晴乗雨読な休日

休日の趣味レベルで晴れの日は自転車に乗ってお出かけ。雨の日は家で読書。

宮部みゆき 『蒲生邸事件』

2009-10-28 | 日本人作家 ま
ゲーテの有名な「三千年の時を知るすべをしらないものは
闇の中、未熟なまま、その日その日を生きる」という言葉
があり、過去を軽視あるいは無視するような人はかえって
未来を見ることに鈍感とでもいいましょうか、思い切り助走
をとらなければ、より前にジャンプはできないのです。

『蒲生邸事件』でも、主人公の浪人生が語るように、日本史
の授業では、早くても太平洋戦争の手前、遅ければ明治維
新の後くらいまでしか教えず、あとは各自で見ておくように、
という投げやりな指導。
授業時間が足りないので、原始時代から始めると近代史は
無理なんて理屈はおかしいもので、歴史は継続だから、直近
の大事件である先の戦争を教えないということは、ちゃんと
継続して歴史をとらえる視点が育たず、ひいては未来を見通
す感性を持たない近視眼的な人間になってしまうのです。

大学受験に失敗し、東京の予備校の試験を受けに上京した
孝史は、受験のときと同じ都心にある平河町一番ホテルに
宿泊。そのホテル内で、薄気味悪い男がいるのを見つけ、
どうにも気になった孝史は、男が2回の非常口から突然消え
たのを見てしまいます。
しかし次に男を見たときには平然とエレベーターの中にいて、
孝史は思わず声をかけますが、返事はありません。

フロントの従業員に、このホテルには幽霊がいると話すと、
従業員は否定するどころか、軍人の幽霊を見たというのです。
じつはこのホテルは、かつて陸軍大将の家の跡地に建てられ、
エレベーター横には陸軍大将、蒲生憲之の写真と説明文が
掲げられていたのです。

夜、孝史はテレビをつけると、二・二六事件の特集をやっている
のをぼーっと見ます。その日は2月25日。事件の前日です。
そして見つつもウトウトとして眠り、起きた時には、部屋の中は
煙が充満、外に出ると廊下は炎に包まれていました。
遠のく意識のなか、さきほど見かけた薄気味悪い男が孝史の
腕をつかみ、どこかへと消えて、やがて意識が戻ったのですが、
辺りは雪景色。男に訊くと、孝史が連れてこられたのは、昭和
十一年の同日の蒲生邸。事態が飲み込めない孝史に、男は、
私は時間旅行者だと告げるのです・・・

ここから、男は平田と名乗る蒲生邸の使用人という身分でこの
時代におり、孝史は当面、平田の甥として蒲生邸で働くことに
なります。一度、どうしても未来に帰してくれと男に頼んだので
すが、タイムスリップした先は、20年の5月、東京大空襲の最
中でした。タイムスリップは体力を消耗し、平田は動けなくなっ
てしまうのです。

そして、時は2月26日。青年将校たちがクーデターを起こし、
閣僚たちを殺害。都心の一部は封鎖されてしまいます。
そんな中、蒲生大将の部屋から銃声が・・・・・・

この物語で重要なところは、孝史がこの時代の歴史について
まったく無知であるということにあります。
戦後の平和を享受する世代の思考と、この時代を生きる人間
の思考が摩擦したり衝突したり、相容れない構図が、物語の
進行と「対等な関係」に大きな役割を果たしています。
なまじこの時代の知識があると、ともすれば未来から来た側は
優越感に浸ることになってしまいます。

そしてもうひとつ重要な部分は、歴史は帳尻を合わす、という
こと。赤ん坊のヒトラーを殺したところで、別のヒトラーが出てき
て、結局ユダヤ人の悲劇は起こってしまう。
この前読んだディーン・クーンツの「ライトニング」という小説でも
同じようなことが説明されていました。
『蒲生邸事件』をすでに読んだ方はぜひ「ライトニング」を読んで
ほしいですね。両方まだという方は、両方読んでください。
コメント (2)
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山本 甲士 『ノーペイン、ノーゲイン』

