晴乗雨読な休日

休日の趣味レベルで晴れの日は自転車に乗ってお出かけ。雨の日は家で読書。

柳家小三治 『ま・く・ら』

2020-04-26 | 日本人作家 や
この「柳家小三治」は、当代(10代目)、人間国宝の小三治さん。いつのシリーズか忘れましたが「金八先生」に出演されてましたね。

落語には話の本題に入る前に「まあ近頃は~」といった感じで雑談といいますか四方山話といいますか、そこからはじまって、ごく自然な流れで本題に入っていく、その部分を「まくら」というのですが、いつだかテレビで見た小三治さんの落語、「芝浜」でしたか、まくらを入れずにいきなり本題に入ったのでちょっと驚いた(スタジオの解説の人も「珍しい」と言ってましたっけ)のですが、なんでも、独演会ではフリートークとばかりにまくらを話し、それが「めっぽう面白い」そうで、出版社の人がそれらを集めて文字にして書籍化したということで、厳密にいえば小三治さんの「著作」ではありません。

ニューヨークにひとりで行った話、サンフランシスコに3か月間(留学)した話、玉子かけ御飯の話、駐車場に居ついた浮浪者の話、寄席の今昔の話、林家彦六師匠の話、芸者の話、フランク永井さんの話、バイクの話、昭和天皇の話、仲間との句会の話、CDの話、旅の話、小三治さんのお父さんの話、塩の話、ミツバチの話、英語での返事の話、といった感じのラインナップ。

もともと多趣味で有名なんだそうで、そういや一流の料理人も料理だけ意識せずに、絵画や彫刻、映画や写真といった芸術や娯楽に触れて、他分野から学ばなければだめだ、というようなことを言ってましたが、小三治さんの「知的好奇心」はすごいですね。
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山本一力 『おたふく』

2017-04-26 | 日本人作家 や
ここ数年ですか、時代小説ばっかり読んでるせいか、
テレビのニュースなどを見てると、この季節なんかは
桜の映像が多いのですが、この前、隅田川が映った
ときに「あ、大川だ」と、昔の呼び名のほうが頭に
出てきてしまって、ちょいと、その、困ったものです。

さて、また時代小説。

時代は天明、寛政。西暦だと1780年から1800年
ぐらい。日本史的にいうと、このころのビッグニュース
といえば「天明の大飢饉」それから「寛政の改革」です
ね。

廻漕問屋の特撰堂は、各地の高級名産品を取り扱うお店。
主人は代々「太兵衛」を襲名するならわしで、この話
は五代目。

地方では餓死者も出るほどの飢饉だというのに、花の
お江戸では、老中、田沼意次の権勢は衰えず、賄賂が
横行しています。
そしてとうとう腐敗がマックス、田沼意次は老中を
辞め、その代わりに権力を掌握したのが、松平定信。

定信はさっそく「テメーらこれから贅沢禁止な」という
寛政の改革を行うことに。
そして、極め付きが、それまでの武士の借金をチャラに
しようという「棄捐令」。

この当時、武士の給金はお米で支給されていました。
よく旗本や御家人の家格を示すのに「○○石○人扶持」
というアレですね。
しかし、この米を当時流通してた貨幣に換金しなければ
ならず、この換金を承っていたのが「札差」と呼ばれる
人たちで、物価が値上がりしても武士の給料は変わらず、
それでも体面は重んじなければならない武士たちは、翌年
翌々年の支給米を担保に借金をすることに。

「武士に金を貸して金儲けするとはけしからん」とした
幕府は、およそ百万両の武士の借金をチャラにします。
それまで毎夜、散財していた札差たちはおとなしくな
ります。飲み食いしたり、高級なものを買ったり、
家を普請しなくなって、町に金が落ちてこなくなり、
江戸は一気に不景気になります。

