To Read, or Not To Read, That Is The Question

読むべきか、読まざるべきか、それが問題ダッ。

髙田郁 『あきない世傳金と銀(四)貫流編』

2021-09-27 | 日本人作家 た
今月は六回も投稿できました。といっても以前は「目指せ年間百冊」なんていってて、つまり月平均だと九冊以上、を目標にしてたのに、ここ数年はその半数。まあでも今は仕事しながら学校の勉強もあってその合間をぬっての読書タイムなので、そこらへんはご容赦を。

摂津国(現在の兵庫県)の学者の娘、幸は、大坂の天満にある呉服商(五鈴屋)に女中奉公に入りますが、番頭に幸の勉強熱心さと商才を見込まれて当主である四代目徳兵衛の後添いに。ところが夫婦になって間もなく夫は他界。幸は五代目徳兵衛になった四代目の弟、惣次と再婚します。が、惣次が進めてきた取引がダメになり、惣次は出かけるといったまま帰ってこず・・・

といったところまで。もうここまでで、すでにお腹一杯。

まだ惣次は帰って来ません。そもそも此度の問題は惣次に取引先の相手に少しでも(情)をかけていたなら回避できたトラブルだったのが大問題になってしまい、相手から「お前は店主の器ではない」と罵倒され、挙句、懸命にフォローした幸に「この女将さんが店主ならまた五鈴屋と仕事してもいい」と言われ、ひとくプライドを傷つけられたよう。しばらくして、物書きになると家を飛び出した三男の智蔵がひょっこり五鈴屋に帰ってきます。聞けば、惣次が智蔵のところにいきなり来て、自分は隠居するから智蔵が六代目になってくれ、とのこと。

幸は、内心ちょっとだけ智蔵が戻ってきたことで嬉しそう。というのも、まだ智蔵が五鈴屋にいて幸が女中だったときに本好きで勉強熱心だったことで意気投合し、智蔵は幸に番頭が丁稚にやっている勉強会を見学させてあげる機会を作ってあげて、そのおかげで「商売往来」を諳んじるまでになったのです。幸にとって智蔵は、博識でとても妹思いだった亡くなった兄を思い出させる存在で、三兄弟の中で一番好感を持っていました。

五鈴屋の二代目徳兵衛の妻、智蔵らの祖母にあたる「お家(え)さん」こと富久は、幸を養女にしようと考えています。しかし、この当時、大坂で商売をするにあたって「女名前禁止」という(しきたり)があり、女性は店の当主になれませんでした。つまり養女になったところで婿養子を探して、というめんどくさい手順を踏まなければ幸の商才が発揮できないのです。そこで智蔵は「だったら六代目徳兵衛である私の嫁になってくれ」といきなりプロポーズ。

ここでトレンディドラマだったらチャゲ&飛鳥の「Say Yes」が流れて道路に飛び出してトラックに轢かれそうになって「僕は死にましぇん」と叫ぶのでしょうが、まあそんなドラマのような展開とはいきません。智蔵は人形浄瑠璃に例えて、私が人形に、幸が人形遣いになって、私を操ってくれたらそれでいい、というのです。

ここらへんの女性の心情はどうなんですかね。もともと「嫌いではなかった」相手に、でも男としてはどこか頼りないのですが、女であるがゆえに商売の表舞台には立てない、でも人一倍商才がある。そして商売が好き。そこで男が「私があなたの操り人形になる」と言われてオーケーとなるものなんでしょうか。

そんな話はさておき。

幸は、かつて五代目徳兵衛の惣次の夢だった「江戸に出店する」を真剣に考えるようになります。というのも、大坂の呉服商は何かと「制約」があり、たとえば先述した「女名前禁止」もそうですし、掛け売り(期日を設けて後で支払ってもらう信用取引商売)と店前現銀売り(客が店に来てその場で決済する、いわゆる「掛け値なし」の商売)はきっちり区分けする、反物(絹織物)と太物(綿織物)の扱いの区分け、などなど。新規でビジネス展開をしたくとも、この「制約」が足かせとなるので、江戸は将軍お膝元とはいえ「ニュータウン」なので、こういった「制約」はあまり厳しくないようなので、信用のおける奉公人をふたり、江戸に行ってもらって下調べをしてもらうことに・・・

といったところで本作は終了。NHKの朝ドラ「あさが来た」のモデル、明治の女性実業家、広岡浅子も、江戸末期の京都の三井家に生まれて「女に勉強は必要ない」といわれて育ち、大坂の商家に嫁いで、明治に入って、実質的な経営者となり最終的に財閥となって、女子教育に尽力(現在の日本女子大設立に貢献)しましたが、もうちょっと生まれた時代が前だったらこの人も鈴木商店の鈴木よねも表舞台に出てこなかったかもしれない、ということですね。
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髙田郁『あきない世傳金と銀(三)奔流編』

2021-09-22 | 日本人作家 た
そういえば、前に何かで見たか誰かに聞いたか、「情けは人の為ならず」の意味を「かえって本人のためにならない」と誤って理解している人が多いらしく、まあ確かに「~ならず」は否定形ですのでそう間違えたとしても不思議ではないのですが、「ため(に)ならず」だったら間違えてもいいのですが、正確にいえば「為」の直後に「断定(なり)+打ち消し(ず)=ならず」で「~でなくて」になり、つまり「人のためでなくて自分のためなんだよ」という「真意」を読み取らなければならないわけですね。というか、間違えて解釈してしまう前に親なり教師なり周りの大人が誰も教えなかったんですかね。

