晴乗雨読な休日

休日の趣味レベルで晴れの日は自転車に乗ってお出かけ。雨の日は家で読書。

On the Shore of the Wide World(この広い世界の浜辺で)

2023-02-26 | 自転車

しばらく自転車の投稿はお休みしてました。寒い中に凍えながら乗るほど酔狂ってわけでもありませんし、ですがさすがに2月も終わりになってきますと日中はポカポカしてきまして、夜勤明けではありましたが見事なピーカン晴れだったので、普段は夜勤明けだと家に帰って朝食のあとちょっと仮眠するのですが、食べ物を持ってサイクリング、海まで行ってブランチといきましょう。

いつものサイクリングコース。海に近づいてきてあと1キロくらいになってくると潮の香りがしてきます。

海まであと500メートルくらいのところの川沿いに河津桜?キレイですね。

そんなこんなで海!風が冷たかったのですがサーファーがけっこういました。

とりあえず座って、ハムとチーズとレタスとブロッコリースプラウトのサンドイッチとバナナ、ボトルにはミルクティー。ぼーっと海を眺めながらいただきます。波の音をBGMに寝っ転がってぼーっと空を眺めました。

家から海まで10キロ弱で海岸沿いの道をプラプラと移動したので往復25キロくらいですか。行きはスムーズだったのですが、帰りは超絶向かい風。途中何度かくじけそうになりましたが無事生還。今度はもうちょっと暖かくなって風も弱い日にまた行こうかな。

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池波正太郎 『侠客』

2023-02-25 | 日本人作家 あ

「これから〇〇を始めようと思います」という宣言を周囲の友人になりネットになり公表すると「言った手前やるしかなくなる」といった感じで自分を追い込むのもそれはそれでいいのですが、やはり一番かっこいいのは「不言実行」。もちろん「いついつまでに目標達成する!」といってその途中経過をブログやSNSで報告していくのは楽しいですけどね。と書き込んでいる最中にそういえば10年ほど前に「20キロ減量!」とSNSに投稿してたことを思い出しました。ちなみに現在の体重はそれからさらに10キロ減ってます。

 

年齢いくと痩せたら心配されますよね。

 

さて、池波正太郎さん。主人公は幡随院長兵衛。「お若えの、お待ちなせえやし」ですね。まさにタイトルの「侠客」の日本版元祖といわれていますが、そもそも侠客とはなんぞやと思い、こころみに調べてみますと「中国において義侠心を持って人の窮境を救う武力集団」とあり、いわゆる賭場や香具師の元締めとその配下、軒下三寸借りて「お控えなすって、手前生国とはっしますところ・・・」といった(やくざ)とは本来の意味は違います。

大和郡山・本多家家臣の奉公人、二十歳の塚本伊太郎は、ある使いの帰りに侍同士の斬り合いを見かけます。なんとそのひとりが伊太郎の父、塚本伊織だったのです。助けに加わりますが、父は斬られ、最期に「か、ら、つ・・・」と言い残して息絶えます。この争いを止めようと父を襲った相手を追い払ったのが、水野百助という侍。

塚本伊織は、もとは九州は唐津十二万石の大名、寺沢志摩守の家来で、伊太郎が五歳のときに藩から逃げて父子と塚本家の家来の三人で流浪の旅に出ます。途中で家来と別れ父子は江戸に。伊織は「八百屋・久兵衛」の離れに住み、伊太郎は大名家の奉公人になります。父の最期の言葉が気になるところですが水野百助は使いの途中だった伊太郎にとりあえず用を済ませてこいといい、伊織の遺体はおれに任せておけと引き受けます。

この水野百助、三千石の大身旗本、水野出雲守成貞の長男で、二十九歳。伊太郎が八百屋久兵衛に着くと百助に礼を言い、「おれに手伝えることがあったらいつでも屋敷に来てくれ」と言い残して帰ります。

塚本伊織の葬式は上野の幡随院新知恩寺で行われ、葬式の後、和尚が伊太郎に今後のことを聞くと浪人になって父の敵討ちをすると宣言。さっそく五年前に旅の途中で別れた塩田半平を探しに大坂へ行くことにします。しかし途中、伊太郎は侍に襲われて斬られます。それを助けてくれたのが旅の老人で山脇宗右衛門と娘のお金。宗右衛門は江戸で「人いれ宿」という現在でいう人材派遣・職業斡旋を営んでいます。

宗右衛門は伊太郎の話を聞いて、権兵衛という若者を大坂に向かわせますが、その時、半平は何者かに襲われ、大坂から逃げ江戸へ向かいます。権兵衛は大坂に着きますが半平が逃げたと知って急いで宗右衛門のもとへ戻り、伊太郎もいっしょに江戸に戻ります。そして半平が江戸に着くのですが何者かに殺されます。

それから数年後、塚本伊織と伊太郎殺害の命を受けていた辻十郎が斬られます。そこに「何をしてる」と通りかかったのが水野十郎左衛門。百助が家督を継いで名を改めたのです。瀕死の辻十郎を助け家に連れて行って十郎から伊太郎の父伊織を暗殺した理由を聞き、それが唐津藩の現当主の寺沢兵庫守からの命令だと知った伊太郎は兵庫守を敵討ちしようと・・・

この作品は文庫で読みまして、だいだいここまでで下巻の真ん中あたり。で、伊太郎は山脇宗右衛門の娘のお金と結婚して人いれ宿の後を継ぐことに。伊太郎は名前を捨ててまったく別の人間になろうと幡随院の和尚に相談し、長兵衛という名前をもらいます。そして世間から「幡随院長兵衛」と呼ばれることに。

しかし、運命とは残酷なもので、長兵衛はどんどん頭角を現し「町奴」と呼ばれるようになります。一方、戦も絶えて平和な時代になり、武士は官僚となりつつあるこの当時、父や祖父のように武士の本分である戦場を駆け回ることのない一部の旗本の孫や子世代にとってはフラストレーションがたまる一方で、町で乱暴狼藉をします。そんな彼らは「旗本奴」と呼ばれるようになり、その頭目が水野十郎左衛門。

町奴と旗本奴はたびたび衝突して、とうとう双方が我慢の限界に達しようとなってしまい、十郎左衛門は長兵衛と話し合いをすることに・・・

 

歌舞伎や講談は「より面白く」するために史実を脚色したりするわけですが、この作品でも歌舞伎や講談のストーリー的に不自然な部分の辻褄を合わせるようになっています。以前読んだフレデリック・フォーサイスの「オペラ座の怪人」の続編「マンハッタンの怪人」でも、「オペラ座の怪人」の不自然な部分の辻褄を合わせています。

もともと侠客や仁義や義侠心といった「弱きをたすけ強きをくじく」が、いつから「強きをたすけ弱きをくじく」になっちゃったんでしょうかね。

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半村良 『晴れた空』

2023-02-19 | 日本人作家 は

暦の上では春とのことですがまだまだ寒いですね。暖房費の高騰が気になって、基本的には冬場のアウトドアやキャンプなどで使用する、ポンチョとしても着られて、開けば布団に、ファスナーを閉じれば寝袋にもなるというあったかグッズを購入しました。さすがに朝晩はストーブをつけますが日中に家にいるときはそのポンチョを着れば意外とオーケー。家の中なのにアウトドア気分。

 

ソロキャンプに目覚めようかしら。

 

さて、半村良さん。この作品は戦前・戦中辺りからはじまってるので、父母か祖父母がその世代であればあまり「歴史」とは思えませんが、知ってる家族が全員戦後生まれだとこの時代の小説は「歴史小説」と捉えるのでしょうか。

太平洋戦争で劣勢になった日本はとうとう本土に空襲攻撃を受けます。そして一九四五(昭和二十)年三月十日、東京大空襲。その夜の死者数は公式記録では八万八千七百九十三人とされています。しかし、いたるところに黒焦げの焼死体が転がっていてひとりひとりの識別などできず、地域によってはガマ口の口金を拾い集めて数えて死者数を推定したといいます。