じつは棄捐令で一番困ったのは、皮肉なことに武士だった
のです。というのも、借金は帳消しになったのですが、給料
は変わらず、結局また米を担保に借金をしなければならない
生活は続きますが、とうの札差が「棄捐令のせいでこちら
もキツイんすわ」と貸し渋りに出ます。

この不景気の波は諸国の高級品を扱う特撰堂にモロに
響きます。
そんな中、五代目主人の弟、祐治郎は独立することに。
とはいっても「のれん分け」するわけでもなく、やり
たいことも見つかりません。が、ある日、職人のための
仕出し弁当を思いつきます。職人は現場に出ると昼休憩
で近くに飯屋が無いと困ってしまうからです。

祐治郎は妻みのりの実家で深川の飯屋に赴き、職人が
食べやすい弁当の中身や値段設定などを相談し、そして
弁当屋「梅屋」がついに開業します。

はじめこそ大工職人に売っていたのですが、そのうち
町火消しにもこの弁当を作ることに。

ところが、この噂を聞いた川向う、つまり大川の東側
のよからぬ連中が「ビッグビジネスの予感」という
ことで「梅屋」の仕出し弁当システムをパクろうと・・・

有名な狂歌で
「白河の 清きに魚も 住みかねて もとの濁りの 田沼恋しき」
というものがありますが、白河というのは松平定信の領藩
である現在の福島県の白河藩で、田沼とは前の老中、意次。

金の流れはいわば人体の血液と同じで、滞れば具合が悪く
なりますが、平和な時代になっても何も生産しない武士
にはそれが理解できなかった、というわけですね。

池波正太郎さんの「剣客商売」では、秋山親子の親しい
存在として田沼意次が登場し、このシリーズの中では
汚職政治家ではなく「まっとうな政治家」として描かれて
います。

人間はそもそもアンバランスで成り立っていて、その人間が
作る社会にバランスを求めるから崩れてしまう。なるほど。
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山本兼一 『利休にたずねよ』

2017-04-23 | 日本人作家 や
山本兼一さんの小説は、これがはじめて。

もっとも、知らなかったわけではありません。

山本一力さんはコンプリートとまではいかない
ですがけっこう読んでいて、本屋に行くと、
「時代、歴史小説」の「や」の棚のたいてい横に
山本兼一さんの作品があって、まあいつか気が
向いたら読んでみよう、と思ってました。

それがなんと、直木賞受賞作。

説明するまでもありませんが、タイトルの「利休」
は、千利休のことですね。お茶の人。

歴史上の有名人物ではありますが、別に武将だった
わけでもないのに、なんで豊臣秀吉に切腹を命じら
れたのか、そもそもなんで秀吉にそこまで近づくこと
ができたのか。今まであまり深く考えたことは正直
無かったです。

考えたことがあるといえば、なんで茶道は「表」と「裏」
と「武者小路」と三つの家があるのか。

詳しいことは各自で調べていただくことにして、ざっと
説明すると、利休のひ孫にあたる三人がそれぞれ表、裏、
武者小路と「千家」を名乗ることにした、と。

某家具屋みたいなお家騒動的なアレではないようで、
どっちかというと、徳川御三家のように、御家を守る
ために分家したようですね。

さて、話は、利休切腹の日の早朝からはじまります。
まず、そもそも、なんで秀吉に切腹しろなんて命令
されなきゃいけなくなったのか?

利休の持っていた小さな壺。

緑釉のこの壺は、高麗(朝鮮半島にあった古い国)
のもので、それを秀吉が欲しがったのが、利休が
断固拒否したから、と・・・

まあそれが直接の原因ではありませんが、少なくとも
一因ではあったわけです。ではなぜ利休はそこまで
その壺を手放したくなかったのか。

それには、ある一人の女性が関係してきます。

茶の湯は、当時の武将たちの「たしなみ」とされて、
秀吉が黄金の茶室を作ったのは有名ですが、ほかにも、
例えば徳川家康や前田利家、蒲生氏郷なども有名
ですね。
古田織部にいたっては、茶人としてのほうが有名で、
むしろ武将だったという方が知られてないくらいなの
では。

