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晴乗雨読な休日

休日の趣味レベルで晴れの日は自転車に乗ってお出かけ。雨の日は家で読書。

A.J.クィネル 『イローナの四人の父親』

2025-04-25 | Weblog

ブログの引っ越しですが、楽天ユーザーなので楽天ブログにしようかなと思ったらインポート機能がついてないので諦め、VivaldiユーザーでもあるのでVivaldiブログにしようとしたらこちらもインポート機能がなく、とりあえずはてなブログに今までのデータを移して、今後は・・・どうしましょう。

以上、先延ばし。

さて、A.J.クィネルさん。まだ全部ではありませんがほとんど読んでます。

1956年、ハンガリーで市民の蜂起が起きて(ハンガリー動乱または革命)、ソ連軍はこれを鎮圧。エヴァ・マレイターは自分のアパートに4人の男性を招待します。その4人とは、ロシア人のミハイル、イギリス人のポール、ドイツ人のクラウス、アメリカ人のジャック。エヴァがこの4人を呼んだのは、お金がなくて仕方なく娼婦家業をしてしまったのですが、そのお相手がこの4人で、最初がロシア人で、イギリス人が最後で、それ以前も以降も誰とも関係を持っていなく、エヴァは妊娠してしまったというのです。そこで、公平に4人で話し合って決めてちょうだい、ということになります。

それから15年後、エヴァは病気で亡くなります。一緒に住んでいたエヴァの伯父は、エヴァの娘のイローナに「4人のおじさんたち」のことを話そうと決意します。そしてイローナは、4人に手紙を書くことにします。書き出しは「これはイローナからの手紙です」、そして締めくくりは「あなたの愛する娘、イローナ」と・・・

ここから、アメリカのCIA所属ジャック、ソ連のスペツナズ大佐のミハイル、ドイツのBND所属のクラウス、そしてイギリスのMI6所属のポールが、イローナからの手紙を受け取るのですが、ジャックは香港で、ミハイルはアフリカで、クラウスはオーストリアで、ポールはマルタ島で、彼らの本職である死と隣り合わせの諜報活動、あるいはギリギリの心理戦、とこれぞまさにクィネルといったスパイスリラーやアクションがてんこ盛り。

そして4人はハンガリーで再会し、翌日、イローナと会うのですが、そのイローナが誘拐され・・・

文庫の背表紙にかんたんなあらすじがありますが、もうこれを読んだだけで「こんなの絶対面白いじゃん」となって、じっさい面白かったです。参りました。


宇江佐真理 『甘露梅』

2025-04-17 | 日本人作家 あ

そういえばこの前、小田原と箱根に日帰り旅行してきました。メインの目的は親戚に会いに行くためで、ついでに箱根の温泉。親戚とは電話でちょくちょく連絡は取っていたりしていたのですが、会うのはたぶん20年ぶりくらい。東京から小田原までは普通の各駅でも1時間半くらいで着いちゃうのですが、なんと行きは新幹線で、小田原の親戚に会ってお昼食べて、箱根湯本に行って湯本富士屋ホテルに立ち寄り湯に入って、帰りは小田急ロマンスカーというセレブみたいなことやってきました。

以上、楽しかったです。

さて、宇江佐真理さん。当ブログを始めてから初めて読んで、亡くなったのが10年くらい前ですかね、全部読んでも新作は読めないのか、悲しいなあなんて思ったものですが、まだ全部は読めてません、たぶん。あ、でも当ブログで作家別投稿回数でいえばおそらく5番目以内には入ってるでしょう。

吉原の「海老屋」で住み込みでお針(裁縫する人)をしているおとせ。岡っ引きだった亭主が亡くなって、息子とふたりで暮らそうと思っていたら息子が結婚すると言い出して。狭い家に枕を並べて寝るわけにもいかないので、住み込みでお針ができる仕事を探してもらったら、なんと吉原。

おとせが買い物から帰ると、海老屋で働いている福助から「あそこの植木屋の中に伊賀屋の若旦那がいます」と教えてもらいます。伊賀屋の若旦那は、海老屋の花魁(見世でトップの遊女)の喜蝶の馴染み客で、遊びが過ぎて家から勘当されてしまい・・・という「仲ノ町・夜桜」。

おとせは朝の散歩でいつも吉原内にある稲荷神社にお参りするのですが、先客がいます。するとそこに引手茶屋「花月」の亭主、凧助がふらりと来て「あの娘は甲子屋の雛菊だ」と教えてくれます。どうやら悪い男に騙されているらしく、凧助は甘露梅という梅の砂糖漬けを今度作るので、そこに雛菊も来るから話を聞いてくれとおとせにお願いをするのですが・・・という表題作の「甘露梅」。

花魁の喜蝶が可愛がってた猫のたまが行方不明になって、探しますが見つかりません。海老屋の女将に聞くと、前に海老屋いた浮舟という花魁が飼っていた猫で、それを喜蝶が譲り受けたのですが、その浮舟、客と逃げようとして捕まり、今は切見世という最下級の遊女屋に落とされて・・・という「夏しぐれ」。

喜蝶の世話係をしている振袖新造のよし乃は、先日来た3人組の武士を見るや様子がおかしくなります。どうやらその3人の武士は、前に海老屋にいた春風という花魁を落籍した旗本を探しているようで・・・という「後の月」。

引手茶屋「花月」の凧助が手を骨折して、寮(別邸)で静養していると聞き、おとせはお見舞いに行こうとしますが、じつは凧助とおとせが仲が良いのが吉原じゅうで噂になっていて、行くに行けません。そんな中、喜蝶に身請けの話が。なんとお相手は検校。そんなことがあったある夜、吉原で火事が・・・という「くくり猿」。

吉原が燃えてしまい、深川で仮宅という仮営業をすることになった海老屋ですが、おとせが久々に家に帰ると、息子夫婦から、長屋の隣の家が空いてるので引っ越していっしょに暮らさないかと誘われます。そんな話を凧助にすると、凧助もそろそろ引退して、晩年はおとせと暮らしたいと・・・という「仮宅・雪景色」。

それぞれ短編にはなっていますが、話の内容はつながっています。吉原の中の事情に関しては佐伯泰英「吉原裏同心」シリーズを読めばおのずと詳しくなるので、仲ノ町、大籬、半籬、切見世、稲荷神社などなど「あー、はいはい覚えてます」といった感じでした。

今の大河ドラマが吉原を舞台にしてるとのことで(見ていませんが)、吉原は遊女が浮世絵になったりと当時の流行発信地、今でいうインフルエンサーのようなものだった、という側面もあるにはあったのですが、いくら肯定的に表現しても、メインは女性が身を売る場所。「吉原裏同心」でも四郎兵衛会所の四郎兵衛が「わたしらはしょせん遊女の生き血をすすって生きています」と話したり、この作品でも岡っ引きの元女房のおとせにしてみたら吉原という場所は抵抗のある場所。「花魁(おいらん)」の語源はいくつかあるのですが、まだ幼い女の子が売られて吉原に来て、はじめは禿といって下働きをし、やがて振新(振袖新造)といって先輩の遊女の世話係になるのですが、その先輩が母であり姉であり家族のようなもので、昔は見世でトップになると「太夫」といいましたが、その呼び方が無くなり、いつのころからか禿や振新が先輩を自慢するときの「おいらの」が「おいらん」になった、という説があります。


ロザムンド・ピルチャー 『ロザムンドおばさんの花束』

2025-04-16 | 海外作家 ハ

ここのブログがサービス終了になるというわけで、どこかにお引越しをしなければと考えているのですが、ユーザー数でいえばアメブロとかがいいんですかね。2008年から続けてきたこのブログ、投稿数が950ですって。1000いかなかったのはちょっと残念ではありますが、どこかには移動します。

以上、17年間も使わせていただきありがとうございました。

さて、ロザムンド・ピルチャーの短編。うしろのあとがきを見たら、この作品は短編シリーズの3作目なんですね。まあいつものことです。

ウィリアムは、ある「計画」のために部屋にこもってあることをしています。それは妹へのプレゼント。しかし、父親が亡くなってしまい、プレゼントが買えなくなり、しかたなく自分でつくろうと模型を買うのですが、不器用なウィリアムは作れません。そんな中、隣の家に男性が引っ越してくることになるのですが・・・という「人形の家」。

