晴乗雨読な休日

休日の趣味レベルで晴れの日は自転車に乗ってお出かけ。雨の日は家で読書。

夏目漱石 『倫敦塔』

2010-01-30 | 日本人作家 な
『倫敦塔』は、表題作としての短編小説で、イギリス留学中に
ロンドンにあるロンドンタワーを見学した漱石が、その歴史に
惹きつけられ、数百年前の国王や、バラ戦争などに想いを馳せて
幻想に包まれてゆく、といった作品。

他にも、エッセイ的なロンドンの博物館を描いた「カーライル博物館」
や、ヨーロッパの歴史古典物語を描いた作品などがあり、どの作品も
全体的に散文寄りかな、と。

しかし、「琴のそら音」や「趣味の遺伝」などは、物語形式となって
いて、とくに「趣味の遺伝」という作品は、ある青年が駅で、日露戦争
の帰還兵を出迎える式典に出くわすところから始まる、物語性を
重視した作品。
そこに、戦争で死んだはずの、仲の良かった先輩の姿があったのです。
しかしそれはうりふたつの男で、青年は先輩を思い出し、墓参りに
出かけます。
すると、そこに妙齢の女性が先輩の墓参りをしています。
なんでも腹を割って話し合った先輩からは、こんな女性の存在など
聞いたこともなく、亡き先輩の御母さんに聞いてみますが、やはり
知らないと言うのです。
そこで青年は、戦地から送られてきた日記を借りることにします。
日記には、郵便局で出会った女性に惹かれてしまい、もし戦地で
死ぬことがあれば、あんなような女性に墓参りしてもらいたいもの
だ、ついては、自分の好きな白菊でもたむけてほしい、と書いて
あったのです。
先輩の墓参りをしていた女性は、白菊をたむけていた・・・

タイトルの「趣味」とは、男女間の相愛関係をさすそうです。
この作品で特筆すべきは、物語の筋も面白いのですが、なんと
いっても漱石のユーモアのセンス。
これは、人物描写を大事にする漱石作品ならではの面白さで、
文章そのもののユーモアではなく、登場人物のユーモアが
頭に容易に思い浮かべられるのです。


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海堂尊 『ジェネラル・ルージュの凱旋』

2010-01-29 | 日本人作家 か
架空都市、桜宮市にある東城大付属病院の不定愁訴外来という、
ようは患者の愚痴の聞き役の担当である田口医師と、厚生労働省
の白鳥のコンビが活躍する「チーム・バチスタの栄光」からはじまる
シリーズもので、『ジェネラル・ルージュの凱旋』は、前作の「ナイチン
ゲールの沈黙」と時系列にほぼ同時刻に起きた、匿名の告発文書に
関して、田口医師が調査をはじめます。

救命救急センター部長で、「血まみれ将軍(ジェネラル・ルージュ)」
と呼ばれる速見医師が、ドクターヘリの導入に絡み、ある業者と癒着
している、との匿名の文章が、不定愁訴外来の田口医師のもとに届け
られます。

東城大学病院の院長に相談すると、田口が委員長を務める「リスクマネ
ジメント委員会」よりも、倫理問題審査委員会(エシックス・コミティ)」
に調査をしてほしいと言われます。
田口と速見は大学の同窓生で、速見をよく知る田口は、癒着などする
ような男ではないと確信しており、エシックスにこの問題を回されると
自分の管轄外になり手出しができません。
しかも、エシックスには田口憎しの委員がいて、おりあらば田口にも
攻撃してくる様子。

そして、エシックスの、速見の追求がはじまるのですが、またもや
厚生労働省から白鳥がやって来て、委員会は紛糾し・・・

はたして、速見は匿名文書の通り癒着を認めて追放となってしまう
のか、それとも田口、白鳥の一手はあるのか・・・

エシックスの委員長の田沼精神科学助教授は、院内でもすこぶる
評判の悪い医師で、何かにつけてエシックスで現場の医師からの
要求を却下、「泥沼倫理」と呼ばれています。
そして、アメリカ帰りで病院経営コンサルタントが東城大病院の
経営にあたっており、こちらも何かにつけて経費の抑制。