2009-10-26 | 日本人作家 や
本の帯に「横溝正史賞・優秀作受賞」とあり、無知ながら
はじめてこの賞の存在を知ったわけでありますが(やはり推理
小説といえば乱歩賞でしょ)、過去の受賞歴を見てみると、
けっこう「受賞作なし」の年が多いことに、この賞を受賞する
に値する高レベルが求められるんだなあ、と。
ということは、佳作や優秀作でも相当なレベルなのだろうと
思い、読んだらこれが面白い。

鍵屋を営む兄弟は、本業のかたわら、ある「副業」にいそしんで
いたのです。それは泥棒。本職である開錠の技術を使って、兄が
現場まで車を運転、弟が目をつけた建物内に侵入、現金や金目の
ものを物色し、約束していた時間に弟をピックアップし、兄の運転
で帰るという段取り。

そんな中、兄が入院することになり、まとまった金が入用になった
ので、弟は以前から目をつけていたスポーツクラブに侵入し、手提げ
金庫を持ち出そうとしますが、運悪く巡回の警備員が廊下にいて、
見られないように警備員を後ろから突き飛ばし、警備員は階段を転げ
落ちます。なんとか逃げおおせた弟は金庫を開けると20万円しか
入っておらずがっかり。

スポーツクラブから逃げるときに、数人の学生に見られたことが
頭に残り、痩せぎすな弟の体型が特徴的であることから足がつく
ことを恐れ、トレーニングジムに入会し、肉体改造を決意。
理論どおりにトレーニングや食事を続けた結果、数ヶ月で体型は
変化。

スポーツクラブから盗んだ金は20万円だったのですが、新聞記事
によると、被害金額は420万円だとあり、弟は、内部の人間が
自分の窃盗事件に便乗し、会社の金を横領したと思い、大胆にも
盗みに入ったスポーツクラブに入会し、自分がもらえるはずだった
400万円を横領した人間を探します。
聞き込みの結果、経理の人間が怪しいと判断し、匿名で電話をかけ
400万円をせしめるのです。

兄の病状も良好、はじめこそ証拠隠しのためにはじめた肉体改造も
そのうち楽しさに目覚めてしまい、毎日欠かさずトレーニング。
負荷をかけなければより良い筋肉はつかない、という意味の、マッチョ
界の用語で「ノーペイン、ノーゲイン」を実践するのですが…

そして第2部、なんと弟はスポーツクラブ内でトレーニング機器に
首を挟まれて死亡していたところを発見されます。
ここから一人称の語り手「わたし」は弟から別の人物へ、第3部
ではまた別の語り手「わたし」へと移り、この手法が斬新で、
あとは弟がなぜ、どうやって殺されたのか、そのトリックが解明
されていくのですが、意外といえば意外、トリックや犯行動機、
それを見破った人物と犯人との関係性など、近年流行りの推理小説
というよりは、昔の「密室トリック」の雰囲気があります。

プロの作家である選考委員の目には受賞レベルではないと判断された
のですが、処女作にしてこのクオリティ、次作に大きな期待を込めて
もいいですね。
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リチャード・ノース・パタースン 『ダーク・レディ』

2009-10-25 | 海外作家 ハ
リチャード・ノース・パタースンと同じく、法廷サスペンス小説で
デビューし、その後も同ジャンルで活躍する作家といえば、まず
ジョン・グリシャムが思い浮かぶのですが、最近は法廷を飛び出し、
CIAだのFBIだのが出てきたり、あるいは国際情勢に絡んでき
たりと、そのフィールドが広くなり、まあそれはそれで作者もマン
ネリを打破したいのか、別な毛色の作品も楽しめるということで、
賛否あるとは思いますが、私としては歓迎。

『ダーク・レディ』も、それまではデビュー作の登場人物のスピン
オフ的な続編を読んできたのですが、ここにきてがらっと作風が変
わり、つまりそれまでの手に汗握る法廷劇から、こちらはまったく
法廷シーンが出てきません。

舞台はアメリカ中西部オハイオ州の架空の都市スティールトン。
検察局の殺人課課長のステラ・マーズのもとに事件の報告があり、
現場にかけつけると、被害者は目下スティールトンで着工中の、
新球場建設の責任者トミー。そのかたわらには、ヘロイン中毒と
おぼしき黒人娼婦がやはり息絶えています。

おりしも、スティールトンでは市長選挙のただ中にあり、現職で
新球場建設推進のクラジェク、対するはステラの上司で郡検事の
アーサー・ブライト。ブライトはこの新球場建設は無駄と糾弾、
ブライトが市長に当選すれば、郡検事の椅子が空くことになり、
ステラにとっては出世のチャンスだったのです。
そんな中での新球場関係者の死亡事件の担当となったステラは、
事件解明に動きますが、新たな事件が舞い込んできます。
それは、かつてのステラの恋人であり、弁護士のジャック・ノヴァク。
ジャックは自分の部屋で、変死体となって発見されます。
ジャックはブライトと交流があり、またブライトに献金をしてお
り、この連続した変死体の事件は当然市長選挙に絡んだものと
メディアは騒ぎます。

トミーの死因は急性ヘロイン中毒、ジャックは革ベルトによる
首吊り。しかし両者とも自殺の要因が見当たらず、捜査は難航。
しかしステラには、ジャックに関する秘密があり、それが露見
してしまうと、自分の郡検事出世も危うくなり・・・

トミーとジャックは自殺か殺されたのか、殺人とすればそれは
なぜなのか。そしてステラの知るジャックの秘密とは・・・

警察と検察の捜査、政治の腐敗、地方都市の栄枯盛衰などと
いったさまざまなテーマが複雑に交錯し、そしてパタースン
の小説にはある意味おなじみといってもいい、親子の愛憎も
絡んできて、重厚ながらも読みやすい。

作者も明かしているのですが、スティールトンという架空都市
は、同じオハイオ州のクリーブランドをモデルにしています。
確かに、地方都市でかつては鉄鋼で栄えてその後衰退、街中には
マフィアや麻薬、売春、そして殺人がはびこり、誇りであった
インディアンズは身売りの危機。
しかし、見事にクリーブランドは立ち直り、インディアンズは
メジャー屈指の強豪チームになり、400試合以上も連続して
ホームゲームが満員になるほどの復活を遂げます。

都市の再生は一筋縄ではいかないことは日本でもそうですが、
変革の意思が一部の政治家や企業でとどまると腐敗となります。
誰の幸せの為に政治があるのか、地方の疲弊や悲鳴はそんな
シンプルな問題を解くことにこそ前進の第一歩があるのでは。


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宮部みゆき 『あやし』

2009-10-22 | 日本人作家 ま
『あやし』は、「怪しい」あるいは「妖しい」、どちらにも
かかるという意味で、あえて平仮名にしたのかと推察
したのですが、時代は江戸、舞台は宮部作品ではお
馴染みの下町エリア。そして短編集なのですが、どれ
も怪談話。といっても、そんなに身の毛もよだつほどの
恐怖ではありません。

『あやし』では、今までの宮部作品の真髄というか醍醐
味である、陰惨で悲しい話でも、ラストには、それでも
明るい未来はやってくる、だから希望は捨てちゃダメ、
のような締めくくりではなく、「こんな、ちょっと怖い話が
ありましたとさ」といった感じで終わっているのです。

中には希望的観測で締める作品もあるのですが、全体
的な印象としては、人間のあまりきれいでない部分に
焦点をあてて、どこかやるせなくなります。

とはいっても、短編という制約(があるかどうか知らない)
のなかでしっかりと筋立てられていたり、必然、登場人物
は少ないのですが、しっかりと設定されていたりと、そこは
短編の名手の面目躍如といったところでしょうか。

江戸時代の下町、武家などの政治的な部分ではなく、市井
の人々を描き、つつましく暮らす庶民の息づかいや世間話
がすぐそこで聞こえてきそうな、臨場感のある描写。
そして、文明や科学技術の恩恵であらゆるものの利便性は
現在のほうが格段に良くなっているけど、逆に人間同士の
距離は遠ざかっているのに対し、江戸時代では人間の距離
は今よりも近く、悪くいえばプライバシーなんて無いのです
が、片寄せあって必死に生きている姿勢は、失ったものの
大切さを気づかせてくれます。
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パトリシア・コーンウェル 『検屍官』