それまでの、室町の茶の湯は、優雅でセレブなスタイル
だったのが、利休の師匠あたりの世代で「侘び、寂び」
といったスタイルに変わり、利休はそれをさらに発展
させます。

四畳半だった茶室を三畳にし、二畳にし、とうとう一畳半に。

とことん「美」を追求する利休。一方、時の権力者、秀吉
はというと・・・

茶道も興味はあるのですが、元来はリラックスが主目的
だったはずですが、今はなんだか「作法」に重きを置い
てるような気がして、どうにも。
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山本一力 『道三堀のさくら』

2017-03-24 | 日本人作家 や
タイトルの「道三堀」とは、今の東京駅丸の内中央口
から皇居方面に向かいますと国道1号線、日比谷通り
にぶつかります。その交差点が「和田倉門」といいま
して、和田倉門から大手町を横切って日本橋川に合流
するあたりの「呉服橋」まで、距離的にはさほど長く
ない運河なのですが、この運河、江戸幕府が開かれる
前、つまり家康が江戸城に入城してすぐに掘られた、
江戸の中でも初期のお堀なのです。

家康の入城当時の地形に関係がありまして、現在の
日比谷あたりは「日比谷入江」といいまして、つまり
ガッツリ海でして、日比谷公園や霞が関から内堀通り
の向こう側は今の皇居ですから、つまり江戸城は今風
に言えば「ベイエリア」だったわけですね。
昔は海から船でそのまま城まで物資の運搬ができた
わけですが、この水路を掘った表向きは「行徳(千葉県
市川市)の塩を城に運ぶ水路のため」でしたが、実際は
攻め込まれたときに、日比谷入江を敵軍に封鎖される
と困るわけでして、その迂回路の役割で、江戸城のお堀
から大川(隅田川)の河口に出られる水路を掘ったんですね。

というのも、まだ家康は豊臣秀吉の部下の一人だった
わけでして、いつなんどき攻められるか分からなかった
のですね。

その後、日比谷は埋め立てられて、江戸湾から船で御城の
内堀まで行ける水路のうちの一本となります。

さて、ここからがこの本のストーリーとなりますが、
主人公の龍太郎の仕事は「水売り」です。
大川の東、本所深川エリアは埋立地で、井戸を掘っても
海水しか出ず、住民は真水を買っていたのですが、
その真水を運搬するのが「水売り」。

江戸の水は「神田上水」と「玉川上水」がありまして、
江戸中にこの上水道が張り巡らされて、その余った水
の排水口が、道三堀にかかる「銭瓶橋」にあり、この
水を船に積んだ樽に入れて、運ぶわけですね。

で、水を桶に移してそれを天秤棒で担いでお得意先を
まわったりするのですが、その水の重さが50キロ超と
いいますから、かなりヘビーな肉体労働です。
そのかわり給金は当時の町人でもトップクラス。

ある利権を巡って、龍太郎の所属する組合とよその
組合とで争いごとが起こったりします。

そんな中、龍太郎は、水売りの得意先のひとつ、深川
の蕎麦屋「しのだ」の娘おあきと恋仲。
ある日、日本橋の鰹節問屋の番頭が「しのだ」に来て、
深川に蕎麦屋を新規オープンしますんでよろしくと
挨拶に。

その蕎麦屋、間口が通常の三軒分もあり、客席数も
多く、日本橋の老舗鰹節問屋が経営するということ
で深川界隈の蕎麦屋は戦々恐々。

ところが、いろいろありまして、鰹節問屋は蕎麦屋
の経営を断念します。
そこで、予定地だった店に、浄水場を作る計画を
立てます。龍太郎もアドバイザーとして協力します。
が、このことでおあきと龍太郎はすれ違うことに・・・