病院が経営を第一優先事項に挙げてしまうと、小児や救急などと
いった採算の難しい科はいの一番に削減あるいは廃止の方向に
向かってしまいます。しかし、物語の中で速水の主張する
「警察や消防が予算が厳しいからといって仕事をしなかったら
国民の命を守れない。病院の救急も国民の命を守る最前線なの
だから、本来は利益がどうのではなくて国の予算で運営される
べきなのに、独立採算制で利益の出ない小児や救急は廃止縮小
されて、挙句、問題が起こったら病院のせいになる」
というのは、まさしく現場と場外の考え方の差。

物語の後半、病院近くのバイパス道路で大規模事故が発生します。
現場から病院までの道は悪く、救急車での搬送では時間がかかって
しまいます。上空を見る速水、そこには報道ヘリが上空を舞って
いるのです。ドクターヘリさえあれば、より多くの救える命がある
はず。
しかし現実には、年間運営費2億円という金額は捻出するのに容易
ではありません。こういうところに予算をつぎ込めば、何かと批判
続出の今の与党にも追い風になるのになあ。

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デニス・ルヘイン 『ミスティックリバー』

2010-01-27 | 海外作家 ラ・ワ
たしか、舞台演出家の蜷川幸雄さんだったと記憶しているのですが、
「芝居は最初の1分で勝負が決まる」というようなことを言っていて、
時間が1分か10秒か、言葉のニュアンスも違ってたら申し訳ない
ですが、音楽にしても、イントロをちょっと聴いただけで、これいい曲
だと直感で分かるような、良質な作品というのは、はじめの部分から
して飛び抜けていなければならないということですね。

『ミスティックリバー』を読み始めたときに、まさに冒頭の20行
くらいで「ああ、これは面白い」と感じました。全体的なストーリー
は、どこまでも暗く、また登場人物もみんな暗く悲しい。幸せな人は
出てきません。
そして物語の冒頭は、ショーンとジミーという登場人物が子供だった
ころ、ふたりの父親は町のお菓子工場に勤めていて、いつもチョコレ
ートの臭いを家に持ち帰ってきて、服やベッド、車の座席までも甘い
臭いが染み付いて離れず、おかげでショーンもジミーも甘い物嫌いに
なってしまい、そして残りの生涯、コーヒーはブラックで、デザートは
必ず残すようになった、というもの。

ジミーの父親は息子を連れてショーンの家に飲みに行き、こどもたちは
外で遊ぶようになります。そしてもうひとり、デイブという少年も加わり
3人で遊びます。
ショーンの家は町の「岬」方面に建ち、ジミーとデイブの家は「集合住宅
地(フラッツ)」にあります。岬には一戸建てがあり、集合住宅地は賃貸
で、両地域とも労働者階級ではあるものの、そこには差があります。
この対比の描写が面白く、「岬の家族は教会に行き、助け合い、選挙の
ある月は街角でプラカードを揚げた。集合住宅地の人々は勝手気ままに
生き、ときに動物並みの生活をし、通りにはごみが散乱していた」、
ショーンは制服で教会の教区学校に通いますが、ジミーとデイブは公立の
小学校に通い、私服なのは格好良いけれど、毎日同じ服で、それは格好
悪かったのです。

こどもたちもヒエラルキーを漠然と理解していて、ショーンはジミーと
デイブと遊んでいるものの、距離を感じます。

そしてある日、道路で3人が遊んでいると、警官の車が止まり、デイブ
だけを家まで送り届けるといって車に乗せます。しかしそれは偽の警官
で、誘拐事件に発展します。その4日後、デイブは自力で逃げ出し無事
保護されるのですが、明らかに様子が違います。

ジミーもデイブにどう接していいか分からず自然に遠のき、ショーンも
遠くの学校に通うことになり疎遠に。

時は過ぎ、25年後。チンピラ稼業から足を洗い、小さな店を切り盛り
するジミーの娘が、真夜中に公園で殺されます。
州警察の刑事であるショーンは犯人を探します。ジミーの娘が殺された
夜、デイブは血まみれで帰宅します。デイブの妻が理由を訊くと、黒人
の暴漢に襲われそうになり、反撃をしてそのまま殺してしまったと告白
します。そかし妻は、話がどこか不自然なデイブを疑います。

