晴乗雨読な休日

休日の趣味レベルで晴れの日は自転車に乗ってお出かけ。雨の日は家で読書。

浅田次郎 『大名倒産』

2022-01-31 | 日本人作家 あ

今年に入ってもう一カ月が過ぎようとしています。某占いサイトによると今年の運勢は最強らしいのですが、今のところこれといって最強のシーンに出くわしておりません。というか、そもそもこんなご時世でのほほんと本を読んでのほほんとブログ投稿できる環境というか境遇がじゅうぶん幸運だろって話なんですけど、ここ最近の幸せな時は、お風呂に入るときに全国の温泉地の(気分が味わえる)入浴剤の中から「今日はどこの温泉に入ろうかなー」と選んでいるときですね。

ずいぶん安上がりなシアワセです。

さて、浅田次郎さん。タイトルに「大名」とあるくらいですから時代小説と想像できますが、明治以前に「倒産」という言葉があったのでしょうか。

越後丹生山(にぶやま)三万石の大名家当主、松平和泉守信房はついこの前襲封したばかりでまだ若く二十一歳。この十三代目の信房は、先代の殿様と村娘のあいだに生まれた子で、藩士に預けられ(小四郎)として育ちます。信房には上に異母兄が三人いるのですが、長男は早くに亡くなり、次男は庭造りが趣味という「天衣無縫の馬鹿」で、三男は病弱で国許の越後で寝たきり、ということで、先代の殿さまの隠居にともない小四郎に跡継ぎのお鉢が回ってきたというわけ。

初めて江戸城に登城して早々に老中からお呼び出しが。献上品つまりご祝儀の中身(つまり金)が無い、というのです。十三代目になったばかりでこんなことは当然初耳で、さっそく中身を届けさせますと平伏しますが老中は「できぬ約束はせぬほうがよい」と。そして「御尊家には金が無い」とバッサリ。

とんだ赤っ恥をかいた信房は屋敷に戻り、さっそく家老を呼びつけ問いただし、明日中にご祝儀の金を届けろと命じますが、家老は「卑しき銭金に殿の御下知をふるわれるのは御大将の面目に関わり・・・」と、つまり要約すれば「口出しするな」ということで、こりゃ話にならんと先代の殿様に聞こうと隠居所の下屋敷に向かいます。

越後丹生山藩の借金は、積もりに積もって総額なんと二十五万両。こんなのどう考えても返せるわけがありません。これが御公儀にバレたら御家取り潰しの御沙汰になるかもしれず、自分の代で不渡りの自己破産になるのはごめんだと十二代目の殿さまは跡目を譲ってさっさと隠居。ちなみに長男の死因は借金の総額を聞いてショック死。つまり小四郎こと信房は貧乏くじを引かされたのです。そんなわけで信房はご隠居に「当家には金が無いのですか」と聞いても「金はない。それがどうした文句があるか」と浪花恋しぐればりに逆ギレ。

家計は火の車だというのに阿呆の次兄は女中と結婚したいと言い出します。しかもすでにお腹の中には子が。さらにその女中というのが大御番頭の旗本五千石の娘。一般的には嫁に出す側が持参金を嫁ぎ先に持たすのですが、相手は譜代中の譜代、旗本中の旗本というわけで、三万石の大名よりも偉く、嫁に迎える側が逆に出すことに。その相場は五百両。無理。

近いうちに、参勤交代で信房は越後丹生山に初めての御国入りをしなければなりません。そもそも参勤交代とは将軍家への謀反の芽を摘むために無駄な浪費をさせるもの。つまり金がかかります。信房の幼なじみでお付きになったふたりと、謎の水売りが練った経費削減参勤交代の中身とは・・・

さて、この屋敷に怪しい影が。その正体とは、ズバリ貧乏神。この大名家を潰すために参勤道中にいっしょについて行くのですが・・・

自分の代で潰してはならないと返す当てもない膨大な借金を前に奮闘する現当主、計画倒産を目論むご隠居。勝つのはどっちか。話は人間界にとどまらず、神の世界にまで。単行本で上下巻となかなかの長編ですが、そう感じさせないほどの疲れないタッチと見事な構成。

 

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髙田郁 『あきない世傳金と銀(十一) 風待ち篇』

2022-01-16 | 日本人作家 た

そういえば、年末年始の牛乳の大量廃棄問題、あれって結局どうなったんでしたっけ。回避できたんでしたっけ。微力ながら個人的にできることとして毎朝ホットミルクを一杯飲むところを二杯にしてます。そんな程度でドヤられてもという話ではありますが。

