気がついたらもう3月ですね。自宅の梅の木に花がちらほら咲き始めました。そして暖かくなるとやって来るのが花粉症。じつは花粉症デビューは遅くて6年前か7年前でしたか。今のところは目だけ。鼻はそうでもありません。花粉症で思い出すのが、前に飼っていた猫が涙と鼻水がひどくて動物病院に連れて行ったのですが、アレルギーの薬を出してもらって飲ませたら多少は良くなったのですが、ペットも花粉症になるんですね。
以上、今の猫はなってません。
さて、アーヴィング。この作品は前後半あわせて500ページちょい、今まで読んだ作品は前半だけでそれくらいあったので、ずいぶん短いなと感じました。
24時間国際ニュース専門チャンネルの記者、パトリック・ウォーリングフォードは、「災害チャンネル」の取材でインドへ行き、そこのサーカス団を取材中にライオンに左手を噛みちぎられてしまいます。このシーンを「災害チャンネル」で流すと、パトリックはたちまち「災害マン」「ライオン男」として有名人になります。
このパトリック、とにかく女性にモテてモテてしょうがなくて、インド取材中も他の取材でもテレビ局の女性の同僚でも関係を持ちます。
さて、パトリックが左手を失ってから5年ほど過ぎて、ボストンの移植手術を行う医療チームのゼイジャック博士のもとに、ある女性から「私の夫はライオン男というパトリック・ウォーリングフォードに左手を譲りたい」という手紙をもらいます。移植の対象は死亡して時間が経ってない人なのですが、この手紙の差し出し主の夫はまだ生きています。
夫であるオットー・クラウセンは妻のクラウセン夫人との間に子どもはいませんが仲良し夫婦。オットーはグリーンベイ・パッカーズの大ファンで、スポーツバーでテレビ観戦をしていて、パッカーズが負けてビールをヤケ飲みしてしまい、このまま家に帰ると飲酒運転になってしまうのでタクシーを呼ぶことにして自分の車を移動させようと乗ると、車内に置いてあった銃を手にして何がどうなったのが自分の頭を撃ってしまいます。
パトリックのもとにゼイジャック博士から「左手の提供者がいます」と連絡が来たので、ボストンへ向かうと、未亡人が移植後の手に対する面会の権利を求めてきて、パトリックにも会いたいというのです。ご主人の左手に会うのは問題ないので了承したのですが、クラウセン夫人はいきなり服を脱ぎだして「赤ちゃんが欲しい」と・・・
アーヴィングの作品を「現代のおとぎ話」となにかの文庫のあとがきで例えていたのですが、まさにその通りで、「そんなアホな」ということがいくらでも起こります。でもその「常識」はいったん置いといて、まずは文中の世界観に入り込んでみると、これがたまらなく面白いものに見えてきます。
相変わらず、といいますか、すごく丁寧な説明や描写のシーンがあって、この部分はのちに重要な伏線的な何かと思いきや全く関係なかったりします。今作で笑ってしまったのがゼイジャック博士には息子がいて息子は別れた妻と住んでいるのですが、たまに息子と会って遊ぶのですが、落ちてる犬のフンをラクロスのスティックですくって放り投げる「犬のウンコラクロス」というゲームをする、というもの。本筋には特に関係ありません。