やがて、ジミーの娘殺しの捜査線上にデイブが・・・

25年前にジミーとショーンの目の前で連れ去られたデイブ。彼の心の
闇は大人になり結婚し子供をもうけても消えることはなく、この事件を
きっかけにふたたび3人は顔をあわせることになるのですが、しかし
ジミーとショーンも25年前のことで心に傷を負っているのです。

冬の夜明け前、空は夜じゅうでいちばん暗くなり、そしていちばん冷え
込みます。しかし、明けない夜はなく、春は遠からじ。
この本を読み終わったちょうどそんな時間に、明るい兆しを見出そうと
しました。

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海堂尊 『螺鈿迷宮』

2010-01-25 | 日本人作家 か
海堂尊の「チームバチスタの栄光」からはじまる、架空の都市、桜宮市
にある東城大学付属病院での諸問題を、不定愁訴外来という名の、よう
は患者の愚痴を聞くためにいる田口医師と、厚生省から来た白鳥の活
躍を中心に描くシリーズものがありまして、今回読んだ『螺鈿迷宮』は、
同じ桜宮市にある、東城大病院よりも古くからある碧翠院桜宮病院での
話となっています。

東城大医学部に通う落ちこぼれ学生の天馬大吉は、幼なじみの別宮葉子
から、碧翠院桜宮病院に潜入してほしいと依頼されます。
葉子は小さい新聞社の桜宮支社で働く記者で、厚生労働省から今回の
取材要請が来ており、現在桜宮病院で募集しているボランティアとして
潜入取材をするというもの。

乗り気ではない大吉は、一度は断りますが、いきつけの雀荘で大負け、
100万円の借金を背負わされます。流しの男に契約書を書かされ、
行き着いた先には、なんと葉子が。
実は桜宮病院の潜入取材にはもうひとつの依頼があって、それは流し
の男こと結城の会社「メディカル・アソシエイツ」の社員が潜入して
から行方不明になっているとのこと。

桜宮病院は、終末期医療で名高いものの、もともと悪い噂の絶えない
病院で、大吉は不承不承ボランティアとして潜りこむことに。
桜宮の終末期医療とは、患者に院内の仕事を与えて生きがいを持って
もらうというもの。そして大吉も医療ボランティアとして働きはじめるも、
姫宮という看護士のミスに巻き込まれ、大怪我を負ってしまいます。

ボランティアから患者になってしまった大吉は、院内の仕事を与えられる
ことになります。しかし、今日、翌日、そして2日後と、次々と患者が
亡くなっていき、それもつい昨日までは元気だった患者が不自然と思える
死を・・・

桜宮病院の外観が巨大なかたつむりのような円形をしていて、こどもたち
は「でんでん虫」と呼びます。そして、かたつむりの頭の部分になる塔から、
光が発射されるという、こどもの間の噂があったのですが、その仕掛け
というか理由が後に解明されます。
院長をはじめ、その二人の娘も医者なのですが、今の医療体制、とりわけ
厚労省の無能無策ぶりに吼えます。
もっともこの作品だけに見られることではなく、海堂尊という作家は現役
の医師で、小説という場を借りて厚労省の無能無策を叩いていますね。

『螺鈿迷宮』は、田口、白鳥コンビのシリーズもののスピン・オフ的な
作品で、あとでこの桜宮病院に白鳥が東城大からの派遣医師として登場。
田口や東城大病院長も名前だけ出てきます。
そして姫宮とは、シリーズものには名前だけ登場していたある人。

ラストシーンは衝撃。さしもの白鳥も負けを認めるほどです。
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高杉良 『濁流』

2010-01-23 | 日本人作家 た
高杉良といえば「金融腐食列島」などの経済小説でおなじみ
だとは思うのですが、この『濁流』は、舞台こそ経済専門の
出版会社での話ですが、その内輪のゴタゴタがメインで、人間
模様が強く印象に残ります。

