晴乗雨読な休日

休日の趣味レベルで晴れの日は自転車に乗ってお出かけ。雨の日は家で読書。

池波正太郎 『旅路』

2021-05-30 | 日本人作家 あ
基本的に占いのたぐいはあまり信じないのですが、お寺に行くと毎回おみくじを引きます。占いとおみくじは厳密にいえば違うんでしょうけど、この前お寺に行っておみくじ引いたら大吉でした。そういえば占いって、たいてい女性誌に掲載されてますよね。あと朝のニュースの占いの「ラッキーアイテム」はなんとなく女性用のイメージ。あれって別に男の人が見てもいいんですよね。だからって「〇〇座さんの今日のラッキーアイテムはちょっと高めのヒールで」とか言われても。

そんな戯言はさておき。

池波さんです。

物語のはじめの舞台は、近江(滋賀県)彦根城下。ここに、井伊家の家臣、三浦芳之助という藩士がいます。芳之助は新婚。妻の名は三千代。まだ結婚して一年ちょっとというある夜、芳之助は殺されます。

その日、芳之助は同役の葬式に出かけますが、帰り道に近藤虎次郎という御目付方と会い、芳之助はお付きの小者に「先に帰ってろ」といわれます。が、小者が歩き始めてすぐに後方から(どしん)というような物音が。気になって引き返してみると、そこには太刀を手にした近藤と、倒れている芳之助が。あたりは血の匂い。近藤は逃げ、小者が助けを求めると、そこに同じく葬式帰りの藩士が通りかかり「どうした」と声をかけると、息絶えた芳之助を見て小者に聞くと「近藤だと・・・」と。

「御目付方」という役目は、藩士の日常の言動を監視し、なにかあればただちに藩主や家老に報告するという、他の藩士たちからすれば「狗めが、あることないこと嗅ぎまわっておる・・・」と嫌われています。

じつは三千代が芳之助と結婚する前に、近藤は「三千代さんを嫁にしたい」と三千代の今は亡き父に何度もせがんでいたというのです。ということは、三千代と結婚できなかった逆恨みで芳之助を斬ったのか。取り調べで話を聞こうにもすでに近藤は藩内から脱走しています。
ところが、藩の取り調べの結果、近藤家はお家断絶となったのはいいのですが、三千代は(養子をもらって三浦家の存続)を願っていたのですが「実家の兄が引き取るべし」という沙汰が。
これには納得できない三千代。いちおうは実家に戻るのですが、芳之助の遺品の脇差を持って、三千代はどこかに消えます。

ですが、三千代はひとりではありません。三浦家の奉公人だった井上忠八が近藤の敵討ちのお供に。ふたりは江戸に向かうことに。ところが、道中、雨宿りで無人の小屋に入ると、井上が、それまで旅の最中ずっと我慢してたのか、いきなり三千代に襲いかかります。が、これは未遂に。なぜなら小屋にふたりの浪人が入って来て、井上を三千代から引き離します。「危ない所を助けてくださりどうも」と礼を言おうとしますが、この浪人たちも三千代を狙います。するとそこに杖を手にした老人が。あっという間に浪人をやっつけます。井上はどこかに行ってしまって、持ち金も無く途方に暮れてる三千代ですが、この老人はいっしょに江戸まで行ってくれるというのです。
「わしの名は、堀本伯道。医者のはしくれじゃ」そう老人は名乗ります。

さて、江戸に着いた三千代は、伯道の知り合いの宿に泊まり、江戸での生活の拠点として、印判師の家での女中奉公を紹介してもらいます。まめによく働き、主人や職人たちからとても重宝されます。しかし、その印判師の家を見張る男がいます。さらに、この家に侍がやって来て、三千代に「わしは桜田の上屋敷にいる川村弥兵衛じゃ」と名乗ります。桜田の上屋敷といえば、江戸城、桜田門外、井伊家江戸屋敷のこと・・・

なぜ三千代が江戸にいることを井伊家が知っているのか。印判師の家を見張る男とは。はたして三千代は近藤虎次郎を夫の敵として討つことができるのか。

ここからさらに物語の展開が目まぐるしく変わっていくことに。ところで、東海道中で三千代を助けた旅の老人の「堀本伯道」とは、「鬼平犯科帳」の長編「雲竜剣」に出てきます。医師でありながら武芸の達人、その正体までいっしょ。どっちが先に書かれたのでしょうか。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