2009-10-21 | 海外作家 カ
アメリカのサスペンスやミステリー小説などを好んで読んで
いると、よくパトリシア・コーンウェルという作家の名前が、後
ろの解説だったり他の本の紹介で出てくるのですが、そん
なわけで興味があり、彼女(女性のミステリー作家です)の
デビュー作である『検屍官』を読んでみました。

この作品はアメリカの主だったミステリー賞を受賞し、特に
MWA(アメリカ探偵作家クラブ)賞処女作賞を受賞、さらに
CWA(英国推理作家協会)賞の新人賞をダブル受賞とい
う華々しいデビューを飾りました。

アメリカ、ヴァージニア州の女性検屍局長ケイ・スカーペッタ
のもとに、夜中に電話がかかってきます。電話の相手は、
リッチモンド市警察の部長刑事ピート。市内ではここ最近た
てつづけに、独り暮らしの女性が部屋で殺される事件があり、
その特徴は、ベッドの上で縛られた状態で殺されているという
もの。
今夜の電話も新たな犠牲者が見つかり、現場に駆けつけたス
カーペッタは、縛られて殺された女性医師、ローリーの遺体
を現場にいる警察と調べ、通報者でローリーの夫、マットの
話を聞くことに。

遺体は検屍局に運ばれ、今までの一連の事件と比較して、共
通点は、なにかキラキラと光る物質が体に付着していたこと、そ
して今回の事件では凶器となった、寝室にあった夫のナイフに
キラキラが付着しており、ピートは夫を怪しみます。

警察や検屍局といった男性社会の中に生きるスカーペッタにとっ
て、周りは自分に対して蔑視している観念を常に抱き、ピートの
意見を認めず、真犯人はほかにいるとみます。

犯人のめぼしが全くつかないままのある日、検屍局のスカーペ
ッタのコンピュータに何者かの外部アクセスがあり、どうやら
一連の女性殺害事件の情報を見ていたことがわかり、さらに、
警察と検察、そして検屍局以外は部外秘のこの被害者に関す
る情報が新聞記事に載っていたのです。

そして、とうとう五件目の事件が起こってしまうのです。
被害者は、ふだんから検察や警察にとって目の上のたんこぶ
の新聞記者アビー・ターンブルの妹で…

はたしてこの事件は同一犯の犯行なのか、そして、真犯人は
どこのだれなのか。
五件目のアビーの妹が殺害されて、アビーから意外な真実を
教えてもらい、スカーペッタとピートは別な、意外な人物を犯人
と思うのですが、その男はリッチモンド市から消えてしまい…

最後は「あれ?」という結末。まさかあの人が犯人だったのか!
みたいなことはありませんでしたが、事件を究明していく話の運
びはこれこそサスペンス、という感じで、読み進むにつれて脈拍
が早くなってゆくのがわかります。

スカーペッタと同居している姪の女の子が、陰鬱な話のなかに
サイドストーリーとして、決して本筋の邪魔にならない加減で
添えられており、ほかにも脇役ながら印象深い個性的なキャラ
クターが多く、「久しぶりに見た名勝負」のようなミステリーに
仕上がっています。
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ディーン・クーンツ 『ミッドナイト』

2009-10-18 | 海外作家 カ
気がつくと、家の書棚にディーン・クーンツ作品が増えていた、
というくらいにハマってしまい、痛烈な現代社会の皮肉という
側面も見ようと思えばあるのですが、とにかく物語性に特化
させた判り易い文章で、洋書はちょっと…、と思ってる方には
オススメですね。

カリフォルニアにある、他の大都市のような犯罪多発とは縁の
ない、人口3千人ほどの海辺の町で、短い期間に住民の不審
死が続出。夜中にジョギング中何者かに殺された姉の死因を
突きとめるために、ジャーナリストの女性がこの町を訪れますが、
警察はどこか信用できません。
そんな中、ある男もこの町を訪れていました。その男はFBIの
特別捜査官で、じつは数ヶ月前にもFBIの調査が入っており、
短期間で死者が多いことと、その死者はいずれも火葬されて
いたということでした。土葬がまだまだ当たり前という文化圏
において、あまりに火葬が多いというのは、ある事実の隠蔽
工作とも思われます。

そして、FBIのもとに町の住民から手紙が届いたのでした。
退役軍人で、ベトナムで両足と片手が不自由になり、今は
ひとりで介助犬とともにアパートで暮らしている男からで、そ
の男は窓から火葬場を望遠鏡で見ていて、ある不審な動き
をFBIに知らせてきたのです。

町にある、馬の牧場主一家。そこでは、小学生の女の子が
地下室に監禁させられており、両親はどうにも様子がおかし
く、連れの男とともに意味不明な会話をして、女の子は危険
を感じ、家から脱走します。すると両親とタッカーと名乗る男
は逃げた女の子を追いかけてきます。もはや自分の知ってい
る両親ではなく、野犬のような生き物になっていて…

この町は、<ニューウェーブ>社という会社の企業城下町の
ようなもので、従業員の大半はこの会社で勤務しています。
この会社の社長がじつはとんでもないことを住民にしでかし
ていた、という話なのですが、狂気の天才である社長の背景
にはいったい何があったのか、そして彼の目論見とは…

どこか外国の話だったでしょうか、コンピュータゲームに熱中
しすぎて、食事をとるのも忘れて、死んでしまった青年がいた、
という事件(といっていいのやら)があったのですが、なんだか
そのニュースを思い出させる、コンピュータと人間が一体化し
てしまう、とても怖いシーンが出てきます。

理想の人間社会とはなにか。そんなことを考えさせられる作品
でした。
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夏目漱石 『三四郎』

2009-10-15 | 日本人作家 な
今になって漱石を読みはじめるという軽いマイブームは、これで
ようやく4冊目、『三四郎』を読みました。
まあ漠然とあらすじは知っていて、さらに東大構内にある池は
「三四郎池」と呼ばれており、これはこの小説に由来する、とい
う知識もあったので、物語に池が出てくるんだなあと読む前から
推察をしてしまいました。

九州から東京の大学に進学することになった三四郎は、都会で
の生活を送るにあたり、とにかく田舎モノと思われないように、本
人の努力、というにはいささか皮肉めいた表現ですが、スタイリッ
シュたらんと心がけます。
大学の友人、与次郎には振り回されるような日々、郷里の縁者で
理科大学の研究者の野々宮先生、その師の広田先生といった面
々と接するようになり、そして美禰子という女性と出会い、やがて
三四郎はこの女性に惹かれます。

郷里の母から来る手紙には、田舎での瑣末な出来事が書き綴ら
れていて、それを読む三四郎は、そんな田舎を軽くバカにします。
ほんのちょっと前に自分もその田舎から出てきたのに、これでは
過去の自分の否定、それではアーバンライフを勤しもうとしても、
土台がぐらついているので、アイデンティティの確立は難しいとい
うことに三四郎本人は気付かずに独り煩悶するのです。

友情や恋愛は、はじめのうちこそ、さもドラマチックに三四郎の心
を占めますが、友人にちょっと猜疑や軽蔑を抱いたり、好きにな
った女性との恋が成就しないとなるや、風が頬をなでる程度に
「別に、気にしないよ」くらいに受け流すのです。
これは現代にも、いや過去にも、そして世界のいたるところでも
同じような青年期の悩みとして描かれているので、普遍的なテ
ーマということなのでしょうけど、ともすれば自分を見失いかね
ない、そこまでして得るものは何か?

単なる「強がり」といってしまえばそれまでですが、三四郎が最
後につぶやく「迷羊(ストレイシープ)」の言葉に集約されていま
す。
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スコット・トゥロー 『死刑判決』

2009-10-13 | 海外作家 タ
80年代のアメリカで、法廷サスペンス小説ブームのさきがけ
となった、スコット・トゥローの「推定無罪」をどうしても読みたく
なり、本屋へと足を運んだのですが、その目当ての本が無か
ったので、同作家の別の作品を買って読むことに。
案外、こういうなかに思いもよらぬ名作、傑作と出会うもので
して、たんあるラッキーといってしまえばそれまでですが、自分
のセンスが光った、などと自画自賛したくもなります。

この作品は、原題が「Reversible Errors」、破棄事由となる
誤り、という訳となり、説明によると「再審理している上訴裁
判所が、一審判決を無効にせざるをえないほど重大な法的
誤謬。第一審裁判所はその判決を破棄するか、審理をやり
直すか、さもなければ判決を修正するよう指示される」とあり
ます。

ある町外れのレストランで、店主と客の女性、男性の3人が
射殺され、町のチンピラのロミー・ギャンドルフが逮捕され、
死刑判決が下されます。
それから10年後、ロミーの死刑執行まで1ヶ月となったとき
に、人身保護手続きのため連邦裁判所から弁護を押し付け
られた弁護士アーサーのもとに、10年前の3人惨殺事件の
真犯人はわたしだ、という男が現れるのです。

ロミーの判決は州裁判所で下されており、彼の無罪と真犯人
の立証の舞台は、連邦控訴裁判所へと移されます。しかし、
現在の主席検事補のミュリエルは、10年前の裁判での検察
を務めており、郡検事の跡を継ぎたいミュリエルにとって、差し
戻しは過去の汚点となるために防ぎたいところ。
そして、当時の判事ジリアンはこのロミー裁判ののちに収賄で
逮捕されて、しかし実は彼女はこのときドラッグ中毒であり、こ
れが露見すれば、当時の裁判そのものが成立しなくなります。
アーサーはジリアンに助言を求めますが、アーサーは彼女に
惹かれてしまい、やがて二人は恋仲に。
一方ミュリエルはというと、10年前にロミーを逮捕した警察官
ラリーと当時不倫関係であり、今回の連邦裁判でふたたび会
うようになります。
ロミーは完全に自白していて、その際に警察からの強要はなく、
しかし真犯人と名乗る男は、癌に冒されて余命いくばくもなく、
今さら嘘をつくとも思えません。

はたしてこの事件の真相はどうなのか。アーサーとジリアン、
ミュリエルとラリーの関係が10年前そして現在と交錯し、この
4人の視点と主観から、事件と裁判が描かれていて、エゴなの
か屈折した愛情なのか仕事に忠実なのか、善悪とか是非では
まとまりようもない人間ドラマがそこにあるのです。

話の後半に、死刑について考えさせられる一節があり、被害者
の家族や友人にとっては、少なくともだれも二度とこのろくでなし
に自分と同じような悲しい目に合わされずにすむという安心感は、
残された者の心の均衡を保つ、というもの。
たしかに、死刑になったからといって被害者が戻ってくることには
なりませんが、遺族の「心の均衡を保つ」ことが、人権問題や死刑
廃止などでないがしろにされてはいけないのです。
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ディーン・クーンツ 『ライトニング』

2009-10-11 | 海外作家 カ
文春文庫のディーン・クーンツシリーズでは最初のタイトル
となるこの作品、『ライトニング』とは閃光のことで、ある女性
の身の回りに危険な出来事が起こると閃光がひらめいて、
命を救ってもらう、といった話なのですが、物語序盤あたりで
想像する話の流れは、読み進むにつれて、気持ちいいくらい
に裏切られる大どんでん返し。

売れっ子作家ローラは、誕生の瞬間から、父親の死ぬ時、さ
らにその後孤児院で生活するその時々、守護天使と名乗る男
に危険から身を守ってもらいます。その男が現れるのは、きま
ってあたりに閃光がひらめき突然登場し、そして突然去ってゆ
くのです。
孤児院を出てからローラは大学に入り、幼いころから興味が
あった文学の才能により磨きがかかり、のちに結婚することに
なる男との出会いをきっかけに、作家デビューを果たします。

やがて子どもが生まれ、ローラ家族はカリフォルニアから田舎
の山奥に引っ越します。しかし、そこで突然殺し屋が家に来て
夫は殺されてしまうのです。そしてそこには閃光が・・・

