晴乗雨読な休日

休日の趣味レベルで晴れの日は自転車に乗ってお出かけ。雨の日は家で読書。

髙田郁 『花だより みをつくし料理帖特別巻』

2024-09-11 | 日本人作家 た
スーパーやコンビニに行くと秋限定などの商品が並ぶようになりましたね。とはいえまだまだ暑いので秋を楽しむのはもうちょっと先。読書の秋とはいいますが、夏の暑さからようやく開放されて涼しくなると夜の眠りが深くなって、寝る前の小一時間が読書タイムなのに布団に入ったらすぐコテンといってしまってあまり読めなくなります。

以上、読書時間の確保の難しさ。

さて、髙田郁さん。「みをつくし料理帖」シリーズも「あきない世傅金と銀」シリーズも読み終わって、と思っていたら「みをつくし料理帖」の見たこと無いタイトルがあるのをどこかの本屋で見かけて家に帰ってきて調べたら続編というか特別編が出てたということを知ったわけであります。

澪が医師の永田源斉と夫婦になって大坂に引っ越して四年、「つる家」の主人、種市は風邪を引いて寝込んでいます。ところが具合が悪いのは風邪のせいばかりではなく、ある朝、倒れていた老人を助けると、その老人は易をやる水原東西と名乗ります。はてどこかで聞いた名前だと種市は思いますが、その老人が助けてくれたお礼に種市を占うと、なんと来年までは生きられないと言うのです。そこで、澪といっしょに大坂から江戸へ出てきた芳に老人のことを尋ねると、澪に「雲外蒼天」、野江に「旭日昇天」と占ったのはたしか水原東西とかいう名前だといいます。一方「つる家」の常連客の坂村堂と戯作者の清右衛門も浮かない顔。なんでも清右衛門が「書く気がおきない」というのです。大坂の話が出たときに種市が「澪に会いてえな」とつぶやくと急に清右衛門が「大坂に行く」と言い出して・・・という表題作「花だより 愛し浅蜊佃煮」。

御膳奉行の小野寺数馬に嫁いだ乙緒は、数馬の妹から、じつは兄は女の料理人とお互いに想いあっていたのですがわけあって別れたということを聞き、そういえば数馬はなぜこんな面白みのない私みたいな女との縁談を受けたのか気になってしまいます。そこで思い出したのが、乙緒の姑つまり数馬の母から教えてもらった「岡太夫」という菓子。そして、もしふたりの間に溝ができたと感じたなら、数馬に「岡太夫が食べたい」とお願いしなさいと・・・という「涼風あり その名は岡太夫」。

日頃の殺生の戒めで魚や鳥などの生き物を放って故人の冥福を祈る「放生会」の日、大坂、高麗橋通りにある「淡路屋」の女主人、野江は、鳥籠から燕を放ち、又次、又次、堪忍な、と手を合わせます。数日後、江戸の摂津屋の旦那から文が届きます。さっそく、北鍋屋町にある診療所兼料理屋「みをつくし」に出向いた野江は二階で休んでる摂津屋に会います。大坂には「女名前禁止」という商い上の決まりがあり、女性は主人にはなれないのですが、主人が急死して家に残ったのが妻や娘の女だけという場合、特別に三年に限り暫定で女性が主人になることができ、今年がその三年目。摂津屋から番頭の辰蔵を婿にして店主にどうかと勧められますが野江は黙ったまま。すると摂津屋が「お前、又次のことを」・・・という「秋燕 明日の唐汁」。

大坂、北鍋屋町の「みをつくし」は長いことお休みしています。西日本に広がった原因不明の死に至る恐ろしい病で澪と源斉の住む診療所兼料理屋の家主がその病で亡くなり、別の家主に変わって「出ていってほしい」と立ち退きを迫られているのです。大流行した病は終息しましたが源斉は病人の治療に大忙しだったので寝込んでしまいます。体調が悪いのはもちろんですが、謎の病で誰一人救うことができなかったことで自責の念にかられて気鬱状態になっているようで、なんとか食べてもらおうと澪はいろいろ作りますがひと口ふた口食べるだけ。そこで澪は源斉の母親に手紙を出して・・・という「月の船を漕ぐ 病知らず」。