「産業経済新報社」という雑誌社は、「鬼のスギリョー」こと杉野
良治の超ワンマン主幹が率いていて、杉野は政治、経済に幅広く
顔が利き、社主催のパーティーには現職総理や大物経営者などが
集まるほど。
といっても、そんなに格式高い雑誌社というわけではなく、その実
企業の醜聞などを嗅ぎ付け、それを雑誌に掲載、広告でこれでもか
と叩き、それを恐れる会社側がしぶしぶ定期購読をさせられている
といった状態で、中には杉野に金を脅し取られるといったことも。

しかし、大物政治家や大企業のトップに顔が利くということもあり、
フィクサーとして企業の合併や事件のもみ消しなどに暗躍。
まさに「さわらぬ何とやらに祟りなし」といった具合。

ワンマンぶりは傍若無人で、杉野の意に添わない人物は片っ端から
切り捨て、挙句、信奉する振興宗教に入信しないと解雇させられる
始末。

その杉野の秘書である田宮は、編集から秘書に移されて2年余り。
杉野は田宮を気に入り、次期主幹を任せると言い、一人娘との
結婚を勧めます。しかし杉野の家族は父親に対する反感が強く、
杉野は長年、家には戻らず、ホテル暮らし。

田宮は杉野の娘、治子に会い、交際に発展しますが、問題が。
田宮は社員ということで不本意ながらも新興宗教の儀式に参加して
いるのですが、治子は大反対。杉野からは家族を新興宗教に連れて
こいと言われて板挟み。

そんな会社内にも不満分子がいないわけでもなく、田宮のかつての
編集部時代の後輩は一度も儀式に出席しておらず、とうとう杉野は
強制的に参加を命令。折衷案を杉野に提案するも杉野の逆鱗に触れ
田宮は取締役から降格となり・・・

この本が出版された時代背景はバブル崩壊前後。その時代にこんな
会社があったんかいな、というのが感想ですが、しかし最近流行の
「ブラック会社」という、法令遵守なんてクソくらえの会社が存在
しているのも事実。
田宮はことあるごとに「大人の対応」を迫られますが、杉野を筆頭
に上司はどいつもこいつも小学生レベル。

「世の中きれい事では渡っていけない」「お前も大人になれ」と
正義側を諭しますが、どうにも大人を履き違えている人が多すぎますね。
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篠田節子 『インコは戻ってきたか』

2010-01-21 | 日本人作家 さ
『インコは戻ってきたか』の本の帯には、「女の側から書かれた冒険
小説があっていい!」とあり、たしかに女性作家のアクションエンター
テインメント系の小説も少なくありませんが、どうしても主人公は
男になってしまいます。

高村薫や服部真澄といった、ジェットコースターアクションやサスペンス
に長けた女性作家が、女性を主人公にした作品を書いても面白いと
思うのですが、やはり「宝探し」や「秘密基地」といえば男の子の
専売特許というか領域になってしまうのでしょうかね。

個人的に篠田節子という作家を好きな理由は、同性の嫌な部分を露骨に
描けるというところにあります。
(その代表格は桐野夏生を挙げたい)
男からしてみると「ええっ、女性って残酷」と思ってしまうような、
同性だから書けるということもあるのでしょうが。

女性雑誌の編集として働く、既婚で子持ちの響子は、海外旅行の取材で
地中海のキプロスへ向かいます。
しかし、信頼の置けるカメラマンではなく、その代理として檜山という
男が同行することに。
家庭内では義母のどことなく皮肉な物言いに辟易し、職場ではどこか
浮いた存在となり、そしてキプロスに着くと、同行の檜山は方向オンチ
で頼りなく、ついつい響子はきつく当たってしまいます。

女性の喜ぶような、治安の良さは当たり前で綺麗な風景や建物、という
触れ込みでキプロスに来たものの、現実は国内を分断する、ギリシャ系
とトルコ系を隔てる壁があり、ふたりが取材に来る前に、ギリシャ系の
少年がトルコ地区に侵入し射殺されるといった事件もあり、穏やかでは
ありません。