アビゲイルは、老庭師が手入れしてくれる自宅に庭が自慢でしたが、父の死後、老庭師が引退したいといって、自分で庭仕事をするのですがうまくいかず、募集すると、品業は画家という青年が来て・・・という「初めての赤いドレス」。

イーアンとジルとまだ小さい息子の家族はロンドンの古いフラットに住んでいます。目下の悩みは、庭の木を伐採したいのですがお金がないのでそのまま。そんな中、旅行に行こうと計画していたところに親戚の気難しいエドウィンがロンドンに行くので泊めてほしいと連絡が・・・という「風をくれた人」。

クローディアは、ロンドンからスコットランドまで夜行列車で里帰り。幼馴染のジェニファーの家にお邪魔することになっています。ところが、駅に迎えに来たのはジェニファーではなく、マグナスでした。マグナスも幼馴染で、アメリカで仕事をしていたのですが、父親の工場を継ぐために故郷に戻って来ました。じつは昔、クローディアは密かにマグナスのことうぃ・・・という「ブラックベリーを摘みに」。

ローラとロジャーの夫婦は、息子のトムの結婚式のためにホテルに泊まっています。ロジャーは朝からゴルフに行くというので、ローラはトムと二人で散歩に出かけ・・・という「息子の結婚」。

ミス・キャメロンは、スコットランドの海辺の町の小さな家にひとりで住んでいます。元教師のミス・キャメロンは、両親とずっとエジンバラで暮らしていて、両親があいついで亡くなって引っ越しました。隣の家は別荘でたまにアシュリーさんという家族が遊びに来て、ミス・キャメロンも親しくしていたのですが、奥さんが出産することになって夫も病院へ、そこでミス・キャメロンはアシュリーさんの娘を預かることに・・・という「クリスマスの贈り物」。

エドウィナとヘンリーの老夫婦は、広い家にふたりで住むことに体力的に厳しいのではないかと思うようになります。子どもたちはみな独立して家を出ていっています。さて、そんなエドウィナとヘンリーは結婚30周年を迎えることになり、友人がパーティーを開いてくれることになったのですが・・・という「記念日」。

これらの短編に出てくる登場人物は、イングランド(あるいはスコットランド)特有の悩みや喜びがある、というわけではなく、たまたま舞台設定がそこなだけで、人間の本質的な部分はユーラシア大陸の西端と東端の島国でもあまり変わりません。

こういうじっくりと読ませる、そして心がほんわかする、そんな作品が、なんか、こう、いいですねえ。

 


浅田次郎 『母の待つ里』

2025-04-08 | 日本人作家 あ

ただ今、有給消化中でして、気がついたら毎晩お酒を飲んでまして、今までは月の半分は夜勤でしたので自動的に休肝日を設けていたのですが、これはイカンイカンとなりまして、1日おきに飲むようにしてます。

以上、酒は飲んでも飲まれるな。

さて、浅田次郎さん。この作品は2022年に刊行された、とあるのでずいぶん最近の作品ですね。

松永徹は、東京から3時間かけて東北の田舎に着きます。40年ぶりの里帰りで、バスの運転手に「相川橋には行きますか」とたずねます。停留所でバスから降りると、軽トラックに乗った男が「トオっちゃんでねがか、松永さんとこの」と声をかけてきます。家の場所がわからないので教えてもらい、茅葺き屋根の家に着くと畑にいた老婆が「きたが、きたが、けえってきたが」と家に招き入れます。そうして、夕飯を食べ、風呂に入り、一泊して翌朝帰ることに。

室田精一が駅につくと、地吹雪。バスに乗って、相川橋の停留所で降りると、寺の住職が「あんやあ、セイちゃんでねが」といい、家に着くと「きたが、きたが、けえってきたが」と出迎えてくれ、「室田です、厄介になります」と答えます。