だいぶ前にこのシリーズを読み終わって、いろいろ忘れちゃってるかなと思いましたが、けっこう覚えているもんです。ただもう一度読み返したくなりました。
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津本陽 『深重の海』

2024-07-26 | 日本人作家 た
暑いですね。そういえば去年ですか、けっこう安いひんやり敷きパッドをオンラインショップで購入したのですが、それで寝てもあまりひんやりしないので使ってなかったのですが九月に入って涼しくなってきてその敷きパッドを使ったらものすごい快眠できたのです。今年もその敷きパッドはいちばん暑い時期には使用せず涼しくなったら使う予定です。なんか違うような気がしますがまあいいです。

以上、買い物失敗とは認めません。

さて、津本陽さん。宇江佐真理さんの「深尾くれない」だったと記憶してるのですが、あとがきでこの歴史上の人物を描くのにふさわしいのは津本陽さんかな、みたいなことが書いてあったような。機会があったら読んでみたいなと思いつつ、はじめて読みました。この作品は直木賞受賞作。

江戸時代が終わって明治という新しい元号になって十年ちょっと、紀伊半島の南東にある太地村はまさに「陸の孤島」で人口三千人が肩寄せ合ってくらす漁村。年間に収穫できる米はおよそ百石ほどで、村民の主な現金収入は鯨漁。かつては鯨が大漁で、今でいう漁協の代表である鯨方棟梁の和田家は井原西鶴の「日本永代蔵」に日本十大分限者(資産家)のひとりとして書かれたほどですが、ここ最近は不漁で鯨が獲れず、和田家は金策に走り回り、北海道に鯨がいっぱいいるよと聞いて休漁期に出稼ぎに北海道に行くための資金を調達しようと必死ですが貸してくれる相手はなかなか見つかりません。

まだこの当時の鯨漁は、そこまで大きくはない木造の小舟二十艘ほどで鯨の周囲に向かっていき、銛を何本も打って(そのうち、急所を狙う)血抜きをして陸まで引っ張って、といった命がけの漁。ダンプカーにママチャリで勝負を挑むようなもの。それでも1頭仕留めれば二〜三千円になるのでまさに一攫千金。今で言う大間の本マグロ漁みたいですね。この紀伊半島の南部の沖には黒潮が流れていて、沖まで出て海流に乗ってしまうと人力で解するのは難しく、そのまま駿河、伊豆方面に流されてしまいます。

しばらく鯨が獲れない期間が続いて、ようやく群れを見つけて、よっしゃーと沖に出て格闘の末に仕留めたのですが気がついたら黒潮に乗ってしまい、せっかく仕留めた鯨をリリースしてしまい何十人も亡くなるという海難事故が発生してしまいます。なんとか生き残って帰ってきた者もいたのですが、なんと伊豆諸島の神津島まで流されます。
一方、金策チームは東京へ出て大金持ちを紹介してもらうのですが、じつはここ近年の鯨の不漁は、欧米の捕鯨船が日本近海まで来てゴッソリ取っていく、ということを知って・・・

江戸から明治に時代が変わる大転換期で、それまでのスタイルが全く通用しなくなり、文明開化という言葉の下でいかに多くの「文化」が滅んでいったか。百年後の人間が「古い文化の滅亡はいわば必然でうんぬんかんぬん」といってもその真っ只中にいた人たちにとってはまさに生きるか死ぬかであって、なんといいますか、ひとつの文化の消滅は「滅びの美学」とはまたちょっと違うんですが、この物語の漁師たちの全力で死に向かって生きているそのパワーはビシビシ伝わってくるようでした。
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髙田郁 『あきない世傳金と銀(十三)大海篇』