そんな中、きなくさい噂を耳にします。それは、ロシアのマフィアが
キプロスに暗躍しているということ。さらに響子は取材中に誰かに
尾行されていると気づきます。

取材もほぼ終わりに近づいた日の夜、檜山の運転する車が道を誤り、
トルコ系地域に迷い込んでしまいます。ふたりは軍人に捕まり、連行
されてしまいます。そこには、トルコ系地域に取材に来ていた外国人
記者も数名連行されていて、今日じゅうには停戦ラインを越えることは
できないと告げられます。
そして、停戦ラインの向こう側では暴動寸前の騒ぎで・・・

インコとは、ふたりが取材途中で出会った少年が飼っていた鳥で、
この鳥は出稼ぎで非合法にギリシャ系地域に来ていたトルコ系の
男が飼っていたもので、しかし男は捕まってしまい、少年に「必ず
戻るから」と言い残し、インコをあげたのです。
ふたりと少年が会話をしている最中、そのインコは空へと飛んでいって
しまいます。
小さな島で住民が争うキプロスという国と、インコ。この対比が
胸を打ちます。
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マイケル・ヴェンチュラ 『動物園 世界の終わる場所』

2010-01-19 | 海外作家 ア
マイケル・ヴェンチュラは、アメリカのコラムニスト、エッセイスト、
脚本家で小説家と幅広く活動し、前に読んだ小説「ナイトタイム・
ルージングタイム」という、ミュージシャン業界のドロドロした内幕
を描く内容で、これが面白かった、というか、視点と感性がユニーク
だな、と感じたものです。

『動物園 世界の終わる場所』は、中年の外科医アビーが妻と息子に
去られて、息子を動物園に誘うも、父親に対する尊敬は持たれておら
ず、どうせ一人で行けないから誘うんだろ、と小ばかにされ、ヤケに
なったアビーは動物園に一人で行き、そこで虎に話しかけられます。
そして虎の囲いの近くにいた女性、リーと出会い、アビーはリーに
惹かれてゆくのです。

アビーは、幼いころから「幻聴」のような、自分に話しかけてくる
存在に悩みますが、同じような症状を息子も持っていることを知り、
精神科医に連れていきます。

家庭が崩壊し、息子は心の病気に苦しみ、アビー自身は虎に話しかけ
られて頭は混乱しますが、虎のアドバイスと自由奔放なリーのおかげ
で、だんだん正気に向かっていきます。

動物園の動物たちに自分を投影し、ときに人間とはかくも愚かな存在
と嘆き、ときに囲いの中で過ごす動物たちに比べて人間のなんと自由
なことよと喜びます。ある種のアニマルセラピーともいえます。

「世界の終わる場所」とは、自分をノアに見立て、自分の肉体を動物
のパーツで形成した「箱舟」になぞらえます。
ここまでくると「ちょっと頭のアレな人」となるのですが、人間とは
そんなに高尚な種ではなく、サルとDNAが1パーセントしか違わず、
存在の意味や意義を見出そうとしますが、地球にとっては何がしかの
理由があるから人間は存在しているだけで、その理由とは、ほんの
偶然(気まぐれ?)で滅んだ恐竜や陸に上がれなかった海洋生物と
違いはないのでは。

つまり、地球の歴史にとって、人間の存在とは取るに足らない種
であるからして、あまり深く物事なんか考えんでよろしい、という
俯瞰的な哲学がこの本にはあるように思えます。
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朝倉卓弥 『君の名残を』

2010-01-16 | 日本人作家 あ
宝島社の主催する「このミステリーがすごい!」で第1回大賞を
受賞した朝倉卓弥「四日間の奇跡」は、完成度の高さとアイデア
の素晴らしさに驚きとともに感動したものです。