あれは何年前だったでしょうかね、飲み水をペット
ボトルで売るということが当時けっこうなニュース
になったような記憶があります。
「こんな水が豊富な日本でヨーロッパの真似せんでも」
みたいな感じで。

江戸時代の下町では普通に水を買ってたというのが
面白いですね。


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山本一力 『いかだ満月』

2017-02-10 | 日本人作家 や
この話は、江戸の材木商、それから木場の川並(海上で
柱を結んでいかだにする人)が出てきますが、これらで
思い出すのが、去年の朝ドラ「とと姉ちゃん」で、3姉妹
の祖母が老舗材木商の女主人で、大地真央さんが演じて
ましたね。

大地真央さんの芝居にどうこういうわけではありませんが、
「粋でいなせ」「チャキチャキ感」っていうんですか、
なんかこう、過剰だったといいますか・・・
娘役の木村多江さんのほうがよっぽど「下町の女性」
でしたね。

あれは演出が悪いんです。はい。

さて、天保3年5月、江戸の大名屋敷や大店商人の家
ばかり狙って金を盗んだ大盗賊、鼠小僧次郎吉がとう
とう捕まります。

残された妻のおきちと息子の大次郎。当然、鼠小僧は
「私には妻子がおりまして」なんて言うわけはなく、
2人は、材木商「新宮屋」の祥吉の世話になることに。

じつはこの祥吉、鼠小僧の親友で相棒。「もし俺が
捕まったら2人をよろしく」と頼まれていました。

そんなこんなで、ある日、深川でも一二を争う老舗の
材木商「木征」の番頭が新宮屋を訪ねてきます。
ある大店の主人が、占いで「家を建てるなら全部の木
を熊野杉にしなさい」とのお告げがあったそうで、
ですが木征で扱うのは主に木曽産と土佐産。

しかし、木征が発注した熊野杉はなんと六百本。

祥吉は、この大規模な取引を実現するために、廻漕
問屋にお願いしますが、保証金がとんでもない額に。
あの手この手でどうにか安く運ぶことになります。

さて、いよいよ出発。祥吉は大次郎を新宮に連れて
いくことに。そして、船には川並の健次も乗ります。
じつは、木征の耳によくない噂が。
「新宮屋」の祥吉と、あの家にいる母子は、なにやら
この前処刑された鼠小僧と関係がある、というのです。
そこで、川並の健次を同行させ、様子を探らせるの
ですが・・・

読み終わって「え、ここで終わりなの?」という感じで、
もしかしたら続編があるんじゃないかと調べたら無く、
もう2倍のページ数で続きを書いてほしかったなあと
思いました。

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山本一力 『欅しぐれ』

2016-11-30 | 日本人作家 や
江戸、深川の佐賀町に桜並木があり、通称「佐賀町の百本桜」
と呼ばれています。この通り沿いに店を構えるのが、履物問屋
の桔梗屋。

桔梗屋のあるじ、太兵衛は、書道に通っていて、ある日のこと、
書いているときに咳き込んでしまい、隣の人の紙に筆がすべって
しまいます。

お詫びに、隣にいた人を飲みにさそいます。ところが、その相手
とは、「達磨の猪之吉」という賭場の貸元。太兵衛はどうやら
この人物は堅気ではないとわかって近づいた様子。

この飲みの一席で猪之吉は太兵衛を気に入ります。それから
数か月後、猪之吉の賭場で、若い男の客が為替切手を現金に
両替します。が、この切手、振出は桔梗屋だったのです・・・

猪之吉はこの件を太兵衛に聞いてみると、「出回りはじめました
か・・・」と、予感があったようです。

そこで太兵衛は、あるところから脅迫されてることを告げます。
「あるところ」とは、鎌倉屋という油問屋で、ここのあるじ、
桔梗屋の立地を一目見て気に入り、ここに店を出したいので
立ち退きを要求してきたのです。

立ち退きに応じないとわかるや、今度はなんと嫌がらせをはじめる
というのです。その手が今回の切手騒ぎだったのです。

鎌倉屋が頼んだ相手はどうやら、汚れ仕事専門のプロ集団。

それを聞いた猪之吉は、太兵衛の助太刀を受けます。

そんな中、いよいよ太兵衛の体の具合が悪くなり、猪之吉に
桔梗屋の後見人になってもらい、息を引き取ります。

次々と襲い掛かってくる嫌がらせに猪之吉はどう対抗して
いくのか・・・

この猪之吉は、他の作品にもたびたび登場しますね。
それだけでなく、例えば平岩弓枝さんの「御宿かわせみ」
シリーズにも、主人公と家族ぐるみの付き合いをする
香具師(やし)の元締めが出てきます。

江戸時代では、こういったアウトロー的な人たちは、
現代よりも「必要悪」といいますか、受け入れられて
いたようですね。


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山崎豊子 『白い巨塔』

2015-10-31 | 日本人作家 や
あらかじめ書きますが、今更、です。

言い訳とかそういうのではないのですが、まず山崎豊子の作品を読もうとするのには非常に気力がいるものでして、心してかからないと読み終わってグッタリするのです。
じっさい「沈まぬ太陽」や「大地の子」を読み終わったときは頭がぐわんぐわんして、次の本を読みはじめるまで時間が必要でした。

あと、去年入院してたときに読もうかなと思ったのですが、ドラマを見て内容を知っているので、あんまり入院中に読むものではないな、と思い、そのままにしておいて、ようやく読む気になった、と。あ、入院といっても手術はしなかったので関係ないといえば関係ないんですけどね。しかも大学病院じゃなかったですし。

さて、あらすじを書こうにも長すぎてどこまで書いていいのやら。もうホント、ザッと書きますと、国立浪速大学付属病院である癌の手術が行われたのですが患者は容態が急変して死亡、遺族は執刀医の第一外科の財前助教授を訴えます。財前は外科医として定評があり、教授選、ドイツでの学会参加など多忙の中での裁判。同期で友人の内科医、里見はこの裁判にいたる経緯の当事者ともいえる立場で、裁判でどのような証言をするのか・・・

医療裁判の難しさ、大学病院や医学界の陰謀渦巻く人間関係、研修医の待遇、などなど問題を提起。

驚いたのは、裁判の一審が終わった時点で一度はこの小説は完結している(文庫1~3巻)んですね。ただ、あまりに反響が大きかったため、続編というかたちで二審を描いた(文庫4,5巻)んですね。

やっぱり財前=悪、里見=善といった単純な構図になってないところが、読み終わって「あースッキリした」ではなく「医療従事者ではないけれど、いち人間として考えなければならない問題」という気持ちにさせられます。
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山本一力 『たまゆらに』

2015-08-19 | 日本人作家 や
山本一力の作品はずいぶん久しぶりなような気がしてまして、
当ブログで前に投稿したのを調べてみると去年の5月でした。

朋乃という若い娘は、青菜の棒手振り(天秤棒で担いで売る人)。
ある朝、仕入れに出かける途中、橋の上に落ちてた財布を拾います。

落し物を拾えば、自身番(今でいう交番みたいなもの)に届けなければ
なりませんが、取り調べが面倒なので、しかも、場合によっては盗んだ
など疑いをかけられることもあるので、「触らぬ神になんとやら」で、
真っ正直に財布を拾って届けるなんてことはあまりしません。

しかも、朋乃は仕入れに行くところでしたので、面倒ごとは避けたいところ。

ですが、自身番に届けることに。

自身番にいた目明し(岡っ引き)の五作は、財布の中身を確認すると、
中から、二十五両の包みが二つ、つまり五十両。しかも包みには
「三井両替店」の封紙が・・・

幕府の公金を扱っている三井の包みの小判なんて、普通の町人は手にすることはありません。
こうなってくると、五作は取り調べに時間をかけなければいけません。
すると、財布の中に紙が。

その紙には「日本橋室町 堀塚屋庄八郎商店」と。

それを聞いた朋乃は「ええっ!?」と驚きます。

というのも、その堀塚屋は、なんと朋乃の生家だったのです・・・

堀塚屋は日本橋の鼈甲問屋。朋乃の母、静江は堀塚屋の旦那に見初められ
結婚しますが、姑は実家が下町の魚屋である静江と息子との結婚に反対。
嫁いで産まれたのが朋乃でしたが、それから数年後、旦那と妾との間に
男の子が産まれたので、あんたは用無しとばかりに静江は朋乃を連れて
追い出され、それから母娘と長屋暮らしをしています。

そんな身の上話をする朋乃。ですが、堀塚屋の誰かが落とした(と思われる)
財布、しかも五十両もの大金を、堀塚屋が実家だという朋乃が拾うとは
偶然にしては話ができすぎてるなと五作は思い、それなら、堀塚屋では
誰かが財布を落として、お金を無くして大変ということになってるはずで、
堀塚屋に行ってみようということになるのですが・・・

早朝に大金入りの財布を拾うと見て、これは「芝浜」じゃないかと思いました。
もっとも朋乃は働き者ですけどね。しかも、夢ではありません(笑)
読み終わって、なんだか落語を聞いたような気持ちに。

朋乃の青菜の仕入れ先に、「研ぎ師太吉」にも登場した「青菜の泰蔵」が登場します。
相変わらずいい味出してます。
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山本周五郎 『さぶ』

2014-12-06 | 日本人作家 や
こちらも入院中に読んだ作品。

ある雨の日。両国橋を渡ろうとする男と、それを追いかける男。
ふたりは、江戸の経師屋(表装)、芳古堂に住む職人のさぶと栄二。
なにをやっても不器用で仕事の遅いさぶ。奉公先に入ってから何年たっても
いまだに糊を混ぜる仕事しかさせてもらえません。
一方、男前で仕事もよくできる栄二。

ふたりは同い年で、栄二とさぶは仲良く、ふたりでともに励まし合い、
成長していくところですが、栄二は、得意先で主人の大事にしていた
ものを盗んだという濡れ衣を着せられ、店を出されます。

やけになった栄二は酒を飲み酔っ払って、得意先に自分の無実を証明に
行くのですが・・・

栄二は暴力沙汰を起こしてしまい、人足寄場へ・・・

人足寄場とは、かの鬼平こと長谷川平蔵がアイデアを出した、無宿人の
ための職業訓練所。

そんな栄二のために、面会に訪れるさぶですが・・・

栄二は、なぜ盗人に”させられて”しまったのか、そして人足寄場で出会った
人々との交流で栄二の心は・・・

小説のタイトルは「さぶ」ですが、文中の内容は栄二に関することのほうが
多いです。

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山本周五郎 『青べか物語』

2014-11-30 | 日本人作家 や
これも、入院中に読んだ本。

なんとも不思議な小説。文中に登場する「浦粕町」という
”根戸川”のもっとも下流に位置する漁師町、とあるのですが、
これは作者が昭和のはじめごろに住んでいた千葉県の「浦安」
が舞台。

まあ、あんまり浦安を意識しないで、浦粕をあくまで架空の町
と思って読んだほうがいいですね。

ちなみに、青べかとは、「べか舟」という一人乗りの平底舟で、青い
ペンキが塗ってあり放置されていた舟を”私”が買った、というところ
から話ははじまります。

舞台の浦粕、浦粕の住人が、なんといいますか、「指輪物語」に出て
きそうなといったらいいんでしょうか、なんとも不思議な、独特の
価値観、世界観の中で生きていて、”私”は住んでいた数年後と、
三十年後に浦粕を訪れるのですが・・・

「小説という手法を排除した作品」という紹介のされかたをして
いますが、とにかく、読み終わったら不思議な気持ちになります。

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