晴乗雨読な休日

休日の趣味レベルで晴れの日は自転車に乗ってお出かけ。雨の日は家で読書。

村瀬孝生 『おばあちゃんが、ぼけた』

2023-07-09 | 日本人作家 ま

今年度から、学校のほうのレポートやらなんやらであまり本を読めておりませんので、投稿は5月6月と1回のみ。ひどいもんです。今月にはどうにか今読んでるけっこうな長編を読み終わればいいなあと思っております。

さて、この作品は小説ではありませんが、いちおう「読書した」ということで。

村瀬孝生さんという方、老人ホームで働いてのちに現在は宅老所の代表をされていまして、谷川俊太郎さんと交流があり、あとがきを書かれています。

施設に入所されている入所者のおじいさんおばあさんの面白おかしいエピソードや時に悲しいエピソードが書かれています。あれは吉本隆明さんでしたっけ、「良いことをするときはコソコソと悪いことをやってると思いながらやるのがちょうどいい」ってありまして、大っぴらに「ワタシは善行をやってます!」ってなると、ともすれば自分は偉い、立派と思ってしまうので、というもの。ただの承認欲求ですからね。

認知症の知能検査で物品テストというのがあり、5つの鉛筆とかパイプとかを出して「覚えてください」といって1分後に隠して「何があったか思い出してください」というやつなのですが、あるおじいさんはこれに激怒。なぜなら「何があったか聞くぐらいなら最初から隠すな」という言い分。まったくその通り。

年配になればなるほど「人様に迷惑をかけてはいけない」という教育と家庭での躾の中で育っているので、介助も容易にできません。

「あなたらしく生きてください、生きがいを持ってください」と言いながら、何時から何時まで食事、何時から入浴、何時に就寝、という施設側の作ったスケジュールについてこれない入所者を「問題を起こす」と扱う。おじいさんおばあさんはひとりひとりの「時間」があって、自分たちのペースがあるのですが、そのペースを待てないのは職員のほうで、菓子パンが好きな人は誤嚥しないため少量ずつ鳥のようについばんで食べると何時間もかかるからミキサーでペーストにしてスプーンで口に入れる。雲を眺めるのがすきな人はいつまでも眺めているので時間を決めて中に入れる。読書が趣味の人は同じページを繰り返し繰り返し読んで食事や入浴時間を守らないので本を隠す。

「あなた」って誰ですか。

具体的な話は書けませんが、入院していたおばあさんが生まれ故郷の西日本にある離島の病院に転院することになりました。何十年も前に家族の都合で関東にやって来たのですが、もう会話もしなくなって亜空間を見てるだけ。ところが島の病院からの報告で喋るようになったそうです。やっぱり空気感といいますか、聞き慣れた方言を耳にしたからか。

介護保険制度って、できた経緯は「住み慣れた家や地域で余生を送ってもらう」だったのですが、姥捨て山状態。これじゃイカンということで食事とベッド代は自己負担に変更。

「老い」とか「ぼけ」は、いずれ誰でも来ることですが、現状は社会からの隔離と抑制。そして施設間のたらい回し。このような状態で「一生懸命生きる」ってできますかね。

決して小難しい話ではなく、ライトタッチで書かれています。挿し絵もコミカル。ポップなメロディで警鐘を鳴らしています。

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宮部みゆき 『黒武御神火御殿 三島屋変調百物語六之続』

2022-12-24 | 日本人作家 ま

今年も残すところ一週間。今年もいろいろありました。というより個人的に今年は特にいろいろありました。まあそんなこといって来年もいろいろありそうですけど。

以上、人生いろいろ。

さて、宮部みゆきさん。この作品は「三島屋変調百物語」シリーズで、とある旅館の娘(おちか)の身の回りでショックな出来事があって、江戸にある親戚の袋物屋「三島屋」で預かることになり、主人がおちかに世間知をつけさせるといいますか心のリハビリといいますか「百物語」の聞き手をさせようと思いつきます。一般的な百物語は百本のろうそくを灯して怪談話をして一話終わるごとにろうそくの火を一本消していってろうそくが全部消えるまでやるという一種の娯楽ですが、三島屋では客が世にも奇妙な不思議な話を語ってもらい、おちかがそれを聞いて、おしまい。一切他言無用で「語って語り捨て、聞いて聞き捨て」を決め事としています。

で、そのおちかなんですが、前作の五巻で聞き手がおちかから三島屋の主人の次男、富次郎にバトンタッチします。もともと百話までやるというよりはおちかの心の傷が癒えたらそれで目的は達成するので百物語をやめても別に良かったのですが、世の中には「王様の耳はロバの耳」のように自分の心の内にしまっていた誰にも言えなかった話をどうしても誰かに聞いてもらいたいという人が多いようで、巷で有名なった三島屋の百物語は順番待ちなんだとか。

三島屋の百物語の舞台に来た客は、富次郎と同年代の男。相手は富次郎を知っていて、富次郎も豆腐屋の息子だと思い出します。その豆腐屋の八太郎は、かつて自分の家で起きたゴタゴタを話したくてやって来たのですが・・・という「泣きぼくろ」。

次の客は年配の女性。桜の咲いている時にお話したいということなのですが、この女性の生家では村人が集まるお花見に一家の人は参加してはいけないというしきたりがあり・・・という「姑の墓」。

次の客は威勢のいい男性。ちっちゃな頃から悪ガキで十五で不良と呼ばれた亀一という男性は火消しの修行に入りますが途中で逃げ出し町飛脚となったのですが・・・という「同行二人」。

三島屋に「二葉家」という質屋が来ます。質流れになった着物や帯を買ってもらうためなのですが、今回は印半天を持ってきます。二葉家で奉公している女中が持っていたものらしく、三島屋で見ていただきたいとお願いしたそう。半天には襟に「黒武」、背中には四角に十字があります。黒武は武家の名前ではなく、背中の印は家紋でもありません。この半天をよく見ていると背中になにか布が縫い付けてあり、剥がしてみると「あ、わ、は、し、と、め、ち」と漆でひらがなが書かれています。呪文なのか異国の言葉か。富次郎は貸本屋「瓢箪古堂」の勘一に聞いてみることに。すると勘一は、調べるのに時間がかかるといって、しばらくして「あれはご禁制にふれるものだ」と報告。しかし二葉家の女中は異国の宗教の信者(キリシタン)ではありません。その女中(お秋)には奇妙な噂があり、ある日行方不明になり、三日後に戻ってきますが、その間のことは思い出せないというのです。そんな中、百物語の語り手に大急ぎでお願いしたいという客が。齢四十ほどの男で身なりは上等の着物なのですが髪は真っ白、体じゅうに傷跡と指も欠けています。喉も潰れています。さっそく話し始めますが、二葉家の女中(お秋)の知り合いで、件の印半天を三島屋に見てもらったことでお秋を叱った、というのですが・・・という表題作「黒武御神火御殿」。

 

全四話のうち一話から三話までは短編といえるほどなのですが、表題作の四話目は中編ほどでこの話だけで一冊分はありそうな量。いつからでしょうか、たぶん「模倣犯」のあとあたり、なんといいますか宮部みゆきさんの作風が変化したような気がしまして、文章の上手さは変わらず読みやすいのですが、全体的に「重い」テーマになってるなという印象がありまして、といっても終始絶望的な内容というわけではなくラストには光明を見いだせるようになってますが、どうにも重い雰囲気が漂っているような気がします。別に嫌になったわけではないんですけどね。

この投稿が今年最後にならないようもう一冊読みたいと思います。

 

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宮部みゆき  『きたきた捕物帖』

2022-03-05 | 日本人作家 ま

去年まで朝食は基本的にパンでしたが、今年に入ってからパンと米飯を交互に食べています。別にこれといって大した理由などないのですが、朝食はパン、昼食は麺類が多く、一日のうちで米飯を食べるのが夕食のときぐらいで、お米をあまり食べていません。世の中的には深刻なコメ余りの状況とのことですから少しでも貢献しないと。ほんとに少しですが。

お箸の国の人だもの。

さて、宮部みゆきさん。本の帯には「新シリーズ始動!」と書いてありましたが、現在シリーズものは「三島屋変調百物語」がありますよね。あ、そういえば「杉村三郎シリーズ」もまだ完結してないんでしたっけ。

深川元町の岡っ引き、文庫屋の千吉親分が、ふぐの毒に当たって死にます。というスタート。これは別に事件性があるわけではありません。ここで「岡っ引き」の説明。江戸は時代が経つにつれて人口が増えてピーク時には百万人を超えるまでになりますが、当時の警察機能である「町奉行」は増員されませんでした。この役職は表向き一代限りとされてはいましたが、実際は世襲。そこで町奉行が(警視庁)とするなら、現場で捜索などをやる(所轄署の警官)あるいは(派出所のお巡りさん)的な働きをするのがこの岡っ引き。目明しともいいます。どういう人かというと、もとはアウトローだった人が更生して町奉行側に協力する側になるというパターン、あるいは「江戸の治安を守る」というボランティア精神の強い一般市民。与力や同心は汚れ仕事を専門とすることで「不浄役人」と蔑まれてはいましたが、れっきとした直参(徳川将軍家直属)の武士。ですが岡っ引きは非公認。奉行所から正式に十手を授けられたいわゆる「十手持ち」はいましたが、幕府から俸給が出ていたわけではないので彼らはあくまで町奉行の協力者。当然「本業」ではないので他に仕事を持ったり女房に仕事をさせていたり。この岡っ引きにはそれぞれ(下っ引)と呼ばれる子分がいました。よく岡っ引きが「親分」と敬称されるのはこの(下っ引の)という意味ですね。

長くなりましたが、死んだ千吉親分には五人の子分がいました。しかし、生前「うちの子分のだれにも跡目を継がせない」と言い残してあって、子分の中で一番若い北一はショック。北一の歳は十六で、三つのときに迷子だった北一を千吉が拾ってくれます。最年長の子分は千吉の本業の文庫屋を継ぐことに。あとの子分たちは他の岡っ引きの世話に。ところで「文庫屋」の文庫とは現在でいうポケットに入るサイズの本ではなく、ここでは本を入れる紙の箱。千吉の文庫は十手に付いている朱房にちなんで「朱房の文庫」という名で定評。北一は生計の道が無いので、当面は文庫の振り売り(天秤棒を担いで流し売り)をすることに。さらに住む場所も富勘という差配人に長屋を紹介してもらうことに。

千吉には(松葉)という目の不自由な妻がいて、北一はまともに話をしたことがありませんでしたが、側を通って「北一かい」と呼び止められます。足音と雰囲気だけで判別できてすげえなあと感心していると「あんた、商売道具をどこかに忘れてきてないかい」と。北一が千吉の訃報を知ったのは、とあるお武家の下屋敷の前を通っていたら中から侍に「岡っ引きの千吉の子分だろう、はやく戻れ」と呼び止められ、天秤棒を預かってもらっていたのです。

松葉がどうしてわかったのかはさておき、その下屋敷は生垣の向こうに大きな欅の木がよく見えて、北一は「欅屋敷」と名前をつけています。で、天秤棒を取りに欅屋敷に行って声をかけてくれた侍に会います。もともと千吉と碁仲間だった青梅新兵衛という侍はこの屋敷の留守居で、北一のよき相談相手となってくれます。

そんなことがあって、ある日のこと。差配人の富勘が面妖な話を持ってきます。知人の家に「呪いの福笑い」というのがあって、それで遊ぶとなぜか家族の誰かが怪我や病になると気持ち悪がられて奥にしまってあったのを今年の正月にそれを知らない子どもが福笑いを出して遊んでしまい、三日後にその子どもが火傷し、お婆さんが眼病に、お父さんが歯痛に。なんでも三代前の嫁の祟りだそうで、解決方法は福笑いの目鼻口を正確な位置に置いて「いやあ美人ですね」と褒めるんだそうですが・・・という「ふぐと福笑い」。