『君の名残を』は、「四日間の奇跡」と共通する点を探すとすれば、
ファンタジーな部分でしょうか。
現代の高校生が平安末期にタイムスリップし、歴史上の人物になり
人生を送るという物語なのですが、話が進んでゆくうちにタイムスリ
ップにどうにかして必然性を持たせることが出てこなければならなく
なり(必然性がなければ、完成度の低いファンタジーで終わってしま
う)、なぜ平安時代に送りこまれなければならなかったのか、物語中
ではその説明もちゃんとあり、一応は納得できる答えはあるのですが、
それでも核心は、あえて曖昧にしていると思いました。

高校生で幼馴染みの剣道部員、白石友恵と原口武蔵は、大雨の中、
下校途中に突然姿を消してしまいます。友恵の親友の弟の志郎も
この二人とともに姿を消します。
友恵は目が覚めると、そこには昔の衣装を着た男たちがいて、助けて
もらいます。
今はいつと聞いても、平成とは答えず、さらに、場所を尋ねると、
「木曽」という返事が。
友恵は、木曽にある武士の屋敷に居候として住むことに。やがて、
京の都では平清盛という男が貴族の高位に就くという噂が届き、
歴史が不得手な友恵にも、ようやくこの時代が分かるのです。
時は平安末期、友恵を助けた男、駒王は元服し、源義仲を名乗り、
友恵に結婚を申し込みます。ここに友恵は巴御前として生きる
ことに・・・

一方、武蔵は、親を失った孤児たちとともに寺で生活をします。
そこに、平家の侍が来て、寺の和尚と子供たちを惨殺。命からがら
逃げることになった武蔵は、生き残った静という名の女の子と
旅に出ますが、途中別れることに。
武蔵は、和尚と子供たちを殺した男を探し復讐するために京都の
五条の橋のたもとで待ち続けます。
ときに武蔵は狼藉と間違われ、それでも剣道で培った技術はこの
時代の剣術よりもレベルが高く、簡単に勝ちます。
やがて、五条の橋には剣の達人がいて、侍が襲われるという噂が
京の都に知れ渡り、ある男が武蔵と決闘を申し込みます。
この男こそ牛若丸、のちの源九郎義経。牛若は、はじめて見た
剣術に魅了され、教えを請います。
そしてふたりは主従の関係となり・・・

友恵は巴として義仲とともに兵を挙げ、武蔵は武蔵坊として奥州
平泉から義経とともに打倒平家に向かいます。
そして、もうひとりこの時代にタイムスリップした志郎は、北条
家の四男(北条政子の弟、頼朝の義弟)としてこの時代に。

物語は、打倒平家で挙兵した義仲の軍勢が京に進攻、義仲は朝敵
となり頼朝の軍勢に負け、そして平家が壇ノ浦で滅亡、頼朝が鎌倉
で政治の基礎体制を築きはじめ、義経は兄頼朝の怒りを買い、奥州
までの逃避行を描いています。
巴と義仲、義経と武蔵、そして北条と頼朝、京の清盛の周辺と、
どれもバランスよく書かれていて、だからこんなに長編になってしま
ったのですね。

全体的に、手塚治虫先生の「火の鳥(乱世編)(鳳凰編)」に強い
影響を受けてるなと思い、本の後ろに、「死生感は手塚治虫氏に影響
を受けた」と書いてあり、なるほどと。

随所にこの時代に起こった出来事や時代風俗を説明してあり、それが
邪魔せずにスムーズに差し込まれています。親切。
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ディーン・クーンツ 『ミスター・マーダー』

2010-01-14 | 海外作家 カ
クーンツ作品は、重厚というほどでもなく、また社会に警鐘を
鳴らすといったものでもなく、よくも悪くもライトタッチで、
時々ファンタジックな、それでいてスリリングといった、かと
いって決して「チープ」では終わらせない、その評価は「とりあ
えず読んでみて」としか伝えられないのですが、『ミスター・
マーダー』は、これは読むべきだと声を大にして言いたい、そんな
作品。

ミステリー作家のマーティは、ある日突然、頭の中に奇妙な言葉
が浮かび、それを口にしていることに気付きます。
小説の構想も、その奇妙な言葉に邪魔されてしまいます。
児童カウンセラーの妻とふたりの娘の幸せな生活も、脅かされて
いるよう。

