまたひとつおりこうになった豆知識。ちょうどこの時代あたりで、夜の照明が荏胡麻油から菜種油に変わって、明るさが激変したとのこと。

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垣根涼介 『室町無頼』

2021-07-18 | 日本人作家 か
その昔、元アナウンサーでタレントの徳光和夫さんがなにかのテレビ番組に出ているのを観まして、それが競艇だか競馬だかに行って、同行していた別のタレントさん(どなたか忘れましたが)が、どうやって買ったらいいかと訪ねると、徳光さんが「好きに買ったらいい」といって一句「神は神 仏は仏 俺は俺」と詠み、笑ってしまったと同時に感心しました。今でもこの句はたまに思い出します。誰かに惑わされたり誰かの意見を鵜呑みすることなく、自分の信じた道を進むのみだなと思います。

さて、垣根涼介さん。過去に何作か読みましたが、作風がけっこうバラエティに富んでいます。時代小説を読むのははじめて。この作品は直木賞候補になったんですね。

物語の時代は、室町時代の中期から応仁の乱の直前あたりまで。過去に大河ドラマや歴史小説で室町時代を扱った作品はありますが、そのほとんどは応仁の乱以降、つまり戦国時代。あるいは南北朝時代で室町初期ですかね。史上初の太政大臣と征夷大将軍の二つの位に就任した三代将軍の足利義満という人がいますが、日本史的にあまりフィーチャーされません。あと、文化的にも、室町時代あたりに、いわゆる「日本文化」が出来上がった、とされています。

牢人の親子がどこぞの農村で厄介になっています。父は体を悪くしていて、息子の才蔵が働きに出て、気の毒に思った寺の和尚が才蔵に読み書きを教えてあげます。やがて父が死に、才蔵は京へ出て天秤棒を担いでの振り売りをします。ある日、ふたりの男に「金を出せ」と脅されますが、無我夢中で天秤棒でやっつけます。この頃の京はほぼ無法地帯で、才蔵は「自分の身は自分で守る」と強く思い、天秤棒で自己流の棒術の稽古をします。やがて、土倉(質屋と金貸し業)の用心棒にスカウトされます。三か月ほど経ったある夜、いきなり土倉が襲われます。相手は二十人くらい。才蔵は「今夜死ぬのだな」と覚悟を決めて立ち向かいます。そこに、賊のリーダーらしき男が登場します。才蔵の棒術が全く通用せず、相手の一撃で意識を失います。

才蔵が目を覚ますと、そこには土倉を襲った賊が。周囲から「御頭」呼ばれている人物の名は「骨皮道賢」。無法者およそ三百人のリーダー。はじめこそ「使える」と思い殺さずに連れてきたのですが、道賢の手下としては使いづらい、ということで、他の人に預けることに。それは「蓮田兵衛」という、何をやってるのかよくわからない男。蓮田の家にはいろんな人が出入りしていて、飯を食べたり泊まっていったり。でもお金を取ろうとはしません。
ある日のこと、蓮田は河内まで行くので才蔵について来いといいます。道中には関所が設けられており、通行料を払わなければなりません。が、蓮田はあっという間に門番の一人を倒し、もう一人から銭を奪います。次の関所では門番をなぎ倒し、さらに関所に火をつけるのです。じつは道賢らは京の公方の警護を請け負っていて、これには才蔵も「どういうおつもりでござる」と聞きますが、蓮田は笑って「道賢の困った顔が浮かぶわい」と余裕。
河内に着きますが、蓮田は村人らと情報交換をし、帰りには摂津や和泉にも立ち寄って同じように村人と語らいます。才蔵は、彼らから「京の武士や坊主などにこれ以上いい気にさせてたまるか」というすさまじいエネルギーを感じ取ります。

蓮田は才蔵をある人物に預けることにします。その人物とは琵琶湖のほとりに住む老人。じつはこの老人、今では廃れてしまった棒術の達人。才蔵は手も足も出ません。老人は、才蔵に一歩間違ったら命を落としかねない凄まじい修行をするのですが・・・

命がけの修行を終えて、才蔵は京に戻り、蓮田のもとへ。「吹き流し才蔵」という二つ名は、京洛界隈ではちょっとした有名人。その間、蓮田は農民や地侍らの蜂起の計画を立てて・・・

この話は、のちに「土一揆」と呼ばれることになる、現代でいうと過激なデモというか、こころみに調べてみると「民衆の政治的要求活動」とあります。この時代(応仁の乱の直前)あたりは幕府の政治が全く機能しておらず、土一揆は「割とマジで政府の転覆を狙った」ある種のクーデター未遂といいますか、飢饉で農民の暮らしがきつくて年貢の減免要求など同じ部分はありますが、そういった意味では江戸時代の百姓一揆とはちょっと違っていますね。文中では、この土一揆がきっかけに「足軽」という、武士(職業軍人)ではない、平時は農民の傭兵部隊が合戦で重要視されてゆくことになるとあります。

この物語で、才蔵、道賢、蓮田と3人の男と関係する芳王子という遊女が出てきます。この人物の役割が実にいいですね。
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垣根涼介 『狛犬ジョンの軌跡』

2021-04-14 | 日本人作家 か
ここ最近、というか去年あたりから、テレビをあまり見てません。テレビというかニュースですね。つけても気の滅入ることしかやってないので、基本は旅番組か動物もの。どうせなら、明るい話題、ほのぼの話題しかやらない専門チャンネルというのができたら人気になるんじゃないですかね。

痛烈なメディア批判をしたところで。

さて、垣根涼介さんです。クライムノベルを書いたと思ったら、リストラ請負人とOLの話もあり、最近では歴史小説も書かれてるみたいですね。で、この作品はというと、動物もの。
といっても、絵描きになりたい貧乏な少年が雪の夜に大聖堂の絵画の前で犬と一緒に息絶える的なやつではありません。

建築士の太刀川要は、ドライブで都内から千葉の銚子へ。すると、車道に何かが出てきて、ブレーキを踏んだのですが間に合わなくてぶつかったよう。車から降りてみると、そこには大型犬が。人間ではないからひき逃げにはならないだろうとは思いつつも、いちおう付近の動物病院を調べますが真夜中に開いてる所は無く、(ダメもと)で人間の病院の夜間救急に行きますが、案の定断られます。ここで朝になるまで待つよりも東京に帰った方がいいと思い、後ろのシートに乗せて、自宅の近くの動物病院に連れていきます。

すると獣医が、この犬の犬種がよくわからないというのです。一見マスティフ系とも思えるけど、ロットワイラーかレオンベルガーか・・・

とりあえず入院ということになったのですが、不思議なことが。この犬が病院に来た時から、病院にいたほかの犬や猫がものすごく鳴くのです。獣医から電話があり、ちょっとこのままだとまずいので、こちらから診察に行くのでご自宅で面倒見てもらえませんか、といわれて、一軒家の貸家住まいなので、空いている部屋にケージを置いて、そこに寝かせます。

とりあえず名前を決めなきゃなあということで、ジョンと命名。

傷の治りが極端に早い、動物病院内だけでなく、散歩に連れて行くときも他の犬がぎゃんぎゃん鳴く、といった不思議な現象はあるものの、エサも食べてくれるし、散歩もどうにかできるようになります。そんなある日のこと。週刊誌を読んでいると、そこに「深夜の惨劇、黒い幽霊犬」という見出しが。中を読むと、銚子に車で行ったあの日の夜、「犬のような」大型の動物が3人の少年を襲い、2人が死亡、1人が重傷、とあります。

これはもしかしてジョンの仕業なのか。そもそもジョンの正体は・・・

と、こんな感じで書くとまるでディーン・クーンツのホラーかスリラー系のようですが、主人公の建築士がジョンと暮らすことによって心境の変化といいますか、他人との向き合い方みたいなものがだんだん変わってゆきます。主人公は人間嫌いでまったくの孤独というわけではなく、恋人もいます。恋人との話、建築士の仕事の話といった人間模様から、合い間に(犬の視点)の話が差しはさまれて、といった構成。
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北村薫 『街の灯』

2020-12-04 | 日本人作家 か
12月ですね。今年を振り返るにはまだちょいと早いのですが、まあ今年は世間的にも個人的にも「激動」でした。
来年の目標は「風呂上りに飲むハイボールのツマミで食べるイカの姿フライを控える」にします。イカの姿フライ美味しいですよね。割れて値段の安いヤツを買うんですけど、気が付いたらあっという間に無くなってます。つまり食べ過ぎ。イカンイカン。

はい。

北村薫さんの「ベッキーさんシリーズ」の第一弾です。じつは最初に読んだのが第三弾の「鷺と雪」で、ついこの前、第二弾の「玻璃の天」を読むという、わざとそうしたわけではなくて、結果的にそうなってしまっただけでして。でも別にそれで話がチンプンカンプンってことにはなりませんでした。
スターウォーズもはじめの3部作がエピソード4~6で、だいぶあとになってエピソード1~3が公開されましたしね。
そういうことで。

昭和初期、士族の出である花村家。娘の英子は宮家、華族の通う学校に通っています。もちろん、お車で通学。父親は会社の社長。英子には大学生の兄がいます。そんな英子の「専属運転手」に新しく来たのは、なんと女性。名前は別宮(べつく)みつ子。ある小説の登場人物にちなんで「ベッキーさん」と呼ぶことに。このベッキーさん、文学の素養もあり、武術もできる「スーパーレディ」なのですが、はたしてその正体は!?となるのですが、こちとら先に続編を読んでしまっているので今作では登場シーンを見ることができて満足。

自分で穴を掘って自分を埋めたという奇怪な事件が新聞に載り、興味を持った英子はこの謎を解こうとしますが・・・という「ベッキーさん」と呼ぶ由来となった、サッカレーの小説が作品名の「虚栄の市」。

英子の学校で流行ってる(英子の周囲だけで)暗号遊び。それを兄の友人が兄にある品物を送るのでそれをヒントに指定された場所に来い、というのですが・・・という「銀座八丁」。

避暑で軽井沢に訪れた英子は、誘われて映写会に行きますが、そこで見ていた女性が死んでいて・・・という表題作の街の灯」。

この作品は、昭和7年となっております。すでに続編を読んでしまっているのであれですが、日本はすでにきな臭くはなってはいますが、まだこの時点では「嵐の前の静けさ」といったところ。
そういった時代背景で、主人公を(市井の人)ではなく(お嬢さま)にした意図は、まあこれもすでに続編を読んでしまっているのであれですが、ふむなるほど、と。
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北村薫 『八月の六日間』

2020-09-29 | 日本人作家 か
すっかり涼しくなって、朝晩はヒンヤリとするぐらいで、家の中で半袖短パンでいるのがちょっと辛くなってきました。
あの暴力的な暑さはどこへいってしまったのか。

さて、北村薫さん。この作品はファンタジー感のある物語ではなく、「山岳小説」といったらちょっとオーバーでしょうけど、山登りのお話。それだけではなく、主人公の仕事関係の話であったり、プライベートの話もあります。

東京の出版社で働く女性が趣味の登山に行くのですが、「グレートトラバース」みたいな、あそこまでハードな登山ではありません。とはいっても日帰りのトレッキングレベルではなく、〇泊〇日の日程で山小屋に泊まったり、ハイドレーション(水の入った袋からチューブが出ててそこからチューチュー飲むやつ)を持って行ったり、雪の山道でアイゼン(靴に装着する金属製のスパイク)を装着したりと、なかなか本格的。でもその他の荷物は「必要最低限」ではなく、着替えがちょっと多めだったり、お菓子もいっぱいだったり、あと出版社勤務で本好きということで必ず本を持って行きます。そして、幼なじみの友人に「槍を攻める」とメール。すると友人が「戻ってこなかったらこの前着てたコートちょうだい」とエール。

「槍を攻める」とは、標高3,180メートルの槍ヶ岳に登ること。といっても「攻める」という言葉を使っていいのは、上級者コースからアタックする人で、主人公はそこまで無茶はせず、初心者向けの人気コース。

新田次郎「孤高の人」の主人公は、人嫌いで無口、でも山に入ると人恋しくなるというのが面白いなあと思ったのですが、こちらの女性は別に人嫌いでも無口でもありません。が、山小屋でたまたま出会った初対面の人に自分の高校時代の話をしたりします。

日常生活を送っているときと山登りをしているときがまるで別人になったようで、このギャップが山登りの魅力なんでしょうか。「死」というものを普段はそんなに意識したり実感したりというのは少ないでしょうが、山ではすぐ隣。この話の主人公も、友人の死というのを経験はしているのですが、死生観というまで大げさなものではありませんが、そこまで重苦しく描いてはなく、山にいるとき、ふと思い出すのです。

「そこに山があるからだ」とは、登山家のジョージ・マロリーが「なぜ山に登るのか」と聞かれたときに答えた有名な言葉ですが、まあエベレストに行くレベルの人はともかく、趣味レベルでも「なぜ山に登るのか」という答えが、じつはけっこう簡単な答えが、この本にはあるような気がします。
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北村薫 『水に眠る』

2020-09-12 | 日本人作家 か
9月に入って、日中はまだまだ暑いですが、夜はいくらか過ごしやすくなったような気がします。でももしコロナが無ければ、あの8月の猛暑の中でオリンピックをやってたと考えたら、大量の熱中症患者の対応で大変だったでしょうね。どうせだったら夜は墓場で運動会でもやればいいんですよね、参加資格は生きてる人間じゃないですけど。

そんなワイドショーみたいな戯言はさておき。

北村薫さんの短編です。シリーズものでの短編と中編は読んだことはありますが、1話完結の短編ははじめて。

親からお見合い話が来るような年頃の女性の家に、不思議な電話が・・・という「恋愛小説」
状巣に連れて行ってもらった特殊なバーの特別な水が・・・という表題作の「水に眠る」
同僚の男性の高級そうなネクタイが・・・という「植物採集」
ある家電メーカーで新商品を開発した男の娘が・・・という「くらげ」
不思議な発想の妻が放った蚊と蝿の対戦・・・という「かとりせんこうはなび」
一妻二夫という法律がある世界で、とある一家に二番目のパパが・・・という「矢が三つ」
書店を開いて、そこにアルバイトの女子高生がやって来て・・・という「はるか」
むかし俳優をやっていたという老人の話が・・・という「弟」
妻の妹が受験で家に来て・・・という「ものがたり」
あるカップルがドライブデートで海へ行って・・・という「かすかに痛い」

なんといいますか、全体的にふんわりとしたファンタジーっぽく、まあたぶん北村薫さんは殺伐とした気が滅入る文章とかあまり書かないと思いますから、そこらへんは北村薫さんぽい作品だな、と。

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北村薫 『空飛ぶ馬』

2020-07-17 | 日本人作家 か
この作品は北村薫さんのデビュー作ということで、文庫のあとがき解説でよく説明されていて、いつか読もういつか読もうと思っていまして、このたびようやく読んだという次第。

主な登場人物は女子大生の(私)と、落語家の春桜亭円紫さん。不倫関係ではありません。円紫さんは(私)の通う大学のOBつまり先輩。
「推理小説」「ミステリ」となってはいますが、刑事や探偵は出てきません。殺人事件も起こりません。時刻表トリックもありません。じゃあどういう設定なんだという話ですが、基本的には(私)の見たり聞いたりしたちょっとした不思議な現象や謎を、円紫さんに相談、円紫さんは現場を見たわけではありませんが(私)から聞いた情報をもとに謎解きをします。

戦国時代の武将、としてよりは茶人として有名な古田織部の絵が・・・という「織部の霊」
とある喫茶店で女性客がテーブルの上に置いてある砂糖の入れ物を・・・という「砂糖合戦」
旅先で出会った子どもが・・・という「胡桃の中の鳥」
歯医者で聞いた赤頭巾の話・・・という「赤頭巾」
幼稚園の庭に植えられた遊具の馬が・・・という「空飛ぶ馬」

謎解きができたからといって犯人が逮捕されるわけでもなし、(私)がモヤモヤしていたのが晴れたといいますかそんな感じなのですが、ここが北村薫さんの上手さといいますか、読んでるこっちもスッキリします。構成といいますか演出の力ですね。

ふたりのやりとりの端々に落語が出て来て、「こんな話である」といった具合にあらすじ説明がありますが、この話にこの落語を登場させるというチョイスもいい感じ。
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北村薫 『玻璃の天』

2020-04-21 | 日本人作家 か
北村薫さんの「鷺と雪」が直木賞を受賞したときに「へえ、すでに売れっ子でベテランの作家さんも受賞するんだ」と思ったものでした。そしてさらに、「鷺と雪」がシリーズものであることを知り、いつか1作目と2作目を読もうかなあと思って幾年月。

この『玻璃の天』は2作目。1作目から読まないのかよ相変わらずひねくれてやがるなこのスットコドッコイという声も聞こえてきそうなものですが、売ってなかったものは仕方ありません。

(お車)で学校にお通いになる、とても好奇心旺盛な(お嬢様)と、女性運転手ベッキーさんというメインの登場人物が真相を解明していくといった、まあミステリといえばミステリなのですが、そこまでゴリゴリのミステリでもありません。

舞台設定は、昭和初期。世の中が(負のオーラ)に包まれはじめてきた、そんな状況。不思議なもので、企業でもスポーツチームでも優秀な人たちがいるであろう組織なのに一度(悪い流れ)に乗っかってしまったら、傍から見ると「あんたたち自滅しようとしてんの?」と思わずにはいられないような悪い判断をして、結果ますます悪い状況に陥ってしまう、といったようなことはよくあります。

不仲で有名な銀行と電気会社の創業者兄弟。その孫息子と孫娘が互いに惹かれ合い、それがきっかけかどうか、ある政財界の集まりにその兄弟がそろって出席をすることになったのですが、一枚の「絵」が紛失する騒ぎが・・・という「幻の橋」。

ある(ご学友)が家に帰ってこないということで、その母親が相談に来ます。そこには(六曜)の羅列した意味不明な文章の手紙が。これはなにかの暗号か。(ご学友)のお筝の先生と何か関係があるのか・・・という「想夫恋」。

「ある財閥の大番頭の息子」の新築披露パーティーで、ある活動家が転落死。この(新築)というのがとても奇妙な造りになっていて、はたしてそれが死亡した人物を殺害するための周到な計画だったのか、それともただの偶然か・・・という「玻璃の天」。

いちおう、この2作目で「ベッキーさん」の素性といいますか正体が判明するのですが、その彼女のミステリアスな人物設定のキーがシリーズ1作目を読まないとよくわからないようで、まあそりゃ3作目をはじめに読んで次に2作目を読むといったゴールからスタートすればわからないことになりますよね。

ですが、それぞれ単体でも、シリーズを通してじゃないと理解不能といったことはありません。

そして相変わらず北村薫さんの文章は、何といいますか、とてもふんわりとしていて優しいですね。
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北方謙三 『破軍の星』

2020-01-24 | 日本人作家 か
北方謙三さんの作品を読むのははじめてです。

この作品は歴史小説。北方謙三さんといえば真っ先に浮かぶのはハードボイルドですが、いつからか歴史小説を書くようになったそうな。そういった「カテゴライズ」は売る側や買う側にとっては分かりやすいのですが、当の作家さんにとってはそこらへんは割とどうでもいいのかも。そういやケン・フォレットも「大聖堂」のときに現代ではなく中世というジャンルにした理由を訊かれて「書きたいテーマがあって時代背景をたまたま中世にしただけで深い意味はない」といったようなことを述べられていた記憶が。

歴史小説で多いのが戦国時代と幕末。大河ドラマでもこの2つの時代が圧倒的に多いですよね。ですが『破軍の星』は南北朝。まあぶっちゃけ特に興味をそそらない時代(個人的に)ではあるのですが、日本史的には割と重要なことが起きています。

主人公は北畠顕家。どなた?Who?というレベルだと思いますが、この時代の重要な人物といえば、まず後醍醐天皇。それから足利尊氏。あと楠木正成と新田義貞でしょうか。自分の知識の無さを棚に上げてあれですが、へえ、こんなすごい人がこの時代にいたんだ、というのが読後の感想。

日本初の武家政権、鎌倉幕府が崩壊して、後醍醐天皇は「これからまた天皇が政治を行います」と宣言。これが「建武の新政」。
これにより、陸奥将軍府(陸奥守)、現在の東北地方と北関東エリアの統括マネージャーに就任したのが、北畠親房の長男の顕家。なんと当時16歳。〇〇守という役名はよく武士に用いられますが、この人はれっきとした公家。しかし陸奥守に任命されたからには「これからは武将として生きよう」と誓います。

まだ幼い六の宮(後醍醐天皇の息子、義良親王、のちの後村上天皇)を連れて、赴任地の陸奥、多賀国府へと向かう北畠顕家とその一行。いまは白河のあたり。その隊列を山中から見張る者がいます。そして、攻撃を仕掛けるのです。しかしこの攻撃は相手へ打撃を与えるものではなくて、敵将の力量を確かめるためのもの。

安家太郎と名乗る男とその兄弟は、16歳と聞いていた敵将が「なかなかやる」と分かり、叔父に報告。この「安家一族」とは、陸奥地域の山中に住む、そして山を守る一族。自分たちは武士ではないといいますが、自衛のために戦うことも。

北条の残党を次々と破っていき、陸奥の平定に尽力します。が、中央ではゴタゴタが。後醍醐天皇と足利尊氏との関係悪化は修復不可能レベル。新田義貞と楠木正成に足利討伐の命が下ります。そして顕家のもとにも足利討伐の要請が届きます。が、陸奥平定が優先だと動きません。しかし、足利のホームである関東(鎌倉)と陸奥は隣接しておりそうもいっておられず、顕家は挙兵、西へ向かいます。そしていよいよ直接対決。史実としては「豊島河原の戦い」として伝わっています。この戦いで朝廷軍が勝利し、尊氏は九州に逃げます。

しかし尊氏は息を吹き返し、ふたたび挙兵、京に向かいます。陸奥では問題が山積、そしてなにより朝廷の態度といいますかやり方に顕家はウンザリしてしまい、陸奥に帰ることに。天皇からは「アズスーンアズポッシブルで京に来て尊氏やっつけろや!」と催促。そんな顕家に安家一族の長が「我々には(夢)がある。もしかしたらあなたのような人が来るのを待っていたのかもしれない」と・・・
もともと陸奥地域は蝦夷が住んでいたのですが、朝廷の蝦夷征討(「征伐」と呼んでいた時代もあったそうな)によって日本の一部になります。この場合の日本とは中央つまり朝廷のことですが、しかし征討、征夷大将軍の(征)という字は(不正を武力で正す)という意味がありますが、別に彼らは悪いことはしていません。ただヤマトの言うことを聞かなかったというだけ。果たして安家一族の「夢」とは。顕家に内を託そうというのか。

顕家はいっそのことこのまま陸奥に残りたいのですが、しかし西へと向かうのです・・・

合戦が起きますと、武士たちは食糧確保のために農民から米をもらいます。いやそんな優しい表現ではなく、奪います。合戦に向かう街道筋で顕家が目にしたものは、飢えた農民たち。政(まつりごと)とはだれのためのものなのか。自分らの権力と豪華な生活がしたいための腐った公家どものためなのか。ならば顕家は足利尊氏となんのために戦うのか。

この時代から数百年後、武士による政権は終わり、ふたたび天皇を長とした政治になります。が、いつの世も為政者の都合で苦しむのは最前線の人たちと一般の人たち。

なんといいますか、北畠顕家は生まれた時代間違えたよなあ・・・
ほかの時代に生まれてればきっと日本史上に燦然と輝く人物になったろうに・・・
と、そんなことを言い出したらあの人もこの人もとキリがありません。
やっぱりその時代に生まれるべくして生まれたんですよね。
コメント
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