晴乗雨読な休日

休日の趣味レベルで晴れの日は自転車に乗ってお出かけ。雨の日は家で読書。

池波正太郎 『谷中・首ふり坂』

2021-12-29 | 日本人作家 あ

今年も終わりですね。世間ではいろいろありました。個人的にはその(いろいろあった)という影響も若干ではありますが受けつつ、それでも無事乗り切ることが出来ました。こうやって一年を振り返ることが出来るのも、なんだかありがたいですね。

今年の投稿はこれで最後です。今年読んだのが54冊。「目指せ年間100冊!」なんて意気込んでいた時もありましたが、仕事しながら通信制大学の勉強して、その合い間に読書という感じですので、まあそう考えたら月平均4~5冊はよく読んだほうですかね。自分で自分を褒めたい。

唐突に有森さんが登場したところで。

いつだったか忘れましたが(そこまで遠い昔ではない)、この表題作がテレビでドラマ化された記憶が。そもそもNHKか民放か、地上波かBSかすら覚えてないのですからひどい話です。で、その番宣CMを見たときに「あれ、このタイトル知らない、ってことはまだ読んでない」ということで、後日調べたら短編ということがわかって、ようやく読んだのです。

あとがき解説によると、この短編集に収められた作品の書かれた時期は、直木賞を受賞されてから「鬼平」の連載がはじまる前後、昭和35~45年ごろだそうです。

相州(現在の神奈川県)小田原藩の貧農に生まれ、独学で仕法家となった二宮尊徳、通称(金次郎)。「仕法」とは現代でいう経営コンサルタントのようなもので、節約、工夫、努力で親の手放した土地を買い戻してのちに大地主になった実績を買われ、藩から、野州(現在の栃木県)桜町領の復興を命じられます。さまざまな妨害工作がありつつも復興の兆しが見え始めた矢先、金次郎は行方不明に。金次郎、川崎大師にいるではありませんか。そこで、自殺未遂の女を助け、身の上話を聞いて一夜を共にしたのですが、翌朝女の姿はなく、金を持ち逃げされ・・・という「尊徳雲がくれ」。

江戸中期、信州松代の真田家藩主、信安の愛妾が児島右平次という若侍に襲撃されるという事件が起きます。じつは右平次、本来の目的は家老の原八郎五郎を襲撃するはずだったのですが、邪魔が入ったので、やむなく殿の愛妾を斬って逃げます。右平次と同じ道場に通う友人の森万之助は、上意討ちに入れさせられます。ですがどうにも気が重い万之助。なぜなら・・・という「恥」。

こちらも「真田もの」。藩士の次男、三男は「へそ」と呼ばれています。あってもなくてもよいもの、という意味で、勘定方の三十石二人扶持、平野弥兵衛の次男、小五郎のあだ名は(へそ五郎)。そんな小五郎、同じ下級藩士の養子になることに。ところが小五郎の義父は、藩の財政が苦しいということで倹約のために御城でのお昼は食べません。小五郎もそれに倣い昼食抜き。ところがある日、小五郎の上役がそれを揶揄います。家に帰り、小五郎は義父に「離縁して浪人になって上役を斬って脱藩します」といって・・・という「へそ五郎騒動」。

播州、赤穂藩の浅野家の京都屋敷につとめる家臣の息子、服部小平次は、京の生まれで、小さい頃から町家の子らと遊んだせいか(武士らしさ)がなく、ある日のこと、遊郭で荒くれものの男たちに絡まれていたところを通りすがりの編笠を被った武士に助けられます。小平次が礼を言うと、相手は「なんだ、服部の小平次ではないか」といいます。編笠を取ると小平次が「あっ、ご、御家老さま・・・」と。相手は浅野家の国家老、大石内蔵助。これをきっかけに内蔵助が京にきたときの案内と遊びに付き合うことに。ところが小平次、父と兄を相次いで亡くし、服部家の当主になります。すると内蔵助から江戸藩邸行きを命じられ・・・という「舞台うらの男」。

鬼塚重兵衛は、敵討ちの森山平太郎が「来るなら来いや、返り討ちにしてくれる」と自分を見つけてくれるのを心待ちにしています・ある夜。宿に泊まっていた重兵衛の部屋にコソ泥が。これに気付いた十兵衛はコソ泥を斬りつけますが、片腕を切り落としてコソ泥は逃げおおせ・・・という「かたきうち」。