マーティは、妻の紹介でカウンセラーに相談しますが、ストレス
にる幻聴程度のものだと診断され、家に戻ると、そこには、マーティ
とうりふたつの顔、そして同じ声の男が・・・。
男は「おれの人生を返せ」とマーティに詰め寄り・・・

ここから、マーティにそっくりな男が、妻と娘をかどわかそうとし、
連れ去られまいとするという闘いが描かれていきます。
しかし、この男は、マーティこそ偽者だと思い込んでいるのです。

そして、この男を追うなぞの組織とは・・・

『ミスター・マーダー』とは、マーティがある雑誌の取材で掲載された
本人にとって不本意な紹介のされかたによるもの。
あたかも、ミステリー小説に出てくる殺し屋の持つ残忍性が、この作者
にもあるかのような構図の写真。
このせいで、自分に瓜二つの男に殺されかけた時も、警察はマーティの
言い分を信じようとせず、自作自演の狂言だと疑ったほど。

マーティは格闘の末、隠してあった銃で「片割れ」の男を確かに撃ち、
廊下は血の海になったはずなのですが、男の姿はありません。
その驚異的な回復力は、先述したある「組織」と関係があるのですが・・・

後半は、追う者と追われる者の闘いという構図で、徐々にさまざまな
謎が明らかになっていき、すっきりとしつつもどこか哀愁につまされ、
はやく結末まで読みたい、でもこの物語の世界にまだ浸っていたい、
そんなジレンマに悩みます。

終わりに、「パラサイトイブ」の著者、瀬名秀明氏による解説があるの
ですが、こちらもまた読みごたえあるひとつの作品となっております。

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森絵都 『DIVE!!』

2010-01-12 | 海外作家 マ
スポーツをテーマにした小説には、そもそもはじめからハンデが
あるといいますか、躍動感などはおおまかですが視覚によって
心に刻まれるもので、それを文章で表現するという困難があり、
さらに『DIVE!!』では、飛び込み競技というマイナーな
スポーツをテーマにすることにより、さらにその困難は増します。

しかし、与えられた「条件」の範囲内で、人間の持つ表現の力を
駆使すれば、これほどまで臨場感あふれる描写ができるのかと
感動を通り越して畏敬すら覚えます。

しばしば、ラジオでプロ野球の実況を聴いている時、音声のみの
表現であるにもかかわらず、テレビよりも心が打ち震える瞬間が
あります。テレビとラジオの優劣や上下という問題ではなく、
そこに聴いている側の想像力が加わって、例えばただのホームラン
でも、ひょっとしたら球場を飛び越えて夜空の中に白球が消えて
月に星にまで届くのではないかと頭の中に「物語」を重ねるのです。

『DIVE!!』は、東京にある小さなダイビングクラブに、
ある日ひとりの女性がコーチに就任し、クラブの存続の条件と
して、オリンピック選手を出すという突拍子もないことを言い
出します。
その候補は、高校生でクラブの花形選手と、まだ中学生の選手。
さらにそこに、青森から「伝説のダイバー」の孫という選手も
現れて・・・

少年たちの心の葛藤、反発、成長が、青々しい若葉から茎を太ら
せて太陽に向かい背を伸ばしやがて花を咲かせるといったような
自然界の営みに似た、力強さを感じます。

そんなにこの作者の作品を読んだわけではありませんが、「風に
舞い上がるビニールシート」と「永遠の出口」、そして『DIVE
!!』を読んで思ったことは、とにかく森絵都という作家は、多様
性と柔軟性を持ち合わせているなあ、と。

先述した、足りない情報から独自の「物語」を重ねるというもの、
森絵都作品を読むと、「物語」の創作がほとばしります。
それが、立体化した作品よりも心に残る。
本を読むという醍醐味を教えてくれるのです。

力強さと繊細、ユーモアとシリアス、複雑とシンプル、対極な表現
がビンの中で混ざり合い、水と油が乳化するように一体となる。
そう、ドレッシングのような小説家。
もし万が一、いや億が一、ご本人がこの例えを見て気分を害されたら
ごめんなさい。
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