2022-12-29 | 日本人作家 た

今年も残す所あと数日となりました。2022年に投稿した自転車関連は抜かして小説だけで34回。月に3冊くらいですか。かつては目指せ年間100冊なんて意気込んでたんですけどね。来年はもうちょっと頑張って50冊は読みたいですね。

あと数日で来年なんで鬼さんも微笑みくらいでお願いします。

さて、髙田郁さん。このシリーズもとうとう最終巻。あれですかね、「みをつくし料理帖」みたいに映像化するんでしょうかね。ああでもちょっと波乱万丈というかドロドロ過ぎますか。昼の1時半からやってるドラマ枠、「牡丹と薔薇」やってた、あれだったらいけそうですけど。

吉原で行われる「衣裳競べ」に参加することになった五鈴屋。誰に衣裳を着てもらうかというと、花魁ではなくなんと女芸者。歌扇という芸者は、もとは遊女で年季奉公は終わったのですが、唄と三味線の芸者として吉原に残ることに。吉原に入った遊女が外に出られるのは・年季奉公が終わったとき・落籍(借金を完済してもらって女房か妾になる)されたとき・死んだとき、の三つしかない、といわれていて、歌扇は本来であれば出られるのですが、幼い頃から吉原というカゴの中で暮らしてきていきなり外で一般市民として暮らすのはどだい無理な話で、そういう人は吉原に残ってランクの低い女郎になってゆく、というパターンが多かったのです。

そんなことがあって後日、歌扇の髪につけていた笄(こうがい)が五鈴屋の奥の小間物屋で売っていることにある客が気付きます。菊栄デザインの笄の値段はなんと銀三匁と格安で使い勝手も良さそうでしかもオシャレ。「菊栄」ブランドの笄は飛ぶように売れます。

浅草田原町の五鈴屋では手狭になってきたので、日本橋近くの呉服町の物件を手に入れ、そこの間口を菊栄の小間物屋と五鈴屋とで半々で分けて営業をはじめますが、いきなり町名主がやって来てこの物件は二重契約なので明け渡せと・・・

この一件に音羽屋は絡んでいるのか。頼りにしていた幸の元亭主、惣次はこの件をどこまで知っているのか。

ものすごい大団円でハッピーエンドというわけではありませんが、まあ落とし所としてはこれしかない、というラスト。いわゆる経済小説というジャンルとはちょっと違いますが、「経済」とは中国の古典の「経世済民(世を治めて民を救う)」から来ていて、これが英語の「エコノミー」の訳として定着したのですが、根底に流れているものは同じかと。

今年の投稿はこれでおしまい。良いお年を。

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髙田郁 『あきない世傳金と銀(十二) 出帆篇』

2022-08-31 | 日本人作家 た

早いもので今年も3分の2が終わろうとしています。個人的にはけっこう充実した3分の2でしたが、そんな東洋の島国のいち小市民の暮らしはさておき、世界レベルではいろいろ大変です。

8月31日といえば一部の子どもたちにとっては己の計画性の無さと怠惰を猛烈に後悔、反省しなければならない日ですが、だいぶ昔コンビニでバイトしていたとき、その日の夜「原稿用紙売ってますか!?」と半狂乱で駆け込んできた女性客。まあ、子の読書感想文でしょうが、そんな宿題しない子のためになんで親が駆けずり回ってあげてるんだと呆れていたのですが、在庫に無くて「すみません、売り切れですね」と言うと「他の店舗に問い合わせてください」と無理難題を要求され、できませんと断ると「じゃあどうすればいいんですか」と逆ギレされたという今となってはとてもいい思い出。

 

