晴乗雨読な休日

休日の趣味レベルで晴れの日は自転車に乗ってお出かけ。雨の日は家で読書。

ダルトン・トランボ 『ジョニーは戦場へ行った』

2008-12-26 | 海外作家 タ
一般的に、売れたり話題になった小説が映画化やドラマ化され、
映像で見る前にまず原作を読んでから、というのが正しい流れかと
思うのですが、中には、映像を見てから原作を読んだほうがいい、
というのもあり、アーサー・C・クラークの「2001年宇宙の旅」
なんかは、まさにそう。

そして、「ジョニーは戦場へ行った」も、まさに映画を見てから原作
を読んだほうがいいと思ったのです。

話は、第1次世界大戦に兵隊としてヨーロッパに行ったアメリカ人青年
ジョニーが、戦地で半死半生となり、目、耳、鼻、口が不自由になって、
両手両足も切断されます。

自分は死んではいない、意識はあるということが確認できます。
やがて、体の感覚をつかさどる機能の中で残っている皮膚でまわり
の状況、時間などを確認しようとするのです。

1日に6回来る(ことは皮膚感覚で知っている)看護婦か医者に、
頭をまくらに長く打ちつけてツー、短く打ちつけてトン、という
ふうにモールス信号を送ろうとします。

映画では、このジョニーの信号が「S・O・S」と伝えるところで
終わりとなるのですが、じつはここからが、この作品の反戦文学の
旗印とされる大事なシーンなのです。

この信号に気付いた医者は、ジョニーの胸に指で文字を書き、
W H A T
D O
Y O U
W A N T
(何がほしい、何がしたい)
と訊ねます。

ここから、怒涛のようにジョニーは伝えます。
自分の人生、宗教、政治、戦争、そして、未来の若者たちに送る
メッセージ。

この映画を見たとき、正直「物足りない」感があって、そして原作を
読み終えて、なるほどこの作品中の伝えたいこと余すことなく映画に
盛り込むのはムリだわな、と独り合点。





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アリス・シーボルド 『ラブリー・ボーン』

2008-12-23 | 海外作家 サ
アメリカの田舎で、10代の女の子が近所の男に強姦されて殺される、
というかなりヘビーなはじまりで、しかし、本の帯にはどこにも
サスペンス的なことは書いてなかったので、あれ?と思って読み続けてたら
天国に行った女の子が、天国からの視点で地上での家族や友人、自分を殺した
犯人を観察する、といった話。

1人の家族を突然失うかたちとなり、父母、祖母、妹弟は違和感な暮らし
となり、なんだかんだあって、母は家から出て行ってしまいます。

被害者家族には、メディアの表舞台ではあまり伝えない2次被害というもの
があって、近所や友人はよそよそしくなり、親はちょっとでも怪しい奴を
見れば犯人と思い疑心暗鬼になる。そして、いわれのない噂話が広まる。

読んでいくと、このような、ともすれば陰鬱になりがちなテーマを
「天国からの視点」を介してストーリーは進んでいくので、主観であり
(わたしという1人称)、客観である(家族や友人にとっての彼女)という
割り振りが、読んでいて嫌な気持ちにさせません。

サスペンスやミステリーではないので、犯人の背景や動機を細かく描写
しなくてもいいのですが、ただそれでも、この犯人(実は他にもいっぱい
女性を殺してる)の心のゆがみというか、殺人鬼になり果てた理由付けが
ちょっと弱かったかな。家庭環境が悪かったからといって必ず心が歪む
とは限らないですからね。

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マイクル・クライトン 『ライジング・サン』

2008-12-19 | 海外作家 カ
以前、当ブログで「ジュラシックパーク」「ロストワールド」
「ディスクロージャー」と、この作家の作品(ハヤカワでは
マイケルではなく『マイクル』に統一している)を紹介しま
したが、やはりこの作家はあるパターンがあり、問題が起こり
その問題に巻き込まれた人間が解決に向かい、いざ一件落着と
思いきや新たな問題が浮上、最終的には、このままでよいのか
という作者の問題提起。

「ライジング・サン」は、その名の通り「日出づる」、つまり
日本のこと。ロサンゼルスの日系企業が建てた高層ビルの落成
パーティーの日、ビル内で白人女性が殺されているのが発見。
その犯人は、あるロス在住日系人で終わりと思いきや、いろいろ
調べていくうちに、防犯ビデオの細工、市警からの圧力、
企業買収に絡む大物議員など、操作は一筋縄ではいかなくなって
いきます。
奔走する渉外担当官と、日本に精通しているコナーという2人が
解決に向かっていくのですが、コナーの日本の捉え方、日本人の
考え方というのが随所に散りばめられていて、日本人として、
うーん耳が痛い、というのもあれば、いやいや、それはたまたま
その人の個性か一側面であって、日本人の国民性ではないだろ、と
いうのもあります。

ただ、作者はものすごく日本を調べあげた、ということはわかります。

訳者あとがきにも、アメリカ人にとっては日本人は異質な存在であり、
クライトンにとっては「ジュラシックパーク」で恐竜を生き生きと描く
ことと、日本人や日本企業がアメリカを経済的に支配しつつある現状は
ある点では同じである、と書いてありました。
が、だからといって差別的ということではなく、そもそも環境も風土も
文化もまったく異なる両国が手に手を取って同じ方向に歩いていくとい
うのは、並大抵の努力ではいかなく、しっかりと相互理解をしないまま
気がついたら離れられない関係になっていたという日米関係をもう一度
精査し直すことも必要なのではないかということを思い知らされたわけ
であります。

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真保裕一 『連鎖』

2008-12-17 | 日本人作家 さ
この作家の作品は、はじめ「ホワイトアウト」を読んで、
ああ、すごないなあ、スケールは大きいし、ストーリー展開も見事だし
人物も丁寧に描けているし、とても好印象だった、のですが、
「他の作品もぜひ早急に読まなければ」というところまでには私の心を
動かしきらなかったんですね。

「奇蹟の人」という作品も読みました。が、やはり、本棚には、
彼の作品群が居並ぶまでには至らなかった。

そして、この「連鎖」を読んで、今までの考えが一変。

小説家に限らず、表現者の中には、時代の先を読む優れた感性を持っている
人が多い、というか、そういう人が表現者になるものなのですが、「連鎖」
という作品は、いわゆる食品偽装問題がテーマ。
単に、産地偽装という問題だけではなく、闇組織も絡んできての大掛かりな
犯罪行為が追求されてゆくのですが、今日、テレビで見ない日はないという
くらいに賑わしている食に関する不審。もっとも、この作家がこのテーマで
小説を書こうとしていた時代も問題はあったんでしょうがね。

「メリットが無いと不正の考えようがない」

そりゃそうですよね。違反を犯してまで偽装しようとするのなら、それなり
のメリットがないと彼らは動きません。

これに殺人事件や愛憎問題まで絡ませてくると、ストーリーがあっちいったり
こっちいったりして分かりにくくなるものですが、そこらへんは巧みというか
非常にテンポが良い。

ただ、惜しむらくは、悪だくみをしていた側の顔というか心情、人物描写が
もっと欲しかったですね。


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カール・セーガン 『COSMOS』

2008-12-15 | 海外作家 サ
古本屋で、2冊(上下巻)で100円で売っているのは、ほとんど
シドニイ・シェルダンとかなんですが、たま~に掘り出し物があって、
それがこの『コスモス〈宇宙)』。

この作者、ボイジャー打ち上げの際に、「宇宙人への手紙」という、
かの有名な、男女の裸と地球の位置を書いた金属板と、数十カ国の
言語とクジラの音波のレコードを積み込むことを提案したという人。

この本は、いわば科学、とくに物理学、天文学、生物学の入門編。
文中にもそう書いてあったのですが、学校の勉強は忘却の彼方である
私にとって、読んでるうちに、なんだか頭痛が・・・

それでも、遠く何万光年の星に思いを馳せ、地球の神秘に驚き、
読み応えがあって、これは満足いたしました。

この本をもとにした作者監修のドキュメンタリー番組(アメリカ製作)
は、1980年に日本でも放映されたそうですが、残念ながら見た記憶
がございません。
それでも、これを見た人たち、とくに子供は食いついたでしょうねー。
子供の好奇心は恐るべきパワーで、舌を噛みそうな恐竜の名前をスラスラ
と言えて姿形や特徴までも知ってたりしますからね。

ほかにもいっぱい著書が出ているので、宇宙がマイブームになるねこりゃ。
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ジョン・グリシャム 『大統領特赦』

2008-12-11 | 海外作家 カ
相変わらず、グリシャムの本は、読む人に「これ映画化したらいいのに」
と思わせてくれます。
じっさい数多くの作品が映画化されているのですが、まず展開がスピーディー
である、物語の中心的人物(主役)がカッコいい、そして、読み終わった後に
スッとする、ということ。
このような条件を満たしていても、じゃあ映画化しましょうといってその映像
作品を観たら、あれ、と肩すかしをくらうのもありますけどね。

内容は、かつてホワイトハウスのロビイストとして活躍していた辣腕弁護士が
ある重要な軍事機密情報を手に入れます。それを高値で売るために関係各方面
に交渉を持ち掛けるのですが、周りの人は次々と暗殺されてゆくのです。
恐れをなした弁護士は、ある罪を白状して、刑に服します。
歴史的大敗で再選できなかった大統領が、その任期の切れる数時間前になって
弁護士を特赦で刑期途中でありながら釈放します。
CIAの計らいで、弁護士は名前も素性も変えて、イタリアに移住することに
なるのですが、CIAは、彼が持っていた機密情報というものが何であるのか、
また、かつて彼の近辺の暗殺を実行した組織とはどこの国の何なのか、を知り
たいのです。

まあ、ざっとこんな感じですが、弁護士の潜伏していたのは、イタリアの
ボローニャという小都市。この街の描写は、読者をボローニャへと誘って
くれているようです。ハラハラドキドキのスリル溢れる展開もいいですが、
美しい情景描写をおざなりにしないのがいいですね。

この本を読んで良かったなあ、と思わせるのが、心に残る文章と、豆知識。
イタリアでは(全土ではないと思うけど)、カプチーノは午前十時を過ぎると
飲まないそうです。飲むのは観光客だけだそうな。
ご飯を食べ終わって、なんで牛乳を飲まなければならないのだ、というのが、
イタリア人たちの言い分。

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服部真澄 『龍の契り』『鷲の驕り』『ディール・メイカー』

2008-12-08 | 日本人作家 は
古本屋に出向き、何か面白い本はないかなあ、と棚を物色していると、
服部真澄という作家の本が3冊、各105円で売られていいました。

不見識な私はこの作者を知らず、帯に書いてある著名人の本に対する
絶賛べた褒めコメントを見て、迷わず購入。

5日間で3冊、あっという間に読み終えてしまいました。
文章が簡単だというわけではなく、文中にぐいぐいと引き込まれていく。
明日早起きしなきゃと分かっていても読み続け、気がつくと、ええ、もう
こんな時間なの、やばっ、早く寝なきゃ、といった感じ。

読み終えて、この作家は、ジェフリー・アーチャー、ジョン・グリシャム、
ダン、ブラウンといった、アクションエンターテインメント系作品がお好き
なんだなあ、という印象を持ちました。

その確信は、『鷲の驕り』で、これはネタバレにはならないのですが、
登場人物がある人の名前を口にします。それはジェフリー・アーチャーの
『ケインとアベル』に出てくる、アベルのアメリカに移住する前の名前。
これを持ち出すあたり、かなりのフリークとお見受けします。

アメリカ、イギリスの作家のアクションエンターテインメント作品には
日本人がたびたび出てくるのですが、大抵はアングロサクソン経済圏を
脅かす存在の企業関係あるいは金持ち。やはりどうしても極東の金満島国
といったイメージはこびりついてしまっているのでしょう。
そういうのとは関係無く、日本人が活躍する作品を見てみたいんだなあ、
と思っていたところに、私の希望を叶えてくれたのが、服部真澄作品。

『ディール・メイカー』の帯に、俳優の児玉清さんの推薦文で、服部真澄の
作品はいちはやく翻訳して海外に紹介したらいい、とありましたが、
これには激しく同意。

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山本周五郎 『樅ノ木は残った』

2008-12-05 | 日本人作家 や
※あらすじが書かれております。

内容は、伊達騒動と呼ばれた、江戸時代前期の仙台伊達藩で起こった
御家騒動の話。
史実上では、幼い藩主の後見人だった伊達兵部宗勝という人が、
仙台藩家老の原田甲斐宗輔といっしょに藩権力の集権をしようとして、
それに反対した伊達安芸宗重一派と対立し、幕府に上訴します。
評定(裁判)の日、江戸幕府大老の酒井雅楽頭の邸に関係者が召喚されて、
原田甲斐宗輔は邸内で伊達安芸宗重を殺害、伊達安芸一派であった
柴田外記と斬り合いののち、原田甲斐宗輔死亡、柴田もその日に死亡。
伊達兵部宗勝一派、原田家は処罰、伊達家は守られました。

しかし、その裏では、伊達兵部宗勝は幕府大老の酒井雅楽頭と結託して
伊達藩60万石を分割してそれぞれ統治しようと目論んでいました。
江戸幕府としては、仙台の伊達、加賀の前田、薩摩の島津と、外様大名の
ビッグ3ともいえる大藩取り潰しを企てる動きがあり、手始めに伊達藩が
目をつけられた、しかも、御家内のゴタゴタと見せかけての謀略だった
のです。

仙台藩家老の原田甲斐宗輔は、伊達兵部宗勝が藩体制を良からぬ方向に
持っていこうとしているのを知り、伊達安芸宗重、柴田外記らと話し合い、
伊達兵部宗勝のふところに潜り込んで兵部派になりすまし、この計画を
食い止めようとしていました。しかし事は御家取り潰しという大事になって
おり、幕府も巻き込んでの大騒動となるところでした。

そして大老酒井雅楽頭は、原田甲斐が実は伊達安芸と繋がっていて、しかも
伊達兵部宗勝と交わした、60万石分割の密約の写しが原田甲斐の手元に
あることを知り、この密約が漏れることを恐れた酒井雅楽頭は、

「やむを得まい、秘策のもれるのを防ぐには知っているものをぜんぶ
やるほかはない、甲斐はその第一だ、彼はそれを知り六十万石を守る。
しかしその代償は払わなければならない、評定の席に出る者にはみな、
その代償を払わせてくれるぞ」

と、他の大老の邸で行われるはずであった評定を急遽酒井邸に変更させ、
邸内で原田甲斐、伊達安芸、柴田外記の3人は侍に斬りつけられます。
甲斐は伊達安芸に向かい「これは私がやったことにしてくれ」と言います。
つまり、甲斐は伊達兵部宗勝の与党であり、安芸とは対立していると
見られており、甲斐が刃傷したのであれば誰も不審がらない、酒井は敗北
を認め、これが六十万石安堵の代償であると悟ります。
甲斐は「ようございますか、この刃傷は私が乱心の結果です。私のしわざ
だということをお忘れなきよう」と残し、息絶えます。

酒井と兵部の密約の全貌を事前に原田甲斐に聞いていた、評定に列座していた
幕府老中の久世大和守広之は駆けつけ、安芸の「そやつの刃傷です。御当家
に落ち度はない、甲斐めのしわざです、久世候、こやつの罪で、伊達家に累
の及ばぬよう、お頼み申します」という言葉にすべてを悟り、
「伊達家のことは引き受けた、六十万石は安泰だぞ」と甲斐に伝えます。

小説では、斬り付けられた後、原田甲斐は絶命、安芸と柴田外記は軽傷で
屋敷に帰ろうとしたのですが、酒井に邸内で治療せよ、と止められて、
その日のうちに酒井邸内にて安芸、柴田外記は死亡した、となにやら
きな臭いことになっています。

原田甲斐は、それまで奸臣(権力を盾に悪いことをする)といわれて
きましたが、この『樅ノ木は残った』で、悪の張本人から立場が見直され
るようになりました。

ハリーポッターを最後まで読んだ方ならおわかりかと思いますが、
スパイの不首尾の悲しい末路という意味では、「スリザリンでもっとも
勇敢だった一人」を連想させます。あのシーンも泣けた~
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浅田次郎 『天国までの100マイル』

2008-12-03 | 日本人作家 あ
かつては羽振り良く、今ではうらぶれた中年男性が、余命幾ばくも無いと
告げられた母親を、東京から160キロ、つまり100マイル離れたとこ
ろにある、腕のいい医者のいる病院に連れて行く、といった話。

この人の作品を読んで感じることは、人生の「どん底」をもがき漂う人間
を描いてる場合でも、絶望感のようなものが薄いというか、悲壮感があま
りありません。
もっとも、そこまで陥れてやろうと意図していないのでしょうけど。
どこかに希望的観測ができるような人物設定なんですね。

結局、自分が今いる場所が「どん底」だと見えたとしても、自分がこれか
らどう生きていくのか次第でかんたんに這い上がれるのだよと、夢も希望
も持てないで、ただ機械的に日常をやり過ごす人たちに対するメッセージ
が込められている気がします。

ハートウォーミングです。ミステリーやサスペンス、アクションを読み終
えてぐったりし、次に読む本は優しい感じがいいなあ、と思ったら、浅田
次郎作品はぴったり。
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マイケル・クライトン 『ディスクロージャー』

2008-12-01 | 海外作家 カ
映画化されましたね、これ。
マイケル・ダグラスとデミ・ムーアの共演。

女に翻弄される人の良い中年の男を演じさせたら当代一のマイケル。
そして、この映画に出る前から、名前をもじって“ギミ・モア(Gimme More)”
直訳すると「もっとよこせ」。彼女の出演料がその実力に不相応だという皮肉が
こめられていますね。『ゴースト』の時は可愛かったのに。

上司が女性で男性が部下の場合、セクハラなんてあるのか?
セクハラは常に男から女に向けられるもの、というのが通例。
しかし、セクハラには、権力の濫用、いうのも常である。
そこに性差はないのでは。

まあ、といった感じの内容なのですが、話は単に社内セクハラ騒動だけに
とどまらず、人間関係、駆け引き、企業のグローバリゼーションにおける
さまざまな問題を浮き彫りにしていくのです。

フランスのシモーヌ・ド・ボーヴォワールが残した言葉に
『女が男と同じことをやったからといって、それが真の意味での男女平等ではない』
というのがあるのですが、これを男性側が言うと蔑視ととられるのに対し、
女性側が言ったことに意義があるんですね。

女性から男性へのセクハラがあるということで、世の大半の男性に対する
告発を否定するものではない、とあとがきでも作者はその点についてきちんと
釈明していました。



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