盗賊、夜兎の角右衛門は「一、盗まれて難儀するものの家へは手を出さない。一、(おつとめ)をするときに人を殺傷せぬ。一、女を手ごめにせぬ。」という(盗賊の三か条を守る(真の盗賊)。大掛かりな(おつとめ)の準備にかかっていたある日、商家の手代ふうの男が顔色を変えて歩いているのを見かけます。すると後ろから「おうい、おうい・・・」と女乞食がやって来て、さっきこれを落としたろう、といって服紗を渡します。中には落とした金が。角右衛門は女乞食の「右腕がない」ことに気付き・・・という「看板」。

三浦源太郎は、友人の辰之助に岡場所に誘われます。源太郎は下級武士の次男坊ですが、五百石の旗本家の養子に。ところがこの嫁というのが、(夜のほう)が尋常じゃないほど積極的で過激で、源太郎は日に日に衰えていきます。そこで辰之助は「たまには息抜きでも・・・」というわけで、行った先は、上野、不忍池を東にまわり、谷中へ。そこの寺の前にある茶店に・・・という表題作「谷中・首ふり坂」。

金貸しの十右衛門の息子、小十郎は、岡場所の遊女に夢中になり、通い詰めたいところですが、父の仕事の手伝い(借金の回収)の一部をくすねる程度では金が続きません。いっそのことあんな親父、殺してやるか・・・という「夢中男」。

幕府の表御番医師、吉野道順は、ある手紙を読んで顔色を変えます。「ちょっと出かけてくる」といって会いに行ったのは、岡場所の遊女だったお千代。じつは道順、もとは町医者で、ひとり暮らしをしていたのですが下男に死なれてしまって困った道順はひいきだった遊女のお千代を身請けしますが、その直後、吉野家から養子の話が・・・という「毒」。

棒手振の魚屋、弥吉は、病気で寝込んでいます。近所付き合いもせず、親しい人もいない弥吉は水が飲みたくなってふらふらと起きて、ふと枕元を見ると、そこには小判が三枚。夢ではありません。その金でどうにか命拾いをして体力も回復した弥吉は、得意先の家に。そこでは楽しみにしていることが。飼い猫の(黒助)と遊ぶことだったのですが、しばらく行かないうちに猫がいなくなっていて・・・という「伊勢家の黒助」。

最後の短編は、東京の新宿を過去から現代にわたって説明した「内藤新宿」。

「看板」では、(ここ最近、江戸では(おつとめ)がやりにくくなっている、というのも新任の火付盗賊改方の長官、「鬼の平蔵」こと長谷川平蔵が・・・)と、鬼平さんがガッツリ登場します。ちなみに、夜兎の角右衛門も「鬼平犯科帳」に出てきますね。ほかにも、のちの池波さんの作品に出てくるあんな人やこんな人がいっぱい。

皆様、よいお年を。

 

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葉室麟 『おもかげ橋』

2021-12-26 | 日本人作家 は

今年も残すところあと1週間となってしまいました。年末年始の予定はガッツリ仕事。年越しは職場で。まあ365日、平日も休日も盆も正月も関係ないような職種なので、年またぎの勤務を任されたというのは上から信頼されてるんだなとポジティブシンキングで。

そういやレコ大も紅白も全く見なくなってしまいました。レコ大が終わって紅白に間に合うのか!?全盛期には会場からNHKホールまで移動車をバイクで追ったりヘリで空から撮影してた記憶があります。都市伝説では白バイが先導して信号がすべて青だった、なんて、今にして思えばどうでもいいことにドキドキしてたもんです。

大晦日の楽しみといえば年越し蕎麦を食べるくらい。そういえば小中学生の頃は年末になるとテレビ誌を買って何を見ようか予定を立ててウキウキしていたものです。バラエティの正月特番と見たい映画の時間がかぶってどっち見ようかなーなんて悩んだりして。そんな時代もあったねといつか話せる日がくるわ。

 

唐突に中島みゆきの「時代」が出てきたところで。

 

江戸、神田にある道場。しかし門弟はひとりもいません。今のところ月に二回ほど旗本屋敷に出向いて稽古をつけるのが唯一の収入という草波弥市。そんな弥市の道場に客が。「喜平治か」そう呼ばれた商人、喜平治は弥市の幼なじみ。喜平治は弥市にちょっとした頼み事があってやって来ます。その頼み事とは、ある人の用心棒をやってほしい、とのこと。誰を守るのかというと、喜平治は「相手は、萩乃どのだ」と言い、それを聞いた弥市、「萩乃どのだと、まさか・・・」と驚きます。