さて、あきない世傳。田舎の村から女中奉公のため大坂の老舗呉服店(五鈴屋)に入った幸(さち)。大番頭に商才を見込まれてなんと店の主人と結婚しますが主人は事故死。今度は店を継いだ弟と再婚しますが従業員や取引先の信用を失い家出。店は画家を目指していた3男が継いで、幸は3男と再々婚。が、3男は病死。3番目の主人と約束していた五鈴屋の江戸進出もはたし、はや10年。

ある事情から絹織物を扱う呉服仲間を追い出されて江戸では売れなくなり、木綿のみを扱う太物仲間に入ります。しかし五鈴屋のアイデア商品が大ヒット、仲間の店も売上を伸ばすことに。寄合の席で呉服も扱えるようになったらどうかという提案があり、幕府に申請を出します。なんだかんだあって認められ、五鈴屋はふたたび呉服を扱えるようになります。

新作デザインの反物ができたのはいいのですが、さてこれをどうやって売ろうと考えてた幸ですが、ある日のこと、酒屋で「酒切手」なるものがあることを知ったのですが、現在で言う商品券で、この酒切手を取り扱い店舗に持っていけばいつでも酒と交換できるといったものです。お祝いにいちいち重い樽酒を持っていく手間を考えたらこりゃ便利だと思った幸はさっそく仲間に呉服切手を扱ってはどうかと提案を・・・

そんな中、ある武家が五鈴屋にやって来て、婚礼の衣裳を仕立ててほしいとお願いします。婚礼の日を聞くと「あれ、その日は確か」と幸はある手紙を見ます。それは大坂にいたときに世話になった学者先生からの手紙で、その日は日食が起こると書いてあったのです。当時は日食は不吉で慶事は控える風習がありました。江戸時代の暦はいちおう正式には幕府が出してる「江戸暦」があったのですが、全国各地でバラバラだったのです。江戸暦ではその日に日食があるとは書いてありませんが、学者先生のもとに天文学の学者がいて独自に割り出したのです。それを武家に告げると「なんと失礼な」とブチギレられます。が、その日の朝、晴天だった空がどんどん薄暗くなって・・・

さて、次の巻でどうやら完結ということらしいのですが、どうなるんでしょう。

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髙田郁 『あきない世傳金と銀(十一) 風待ち篇』

2022-01-16 | 日本人作家 た

そういえば、年末年始の牛乳の大量廃棄問題、あれって結局どうなったんでしたっけ。回避できたんでしたっけ。微力ながら個人的にできることとして毎朝ホットミルクを一杯飲むところを二杯にしてます。そんな程度でドヤられてもという話ではありますが。

さて、あきない世傳。時代小説の作家さんにとって好きな時代、得意な時代というのがおそらくあるのでしょう。たとえば戦国時代とか江戸だったら初期か中期か幕末か。髙田郁さんはこの「あきない世傳」シリーズは享保から宝暦あたり、「みをつくし料理帖」シリーズは文化文政時代で、江戸中期がお好きなようで。もっとも、両作品とも主人公が関西から江戸に出てきてという話ですので、ちょうどこのあたりに文化や経済の中心が京大坂から江戸に移行中〜完全移行するので、好き以前に設定上そうしただけなのかもしれませんが。

おおまかなあらすじを。田舎から大坂の(五鈴屋)という呉服屋に女中奉公にあがった幸(さち)は、番頭から商才を見込まれ、なんと当主の後妻に。ところが当主が事故死してしまい、跡継ぎはその弟に。ななんと幸はその妻に。ところがこの当主がワンマンタイプで取引先の信用を失って勝手に隠居宣言して家出。五鈴屋の次の主に決まったのは、ワイは作家になるんやといって出ていった三男。なななんと幸はこの後妻に。江戸に支店を出すという目処もたったときにその三男が病死。暫定的に幸が五鈴屋当主になって江戸へ・・・

もう波瀾万丈。大映ドラマか昼ドラか韓流か。

そんな人間ドラマもあるのですが、タイトルに「あきない」とあるように商売つまり経済小説の側面もあったりします。で、絹織物の寄合から外されて絹の反物が売れなくなってしまった五鈴屋ですが、太物(木綿)を中心に扱うことに。現代でいうパジャマというか部屋着であった浴衣を外出用に新商品開発をしてこれが大当たりします。