東京は上野駅の地下道。行き場のない人たちでいっぱいに。背の高い浮浪児が「おす」と壁にもたれている二人の浮浪児に話しかけます。「なんだ、バアちゃん」バアちゃんと呼ばれた浮浪児は「飴屋と級長には教えといたほうがいいと思って」と言います。バアちゃん、飴屋、級長というのは、浮浪児たちはもはや本名は必要とせずあだ名で呼び合っています。

「今日の昼にラジオで天皇陛下がなにか喋るみたいだぞ」

この日は八月十五日。バアちゃんからそう聞いた飴屋と級長の三人は地下道の外に出て、正午、君が代が流れます。

「敗けたんだってさ」「どうしようもねえや」

三人の浮浪児は仲間の浮浪児を探します。そこに新聞を積んだトラックがやって来ると級長は新聞の束を持って逃げます。他の浮浪児も参加した連携プレーで級長は逃げおおせ、この新聞を一枚一円で売ることに決めます。ちなみにすいとんが一杯一円の時代。

新聞を売りさばいた浮浪児たちはそれぞれ自己紹介をします。級長、飴屋、バアちゃん、そしてニコ、ゲソ、アカチン、マンジュー、ルスバン。バアちゃんだけが十四歳で他は偶然みな十三歳。

ある日のこと、駅の改札口近くで四歳か五歳くらいの女の子が座っておにぎりを食べています。級長が助けようとすると「この子をよろしくお願いします」という手紙が。急いで母親を探します。その母親は遠くで見ていました。そして級長は持っていた外食券を母娘に渡して「三月十日に僕らはみなあの晩母を亡くしました。がんばってその子といっしょにいてあげてください」といって食堂に案内します。

すいとんを食べて元気になった母娘を見て安心し、自分たちが臭いと思った級長と飴屋は盗んだ石鹸で土砂降りの雨の中で体を洗います。そして自分の母を思い出し「かあちゃん」「かあちゃぁん・・・」と泣き出します。

その日から母娘は級長ら浮浪児たちの仲間になって、故買商といえば聞こえはいいですが、ようは道端に風呂敷を拡げて彼らの盗んできた品物を売ることに。母はみんなから「お母さん」、娘は頭を丸刈りにしたので「ボーヤ」と呼ばれることに。お母さんは誰もがハッと見とれてしまう(もちろん級長たちも)ほど美人で小さな子が横にいるので売れ行きは良く、どんどん盗んできては売って、そのうち彼らの目標は「お母さんとボーヤの住む家を買う」になります。

級長が食堂にいると、酔っ払った飛行服を着た元航空隊が。級長が話しかけると、男は「俺は特攻隊の死に損ないよ」といいます。この前田という男は級長たちに妙に気に入られて彼らの仲間に。そして飲み屋で仕入れてきた有益な情報(どこの倉庫に何が置いてある)を教え、盗みに行って、それをお母さんとボーヤが売るのです。そうして金も貯まって、ルスバンの家のあった場所に家を建てることに。

しかし、この背後には、お母さんがじつは亡くなった海軍中佐の未亡人で、中佐に恩義がある影の実力者たちの手回しが・・・

この作品は文庫で上中下それぞれ四〇〇ページ以上、つまり千二百ページ超の長編で、ここまでが上巻の終わりのほう。このあとさらに中、下と続くのですが、まあネタバレにならない程度に触れますと、学校に通うようになった級長たちは彼らの特性というか長所を生かした道を歩むことに。お母さんは商才と人を惹きつける魅力があり、なんと会社を立ち上げます。そして前田はお母さんと少年たちの補佐というか日向となり陰となります。そしてラストは「ええ・・・」となります。この作品のタイトル「晴れた空」というのが、美しくもあり、悲しくもあります。

時間的に余裕があったらもっと早く読み終わっていたと思うのですが、ちょうど読み始めたあたりからこまごまと忙しくなって時間がかかってしまいました。機会があれば今度はゆっくりとじっくりと読みたい、そう思わせてくれる作品です。

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