晴乗雨読な休日

休日の趣味レベルで晴れの日は自転車に乗ってお出かけ。雨の日は家で読書。

曽根圭介 『沈底魚』

2009-09-29 | 日本人作家 さ
この作品は、第53回江戸川乱歩賞受賞作で、あらすじは
日本におけるスパイ活動を扱ったものとなっております。
どうしても、スパイ小説といえば、ジョン・ル・カレやフレデ
リック・フォーサイスなどを思い浮かべてしまうのですが、
それら海外の、いわば「本場」スパイ小説と比べるとどう
なのかなあ、というのは杞憂、舞台設定、登場人物設定、
話の筋などしっかりとしていて、あっという間にクライマッ
クス、といった感じで読み進められました。

警視庁公安部外事二課に所属する不破は、ある人物が
来日し、国内で活動しているのを監視。その最中、ちょっ
と休憩してカフェでコーヒーを買っていると、高校時代
の同級生の女性に声をかけられます。
監視に戻ると、同級生の女性が監視対象の人物のいる
レストランへと入っていき・・・

その人物とは、貿易会社の社長という肩書きで来日して
いるものの、警察の調査では、中国の高官という情報。
その日は特に変わった様子もなかったのですが、翌日の
朝刊に、現職国会議員が中国に機密情報を漏洩、アメリ
カに亡命中の中国人外交官が関与、というスクープ記事
があり、しかし公安部長と外事二課長は嘘情報と報告。
そんな中、警察庁から捜査担当が来て、件の国会議員
を捜査せよとの命令が出ます。
日本国内に、大物の「沈底魚」がいるという噂があり、
沈底魚とは中国に情報を送る工作員。
そして、日本の外務省に中国の情報提供者から、日本の
機密情報が漏れていると報告があり・・・

さらに、不破と再会した同級生は、沈底魚と疑われている
国会議員の秘書だった・・・

警視庁と警察庁の不和、同じ課内職員同士のゴタゴタ、
そしてあっちにスパイ、こっちにもスパイ、誰が誰を信じて
いいのやら、疑心暗鬼になり、こうした日本の警察や政治を
扱う小説によくある、上に立つ人間の不手際というかダメ
具合がしっかりと描いてあり、イライラさせられます。

次の作品はまだ見てない(出版されてるのか不明)ですが、
じゅうぶん期待していいのではないでしょうか。
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宮部みゆき 『ぼんくら』

2009-09-26 | 日本人作家 ま
時代小説、歴史小説に「とっつきにくい」と感じている人も
多いのでは、と思うのですが、どこがそうなのかというと、
たとえば現代では使わない言葉や地名を補足説明するの
は野暮なのか、それでわかりづらい。あるいは、学生時代
に苦手だった日本史を思い出してしまう、など。

しかし、時代設定を数百年前にしただけで、そこには人間
がいて、そして日々の暮らしがあり、たとえ電話もテレビも
なく、車も電車もない時代であろうと、人間そのものは大し
て変わってないんですね。
そして、過去をきちんと解く術を持つことこそ、現代を漫然と
生きることに対抗しうる手段でもあって、そういった意味でも、
良質な時代小説、歴史小説を読むのはオススメというわけ
です。

宮部みゆきの書く時代小説は、江戸の下町、日本橋か深川
あたりが舞台になることが多く、大名屋敷エリアはあまり登
場しません。まずここに読みやすさがあり、市井の人々の暮
らしぶりは小難しいことはなく、そこでの人間関係は現代に
通じる部分も多く、いやむしろコミュニケーションツールなど
ほとんどない時代に、より関係は深くなるので、人間同士の
距離間は現代よりも近いと感じられます。
そして、最大のポイントは、表現があまり時代がかってない
ということ。物腰のやわらかさというか、時代歴史小説特有
の堅苦しさはありません。

『ぼんくら』は、江戸、深川の長屋で殺しがあり、その責任
を取ると手紙を残し差配人(大家のような人)は失踪。
そして次々と長屋に暮らす家族が姿を消してゆきます。
面倒くさがりな同心(今でいう警官)の平四郎は、この長屋
に何が起こっているのか、調べはじめるのですが・・・

それにしても、登場するキャラクターが面白い。長屋のリー
ダー的存在の煮物屋の未亡人、消えた差配人の後釜に来
た地主の遠縁の若い男、平四郎の妻、甥っ子、平四郎の部
下、ほかにも個性豊かな登場人物が物語の世界を広げます。

時代歴史小説はどうも…、という方は、ぜひ宮部みゆきから
読み始めてはいかがでしょうか。
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奥田英朗 『サウスバウンド』

2009-09-23 | 日本人作家 あ
奥田英朗の小説は、どことなくラジオのネタハガキを思わせる部分が
あり、この書評でも前に述べたこともあるのですが、随所に笑いどころ
を散りばめ、それに物語的要素を加えて小説化した、といったような、
全体的に飽きさせないように構成させれているような印象を持つので
す。

話の内容は、東京の中野に住む元活動家の父と、それを許容している
母、姉と妹をもつ小学六年生の二郎が、家族や学校の仲間たちとの
日常を描く前半、そして後半は、父の思いつきにも近い突然の沖縄
移住計画から、実際に八重山の島の廃墟を改装して暮らしはじめ、そ
こで巻き起こる騒動を描く後半となっていて、物語は二郎の視点から
語られています。

十二歳という微妙な年齢、大人の自覚が芽生えはじめて、しかし周り
は子供扱い、自身もそれを利用して都合のいいように立場を使いわけ
ていたりして、同級生には、妙に大人びていたり、まだ子供だったり、
あきらかに「背伸び」してつっぱっていたりと、これらを上手に個性とし
て描いていて、そして十二歳から見える大人たちの行動や発言は、
ときに冷静に、ときに皮肉的に分析判断したりして、子供を主人公に
した小説にありがちな、無理やり大人びさせている、というのも無くて、
良くも悪くも子供の純粋さに感情移入させられます。

そして沖縄での生活は、現代人の憧れともいるスローライフを実践する
のですが、電話はない、テレビもない、それどころか電気すらない日常
は何がしか支障をきたすのですが、村の人たちは親切だし、両親は楽
天的で、子供たちも徐々に感化されてゆくさまが面白いです。

この小説は、私見ですが、世の中の「ギャップ」をテーマにしているので
はないか、と思ったのです。国家や社会の不満分子の父と、争いごとは
避ける世間や学校の温度差のギャップ、大人と子供のギャップ、都会と
田舎のギャップ、経済優先と自然保護のギャップ。
正義か悪か、あるいは優劣といった判断は立場によって違うことの相互
の不理解や温度差をコミカルに表現しているように思えます。
これが自然破壊や都会に対するアンチテーゼを匂わせたら、この物語の
コミカルさが失われてしまいます。

「暴走と冷静のギャップ」が最後には崩れてしまう、というオチも、その前
にさまざまなギャップが絡んで最終的にそうなるのね、と納得。
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リチャード・ノース・パタースン 『最後の審判』

2009-09-21 | 海外作家 ハ
作品名がミケランジェロの名画、聖書の黙示録に出てくる教義
ということで、今回のパタースンの小説は法廷サスペンスでは
なく、なにか宗教がかった内容なのかな、と思って背表紙の主
な登場人物を見てみると、著者の前の作品に登場した弁護士、
キャロライン・マスターズの名前があり、しかも裏表紙のあらすじ
を読むかぎりでは、裁判絡みの内容。

しかし、最後まで読むと、キャロラインの下した決断に「審判」
があてられたのかと納得し、前作「子供の眼」や、前々作「罪
の段階」で毅然と法廷論争あるいは冷静な判決を下すキャロ
ラインの過去にこんなことがあったのかと驚きと悲しみが胸を
打ちます。

サンフランシスコの弁護士、キャロライン・マスターズは、合衆
国最高裁判所の判事に任命され、長年の夢が叶うことに喜び
ますが、一本の電話が水をさします。それは、二十年間、会話
はおろか顔もあわせていなかった父親からの電話でした。

二十年ぶりに生まれ故郷のニューハンプシャーに戻り、生家に
着くと、二十年ぶりに異母姉のベティーとその夫ラリーと再会を
果たしますが、再会の喜びはお互いに見せず、事務的に用件の
詳細を訊ねます。ベティーとラリーの一人娘であるブレットが家近
くの湖のほとりで恋人ジェームスを殺害そた容疑で逮捕され拘留
されているのです。

ただちにキャロラインはブレットのもとへ向かい、叔母と姪は初対
面を果たします。ブレットから無罪の釈明を聞きますが、キャロラ
インは彼女が殺害したと確信します。そして、彼女は自分の弁護を
頼みますが、身内の弁護をすることは最高裁判所判事に任命され
るにあたり、印象が悪くなると懸念し、姪の弁護を断ります。
弁護を断った理由には、二十年前、まだこの地に住んでいた頃の
恋人だったジャクソンが今は州検察の検事で、キャロラインがジャ
クソンと再会した時にこの事件について話をするに、どうにも弁護
側に分が悪いということもあるのでした。
なんとか優秀な弁護士をつけてあげると約束し、帰ろうとしますが、
別れぎわに泣くブレットを抱き寄せると、キャロラインは気が変わり
ブレットの弁護をすることに…

二十年前にキャロラインと家族とのあいだに起こった悲劇が今でも
彼女を苦しめ、父親と異母姉夫婦とは冷たい壁を置いています。
はたしてブレットは無罪なのか、ならば真犯人は誰なのか、そして
キャロラインの抱えた過去は清算されるのか…

終始この物語を客観視して読んだ場合、そんなことで殺したのか、
そんなことで二十年も家族と疎遠だったのかと思ってしまうのでし
ょうが、登場人物に自分を投影しやすい構成や文章で、この家族
の一員でしかわからない感情や思いが心に染み入ってくるのです。

良くいえば伝統を守る、悪くいうと閉鎖的というニューイングランド
を極めて中立的に、敬意を持って描いています。じつはそれこそが
この物語の重要な部分であると思いました。
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奥田英朗 『イン・ザ・プール』

2009-09-19 | 日本人作家 あ
『イン・ザ・プール』の舞台設定、メインキャラクターを引き継いで
のシリーズ2作目の「空中ブランコ」を先に読んでしまい、「空中
ブランコ」では舞台や人物設定がもっと細かく描かれており、どう
しても1作目ということで、主人公の精神科医、伊良部と精神科
勤務の看護婦がやや正体不明というかミステリアスに描かれて
おり、それでも話の筋自体が面白く、なんというか、ラジオのネタ
ハガキのような、随所に笑いどころを散りばめ、それに物語的要
素を加えて小説化した、といったような、全体的に飽きさせない
ところがさすが元構成作家だなという感じです。

都内の伊良部総合病院の地下にある精神科、そこには精神科医の
伊良部医師が、上の階の診療で精神科に患者を「まわして」くれる
のを待っています。
名前の通り、院長の息子で、優秀な後継ぎというよりかは、身なり
はきちんとせず、ポルシェを乗り回す「ドラ息子」。
そして、たまに精神科に来る患者には、トラウマだの心の病気だの
は根源的治療なんてありゃしない、せいぜいビタミン剤か安定剤を
処方する、といった適当さ。
それでも、およそ投げやりとも思えるアドバイスが患者を心の病気
から開放させてゆくのですが、そのアドバイスというのが、かなり
むちゃくちゃ。
当てずっぽうのアドバイスがたまたまその患者にとって有効的な治
療だったのか、それともこの伊良部は名医なのか、判断はそう簡単
にはさせてくれません。

「考える」から「考えてしまう」のであって、それじゃ「考えなければい
いじゃん」というスタンスで、これは精神科医や臨床心理士というよ
りは、村の長老のような、どこか哲学的な、達観あるいは超越の域
ともとれ、単なるオプティミズムとも違います。
だからといって、心の病気を軽視しているわけでもなく、その患者に
対する愛情はちゃんと感じ取れます。
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加賀乙彦 『湿原』

2009-09-17 | 日本人作家 か
以前、加賀乙彦の「海霧」という作品を読んだのですが、舞台は
北海道の東部で、主人公の女性心理士の勤める病院がある町
のすぐそばには釧路湿原がひろがり、その茫漠としたさまを印象
深く物語に登場させるのですが、『湿原』でも表題ズバリ、湿原が
やはり関わってきます。

湿原という土地状態は、開拓は困難で、人間からしてみれば、
使い道のない無用な代物。しかしそこには様々な生態系が存在
し、そして湿原自体も四季の移ろいとともにその表情を変えてゆ
き、べつに使い道があろうがなかろうが、ただそこに力強く「存在」
する…
形而上学的に湿原を考えるのか、それともただ作家が湿原に魅せ
られているだけなのか、そういった考察は読んだ個々人の判断に
おまかせします。

おおまかな物語の内容は、時代は学園闘争華やかな昭和40年代、
前科持ちの自動車整備工、雪森厚夫が大学生の女性池端和香子と
出会い、やがてお互いに惹かれあって北海道の厚夫の故郷である
根室近くを旅行したりしますが、東京に戻るとふたりは逮捕されます。
容疑は、新幹線爆破事件で、厚夫は学生運動の過激派セクトの要
望で爆弾を作り、和香子とふたりで新幹線車両内に爆弾を置いて逃
走した、ということ。
まったく身に覚えのない事件の容疑者となった厚夫は警察の執拗で
陰湿な取調べで嘘の自白をしてしまいます。和香子は組織そのもの
に嫌悪を抱いて黙秘を続けます。
過激派セクトの数人も自白をし、裁判の結果、厚夫は死刑、和香子
は無期懲役。
そしてここから控訴審での無罪放免を勝ち取るための法廷サスペン
スといった様相となるのですが、物語は弁護士と厚夫の善側、対す
る検察や警察の悪側の対決をメインストリームにするのではなく、国
家とはなにか、法律とはなにか、そして犯罪とはなにか、といった哲
学を、この無実の死刑囚と、その人を作り上げた権力との対極構図
を用いて読者に問います。

漠然とテーマは何かと考えると「冤罪」、それに付随する司法のあり
方の批判、メディア批判となるのでしょうが、家族の愛の普遍性とい
うテーマもあったりして、まあ一元的に考えなくてもいいんでしょうけど。

そういえば、芸能人が薬物で捕まり、保釈がどうのと連日テレビで
大騒ぎしておりますが、ある番組を見ていたら、レポーターの女性が
「仮釈放となったら大変な騒動が予想されます」と話していました。
その大変な騒動はあなたがたが勝手に作り上げているのだろう、と
思い、彼らの厚顔無恥と間違った正義感に笑ってしまいました。
ぜひとも報道関係者にはこの本を読んでもらいたいものですが、残念
ながら彼らの頭の中には滲み入らないでしょう。
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P・ハクソーゼン、E・クルジン、R・アラン・ホワイト 『敵対水域』

2009-09-15 | 海外作家 ハ
この小説はノンフィクションで、1986年10月、アメリカの
レーガン大統領とソビエト連邦のゴルバチョフ書記長がア
イスランドのレイキャビクで、首脳会談をおこなう1週間前
に、ソ連の原子力潜水艦が大西洋のアメリカのすぐ近くで
ミサイルが爆発し海水が漏れるという緊急事態が発生し
てしまう、という実話が描かれております。

ソ連側の潜水艦はK-219という老朽艦で、しかも過去
に事故を起こしているという欠陥だらけのシロモノ。しかし
「お国の事情」を最優先し、この危ない潜水艦をソ連から
出航し、アメリカの鼻先で偵察する任務をしなければなら
ず、優秀な艦長のもと、乗員たちの団結で航海を続けるの
ですが、じつは出航当時から、1機のミサイルハッチから
漏水が確認されていたにもかかわらず、兵器士官は報告
を怠ります。
ミサイルハッチから海水が漏れると、ミサイルの薬品と海水
が混ざり、有毒ガスが発生してしまうので、細心の注意が
はかられるべきなのに、士官がそれに気がついた時すでに
遅く、ミサイルハッチから有毒ガス発生、ただちにミサイルを
海中に投げ捨てます。

しかし、その一部始終をソナーで聞いていたアメリカの最新
鋭原子力潜水艦オーガスタは、ソ連の潜水艦からミサイル
が発射されたことを司令部に報告。
有毒ガスと漏水の止まらないK-219内部は惨劇に見舞
われ、原子炉に海水が漏れ出せば、大爆発してしまいます。
そこで、勇敢な原子炉担当水兵は、手動で原子炉の作動を
止めようとするのですが・・・

作戦内容はすべてアメリカ側に筒抜けであっても、懸命に老朽
艦を航行させる館長はじめ乗員はどこか物悲しさが漂い、いくら
不測の事態とはいえ、敵国の鼻先で緊急浮上せざるをえなかっ
た、潜水艦よりも乗員の生命を第一に考慮した艦長を罵るモス
クワの態度は亡国を感じさせます。

「レッド・オクトーバーを追え」でお馴染みの作家トム・クランシー
をして「この『敵対水域』ほど深く胸に滲み入る潜水艦の実話を
私はこれまでに読んだことがない」と言わしめるほどの、緊迫感、
臨場感あふれる作品です。
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ジョン・アーヴィング 『ホテル・ニューハンプシャー』

2009-09-13 | 海外作家 ア
アメリカ文学におけるジョン・アーヴィングであったりカート・
ヴォネガットは、日本でも学問の対象になったりするのです
が、こういった前情報のようなものが敷居を高くしているので
はないでしょうか。まずは純粋に「娯楽」としての物語を楽し
む、分析したり研究したりするのを否定はしませんが、どうして
も学問に扱う文学は高尚つまり難解、とする考えが読むことに
二の足を踏ませ、不幸にも排他的であったり閉鎖性を生み出して、
もったいない。

『ホテル・ニューハンプシャー』は、独特の世界観が紡ぎ出さ
れて折り重なって物語が形成されているので、読んだ人によ
ってそれぞれ違う印象を持つような作品なのではないでしょう
か。
登場人物は、物語を一人称(ぼく)で語るジョン、父と母、同性
愛の兄フランク、ジョンと愛し合っている姉のフラニー、小人症
という病気の妹リリー、難聴の弟エッグのベリー家が中心とな
り、父方と母方の祖父や学校の友人その他もろもろ、個性的で
設定というかそれぞれの相関がしっかりと位置付けられていて、
そして、この作品が「おとぎ話」だと評される(作者もそういって
いるらしい)ように、熊のステイト・オ・メインや飼い犬のソローと
いった動物が物語の重要なファクターなのです。

全体的な話としては、アメリカの田舎町の高校跡地にホテルを
開業させたベリー家が、その後かつての知り合いをたよって一家
はオーストリアへ移住、そこで第2次ホテル・ニューハンプシャー
を開業、しかしいろいろあってアメリカに戻ることになり・・・
ひらたくいえば、家族の成長物語なのですが、別の側面もあり、
フラニーが高校時代に同級生にレイプされ、その悲劇から立ち直
っていくといった話でもあります。

非現実的な話もあれば、きわめて現実的な話もあり、それが交互
に駆け抜けていくようで、ソリッドでシンプルなのか、ものすごく手
の込んだ複雑な仕上げなのか、この捉えどころの無さがそれぞれ
違った解釈となり、自分なりの解釈を探すという楽しみもあるのでは
ないでしょうか。

話の後半で、フィッツジェラルドの「華麗なる(グレート)ギャツビー」
が物語に関係してくるのですが、『ホテル・ニューハンプシャー』を
読む前に「華麗なる(グレート)ギャツビー」を読んでおくことを強く
お勧めします。2倍楽しめるかと。
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雫井脩介 『犯人に告ぐ』

2009-09-11 | 日本人作家 さ
日本の推理小説は、完全に偏見ですがおおまかに2種類に
分けられると考えられ、それは松本清張以前か以後。
「社会派」というジャンルが確立されてから、良くも悪くも犯人
の背後というか、犯罪に至った要因をしっかりと描くことによ
って、忌まわしい過去や時代背景といった現代社会の歪みを
鮮明にするのです。

ところが、アメリカのサスペンスでは、全部とはいいませんが
犯人の全貌はラストあたりにようやく分かってきて、それまで
は正体不明、思考不明のとにかく頭のアレな猟奇的殺人が
次々と発生して、その犯人の背景などはあまり説明されてい
ないものが多いのです。
例を挙げれば「羊たちの沈黙」であったり「ボーン・コレクター」
といったところ。犯行の動機は懸命な捜査で判明するのです
が、そこに至った部分が描けてない。
(もっとも、「羊たちの沈黙」に登場するレクターは続編で、人食
いになった素地というか忌まわしい少年時代が描かれています)

『犯人に告ぐ』も、それまでの日本の推理小説の主流である、
「犯人側をきちんと描く」のではなく、犯人の顔が見えないサス
ペンス要素が盛り込まれ、しかしそれでいて、犯人と警察の対
立構図のアイデアが面白く、展開も飽きさせずにタネあかしを
小出しにする巧みさ(意地悪!と言いたくもなりますが)もあり、
これは久しぶりに出会った傑作です。

端役のあまり仕事の出来ない警官が出てくるのですが、そんな
彼が最終的に大手柄となるあたりが、どんでん返しの筋書きと
いってしまえばそれまでなのですが、なんだか作者の推理小説
にかける愛情、人の良さみたいなものが伺えた気がします。

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フランツ・カフカ 『変身』

2009-09-08 | 海外作家 カ
ある朝、グレーゴルが目を覚ますと、虫に変身していました。
これが『変身』のおおまかな筋といっていいわけですが、この
物語にとっては、虫が重要ではなく、ある日突然家族の一員
が異質な存在となってしまった、という部分を強調させるため
に人間性とはかけ離れた生物に変身させることにしたのでし
ょう。
というのも、作者はこの作品が出版されるにあたり、表紙が
ムカデのような絵であったことに反対し、家族が部屋の前で
立っていて、その部屋の扉はほんの少し開いていて、中は
真っ暗、という表紙を希望したそうです。

外交員として働くグレーゴルは、家族の借金を返済するため
に毎朝5時に起きて仕事をしなければなりません。しかし、虫
に変身してしまったグレーゴルはベッドから容易に起き上がる
こともできず、仕事どころではありません。
起きてこないグレーゴルを心配する両親と妹は彼の部屋の前
で声をかけますが、返事はなく、内側から鍵をかけてあるので
中の様子がわかりません。そのうち会社の人も家にやって来
て、遅刻の理由を問います。
すると中から、グレーゴルいや人間のものとは思えないような
うめき声が聞こえてくるのです。

グレーゴルはベッドの上で複数本の足をじたばたさせて、よう
やく起き上がり、ドアの鍵を開けます。家族と会社の人が見た
のは、大きな虫。

両親は、あの虫はグレーゴルであると分かっていても、部屋に
は近づこうとせず、食事や掃除といった世話は妹がすることに
なります。当然、家族も苦悩を抱えることになるのです。
ある意味、現代におけるうつ病や引きこもり問題にも通ずるの
ではないでしょうか。

これは、作者がユダヤ人であるということと、この作品が書か
れた20世紀初期ヨーロッパという時代背景も影響しているよ
うで、ナチスの登場により、ユダヤ人は虫以下の扱いで全滅
させられそうになるのです。おそらくその兆候はすでにヨーロ
ッパ各地であったのでしょう。

家族の苦悩とは反対に、グレーゴルはいたって冷静に自己
分析をしています。なにかしらの報いや贖いで貶められたの
であればいいのですが、ある朝目が覚めたら、だと現実を受
け入れる余裕がありません。しかし冷静でいるというギャップ
が、この話の一番重要なポイントなのでは、と思いました。
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