弥平と喜平治はもともととある藩の藩士でした。十六年前のこと、藩内で御家騒動があり、その抗争に巻き込まれた弥平と喜平治は、詰め腹を切らされるかたちで藩を追放されて江戸に出て来て、弥市は道場を開き、喜平治は飛脚問屋に婿入りします。じつは、その抗争でふたりに罪をかぶせたのが、ふたりの上役の萩乃の父だったのです。

萩乃は藩内でも有名な美人で、若い弥平も喜平治も相手は高嶺の花だとは知りつつも淡い恋心を抱いていました。ふたりが江戸へ出て、萩乃は結婚します。

ところが、十六年前の抗争で敗れた、かつて藩を牛耳っていた人物が藩に戻って来て暗躍しているというのです。ふたたび抗争が起こるのか。萩乃の夫は、江戸に向かう途中で行方不明になります。その夫を探しに萩乃は江戸まで出てきたというのですが、いくらなんでも無謀だということで、喜平治の家の別邸が江戸郊外の高田村にあるので、そこで匿うことに。

さて、用心棒を引き受けた弥市ですが、萩乃は前と変わらずキレイなのかなあ、でもあれから十年以上も時がたってるのだし、さすがにオバサンになっちゃってるのかなあ、なんて思いながら萩乃のいる高田村の別邸へ行くと、なんということでしょう、記憶にあった十六年前と変わらない美貌で、なおかつ人妻の落ち着きも備わって、魅力的なレディーになっているではありませんか。

喜平治も、萩乃の変わらない魅力にヤラレてしまってる様子。ではありますが、それどころではありません。飛脚問屋の寄合で、幕府に収める上納金(冥加金)の値上げに関する話し合いで、仕切り役に目をつけられ、難癖をつけられます。これは旧藩の陰謀なのか・・・

一方、萩乃の匿われてる別邸にも怪しい動きが・・・

十六年前の藩内抗争がふたたび勃発するのか。とすると、かつて対抗勢力の親玉をひどい目に遭わせた弥市と喜平治にはものすごい恨みがあるはず。萩乃の夫は無事なのか。

 

萩乃は無意識的に相手を自分のことを好きにさせちゃうフシ、思わせぶりなところがあって、まあ今風にいうと「魔性の女」ですか、それで弥市も喜平治も勘違いしてしまったのですが、はじめのほうこそ「ふたたび三角関係勃発か!?」なんて思ってたのですが、そんなことよりも話は違う方向に進み、かの「高田馬場の決闘」の再現が・・・

タイトルの橋は現在も神田川に架かる「面影橋」として有名ですね。太田道灌の山吹伝説の地、そして於戸姫の伝説。そういえば、山吹伝説は新宿ともうひとつ、埼玉の越生という説もありますね。

さて、年内にもう一冊読んで投稿できますかね。今年最後のご挨拶はちょっと待って。

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佐伯泰英 『夏目影二郎始末旅(四)妖怪狩り』

2021-12-20 | 日本人作家 さ

先日スマホを買い替えたのですが、料金プランを変更しまして、データ通信を使った分だけ料金が増えていくシステムでして、まあ使うといっても自宅にも職場にもWifiがありますし、出先で使うといってもコンビニとかカフェに寄ればWifiありますし、一カ月のデータ通信なんて1GBちょっと、どんなに使っても2GB以下で済んじゃうので、だいぶお安くなりました。ありがたいですね。

以上、家計を見直そう。

 

さて、夏目影二郎始末旅シリーズ。サブタイトルが『妖怪狩り』、英語にするとモンスターハンター。この作品の初版が2001年、ずいぶん時代を先取りしましたね、といいたいところですが、人間じゃない敵は出てきません。よく政治の世界で「妖怪」と例えられる大物政治家がいますね。あれです。

影二郎は、実の父である常盤豊後守秀信の屋敷へ向かいます。影二郎にとっては実母が亡くなって引き取られて義母にいびられて飛び出して放蕩無頼の道に進むまで住んでいた家です。着いて早々、秀信は「ついてまいれ」と隣の家へ。隣家というのは伊豆、韮山代官、江川太郎左衛門英龍の屋敷。前に影二郎が伊豆に始末旅に出かけた際に世話になっています。そこで、英龍は影二郎に幕府の目付、鳥居耀蔵を知っているかと尋ねます。次に「蛮学社は聞いたことがあるか」と質問。

この当時、世の中的には「天保の大飢饉」があって、大塩平八郎の乱などが起きました。輸出が禁止されていた日本地図が国外に持ち出されそうになった「シーボルト事件」や、日本人漂流者を帰国させるついでに開港と貿易をもくろんでいたアメリカの船に大砲をぶっ放した「モリソン号事件」などがあって、幕府体制は崩壊寸前、一方江戸では蘭学が大ブームということで、鎖国政策に疑問を持ち始める人たちが現れ、幕府はこのような風潮を厳しく取り締まることにして起きたのが「蛮社の獄」。

「尚歯会」といって、もともと知識交換の場、フランスでいうサロンのような集まりがあったのですが、その会の主な参加者である渡辺崋山、高野長英などが捕まって処罰を受けます。この言論弾圧事件の首謀者が、幕臣の目付、鳥居耀蔵だったのです。鳥居は江戸幕府内の学問を担当していた儒学・朱子学の林家の出身で、外国文化は国を乱すといったスタンスで徹底的に取り締まり、渡辺崋山と交流のあった英龍にまで探索の手が。江川英龍といえばのちに反射炉を築いたことで有名ですが、韮山代官の江川家といえば立派な大名。もはや常軌を逸している鳥居に対して身の危険を感じた英龍は伊豆に引きこもることに。

そんな中、江戸府内で国定忠治が押し込み強盗をやったと大騒ぎに。家族や奉公人が惨殺された中、生き残った小僧が、犯人グループが「国定忠治一家だ」と名乗ったのを聞いたというのですが、どう考えても怪しいので、影二郎は北関東に潜伏している国定忠治本人に確認を取るため会いに行くことに。向かった先は、関東と奥州の会津を結ぶ会津西街道、またの名を南山御蔵入。この地域は米が取れない山地で、年貢米の代わりに生産できるものといえば、蕎麦と漆。その漆ですが、どうやら幕府に収めていない「隠し漆」があるとのことで、鳥居らはそれに目をつけているらしいのですが・・・

 

この鳥居耀蔵、実在の幕臣でして、蛮社の獄の首謀者までは本当なのですが、実父の林述斎(耀蔵は鳥居家に養子に出された)は蘭学者と交流があり、モリソン号事件の際には強硬派に対して漂流者を受け入れようとしたり、耀蔵自身もある程度は蘭学の必要性を認めていたそうです。ただ、かなり評判が悪かったのは事実でして、鳥居甲斐守耀蔵の(かいのかみ)と(ようぞう)の頭を取って「ようかい(妖怪)」と呼ばれたり、「マムシ」などとも呼ばれるくらい嫌われていたそうです。

ちょっとだけですが、遠山景元が登場します。遠山の金さんですね。ちなみに、遠山景元の隠居後の住まいは長谷川平蔵の屋敷だったところ。

 

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半村良 『江戸群盗伝』

2021-12-15 | 日本人作家 は

たびたびプライベートな近況話で恐縮ですが、スマホを買い替えました。思えば、つい3年前までガラケーでして、その理由として「携帯なんて出先で電話ができりゃいいんだよなんでわざわざ出かけてまでインターネットなんかやらなきゃならねえんだよ」と、世を拗ねていたわけですが、諸事情によりスマホデビュー、それから3年、起動や操作がだいぶ遅くなったので、新しいのにしようかと。同じ会社で同じメーカーでしたので、まあとてもスムースにデータも電話番号(MNP)も移行完了。便利な世の中になりました。あ、でも逆にもう連絡とらなくてもいいやって人に新しい番号教えないことがMNPによってできなくなってしまいましたね。

以上、情報技術の進化の功罪。

 

さて、半村良さんの代表作といえば、世間的な知名度からもおそらく「戦国自衛隊」なのではないでしょうか。でもまだSFは読んだことがありません。現代小説と時代小説だけ。まあいつの日か。

 

短編集です。オムニバス形式となっております。初めて知ったのですが、柴田錬三郎にも同名の作品があります。でもどうやらストーリー的にも特に関係は無さそう。

煙管職人の勘次、またの名を(猫足の勘次)、昼間に住人のいるときに忍び込んでもバレないという名人芸の盗人。先日、ひとり暮らしの女の家に忍び込み、金を盗んだのですが、じつは、賽銭吉右衛門という大盗賊の右腕、夜がらす五兵衛の愛人の家だったのです・・・という「夜がらす五兵衛」。

吉原の前に張り込んでいる男。「七之助さん・・・」と、吉原から出てきた男を呼び止めます。「なんでえ、甚六じゃねえか」と知っている様子。張り込んでいた男は(じべたの甚六)といって、いくぶん精神遅滞の盗っ人で、もっとも、肝心の盗賊働きでは失敗ばかりですが盗っ人仲間からは可愛がられ、仲間の顔を覚えることだけは長けていて、稼ぎといえば、吉原の前に座り込み、仲間を見つけると銭をせびる・・・という「じべたの甚六」。

悪どいと評判の勘定奉行の土蔵に(いつ、桔梗屋四郎兵衛が土蔵破りをしてくれるか・・・)と江戸の盗賊仲間はひそかに期待しています。ですがこのころ、権蔵という、金に飢えたゴロツキをかき集めて商家に押し込み家族や奉公人を片っ端からなぶり殺して金を盗む(畜生ばたらき)が江戸で犯行を重ねていて・・・という「桔梗屋四郎兵衛」。

(間男七之助)という二つ名の盗賊、七之助が道で人足どもに襲われそうになっていた女性を助けます。その女性は「扇屋をやっております、りくと申します」と自己紹介。すると七之助、「扇屋おりくさんといえば、あの・・・」と知っている様子。そう、江戸の盗賊界の大物中の大物、白鳶の徳兵衛の娘なのです・・・という「扇屋おりく」。

新川の久助という遊び人風の男が、ある女から仕入れた情報をどこかの盗賊に売ろうとしています。その盗賊の名は夜がらす五兵衛、かの賽銭吉右衛門の右腕という人。五兵衛はこの話をお頭の吉右衛門に伝えますが、五兵衛が「玄人の腕の見せ所」「世間にあっと言わせましょう」などと見栄を張りたい様子。これに吉右衛門は反対し、だったらお前が仕切ってやってみればいいと・・・という「賽銭吉右衛門」。

初音の文蔵という盗賊一味の中にいる若手の三次は、まだ一人前になっていないのに女と所帯を持ちたいと言い出し、儀助という老人が間に入り、(犬走りの長吉)という盗賊に三次を預けることに・・・という「犬走りの長吉」。

行商人の対立、縄張り争いなどをうまく差配する世話人藤三郎の住まいにある男が訪ねてきます。男の名は(先達の貫太)。藤三郎は勘太にあるお願いがあって呼んだのですが、そのお願いとは、火付盗賊改め方の屋敷を調べることで・・・という「先達貫太」。

おりょうという料理屋の女将が、お気に入りの飲み屋で(なおし)を注文します。(なおし)とは(本直し)ともいい、焼酎に味醂を加えた安酒で、おりょうが(富さん)と呼ぶあるじの飲み屋に、腹から血を流した男が転がり込んできます。「乙吉じゃないか」とおりょう。富さんはおりょうを帰らせます。翌日、岡っ引きがおりょうの店にやって来て「乙吉はどこにいる」と・・・という「なおし屋富蔵」。

権爺と呼ばれる百姓の家に、(神楽の芝蔵)という盗賊の手下がやって来て「沖の六兵衛が戻ってきた」と告げると権爺は「えっ・・・」と急に鋭い顔に。大事な用ということで、権爺は芝蔵のもとに。すると「六兵衛さんは白鳶の徳兵衛さんにかくまわれている」と言います。そもそも大事な用とは、最近、あちこちで起きている火事騒ぎのことで・・・という「沖の六兵衛」。

 

この作品に出てくる盗賊たちは、基本的には本格的な盗賊で、「鬼平犯科帳」でいうところの殺さない・女性を襲わない・盗まれて難儀するところからは盗まない、という(盗賊の三ヶ条)を守っていています。というか(人のものを盗まない)ってのを守れよという話ではありますが、そういえば、現代の刑務所の中でも子どもに対する犯罪はもっとも下に見られる、みたいなのがあるらしいですね。

 

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葉室麟 『風花帖』

2021-12-05 | 日本人作家 は

がっつりプライベートな話で恐縮ですが、血液検査をするといつもコレステロール値が標準よりも低すぎて、でも悪玉コレステロールは低くていいのでは?とお医者さんに訊いたら、細胞壁が弱まる、抵抗力や免疫力の低下、などあるそうで、低けりゃいいってもんじゃないそうですね。主治医から「もっと肉と魚と卵を食え、マヨネーズやドレッシングもカロリーオフやノンオイルは使うな」と、中年男性の栄養指導とは真逆のアドバイスをいただいてるわけですが、先日の血液検査でついに善玉コレステロール値が標準になりました。でも総コレステロールと悪玉コレステロールはまだ低すぎ。ちなみに体脂肪率は10%前後なのですが、体型は痩せてはいますけど別に痩せすぎというほどではありません。

 

以上、体脂肪率ひと桁だと風邪ひきやすいですよ。

 

さて、葉室麟さん。直木賞受賞作「蜩ノ記」のときに選考委員のひとりが「登場人物がみな清廉すぎる」とコメントしていまして、人間の薄汚さ醜悪さをこれでもかと描くのが「リアリティ」みたいな風潮はあまり好きではないので登場人物みな清廉けっこうではないかと思ったのですが、葉室麟さんの他の作品を読みますと、まあけっこうドロドロした作品がありますね。とくに江戸時代の御家騒動モノ。

 

というわけで、この作品は御家騒動。江戸後期の文化・文政時代のこと、九州、小倉藩では家中が二派で対立、片方が城(白)に、もう片方が筑前黒崎宿(黒)に立て籠もるといった感じで、後世「白黒騒動」と呼ばれることになったそうな。

物語は、小倉藩士の勘定方、印南新六を乗せた駕籠が自宅に着きますが、駕籠の中で自害して息絶えていた・・・という壮絶なシーンからスタート。

それより十年ほど前のこと、小倉藩江戸屋敷側用人の菅三左衛門の嫡男、源太郎と書院番頭の杉坂監物の娘、吉乃の祝言が行われています。しかし、その席の中に、三左衛門の属する派閥(犬甘兵庫派)と対立する派(小笠原出雲派)に属している藩士、印南新六が座っているではありませんか。ですが、印南家と杉坂家は親戚なので、新六が祝言の席にいても別に不思議ではないのですが、周囲からは「あいつ、何しにきたのだ」「出雲派から犬甘様に寝返りたいのか、親戚の婚儀を利用するとはみっともない」などと陰口を叩かれまくり。

すると、出席していた犬甘兵庫が「印南新六に杯をとらせる、これに呼べ」というではありませんか。「そなたは出雲殿の派閥じゃそうだな」と訊かれ「父が出雲様を敬っていただけで、父亡き後、わたしは派閥に関心ありません」と答えると、今度は「そなたは無想願流を遣そうだな」と訊いてきます。質問の意味をわかりかねて黙っていると「まあよい、これからはわしの会合に出るように」と笑いかけます。

それから、新六はちょくちょく源太郎の家に来るようになります。新妻の吉乃はどこか嬉しそう。

しばらくして、城下で騒動が起きます。農民が押し寄せて一揆の様相。兵庫は「出雲派が仕組んだことだな」と見抜きます。この頃、藩主の小笠原忠苗は体調が悪く、養子の忠固に家督を譲ります。忠固は家督を継ぐに当たって、藩政を牛耳っていた兵庫が邪魔だということで、出雲派と結託して農民騒動を兵庫の失政に対する不満ということにして、兵庫は幽閉されることに。

犬甘派の幹部たちが集まって話し合いが行われ、源太郎は新六に報告します。そして「新六どのは半ば無理やりわが派に加わられたので、離れたほうが良いかと」と言いますが、新六は「さような話をうかがうと、なおさら犬甘派から離れがたくなりました」とにっこり笑います。

 

ところがそれから数カ月後、兵庫死去という知らせが。

こいつは大変なことになったと犬甘派は大慌て。

そんな中、新六のもとに、小笠原出雲から呼び出しが。出雲の屋敷に行くと、そなたの父親を生前あれだけ世話したのにお前はいけしゃあしゃあと犬甘派と親しくなりおって、と怒られ、お前はそのまま犬甘派にとどまって、やつらの動きを逐一報告せよ、と命じます。

新しい殿の忠固は幕府内で出世して幕政に参加したいという欲があり、(運動)をはじめます。つまり、上役への「どうか、ひとつ・・・」という付け届け。このため財政が逼迫、家臣らの俸禄を半分にする「半知借り上げ」という策に出ます。これに旧犬甘派から猛反発。さらに、先日のこと、某藩士の屋敷の壁に、殿の悪口のいたずら書きがあったそうで、藩内は一触即発。

そこで、旧犬甘派の中から、外国船の接近に備えて烽火を上げることになっているその烽火に「藩内が非常事態」だと火を放とうという計画案が持ち上り、その役目をはじめは源太郎が立候補しますが、新六がやることに。これには、かつて新六が吉乃と交わした約束が・・・

ここから、御家騒動に発展、先述した「白黒騒動」となります。新六の(無想願流)は、「蝙蝠(コウモリ)が飛翔するがごとき至妙の技」という秘技があり、新六は、両派閥を行ったり来たりとまさにコウモリのごとく・・・

 

この「白黒騒動」は実際にあった出来事で、史実によると、幕府の裁定が入り、出雲は失脚、旧犬甘派も処罰、さらに殿の忠固も百日の閉門に。本来であればお家取り潰しになってもおかしくなかったのですが、忠固の遠い遠いご先祖様の勲功(大坂夏の陣での小笠原秀政の大活躍)があって、罪が軽くなったそうです。しかし、もはや返済不可能なレベルにまで財政は逼迫、小倉藩・小笠原家は衰退の一途をたどることに。

 

御家騒動というのは、現代だと企業や政治の派閥争いにそのまま受け継がれていますね。もうこれは人間が群れを作ると必ず起きてしまうものなのでしょうか。悲しい生き物ですね。

 

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池波正太郎 『あほうがらす』

2021-12-01 | 日本人作家 あ

もう12月ですね。今年も色々ありました。といっても世の中の激動・混乱ぶりとは距離をおいて個人的には「現状維持」でして、まあこうやって呑気に本読んでブログ更新なんてできるのも当たり前じゃないんだなと意識するようにしています。

と、書いていて今年もあと残り30日という段になっていきなり大波乱なんてことになりませんように。

 

さて、池波さんです。短編集です。

 

沢口久馬という16歳の浪人の息子が、播州・赤穂の浅野家領主、浅野内匠頭長矩の小姓として奉公することになります。屋敷に上がってその日の深夜、けたたましく鳴り響く太鼓の音にびっくりして飛び起きます。すると「火事でござる!」「台所より出火!」という大声と足音が。急いで着替えて駆けつけますが、火事など起きてません。寝室に戻ると、同僚の小姓は布団に入ったまま。すると「久馬、火消しの演習は終わったか?」というではありませんか。そんなこともありましたが、のちに(殿さま)が江戸城内で刃傷事件を起こし・・・という「火消しの殿」。

信州・松代藩、真田家の家来で勘定方の天野源助は、(ある出来事)がきっかけで他の藩士から嘲笑される存在に。取り柄といえば経理の才能。妻に先立たれ、さらに父親が同じ藩士に殺されたので仇討に出なければなりません。しかし父を殺した相手は剣の達人。もう生きているのが嫌になった源助は(よかった、これで死ねる)と、むしろ殺される覚悟で仇討ちの旅へ・・・という「運の矢」。

戦国時代、長篠城は武田軍の猛攻撃を受けています。もともとこの長篠城は武田家の領地であったのですが、武田信玄の死後、息子の勝頼が当主になるや、徳川家康がたちまち長篠城を攻め落としてしまいます。勝頼の怒りは徳川家康よりも、父の死後にさっさと裏切って、家康から長篠城の城主を任されていた奥平貞昌に向けられています。戦いは籠城戦となり、貞昌の部下からは「やっぱり徳川じゃなくて武田家についていたほうが・・・」と不平不満の声が。城主は徳川に書状を出すことに。誰か届けてくれるものはおらぬか、と聞くと、鳥居強右衛門というものが進み出て・・・という「鳥居強右衛門」。

松平下総守の家臣、荒木又右衛門の妻(みね)の下の弟が、国許で同僚に惨殺されます。ところが、敵討ちは主、父、兄の場合は認められますが、弟や子は認められません。ましてや姉や母、娘など女性は論外。さらに厄介なことに、又右衛門の同僚で親友で槍の名手の河合甚左衛門は義弟を殺した敵討ちの相手の親戚。やがていろいろあって、みねの上の弟が敵討ちに出ることになり、その助っ人に又右衛門がつき、相手方の助っ人には甚左衛門が・・・という「荒木又右衛門」。

信州・上田、松平伊賀守の家来の息子、市之助は幼い頃から学問に秀でて、15歳になり、若君の勉強相手に選ばれます。ところが、原因不明の奇病で髪が抜け落ちてしまいます。ある日のこと、若君から「相撲を取ろう」と誘われた市之助でしたが、なりませぬ、勉学が先ですとたしなめたところ、若君が禿げ頭をバカにして、あろうことが市之助は若君をぶん殴ってしまい・・・という「つるつる」。

小さな飯屋の主、宗六の影の仕事は(あほうがらす)という、店を持たず、単独で女を客に取り持つ、いわばフリーランスの売春斡旋。宗六を(この道)に連れ込んだ与吉は「まさか、あの和泉屋万右衛門が、お前の兄さんだとはねえ」と驚いています。もともと印判師の家に生まれた兄弟でしたが、兄は和泉屋に養子に入り、弟は悪の道に走り、なんだかんだで与吉に「おいらの片棒をかついでみねえか」と誘われます。そんな与吉が持っていた(妾宅)に、万右衛門が通っているところを宗六が顔を出し・・・という表題作の「あほうがらす」。

京、四条の劇場や小屋が立ち並ぶ一角に(蔭間茶屋)があります。蔭間とはいわゆる(男娼)で、色子などと呼ばれています。色子の幸之助は少年の武士を相手にしています。その少年武士が宿に帰ると、老夫婦は「主税さまは、御満足のようじゃ」「色子の情は遊女よりも濃いよってな」「それにしても、大石内蔵助さまというお方は、大事な跡つぎに色子あそびならわせて・・・」と語り合っています。そう、少年武士とは赤穂浪士四十七士の一人で大石内蔵助の長男、大石主税・・・という「元禄色子」。

池田出雲守の小姓、鷲見左門が長屋横を歩いていると、徒士組の佐藤勘助がすれ違いざまに「尻奉公が・・・」と言います。この言葉を許せない左門は「待たれ」と言いますが、か細い左門と剣の腕は家中でも名高い勘助とは力の差は歴然。悔し泣きをしていた左門に「どうした?」と声をかけたのは、同じく小姓の千本九郎。九郎は左門に「自分が助太刀をするから勘助を討て」といい、その夜、左門が勘助を馬小屋に誘い、九郎が勘助を斬って、左門は邸外に逃げます。この一件は殿の知ることになり、喧嘩両成敗で鷲見家と佐藤家は取り潰されます。左門は九郎の紹介で京都の弓師の家に匿われていますが、江戸では左門の評判が上がり・・・という「男色武士道」。

浅草裏の茶屋「玉の尾」に駕籠から降りた男女が入ります。男は侍で、女は町家の女房ふう。その様子を中から見ていた男が「野郎・・・飯沼新右衛門ではねえか」とつぶやきます。男の名は仁三郎、かつて飯沼家に若党侍として奉公にあがっていましたが、わけあって追い出されます。帰ろうとした飯沼は、茶屋に煙草入れを忘れたと引き返すと、そこには仁三郎が・・・という「夢の茶屋」。

中小姓の横山馬之助は、仕事ができず、主人の使い走りをしています。ある日のこと、主人の使いから戻ってきた馬之助はいきなり「この家の主人の会わせろ」と言い放ち、いきなり座り込みます。これを聞いた主人は「馬之助の気が狂ったか」とおもしろそう。さっそく馬之助の前に顔を出し「これはこれはようこそ」といって座ると馬之助が「私は、天日と申す狐にござりまする」と・・・という「狐と馬」。

江戸の片隅で医者のをしている水谷宋仙。じつは宋仙は敵持ち。もともと丹波・篠山、青山家につかえる医者でしたが、囲碁仲間と口論になり殺してしまい逃亡、あれから10年、宋仙の家の前に女が佇んでいます。すると女が「先生、お久しぶりでございます」というではありませんか。この女、同じく篠山藩の足軽の娘で宋仙も知っています。半年ほど前に先生を見かけた、といい、女はある(お願い)をするのですが・・・という「稲妻」。

 

「あほうがらす」はたしか「鬼平犯科帳」に出てきましたね。「つるつる」は、のちにだいぶストーリーが変わって「男振(おとこぶり)」という長編になってますね。もしかしたらこちらが知らないだけで他の作品ものちに何かに出たかもしれません。

特に決まったテーマの短編集、というわけではありませんが、しいて探すならば「みんなおもしろい人生」ですね。

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