さて、あきない世傳。時代小説の作家さんにとって好きな時代、得意な時代というのがおそらくあるのでしょう。たとえば戦国時代とか江戸だったら初期か中期か幕末か。髙田郁さんはこの「あきない世傳」シリーズは享保から宝暦あたり、「みをつくし料理帖」シリーズは文化文政時代で、江戸中期がお好きなようで。もっとも、両作品とも主人公が関西から江戸に出てきてという話ですので、ちょうどこのあたりに文化や経済の中心が京大坂から江戸に移行中〜完全移行するので、好き以前に設定上そうしただけなのかもしれませんが。

おおまかなあらすじを。田舎から大坂の(五鈴屋)という呉服屋に女中奉公にあがった幸(さち)は、番頭から商才を見込まれ、なんと当主の後妻に。ところが当主が事故死してしまい、跡継ぎはその弟に。ななんと幸はその妻に。ところがこの当主がワンマンタイプで取引先の信用を失って勝手に隠居宣言して家出。五鈴屋の次の主に決まったのは、ワイは作家になるんやといって出ていった三男。なななんと幸はこの後妻に。江戸に支店を出すという目処もたったときにその三男が病死。暫定的に幸が五鈴屋当主になって江戸へ・・・

もう波瀾万丈。大映ドラマか昼ドラか韓流か。

そんな人間ドラマもあるのですが、タイトルに「あきない」とあるように商売つまり経済小説の側面もあったりします。で、絹織物の寄合から外されて絹の反物が売れなくなってしまった五鈴屋ですが、太物(木綿)を中心に扱うことに。現代でいうパジャマというか部屋着であった浴衣を外出用に新商品開発をしてこれが大当たりします。

ヒット商品が出たはいいものの、一時的なブームで終わらせてはいけないということで、幸をはじめとして奉公人一同は次の手を考えます。江戸浅草に店を開いて八周年となり、そのお祝いということで常連さんはいつもより多めに買ってくれるのですが、それにしても今年は売れ方がちょっと極端。じつは巷で「末禄十年の辰年」つまり来年に災いが多くなるという言い伝えがあって、災難から逃れるには正月に大盤振る舞いをしようとするのが流行っているのです。

年が明けて宝暦十年。如月(二月)、神田で火災発生、その日は運悪く強風で炎は日本橋から大川を超えて深川まで達するといった大火災となります。のちに、「宝暦の大火」または火元の足袋屋の名前から「明石屋火事」と呼ばれるようになるのですが、かなり甚大な被害。五鈴屋では幸をはじめとして奉公人の全員が、商品も証文も無事でした。取引先も仕事仲間も大丈夫そうです。ですが、日本橋のほうはほぼ全滅と聞いて、幸はいてもたってもいられなくなります。というのも、日本橋には唯一の肉親で五鈴屋の大事な商売道具を持ってあろうことか五鈴屋を乗っ取ろうと卑劣な手を使ってくる呉服商に嫁入りした、今は絶縁状態ではありますが妹の結がいるのです。結は無事なのか・・・

商売の話では、開店当初から五鈴屋に来てくれていたご夫婦がいるのですが、そのご主人の正体、といいますか、やってることが判明し、ある大きな注文を五鈴屋にお願いします。そこで幸がある思いもよらない行動に出るのですが・・・

人間ドラマ的には波瀾万丈ですが、といって主人公がこれでもかと不幸になったりはしません。そういった意味で気が滅入るようなこんなご時世からの現実逃避で読書を楽しみたい者にとって安心して読めます。

これは感想とは違いますが、今までのタイトルは(〇〇篇)とすべて漢字二文字だったのですが、今作はひらがなが入りましたね。あと、当ブログでは今まで「編」という漢字を使ってきましたが、正確には「篇」でした。ちなみに前のが常用漢字で後のがそうでない、それだけの違い。まあでも今さら変えるのも面倒なのでシリーズ十作目までは編のままで。

 

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葉室麟 『さわらびの譜』

2022-01-08 | 日本人作家 は

新年2回めの投稿。新年の挨拶で「いやー今年も色々ありました」などと、まだ年が明けて1週間程度ですでに今年を振り返ってしまうという失態をしてしまったお茶目さ満載でお送りしておりますが、今年にはこの状況は終息するんでしょうかね。ところで「しゅうそく」だともうひとつ(収束)も使われますよね。終息は文字通り(おわり)で、収束は(とりあえず一段落)といった感じで、つまり「収束して終息する」のを待っている、そんな状態ということですね。このような(同音異義語)で思い出すのが、日本語ワープロの開発時に「きしゃのきしゃがきしゃできしゃする」を「貴社の記者が汽車で帰社する」と一発変換できるようにしたというのが「プロジェクトX」でしたっけ、やってましたが、執念というか狂気じみてますよね。