古賀夏生は、春の北国のバスに乗って、故郷に帰ります。停留所で降りると、酒屋の女主人が「あんやあ、おめはん、ナッちゃんでねのすか、古賀さんとこの。ほれ、同級生の佐々木サチコ、一緒に学校さ通ったでねが」といい「おじゃまします、すてきなところですね、お花がいっぱいで」と答えます。

東京の老舗企業で社長をしている松永、定年を機に妻から離婚を切り出された室田、医師の古賀は、それぞれ3人ともまったく接点のない別人ですが、「里帰り」の場所は、東京から新幹線と在来線を乗り継いで3時間、そこから1時間に1本しかないバスに乗って「相川橋」という停留所で降りて、しばらく歩いて慈恩院という寺の奥にある茅葺き屋根の曲がり家。

そこで「ちよ」という「母親」から夕食を作ってもらったり、風呂を沸かしてもらったり、寝ようとすると寝物語を聞かせてもらったりします。

松永はこの話を親友に、室田は妹に、古賀は知り合いの医師に話しますが・・・

もうかなり序盤にこの謎解きが説明されるのですが、まあネタバレなので伏せます。読み始めてからすぐに「ああこれもう絶対に泣いちゃう話だ」とわかって、なるべく人前とか電車で読まないようにしようとしました。


自転車で妄想ドイツ旅行

2025-04-05 | 自転車

さて、恒例(?)の妄想旅行シリーズ。

グーテンターク。愛車のルノーでドイツのライン川に来ました。

 

上流にやって来ました。もうちょっと行くと水源があるらしいです。謎のモニュメント。

途中で美味しいと評判のベッケライ(パン屋)に寄って、ランチ。

最後に、有名な保養地バーデンバーデンの温泉に入ってきました。おしまいダンケシェーン。あ、桜がキレイでした🌸

この温泉施設、キャンプ場が併設されてて、なんかいい感じでした。


フレデリック・フォーサイス 『シェパード』

2025-03-30 | 日本人作家 は

今月はがんばって本を5冊も読んじゃいました。「一月にたった5冊読んだ程度で自慢するな」という声が聞こえてきそうですが、読書は量をこなすよりは、読書をしているその時その時をじっくりと味わおうではないか、そういう心境になっています。というわけで、読み終わるのに時間がかかってます。

以上、遅読のすすめ。

さて、フレデリック・フォーサイス。元イギリス軍で、除隊後に通信社の特派員、その後ノンフィクションを出したあとに小説「ジャッカルの日」が大ヒットし、次々と作品を出しますが、東西冷戦の終結で明確な「敵」つまり共産圏、東側が無くなってしまったので断筆宣言をします。が、同時多発テロがあって「これは書かねば」と思ったのか復帰。

この作品はデビューしてから5作目の短編集です。

イギリス陸軍の兵役を終えて保険会社に就職し、人畜無害のマジメ人間で通っているナトキンは、通勤電車に座ってて、ふとシートの隙間に雑誌が入っているのを見つけます。表紙を見ると、なんとエロ雑誌。それをカバンの奥にしまいこんで仕事が終わり家に帰ります。家には妻がいますが病弱でほぼ寝たきり。エロ雑誌の広告を見てこれはと思った女性に偽名で手紙を書きます。その後、その女性と関係を持ってしまうのですが、なんと家に実名宛でエロ雑誌で見つけた女性との情事の写真が送られてきて・・・という「ブラック・レター」。

大金持ちのマーク・サンダースンは、あるパーティー会場で美しい女性を見つけ、一目惚れをしてしまいますが、彼女は既婚者。しかしなんとかデートにこぎつけいい関係になりそうになりますが、主人のことを裏切れないと言われます。そこでマークは、なんと殺し屋に彼女の夫の殺害を依頼し・・・という「殺人完了」。