宮部みゆき 『泣き童子 三島屋変調百物語参之続』

2021-05-21 | 日本人作家 ま
結局オリンピックはやるんでしょうか。そもそもオリンピックって「平和の祭典」でしたっけ、今はどうみても世界じゅうどこもかしこも平和じゃないのだからやるのはどうなのかなとも思いますが、例えばどこかの国や地域でコロナが終息したからといって、それはその国や地域が「安全」なだけで、「平和」ではありません。「平和」というのは、自分の身の回り含めて世界中どこでも危険や争いごとが無い状態で、じゃあ「安全」はというと、自分の身の回り(だけ)は危険や争いごとは無い状態をいうので、はやく平和になればいいですね。

以上、平和と安全について。

さて、宮部みゆきさんの三島屋変調百物語シリーズ、「おそろし」「あんじゅう」に続く3作目です。川崎宿の旅籠の娘おちかは悲しく恐ろしい目に遭って、江戸にいる親戚に預けられます。この親戚の叔父がおちかにはやく立ち直ってほしいと、世の中の不思議な話、変わった話があるという人に来てもらって、それをおちかが「聞き役」になる、いわば百物語ふうなことをしようとします。

とある地主の用人の娘が、幼なじみと祝言をあげることとなったのですが、この娘が悋気持ちで、おばあさんに話をすると、おばあさんが若いころに、恋仲の男女を別れさせるという池があって、そこに許嫁を連れて行ったことがあって・・・という「魂取の池」。

大坂屋という店の主人の長治郎が、若いころに住んでた漁師町で災害があり、生き残った者たちはとりあえず高台にある網元の別宅に避難したのですが、長治郎は奇妙な夢を見ます。それは、長治郎が住んでいた近所で仲良しの同世代の近所の子どもたちと遊んだという夢で、それから長次郎は養子にもらわれて江戸へ、大人になって大病を患い生死の境をさまよっているときに、子どものときに見た夢がまた・・・という「くりから御殿」。

いつもは紹介があって百物語の客を招くのですが、ある男が飛び込みで「話を聞いてほしい」とやってきますが倒れてしまいます。ようやく回復して話を聞くと、男は貸家の大家で、娘が生まれてすぐに妻に先立たれて以降は娘と二人暮らし。ある日、店子から、子が三つになっても喋りださない、でも突然狂ったように泣き叫ぶときがある、と相談されます。この子の面倒を見ていた上の姉が泣き叫ぶのはどういう状況なのか詳細に記録をつけていて、どうやらこの家の奉公人がいるときだけ泣き叫ぶのです。それからすぐに、この一家の家に盗賊が入り皆殺し。奉公人は盗賊の手引き役だったのです。例の泣き叫ぶ三つの子だけは無事で、家主である男が引き取ります。たしかにこの子は一言もしゃべりませんが、男の娘が顔を出した途端、泣き叫び・・・という表題作「泣き童子」。

前にお世話になった岡っ引きの(ほくろの親分)こと半吉から、怪談語りの会に行きませんかとおちかを誘います。とあるお大尽が主催している会でもう十五年もやっているとかで、おちかは行ってみることに。建て増しをした家で迷子になるといった話、橋の上で転んではいけないと謂れのある橋の上で転んでしまったという話、千里眼の持ち主だった母、というお武家の話、そして岡っ引きの半吉が語るのは・・・という「小雪舞う日の怪談語り」。

三島屋に若い武士がやって来ます。しかし話し出そうとしません。それもそのはず、おちかにはわからないほどの訛りなのです。覚えたてという江戸言葉とお国訛りと半々で話すのは、自分がまだ少年のころに起きた、村に出た怪物の話で・・・という「まぐる笛」。

四十過ぎの女性が三島屋にやって来て話すのは、小さいころ、家には勘当された叔父というのがいて、女性の父は勘当された叔父の弟で、ある日のこと、叔父は「性根を入れ替えた」と謝って帰ってきますが、本家ではふざけるなと追い返されて、分家である女性の父のところで厄介になることに。ところがこの叔父、家ではなく物置でじゅうぶんだといって物置で暮らし始めます。さらに「月に一日か二日は出かける」というのですがその理由は話しません。ある日のこと、女性が(おじさん)を見ると顔が全くの別人で・・・という「節気顔」。