さらに、近くの手習い所に通う男の子が突然消えた「双六神隠し」、有名な菓子屋の次男坊という道楽息子と小さな糸屋の娘の別れ話の「だんまり用心棒」、味噌問屋の跡取りが祝言をキャンセルし、突然あらわれた死んだ元妻の生まれ変わりという女と暮らし始める「冥土の花嫁」という四話仕立て。

「だんまり用心棒」の中で、湯屋の釜焚きをしている喜多次という男が登場します。無口で髪はボサボサ。なぜか肩に烏天狗の入れ墨があり、湯屋の前で倒れていたそうで、氏素性は不明。北一に恩義を感じて北一の手助けをすることに。(北一)と(喜多次)のふたりの「きたさん」で(きたきた)ですね。

北一の住む富勘長屋は「桜ほうさら」に出てきた長屋で、謎の稲荷寿司屋というのも出てくるのですが、こちらは「初ものがたり」に出てきて謎のまま。欅屋敷の新兵衛の屋敷の主の正体や、喜多次のバックグラウンドなどなどこれからわかってくるのでしょう。喜多次、松葉、富勘、新兵衛たちの助けを借りて(岡っ引き見習い)の北一の今後が楽しみ。

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宮部みゆき 『あやかし草紙 三島屋変調百物語伍之続』

2021-09-05 | 日本人作家 ま
自分が(それ)を必要としない、面白いと思わないからといって、じゃあ(それ)が世の中にとって必要ない存在なのかというとそういうわけでもなく、必要悪や絶対悪の議論はさておきですが、SNSなどで、わざわざ見たくないものを見て「こんな酷いこと言ってる!」「許せない!」って発信されてる方、多いですよね。自分はというと、もはや「お好きにどうぞ」英語でいうとアズユーライクイット、という心境でいます。
目立たぬように、はしゃがぬように、似合わぬことは無理をせず。

河島英五「時代おくれ」より。阿久悠さんの詞ってあらためていいですね。

そんな話はさておき。

三島屋変調百物語。もうシリーズ五巻までやってきました。前の四巻のとき、当ブログで「このシリーズは百物語までやるのか、あるいは主人公のおちかの心の傷が癒えたらそれでおしまいになるのか」なんて疑問を書いたのですが、この五巻でその答えが出てきます。

お客は、本所吾妻橋の近くで「どんぶり屋」という飯屋を営む平吉という男。なんでも、七歳になる娘が風邪をひいて、なかなか治らず、平吉の女房が(塩絶ち)といって塩気のものを一切口にしないという願掛けをしようと言い出しますが、平吉は断固反対します。その理由は、平吉がまだ幼いころに、その願掛けによって、平吉ひとりを残して一家全員死んでしまったから、というのですが・・・という「開けずの間」。

つづいてのお客は、髪問屋(美濃屋)の主の母。(おせい)は遠州(現在の静岡県)の漁村の生まれで、生まれつき声に特徴があって、地元では(もんも声)といって、亡者やあやかしを呼び寄せるというのです。ある日のこと。海辺にいたおせいに話しかけてくる声が聞こえます。しかし人はいません。目の前にはカモメが。このカモメが「いいことを教えてやる」というのです。ある旅籠に老夫婦が泊ってるがふたりの面倒を見ろ、というのでその旅籠に行って「女中に使ってください」とお願いします。じつはこの老夫婦も、夢の中で「娘が訪ねてくるので女中として迎え入れろ」というお告げが。庄屋の隠居夫婦の女中になったのですが、主に、御城のお姫様付きの女中になるようにというとんでもない話が・・・という「だんまり姫」。

女の子が三島屋に来て「話を聞いてほしい」といいます。身なりは汚く、話し方も乱暴。部屋に招き入れて、話をはじめますが、途中で帰ってしまいます。後日、女の子の住む裏店の差配人が女の子と一緒に三島屋にやって来て先日は失礼しましたと頭を下げ、(お種)という女の子も平謝り。差配人がお種に奉公先の話を持ってきたのですが、その奉公先というのが、一年で十両と破格の金額。内容は、仕立て屋の女中。ただ、その条件が「できるだけ性根の曲がった子」というのですが・・・という「面の家」。

今回のお客は、貸本屋「瓢箪古堂」の勘一。もともとこの貸本屋は勘一の父親の勘太郎が起こした商売で、勘一がまだ小さかった頃、写本をやってくれる栫井十兵衛という浪人がいて、とても丁寧なのでよく依頼してしました。ところがある日、栫井が店にやって来て、(井泉堂)という貸本屋から仕事を頼まれたのだが、その金額が百両で、しかもその写本をする冊子の内容を決して読んではいけない、という意味のよくわからないことで相談に・・・という表題作「あやかし草紙」。

さて、豪快にネタバレを。

ここから、百物語の「聞き手」がおちかから富次郎へとバトンタッチになります。富次郎は三島屋の次男で、奉公先で怪我をして療養という名目で三島屋に戻って来て、おちかの百物語をはじめは興味本位で聞いていただけだったのが、そのうちに語り手の内容を一枚の画にするという(「あやかし草紙」にその経緯があります)、おちかのアシスタント的役割になって、まあ、おちかがなぜ聞き手をやめることになったというのは書きませんが、とにかく富次郎が後を引き継ぐことに。

というわけで、富次郎が聞き手となる一人目の客は、兄の伊一郎。兄弟がまだ小さかった頃、手習所に通っていた帰りに、お稲荷さんの境内の木に白いほわほわした毛玉のようなものが。木に登ってつかまえようとしますが、消えてしまいます。後日、また境内に行くと、今度は木の根元に猫がいます。親から猫を飼ってはいけないときつく言われていたので富次郎はあきらめて友達の家で飼ってもらいます。ところがその猫は富次郎が好きだったらしく、三島屋まで付いてきてしまって・・・という「金目の猫」。

文庫のあとがきで宮部みゆきさんが「聞き手の交代はだいぶ前から考えていた」ということだそうで、とりあえずおちかが(第一期)で富次郎が(第二期)になります。AKB的にいえば「卒業」、エグザイル的にいえば「第2章」、だからなんだという話ですが、富次郎はまだ二十代前半、おちかも三島屋と完全に縁が切れたというわけではありませんし、今後が楽しみ。

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宮部みゆき 『三鬼 三島屋変調百物語四之続』

2021-07-31 | 日本人作家 ま
今ここで書いているのは小説の素人書評ブログなわけですが、そういや「若者の〇〇離れ」といわれていつも上位にくるのが「読書」なのではないでしょうか。もっとも中には「若者の漬け物離れ」といったように、いやいや若者なんてもともと漬け物好きじゃねーし、みたいな自分たちの営業努力不足を棚に上げてなんでも若者のせいにしてる向きもあったりしますが、まあでもこれは実は良い現象だとする考え方もあって、昔の若者の夢とか目標とかって、ともすれば国家戦略や企業戦略であったり、「大人のたしなみ」といって好きでもないのに酒タバコをやったり、バブル期の「クリスマスにはイタ飯で赤プリでティファニー」みたいなマニュアル好きであったり、そういった「呪縛」から解放されて、趣味の多様性、主観的幸福感、自分はこれが好き(これが嫌い)と言い易い世の中になったのかな、と。

以上、若者いまむかし。

さて、宮部みゆきさん。このシリーズも現時点で7巻まで出版されていまして、1巻で4話か5話くらいあったとして「百物語」まで少なくとも20巻は超えないと到達しないのですが、100話までやるんでしょうか。それはそれとして、そもそも主人公のおちかの(心の傷)を癒すためにこんな酔狂なことを始めたのであって、ぶっちゃけ傷が癒えたら百までいかなくても途中でやめても別にいいんですけどね。どうなんでしょ。

お客さんは、(おつぎ)という名の女の子。江戸から相模国の平塚までの中原街道の途中にある小さい村から来ました。おつぎは(お化け)を見た、というのですが、正確には(もうじゃ)つまり亡者、亡くなった人。この村では、春先に、ある「祭り」が毎年開催されるのですが、今年は諸事情で中止との噂が。しかしその祭りは田圃の神様にお祈りするものなので、中止なんてしようものなら秋に米が収穫できなくなると恐れて一部の人らは強硬開催しようとします。そんな中、おつぎが山の中の小屋で見たのは、死んだはずの人で・・・という「迷いの旅籠」。

おちかたちは花見に出かけます。そこで「だるま屋」の弁当を食べたらこれがめっぽう美味しくて、でも話によればだるま屋は一年の半分は休業するというのです。そのだるま屋の主人がやって来て「うちが夏場に店を閉めるのには、面妖な理由がございまして・・・」ときました。主人が房州の田舎から江戸に出て料理人の修行をして、葬式で実家に戻ってまた江戸に戻ろうとしたとき、道の途中で急に空腹に襲われ身動きが取れなくなります。ところがそれからツキが回ってきて・・・という「食客ひだる神」。

今回のお客は、齢五十半ばという武士。といっても、この武士の主家が改易となって、今は浪人暮らし。まだ藩士だったころ、ある揉め事から、山奉行の山番士という役に就かされ、三年という期間、山の中の村に送られることになります。村に行くのはもうひとり、二十歳の若侍。雨が降れば土砂崩れが起き、風が吹けば木々が倒れ、真冬は大雪が降って凍えるほど寒いという過酷な場所。ちなみに前任者のうちひとりは逃亡し、ひとりは行方不明。この村の住人は、過去に罪を犯した者かその家族、または他の藩から逃げてきた者、といった、もう他所には行けないような人たち。そして、この村に伝わる、頭に黒い籠を被った、ものすごい速さで移動する「鬼」が・・・という表題作の「三鬼」。

三島屋に主人の次男が怪我をして奉公先から戻ってくるという話もありつつ、お客が。年配の女性でありながら島田髷に振袖という若い娘の恰好をしているというちょっと変わった(お梅)という老婆。家は芝の神明町で(美仙屋)という香具屋をやっています。初代の嫁がたいそう美人で、それから代々、生まれる娘はみな美人という話で、お梅は三姉妹の末っ子で、長女も次女も巷で評判の美人。ある風の強い日、火事が起こって、周りが焼け落ちてしまったのに、美仙屋はなぜか無事でした。しかし、家の中では、次女のお菊が亡くなって・・・という「おくらさま」。

最終話の中で、「瓢箪古堂」という貸本屋が登場します。おちかと「百物語」を陰で支えるお勝が「お嬢さんは、あの方とご縁があります」と意味深なことを言います。さらに、三島屋の、現在は他所で奉公をしている次男の富次郎が怪我をして三島屋に戻って来て、おちかが面白いことをやっているということで、手伝うことになります。そしてさらに、手習い塾の師匠で浪人の青野利一郎に、仕官の話が・・・

冒頭で説明したおちかの過去の(心の傷)も、少しずつではありますが、癒えてきているところではあります。
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宮部みゆき 『泣き童子 三島屋変調百物語参之続』

2021-05-21 | 日本人作家 ま
結局オリンピックはやるんでしょうか。そもそもオリンピックって「平和の祭典」でしたっけ、今はどうみても世界じゅうどこもかしこも平和じゃないのだからやるのはどうなのかなとも思いますが、例えばどこかの国や地域でコロナが終息したからといって、それはその国や地域が「安全」なだけで、「平和」ではありません。「平和」というのは、自分の身の回り含めて世界中どこでも危険や争いごとが無い状態で、じゃあ「安全」はというと、自分の身の回り(だけ)は危険や争いごとは無い状態をいうので、はやく平和になればいいですね。

以上、平和と安全について。

さて、宮部みゆきさんの三島屋変調百物語シリーズ、「おそろし」「あんじゅう」に続く3作目です。川崎宿の旅籠の娘おちかは悲しく恐ろしい目に遭って、江戸にいる親戚に預けられます。この親戚の叔父がおちかにはやく立ち直ってほしいと、世の中の不思議な話、変わった話があるという人に来てもらって、それをおちかが「聞き役」になる、いわば百物語ふうなことをしようとします。

とある地主の用人の娘が、幼なじみと祝言をあげることとなったのですが、この娘が悋気持ちで、おばあさんに話をすると、おばあさんが若いころに、恋仲の男女を別れさせるという池があって、そこに許嫁を連れて行ったことがあって・・・という「魂取の池」。

大坂屋という店の主人の長治郎が、若いころに住んでた漁師町で災害があり、生き残った者たちはとりあえず高台にある網元の別宅に避難したのですが、長治郎は奇妙な夢を見ます。それは、長治郎が住んでいた近所で仲良しの同世代の近所の子どもたちと遊んだという夢で、それから長次郎は養子にもらわれて江戸へ、大人になって大病を患い生死の境をさまよっているときに、子どものときに見た夢がまた・・・という「くりから御殿」。

いつもは紹介があって百物語の客を招くのですが、ある男が飛び込みで「話を聞いてほしい」とやってきますが倒れてしまいます。ようやく回復して話を聞くと、男は貸家の大家で、娘が生まれてすぐに妻に先立たれて以降は娘と二人暮らし。ある日、店子から、子が三つになっても喋りださない、でも突然狂ったように泣き叫ぶときがある、と相談されます。この子の面倒を見ていた上の姉が泣き叫ぶのはどういう状況なのか詳細に記録をつけていて、どうやらこの家の奉公人がいるときだけ泣き叫ぶのです。それからすぐに、この一家の家に盗賊が入り皆殺し。奉公人は盗賊の手引き役だったのです。例の泣き叫ぶ三つの子だけは無事で、家主である男が引き取ります。たしかにこの子は一言もしゃべりませんが、男の娘が顔を出した途端、泣き叫び・・・という表題作「泣き童子」。

前にお世話になった岡っ引きの(ほくろの親分)こと半吉から、怪談語りの会に行きませんかとおちかを誘います。とあるお大尽が主催している会でもう十五年もやっているとかで、おちかは行ってみることに。建て増しをした家で迷子になるといった話、橋の上で転んではいけないと謂れのある橋の上で転んでしまったという話、千里眼の持ち主だった母、というお武家の話、そして岡っ引きの半吉が語るのは・・・という「小雪舞う日の怪談語り」。

三島屋に若い武士がやって来ます。しかし話し出そうとしません。それもそのはず、おちかにはわからないほどの訛りなのです。覚えたてという江戸言葉とお国訛りと半々で話すのは、自分がまだ少年のころに起きた、村に出た怪物の話で・・・という「まぐる笛」。

四十過ぎの女性が三島屋にやって来て話すのは、小さいころ、家には勘当された叔父というのがいて、女性の父は勘当された叔父の弟で、ある日のこと、叔父は「性根を入れ替えた」と謝って帰ってきますが、本家ではふざけるなと追い返されて、分家である女性の父のところで厄介になることに。ところがこの叔父、家ではなく物置でじゅうぶんだといって物置で暮らし始めます。さらに「月に一日か二日は出かける」というのですがその理由は話しません。ある日のこと、女性が(おじさん)を見ると顔が全くの別人で・・・という「節気顔」。

前作に登場した、手習所(塾)の先生をしている若い浪人が「小雪舞う日の怪談語り」に登場。おちかの周囲は「お嬢さんと若先生がいい感じになればいいのにねえ」なんて思っていますが、おちかはまだトラウマが克服されておらず、一方の若先生もオクテというかウブというか、女性とどうやって会話したらいいのかわからないレベル。恋の進展も気になるところ。

「まぐる笛」は、先日読んだ「荒神」と話がよく似てるといいますか、短編バージョンのよう。調べたら「まぐる笛」の初出は2012年、「荒神」は2013年から連載スタートというわけで、池波正太郎さんが初期の頃の短編をベースにしてのちに長編として出すといった作品はいくつかあって、そういうパターンかと。
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宮部みゆき 『荒神』

2021-05-05 | 日本人作家 ま
早いものでもう5月ですね。1年の3分の1が終わってしまったということですか。去年の今頃でしたっけ、店から小麦粉やホットケーキミックス、イーストが消えたのは。その前はトイレットペーパー、ティッシュ、マスクでしたっけ。トイレットペーパーは確かデマかなにかありましたよね。

そんな思い出に浸ったところで。

宮部みゆきさんの『荒神』です。ドラマ化しましたっけ。本編は見てないのですが、前宣伝はよく見まして、江戸時代に怪獣?ゴジラみたいな話かな?うーん、まあとりあえず原作を読んでみましょうということでだいぶ時間が経って読みました。

時代的には江戸の元禄のころ。「陸奥の南端、下野との国境の山また山のなか」という場所にある大平良山(おおたらやま)と小平良山(こたらやま)。その山沿いに隣り合ってるのが、永津野藩と香山藩。戦国時代、香山はもともと永津野の領地で、天下分け目の関ヶ原の後に香山が分離します。もと主藩と支藩で隣り合っていて仲が悪いのでにらみ合ってる、というだけならよかったのですが、数年前から永津野に曽谷弾正という男が藩主の側近になってからというもの、圧制に苦しむ農民たちが国境を超えて香山に逃げてくると追っ手が国境を超えて来て逃げた農民を連れ戻すばかりか彼らを助けたり匿ったりした香山の人たちも連れ去るという所業をするので、「人狩り」と恐れられています。

ある日のこと。永津野にある名賀村の村人が山の中で怪我をして動けない少年を見つけて村に連れてきます。しかしこの少年、永津野ではなくどうやら隣国の香山から来た様子。朱音という女性はこの少年を助けることに。じつは朱音、藩主側近の曽谷弾正の妹。朱音は兄が命じている「人狩り」という非道な行為に心を痛めています。この少年も人狩りに追われて逃げてきたのではないか・・・

さっそく少年の治療にかかろうとしますが、原因不明の皮膚のただれ、そして魚の腐ったような奇妙な臭い。熊でも山犬でもないし、何に襲われたのか。そのうちに意識を取り戻して、名を訪ねると「・・・みのきち」と名乗り、そして「お山が、お山ががんずいとる」と話します。「がんずいとる」というのは香山の方言なのか意味が分からず、村の老人に聞くと、あまり良い意味ではなく「飢えて怒りに燃えて恨みがこもっている」というのです。山が(がんずく)とは、いったいどういうことなのか。それ以降、この少年(蓑吉)はよほどのショックを受けたのか話そうとしません。

一方、香山では、小平良山のふもとにある仁谷村が焼かれて村人が消えたという事件が起き、番士が確認しに仁谷村に向かったままなんの音沙汰も無く、小姓の小日向直弥が仁谷村に行くことに。

蓑吉は状態も良くなってきて歩けるほど回復。そして、自分が受けた怪我の原因、山のように大きな(かいぶつ)が村を襲って村人を飲み込み、村が燃えてしまった、そのときに蓑吉も(かいぶつ)に飲み込まれたのですが、消化されず吐き出されたようなのです。あの魚の腐ったような臭いは(かいぶつ)の体液なのか。

小日向直弥は山に詳しい従者とともに仁谷村に着きますが、そこに人気はなく、家々はすべて壊され焼け落ちています。この先にある本庄村もすでにやられているのか、直弥と従者は向かいます。村人は岩山の洞窟に隠れていて無事でしたが、藩の番士たちは(かいぶつ)にやられてしまった、というのです。その(かいぶつ)を見た者がいうには「大きな蜥蜴のような、蛇のような、蝦蟇のような、それでいて吼えたてる声は熊のようで」と説明しますが、いったいなんなのか。とにかく、山を下りて応援を寄越さなければと町に向かうとしますが町は封鎖されていて・・・

蓑吉の話した(かいぶつ)の正体がよくわからないままではありますが、朱音には気がかりなことが。もし蓑吉の言う通り香山の村が(かいぶつ)によって全滅させられたとして、次に向かうのは永津野の国境を守っている砦ではないのか。朱音は(曽谷弾正の妹)として砦に向かうのですが・・・

この怪物の正体に隠された、永津野と香山のいがみ合いの歴史の中で起きた(あること)とは。それに曽谷弾正と朱音の兄妹も関係してくるのですが、怪物と兄妹の関係とは。

冒頭でちらりと触れたゴジラですが、ゴジラの誕生は人間が「生み出してしまった」ものでしたね。『荒神』の怪物も、まあいわば人間が生み出してしまったもの。人間が自然をコントロールしようとすると手痛いしっぺ返しを食らいますよ、という警鐘があるにはあるのですが、そこまで説教じみてはいません。久しぶりに重厚感といいますか肉厚な小説を読んだな、という思いがしました。
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宮部みゆき 『希望荘』

2021-04-25 | 日本人作家 ま
気が付いたらもう今年の3分の1が終わりそうです。充実したかというとあまりしてないし、じゃあ不満だったかというとそれもないし、攻めも守りもせず、ただ流れていた、そんな4か月でしたね。まずそれができる環境というのが有り難いんですけどね。

近況報告。

さて、宮部みゆきさん。今作の『希望荘』は、杉村三郎シリーズの3作目「ペテロの葬列」に続く4作目。

3作目を読んでない、いやこのシリーズをまだ読んでないという方には申し訳ありませんが、豪快にネタバレをぶっこまさせていただきますと、杉村は今田コンツェルンの会長の娘と離婚し、会社を辞めます。娘は母親が引き取っています。さて杉村さん、三十代後半で晴れてバツイチ無職となったわけでありますが、なんと探偵業をはじめることに。

といっても、もともと小さな出版社の編集者から転職して大企業の社内報を作ってきたという経歴の杉村が、ツテもコネもなくいきなり「探偵会社はじめます」などといっても難しいわけでして、その経緯は後で出てきますが、(まともな)調査会社の「オフィス蛎殻」というところから下請けがメインで、さらに杉村自身が調査する(探偵業務)と並行して、というかたちで独立開業します。

そんな杉村のもとにご近所が依頼を持ってきます。その内容とは、幽霊話。それはアパートに住んでいて亡くなったおばあさんで、(亡くなった)とはいっても、管理人に「家賃が払えない、もう生きていかれない」と電話で言い残して部屋からいなくなっていたそうで、ということは、おばあさんが確実に故人であるとはいえず、不動産会社に聞いてみると、アパートに入居する前はホームレスになる寸前の様な状態だったそう。で、話のよれば、娘がいるけどカルト宗教にはまって金をせびるようになり、定期預金も下ろされ、さらに年金受給口座のキャッシュカードも取られ、つまり「逃げてきた」ようなかたち。
杉村は、さっそくおばあさんの娘に会いに前におばあさんが住んでいたアパートへ。すると中には3人の女性が。娘ではありません。聞けば「わたしたちはスターメイト」と言い、部屋には(銀河の精霊)(アトランティスの聖女の御言葉に耳を傾けよ)などと胡散臭さ満載で・・・という「聖域」。

次の依頼は、老人ホームに入居していてつい先日亡くなった父親の息子からで、依頼内容は、父が生前「人を殺したことがある」と告白した、というのです。息子は都内でレストランを経営していて、その息子が父から直接聞いたわけではなく、担当の介護士が父といっしょにテレビを見ているとワイドショーで殺人事件の話題をやっていて、すると「俺はよく知ってる、そんなつもりはなかったんだけど、つい頭に血がのぼって手を出しちまった・・・」と話したというのです。はじめはドラマの見過ぎで自分の過去と混同しちゃってるのかなとも思ったそうですが、真相も聞けずに亡くなってしまいます。息子から聞いた父の情報と、父と介護士の会話の中から、父の(告白)した事件が起きたおおよその年代がわかり、殺人事件を調べますが・・・という表題作の「希望荘」。

新宿駅で「杉村さーん」と声をかけられます。杉村も「店長、お久しぶりです」と答えます。(店長)こと中村さんは、杉村の実家のある山梨県某市の地元農産品の直売店(なつめ市場)の店長。杉村は、離婚と退職をして、杉村の父親が病気でもう長くないということで看病も兼ねて実家に戻ります。そこで(なつめ市場)で働くことに。そんなある日のこと、地元で蕎麦とほうとうの人気店(伊織)の店主夫婦が注文の品を取りに来ません。(伊織)に行ってみると、中には妻だけがいて、様子がおかしいので聞いてみると「夫が不倫をして出て行った」と言って気絶します。
後日、杉村は配達にでかけます。配達先は(蛎殻様)という別荘に滞在している人で、杉村が注文の品を届けると、「どうも、蛎殻です」と出てきた家主はまだ若く、「杉村さんにお会いしたかった」といいます。はて、どういうことかと思ってると、蛎殻は東京で調査会社を経営していて、じつは(伊織)の夫婦の件の調査を受けようとしていて、そこで蛎殻は杉村のことを調べ、協力してほしい、というのですが・・・という「砂男」。

そんなこんなで、東京に戻って「杉村探偵事務所」を開業したのですが、東日本大震災から2か月が過ぎ、「希望荘」に出てきた依頼人の高校生の息子の知り合いという女子高生がやって来ます。依頼内容は、母親の付き合ってる人が震災以降、行方がわからない、というもの。前日に「東北に行く」と言い残したそうで、彼はアンティークショップを経営していました。店は現在、バイトが管理していて、さっそく行って話を聞くと、店長には名古屋に兄がいて、その兄から店のことをいろいろ指示されているよう。なにはともあれ、その(お兄さん)に会うことに・・・という「二十身」。

杉村三郎は、今作で探偵業をはじめることになったので、今作より「探偵もの」というカテゴリになるのでしょうが、もともと杉村は探偵になりたかったわけでもありません。ただ過去3作で、本人が望む望まないに関わらず「厄介ごとに巻き込まれる」というか「巻き込まれやすい」ということがどうやら認めざるを得ないとようやく決心したといいますか。
このシリーズはこれで完結ではなく、続編が出ているようなので、またネットショップで注文しますか。
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宮部みゆき 『ペテロの葬列』

2021-04-22 | 日本人作家 ま
去年から世界中を取り巻くこの状況下で、世界の片隅のそのまた隅っこではありますが、なんとなく「時間」というものを真剣に考えるようになりました。まず、当たり前ですが「人生は永遠ではない」ということ。世間でいうところの「人生の折り返し地点」も過ぎ、「残り時間」というものがうっすらと見えてきて、じゃあもう他人に迷惑をかけないレベルでやりたいことをやっていかないと間に合わないんじゃないかということで、じつは通信制の大学に入学したのもそういうわけ。

あとはあれですね。若いころは「なにごとも経験」と思ってましたが、大切な残り時間、ファーストインプレッションで「あ、自分の人生に必要ない」と決めたらなるべく避けてく方向で。避けられない状況でも最低限に抑えて、例えば仕事とか。

そんな与太話はさておき。

この作品は、「杉村三郎シリーズ」の3作目。前回2作目の「名もなき毒」を読んだのが8年前、ずいぶんと間をあけました。

タイトルの「ペテロ」とは、イエスキリストの使徒のひとりですね。英語読みだと「ピーター」ですね。スイスだと「ペーター」ですね。ハイジの友達。

「今田コンツェルン」会長の娘婿の杉村三郎は、グループ会社の社内報の編集という仕事をしています。はじめはなにげなく調べようとしていたものが掘り下げていくうちに現代社会の闇みたいなものが見えてくるといった感じの過去2作。

杉村は編集長といっしょに引退した元役員の自宅へ出向いてのインタビューの帰り、バスに乗ってると、年配の男が運転席に近づきます。「走行中は立ち上がらないでください」と注意書きがしてあるのに、まったくもう、と他の乗客が思ってると、いきなり拳銃を取り出します。映画や治安の悪い外国ならここで「手を挙げろ!」となりますが、老人は「静かに座っててください」とおだやか。この老人、自分は強盗ではない、金が目的ではないというのです。そして運転手に、バスの路線の途中にある閉鎖された工場へ行ってくださいと命令、ではなくお願い。

バスの周りを警察に囲まれると、老人は3人の名前を挙げて「ここに連れてきてほしい」というのです。さて、このバスジャック事件、意外とすんなりと解決してしまいます。しかし、この老人は、たまたまこのバスに乗り合わせた不運な客、いちおう「人質」にですが、とても奇妙なことをお願いします。それは「みなさんに(慰謝料)を受け取ってほしい」というのです。

それはいったいどういうことか。杉村はこの老人、そして老人が「連れてきてほしい」といった人物を調べることに。事件が解決する前に編集長がバスを降りる際に老人と交わした「あなたみたいな人、知ってる」「それは申し訳ない」という謎の会話の意味が分かってきます。

この作品の内容も「現代社会の闇」なのですが、方法こそ違いますが、現代だけではなく過去にも、人間が「社会」を形成しはじめたときからあったものだと思います。そして、どんな立派な人でも善人でも、一歩間違えばその「闇」に足を踏み入れることになるかもしれない。

なんといいますか、ラストに杉村に関することで「えっ!?」となりますが、過去2作よりもそういった人間の弱さをさらにこれでもかと描いています。
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宮部みゆき 『あんじゅう 三島屋変調百物語事続』

2021-04-09 | 日本人作家 ま
いつのころからか、たぶんまだ二十年は経ってないと思うのですが、桜の花が満開を迎えるのが三月の中旬ぐらいになってしまいました。あ、これは関東南部の話です。思えば昭和の時代は、学校の入学式、というと四月の第一週あたりですか、その前後に満開を迎えてたような記憶が。
そのうちどんどん早まって、桜の開花が節分あたりになる日が来るかもしれません。
あとはここ最近、東京で雪が降るのはけっこう珍しく、たまに降ったかと思えばドカ雪で交通がマヒしてしまったり。昭和くらいまではけっこう降ったりしてましたっけ。でも江戸時代は、それこそ忠臣蔵なんかは、旧暦の師走、あとは桜田門外の変、あれは旧暦の三月、東京になってからも二二六事件は雪ですね。

地球温暖化に警鐘を鳴らしたところで。

宮部みゆきさんです。この『あんじゅう』は、「おそろし」という作品の続編で、その前作がいったいいつ読んだのやらと記憶のかなたで、当ブログで検索したら、約九年前。

ざっとあらすじ。
江戸、神田に「三島屋」という袋物屋さんがあって、そこの主人の伊兵衛の姪にあたるおちかが三島屋に住むことになります。おちかの実家は川崎の宿屋で、そこであるトラブルというか、恐ろしい体験をしたせいで心を閉ざしてしまい、家にいられなくなり、親は娘を江戸にやって気分転換でもさせようとします。
おちかは三島屋の主人と奥さん、女中や番頭からお客さん扱いされることをきらい、積極的に家の仕事を手伝います。

おちかの経験した「恐ろしい体験」は、別におちかに落ち度というか非があったわけではないのですが、おちかは自分を責めて、他人の辛い体験を聞くことで自分も過去の忌まわしさと向き合うことによって、少しずつ快復できるようになるのでは、と感じた伊兵衛は、ちょっと変わった「百物語」をしよう、と決めます。

といった感じ。

さて、今作では、ある店の番頭と小僧がやって来て、店での悩みを聞けば「水が逃げるのです」と意味不明なことを告げます。さてどういうことか。井戸からも水瓶からも花活けからも小僧が来てからというものの、空っぽになってしまうというのです。そんな手品みたいなことあるんかいなとおちかが不思議に思ってると、小僧は「お旱(ひでり)さん」の仕業だというのです。じっさい、三島屋でも、鉄瓶の中の湯が無くなったりします。話し合いの結果、小僧を三島屋で預かることに。小僧は江戸生まれではなく、上州の山奥出身で、じつはそこの奉公先でもあらゆる水が空になるというので江戸に寄越したそうなのですが、そもそもこの小僧の出身の村では「お旱さん」を祀る風習があって、小僧はその「お旱さん」の(ご神体)と会話をしたというのですが・・・という「逃げ水」。

三島屋の近所にある住吉屋という針問屋の娘がようやく嫁入りするとのこと。聞けば三十手前で、十代後半で嫁入りが普通のこの時代では「晩婚」どころの騒ぎではありません。その嫁入りの日、三島屋に挨拶に来た白無垢の花嫁をちらと見たおちかは驚愕します。これは住吉屋の娘さんではない。さらに、嫁入りを見ている人だかりの中にその娘がいるではありませんか。ではこの女はだれなのか・・・という「藪から千本」。

三島屋の新太という丁稚が、手習所で殴られたそうで、聞けば加害者は直太郎という友人で、複雑な家庭環境で心の病。直太郎の父親は火事で死んだのですが、その「空き屋敷」が怪しいと、おちかは塾の師匠に「百物語」の場を設けて話してもらいます。するとこの屋敷は前から誰も住んでいなかったようで植物は生えるがままの状態で、でも紫陽花が見事だったので「紫陽花屋敷」と呼ばれていたそうな。そこにがある老夫婦が住むことになったのですが、なにか生き物がいるような気配がすると・・・という「暗獣」。

塾の師匠の知り合いで偽坊主の行念坊が三島屋にやって来て、ある村を訪れた時の不思議な話をはじめます。いちおう修行僧の真似事をしていた行念坊は、とある山道で転げ落ちて、近くの村人に助けられます。その村には寺があって、そこの和尚の世話になることに。この村では和尚は本職の寺の住職としてはもちろん、庄屋でもあり代官でもあり医者でもあり、村人から崇拝されています。しかしある日、行念坊が田植えの手伝いに行くと、一枚だけ空白の田があるのに気付き、あれはなんで使ってないのと聞いても答えをはぐらかされます。そのすぐ後、寺に痩せ衰えた男が駆け込んできますが和尚は「連れ戻して二度と逃げられないようにしろ」というのです・・・という「吼える仏」。

これはあくまで想像ですが、例えば時代小説も書けば現代ものも書くしファンタジーも書く作家さんは、書きたいテーマがあってそのテーマに合う設定を決めたらそれが二、三百年前の日本つまり江戸時代というだけであって、特に「時代小説にしなきゃ」という強いこだわりみたいなものは無いように思うのです。あくまで想像です。
以前、ケン・フォレットの「大聖堂」のエピソードで、「書きたいテーマがあってふさわしい設定が中世だったので特にこの時代の話を書きたかったわけではない」というのを読んで、そうかなあと思いました。

「時代小説」となるとどうしても「難しいんじゃないの」「自分には敷居が高い」と、読書は好きなのに手を出さずにいるという方は少なくないと思います。そんな方には宮部みゆきさんの時代小説はオススメ。
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