がんばろう、ニッポン。

さて、葉室麟さん。当ブログでたびたび触れていますが、「蜩ノ記」が直木賞受賞したとき選考委員のひとりが「登場人物がみな清廉すぎ」と評価されましたが、これまでけっこう葉室麟さんの作品を読んできましたけど、御家騒動モノがお好きなようで、ドロドロ系が多いですよね。

というわけでこの作品も御家騒動モノつまりドロドロ。しかも男たちだけで出世とか権力とか金とか騙し合いとかでわーわーやってる分にはいのですが、色恋が絡んできてめんどくさいったらありゃしません。

 

扇野藩の勘定奉行、有川将左衛門は日置流雪荷派という弓術の名家の主。有川家では代々藩の弓術師範を務めてきましたが、将左衛門は辞退。子はふたりの娘だけで、いずれ嫁の婿に跡継ぎを、と思いきや、なんと長女の伊也が父のもとで稽古をはじめます。扇野藩には大和流というもう一家の弓術師範があり、若い藩士の弓術稽古は大和流。

伊也は一日も休むことなく稽古をして、もともと才能もあったようで、正月に行われた神社の奉納試合で、大和流の若手の中で一番の腕と噂の樋口清四郎と互角の勝負をするほど。このとき伊也は男装で出場し、その美しさから「弓矢小町」と呼ばれるようになります。

一方、妹の初音は弓の稽古はしていません。ある日のこと、父は姉妹を呼び「縁談がある」と告げます。伊也は「わたくしはまだ修行中の身なれば、まだ嫁に行くのは・・・」と断りますが、父は「いや、お前じゃなく初音のほう」というのでびっくり。さらにその縁談相手というのが、正月に伊也と奉納試合で勝負した、大和流の樋口清四郎だというのです。

話が終わって部屋に戻った初音は伊也に樋口様とはどのようなお人か聞きます。伊也は「まことに見事なる武士。例えるなら那須与一・・・」と褒め称えます。それならば姉様がこの縁談を、と初音は遠慮しますが、これは初音に来た話だから家同士の取り決めに従うのが武家の子女の務め、と伊也は言いますが、どこか寂しそうな顔なのを初音は見逃しませんでした。

 

ところで、将左衛門の家には江戸から来た新納左近という武士が居候しているのですが、初音と清四郎の見合いの席になぜか左近もいます。そこで、近日、殿の御前で弓のお披露目の試合があるので、伊也どのも出場されては、と清四郎が言いますが、将左衛門は「いや、女子がそのような・・・」と断ります。ところが左近が「それはいいですな」と賛同すると、将左衛門は前言撤回。清四郎も嬉しそう。お見合いが終わって伊也は初音にどうだったか聞きますが初音は「みんなして姉さんの話題ばかりで・・・」とふてくされます。

御前試合まで日があるということで、伊也は会場で稽古しようと行ってみたら、そこには清四郎がいて稽古しています。まだ伊也は連射をしたことがなく、清四郎から手ほどきを受けます。

さて、御前試合の本番。伊也と清四郎の勝負がおわったあとに「このふたりは本番前にイチャイチャしてたという目撃談があるのですが」と殿に報告されます。殿はお怒り。なぜか清四郎は自宅謹慎。ところがこの背景には、藩の財政がひっ迫しているのに無駄遣いをやめようとしない殿とその取り巻きへ警告しようとしたのが仇になって・・・

御前試合の日、将左衛門と左近は殿に会ったのですが、どうやらそれが原因で殿は自分の取り巻き以外のやることなすこと全部気に入らない様子。左近とはいったい何者なのか。さらに、初音と清四郎のお見合いもじつはこの一件に絡んでいて・・・

はじめのうちは藩のゴタゴタと恋バナを無理やり結び付けているようでなんだか読みづらいなあと思いながら読んでいたのですが、途中辺りからいろいろな謎が解明されてきてページをめくる手が止まらなくなって最終的にはハッピーエンドといいますか大団円といいますか、うまいところにみな収まって、ジーンときちゃいました。

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佐伯泰英 『夏目影二郎始末旅(五) 百鬼狩り』

2022-01-02 | 日本人作家 さ

気が付いたら年が明けてしまいました。旧年中は当ブログを見て頂きましてありがとうございます。今年も暇つぶしになれば幸いに存じます。というわけでどうぞお付き合いのほどを。

去年読んだ本のほとんどが時代小説。現代小説も海外の小説も好きです。ただ、ここ最近は時代小説が多いですね。本を読む理由のその①が「時間つぶし」、その②が「現実逃避」ですので、時代小説、主に江戸時代が多いのですが、読んでる最中は自身がその時代にタイムスリップしてる心持ちで読んでおります。

まあこのご時世、心の切り替えは大事です。

 

さて、夏目影二郎始末旅。今までの旅は基本的には関八州でした。武蔵、相模、安房、上総、下総、常陸、上野、下野。現代の関東地方ですね。江戸府内より外のこのエリアの腐敗を見つけ、成敗をしてきたわけですが、本作は一気に九州へ。

影二郎と、勘定奉行監察方の菱沼喜十郎とその娘の大道芸者をやっているおこまの3人が向かっているのは、西国九州の唐津。なんのために九州くんだりまで足を運ぶことになったのかというと、時の老中、水野忠邦のたっての願い、というか、後始末というか尻拭い。影二郎の実父である常盤秀信とその部下である菱沼喜十郎の直属の上司であり、さらに影二郎が十手持ちを殺めて島流しになる寸前に牢屋から出られたのは裏でこの老中が罪人の履歴を抹消させたからで、つまり父子揃って頭が上がりません。

20年ほど前、幕閣への道が開けつつあった忠邦は、九州の唐津から東海道筋への移転を希望していて、タイミングよく浜松藩の前の藩主が不祥事で東北の陸奥に飛ばされ、陸奥の藩主だった小笠原家が唐津へ、そして忠邦は浜松藩へ、という(三方領地替)が行われます。

ところが、唐津から浜松へ移転すれば石高が減収し財政のひっ迫は目に見えていたので移転に反対していた唐津藩の国家老が自決するという事件が起きます。

で、ここからが本題。

城内で鵜飼いを見物していた忠邦は、宴席に招かれ、藩お抱えの鵜匠の娘(お歌)と恋仲に。しかし忠邦は浜松へ。お歌にいっしょに浜松に行こうと誘いますが父親が反対、ふたりの恋は終わります。それから20年後、忠邦のもとにお歌から手紙が。じつは別れたときにお腹の中にはあなたの子がいて、息子は立派に育ちました、父親に会わせてあげたいという母の願いを聞いては下さいませんか、といった内容。そこで思い出したのが、江戸からお歌宛てに手紙を送っていたのです。忠邦は、どうやらその手紙の内容が出世の道が閉ざされるスキャンダルになるかもしれんと恐れている様子。

しかし、20年も過ぎてなぜ今さら、なにか裏にあるはずだということで、これが表ざたにならないよう手紙を処分し、なんだったら息子も処分してくれ、と非情な命令。

唐津藩では財政がひっ迫しているはずですが、藩主は幕閣へ昇進しようと躍起になっています。その資金源は密貿易ではとの疑いもあって、ひょっとしてお歌の背後には藩がいるのか。

そんなこんなで肥前に入ろうとした国境警備の役人に止められますが影二郎は役人をあっけなく倒して唐津に向かいます。道中、一宿の世話になった医師の話によれば、唐津では「百鬼水軍」と名乗る倭寇の末裔が出没しているというのです。

お歌の実家である鵜匠の家を訪ねると、当代の主はお歌の弟。弟によると、妊娠が発覚した姉は長崎の知り合いの家に養女に出されたそうなのです。これは長崎に行って見ないと分からないな、というわけで、唐津の城下をぶらぶら歩いて海まで行って見た影二郎は、水軍のような男たちが船から荷を下ろして、それを藩士ぽい人が確認している場面を目撃するのです。

影二郎とおこまは長崎に行くことにして、お歌の弟に紹介された鯨漁師の船で長崎へ向かっていると、百鬼水軍の船に襲われて・・・

はたして、お歌の目的は。お歌の背後にいるのは藩なのか、それとも商人か。忠邦が送ったとされる手紙はどこにあるのか。そして、お歌の息子は。

 

唐津と言えば「くんち」。祭りのシーンも出てきますが、なんとも幻想的というか。あ、あと、ちなみにですが、忠邦が領地替えすることになった浜松の前の藩主の名前は井上河内守。井上河内守で(不祥事)といえば、酔っぱらって農家の女房に乱暴しようとして止めに入った亭主の腕を刀で斬り落としたという「色でしくじりゃ井上様よ」の人。殿さまはいちおう猛省したそうで、亭主に賠償金を払ったとか、藩お抱えにしたとかいろいろ後日談がありますが、こうやって話に残ってるだけマシなほうで、日本全国どこかしらでもっと酷いことがあったんでしょうね。

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