若い戦闘機パイロットは、クリスマス休暇で北ドイツから戦闘機でイギリスまで帰ります。無事に離陸して水平飛行になった大西洋上空で、方位磁石も高度計も速度もあらゆる計器が壊れていることに気づいて、さらに無線も壊れていてイギリスの基地に信号を送ることもできません。パニックになったパイロットは、教官から三角形を描くような飛行をするとSOSの合図だというのを思い出してやってみると、そこに第二次大戦時に活躍した旧式のプロペラ機が助けに来て・・・という表題作の「シェパード」。

フォーサイスの作品は今までけっこう読んできましたが、短編は初めて。ですが、話のオチのなんというかオシャレというかサプライズというか、さすがフォーサイスといった感じでした。


井上ひさし 『馬喰八十八伝』

2025-03-26 | 日本人作家 あ

私事で恐縮ですが、今の職場を4月の半ばで退職することになりました。クビになるわけではありません。あくまで自己都合の退職。なんだかんだで4年と5ヶ月かな、在籍していたことになります。じつは今年の社会福祉士国家試験に合格し、さらに通信制の大学も無事卒業できまして、今の職場に特別大きな不満があるわけでもないし(あるにはありますが)、残ってほしいと引き止められもしましたが、まあここらでいっちょ違う世界に飛び出してみようかなと思ったわけであります。そんな冒険ができるのもおそらくこのタイミングを逃したら年齢的にも難しいかなと。

以上、このブログのプロフィール変えないと。

さて、井上ひさしさん。家の書棚にあるもう一人の井上さんは井上靖さん。井上靖さんにも一時期ハマってけっこう読んだのですが、井上ひさしさんが読んだ本の数で抜きそうな勢いです。

「九州天草一揆が鎮まってまだ間もない」とありますから江戸の初期、下総国(現在の千葉県北部と茨城県南部)にある、馬の産地として有名な桜七牧(「佐倉」ではありません)の高野村に、痩せた馬を連れた若者がどこかからやって来ます。馬の名前は花雲といい、いわゆる種牡馬。桜に来た理由は、種付けのため。この花雲は種付けの成功率が高く、種付け料をもらいながら全国を回っています。宿を探していると、馬に乗った若者の母が「腹が減った」といいます。全国を回っているのは母親の願いで、この若者はとんでもない大嘘つきで村人が迷惑するので全国各地の百以上の神社やお寺をお参りして息子の嘘つきがなおりますように祈願をする、その間は嘘をつくことを一切禁止するということで、次の成田山に行くと八十八か所お参りしたことになります。

高野村では、百姓はたいてい馬を飼っていて、農業のかたわら仔馬を育てて馬市で売って収入を得ています。さっそく若者は百姓に声をかけますが、この高野ノ牧では勝手に種付けをしてはいけないとのこと。宿に泊まった若者と母ですが、外に繋いでいた花雲が消えます。どうやら盗んだのは、高野ノ牧の御馬見代官の差配人をしている駒太夫だということで、駒太夫の家に行くのですが知らないと言われたので若者は代官所へ行って馬が盗まれたと訴えますが、なぜか若者が悪いことになって百叩きの刑。刑の執行人が八十八回叩いたところで疲れてやめてしまったのですが、若者は神仏の約束を破り「八十八回叩かれたので、八十八の嘘をついてやる。名前も八十八(やそはち)に変える」と復讐を誓うのです。

それから八十八の嘘、もはや嘘というかマジックかイリュージョンの世界で村人やら名主やら代官、盗賊、はては桜の殿様までも意のままに操ります。さらに八十八、「馬語」が話せるという特殊能力もあります。

話じたいはドタバタ奇想天外コメディなのですが、作者が千葉県桜市のアマチュア郷土史愛好家たちによる「馬喰八十八研究会」から聞いた八十八の伝説というか武勇伝に作者オリジナルの解釈を加えた、という構図。あとがき解説にもありますが、この話は義民、佐倉惣五郎がモデルになっているのではないか、ということですが、佐倉藩の領主、堀田氏の圧政と重税に苦しんだ名主の惣五郎が、寛永寺に参詣に出かけた徳川将軍の駕籠に直訴し、領民は救われたのですが、惣五郎の一家は処刑されるのです。この義民伝説が歌舞伎や講談などで知られるようになります。京成電鉄に宗吾参道という駅があってけっこう歩くのですが佐倉惣五郎を祀った宗吾霊堂(成田市)があります。ちなみに佐倉市内のお煎餅屋さんでは「義民焼き」という商品が売れ筋なんだとか。


ロザムンド・ピルチャー 『ロザムンドおばさんの贈り物』

2025-03-15 | 海外作家 ハ

私事で恐縮ですが、先日、大学(通信教育部)を卒業しました。2020年の秋入学ですので、4年半在籍していたことになります。3年次になって初めてスクーリングでキャンパスに行ったのですが、東京西部の、敷地内に芝生や木など緑がたくさんあるザ・大学といった感じで気に入ってしまいました。スポーツで有名とかでもなく、難易度は高くもなく低くもなく、ぶっちゃけ全国的な知名度はありませんが、いくつか選択肢があった中でそこを選んで大正解でした。10代のときに海外留学していた時はカレッジ付属の語学学校だったのですが、カレッジの施設(カフェテリアや図書館や売店など)を使ってもよく、たまにカレッジのほうの教室で授業もあったりして、キャンパスライフ「っぽい」ことは経験していたのですけどね。

以上、遅れてきた青春。

さて、ロザムンド・ピルチャーさん。スコットランド在住の女性の作家で、名前をまったく知らずに手にした「9月」という小説を読んで、特に何も起こらずに話は淡々と進んでいくのですが、気がついたら夢中になって読んでいて読み終わったらなんだか心があったかくなっている、そんなことがありました。

この作品は短編集で、舞台はイギリス。ジーニーは恋人とスキーに来ましたが、じつは運動が苦手で恐怖のあまりリフトには乗らずに黙って下山してしまいます。レストランでコーヒーを飲んでいると、老紳士が話しかけてきます。ジーニーは老紳士に恋人に黙って下りてきたことを説明すると「実はむかし不思議なほどあなたに似た女性を知っていた」と話しはじめ・・・という「あなたに似たひと」。

アリスンは夫の会社の社長夫妻を夕食に家に招待する準備に大忙し、料理の仕込みもテーブルフラワーの予約も済んだ、と思っていたら、家の外に車が停まり、社長夫妻が家の玄関に向かってくるではありませんか。明日だと思っていたのに今日だったの?・・・という「忘れられない夜」。

ヴェロニカは夫を亡くして今は息子と娘の3人暮らし。家を分割して貸したらどうかという友人から提案があり、どういう人かと聞くと大学教授で執筆のため1年間限定で部屋をさがしているとのことですが・・・という「午後の紅茶」。

イーヴの娘のジェインはスコットランドに住んでいて現在妊娠中。ジェインの夫から早産かもしれないと電話があって、スコットランドに向かうことに・・・という「白い翼」。

ビルはクローダという女性と結婚することになったのですが、クローダは未亡人で、ふたりの娘がいます。4人で暮らし始めたある日、娘のペットの金魚が死んでしまって、ビルはお墓を作って埋めようと・・・という「日曜の朝」。

8歳のトビーは、ソーコムさんが亡くなったという知らせを聞きます。ソーコムさんはおじいさんの農場主ですがビルの親友。トビーの姉のヴィッキーは休暇で帰省中していました。ソーコムさんが亡くなったことは悲しいのですが、じつはソーコムさんの後を継ぐことになる孫のトムとヴィッキーはけんかして絶縁状態で・・・という「長かった一日」。

編集者のエリナは、恋人でホテルマンのトニーから週末の旅行に誘われます。エリナとトニーとの間には結婚の話題は出さないという協定があり、週末の旅行には行くのですが「ただしプロポーズとかは絶対になし」と念を押すのですが・・・という「週末」。

どの作品も、読んでいてとても心地よく、読み終わったあとにほんわかします。なんといいますか、文章が優しいんですね。まだ読んだことがないという方にオススメです。英国文化圏に滞在したことのある方には特に。


髙田郁 『あい 永遠に在り』

2025-03-09 | Weblog

所属している学校から卒業式のお知らせが来てまして、4年半(履修期間を延長したので)の学生生活、といっても通信制でしたのでキャンパスライフを謳歌したというのはほぼありません。あ、でもスクーリングでちょくちょく行ってはいましたが。でも通信制のスクーリングはほぼ土日。まあ働いてる人がメインですから仕方ないですけど。

以上、卒業写真のあの人はやさしい目をしてる。

さて、髙田郁さん。一般的にかどうかはわかりませんが、歴史小説は史実や実在の人物をメインに描き、時代小説はたんにその時代を背景に描かれる、といった違いがあるようでして、髙田郁さんの今まで読んだ作品は時代小説。ですが、この作品は幕末から明治にかけての蘭方医、関寛斎の妻が主役となっています。

関寛斎に関しては資料も文献もたくさんあって過去には関寛斎が主人公の小説もたくさん出てますが、あとがきにありましたが妻の記録はほぼ無いとのこと。

時は幕末の天保。上総国山辺郡前之内村の農家の娘あいは、木綿を紡いで糸にするのがとても上手で、母親はこの糸を年子伯母さんに持っていくようにいいます。年子の夫は関俊輔と名乗り、私塾を開いていて、年子は機織り名人。あいは機織りを教わります。

年子と俊輔には豊太郎という養子がいるのですが、とても頭がいいと評判で、佐倉順天堂という医学校に進学することに。それを機に「寛斎」と改名します。17になったあいは縁談が持ち込まれるようになります。すると年子は「あいは寛斎の嫁にすると決めている」というではありませんか。しかし寛斎は医者になる修行中でいつ帰ってくるかわかりません。しかしこの当時の結婚というのは親同士が決めるというのが当たり前で、ましてや娘には拒否権などありません。私塾で勉学に励んでいた豊太郎を見て知ってはいましたが、佐倉から一時戻った寛斎と初めてまともに会話します。関係性でいえば、あいの父と俊輔が兄弟で、年子の妹の息子が寛斎、つまり血の繋がりはありませんが義理のいとこにあたります。

豊太郎改め寛斎は佐倉順天堂で修行して、家に戻って診療所を設立します。それから数年後、師匠の佐藤泰然の推薦で、銚子に医院を開業することになるのですが、そこで老舗の醤油屋の主人、濱口梧陵と出会うことに。

長崎でコレラが発生し、やがて江戸でも発生します。すぐに銚子でも起こると心配した梧陵は寛斎に江戸に行って治療法を学んで来てくれと資金を出します。そのおかげか銚子ではわずかな罹患者しか出ませんでした。それから、長崎でオランダ人医師のポンペからの指導を受けるための資金援助もしてくれます。

長崎から戻ってのち、江戸へ出かけます。その用とは、阿波藩主の国詰め侍医になってほしい、というもの。しかし寛斎には金や地位などには興味がなく、佐倉順天堂の後輩に銚子の医院を継いでもらって梧陵に支援してもらえば優秀な医師が増えるのと、両親と妻のあいと子(この時すでにふたり)のためにも安定した暮らしがしたい、とどこまでも利他の精神。

結局、両親は上総に残ることになりますが、寛斎ファミリーは阿波へ。しかしいきなりやって来た余所者の蘭方医がそれまでいた漢方医に受け入れられるはずもなく厳しい立場になったり、吉野川の洪水被害に遭ったり、さらに阿波に越してきてから産まれた赤子を亡くしたりと大変でしたが、時代は大政奉還、阿波藩は倒幕軍として京そして江戸へ行くことになり、寛斎も軍医として同行することに。新政府軍は奥州へと向かうのですが、そこで多くの負傷兵の治療に当たったことで評価され、しかも敵味方なく治療に当たったことで西郷隆盛からも評価されて東京で軍医として残ってくれと懇願されますが阿波に戻ります。そして藩と新政府からの遺留もすべて断ってそれまでの家禄を返上し、徳島市内に医院を開業。金持ちからは多くの治療費を、貧しいものからは治療費をもらわず、やがて「関大明神」と呼ばれることに。

寛斎とあいも還暦を過ぎ、寛斎は北海道の札幌農学校で勉強している息子のところへ行ってきて、返ってくるとあいに「北海道で暮らしたい」と・・・

小学校のとき、図書室に「千葉県をつくった人々」という本があって、千葉県にゆかりのある歴史上の人物、古くは平将門、千葉常胤、日蓮、里見義実、堀田正睦などなど、近代になってキッコーマンの人とか二十世紀梨の人とかと並んで関寛斎も載ってて、寛斎のエピソードはある程度知ってたのですが、晩年に北海道に移住して亡くなったのが北海道というのは覚えてませんでした。

個人的な話ですが、病院で働いてまして、こんな素晴らしい医者がいたのかと医療従事者の(はしくれ)として恥ずかしくなりました。

 


ジョン・アーヴィング 『第四の手』

2025-03-04 | 海外作家 ア

気がついたらもう3月ですね。自宅の梅の木に花がちらほら咲き始めました。そして暖かくなるとやって来るのが花粉症。じつは花粉症デビューは遅くて6年前か7年前でしたか。今のところは目だけ。鼻はそうでもありません。花粉症で思い出すのが、前に飼っていた猫が涙と鼻水がひどくて動物病院に連れて行ったのですが、アレルギーの薬を出してもらって飲ませたら多少は良くなったのですが、ペットも花粉症になるんですね。

以上、今の猫はなってません。

さて、アーヴィング。この作品は前後半あわせて500ページちょい、今まで読んだ作品は前半だけでそれくらいあったので、ずいぶん短いなと感じました。

24時間国際ニュース専門チャンネルの記者、パトリック・ウォーリングフォードは、「災害チャンネル」の取材でインドへ行き、そこのサーカス団を取材中にライオンに左手を噛みちぎられてしまいます。このシーンを「災害チャンネル」で流すと、パトリックはたちまち「災害マン」「ライオン男」として有名人になります。

このパトリック、とにかく女性にモテてモテてしょうがなくて、インド取材中も他の取材でもテレビ局の女性の同僚でも関係を持ちます。

さて、パトリックが左手を失ってから5年ほど過ぎて、ボストンの移植手術を行う医療チームのゼイジャック博士のもとに、ある女性から「私の夫はライオン男というパトリック・ウォーリングフォードに左手を譲りたい」という手紙をもらいます。移植の対象は死亡して時間が経ってない人なのですが、この手紙の差し出し主の夫はまだ生きています。

夫であるオットー・クラウセンは妻のクラウセン夫人との間に子どもはいませんが仲良し夫婦。オットーはグリーンベイ・パッカーズの大ファンで、スポーツバーでテレビ観戦をしていて、パッカーズが負けてビールをヤケ飲みしてしまい、このまま家に帰ると飲酒運転になってしまうのでタクシーを呼ぶことにして自分の車を移動させようと乗ると、車内に置いてあった銃を手にして何がどうなったのが自分の頭を撃ってしまいます。

パトリックのもとにゼイジャック博士から「左手の提供者がいます」と連絡が来たので、ボストンへ向かうと、未亡人が移植後の手に対する面会の権利を求めてきて、パトリックにも会いたいというのです。ご主人の左手に会うのは問題ないので了承したのですが、クラウセン夫人はいきなり服を脱ぎだして「赤ちゃんが欲しい」と・・・

アーヴィングの作品を「現代のおとぎ話」となにかの文庫のあとがきで例えていたのですが、まさにその通りで、「そんなアホな」ということがいくらでも起こります。でもその「常識」はいったん置いといて、まずは文中の世界観に入り込んでみると、これがたまらなく面白いものに見えてきます。

相変わらず、といいますか、すごく丁寧な説明や描写のシーンがあって、この部分はのちに重要な伏線的な何かと思いきや全く関係なかったりします。今作で笑ってしまったのがゼイジャック博士には息子がいて息子は別れた妻と住んでいるのですが、たまに息子と会って遊ぶのですが、落ちてる犬のフンをラクロスのスティックですくって放り投げる「犬のウンコラクロス」というゲームをする、というもの。本筋には特に関係ありません。