はたして、子どものころに見た守護天使とは何者なのか、閃光
の意味とは、生き残ったローラと子どもは無事殺し屋の手から
逃げおおせることができるのか・・・

ローラの孤児院時代の仲良しで、のちに有名コメディエンヌと
なるセルマが物語の要所に登場し、ときに清涼剤的ユーモア
をふりまき、ときに話をきりっと引き締めます。

物語の後半、ある歴史上の大人物とローラの守護天使が対峙
し、さらにもうひとりの歴史上の有名政治家と話し合うシーンが
あるのですが、ここがたまらなく面白い。
クーンツ作品はどちらかというとスリラー、サスペンス要素が強
く、ときにB級ホラー的なテイストも匂わせるのですが、こういう
展開もあるんだなあと、クーンツの間口の広さに驚かされました。
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ジェフリー・アーチャー 『ゴッホは欺く』

2009-10-10 | 日本人作家 あ
この作品は、あるイギリス貴族の家にあった名画をめぐる
サスペンス的で、さらに話にスピード感があるアクション
エンタテインメント要素もあり、あっという間に「あれ、もう読
み終わっちゃったの」と思ってしまうくらいでした。

たとえば、ダン・ブラウンの大ベストセラー「ダヴィンチコード」
や「天国と地獄」は、さまざまな素材を盛り込んで、複雑な
テイストに仕上がっているのですが、『ゴッホは欺く』は、そこ
にある必要最低限の素材を使う、シンプルな味わい、とでも
いいましょうか。シンプルながらもそこには余裕と技量が垣間
見え(といっても、ダン・ブラウン作品を否定するわけではない)
、そして肝心なのは、翻訳の永井淳さんの絶妙な言葉のチョイ
ス。ジェフリー・アーチャーが全幅の信頼を置いているようで、
英語のユーモアやウィットを見事に日本語の「洒落」に置き換え
るテクニックは名人芸。

莫大な借金に苦しむイギリスの田舎に住む貴族は、家宝ともい
える、ある絵画をアメリカの金融業者に抵当に出します。
しかし、貴族の末裔の当代家主である女性は夜に何者かに殺さ
れてしまうのです。
話はニューヨーク、あくどい金貸し業者フェンストンの美術コンサ
ルタント、アンナは、突然クビを宣告され、会社を出てゆこうとした
そのとき、オフィスビルに大きな衝撃が。どうやら飛行機がビルに
突っ込んだというのです。その日は2001年9月11日。
命からがらビルから逃げ出せたアンナは、フェンストンの悪行をつ
かんでおり、このままだとイギリスの貴族の抵当に出してある絵画
が悪用され、さらにその持ち主の女性の身に危険があると感じ、
なんとかイギリスの女性とコンタクトを取ろうとしますが、アンナは
女性が殺されている事実をまだ知りません。

さらに、アンナは行方不明、推定死亡者として国際貿易センター
ビル崩壊の犠牲者に名前が挙がっていたのです。
フェンストンと取引をした顧客のうち数名は不審死で、アンナは
フェンストンの差し金だと気付き、このままだと自分の命も危ない
と心配しますが、当面はビル崩壊で死亡したことになっており、
生ける幽霊状態で、なんとかイギリスに渡ろうとするのですが、そ
のアンナを追う男の影が・・・

アンナ、それから暗殺者、アンナを追う男はイギリスからルーマニ
ア、さらに東京へと旅します。成田空港や東京のホテルあるいは
丸の内界隈の描写は、ちょっと事実と異なる部分もあるのですが、
それでもジェフリー・アーチャーのファンとしては、日本を舞台にし
てくれたことに嬉しくなりました。

ちなみに、イギリス貴族の所有していた絵画とは、ゴッホの「自画像」
だったのですが、それが何十億円という金額で取り引きされようとは
生前数枚しか絵が売れなかったゴッホとしては、天国からどのように
見ているのでしょうか。バブル全盛期、日本人が西洋絵画や彫刻を
金にもの言わせて買い漁っていた時は同じ日本人として恥ずかしか
ったことを思い出してしまいました。
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