言葉の乱れは心の乱れ。

ざっとあらすじを。摂津国(現在の兵庫県)の学者の娘、幸は、早くに兄と父を失い、大坂、天満の呉服商「五鈴屋」に奉公に出されます。本を読むことが大好きな幸は、女中でありながら、番頭が教えてる丁稚たちの勉強会を見学させてもらうことに。そのうち、幸の商才に気付いた番頭は、遊びに夢中で仕事をしない当代主人の四代目徳兵衛の嫁にどうかと五鈴屋の女将で五代目の祖母である富久に相談、なんと幸は四代目徳兵衛と結婚することに。しかし遊びをやめることはなく、挙句、死んでしまいます。さらに、番頭の治兵衛が卒中で倒れ、隠居。四代目徳兵衛にはふたりの弟がいて、次男の惣次は商売熱心で真面目、兄に代って店を切り盛り。三男の智蔵は物書きになりたいということで家を出ています。長男が死んだということで惣次が五代目になるのですが、惣次には他家に養子に行く話が決まっていて、この状況で惣次に出ていかれたらアウトなので、五鈴屋に残ってくれとお願いすると、「幸と結婚するなら五代目を継いでもいい」と条件を・・・

もう、ここまででじゅうぶん大映ドラマ&韓流ドラマ&昼ドラ感満載。

さて、なんだかんだあって、幸は惣次と結婚することに。じつは惣次も幸に商売の才能があることを認めていて、五年以内に江戸に支店を出すという目標を掲げます。はじめこそ「ふたりで力を合わせて五鈴屋を盛り上げていこう」と言ってくれていたのですが、「幸は家の中のことだけ考えていてくれたらいい」と商売の相談も少なくなります。さらに、奉公人に厳しい売上げノルマを課し、だんだん雰囲気が悪くなっていきます。そして、新しい商売として、京の西陣から反物を買うのではなく、直接産地から買えばいいということで、江州(滋賀県)の絹糸の産地に資金提供をして絹布を現地生産して完成品を買い上げるというシステムを作ろうとします。富久は「天満の呉服商仲間に声をかけて一緒に盛り上げていこう」と提案しますが「なんで私の考えたビッグビジネスに他所を入れるんだ」と却下。さて、これが軌道に乗るかと思った矢先、五鈴屋が預かり手形を発行していた両替商が潰れて・・・

幸は、なにかあると、隠居した治兵衛の家を訪れます。預かり手形の件で相談した幸に治兵衛は、確かに前貸しは「支援」ではあるが、言い方を変えれば、借金で身動きできなくさせる、と言います。それを聞いた幸は「商人というのはやはり金銀に翻弄されるのでしょうか」とつぶやきます。治兵衛は「大坂商人は金銀に汚いようでいて実は違う。金銀を動かしても動かされない。血の通わぬ金銀に命を吹き込むのが本物の大坂商人だ」と教えます。
五代目徳兵衛の惣次は「商いに情を持ち込んでもろくなことはない」を信条にビジネスをしています。一方、富久は幸に「二代目徳兵衛は(徳は得に通じる)といって、受けた恩は忘れず、困ってる人には情をかけた」と教えます。これがシビアな経済小説なら前者が正しいなんて展開もよくある話ですが、そういうアレではないので、まあ今風にいえば(縁は円に通じる)ですかね。あ、ちなみに、個人的に仕事を(志事)ってアレ、苦手です。
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佐伯泰英 『吉原裏同心(二十)髪結』

2021-09-18 | 日本人作家 さ
ここ最近のプライベート話。仕事に行くときに使ってるリュックがだいぶ薄汚くなってきたのと、そもそも小さいのでお弁当に水筒に書類やらなにやらを入れるとそれだけでもうパンパンになってしまうということで、新しく買い替えようとネットで購入。今までノートパソコンは別のカバンで持って行ってたのが、新しく買ったリュックはノートパソコン収納用ポケットがあるので、こいつは便利。もう大荷物でえっちらおっちら運ぶ必要がなくなったので大助かり。あと、一番良かったのが、ショルダーベルトが肩からずり落ちないためのチェストベルト(ストラップ)が付いてて、今までしょっちゅうずり落ちてそのたびに軽くイラっとなってたので、これまた大助かり。さらにレインカバーも付いてて、駐車場から職員出入口までけっこう歩くので、雨の日でも安心。

以上、お買い物報告。

さて、吉原裏同心。前作「未決」では、タイトルどおり、解決していません。なにが?という話ですが、吉原の利権を狙って各方面があの手この手で攻めてくるのですが、それを当代会所の四郎兵衛と番方の仙右衛門、そして(裏同心)の神守幹次郎らが現体制を死守していく、という基本ストーリーではあります。が、今回の(敵側)には、どうやら背後には(超大物)が控えているようで、でもそれをいったら、時代的にまだこの時点では松平定信は老中首座で将軍補佐だったはずで、ちなみに定信は今の吉原と幹次郎の味方ですので、つまりは定信よりも大物?気になります。

いつもより遅く起きた幹次郎は、長屋の井戸に向かうとそこに女髪結のおりゅうが。相談があるようなので話を聞くと、おりゅうの妹のおきちのことで、おきちは髪結の修業中で、なにやら男の客から付きまとわれているようで、さっそくおきちの働いてる上床に行って話を聞くと、その男は吾助という名だそうで、いきなり来て、まだ見習い中のおきちを名指しで頼んだのですが、おきちをじろじろ見て気持ち悪いので、二回目に来たときは親方がやるといったのですがおきちじゃなきゃだめだとごねたそうで、そのときに、おきちの剃刀が紛失しました。
幹次郎はおきちと外に出て、おきちひとりで前を歩かせ、後ろから見張っていると、着流しの男がおきちに近づいてきたので捕まえるとまさに吾助で、幹次郎は剃刀を返してもらって吾助をたっぷり脅して帰します。吾助の後を尾行する会所の金次。

戻った金次に聞くと、吾助は須崎屋という船問屋に入っていったそうで、幹次郎は町奉行の同心、桑平市松に話を聞いてもらうと、この須崎屋は奉行所内でも一部の者しか知らない話で、どうやら(お偉い様)が絡んでる厄介な案件で、奉行所も手を付けられずに見て見ぬふりをしている状態。ただ、そこの奉公人の吾助がどうして髪結見習いのおきちを付け回すのか。ふたたびおきちに話を聞いてみると、一月ほど前、本所にある親方の息子の髪床に使いに行った帰り、夕日がきれいで立ち止まって見とれていたそうで、その場所は横川町の河岸道で、対岸には須崎屋が。そこで何かを見た(須崎屋にとっては見られてはまずいもの)のですが、しばらく考えて、おちかはようやく思い出します。あの日、船着き場の船内に十三、四歳の娘が助けを求めるような顔でおちかを見ていたのです。おちかが「見た」という現場に行った帰り、幹次郎とおちかは吾助と三人の浪人に囲まれ・・・

この話とは別に、吉原の内でゴタゴタが。妓楼「常陸屋」の主が四郎兵衛に「そろそろ七代目を退いて隠居なさっては」と言い放ったそうで、幹次郎は(身代わり佐吉)から知恵を借りようと佐吉の行きつけの虎次の酒場に行くと、佐吉はおらず、吉原に引き返そうとしたところ、桑平とばったり出会い、桑平の馴染みの飲み屋に入り、吉原内部のゴタゴタを聞いてもらい、もし町奉行所で吉原に関する話があったら教えて欲しい、とお願いするのですが・・・

文庫本の表紙がザクロの実にメジロがいまにもついばもうとしているという写真で、これがなにかというと、今まで幹次郎と汀女夫婦は吉原の職員寮ともいえる長屋に住んでいましたが、とある理由で会所の四郎兵衛が浅草寺町の一軒家を手に入れ、そこに夫婦で移り住んでもらいたいというのです。で、この一軒家が事件の現場となり・・・

ぶっちゃけますが、今作でも「無事、解決」とはなっていません。シリーズは残り五巻。まさかあと五巻ひっぱるのでは・・・と考えなくもないですが、吉原を狙う側のネタももうあまり残ってないような気もしますし、最終的に宇宙人が出てくるとかそういうのはやめてほしいですけど。
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髙田郁 『あきない世傳金と銀(二)早瀬編』

2021-09-15 | 日本人作家 た
前にも当ブログに書いたと思うのですが、ここ最近、テレビドラマを見ていません。記憶が確かならば始めから終わりまでちゃんと見たのは朝の連続テレビ小説の「ひよっこ」が最後ですかね。あ、いや「まんぷく」かな。そういえばあれは十年以上前ですかね、深夜テレビで「バリでの出来事」っていう韓国のドラマがやってまして、興味本位で見始めたらなんだかんだで最終回まで見てしまいました。ストーリー的には「可もなく不可もない」といった感じだったのですが、今でも印象に残ってるのが、ジャージャー麺を出前で食べるシーン。物語もだいぶ終盤になってのシーンだったと思うのですが、主人公の女性が電話で注文して確か男の人といっしょに食べてたような記憶が。そんなもんです。

ざっとおさらいを。摂津国(現在の兵庫県)の学者の娘、幸は、父と兄が相次いで亡くなり、奉公に出ることに。行商人に連れられて、やってきたのは大坂、天満の呉服商「五鈴屋」。ここで女中として奉公に入ります。五鈴屋は(お家さん)と呼ばれる女将格の富久、主は富久の孫にあたる四代目徳兵衛、その弟で次男の惣次は仕事熱心でしょっちゅう兄と衝突。三男の辰藏は本好きで商売よりも物書きになりたいと家を出ます。

さて、前巻で放蕩三昧の当主も身を固めれば仕事に集中してくれるのではと結婚したのはいいのですが嫁に逃げられ、四代目徳兵衛はまた遊び歩きます。番頭の治兵衛は富久に「幸を四代目徳兵衛の後添えにしてはどうでしょうか」と提案。ところが、四代目徳兵衛と次男の惣次と富久と治兵衛の四人で話し合いの最中、治兵衛が卒中で倒れます。

治兵衛は幸を呼び、幸はただの女中にしておくには惜しい、この(商い戦国時代)の戦国武将になれる器だ、と四代目徳兵衛の後添いになってくれるようお願いします。

ところが、当主が結婚するにしても再婚するにしても天満の呉服寄合仲間からの承諾が必要で、富久は幸を連れて仲間のもとへ。生地の種類すらよくわからないまだ十四歳の女中で大丈夫か、と嘲笑される中、幸は「商売往来」をスラスラと暗唱してみせます。すると、大店の主が「治兵衛どんに教わったんだすな、この後添いの話も治兵衛どんの打った最後の一手だすやろ」と発言、これで認められます。

とはいったものの、まだ小娘の女中を(あてがわれた)四代目徳兵衛にとっては面白くなく、寝室は別に。これで遊びが収まるはずもなく、挙句に、店の品を勝手に売ってしまい、当主が店の品を売って何が悪い、と逆ギレして出て行ってしまいます。しかし、大事なお得意様に頼まれた品なのでなんとかせねばならんということで、惣次は同じ仕入れ先から買おうとしますが、いっしょに幸を連れて行きます。そして幸に「店に行って反物を買ってきてくれ」と命じます。なんとか成功した幸は、惣次に分からないことを質問しますが、ぶっきらぼうながら質問に答えてくれます。

それからというもの、幸は商いで何かわからないことがあったら何かと惣次に質問します。それをめんどくさがりながらも、なんだかんだ答えます。新番頭の鉄助から生地について教わり、幸はどんどん呉服商の女将として成長ぢていきますが、主は相変わらず。そしてまたしても事件が。
なんと主が夜中に店の売り上げをくすねようとしたところを見つかって・・・

なかなかドラマチックな展開です。今更ですが、シリーズが完結してから全巻一気読みしたかったなあという気分。
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佐伯泰英 『吉原裏同心(十九)未決』

2021-09-09 | 日本人作家 さ
この「吉原裏同心」シリーズも全二十五巻ということで読み残しているのはあと六巻となってしまったわけですが、この続編にあたる「吉原裏同心抄」という新シリーズですか、どんな感じなんだろうなあとチラリとあらすじを見たら、あれ、ちょっと、うーん、なんかちょっと自分の思っていたのとは違う方向に行ってしまうようなので、ひとまずこのシリーズを完結まで読んで、途中まで読んでる別のシリーズに移ろうかと。

ざっとあらすじを。九州の某藩の下級藩士、神守幹次郎は、幼馴染で上役の妻、汀女を連れて藩を脱出、十年の逃亡生活の果てにたどり着いたのは江戸の吉原。そこで幹次郎の剣の腕を見込んだ吉原の会所(自治組織)が彼を雇うことに。吉原は幕府公認なので町奉行の管轄なのですが、幹次郎は会所の用心棒なので、だれが名付けたか「吉原裏同心」と呼ばれるように。汀女は書と俳句を遊女たちに教えることに。

毎月二十七日は「釜日」といって遊女たちが髪を洗う日で、客も心得ていて早めに帰るのですが、老舗の妓楼「千惷楼」ではちょっとしたゴタゴタが。(暗黙のルール)として、その籬の御職(ナンバーワン)から先に髪を洗うのですが、莉紅(りこう)という御職は、まだ前夜の客と一緒にいて、さらに「髪結いを呼べ」と文句を言います。なんだかんだで通常より遅れて他の女郎は文句たらたら。じつはこの莉紅、深川の岡場所(非公認の風俗営業)で手入れがあってお縄になり、(三年間、吉原でタダ働き)という刑罰で送られてきた女郎で、当然、もとから吉原にいた女郎からは歓迎されません。ところがこの莉紅、深川時代の馴染客を連れて来て、すぐに御職の座に。
そんなことがあって、夜見世が始まる前に髪結いが莉紅の部屋に入ると、莉紅は前夜から泊まっていた男と心中していたのです。莉紅の手には「釜日、れいのものをとりにいく」という紙が。

幹次郎と吉原会所の番方、仙右衛門は現場にかけつけ、畳の下から三枚の証文だか書付けのようなものを発見します。千惷楼の人に話を聞くと、昨夜から今日の昼にかけて外の人間が出入りしたのは按摩だけだというのでその按摩の家を訪ねると、そこには部屋が荒らされて絞殺された按摩が。これは心中などではなく、莉紅と客の男は何者かに殺され「れいのもの」を探しても見つからず、按摩も殺されたのです。

その(証文)を見てみると、どうやら莉紅の母親が莉紅の父親と思われる三人に宛てた起請で、娘が二十歳になったら財産のいくらかを譲渡します、といったもの。では、この三人のうち誰かが莉紅に強請られていたかで、(手の者)が口封じに莉紅と一緒にいた男も殺し、ついでに按摩も殺したというのか。そういえば、莉紅は(縄付き)で吉原に来たので、身元を確かめるために過去書き(履歴書のようなもの)が面番所にあるはずだと探してもらいますが、莉紅の過去書きだけ何者かに抜き取られていていたのです。」

幹次郎は家に帰る途中、白装束の三人に囲まれ「今やってる探索を止めろ」と脅しを・・・

タイトルからいって、この話は、触らぬ(なんとやら)に祟りなし、ということで、解決しません。といっても、それなりの「含み」を持って次巻に続くっぽいのですが、どうなんでしょうか。
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宮部みゆき 『あやかし草紙 三島屋変調百物語伍之続』

2021-09-05 | 日本人作家 ま
自分が(それ)を必要としない、面白いと思わないからといって、じゃあ(それ)が世の中にとって必要ない存在なのかというとそういうわけでもなく、必要悪や絶対悪の議論はさておきですが、SNSなどで、わざわざ見たくないものを見て「こんな酷いこと言ってる!」「許せない!」って発信されてる方、多いですよね。自分はというと、もはや「お好きにどうぞ」英語でいうとアズユーライクイット、という心境でいます。
目立たぬように、はしゃがぬように、似合わぬことは無理をせず。

河島英五「時代おくれ」より。阿久悠さんの詞ってあらためていいですね。

そんな話はさておき。

三島屋変調百物語。もうシリーズ五巻までやってきました。前の四巻のとき、当ブログで「このシリーズは百物語までやるのか、あるいは主人公のおちかの心の傷が癒えたらそれでおしまいになるのか」なんて疑問を書いたのですが、この五巻でその答えが出てきます。

お客は、本所吾妻橋の近くで「どんぶり屋」という飯屋を営む平吉という男。なんでも、七歳になる娘が風邪をひいて、なかなか治らず、平吉の女房が(塩絶ち)といって塩気のものを一切口にしないという願掛けをしようと言い出しますが、平吉は断固反対します。その理由は、平吉がまだ幼いころに、その願掛けによって、平吉ひとりを残して一家全員死んでしまったから、というのですが・・・という「開けずの間」。

つづいてのお客は、髪問屋(美濃屋)の主の母。(おせい)は遠州(現在の静岡県)の漁村の生まれで、生まれつき声に特徴があって、地元では(もんも声)といって、亡者やあやかしを呼び寄せるというのです。ある日のこと。海辺にいたおせいに話しかけてくる声が聞こえます。しかし人はいません。目の前にはカモメが。このカモメが「いいことを教えてやる」というのです。ある旅籠に老夫婦が泊ってるがふたりの面倒を見ろ、というのでその旅籠に行って「女中に使ってください」とお願いします。じつはこの老夫婦も、夢の中で「娘が訪ねてくるので女中として迎え入れろ」というお告げが。庄屋の隠居夫婦の女中になったのですが、主に、御城のお姫様付きの女中になるようにというとんでもない話が・・・という「だんまり姫」。

女の子が三島屋に来て「話を聞いてほしい」といいます。身なりは汚く、話し方も乱暴。部屋に招き入れて、話をはじめますが、途中で帰ってしまいます。後日、女の子の住む裏店の差配人が女の子と一緒に三島屋にやって来て先日は失礼しましたと頭を下げ、(お種)という女の子も平謝り。差配人がお種に奉公先の話を持ってきたのですが、その奉公先というのが、一年で十両と破格の金額。内容は、仕立て屋の女中。ただ、その条件が「できるだけ性根の曲がった子」というのですが・・・という「面の家」。

今回のお客は、貸本屋「瓢箪古堂」の勘一。もともとこの貸本屋は勘一の父親の勘太郎が起こした商売で、勘一がまだ小さかった頃、写本をやってくれる栫井十兵衛という浪人がいて、とても丁寧なのでよく依頼してしました。ところがある日、栫井が店にやって来て、(井泉堂)という貸本屋から仕事を頼まれたのだが、その金額が百両で、しかもその写本をする冊子の内容を決して読んではいけない、という意味のよくわからないことで相談に・・・という表題作「あやかし草紙」。

さて、豪快にネタバレを。

ここから、百物語の「聞き手」がおちかから富次郎へとバトンタッチになります。富次郎は三島屋の次男で、奉公先で怪我をして療養という名目で三島屋に戻って来て、おちかの百物語をはじめは興味本位で聞いていただけだったのが、そのうちに語り手の内容を一枚の画にするという(「あやかし草紙」にその経緯があります)、おちかのアシスタント的役割になって、まあ、おちかがなぜ聞き手をやめることになったというのは書きませんが、とにかく富次郎が後を引き継ぐことに。

というわけで、富次郎が聞き手となる一人目の客は、兄の伊一郎。兄弟がまだ小さかった頃、手習所に通っていた帰りに、お稲荷さんの境内の木に白いほわほわした毛玉のようなものが。木に登ってつかまえようとしますが、消えてしまいます。後日、また境内に行くと、今度は木の根元に猫がいます。親から猫を飼ってはいけないときつく言われていたので富次郎はあきらめて友達の家で飼ってもらいます。ところがその猫は富次郎が好きだったらしく、三島屋まで付いてきてしまって・・・という「金目の猫」。

文庫のあとがきで宮部みゆきさんが「聞き手の交代はだいぶ前から考えていた」ということだそうで、とりあえずおちかが(第一期)で富次郎が(第二期)になります。AKB的にいえば「卒業」、エグザイル的にいえば「第2章」、だからなんだという話ですが、富次郎はまだ二十代前半、おちかも三島屋と完全に縁が切れたというわけではありませんし、今後が楽しみ。

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髙田郁 『あきない世傳 金と銀』

2021-08-26 | 日本人作家 た
どうでもいい類の個人的な話で恐縮ですが、今まで夏に食欲が落ちるという経験がありません。というかむしろ夏バテを警戒して食べ過ぎて、しかも暑いのであまり運動しないので、結果、夏場はちょっぴり太るくらいです。ただ、料理好きにとって夏場はあまり腕が振るえなくて残念なのです。というのも暑いとなるべく火の前にいたくないので調理時間は短めの料理が多くなり、例えばお昼なんかはほぼ麺類になっちゃいますね。

はい。

この作品は「みをつくし料理帖」シリーズが終わって、次のシリーズもの、だそうです。髙田郁さんの作品を全部隅から隅まで読んだわけではないので作風分析など生意気ですが、あれですね、ひと昔前の大映ドラマ的な、最近ですと韓流ドラマですか、次から次へと主人公に困難が襲いかかりますね。
まあ、そういう系はキライではない方なので、楽しく読まさせてもらってます。

時代は江戸中期、享保年間からはじまります。摂津(現在の兵庫県)、武庫郡津門村というところにある私塾の先生の娘、幸(さち)は、勉強を教わりたいのですが、母親からは「おなごに学など要らん」などと怒られます。この学者のお父さん、商人をものすごく嫌っていて、「商(あきない)とは即ち詐(いつわり)」と厳しいです。

幸には兄と妹がいて、兄も学者で、賢い兄は幸にとって自慢の兄。ゆくゆくは、村の豪農の娘と夫婦になって塾も安泰・・・といくはずでしたが、二十歳になる前に病死します。さらに、後年(江戸の四代飢饉)のひとつに数えられる「享保の大飢饉」が起こります。西日本で風邪が流行り、幸の父があっけなく亡くなります。母は妹を連れて豪農の家に住み込みで住まわせてもらうことになり、幸は九歳になったので、大坂に奉公に出されることに。綿買い商人に連れられて、着いたのは、大坂の天満にある呉服商「五鈴屋」。

ところが、幸の他にも三人の女の子がいて、五鈴屋が欲しいのは一人だけ。「お家(え)さん」と呼ばれる店主の祖母、富久(ふく)は、半襟という、襦袢や着物を髪油で汚さないように襟の部分に縫い付けるものをお土産に渡すことに。他の女の子たちは高いのを取りますが、幸は一番安い黒い半襟を取ります。それを見ていた富久は背後の男に「治兵衛、何ぞたずねたいことはおますか」と問いかけ、治兵衛と呼ばれた男は幸に「なんでそない地味なのを選びはったんだすか」と訊ねます。幸は、黒の方が汚れが目立たない、母に使ってもらおうと、肌触りが良いものを選んだ、と答えると、幸だけを残して、他の三人は「ご苦労さん」といって帰されます。じつは、値札はどれも適当で、幸の選んだのがいちばん上等な生地で、高い値札の半襟は安物だったのです。

現代風にいえば会社の面接、入社テストみたいなことをやらされ、しかもあの女の子たちも飢饉で田舎から口減らしのために大坂に連れてこられた、幸と似たような境遇だろうに、そんな子らに人の心をもてあそぶような真似をしたことで、父親の「商は即ち詐」という言葉が浮かび、暗い気持ちになります。

五鈴屋は、今の当主が四代目の徳兵衛でまだ二十歳。(お家さん)の富久は二代目の嫁で、まだ若い四代目の後見人であり五鈴屋の女将。四代目徳兵衛は長男で、次男の惣次、三男の智蔵と三人兄弟。番頭は治兵衛。奉公人は九人で、女中はお竹とお梅、それと新入りの幸。

ある夜、幸は治兵衛が丁稚の小僧らに字を教えているのを目撃します。それを見かけた智蔵は「そういや幸の父親は学者だったな」と思い出します。智蔵は商売よりも読書が好きで、奉公人の手習いを食い入るように見ている幸に「商売往来」という書を渡します。
後日、智蔵は治兵衛に「幸にも勉強をさせてやってくれ」と頼み込んでいるのを見かけ、ふと、亡くなった兄が思い浮かびます。

また別の日。治兵衛が丁稚の小僧に墨を磨るのがなってないので練習しろ、と叱ります。とうとう泣き出す小僧。するとお竹が幸に「あんた、学者の子なら墨磨りできるやろ、教えてやりなはれ」と言い、幸は小僧に硯と墨の違いと相性で磨り方が変わることを丁寧に教えます。その様子をじっと見ている治兵衛。小僧は墨汁を治兵衛のところに持っていき「ええ墨だす」と褒められ、今度は嬉し泣きします。治兵衛は幸を呼び「夜、墨を磨る手伝いをしてくれ」というのです。
夜になって、幸は治兵衛に中座敷に案内され、ここで墨を磨るように、と言われます。その部屋からは、治兵衛が小僧たちに「商売往来」を教えているのがよく見えるのです。というのも、五鈴屋では(店)と(奥)、(主筋)と(奉公人)の区別がはっきりとしていて、女中の幸が店での勉強には参加できません。が、中座敷から「覗く」のであれば構わないだろう、という粋な計らい。

そのうち、幸は智蔵や治兵衛に商売に分からないことを質問しますが、その内容が九歳の女の子とは思えないほど。番頭の治兵衛は「五鈴屋はどうやらとんでもない拾い物をしたようだすな、お前はん、ひょっとしたら大化けするかも知れん」と笑います。

ところで、先述したように、この時代は享保年間。質素倹約を国家政策とした「享保の改革」は、呉服を扱う五鈴屋にとっては大打撃。ですが、四代目徳兵衛は店を弟の惣次と番頭の治兵衛に任せて本人は遊びまくり。富久は、四代目が嫁でも取れば変わってくれるだろうと思い・・・

「大映ドラマか韓流ドラマ」と例えましたが、あれですね、「昼ドラ」ですね。まあさすがに(たわしコロッケ)が出てきたりはしませんかね。もうすでに九巻まで買ってます。こりゃ一気読みしそうな。


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垣根涼介 『光秀の定理』

2021-08-15 | Weblog
気が付いたら一年の半分どころか三分の二が終わろうとしています。個人的には秋から冬にかけてのだんだんと朝起きるときに布団から出たくなくなってきて、日照時間が短くなってゆく、あの感じが一年の中で一番好きなので、はやくこないかなー。

さて、垣根涼介さんです。この作品が初めての時代小説ということなんでしょうかね。

タイトルに(光秀)とあるくらいですから主人公は明智光秀なのですが、光秀といえばあの自分の上司というか雇用主を宿泊先もろとも燃やしちゃったでおなじみの(変)がありますが、その場面の詳細はなく、光秀が無職というかニート同然だったころに新九郎という兵法者と愚息という破戒僧の二人と出会ったのですが、秀吉の天下に移ったあたりにこの二人が「なんで光秀はあんなことをしたのか」と回想というか分析をする、という方式。

もう今さら「あの(変)の真相は!」みたいなのは、過去に映像作品でも小説でもさんざん考察されてますから、この作品内でも事実のみで特に触れていません。

関東から京に来た兵法者の新九郎。ある日のこと、道端に人だかりができていたので覗いてみると、坊主が足軽を相手に賭け事をしています。坊主の前には四つの伏せてある茶椀。その中のひとつに石ころが入っています。賭ける椀はひとつで、当たれば足軽の勝ち、外れれば坊主の勝ち。坊主は、賭けられてない三つのうち二つを開けます。石ころは入っていません。残りは二つでどちらかに石ころが入ってます。そこで坊主が「最初に賭けた茶椀を変えてもよい」といいます。どちらかに石ころが入ってるわけですから、確率は半々。こうやって、足軽が勝ったり、坊主が勝ったりするのですが、回数を重ねていくうちに、坊主のほうが勝っていきます。そのうち足軽が「お前イカサマやってるだろ」と怒り出しますが、だれがどう見てもインチキはしていません。そのうち賭け事がお開きになると、新九郎は坊主に声をかけて、さっきの四つの茶椀のからくりを教えてもらおうとします。坊主の名は愚息。逆に「では、一から十まで足した数はいくつかすぐ答えよ」と聞かれますが、すぐに答えられず、愚息から凡人じゃなと馬鹿にされます。

こんな出会いがあってしばらくして、夜のこと。旅姿の武士が「命が惜しければ金と剣を置いていけ」と脅してきます。ところが新九郎が構えると、相手はあっさり降参します。新九郎はいつぞやの愚息の問い「一から十まで足した数はいくつか」と武士に聞くと「五十五」と即答。なんでそんなに短時間で答えられたのか聞くと、武士は地面に

一二三四五六七八九十
十九八七六五四三二一

と書き、「上と下をそれぞれ足すと十一で十個あるから百十になってそれの半分」とすんなり答えます。新九郎と愚息はこの武士の名を訪ねます。武士は「姓は明智、諱は光秀、字は十兵衛、明智十兵衛光秀と申す」と名乗ります。
今は細川藤孝の屋敷に厄介になっているので、遊びにきてくれ」といいます。

「明智家」は、清和源氏の流れを組む美濃(現在の岐阜県)源氏の土岐氏の庶流で、いわば正統の武家で、主君である美濃の斎藤家が戦国時代の天下取りレースでは序盤に脱落してしまい、(正統)明智家の光秀も浪人として細川藤孝の家に厄介になっています。ちなみに細川家も清和源氏の足利家の支流にあたります。

新九郎と愚息は細川の屋敷に招かれ、藤孝は愚息が天竺に行って原始仏教の経典を学んできたことに興味を持ちます。そんなこんなで時は過ぎ、京の政局で大事件が。十三代将軍足利義輝が殺されたのです。しかし、足利将軍家の「嫡男以外は出家する」という伝統で奈良の一条院門跡の覚慶(義輝の実弟、のちの十五代将軍足利義昭)は、いずれ興福寺別当になるとのことで南都と余計な争いは避けたい松永家・三好家は覚慶を幽閉するにとどめておきました。そこで、藤孝と光秀は、覚慶に将軍になってもらおうとして、一条院からの脱出を計画します。尾崎豊の「今夜、家出の計画を立てる」どころの騒ぎではありません。作品中では、この脱出計画に新九郎と愚息も関わってきます。

この頃、新九郎は村で道場を開いて、村の子どもたちに剣術を教えます。金が無いので木刀が揃えられず、しかたなく笹の棒で打ち合いの稽古をします。しかし、フニャフニャした笹ではまともな打ち合いなどできません。そこで新九郎は、余計な力を抜いて正しい構えから正しい打ち込みをすれば笹でも打つことができると気付いて、そこから剣の腕もメキメキ上達し、やがて「笹の葉新九郎」という異名で京界隈ではちょっとした有名人に。光秀が新九郎と愚息に「覚慶脱出計画」の協力を頼むと、今後、光秀が出世したら、一万石につき黄金一枚をもらう、という出世払いを契約します。しかしこの時点では、信長の家臣になって十万石の大名になったのを皮切りにすぐに直轄領だけで五十万石に、系列の家臣の領地を合わせたら二百万石を超えて「近畿管領」と呼ばれるまでに大出世するとは思ってもいませんでした。

覚慶を無事に近江から若狭へ逃がした光秀。しかし、この計画で、藤孝のしたある判断が、光秀と愚息・新九郎との関係にヒビが入ることになるとは・・・

ここからはおおよそ史実の通り、光秀は十五代将軍足利義昭の家臣に、そして織田信長の家臣になります。といっても歴史書ではなくあくまで小説でエンタテインメントですので、オリジナル部分をちょいと紹介。近江の六角氏との戦いが長期化するのを恐れた信長はもともと木下藤吉郎(のちの豊臣秀吉)の後方支援だった光秀に「長光寺城を落とせるか、なんなら兵を六百ほど使ってもよい」と訊ねると、光秀は「手勢のみで」と答えます。さっそく長光寺城のある小山の麓に行ってみると、山頂に登る道は東西南北それぞれに一本の計四本。光秀は間者を偵察に向かわせます。戻ってきた間者は「四本のうち三本の道に兵を配置して、うち一本は捨てる模様」という報告を受けます。そこで光秀の脳裏に浮かんだのは、いつぞや愚息と新九郎がやっていた、四つの椀のうちひとつに石ころを入れてどれに入れたか当てるという賭け事。光秀は、この近くの寺にいる愚息と新九郎を呼び、どの道に行ったらよいのか、(四つの椀)のヒントを聞こうとしますが・・・

光秀はなぜあんなことをしたのか、という解釈は、ははあ、なるほど、という感じ。まあ起きてしまったことはしょうがないとして、「歴史は帳尻合わせをする」という言葉がありますが、たとえ光秀がやらなくても、いずれ他の誰かが同じようなことをしていたでしょう。つまり信長さんは普通に布団の上で死ねない、そういう運命だったのです。

この本を読んでまたひとつおりこうになった豆知識。ちょうどこの時代あたりで、夜の照明が荏胡麻油から菜種油に変わって、明るさが激変したとのこと。
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髙田郁 『出世花 蓮花の契り』

2021-08-07 | 日本人作家 た
暑いです。心頭滅却すれば涼しくなるのかなと思って心頭滅却してみましたが暑いままです。

個人的なお話をひとつ。今の体重は年齢と身長からすればだいたい理想的な体重でして、ところが7~8年前くらいまでは今より30キロ以上太ってまして、まあ世間でいう「デブ」、ギョーカイ用語でいう「ぶーでー」でして、このままじゃいかんと一念発起して今の体重になったわけですが、その当時のことを思い出してみますと、やはり今よりも暑く感じてましたね。もともと汗っかきでしたが、痩せてから汗の量が減ったような気がします。

はい。

さて、この作品はデビュー作「出世花」の続編になります。といってもシリーズではなく、完結編ですね。

ざっとあらすじを。不義密通の上に脱藩した妻を追って夫は娘を連れて江戸まで出てきますが夫は死んでしまい、娘ひとり残されます。娘を預かったのは、江戸の郊外、下落合村にある青泉寺というお寺。娘はもとの名前を(お艶)といったのですが寺の和尚から(お縁)と名付けてもらい、さらに、火葬の手伝いをするようになって(正縁)と名付けてもらいます。いつしか、青泉寺で火葬してもらう前に正縁に死に化粧をしてもらうと極楽に行けると巷の噂になります。

前作で、内藤新宿の菓子舗の主人夫婦がお縁を養女に迎えたいといってきますが、なんだかんだでお縁はその申し出を断り、これからも寺で葬式の手伝いをすることに。ここで豪快にネタバレを。この「桜花堂」という菓子舗の主人の後妻というのが、じつはお縁の実母だったのです。

前作で、とある遊女の死に化粧を頼まれたお縁ですが、その話を持ってきた(てまり)という遊女をある日たまたま見かけます。しかし、てまりの住む一帯は大火事があったばかりで、てまりの消息は不明でした。別の日のこと。数珠の修理をお願いに職人の家を訪ねたお縁は、そこに出てきた女性がてまりにうりふたつ、いや、てまりそのものだったのに驚きますが、本人は別の名前を・・・という「ふたり静」。

「桜花堂」の主人の息子、仙太郎が青泉寺に訪れます。仙太郎は桜花堂の日本橋支店を任されていたのですが火事で焼失、営業再開まで新宿本店に身を寄せることになったのですが、仙太郎の義母にあたるお香と、仙太郎の嫁が険悪で、ここはひとつ、お縁にしばらく桜花堂に来てほしいとお願いに。桜花堂に世話になるお縁ですが、さっそく事件が。桜花堂の菓子を食べたお得意さんが急死して・・・という「青葉風」。

「青葉風」で菓子を食べて急死した謎を解いたお縁は、捜査にあたっていた同心の新藤からえらく気に入られ、死因不明の事件があるとお縁に相談にくる始末。お縁は新藤に「桜花堂に世話になるよりも、早く青泉寺に戻りたい」と告げます。そんなことはさておき、とうとう仙太郎の嫁が出て行ってしまいます。お縁は仙太郎の嫁に会いに行くと、じつは赤ちゃんができた、というのです・・・という「夢の浮橋」。

大川(隅田)に架かる永代橋が崩落して、大勢の死者が出て、その亡骸を並べて、亡骸の着物を整えたり髪を結ったりしていたお縁を見ていた人が「ありゃあ生き菩薩様だ」と話題になります。幕府は、そういう「人心を惑わす」ような存在に対しては厳しく取り締まるので心配していたら案の定、役人がやって来て、あれこれ難癖をつけてしばらく閉門せよとの命令が・・・という表題作「蓮花の契り」。

これで完結。まあスッキリというエンディングではありませんが、ちゃんと収めるべきところに収めてくれたな、といった感じ。「生きるとは、死ぬとは、なんのために生まれてきたのか」という難しいテーマではありますが、そういうことをちょっとでも考えている方には手に取って読んでほしい作品です。
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宮部みゆき 『三鬼 三島屋変調百物語四之続』

2021-07-31 | 日本人作家 ま
今ここで書いているのは小説の素人書評ブログなわけですが、そういや「若者の〇〇離れ」といわれていつも上位にくるのが「読書」なのではないでしょうか。もっとも中には「若者の漬け物離れ」といったように、いやいや若者なんてもともと漬け物好きじゃねーし、みたいな自分たちの営業努力不足を棚に上げてなんでも若者のせいにしてる向きもあったりしますが、まあでもこれは実は良い現象だとする考え方もあって、昔の若者の夢とか目標とかって、ともすれば国家戦略や企業戦略であったり、「大人のたしなみ」といって好きでもないのに酒タバコをやったり、バブル期の「クリスマスにはイタ飯で赤プリでティファニー」みたいなマニュアル好きであったり、そういった「呪縛」から解放されて、趣味の多様性、主観的幸福感、自分はこれが好き(これが嫌い)と言い易い世の中になったのかな、と。

以上、若者いまむかし。

さて、宮部みゆきさん。このシリーズも現時点で7巻まで出版されていまして、1巻で4話か5話くらいあったとして「百物語」まで少なくとも20巻は超えないと到達しないのですが、100話までやるんでしょうか。それはそれとして、そもそも主人公のおちかの(心の傷)を癒すためにこんな酔狂なことを始めたのであって、ぶっちゃけ傷が癒えたら百までいかなくても途中でやめても別にいいんですけどね。どうなんでしょ。

お客さんは、(おつぎ)という名の女の子。江戸から相模国の平塚までの中原街道の途中にある小さい村から来ました。おつぎは(お化け)を見た、というのですが、正確には(もうじゃ)つまり亡者、亡くなった人。この村では、春先に、ある「祭り」が毎年開催されるのですが、今年は諸事情で中止との噂が。しかしその祭りは田圃の神様にお祈りするものなので、中止なんてしようものなら秋に米が収穫できなくなると恐れて一部の人らは強硬開催しようとします。そんな中、おつぎが山の中の小屋で見たのは、死んだはずの人で・・・という「迷いの旅籠」。

おちかたちは花見に出かけます。そこで「だるま屋」の弁当を食べたらこれがめっぽう美味しくて、でも話によればだるま屋は一年の半分は休業するというのです。そのだるま屋の主人がやって来て「うちが夏場に店を閉めるのには、面妖な理由がございまして・・・」ときました。主人が房州の田舎から江戸に出て料理人の修行をして、葬式で実家に戻ってまた江戸に戻ろうとしたとき、道の途中で急に空腹に襲われ身動きが取れなくなります。ところがそれからツキが回ってきて・・・という「食客ひだる神」。

今回のお客は、齢五十半ばという武士。といっても、この武士の主家が改易となって、今は浪人暮らし。まだ藩士だったころ、ある揉め事から、山奉行の山番士という役に就かされ、三年という期間、山の中の村に送られることになります。村に行くのはもうひとり、二十歳の若侍。雨が降れば土砂崩れが起き、風が吹けば木々が倒れ、真冬は大雪が降って凍えるほど寒いという過酷な場所。ちなみに前任者のうちひとりは逃亡し、ひとりは行方不明。この村の住人は、過去に罪を犯した者かその家族、または他の藩から逃げてきた者、といった、もう他所には行けないような人たち。そして、この村に伝わる、頭に黒い籠を被った、ものすごい速さで移動する「鬼」が・・・という表題作の「三鬼」。

三島屋に主人の次男が怪我をして奉公先から戻ってくるという話もありつつ、お客が。年配の女性でありながら島田髷に振袖という若い娘の恰好をしているというちょっと変わった(お梅)という老婆。家は芝の神明町で(美仙屋)という香具屋をやっています。初代の嫁がたいそう美人で、それから代々、生まれる娘はみな美人という話で、お梅は三姉妹の末っ子で、長女も次女も巷で評判の美人。ある風の強い日、火事が起こって、周りが焼け落ちてしまったのに、美仙屋はなぜか無事でした。しかし、家の中では、次女のお菊が亡くなって・・・という「おくらさま」。

最終話の中で、「瓢箪古堂」という貸本屋が登場します。おちかと「百物語」を陰で支えるお勝が「お嬢さんは、あの方とご縁があります」と意味深なことを言います。さらに、三島屋の、現在は他所で奉公をしている次男の富次郎が怪我をして三島屋に戻って来て、おちかが面白いことをやっているということで、手伝うことになります。そしてさらに、手習い塾の師匠で浪人の青野利一郎に、仕官の話が・・・

冒頭で説明したおちかの過去の(心の傷)も、少しずつではありますが、癒えてきているところではあります。
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