ヒット商品が出たはいいものの、一時的なブームで終わらせてはいけないということで、幸をはじめとして奉公人一同は次の手を考えます。江戸浅草に店を開いて八周年となり、そのお祝いということで常連さんはいつもより多めに買ってくれるのですが、それにしても今年は売れ方がちょっと極端。じつは巷で「末禄十年の辰年」つまり来年に災いが多くなるという言い伝えがあって、災難から逃れるには正月に大盤振る舞いをしようとするのが流行っているのです。

年が明けて宝暦十年。如月(二月)、神田で火災発生、その日は運悪く強風で炎は日本橋から大川を超えて深川まで達するといった大火災となります。のちに、「宝暦の大火」または火元の足袋屋の名前から「明石屋火事」と呼ばれるようになるのですが、かなり甚大な被害。五鈴屋では幸をはじめとして奉公人の全員が、商品も証文も無事でした。取引先も仕事仲間も大丈夫そうです。ですが、日本橋のほうはほぼ全滅と聞いて、幸はいてもたってもいられなくなります。というのも、日本橋には唯一の肉親で五鈴屋の大事な商売道具を持ってあろうことか五鈴屋を乗っ取ろうと卑劣な手を使ってくる呉服商に嫁入りした、今は絶縁状態ではありますが妹の結がいるのです。結は無事なのか・・・

商売の話では、開店当初から五鈴屋に来てくれていたご夫婦がいるのですが、そのご主人の正体、といいますか、やってることが判明し、ある大きな注文を五鈴屋にお願いします。そこで幸がある思いもよらない行動に出るのですが・・・

人間ドラマ的には波瀾万丈ですが、といって主人公がこれでもかと不幸になったりはしません。そういった意味で気が滅入るようなこんなご時世からの現実逃避で読書を楽しみたい者にとって安心して読めます。

これは感想とは違いますが、今までのタイトルは(〇〇篇)とすべて漢字二文字だったのですが、今作はひらがなが入りましたね。あと、当ブログでは今まで「編」という漢字を使ってきましたが、正確には「篇」でした。ちなみに前のが常用漢字で後のがそうでない、それだけの違い。まあでも今さら変えるのも面倒なのでシリーズ十作目までは編のままで。

 

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髙田郁 『あきない世傳金と銀(十)合流編』

2021-10-28 | 日本人作家 た

最近、というかここ2年くらい、お風呂に入るときに必ずと言っていいほど入浴剤を入れてます。全国の有名温泉、名湯が何か所か詰め合わせになってるやつ。といってもその温泉の成分が同じというわけではなく、あくまで「気分」を味わうのですが、「今日はどこの温泉に入ろうかな」と選んでるときが一日の中で一番幸せ。なんて安上がりなんでしょう。

 

以上、幸せってなんだっけ。

 

前の巻で、幸の唯一の肉親、妹の結のとんでもない裏切り行為が起きたり、さらに呉服仲間の寄合から除名処分が下されて絹織物が売れなくなってしまったりと、まさに踏んだり蹴ったり、泣きっ面にハチ。というわけでこれからは木綿か麻しか売れず、そこで、木綿の浴衣で新商品を作って起死回生といきたいところですが、これが難しい。

浴衣とは、もともと「湯帷子(ゆかたびら)」といって、蒸し風呂に入る際に着用していたもので、江戸時代のちょっと前くらいに裸でお湯に浸かるという入浴スタイルになり、湯上りに体についた水分を吸収するために着るものになったそうです。今でこそ普通ですが、まだこの当時は浴衣で外を歩くという風習は無かったのですね。現代で考えると、バスローブだけで外を歩いてるといった感じですかね。ここに目を付けたのはいいのですが、はたして出来るのか・・・

 

この話とは別に、大坂から、幸が女中奉公に入った時の指導係で今でも五鈴屋本店で女中をやっているお梅と、そして、五鈴屋四代目主人の元妻の菊栄もいっしょに江戸に来ます。菊栄は離縁したあと実家に戻ったのですが、実家の商売がうまくいってないのを菊栄の力で盛り返した、のはいいのですが、出戻りにいい顔されてたまるかと主人夫婦が辛く当たるようになって、もういいやと江戸に来た、とうわけ。江戸で新しい商売をはじめようとする菊栄ですが・・・

 

五鈴屋が寄合から外され意気消沈しているところ、あるお世話になってる人が「三井越後屋ももともと呉服仲間の寄合から外されてから大きくなった」というアドバイスしたのですが、もうちょっと先の話で三井越後屋が出てきたりするんでしょうかね。

 

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髙田郁 『あきない世傳金と銀(九)淵泉編』

2021-10-23 | 日本人作家 た

秋ですね。といって何か秋にまつわる風流な話など特にありません。車を運転してて、直射日光がツラいので車内にサングラスを置いてあるのですが、夏はあまり使用せず、秋から冬にかけてよく使用します。この時期の夕陽はキツイですからサングラスをかけるのですが、そういえばまだ運転免許すら持っていなかった若い頃、大人がサングラスして車を運転してるのを見ると「なにカッコつけてるんだよダサいな」と思っていたものですが、実際に大人になって見て運転して気付いたのですが、眩しいので仕方ありません。

 

大人の階段上る 君はまだシンデレラさ。

 

さて、とうとう九巻まで来てしまいました。摂津(現在の兵庫県)に生まれた幸(さち)、若くして大坂の呉服商(五鈴屋)に女中奉公に入ったのはいいのですが、そこの番頭に商売の才能を見出されてなんと四代目主人と結婚することに。ところがこの四代目、幸と結婚して早々にあっけなく死んでしまい、弟の惣次が五代目に。なんと幸はこの五代目と再婚。で、この五代目、「商いに情けは無用」のスタンスで己の才覚だけで突っ走り、信用を失い、勝手に隠居してどこかに失踪。そこで、物書きになりたいと家を出た三男を五鈴屋に呼び戻して、六代目に。商売のことは全くわからず、幸に任せて自分は後方支援しますと宣言、そして幸は六代目と再々婚。商売も順調で江戸に支店を出す目処もついた矢先、六代目が病死。新天地の江戸で商売をしていくことになった幸は・・・といった、今までの流れ。

 

で、またまた豪快にネタバレをぶっ込んでしまうわけですが、幸の唯一の肉親である妹の結(ゆい)も江戸に来ていまして、幸は将来的に結と手代の賢輔と添い遂げさせようとし、結もその気になってたのですが、じつは賢輔、五鈴屋に奉公に入って小僧のときからずっと幸に初恋というか憧れというか、想い続けてまして、それが結に気づかれてしまって、大事な反物の型紙を持ってあろうことかライバル店に勝手に嫁いでしまいます。

 

さらに、呉服商仲間の寄合に呼び出され、大名家のお武家さんに反物を売ったことが、もともとその大名家と取引をしていた同じ寄合に属する呉服商になんの報告もなかったことが(暗黙のルール)に反するということで、なんと寄合を脱退させられます。これで五鈴屋は絹織物を扱うことができなくなってしまいます。まるで五鈴屋の商売を何者かが邪魔をしているようなのですが、とはいっても店は開けなければいけないということで、売ることができる木綿で、なにか新商品を考えなければ・・・

 

まあ、なんといいますか、なかなかドラマチックな展開です。ただ、このシリーズも、「みをつくし料理帖」もそうですが、主人公が自分からみすみす不幸になる選択をしておきながら「はあ、私ってなんでこうなんだろう」みたいな(悲劇のヒロイン)のように描いてはないんですね。そこが救いといいますか。

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髙田郁 『あきない世傳金と銀(八)瀑布編』

2021-10-20 | 日本人作家 た

本を読んでるときや今まさにブログを更新しているときによくコーヒーを飲んでるのですが、もともとはそんなに好きではありませんでした。まあ「砂糖とミルクを入れれば飲んであげてもいいよ」という謎の上から目線でたまに飲んではいましたが、何年くらい前でしょうかね、砂糖ミルク抜きのいわゆるブラックで飲むことが普通になってしまいました。そうすると、いっぱしに家でもドリップで淹れたりなんかしちゃったりして、でもなかなかお店のようにうまくいかなくて、はじめこそ「泥水よりはマシ」なレベルでしたが、いろいろ聞いたり調べたりして、今ではそこそこなレベルにはなったと自負しております。

 

以上、コーヒーと私。

 

さて、シリーズ八巻。大坂の呉服商「五鈴屋」は江戸に支店を出したのはいいですが、勝算があったわけではなく、要望があって来たわけでもなく、さてどうしようと七代目(暫定)主人の幸をはじめ奉公人一同アイデアを出し合い、無料で着付けの指南をやったり、端切れで作ったお土産を配ったり、小さなことからコツコツとはじめ、やがて、縁というか出会いといいますか、人気の歌舞伎役者のお披露目で着る衣装を手掛けることとなり、それまで武士しか着ることが許されなかった「小紋」を、紋様を変えて小さくして、遠くから見たら無地に見え、近くで見るとはじめて柄がわかるといった反物を考案し、それが話題となります。しかし、いくら「武士ではなく町人が着るもの」といっても、絹織物など高くて一般の町人(職人など)には手が出ません。

 

さらに、江戸だけではなく全国的に疫病が大流行し、世間ではとても反物など買ってる余裕などありません。そんな中、あり一人の客が「あの歌舞伎役者が着ていた小紋を切り売りしてほしい」とやって来ます。店先で売る商売ですと、一反を丸々買っていく人は少なく、半分で売ったりすることもありますが、この女性客は「四寸(約十二センチ)」というではありませんか。話を聞けば、江戸紫に染めた反物はもともと虫除けに効果があり、転じて熱や痛みが取れると病気見舞いに使われるそうで、気位の高い呉服屋などでは売ってくれないと思ったのか「やっぱりいいや」と帰ろうとしますが、幸は「お子さん用の鉢巻きに作りやすい長さで切りましょう」と売ることに。

これが話題を呼んで、どこの店も売り上げは冷え込んでいますが、五鈴屋は大賑わい。しかし一人につき端切れ程度の長さを売っても一日の売り上げが一反分に届くか届かないか。それでも嫌な顔ひとつせずに切り売りに応じます。

 

それはそうと、五鈴屋の七代目はあくまで暫定。八代目を決めなければならず、幸は、自分にとって「商いの師匠」といえる、元番頭の治兵衛の息子で今は江戸にいる賢輔を八代目に、と推挙しますが、これに父親の治兵衛は反対。

 

そんな話もある中、なんと公儀から「上納金」を払えと言われます。その額なんと千五百両。表向きは「貸す」ことになっていますが、まず戻ってはきません。新しい小紋の図柄も考えなければならないのですが・・・

 

この巻のラスト、とんでもないことが起こります。それまで商い上の問題ばかりでしたが、ここにきて人間関係の問題が大爆発。まさに大映ドラマ、韓流ドラマ、昼ドラ。

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髙田郁 『あきない世傳金と銀(七)碧流編』

2021-10-14 | 日本人作家 た
我が家ではテレビを見るのは朝と夕方のニュース(メインは天気予報)と、BSの旅番組か動物番組、料理番組ぐらいしかなく、それでもごくたまにチャンネルをザッピングして歌番組で懐メロとか演歌とかやってるとつい見てしまいます。歳なんですね。歌のときに画面に歌詞のテロップがあって、それを見ると、演歌なんかで「酒と語る」みたいな歌詞があったりしますよね。でもあれ、もはや心療内科とか精神科の領域ですね。あるいはアルコール専門外来がありましたらそちらへどうぞ。
自分は酒は好きというか「いける口」だと思うのですが、記憶がなくなるまで飲んだりはしないので、よかったなあ、と。

わかるか なぁ 酒よ。

さて、本題。

いよいよ「五鈴屋」江戸店がオープン、したのはいいのですが、ぶっちゃけこれといって勝算があったわけではなく、立地もさほど良いとはいえず、となると、お客は来るはずもなく、さてどうしようと七代目主人の幸と奉公人一同は考えます。なにはともあれ足を運んでもらおうということで、「帯締め指南」をはじめます。京や大坂と江戸では帯の締め方の主流が違って、どっちが良い悪いというわけではないですが、いろんな締め方を無料で教えます。

ある日のこと、奉公人のひとりが、街中で五代目主人の惣次が歩いているのを見た、というのですが・・・
そんな中、幸にとってたったひとりの肉親である妹の結が江戸に着いたり、有名な歌舞伎役者を紹介してもらったりと、いろいろあり、大変です。

「奢侈禁止」の世の中で、お咎めのない、江戸っ子が好きそうな、遊び心のある「粋」な商品は作れないものか・・・

この巻では、幸や五鈴屋に強烈な試練が降りかかるといったことはなく、また人間模様にもさほど大きな動きはありません。というわけで、次の巻が楽しみ。
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髙田郁 『あきない世傳金と銀(六)本流編』

2021-10-10 | 日本人作家 た
気が付いたら十月。気が付くのが遅すぎるという話ですが、我が家には居間や寝室、トイレに玄関とだいたい五、六か所くらいにカレンダーを壁につけてまして、月めくりのカレンダーだと十日くらいになって「あ、まだ先月のままだ」と気付いてようやく剥がすといっただらしなさ。もっとも、もはやスマホのカレンダーに一存してるといいますか、「壁に飾ってる絵」状態。予定の書き込みとかしなくなっちゃいましたね。

以上、だれでも陥るスマホ依存。

さて、シリーズ六巻に突入。摂津(現在の兵庫県)から大坂の呉服商(五鈴屋)に女中奉公に入った幸(さち)。番頭に商才を認められ四代目主人の後添いになるも、四代目は事故死。その弟が五代目を継ぐのですが、五代目と再婚。しかし商いを大きくすることだけに熱心になり取引先から信用を失い、プライドの高い五代目は失踪、勝手に隠居してしまいます。そこで六代目となったのは、物書きになるといって家を出た三男。商売に興味はないけど幸といっしょならなんとかなるということで再再婚。
で、豪快にネタバレをブッコミますが、いよいよ五鈴屋も江戸進出か、という直前に三男は病死。

店の奉公人の誰もが「七代目はご寮さん(幸)」と思っているのですが、じつはこの当時の大坂の商習慣に「女名前禁止」というのがあり、まあひらたくいうと、女性が代表にはなれなかったんですね。しかし、あくまで「次が決まるまで暫定的」に三年と期限を決めて、ということで特例で認めてもらいます。この間に次の店主つまり八代目を決めなければなりません。

五鈴屋は呉服商、つまり絹の反物をメインに扱っていますが、これからは木綿も扱っていこうとしたり、江戸にいい物件が見つかったということもあり、そんなこんなで、幸はいったん江戸へ。で、女中のお竹もいっしょに行くことに。これから江戸でどう商いをしていくのか・・・

前巻までの昼ドラというか韓流ドラマというか大映ドラマというか、これでもかというくらい主人公に困難が襲いかかるというのはやや収まって、代わりに商売での悩みが増えます。こうなってくると経済小説かってなもんですが、そこまで堅苦しくはありません。
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