前作に登場した、手習所(塾)の先生をしている若い浪人が「小雪舞う日の怪談語り」に登場。おちかの周囲は「お嬢さんと若先生がいい感じになればいいのにねえ」なんて思っていますが、おちかはまだトラウマが克服されておらず、一方の若先生もオクテというかウブというか、女性とどうやって会話したらいいのかわからないレベル。恋の進展も気になるところ。

「まぐる笛」は、先日読んだ「荒神」と話がよく似てるといいますか、短編バージョンのよう。調べたら「まぐる笛」の初出は2012年、「荒神」は2013年から連載スタートというわけで、池波正太郎さんが初期の頃の短編をベースにしてのちに長編として出すといった作品はいくつかあって、そういうパターンかと。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

奥田英朗 『純平、考え直せ』

2021-05-09 | 日本人作家 あ
前にも当ブログで書いたと思うのですが、なんだかここ10年くらいで、四季のうち春と秋が短くなってるような気がします。なんか、こう、暑いのと寒い季節が終わって「ああ気持ちいい」って思いっきり伸びしたくなるような、そんな時期。一年の季節が雨季と乾季しかないエリアではどちらかが長くなってもう片方が短くなってるとかあるんでしょうかね。

地球の気候変動に警鐘を鳴らしてみたところで。

奥田英朗さんです。この作品は映画化されたんですね。

主人公は、タイトルにもあるように、純平。新宿の歌舞伎町を根城にするやくざの下っ端。イケメンで気がやさしく、歌舞伎町ではちょっとした人気者。

埼玉で不良だった坂本純平は新宿でチンピラと喧嘩したときに仲裁に入った北島というやくざに憧れて面倒を見てくださいと志願します。早田組という暴力団の今は部屋住みつまり修行中ですのでまだ正式には組員ではありません。

北島のアニキは関西に出張で、純平は電話番のため組事務所に行くと、親分に呼ばれます。なんでも、系列の組員がライバルの組とトラブルになって撃たれ、親分はやる気満々、といっても自分で行くことはなく、純平に「男になってみねえか」「組のためにひと肌脱いでもらいたい」とお願い。これで本物のやくざになれると純平は「やります」と即答。

改造銃を買い、残りは当分刑務所暮らしになるので遊び代として30万円をもらいます。とりあえず焼き肉を食べに行くと、隣のテーブルの女性客に声をかけられ、いっしょにクラブに遊びに行きます。女性に自分はやくざで近日中に抗争中の相手を銃で撃って服役する予定だというと半信半疑。

するとこの女性、ネット上の掲示板に純平のことを書き込んだというのです。その返信というのが「いまどき鉄砲玉なんて」「殺人は重罪です」「本当なら証拠を見せろ」「顔写真アップして」と、匿名で好き勝手なことを書かれて純平は呆れるやら怒るやら。

さて翌日。北島から「お前、鉄砲玉になるのか?」と電話。いくら組長からの直々の頼みとはいえ、北島に相談もなしというのはどうかと頭に来てる様子。ところが、同じ部屋住みの下っ端から、北島のアニキは純平を鉄砲玉にして自分の名前を売って早田組から独立するのでは、という噂があると教えられ・・・

ネットの書き込みをちらっと見ると相変わらず好き勝手なことを書かれてウンザリ。はたして純平は実行に移すのか。

主人公がやくざで舞台が歌舞伎町というキーワードですが、馳星周さん的なダークさはありません。文庫の裏表紙のあらすじには「一気読み必至の青春小説!」とありましたが、同い年の他の組の下っ端やくざと将来について語ったり、あと純平には片思いのショーパブのダンサーがいまして、彼女に良い所を見せようと頑張ってみたり、まあ青春といえば青春です。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

宮部みゆき 『荒神』

2021-05-05 | 日本人作家 ま
早いものでもう5月ですね。1年の3分の1が終わってしまったということですか。去年の今頃でしたっけ、店から小麦粉やホットケーキミックス、イーストが消えたのは。その前はトイレットペーパー、ティッシュ、マスクでしたっけ。トイレットペーパーは確かデマかなにかありましたよね。

そんな思い出に浸ったところで。

宮部みゆきさんの『荒神』です。ドラマ化しましたっけ。本編は見てないのですが、前宣伝はよく見まして、江戸時代に怪獣?ゴジラみたいな話かな?うーん、まあとりあえず原作を読んでみましょうということでだいぶ時間が経って読みました。

時代的には江戸の元禄のころ。「陸奥の南端、下野との国境の山また山のなか」という場所にある大平良山(おおたらやま)と小平良山(こたらやま)。その山沿いに隣り合ってるのが、永津野藩と香山藩。戦国時代、香山はもともと永津野の領地で、天下分け目の関ヶ原の後に香山が分離します。もと主藩と支藩で隣り合っていて仲が悪いのでにらみ合ってる、というだけならよかったのですが、数年前から永津野に曽谷弾正という男が藩主の側近になってからというもの、圧制に苦しむ農民たちが国境を超えて香山に逃げてくると追っ手が国境を超えて来て逃げた農民を連れ戻すばかりか彼らを助けたり匿ったりした香山の人たちも連れ去るという所業をするので、「人狩り」と恐れられています。

ある日のこと。永津野にある名賀村の村人が山の中で怪我をして動けない少年を見つけて村に連れてきます。しかしこの少年、永津野ではなくどうやら隣国の香山から来た様子。朱音という女性はこの少年を助けることに。じつは朱音、藩主側近の曽谷弾正の妹。朱音は兄が命じている「人狩り」という非道な行為に心を痛めています。この少年も人狩りに追われて逃げてきたのではないか・・・

さっそく少年の治療にかかろうとしますが、原因不明の皮膚のただれ、そして魚の腐ったような奇妙な臭い。熊でも山犬でもないし、何に襲われたのか。そのうちに意識を取り戻して、名を訪ねると「・・・みのきち」と名乗り、そして「お山が、お山ががんずいとる」と話します。「がんずいとる」というのは香山の方言なのか意味が分からず、村の老人に聞くと、あまり良い意味ではなく「飢えて怒りに燃えて恨みがこもっている」というのです。山が(がんずく)とは、いったいどういうことなのか。それ以降、この少年(蓑吉)はよほどのショックを受けたのか話そうとしません。

一方、香山では、小平良山のふもとにある仁谷村が焼かれて村人が消えたという事件が起き、番士が確認しに仁谷村に向かったままなんの音沙汰も無く、小姓の小日向直弥が仁谷村に行くことに。

蓑吉は状態も良くなってきて歩けるほど回復。そして、自分が受けた怪我の原因、山のように大きな(かいぶつ)が村を襲って村人を飲み込み、村が燃えてしまった、そのときに蓑吉も(かいぶつ)に飲み込まれたのですが、消化されず吐き出されたようなのです。あの魚の腐ったような臭いは(かいぶつ)の体液なのか。

小日向直弥は山に詳しい従者とともに仁谷村に着きますが、そこに人気はなく、家々はすべて壊され焼け落ちています。この先にある本庄村もすでにやられているのか、直弥と従者は向かいます。村人は岩山の洞窟に隠れていて無事でしたが、藩の番士たちは(かいぶつ)にやられてしまった、というのです。その(かいぶつ)を見た者がいうには「大きな蜥蜴のような、蛇のような、蝦蟇のような、それでいて吼えたてる声は熊のようで」と説明しますが、いったいなんなのか。とにかく、山を下りて応援を寄越さなければと町に向かうとしますが町は封鎖されていて・・・

蓑吉の話した(かいぶつ)の正体がよくわからないままではありますが、朱音には気がかりなことが。もし蓑吉の言う通り香山の村が(かいぶつ)によって全滅させられたとして、次に向かうのは永津野の国境を守っている砦ではないのか。朱音は(曽谷弾正の妹)として砦に向かうのですが・・・

この怪物の正体に隠された、永津野と香山のいがみ合いの歴史の中で起きた(あること)とは。それに曽谷弾正と朱音の兄妹も関係してくるのですが、怪物と兄妹の関係とは。

冒頭でちらりと触れたゴジラですが、ゴジラの誕生は人間が「生み出してしまった」ものでしたね。『荒神』の怪物も、まあいわば人間が生み出してしまったもの。人間が自然をコントロールしようとすると手痛いしっぺ返しを食らいますよ、という警鐘があるにはあるのですが、そこまで説教じみてはいません。久しぶりに重厚感といいますか肉厚な小説を読んだな、という思いがしました。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする