晴乗雨読な休日

休日の趣味レベルで晴れの日は自転車に乗ってお出かけ。雨の日は家で読書。

帚木蓬生 『襲来』

2023-12-31 | 日本人作家 は
今年の読書の投稿が17。このブログをはじめた当初は目指せ年間100冊なんて思ってましたが、まあ今年はちょっと学校のほうが忙しかったのでしょうがなかったのであります。

というわけで、帚木蓬生さん。この作品のタイトルの意味は元寇ですね。モンゴル帝国のフビライ・ハンが日本を2度に渡って攻めてきて、嵐に遭ってほうほうの体で帰っていったという、例のやつ。といってもこの作品のメインテーマは日蓮とその弟子の見助の話。

安房国(現在の千葉県南部)の片海(現在の小湊)の漁師、貫爺さん。一緒に住むのは孫ほど年の離れた見助という少年。じつは見助はみなし子で、ある嵐の翌朝、壊れた船に男女の遺体と泣いている赤子がいたのを見つけたのが貫爺さんで、乳を分けてもらったりしながら子育てをします。魚とり名人の貫爺さんから船の漕ぎ方や釣りのコツなどを教えてもらいますが、見助が13歳のとき、貫爺さんは亡くなります。
この片海一帯は下総国の守護である千葉氏の飛び地の所領になっていて、千葉氏の家来の富木氏が年に数回片海にやって来ては貫爺さんが魚や貝を差し上げたりしていました。貫爺さんの葬儀は富木様も訪れ、さらに清澄寺から僧侶までも来ます。そこで富木様は見助を呼び、僧侶に「この子が片海で貫助に拾われた見助です」と紹介します。その僧侶は「気落ちしているだろうがそなたにはきっと良い人生が待っている」と見助に言うのですが、拾われたような自分がなんで幸せになるのだろうと不思議に思います。

富木様に魚や貝を届けるのは見助の役目となり、ある日のこと、獲った大鯛6匹を館まで持っていくと、富木様に呼ばれます。すると、貫爺さんの葬式の時に来た僧侶がいます。この僧侶は清澄寺の蓮長といい、蓮長も片海の生まれで、12歳で清澄寺に入って18で鎌倉に上り、その後比叡山で修行して、法華経こそが民草を救う教えであることを見つけます。しかし時は鎌倉、念仏宗や禅宗が全盛で、清澄寺でも念仏に染まっていて蓮長は危険思想とみなされ、地頭の東条景信に命を狙われるようになり、蓮長は清澄寺を出て行くことに。そして、蓮長の教えに賛同するふたりの僧に、新しい宗派を立ち上げて名前も日蓮にすると宣言します。

そうして日蓮は鎌倉へと旅立ちます。その目的は、数年のうちに国中が天変地異で荒れ果て国が乱れ、さらに外敵が襲来すると予言され、それを防ぐには国主が法華経に帰依すべし、ということなのですが、つまり現在の北条家の政権批判です。そこで富木様は見助に日蓮との仲介役になってくれと頼みます。そのために数の数え方と字を覚えてくれということで、見助は練習をします。翌年、富木様が片海に戻ってきて、練習の成果を披露し、富木様を驚かせます。すると、清澄寺の浄顕坊という僧といっしょに鎌倉の日蓮のもとに行って荷物を届けてほしいというので、見助はあのお坊さんに会えると喜びます。そうして鎌倉の外れの松葉谷というところの小屋に着きます。

日蓮は鎌倉で辻説法を行いますが、その内容とは現政権批判と主流の宗派の批判、この国はだめになる、それを防ぐには南無妙法蓮華経を唱えなさい、といったもので、信者が少しづつ増えますが、同時に日蓮を憎む者も増えます。
そんな中、日蓮が駿河国にある実相寺に一月ほど滞在するので見助がお供をすることに。そこで出会った伯耆坊という少年僧がいるのですが、日蓮の門下に入りたいと告げます。
鎌倉に戻った日蓮は、書き上げた「立正安国論」を北条家に上奏します。ところがある夜、草庵が襲撃を受け燃やされ、見助は日蓮といっしょに裏山へ逃げ、いったん下総国の中山にある富木様の館で身を寄せることにします。
そこで、日蓮が見助を呼び、「対馬まで行ってほしい」と頼むのです。立正安国論によると他国の侵略は西方の海の向こうからで、最初に攻めるのが対馬であろうというのですが、今のところ対馬の守護に警戒せよという命令は出ておらず、見助に偵察に行ってほしいというのです。
下総国から鎌倉へ、途中の駿河で実相寺に寄り、京の都から難波、播磨へ、そこから瀬戸内を船で博多へ。そして肥前小城の千葉氏の領地に着いて、書状を渡します。そして、馬場冠治という武家といっしょに対馬へ・・・

というあたりで上巻が終わって、下巻になると史実とおりに実際に海の向こうから蒙古が船で来ます。対馬も壱岐も壊滅状態、いよいよ九州上陸となったところで嵐に遭って朝鮮に引き返します。そこで幕府はようやく防衛のために兵を九州に派遣し、博多の海岸に石築地を作ることになりますが、対馬と壱岐の防衛は無視。二度目の蒙古襲来も嵐で引き返します。これがのちに「神風」と呼ばれるようになるのですが、それはさておき、見助が対馬に滞在中、ずっと日蓮と文のやり取りをしていて、その間に日蓮は流刑されたり、甲斐国の身延というところに移ったことを知り、そして日蓮が病に伏せていると知って、日蓮のもとに帰る決意をするのですが・・・

日蓮の本弟子「六老僧」のひとり、日興は実相寺にいた伯耆坊で、日蓮亡きのち、身延山を下りて別の流派を立ち上げます。

いくら尊敬する方のたってのお願いとはいえひとりで20年以上も九州に行かせるのは日蓮さんちょっとあんまりじゃないのと思ったりもしましたが、見助本人が「日蓮さまの手足であり耳目になる」ことを幸せで喜びに感じているならどうしようもありません。
日蓮の布教の「お前らは間違ってる、このままじゃ地球は終わる、俺のいうことを聞け」という、現代のラップバトルよろしく煽っていくスタイルで味方ばかりか敵も増やしていくんですけど、古今東西どこも宗教家はそうなんですよね。まあ当時の教育水準だとそういった恐怖心が結局のところ一番有効なんではありますが。

さて、こんな大晦日に今年ラスト投稿。また来年もよろしくお願いします。良いお年を。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

東川篤哉『探偵少女アリサの事件簿 溝ノ口より愛をこめて』

2023-06-05 | 日本人作家 は

当ブログの自己紹介にもありますがただ今大学生(通信制)でして、3年前の秋入学ですのでまだ3年生なのですがスケジュールは春入学に合わせなければならず、つまり履修期間は4月〜2月(初年度のみ10月〜)で、進級を希望する人は学年末の2月に次年度の履修科目の登録をする、ということになります。よって、今はまだ3年生なのに4年生の科目を受けているというメンドクサイ状態ではあるのですが、面白いのが、このままちゃんと卒業要件である単位を取得すれば来年の秋(9月)には卒業できますが、その翌年の3月に卒業つまり半年の履修期間延長ができるのです。もちろんその期間の学費は無料。どうせタダなら半年間大学生を満喫しましょうかね、といってもキャンパスライフはほぼ無縁ですが。

はじめてあの娘に出会った朝は 僕は二十歳でまだキャンパスも春。

 

さて、東川篤哉さん。

スーパーに勤めていて発注ミスでクビになった橘良太は地元の神奈川県川崎市の南武線沿いに戻って「なんでも屋」をはじめます。ある日、以来の電話が。今度の土曜日の夜、3時間ほど力を貸してほしいというのです。なんとその報酬3万円、つまり時給1万。いちおう「犯罪以外は何でも受ける」と宣伝はしていますが、大丈夫なのか。最寄りの武蔵新城駅から南武線に乗って武蔵溝ノ口へ。今回の依頼人である篠宮龍也から聞いた住所に着くと豪邸が。龍也の父の篠宮栄作は有名な画家で、龍也も画家。で、その依頼とは、ヌードのデッサン。終わりかけた頃に突然女性の悲鳴が。地下の栄作のアトリエに入ると、頭から血を流して倒れている栄作が。この事件に関わった良太ですが、別件の依頼でまた溝ノ口へ。そこで出会った名探偵夫婦の娘、綾羅木有紗という10歳の女の子の子守りをすることに。ところが有紗は近所で起こった有名画家の殺害事件の関係者の中に良太がいた事を調べていて、事件現場に連れて行ってほしいと・・・という「名探偵、溝ノ口に現る」。

次の依頼はまたしても綾羅木家からで、今度は有紗に武蔵溝ノ口から分倍河原まで電車で行って分倍河原駅の近くの喫茶店で有紗の父親の知り合いに原稿を渡してきてほしい、良太はその「見守り」をする、というもの。喫茶店にすでにいた中崎という男に原稿を渡したのですが、その帰り、ベンチで女の人が死んでいるという噂を聞き、その後警察が有紗のもとにやって来て詳しく話を聞きたいというのです。じつはそのベンチで死んでいた女性というのは中崎の浮気相手で・・・という「名探偵、南武線に迷う」。

ある日「なんでも屋タチバナ」に女性の依頼人が。内容は浮気調査で、依頼人の夫はパチンコ屋やゲームセンターを運営してる会社の社長で、妻が出かけている間に浮気相手を家に連れ込むかもしれないのでその証拠を掴んでほしい、というのです。そして、依頼人の母の友人という設定で良太と有紗が家に泊まることになったのですが、翌朝、夫が起きてこないので部屋に入ると頭から血を流して・・・という「名探偵、お屋敷で張り込む」。

今度の依頼は、地元商店街の草野球チームのメンバーが足りないから出てくれ、というもの。良太が助っ人に入ったチームは惜しくも負けますが、なんと今度はその試合の対戦相手から助っ人として呼ばれることに。試合開始のだいぶ前にグラウンドに着いてしまった良太は、マウンド付近で人が倒れていることに気付きます。近寄ってみるとその人物は今日の良太が入るチームの監督だったのです・・・という「名探偵、球場で足跡を残す」。

東川篤哉さんの作品は基本オフザケ満載なのですが、ミステリやアクション、サスペンスが好きな人が思わず「ニヤリ」とするネタを盛り込んで来るのでその部分が楽しみでもあります。まずタイトルがそうですね。あと有紗の親が依頼があって出かける事件の内容が「アレじゃねーか」と思わずツッコミたくなります。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

半村良 『晴れた空』

2023-02-19 | 日本人作家 は

暦の上では春とのことですがまだまだ寒いですね。暖房費の高騰が気になって、基本的には冬場のアウトドアやキャンプなどで使用する、ポンチョとしても着られて、開けば布団に、ファスナーを閉じれば寝袋にもなるというあったかグッズを購入しました。さすがに朝晩はストーブをつけますが日中に家にいるときはそのポンチョを着れば意外とオーケー。家の中なのにアウトドア気分。

 

ソロキャンプに目覚めようかしら。

 

さて、半村良さん。この作品は戦前・戦中辺りからはじまってるので、父母か祖父母がその世代であればあまり「歴史」とは思えませんが、知ってる家族が全員戦後生まれだとこの時代の小説は「歴史小説」と捉えるのでしょうか。

太平洋戦争で劣勢になった日本はとうとう本土に空襲攻撃を受けます。そして一九四五(昭和二十)年三月十日、東京大空襲。その夜の死者数は公式記録では八万八千七百九十三人とされています。しかし、いたるところに黒焦げの焼死体が転がっていてひとりひとりの識別などできず、地域によってはガマ口の口金を拾い集めて数えて死者数を推定したといいます。

東京は上野駅の地下道。行き場のない人たちでいっぱいに。背の高い浮浪児が「おす」と壁にもたれている二人の浮浪児に話しかけます。「なんだ、バアちゃん」バアちゃんと呼ばれた浮浪児は「飴屋と級長には教えといたほうがいいと思って」と言います。バアちゃん、飴屋、級長というのは、浮浪児たちはもはや本名は必要とせずあだ名で呼び合っています。

「今日の昼にラジオで天皇陛下がなにか喋るみたいだぞ」

この日は八月十五日。バアちゃんからそう聞いた飴屋と級長の三人は地下道の外に出て、正午、君が代が流れます。

「敗けたんだってさ」「どうしようもねえや」

三人の浮浪児は仲間の浮浪児を探します。そこに新聞を積んだトラックがやって来ると級長は新聞の束を持って逃げます。他の浮浪児も参加した連携プレーで級長は逃げおおせ、この新聞を一枚一円で売ることに決めます。ちなみにすいとんが一杯一円の時代。

新聞を売りさばいた浮浪児たちはそれぞれ自己紹介をします。級長、飴屋、バアちゃん、そしてニコ、ゲソ、アカチン、マンジュー、ルスバン。バアちゃんだけが十四歳で他は偶然みな十三歳。

ある日のこと、駅の改札口近くで四歳か五歳くらいの女の子が座っておにぎりを食べています。級長が助けようとすると「この子をよろしくお願いします」という手紙が。急いで母親を探します。その母親は遠くで見ていました。そして級長は持っていた外食券を母娘に渡して「三月十日に僕らはみなあの晩母を亡くしました。がんばってその子といっしょにいてあげてください」といって食堂に案内します。

すいとんを食べて元気になった母娘を見て安心し、自分たちが臭いと思った級長と飴屋は盗んだ石鹸で土砂降りの雨の中で体を洗います。そして自分の母を思い出し「かあちゃん」「かあちゃぁん・・・」と泣き出します。

その日から母娘は級長ら浮浪児たちの仲間になって、故買商といえば聞こえはいいですが、ようは道端に風呂敷を拡げて彼らの盗んできた品物を売ることに。母はみんなから「お母さん」、娘は頭を丸刈りにしたので「ボーヤ」と呼ばれることに。お母さんは誰もがハッと見とれてしまう(もちろん級長たちも)ほど美人で小さな子が横にいるので売れ行きは良く、どんどん盗んできては売って、そのうち彼らの目標は「お母さんとボーヤの住む家を買う」になります。

級長が食堂にいると、酔っ払った飛行服を着た元航空隊が。級長が話しかけると、男は「俺は特攻隊の死に損ないよ」といいます。この前田という男は級長たちに妙に気に入られて彼らの仲間に。そして飲み屋で仕入れてきた有益な情報(どこの倉庫に何が置いてある)を教え、盗みに行って、それをお母さんとボーヤが売るのです。そうして金も貯まって、ルスバンの家のあった場所に家を建てることに。

しかし、この背後には、お母さんがじつは亡くなった海軍中佐の未亡人で、中佐に恩義がある影の実力者たちの手回しが・・・

この作品は文庫で上中下それぞれ四〇〇ページ以上、つまり千二百ページ超の長編で、ここまでが上巻の終わりのほう。このあとさらに中、下と続くのですが、まあネタバレにならない程度に触れますと、学校に通うようになった級長たちは彼らの特性というか長所を生かした道を歩むことに。お母さんは商才と人を惹きつける魅力があり、なんと会社を立ち上げます。そして前田はお母さんと少年たちの補佐というか日向となり陰となります。そしてラストは「ええ・・・」となります。この作品のタイトル「晴れた空」というのが、美しくもあり、悲しくもあります。

時間的に余裕があったらもっと早く読み終わっていたと思うのですが、ちょうど読み始めたあたりからこまごまと忙しくなって時間がかかってしまいました。機会があれば今度はゆっくりとじっくりと読みたい、そう思わせてくれる作品です。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

東川篤哉 『完全犯罪に猫は何匹必要か?』

2023-01-28 | 日本人作家 は

移住促進や移住体験のテレビ番組がけっこう好きでたまに見たりしますが、まだ先の話ではありますが、予定どおりにいけば2年後に学校を卒業するので、ちょうどいい機会なので移住を考えています。といって別に今住んでるところが嫌なわけではありません。いやむしろ快適で過ごしやすいです。

10年ほど前に人生が激変する出来事がありまして、それまでの人生がエグザイル的にいうと第1章とするならこの10年は第2章、次の10年に第3章ということで、いっそのこと環境をガラッと変えてみようかと。さすがに海外移住は現実的ではないので国内で。近くに温泉のあるところがいいなあ。

ハービバノンノン。

さて、東川篤哉さん。この作品は「烏賊川市シリーズ」と呼ばれるもので、架空の都市(千葉の東、神奈川の西)での市警察の警部と私立探偵が謎解きに奔走するというふうになってます。この作品はシリーズ3作目。

10年前、飲食店経営の豪徳寺豊蔵氏の自宅ビニールハウス内で、医師の矢島洋一郎、48歳が殺されているのを発見されます。しかしこの事件は犯人を逮捕することができず、迷宮入りとなります。

烏賊川市に探偵事務所を開業している私立探偵の鵜飼杜夫と弟子(?)の戸村流平は猫を探しています。それも三毛猫。この「猫の捜索」の依頼をしたのは、豪徳寺豊蔵。豊蔵は大の猫好きで、店舗の前に巨大な招き猫がいることで有名な回転寿司チェーン「招き寿司」の社長である豊蔵は、飼い猫の三毛猫「ミケ子」を探してくれと依頼。

夏のある日の朝、烏賊川署の砂川警部と志木刑事を乗せたパトカーが豪徳寺家に到着。敷地内にあるビニールハウスへと向かいます。殺害された被害者は豪徳寺豊蔵、第一発見者は妻の昌代と息子。ビニールハウスの中には殺人の現場にはふさわしくない、巨大な招き猫。家族が現場に着いたとき、娘の真紀は気を失っていてロープで縛られていました。検死の結果によると死亡推定時刻は前日夜の午前0時から2時ころ。真紀が目撃したのは、猫のお面を被った犯人。家族全員と豪徳寺家に住む使用人と豊蔵の友人はみなアリバイがあります。

豪徳寺豊蔵氏の葬儀が行われ、鵜飼と戸村、ビルの管理人の朱美は会場に向かいます。豊蔵氏の依頼の継続を家族にお願いするため。すると会場に鵜飼の知り合いの通称(なんでも屋)の岩村がいるのを不思議に思います。葬儀が終わり、戸村が着替えのためトイレに入ると、そこには岩村の死体が・・・

はたして豊蔵を殺した犯人は誰なのか。10年前の事件との関係は。岩村の死は関係があるのか。そして三毛猫ミケ子は見つかるのか。

 

松本清張は「仕掛け箱」の中で行われていたミステリを外に出すためにいわゆる「社会派推理小説」を書いた、とどこかで読んだ記憶があります。ですが東川篤哉さんの一連の作品を読みますと、けっこう古典的なトリックが使われています。とはいっても古臭いといった印象はなく、むしろかえって新鮮に映ります。ファッションでも昔に流行ったファッションが再流行することがありますので、そんな感じですかね。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

帚木蓬生 『守教』

2022-08-21 | 日本人作家 は

お盆を過ぎて、関東南部はさすがに猛暑日になることがなくなってきて、朝晩と過ごしやすくなってきました。夜になると庭からリンリンと虫の声が。これから徐々に寒くなっていき、夕日の沈む時間がだんだんと早くなってくるこの季節が一年のうちで一番好きです。食べ物も美味しいですよね。お菓子作りが趣味なのですが、真夏はオーブンを極力使いたくないのでお菓子作りはせいぜいスコーンを焼くくらい。涼しくなってくると秋の味覚を使った焼き菓子を作るのが楽しみです。

以上、女子力高男(じょしりょくたかお)です。

 

さて、帚木蓬生(ははきぎほうせい)さんの作品を読むのはだいぶ前に「閉鎖病棟」を読んで以来。医師で小説家という方は結構好きでして、我が家の書棚にあるのは森鴎外、加賀乙彦さん、海堂尊さん、川田弥一郎さん、あと海外だとマイクル・クライトンがそうですよね。ちなみに渡辺淳一さんの作品は読んだことがありません。

 

永禄十二(一五六九)年、豊後(現在の大分県)の戦国大名、大友宗麟は、豊後日田の一万田右馬助の屋敷を訪れます。大殿は「お前が養子にしたあの子は元気か」と訪ねます。すると右馬助は養子を呼んで大殿の前に連れてきます。今年で十歳になる米助。「アルメイダ様の名前からメイをいただいて米の字をつけました」と右馬助。すると大殿は米助に向かって「お前の進む道はイエズス教だ」と言います。米助は幼い頃から養父母といっしょに毎朝「天にましますデウス・イエズス様、日々の恵みに感謝します」と唱えていたのです。

大友宗麟とキリスト教の出会いは、天文二十(一五五一)年、宣教師フランシスコ・ザビエルとの面会に遡ります。のちに洗礼を受けますが、このときにキリスト教に心動かされたわけではなく、主目的は交易でした。その後、豊後にやって来たアルメイダ修道士が「孤児院を建てたい」と希望しているので、大殿は、戦で足を負傷した大友家の重臣の右馬助に協力してくれと頼みます。ある日のこと、アルメイダは右馬助に「うまのすけさまは、こどもがいないので、ひとり、もらいませんか」とお願いします。このときの子が米助。

大殿が右馬助のもとに来た目的は他にあって、筑後領の高橋という村の大庄屋になって欲しいというのです。そして「わしの望みは九州一円をイエズス教の国にすることだが、たとえその夢が消えても右馬助が統べる村々でわしの夢を継いでほしい」とお願いします。そして右馬助は大殿からザビエル師から授かったという絹布を譲ってもらいます。

そして、高橋村の大庄屋になった右馬助のもとに、アルメイダがやって来ます。アルメイダが説教を行うというので、庄屋や村人たちが来て、説教を聞き、次々とデウス・イエズスに帰依したいという者があらわれます。村人の大半が信者となり、大殿との「小さくともデウス・イエズスの王国を築いてくれ」という約束を守ります。米助は元服して久米蔵と名乗り、結婚して子が生まれます。

しかし、日本の各地ではキリスト教の弾圧があり、布教も順調にはいきません。キリスト教に寛容で、やがて天下を取るであろうと目されていた織田信長が家臣に殺され、後釜についた豊臣秀吉は、はじめは静観していたのですが、いきなり「伴天連追放令」を出します。といっても、海外から来た神父や修道士の国外追放で日本人のイエズス教の信仰については特に何もありません。しかしイエズス教の教徒を公言している高山右近(ジュスト右近)は秀吉の怒りを買ってしまい領地召し上げになってしまいます。

やがて「禁教令」も出されて、締め付けは厳しくなる一方。時代は秀吉から徳川家康へ。家康が熱心な仏教徒ということもあって、おもねるというか忖度というか、とりわけ外様大名がキリシタン弾圧に熱心になります。しかし、家康はどちらかというと「黙認」で、二代将軍の秀忠は是とも非とも言いません。そんな中、久米蔵が亡くなり、大庄屋は長男の音蔵が継ぎ、弟の道蔵は今村の庄屋に。

が、幕府は「切支丹禁教令」を発布します。これからさらに取り調べが厳しくなる中で、音蔵はロザリオや十字架は隠して棄教を装ってはどうかと提案しますが、兄以上に熱心な信者の道蔵は自粛せず逆に目立つぐらいに布教に励みます。

郡奉行が各庄屋にすべての住民にキリシタンではないという証文を出せと命令してきます。道蔵のところではどうするかと心配していた音蔵のところに、道蔵の息子の鹿蔵が訪ねてきて、家督を継ぐと告げます。ああ良かったと思った音蔵でしたが、数日後に道蔵が訪ねてきて、息子の鹿蔵と兄の音蔵に、自分を訴えてくれというのです。それによって高橋村は信用されるようになるから、と・・・

これによって、道蔵は捕まり、磔刑に処され・・・

それから、島原と天草で信徒の一揆が起きたときも、音蔵と鹿蔵は藩からの人馬拠出の要求に応えます。音蔵が病に倒れ、高橋村の大庄屋は息子の留蔵に。庄屋をはじめ村人たちは隠れて信仰は続けていたのですが、藩からの取り調べも緩かったのは、ひとつには高橋村産の米が藩内はもとより江戸屋敷でも評判が良くて、藩から信頼されていたのです。というのも、よその村ではそれぞれ勝手に植えて田に水を引くときに争ったりして、そうなるとどうしても収穫時に玉石混交となって米の質が悪くなるのですが、高橋村と今村は村人が「デウス様の筆先」として勤勉に働き、村人総出で暦通りに田植えをし、水で争ったりもせず、六日ごとの休日(ドミンゴ、安息日)はきちんと休んで英気を養ってまたしっかり働くので、米の出来が非常に良かったのです。

さらに、村内で行き倒れの人や捨て子がいたら助けます。飢饉が起きても備蓄していた稗や粟、蕎麦を惜しみなく供出します。これもデウス様の教え。高橋村では村人の逃散(夜逃げ、家出)がほぼありません。

時代は過ぎ、幕末から明治維新となり、明治十四(一八八一)年、磔刑に処された今村の庄屋、道蔵の墓の上に教会が建てられます。五代目の神父の本田保神父はドイツに寄付を募る手紙を送り、多額の献金が集まって、大正元(一九一二)年に今村カトリック教会の起工式が行われます。完成したロマネスク様式の赤レンガ建築の教会は、平成十八(二〇〇六)年に福岡県の有形文化財に、平成二十九(二〇十七)年には国の重要文化財になります。

全国各地に「隠れキリシタンの里」というのがありますが、二百年以上というあまりに長い潜伏期間だったため、中には、ほぼ仏教のお経に聴こえる、でもその内容は暗号化されたキリスト教のオラショ(祈り)になっている、といったのもあります。

歴史の教科書にも出てくる「踏み絵」ですが、高橋村の村民もやらされます。しかし事前に大庄屋から「あれは魂が込められてないただの板じゃ」といって村人ははじめは裸足で、そのうち草鞋を履いたままで踏む者まで出てきて郡奉行も「うーむこの村は立派じゃ」なんてことになるのですが、それにしても踏み絵っていかにも日本人らしいといいますか、ものすごーく陰湿ですよね。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

葉室麟 『さわらびの譜』

2022-01-08 | 日本人作家 は

新年2回めの投稿。新年の挨拶で「いやー今年も色々ありました」などと、まだ年が明けて1週間程度ですでに今年を振り返ってしまうという失態をしてしまったお茶目さ満載でお送りしておりますが、今年にはこの状況は終息するんでしょうかね。ところで「しゅうそく」だともうひとつ(収束)も使われますよね。終息は文字通り(おわり)で、収束は(とりあえず一段落)といった感じで、つまり「収束して終息する」のを待っている、そんな状態ということですね。このような(同音異義語)で思い出すのが、日本語ワープロの開発時に「きしゃのきしゃがきしゃできしゃする」を「貴社の記者が汽車で帰社する」と一発変換できるようにしたというのが「プロジェクトX」でしたっけ、やってましたが、執念というか狂気じみてますよね。

がんばろう、ニッポン。

さて、葉室麟さん。当ブログでたびたび触れていますが、「蜩ノ記」が直木賞受賞したとき選考委員のひとりが「登場人物がみな清廉すぎ」と評価されましたが、これまでけっこう葉室麟さんの作品を読んできましたけど、御家騒動モノがお好きなようで、ドロドロ系が多いですよね。

というわけでこの作品も御家騒動モノつまりドロドロ。しかも男たちだけで出世とか権力とか金とか騙し合いとかでわーわーやってる分にはいのですが、色恋が絡んできてめんどくさいったらありゃしません。

 

扇野藩の勘定奉行、有川将左衛門は日置流雪荷派という弓術の名家の主。有川家では代々藩の弓術師範を務めてきましたが、将左衛門は辞退。子はふたりの娘だけで、いずれ嫁の婿に跡継ぎを、と思いきや、なんと長女の伊也が父のもとで稽古をはじめます。扇野藩には大和流というもう一家の弓術師範があり、若い藩士の弓術稽古は大和流。

伊也は一日も休むことなく稽古をして、もともと才能もあったようで、正月に行われた神社の奉納試合で、大和流の若手の中で一番の腕と噂の樋口清四郎と互角の勝負をするほど。このとき伊也は男装で出場し、その美しさから「弓矢小町」と呼ばれるようになります。

一方、妹の初音は弓の稽古はしていません。ある日のこと、父は姉妹を呼び「縁談がある」と告げます。伊也は「わたくしはまだ修行中の身なれば、まだ嫁に行くのは・・・」と断りますが、父は「いや、お前じゃなく初音のほう」というのでびっくり。さらにその縁談相手というのが、正月に伊也と奉納試合で勝負した、大和流の樋口清四郎だというのです。

話が終わって部屋に戻った初音は伊也に樋口様とはどのようなお人か聞きます。伊也は「まことに見事なる武士。例えるなら那須与一・・・」と褒め称えます。それならば姉様がこの縁談を、と初音は遠慮しますが、これは初音に来た話だから家同士の取り決めに従うのが武家の子女の務め、と伊也は言いますが、どこか寂しそうな顔なのを初音は見逃しませんでした。

 

ところで、将左衛門の家には江戸から来た新納左近という武士が居候しているのですが、初音と清四郎の見合いの席になぜか左近もいます。そこで、近日、殿の御前で弓のお披露目の試合があるので、伊也どのも出場されては、と清四郎が言いますが、将左衛門は「いや、女子がそのような・・・」と断ります。ところが左近が「それはいいですな」と賛同すると、将左衛門は前言撤回。清四郎も嬉しそう。お見合いが終わって伊也は初音にどうだったか聞きますが初音は「みんなして姉さんの話題ばかりで・・・」とふてくされます。

御前試合まで日があるということで、伊也は会場で稽古しようと行ってみたら、そこには清四郎がいて稽古しています。まだ伊也は連射をしたことがなく、清四郎から手ほどきを受けます。

さて、御前試合の本番。伊也と清四郎の勝負がおわったあとに「このふたりは本番前にイチャイチャしてたという目撃談があるのですが」と殿に報告されます。殿はお怒り。なぜか清四郎は自宅謹慎。ところがこの背景には、藩の財政がひっ迫しているのに無駄遣いをやめようとしない殿とその取り巻きへ警告しようとしたのが仇になって・・・

御前試合の日、将左衛門と左近は殿に会ったのですが、どうやらそれが原因で殿は自分の取り巻き以外のやることなすこと全部気に入らない様子。左近とはいったい何者なのか。さらに、初音と清四郎のお見合いもじつはこの一件に絡んでいて・・・

はじめのうちは藩のゴタゴタと恋バナを無理やり結び付けているようでなんだか読みづらいなあと思いながら読んでいたのですが、途中辺りからいろいろな謎が解明されてきてページをめくる手が止まらなくなって最終的にはハッピーエンドといいますか大団円といいますか、うまいところにみな収まって、ジーンときちゃいました。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

葉室麟 『おもかげ橋』

2021-12-26 | 日本人作家 は

今年も残すところあと1週間となってしまいました。年末年始の予定はガッツリ仕事。年越しは職場で。まあ365日、平日も休日も盆も正月も関係ないような職種なので、年またぎの勤務を任されたというのは上から信頼されてるんだなとポジティブシンキングで。

そういやレコ大も紅白も全く見なくなってしまいました。レコ大が終わって紅白に間に合うのか!?全盛期には会場からNHKホールまで移動車をバイクで追ったりヘリで空から撮影してた記憶があります。都市伝説では白バイが先導して信号がすべて青だった、なんて、今にして思えばどうでもいいことにドキドキしてたもんです。

大晦日の楽しみといえば年越し蕎麦を食べるくらい。そういえば小中学生の頃は年末になるとテレビ誌を買って何を見ようか予定を立ててウキウキしていたものです。バラエティの正月特番と見たい映画の時間がかぶってどっち見ようかなーなんて悩んだりして。そんな時代もあったねといつか話せる日がくるわ。

 

唐突に中島みゆきの「時代」が出てきたところで。

 

江戸、神田にある道場。しかし門弟はひとりもいません。今のところ月に二回ほど旗本屋敷に出向いて稽古をつけるのが唯一の収入という草波弥市。そんな弥市の道場に客が。「喜平治か」そう呼ばれた商人、喜平治は弥市の幼なじみ。喜平治は弥市にちょっとした頼み事があってやって来ます。その頼み事とは、ある人の用心棒をやってほしい、とのこと。誰を守るのかというと、喜平治は「相手は、萩乃どのだ」と言い、それを聞いた弥市、「萩乃どのだと、まさか・・・」と驚きます。

弥平と喜平治はもともととある藩の藩士でした。十六年前のこと、藩内で御家騒動があり、その抗争に巻き込まれた弥平と喜平治は、詰め腹を切らされるかたちで藩を追放されて江戸に出て来て、弥市は道場を開き、喜平治は飛脚問屋に婿入りします。じつは、その抗争でふたりに罪をかぶせたのが、ふたりの上役の萩乃の父だったのです。

萩乃は藩内でも有名な美人で、若い弥平も喜平治も相手は高嶺の花だとは知りつつも淡い恋心を抱いていました。ふたりが江戸へ出て、萩乃は結婚します。

ところが、十六年前の抗争で敗れた、かつて藩を牛耳っていた人物が藩に戻って来て暗躍しているというのです。ふたたび抗争が起こるのか。萩乃の夫は、江戸に向かう途中で行方不明になります。その夫を探しに萩乃は江戸まで出てきたというのですが、いくらなんでも無謀だということで、喜平治の家の別邸が江戸郊外の高田村にあるので、そこで匿うことに。

さて、用心棒を引き受けた弥市ですが、萩乃は前と変わらずキレイなのかなあ、でもあれから十年以上も時がたってるのだし、さすがにオバサンになっちゃってるのかなあ、なんて思いながら萩乃のいる高田村の別邸へ行くと、なんということでしょう、記憶にあった十六年前と変わらない美貌で、なおかつ人妻の落ち着きも備わって、魅力的なレディーになっているではありませんか。

喜平治も、萩乃の変わらない魅力にヤラレてしまってる様子。ではありますが、それどころではありません。飛脚問屋の寄合で、幕府に収める上納金(冥加金)の値上げに関する話し合いで、仕切り役に目をつけられ、難癖をつけられます。これは旧藩の陰謀なのか・・・

一方、萩乃の匿われてる別邸にも怪しい動きが・・・

十六年前の藩内抗争がふたたび勃発するのか。とすると、かつて対抗勢力の親玉をひどい目に遭わせた弥市と喜平治にはものすごい恨みがあるはず。萩乃の夫は無事なのか。

 

萩乃は無意識的に相手を自分のことを好きにさせちゃうフシ、思わせぶりなところがあって、まあ今風にいうと「魔性の女」ですか、それで弥市も喜平治も勘違いしてしまったのですが、はじめのほうこそ「ふたたび三角関係勃発か!?」なんて思ってたのですが、そんなことよりも話は違う方向に進み、かの「高田馬場の決闘」の再現が・・・

タイトルの橋は現在も神田川に架かる「面影橋」として有名ですね。太田道灌の山吹伝説の地、そして於戸姫の伝説。そういえば、山吹伝説は新宿ともうひとつ、埼玉の越生という説もありますね。

さて、年内にもう一冊読んで投稿できますかね。今年最後のご挨拶はちょっと待って。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

半村良 『江戸群盗伝』

2021-12-15 | 日本人作家 は

たびたびプライベートな近況話で恐縮ですが、スマホを買い替えました。思えば、つい3年前までガラケーでして、その理由として「携帯なんて出先で電話ができりゃいいんだよなんでわざわざ出かけてまでインターネットなんかやらなきゃならねえんだよ」と、世を拗ねていたわけですが、諸事情によりスマホデビュー、それから3年、起動や操作がだいぶ遅くなったので、新しいのにしようかと。同じ会社で同じメーカーでしたので、まあとてもスムースにデータも電話番号(MNP)も移行完了。便利な世の中になりました。あ、でも逆にもう連絡とらなくてもいいやって人に新しい番号教えないことがMNPによってできなくなってしまいましたね。

以上、情報技術の進化の功罪。

 

さて、半村良さんの代表作といえば、世間的な知名度からもおそらく「戦国自衛隊」なのではないでしょうか。でもまだSFは読んだことがありません。現代小説と時代小説だけ。まあいつの日か。

 

短編集です。オムニバス形式となっております。初めて知ったのですが、柴田錬三郎にも同名の作品があります。でもどうやらストーリー的にも特に関係は無さそう。

煙管職人の勘次、またの名を(猫足の勘次)、昼間に住人のいるときに忍び込んでもバレないという名人芸の盗人。先日、ひとり暮らしの女の家に忍び込み、金を盗んだのですが、じつは、賽銭吉右衛門という大盗賊の右腕、夜がらす五兵衛の愛人の家だったのです・・・という「夜がらす五兵衛」。

吉原の前に張り込んでいる男。「七之助さん・・・」と、吉原から出てきた男を呼び止めます。「なんでえ、甚六じゃねえか」と知っている様子。張り込んでいた男は(じべたの甚六)といって、いくぶん精神遅滞の盗っ人で、もっとも、肝心の盗賊働きでは失敗ばかりですが盗っ人仲間からは可愛がられ、仲間の顔を覚えることだけは長けていて、稼ぎといえば、吉原の前に座り込み、仲間を見つけると銭をせびる・・・という「じべたの甚六」。

悪どいと評判の勘定奉行の土蔵に(いつ、桔梗屋四郎兵衛が土蔵破りをしてくれるか・・・)と江戸の盗賊仲間はひそかに期待しています。ですがこのころ、権蔵という、金に飢えたゴロツキをかき集めて商家に押し込み家族や奉公人を片っ端からなぶり殺して金を盗む(畜生ばたらき)が江戸で犯行を重ねていて・・・という「桔梗屋四郎兵衛」。

(間男七之助)という二つ名の盗賊、七之助が道で人足どもに襲われそうになっていた女性を助けます。その女性は「扇屋をやっております、りくと申します」と自己紹介。すると七之助、「扇屋おりくさんといえば、あの・・・」と知っている様子。そう、江戸の盗賊界の大物中の大物、白鳶の徳兵衛の娘なのです・・・という「扇屋おりく」。

新川の久助という遊び人風の男が、ある女から仕入れた情報をどこかの盗賊に売ろうとしています。その盗賊の名は夜がらす五兵衛、かの賽銭吉右衛門の右腕という人。五兵衛はこの話をお頭の吉右衛門に伝えますが、五兵衛が「玄人の腕の見せ所」「世間にあっと言わせましょう」などと見栄を張りたい様子。これに吉右衛門は反対し、だったらお前が仕切ってやってみればいいと・・・という「賽銭吉右衛門」。

初音の文蔵という盗賊一味の中にいる若手の三次は、まだ一人前になっていないのに女と所帯を持ちたいと言い出し、儀助という老人が間に入り、(犬走りの長吉)という盗賊に三次を預けることに・・・という「犬走りの長吉」。

行商人の対立、縄張り争いなどをうまく差配する世話人藤三郎の住まいにある男が訪ねてきます。男の名は(先達の貫太)。藤三郎は勘太にあるお願いがあって呼んだのですが、そのお願いとは、火付盗賊改め方の屋敷を調べることで・・・という「先達貫太」。

おりょうという料理屋の女将が、お気に入りの飲み屋で(なおし)を注文します。(なおし)とは(本直し)ともいい、焼酎に味醂を加えた安酒で、おりょうが(富さん)と呼ぶあるじの飲み屋に、腹から血を流した男が転がり込んできます。「乙吉じゃないか」とおりょう。富さんはおりょうを帰らせます。翌日、岡っ引きがおりょうの店にやって来て「乙吉はどこにいる」と・・・という「なおし屋富蔵」。

権爺と呼ばれる百姓の家に、(神楽の芝蔵)という盗賊の手下がやって来て「沖の六兵衛が戻ってきた」と告げると権爺は「えっ・・・」と急に鋭い顔に。大事な用ということで、権爺は芝蔵のもとに。すると「六兵衛さんは白鳶の徳兵衛さんにかくまわれている」と言います。そもそも大事な用とは、最近、あちこちで起きている火事騒ぎのことで・・・という「沖の六兵衛」。

 

この作品に出てくる盗賊たちは、基本的には本格的な盗賊で、「鬼平犯科帳」でいうところの殺さない・女性を襲わない・盗まれて難儀するところからは盗まない、という(盗賊の三ヶ条)を守っていています。というか(人のものを盗まない)ってのを守れよという話ではありますが、そういえば、現代の刑務所の中でも子どもに対する犯罪はもっとも下に見られる、みたいなのがあるらしいですね。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

葉室麟 『風花帖』

2021-12-05 | 日本人作家 は

がっつりプライベートな話で恐縮ですが、血液検査をするといつもコレステロール値が標準よりも低すぎて、でも悪玉コレステロールは低くていいのでは?とお医者さんに訊いたら、細胞壁が弱まる、抵抗力や免疫力の低下、などあるそうで、低けりゃいいってもんじゃないそうですね。主治医から「もっと肉と魚と卵を食え、マヨネーズやドレッシングもカロリーオフやノンオイルは使うな」と、中年男性の栄養指導とは真逆のアドバイスをいただいてるわけですが、先日の血液検査でついに善玉コレステロール値が標準になりました。でも総コレステロールと悪玉コレステロールはまだ低すぎ。ちなみに体脂肪率は10%前後なのですが、体型は痩せてはいますけど別に痩せすぎというほどではありません。

 

以上、体脂肪率ひと桁だと風邪ひきやすいですよ。

 

さて、葉室麟さん。直木賞受賞作「蜩ノ記」のときに選考委員のひとりが「登場人物がみな清廉すぎる」とコメントしていまして、人間の薄汚さ醜悪さをこれでもかと描くのが「リアリティ」みたいな風潮はあまり好きではないので登場人物みな清廉けっこうではないかと思ったのですが、葉室麟さんの他の作品を読みますと、まあけっこうドロドロした作品がありますね。とくに江戸時代の御家騒動モノ。

 

というわけで、この作品は御家騒動。江戸後期の文化・文政時代のこと、九州、小倉藩では家中が二派で対立、片方が城(白)に、もう片方が筑前黒崎宿(黒)に立て籠もるといった感じで、後世「白黒騒動」と呼ばれることになったそうな。

物語は、小倉藩士の勘定方、印南新六を乗せた駕籠が自宅に着きますが、駕籠の中で自害して息絶えていた・・・という壮絶なシーンからスタート。

それより十年ほど前のこと、小倉藩江戸屋敷側用人の菅三左衛門の嫡男、源太郎と書院番頭の杉坂監物の娘、吉乃の祝言が行われています。しかし、その席の中に、三左衛門の属する派閥(犬甘兵庫派)と対立する派(小笠原出雲派)に属している藩士、印南新六が座っているではありませんか。ですが、印南家と杉坂家は親戚なので、新六が祝言の席にいても別に不思議ではないのですが、周囲からは「あいつ、何しにきたのだ」「出雲派から犬甘様に寝返りたいのか、親戚の婚儀を利用するとはみっともない」などと陰口を叩かれまくり。

すると、出席していた犬甘兵庫が「印南新六に杯をとらせる、これに呼べ」というではありませんか。「そなたは出雲殿の派閥じゃそうだな」と訊かれ「父が出雲様を敬っていただけで、父亡き後、わたしは派閥に関心ありません」と答えると、今度は「そなたは無想願流を遣そうだな」と訊いてきます。質問の意味をわかりかねて黙っていると「まあよい、これからはわしの会合に出るように」と笑いかけます。

それから、新六はちょくちょく源太郎の家に来るようになります。新妻の吉乃はどこか嬉しそう。

しばらくして、城下で騒動が起きます。農民が押し寄せて一揆の様相。兵庫は「出雲派が仕組んだことだな」と見抜きます。この頃、藩主の小笠原忠苗は体調が悪く、養子の忠固に家督を譲ります。忠固は家督を継ぐに当たって、藩政を牛耳っていた兵庫が邪魔だということで、出雲派と結託して農民騒動を兵庫の失政に対する不満ということにして、兵庫は幽閉されることに。

犬甘派の幹部たちが集まって話し合いが行われ、源太郎は新六に報告します。そして「新六どのは半ば無理やりわが派に加わられたので、離れたほうが良いかと」と言いますが、新六は「さような話をうかがうと、なおさら犬甘派から離れがたくなりました」とにっこり笑います。

 

ところがそれから数カ月後、兵庫死去という知らせが。

こいつは大変なことになったと犬甘派は大慌て。

そんな中、新六のもとに、小笠原出雲から呼び出しが。出雲の屋敷に行くと、そなたの父親を生前あれだけ世話したのにお前はいけしゃあしゃあと犬甘派と親しくなりおって、と怒られ、お前はそのまま犬甘派にとどまって、やつらの動きを逐一報告せよ、と命じます。

新しい殿の忠固は幕府内で出世して幕政に参加したいという欲があり、(運動)をはじめます。つまり、上役への「どうか、ひとつ・・・」という付け届け。このため財政が逼迫、家臣らの俸禄を半分にする「半知借り上げ」という策に出ます。これに旧犬甘派から猛反発。さらに、先日のこと、某藩士の屋敷の壁に、殿の悪口のいたずら書きがあったそうで、藩内は一触即発。

そこで、旧犬甘派の中から、外国船の接近に備えて烽火を上げることになっているその烽火に「藩内が非常事態」だと火を放とうという計画案が持ち上り、その役目をはじめは源太郎が立候補しますが、新六がやることに。これには、かつて新六が吉乃と交わした約束が・・・

ここから、御家騒動に発展、先述した「白黒騒動」となります。新六の(無想願流)は、「蝙蝠(コウモリ)が飛翔するがごとき至妙の技」という秘技があり、新六は、両派閥を行ったり来たりとまさにコウモリのごとく・・・

 

この「白黒騒動」は実際にあった出来事で、史実によると、幕府の裁定が入り、出雲は失脚、旧犬甘派も処罰、さらに殿の忠固も百日の閉門に。本来であればお家取り潰しになってもおかしくなかったのですが、忠固の遠い遠いご先祖様の勲功(大坂夏の陣での小笠原秀政の大活躍)があって、罪が軽くなったそうです。しかし、もはや返済不可能なレベルにまで財政は逼迫、小倉藩・小笠原家は衰退の一途をたどることに。

 

御家騒動というのは、現代だと企業や政治の派閥争いにそのまま受け継がれていますね。もうこれは人間が群れを作ると必ず起きてしまうものなのでしょうか。悲しい生き物ですね。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

葉室麟 『乾山晩秋』

2021-11-21 | 日本人作家 は

ここ最近のプライベート話。仕事に行くときに水筒にお茶など入れて持っていくのですが、500ミリのやつなんですけど、家から車を運転しながら飲んで職場に着いて仕事してる最中や食事の時に飲んでまた運転して家に帰るまで飲んでってやってると500ミリじゃとうてい足りないので、途中のコンビニに寄ってペットボトルのお茶を買ったりしてこれじゃイカンということで、今使ってるのは車内用、あと仕事のとき用にと新しい500ミリのマイボトルを買いました。なぜ前のは「水筒」で新しいのは「マイボトル」なのか。前のはホームセンターで買ったやつで、新しいのはイギリスのブランドで、ステンレス製のオシャレなデザイン。

 

はい、鼻持ちならないブランド野郎です。

 

この作品は短編集で、共通しているのは、主人公が、テレビのお宝鑑定番組などで聞いたことのある、戦国・江戸時代の画家や陶工。この時代の主流といえば狩野派ですので、5話中3話は狩野派にまつわる話。

 

有名過ぎる兄、尾形光琳。その弟も、後世になって有名にはなるのですが、どうにもくすぶっている尾形乾山。野々村仁清に弟子入りした陶工。お兄さんは生前、超有名人でしたが内証は豊かではありませんでした。ある日のこと、京の乾山の家に男の子を連れた女性が来ます。ということは、光琳の子なのか。という悩みの種がある中、乾山の焼き窯が廃止されるという知らせが・・・という表題作「乾山晩秋」。

 

狩野源四郎が出かけようとしたところに、土佐光元が絡みます。土佐家は朝廷の絵師。一方、狩野家は幕府御用絵師。「近衛の家に向かうなら急いだほうがいいぞ」と意味深な言葉を投げかけます。源四郎が近衛家に着くと、織田信長の命令で家が破壊されています。襖絵や屏風絵を収めたばかりで、この所業に腹を立てますが、じつは、御邸が壊される前に、信長のお付きの小姓が絵画を持ち出していたのです。「ならず者の田舎大名にわたしの絵の価値がわかるもんか」と思っていた源四郎のもとに、その小姓が訪ねてきます。これからは信長様の天下になるので、ぜひ信長様の絵師になっていただきたい、というのです。ですが、この当時、信長および将軍の足利義昭は土佐家を重用しています。

数年後、源四郎は永徳と改名します。永徳は信長に呼び出され、近江の安土山に城を築くので、その障壁画を書いて欲しいと・・・という「永徳翔天」。

 

甲斐国の武田信玄のもとに、越前朝倉氏からの使者がやってきます。その中に絵師がいるというので、信玄は肖像画を描いてもらいます。絵師の名は長谷川又四郎信春。のちの長谷川等伯です。信春は能登の武家の生まれでしたが染物屋の長谷川家に養子に出されます。武田家から肖像画の報奨金をもらった春信は能登に帰る道中、一緒にいた侍に報奨金をよこせと脅されますが逃げて谷を転がり落ちます。猟師に助けてもらい、家に連れてってもらいます。するとそこの娘が「わたしを能登に連れてって」と・・・という「等伯慕影」。

 

京は島原の遊郭で宴会が開かれています。招かれていたのは井原西鶴。西鶴は宴会にいた花魁の着物に目を留めます。花魁に聞くと、その着物の絵を描いたのは「清原雪信さま」というではありませんか。幕府の御用絵師で狩野探幽の姪の娘である雪信がなぜ京にいるのか。花魁にたずねると「長い話になりますえ。恋の話どす」というのですが・・・という「雪信花匂」。

 

絵師の多賀朝湖は、知り合いから「面白い儲け話がある」と聞きます。朝湖はのちの英一蝶。遊びが過ぎて狩野派を破門され、絵師というよりは幇間みたいな暮らしの朝湖はその話に乗ります。なんでも、吉原の噂話をするだけで金がもらえるというのです。ところが、その話す相手というのが、大奥の奥女中というのですが・・・という「一蝶幻影」。

 

現代風にいえば「アーティスト」が主人公の話ですが、身も蓋もない言い方になると生きていくのに特に必要のない職業、職種ではあります。まあそれをいったら武士も江戸時代の元禄あたりからぶっちゃけ無用な存在ではあったのですが、この人たちのもがきながらも必死に生きてる様は傍から見てる分には面白いです。手先は器用でも身過ぎ世過ぎは不器用な人たちですから家族にしたらたまったもんじゃありませんけどね。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする