晴乗雨読な休日

休日の趣味レベルで晴れの日は自転車に乗ってお出かけ。雨の日は家で読書。

檀一雄 『火宅の人』

2010-10-29 | 日本人作家 た
この本を読む前から、タイトルは知っていて、豪放磊落といえば
言葉はいいほうで、家庭を顧みず、それこそ、飲み代に子どもの
給食費を箪笥の引き出しから持っていこうとし、それを止める妻
を「うるせえ」と足蹴に・・・なんてのを想像していたのですが、
まあ、家庭を顧みず、という部分は当たっていて、愛人を囲い、
めったに家には帰らないのですが、それでも本妻と5人の子ども
たちのいる家には生活費は入れていて、奥さんも怒りを通り越して
、家出騒ぎなどありつつも、現状を受け入れているといった具合。

文中では「桂一雄」という名前で登場し、形式では檀一雄の私小説
ですが、それでも自伝、半生記の印象はあまり感じられず、物語と
して読ませる。これがテクニックなのか、そこまで分析しながら読んだ
わけではないので分かりませんが、とにかく、主人公の「私」は自分
ではありながらも、創り上げた桂一雄、客観的に、文中で動きまわら
せる、そういったように思うのです。

妻と死別、ひとり息子を連れて、夫を戦争で失した女性と再婚。
はじめは福岡で暮らすのですが、思いついたように「東京へ行く」
といって、石神井の一戸建てを購入。一雄が福岡ですこしだけ
関わっていた劇団所属の女優、恵子も東京へ。
はじめはホテルに囲い、一雄もそのホテルを仕事場として滞在、
それから都内をあちこち転々とアパートを借ります。

一方、「実家」の、本妻と5人の子どもがいる石神井へは、よほど
のことか、ふいと気が向いたときに帰宅。家族に対する愛情がない
わけではなく、とくに、脳性まひの後遺症で重度の障害が残ってし
まった次郎との交流は、ああ、一雄は優しいんだなあ、と思わせる、
父親の愛情をかけます。

なにかにつけて、このような歪んだ生活を一雄は、ああだこうだと
肯定します。そして、完全に崩壊せずにいられたのは、昭和30年
代に月額50万から100万ほどの給料を稼ぎ、また、出版社や
新聞社から桂一雄という名前を信用してもらい前借りをする・・・
何につけ、先立つものは金とはいいますが、そちらには不自由して
いなかったことが、綱渡りで浮き草の人生を保っていられたので
しょう。

たびたび登場する、友人だった太宰治や坂口安吾。毎夜飲み歩き、
太宰や安吾は内へ内へと入ってゆくのに対し、一雄はむしろその
疲労をもエネルギーに変えて、また飲み歩く。
かなりタフであったようで、あとがき解説の水上勉も「ついてゆけな
かった」と驚くほどの体力だというエピソードがあります。

強烈な小説です。読書という趣味を持ち、こういう本と出会えて
良かったと思わせてくれる一冊です。

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川田弥一郎 『江戸の検屍官』

2010-10-24 | 日本人作家 か
医療系のミステリーが好きで、歴史上の有名人物ではなく
市井の人々を描く時代小説も好きで、これらが合体したら
さぞかし自分好みの小説なのになあ、という希望が叶った、
そんな『江戸の検屍官』。
カテゴリ的には「時代医学推理」とでもいうのでしょうか。

川田弥一郎さんは、「白く長い廊下」で江戸川乱歩賞を受賞
していて、現役のお医者さん。
前に読んだのですが、医療ミステリー好きにはたまらない
展開で、描写も人物設定もしっかりとしていて、とても楽しめ
ました。
医師で作家といえば最近では「チームバチスタ」シリーズで
おなじみの海堂尊さんが有名ですが、医療系の小説を書く人は、
かならずといっていいほど、厚生労働省の、あるいは医療体制の
問題点、そして医師みずからの倫理観といったことを憂い、警鐘
を鳴らし、人間が最低限の文化的生活を送るうえでこれらの問題
は決して他人事ではなく、物語を楽しみつつも、考えさせられます。

『江戸の検屍官』は短編構成になっていて、主人公は、江戸の北町
奉行所、定町廻り同心の北沢彦太郎。
彼のもとには、江戸市中で発見された、死因がわからない、自害した
とは疑わしい屍体の検屍の依頼がきます。

江戸時代における検屍の教典「無冤録述(むえんろくじゅつ)」を
たよりに、さまざまな原因不明の屍体の謎を解明してゆくのですが、
彦太郎と実力を二分する医者の古谷玄海とは時折、意見がぶつかり、
医者の玄海は、外面だけでは解明できないなら切って調べるという
考え方で、しかしそれは「無冤録述」の意に反します。
しかし、考え方の相違はあれど、死因を突き止めて、それが殺人で
あったのなら犯人を探し出し、きちんと成仏させてあげたいという
信念は共通していて、ふたりはよく互いの家を行き来し、互いに
対する敬意は忘れていません。

この時代の検屍方法は、当然化学薬品の類はなく、酒粕や植物の液
といった、身の回りのものを用いて、それを屍体の体に塗ったり、
あるいは、金属を口の中に入れて、変色でもすれば毒殺の疑いあり、
といった方法で死因を突き止めます。
そして、屍体の生前の行動も、ある意味検屍の範疇に入っています。
近代でいうところのプロファイルというか、そもそもなぜこの現場で殺
されたのか、交遊関係は、諍いごとは、なども調べるのです。

厄介な問題として、屍体が女性の場合、解明にあたって、暴行されて
いないかどうか、全裸にして局部を調べなければならず、検屍をよく
分かっていない人たちからあらぬ誤解を受けないために、屋外で検屍
を行う、といった配慮も必要になってきます。

この物語中で、ある女性が複数の殺人事件に関わっていて、すんでの
ところで逮捕は免れ、謎のまま終わっているのですが、ということは
続編はあるのかと思い、調べてみたら、出てました。
早く読まないと。

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ジョン・グリシャム 『陪審評決』

2010-10-20 | 海外作家 カ
久しぶりにグリシャムを読んだ、といっても1年ぶりなの
ですが『陪審評決』は、弁護士ではなく、陪審員が主役。
といっても、名作「十二人の怒れる男」のような、息つまる
密室劇ではなく、もちろん陪審員の心の機微、葛藤もあるに
はありますが、アメリカ大手タバコ会社を相手どった裁判
、それに絡んでくる、タバコ会社側の、係争処理専門会社
の裏工作、謎の女の登場と、相変わらずといいますか、法廷
の内外へとフィールドを拡げ、それでも収めるところにキチン
と収め、締めるところは締め、適度なユーモア、スリリング
も忘れずに、というバランス配分は天下一品。

長年の愛煙のせいで夫に死なれたということで未亡人ウッドが
原告となり、アメリカ大手タバコ会社を相手取って裁判を起こします。
しかしこれまで、全米でタバコ裁判はあったものの、大手のタバコ会社
4社は、いずれも負けてはいなかったのです。
そこには、「係争処理専門」に裏で動く、フィッチという男の存在が。
タバコ会社は帳簿をごまかして「積立金」名目で、うまく裁判で負けない
ようにしていたのです。

そのやり口とは、タバコに寛容な、あるいは否定的ではない陪審員選び
からはじまり、裁判中、原告側に少しでも同情心を見せたら、金でも
仕事でもあらゆる手で懐柔してゆくのです。

そして、メキシコ湾岸地域、ハリスン郡でウッド対タバコ会社の裁判が
はじまろうとして、フィッチは被告側に有利な陪審員を偵察します。
ニコラス・イースターという、コンピュータショップ店員が陪審に
選ばれたのですが、彼の経歴を調べてみると、現在大学を休学中との
こと。しかし、在籍の記録はなく、あいまいだったのですが、どうやら
タバコに関してさほど否定的とも見えず、フィッチ側はたかをくくって
いたのです。

ところがこのニコラス、大学で法学を学んだということで他の裁判員
から頼りにされ、しかも、フィッチの裏工作に気づいている様子で、
判事に、自分たち陪審員は何者かにつけられていて、さらに自分の
アパートに何者かが侵入して、その証拠の映像もあると言い出し、
本来は殺人事件や大規模な犯罪組織の裁判にみられる「陪審員隔離措置」
がとられることになるのです。

さらに、フィッチ側に、マーリーと名乗る謎の女が連絡をしてきて、
陪審員と通じている情報を流してきます。

ニコラスの目的は、原告側か被告側か、どちらに有利な方向に動いて
いるのか、フィッチに接触してきている謎の女の正体とは、そして、
謎の女とつながっている陪審員とは。

フィッチ側は、形勢不利と見るや、陪審員のひとりでチェーン系スーパー
の店長に出世をちらつかせたり、妻が陪審員をつとめている不動産会社社長
にウソの取引、さらにウソのFBI捜査官をよこし、陪審員たちを被告側有利
に先導してゆけと、あらゆるダーティな手を使いまくります。

しかし、どういったわけか、フィッチの工作は「謎の女」には漏れている
ようで、陪審員たちに、タバコ会社の雇っている人たちの卑劣三昧ぶりを
「謎の女」とつながっている一人は伝えるのです。

陪審の密室劇、場外のゴタゴタと、これらをうまく帳尻合わせてゴールに
向かおうとすると、両方をしっかりと描かなければならず、結果「長いなあ」
という印象は持ってしまったのですが、それでも飽きさせられずに楽しめ
ました。


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宮本輝 『錦繍』

2010-10-16 | 日本人作家 ま
この作品は、原題小説にしてはめずらしい「書簡形式」
をとっていて、つまり、全体的に手紙のやりとりのみ。
有名なものでは「あしながおじさん」がそうですね。

もっとも「あしながおじさん」は、長期に渡って主役
の成長もわかるようになっているので、それはそれで
物語といえるのですが、『錦繍』の中での元夫婦の
やりとりは、短期での手紙の中から過去、現在そして
未来と紡がれてゆくので、これはちょっとヘタすれば、
説明くさくなってしまいがちになり、そこはさすが宮本輝
(はじめからヘタすればなんて心配してませんが)、
手紙のやりとりではあるけれど、自然な「物語」として
読めてしまうのがスゴイ。

別れてしまった夫婦が、東北の蔵王のゴンドラリフトの
中で、偶然再会します。
そこから、元妻である亜紀が、元夫の靖明にむけて手紙
を出す、というかたちでこの小説はスタート。
ふたりは大学で出会い、靖明は若いころから苦労し、
亜紀は建設会社の社長令嬢。やがて交際するようになり、
そのまま亜紀は父に恋人を紹介。
父にとっては、娘婿というよりは後継者候補として見て
いて、その眼鏡にかない、ふたりは結婚。靖明は岳父の
会社に就職します。
ところが、夫の浮気が発覚。それどころか、靖明は寝て
いる間に相手の女性に刺され、その女性は自害します。
このセンセーショナルな「事件」に亜紀は狼狽、入院
している靖明のもとへ見舞いにいくも、怒り狂えばいい
のか、冷静に夫を信じればいいのか分からなくなります。
が、靖明は全面的に浮気を認め、そして離縁。

その後、靖明の人生は転がり落ちるように不運な人生
となり、亜紀は大学の助教授と再婚、子どもを産みますが、
男の子は脳に障害があり・・・

抗えない「運命」、そして「生と死」を考えさせられます。
離婚後、無気力となってしまった亜紀が、ふらりと寄った
近所の喫茶店。そこのマスターは大のモーツァルト好きで、
しだいに亜紀も感化されます。
モーツァルトのあるコンチェルトを聴き、亜紀は
「生きていることも、死んでいることも、じつは同じこと
なのかもしれない」
と感じるのです。

「じぶんはこういう星のもとに生まれた」という言葉を
否定的に考えれば、すべての事象が否定的となります。

ふと、「ネコの幸せ」ということを考えました。
飼い猫は、雨もしのげて、餌ももらえますが、「自由」
ではありません。では野良猫は、自由はあるけど、危険が
いっぱい。
どっちが「幸せ」なのか。

「気のもちよう」ってことなんですけどね。
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宮部みゆき 『今夜は眠れない』

2010-10-14 | 日本人作家 ま
ある日、普通の団地に住む、ごく普通の家族に、大金5億円が
舞い込んできたら・・・という話なのですが、そこは稀代の
ストーリーテラーの宮部みゆき、ただでは終わらせません。

雅男は中学生でサッカー部に所属、ごく普通の一般家庭で
暮らしています。
そこに、弁護士が訪ねてきます。はじめは、父親の浮気でも
バレたか?と思っていたのですが、話をきくと、「伝説の相場師」
といわれた老人が泣くなり、遺言で、かつてアパートの隣に住んで
いて、怪我をしたときに介抱してくれた緒方草子聡子さん(雅男の
母親)に遺産5億円を贈る、というのです。

たちまちニュースとなり、近所でも、雅男の通う中学校でも
この話題でもちきりとなり、家には怪しげな宗教団体からの寄付、
また、恐喝ともとれる脅しの電話がひっきりなしにかかってくる
ようになり、平和な生活が一変。

さらに、いくら結婚前のこととはいえ、何も関係のない女性に
5億もの大金を贈るとは、と父親は疑います。というのも、会社
でもこの話題で、妻に浮気された哀れな男という社内での視線に
晒されていたのです。

そしてとうとう家庭崩壊か、父親は出て行ってしまうのです。
雅男も、サッカー部で明らかに周りの部員の態度が変わり、学校
では、親友で将棋部の島崎としか話し相手がいません。

ようやく夏休みとなり、それでも買い物に行くのもままならず、
弁護士のすすめで、避暑地の別荘に出かけることに。

しかし、弁護士事務所の職員の運転する車で別荘に向かっていた
母と雅男だったのですが、職員が道に迷い、しかたなく迷った先
で知り合った団体にお世話になります。

ところが、その弁護士事務所では、雅男と母が誘拐されたと大騒ぎ
になっていて・・・
老人はいったい、何のために5億円を聡子に遺贈などしたのか。
そこにはある意外なカラクリが・・・

ここから事態は2転3転、4転も5転もし、さらに、謎の女性が
出てきたり、殺人事件こそないですが、ミステリー感あふれる物語。

雅男の親友の島崎というのがなかなか面白いキャラで、口調や思考は
大人そのもの。冷静沈着。可愛げがありません。

この続編にあたる「夢にも思わない」という作品があるのですが、
じつは先にそっちを買ってしまい、『今夜は眠れない』を読んでから
にしようと読まずじまいで置いてあり、ようやく読めます。
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ウォルター・ワンゲリン 『小説「聖書」』

2010-10-12 | 海外作家 ラ・ワ
今まで、世界で一番発行されている本は?という問いに、
ハリー・ポッターと答えるのはある種のギャグ。正解は
聖書です。

キリスト教徒はもちろん必読ですが、それ以外の宗教あるい
は無神論者でも読んだことがあるという人は相当数います。

この聖書を、難解な書としてではなく、ドラマチックに、
エンターテインメント性あふれる「小説」にして、聖書に
出てくる有名なキリストの奇跡の前後には、弟子たち、村人
たちとこんな会話が交わされていた、など、2000年前の
イスラエルが舞台のある奇跡の物語として描かれています。

まず冒頭、イエス誕生のころのイスラエルの状況が説明されて
います。当時はローマ帝国の支配下にあり、その地に君臨して
いたのは、ヘロデ王。ユダヤ人たちは圧政に苦しめられますが、
しかし完全に帝国スタイルに同化させるのではなく、あくまで
統治として、ユダヤ人のために神殿を新築したりもします。

イエス誕生の前に、マリアとヨセフのちょっとした恋物語が
描かれ、マリアの父は、年齢差のある結婚にはじめこそ躊躇い
をみせますが、大工として働き者のヨセフを気に入り、婿と
して認めます。

そして、例の有名な、馬小屋での生誕、の前に、ひとりの重要
な人物の生誕が先に描かれます。それはのちにイエスを洗礼する
ことになる、イエスの親戚にあたるヨハネ。

聖書をすみからすみまで読んだわけではないので、この本を読んで
はじめて知ったのですが、ヨハネもまた「天からの啓示」によって
この世に現れるのです。釘職人のザカリア、妻のエリザベトは、
連れ添って長く、しかし子どもはもうけませんでした。しかしある日
ザカリアは天使ガブリエルの声を聞きます。
「あなたの妻はあなたに男の子を産む。あなたはその子をヨハネと
名づけなさい」
そして、かなりの高齢(65歳!)ではありますが、妊娠します。
そんな中、エリザベトの甥の子ヨアキムの子、マリアが訪ねてきたの
です。すると、マリアも、神からの恵みをうけ、子をみごもり、男の子
をやどすと言われたのです。

ヨハネが誕生し、マリアのお腹の子も成長し、マリアは家に戻ります。
しかし、マリアとヨセフはこの時点でまだ婚約中だったのです。
結婚前に妊娠するとは不義の子であるはずで、はじめヨセフはマリア
と婚約解消を考えますが、ある夜、夢に天使が出てきて、マリアのお腹
の子は聖霊によって身ごもったのであって、おそれてはならない、と
告げたのです。

いよいよ、かの有名な、馬小屋でのイエス生誕のシーンとなるところ
ですが、そもそも妊娠中のマリアがロバに乗って、どうしてナザレから
ベツレヘムへと向かっていたのか。それは当時のローマ統制下の、今で
いう「国勢調査」が行われ、夫ヨセフはダビデ王の血筋であったため、
身重ではありましたが、登録のために、ダビデ王生誕地のベツレヘム
へと向かっていたのです。

イエスが誕生し、大きくなって親戚のヨハネから洗礼を受け、それから
お弟子さんたちが集まって、ありがたい言葉をかけ、村人たちにさまざま
な奇跡、施しを与え、ユダヤの安息日でありながらも病を治したりして、
それが律法学者やユダヤ教の熱心な信者から反感を買います。
また、罪人や病気の人は、心が悪いからそうなるのだ、としていた当時の
ユダヤの教えに背き、彼らの病気を治し、罪人と語らいます。
「健康な者に医者はいらない。いるのは病人だ」
これは、じつは本来の教えを実践したにすぎないのですが、なにかと保身
に走り、空疎な教えをばらまく祭司らにとっては厄介で、しかしイエスは
そんな彼らをやりこめます。

それらが、イエスが十字架で処刑となる原因となるのですが、ここから
ユダの裏切り、理不尽な裁判、そしてゴルゴダの丘での処刑と描かれます。
これが、けっこう生生しく描写されていて、「あ、痛いっ」と思わず
顔をゆがめてしまうほど。
さらに、死から3日後のイエスの復活、その後、弟子たちは各地へ旅立ち
イエスの教えをひろめるのです。

訳者もあとがきで書かれていたように、あれ、聖書ってこんな話だっけ?
と思うシーンもあったりしますが、それでも2000年前の生活様式が
細かく描かれていて、そこで生きる市井の人々の息づかいまでもが感じ
られるような、そして、イエスと弟子たちとの会話、最後の晩餐での
緊迫したシーンなどは、とても興味深かったです。

マグダラのマリアがフィーチャーされていて、イエスは世界初の男女同権論者
だというダン・ブラウンの作品中に出てくる教授の言葉を思い出しました。

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新野剛志 『八月のマルクス』

2010-10-10 | 日本人作家 さ
この作品は第45回江戸川乱歩賞受賞作品で、いつも
書くことなのですが、乱歩賞といえば、プロ野球でいう
ところのドラフト1位的な存在、注目度で、デビュー作
だからって評論家や一般の読書家たちから容赦せずに
批評されます。

が、冷静になって考えてみると、デビュー作でこのクオリティ!
と唸ってしまうほど感心してしまうのです。

『八月のマルクス』は、推理小説にはめずらしい、というか、
はじめてお目にかかったのですが、「お笑い」がテーマ。
前に、プロレスがテーマの乱歩賞受賞作品というのを読んだ
ことがあり、とても興味深く、楽しんだのですが、「お笑い」
とミステリー、結べるの?と疑問に思うも、すぐに杞憂と
わかり、読み始めたらとまらなくなってしまいました。

下北沢でマンションの管理人をしている笠原は、かつては漫才
コンビでお茶の間の人気者でした。しかし、あるスキャンダルが
きっかけでテレビ界から去ってしまいます。

ある日突然、元相方の立川が笠原のもとを訪ねてきます。
ふたりが顔を合わせるのは5年ぶり。再会を喜んだか、立川は酔い
つぶれてしまい、笠原は家に連れていきます。
家でまた飲みなおした立川は、自分はガンでもう長くは生きられない
と告げます。
気がつくと眠ってしまっていた笠原、目をさますと立川は「すまない」
と一言、発するのです。

二日後、笠原のマンションに警察が。かつて、笠原を芸能界引退に
追い込んだスキャンダルを世に出した記者が一昨日、殺されたという
のです。
そんな因果関係から笠原のもとに一昨日のアリバイを訊きに来たので
す。その日は立川が訪ねてきて、しこたま飲んで酔いつぶれた日で、
アリバイはあると立川に聞けばわかると言うと、警察は、その立川と
連絡が取れなくなっているというのです。

何かがおかしいと笠原はいてもたってもいられず、かつての事務所の
社員を探しにテレビ局へ入ります。そしてそこで、立川から聞かされて
いた、立川の恋人だという同じ事務所の女性タレントと会うのです。

立川の行方はだれにもわからず、帰ろうとすると、何者かが尾行して
きます。その相手は、なんと、立川から自伝を書くことを依頼されて
いた女性のフリーライターだったのです。

立川はどこへ行ったのか、記者が殺されたのは立川の犯行なのか、
笠原は、仲の良かったテレビ制作会社の人間やさまざまな方面から
情報を聞き出し、どうやら立川は、外国でたまたま見たテレビ番組
に興味を持っていたことがわかるのですが・・・

笠原は、人気絶頂のある時、未成年の女性を部屋に連れ込んで暴行
したという記事がある雑誌に掲載されます。笠原には身におぼえの
ない出来事。その女性というのは、たしかに、しばらく笠原のマンション
前で待ち伏せをしていたことがあり、追い帰していただけだったの
ですが、彼女の証言で、笠原の住んでいた部屋の間取り、家具の配置
などが「正確すぎる」ほど正確に述べられていたのです。
世間はこの話題で大騒ぎとなり、事務所は沈黙をつらぬきます。
しかし、笠原の母が「責任を取ります」と遺書を残して自殺をして
しまうのです。
その後、これはどうやら狂言だという新しい証言も出て沈静化、しかし
笠原は芸能界を去っていったのです。

この過去のスキャンダルが、立川の失踪、記者の殺害と結びつくの
ですが、「おお、すごい」といった意外な展開となっていきます。

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パトリシア・コーンウェル 『私刑』

2010-10-08 | 海外作家 カ
この作品は、バージニア州の検屍官、ケイ・スカーぺッタが
主役のシリーズ作品6作目、基本は1作でメインの事件は
解決するのですが、『私刑』は前作「死体農場」からの続編と
なっています。

残忍な犯行を繰り返す連続殺人犯ゴールトを追うも捕らえられず、
リッチモンド市警の警部ピート、FBIのウェズリー、そして
ケイの姪でコンピュータの天才、FBIのある犯罪データベース
システム開発に関わるルーシーはゴールトに振り回されます。

クリスマスイブの夜。リッチモンド市内でも特に危険な地域を
担当する保安官ブラウンは、サンタの衣装を着てパトロール。
しかし、決まっていたルートを外れ、一軒の家に入ってゆく
ブラウン、後を追っていたケイとピートの耳に突然、激しい
銃撃音が聞こえてきます。
家に入ると、黒人の男の死体。この男はドラッグをブラウンから
もらう予定が、どういうことか撃ち合いになってしまうのです。
ブラウンには、ドラッグの売人としての容疑がかかっており、
ケイは参考人として裁判所で証言する予定があったのです。

そして、ニューヨークのセントラルパーク内で、女性の死体が
発見されます。散歩道(ランブル)と呼ばれる、細い道がいり
組んだ木が茂ってる辺りで、地元の人も夜は近寄らないという
危なっかしい地帯。そこで、裸にされ、皮膚の一部が切り取られ
て、ベンチに座らされて死んでいたのです。

これこそゴールトの犯行だとピートは息巻き、ウェズリー、ケイ
とともに捜査に加わります。
目撃情報によると、この女性は男とふたり連れで地下鉄出入口
近辺で見られていて、さらに博物館内でも目撃されています。
いっしょにいた男がゴールトなのか、それならなぜこの女性は
わざわざセントラルパークのランブルまでいっしょに行き、裸
にさせられて殺されたのか。

さらに、捜査に加わっていた交通警察隊の巡査が地下鉄構内で
殺されます。そばにいた浮浪者はドラッグ中毒で、ゴールトと
思われる特徴の男が殺したと言うのです。

ルーシーが開発したFBIのシステムに、再び侵入したゴールト。
そこで、どうやら、ケイの身辺に何かを起こしてやろうとする
形跡があり、保安官のドラッグ事件もどうやらそれに関係している
らしく、厄介なことにゴールトはケイのクレジットカードを持って
いて、息子と称して買い物をしていたのです・・・

ゴールトのケイに対する目的とは。セントラルパークで殺害された
女性とゴールトとの関係とは・・・

それまで、捜査に協力的ではなかったゴールトの両親がはじめて
息子について語ります。
ゴールトには妹がいて、妹はどこか他の街で暮らしているとのこと
なのですが・・・

『私刑』の原題は「From Potter's Field」で、これは「無縁墓地」
という意味。セントラルパークで殺された女性は無縁墓地に埋葬され
るのか、それとも家族に葬ってもらえるのか。

それにしても、アメリカの犯罪小説に出てくる犯人像は、オペラ座の
怪人のごとく神出鬼没で、魔法が使えるかのように描かれるのが多い
のですが、そうなると、それを捕まえる側にも神がかり的な能力が
必要になってきます。
ところが、ケイをはじめ周囲の人物にそういった能力の持ち主は、
しいて挙げればコンピュータの天才ルーシーですが、それでも未熟さ
ゆえの失敗が多く、ともすればファンタジーとなってしまいがちな
ところを、しっかりと登場人物の人間くささ、弱さ、脆さを描いて、
天上の戦いから地上での出来事に留めています。

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村上春樹 『ノルウェイの森』

2010-10-04 | 日本人作家 ま
二十年以上前でしょうか、『ノルウェイの森』が爆発的に売れて、
それこそ「社会現象」(陳腐な表現であまり使いたくないですが)
になった当時、友人から借りて読もうと思ったのですが、途中で
読むのをやめてしまったのでした。

それからだいぶインターバルを置き、ようやく最後まで読むことに。
この本に関しては、プロの文芸評論家から街の文学青年少女、
はたまた読書の習慣のない、巷のブームに乗っかっただけの人まで
巻き込んでの賛否両論があり(売れた本の宿命でもありますが)、
そういった周囲の雑音を気にすることなく自分自身の感じるままに
読めた、という人が沢山いたとは思えません。

ジョン・アーヴィングの「ホテル・ニューハンプシャー」という作品
について、村上春樹氏は
「(略)複雑で明らかに優れた小説をそのようなフェイズでのみ一望
できる読者がそれほど沢山いるとは僕には思えない」
と評していて、このコメントはそっくりそのまま『ノルウェイの森』
にも当てはまるのではないでしょうか。

高校時代、仲の良かった、親友といってもよかった同級生が自殺し、
物語の主人公で語り手「僕」と、自殺した友人の幼なじみで恋人だった
直子に形容しがたい空虚感がつきまとい、そのままふたりは地方から
大学進学のため上京。

「僕」が入った大学の寮のエピソード、東京で直子と再会し、直子の心
には自殺した男の想いがくすぶり続け、「僕」には振り向いてくれない
とは分かっていても、直子に近づきます。

しばらく連絡が途絶え、直子は実家に戻ってしまい、そしてある「施設」
へと入ることに・・・

この物語をリアルに描きすぎると、あまりにグロテスクになってしまい、
ほどほどに画面をぼやけさせ、一歩間違えば展開が複雑になりすぎていた
ところを、ほどほどに情報の肉付けと削ぎ落としをしています。
「ほどほど」と「ギリギリ」の間、とでもいいましょうか、栄養過多でも
失調でもない、複雑なものをシンプルに見せる描写の技術は感じられず、
だからといって稚拙でもなく、登場人物にリアル感はないのですが、それ
でも人物設定はしっかりされています。

あくまで個人的な意見ですが、「ホテル・ニューハンプシャー」の日本的
解釈をしようとしたのでは、と感じました。
類似点(悪く言えばパクリ)を見出した、というわけではなく、高尚な「文学」
ではなく、あくまで娯楽としての「小説」を書こうとするそのアプローチが
共通点といえますかね。
これはけっこうな冒険だったと思います。しかしそれをやってのけた。

なおのこと、願わくば「ホテル~」を読む前に『ノルウェイの森』を読んで
おきたかったです。

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