晴乗雨読な休日

休日の趣味レベルで晴れの日は自転車に乗ってお出かけ。雨の日は家で読書。

井上靖 『氷壁』

2022-02-28 | 日本人作家 あ

二月も終わりですね。梅は咲いたか桜はまだかいな。じつは今、サイクリングを始めようかなと考えていまして、といっても自転車通勤ではありません。そもそも車で片道1時間ちょいかかる距離を自転車だったらその倍かそれ以上かかるわけで、職場に着いて早々に帰りたくなって仕事終わりにまた自転車かと気が重くなること請け合いですのでそれはしません。じゃあなにするかといいますと、家から20~25キロくらいのところに温泉があって、まあそのくらいの距離だったら1時間半くらいで行けますので、温泉に入って帰ってくる、と。温泉じゃなくても、家から10キロほどで海ですので、早起きして砂浜から日の出を拝みに行こうかと。

人生、楽しみましょう。

さて、井上靖さん。「あすなろ物語」や「しろばんば」といった自伝的作品や、「敦煌」「天平の甍」といった時代・歴史小説は読みましたが、今作『氷壁』は、現代小説といっていいんでしょうか。こういうジャンルは初めて。もともと初期はこういった現代小説(当時は「中間小説」と呼んでたらしいですが)を中心に発表していて、本来であればこっちから先に読んでおけばよかったんですけど。

 

冒頭、魚津恭太という主人公が穂高での登山を終えて東京まで電車で帰ってくるシーンからはじまります。まずこの「自然と都会の対比の描写」がとても、その、素晴らしいです。決して「自然礼賛、都会否定」といったものではなく、山の中にいた自分から通常の仕事モードの自分への切り替えとしての「対比」なのですが、まずここでグッと引き付けられます。

そして、行きつけの小料理屋に入ると主人が「さっきまで小坂さんが来てました」と教えてくれます。小坂乙彦は魚津の登山仲間。小坂は小料理屋に顔を出しただけで近くである人と待ち合わせをしているといいうのです。しばらく小坂に会ってなかった魚津はその待ち合わせ場所に行き、小坂を見つけ話しかけると、そこに着物の女性が。この女性は八代美那子といって、前に小坂から「最近気になる女性がいる」と聞いたことがあったのです。八代は小坂に渡し物があっただけで帰ろうとして、魚津も帰ろうとしたら「まあまあ、魚津も奥さんもいいでしょう」と3人でコーヒーを飲むことに。ここで気になったことが。「奥さんも」と言ったということは、前に聞いたときは人妻なんて話してなかったじゃないか・・・

魚津が店を出て外を歩いていると後ろから八代が追いかけてきます。「ちょっと相談にのってほしいことがある」というので、帰りの方向がいっしょだったのでタクシーを拾います。じつはさっき小坂に(渡し物)があるといったのはラブレターを返したのです。困っているそうで、できれば魚津からもはっきり伝えてほしいとのこと。というわけで後日、小坂にその旨を伝えますが「おれはもう彼女なしでは生きていけない、彼女が迷惑といったのは嘘だ、彼女もおれを愛してる」と、ちょっとというかだいぶアレな人になってしまっています。ですがさすがに横恋慕はまずいということで魚津を立会人として最後に3人で会うことに。ところが小坂はやっぱり諦めきれないと言い出し、また八代に手紙を出します。

それはさておき、ふたりは年末に登山に行く計画があって、前穂高岳の東壁(北壁〜Aルート)という難ルート。山頂まで残りあと少しというところで猛吹雪で一旦アタックをやめます。小降りになってきたので岩場を登り始めたそのとき、小坂が落下します。魚津はふたりを結んでいたザイルを引っ張ってみると、ザイルは途中で断ち切れていたのです。

年が明けて5日、八代は家で新聞を読んでいると「昨年30日に前穂高の登山を計画していたふたりのうちひとりが落下、魚津氏は下山し救援を要請、現場は雪深く捜索は難航、小坂氏の救援は絶望視されて・・・」という記事を目にします。

魚津は麓の宿屋で小坂の妹のかおると初めて会います。ふたりは電車で東京へ帰ろうとしていると、新聞を読んでいたかおるが魚津を気にしているように感じたので、新聞を見せてもらおうとしますがかおるは「きっと不愉快になるので読まないほうが」と。その内容は、切れないはずのナイロンザイルが切れたということで高名な登山家にインタビューし、技術的に何かミスしたのでは、アイゼンで踏んで傷ついて切れたのか、などと意見を述べていますが、新進の若手登山家としてそれなりに経験も豊富なふたりがそのようなイージーミスをするとは考えられません。が、この一件が思わぬ方向に。このザイルの製造販売元が、魚津の勤めている会社の主要取引先で、その会社からすれば魚津は商品の欠陥を主張しているわけでして、こりゃまずいです。さらに、ナイロンザイルの公開実験をすることになって、その実験をするのがなんと八代の夫なのです。

はたしてザイルは切れたのか。ミスでもなく欠陥でもなければ、ひょっとして小坂が自分で切ったのか・・・

この話は実際にあった「ナイロンザイル事件」がもとになっていて、いちおう実験では「傷がなければ鋭角な岩でもなかなか切れることはない」という結果が出ますが、その後もザイルの切断による事故があり、事件から20年近くたってようやく「消費生活製品安全法」の中でクライミングロープも対象になり、世界初のクライミングロープの安全基準(登山に使用できるのは直径9mm以上。事件時に使用した8mmは二重にしても補助用にしか使用できない)ができます。これは現在の「製造物責任法(PL法)」施行のじつに40年も前の話。

「山岳小説」と呼ぶには山に登っているシーンというのは少ないです。ですが風景描写は素晴らしく、心理描写もビシビシ伝わってきます。皮肉な話というかなんといいますか、この小説がベストセラーとなって上高地に多くの人が訪れるようになったんだそうな。

 

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池波正太郎 『剣の天地』

2022-02-19 | 日本人作家 あ

ちょっと前の話になりますが、年のせいでしょうか、身体が冬の寒さに耐えられなくなってきており、とうとう養命酒を買ってしまいました。とりあえず寝る前に付属の小さなコップで一杯(20ml)を飲みます。飲んですぐに体内がポカポカ熱くなったりはしませんが、冷えに負けない身体づくりができればいいかなと。「酒」というくらいですから、アルコール分が14%あります。ワインか日本酒くらいあります。一杯が二杯、二杯が三杯、そのうち茶碗でガブガブ飲むようにならないように注意。

以上、日常に潜む依存症の脅威。

さて、池波さん。この作品は上泉伊勢守という戦国時代の武将のお話。歴史の教科書に出てくるような主要人物というわけではありませんが、剣術の流派のひとつ「新陰流」の創始者です。新陰流といえば柳生一族じゃないの?合ってます。

戦国時代、上野国(現在の群馬県)、大胡城の主、上泉伊勢守秀綱。このあたりは長野業政という武将が治めています。戦国時代も中盤にさしかかり、天下取りは各地に登場した戦国大名のいずれかに絞られてきます。そうなってきますと、地方の小規模の豪族たちはもう自分が天下取りをしてやるという夢は捨て、生き残るために「誰の下につくか」を考えます。上泉伊勢守のいる上州の周囲には、甲斐の武田、越後の上杉、相模の北条という面々がいて、長野業政は上杉方についています。武田と北条は同盟を結んで「打倒・上杉」で上州、信州に攻め込もうとしているといった状況。

物語は、長野業政の次女、於富が婚約者の小幡図書乃介とふたりで乗馬デートをしているシーンからはじまります。この図書乃介というのは上州・国峰城主の小幡信貞の従弟にあたります。ちなみに信貞の妻の妹が於富。つまり長野業政にとって小幡家に娘ふたりを嫁がせるというのはそれだけ重要に思ってるということ。

この若いカップルをじっと見ている野武士たちがいます。どうやらただの覗きではなさそう。やがてふたりを囲みますが、於富は目にもとまらぬ早業で野武士たちをやっつけます。じつは於富は上泉伊勢守の門下生だったのです。

そんなこともありつつ、ある日のこと、於富は伊勢守に挨拶をしに大胡城へ。夜も遅くなったということで、於富は大胡に泊まっていくことに。するとその夜、伊勢守と於富は今風にいえば「一線を越えた」になるのでしょうが、伊勢守にすれば「弟子に手を出した」わけであって、これはマズイです。しかも相手は長野業政の娘で婚約中。本人の弁は「あの夜はどうかしていた・・・」

伊勢守は室町時代当時の「武道の聖地」であった常陸国・鹿島で剣法の修行をします。ちなみにこのときの指導者はかの剣豪、塚原卜伝だったとか。きびしい修行を終えて上州に戻った伊勢守は大胡の城主となります。

いくら城主が剣の達人とはいっても、地方のいち豪族にすぎず、長野業政に仕えます。業政も伊勢守を非常に頼りにしています。

武田・北条とのせめぎ合いが続く中、図書乃介が武田側に寝返ったという衝撃ニュースが飛び込んできます。はたして於富は無事なのか・・・

まあ、於富の件はさておき他はあらかた史実ですので、池波さん風に書くなら「ここでくだくだとのべることはあるまい」ということ。とはいえ、それじゃ書評ブログの意味が無いじゃんというわけで、特筆すべき(ことがら)をいくつか。この当時は稽古も真剣でやっていたそうで、あるいは刃の部分を覆った状態にして稽古していたとか。いずれにせよ危険なので、安全に稽古するために(竹刀)を開発したのが伊勢守という説。

旅の途中で、狼藉者が子どもを人質に取って小屋に立て籠もる現場にたまたま居合わせ、伊勢守が「私が子どもを助けましょう」といって弟子に頭を剃ってもらい僧侶のふりで小屋に握り飯を持って近づき「腹が減ってるだろう」と声をかけ、狼藉者が扉を開けたその瞬間に小屋に飛び込んで子どもを救った、という伝説。

冒頭では伊勢守(秀綱)と書きましたが、歴史上では(信綱)となっています。この(信)の字は武田信玄の信。大胡の城を明け渡して自分は旅に出るといって甲斐の国に入ってなんだかんだで信玄に会って、いたく気に入られて信玄から名前の一字をいただいたというわけですね。

あと「新陰流の創始者」ですが、伊勢守は近畿・大和国にある柳生の里を訪れ、主である柳生宗厳が伊勢守に弟子入りをして、伊勢守が編み出した「極意」を教えてもらいます。それが鹿島発祥の剣法のひとつ「陰流」をさらに発展させた「新陰流」。

のちに宗厳は徳川家康の前で新陰流を披露し、家康からぜひとも指南役にとお願いされますが、息子の宗矩を推挙します。宗矩はご存知の通り秀忠の剣の指南役となり、大坂の役では秀忠の命を守り(七人の刺客に囲まれるも一瞬のうちに倒したという逸話)、家光の代には幕府の初代「大目付」に就任します。

のちに「剣聖」と謳われるようになるほどの人物だと数々の伝説や逸話がありますね。そういえば、宮本武蔵が囲炉裏の前に座ってる塚原卜伝に斬り付けようとして卜伝は鍋蓋で受け止める、いわゆる「鍋蓋試合」が有名ですが、そもそも武蔵の生まれる前に卜伝は死んでるらしいですね。浪曲「森の石松三十石船」で「弁慶と野見宿禰が相撲を取ったらどっちが強い」というセリフが出てきますが、まあ脚色というかフィクションというか、当時の人はそれでやいのやいの言い合って楽しんでたんでしょうね。

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ディーリア・オーエンズ 『ザリガニの鳴くところ』

2022-02-13 | 海外作家 ア

年のせいでしょうか、なんだかものすごーく心配性になってしまいまして、家を出るとき、特にこの時期はコタツやストーブといった暖房器具のスイッチが心配で、ちゃんと切れてると確認してから玄関ドアのカギを閉めて車に乗り込んでエンジンがあったまるまで待ってると「あれ、ストーブ切ったっけ」と、だんだん心配になってドキドキしてきてとうとうたまらなくなって車から降りて玄関を開けて家じゅうの暖房がちゃんと切れてるか確認するもんで、この時間に家を出れば余裕で間に合うという時間より5~10分ほど早めに家を出ることにしてます。ちなみに心配になって家に戻ったら暖房が点けっぱなしになってたということは今まで一度もありません。まあ用心に越したことはないですけどね。

以上、老いと向き合う。

さて、おそろしく久しぶりの海外の小説。たぶん去年は何冊か読んでるはずですが。

この作品は2021年の本屋大賞翻訳小説部門第一位、だそうです。こちらの作者は本職が動物学者とのことで、過去にノンフィクション作品は出されたことがあるのですが、小説はこれが初めて。それでいきなり大ベストセラー。すごいですね。

 

1969年、アメリカ、ノースカロライナ州にある湿地帯の水溜りに男の死体が横たわっているのを、遊びに来た少年が発見します。男はチェイス・アンドルーズで、金持ちの息子でハンサムで学生時代はフットボールのスターで、という人気者。

1952年の話。夏のある朝、カイアという女の子は母親が家から出ていくのを見ます。カイアの家は湿地帯の中にあり、この湿地帯は法的に誰の所有とかいう境界もなく、犯罪者や逃亡者の潜伏地のような状態で、そこにクラーク家が住んでいます。カイアは5人きょうだいの末っ子で、母はマリア、父はジェイク。もともと別の土地にいたのですがジェイクが無一文になってしまい、さらに戦争で片脚を負傷して一家の収入は国からの軍人恩給のみ。ですがジェイクはそのわずかな金も酒に使ってしまい、気に入らないとマリアや子どもたちを殴る始末。そんなことでマリアは出ていってしまいます。

上の兄ジョディは心配するカイアに「だいじょうぶ、母さんは戻ってくるよ」と声をかけますが、夜になっても次の日になっても戻ってきません。母がいなくなって子どもたちへの暴力もエスカレートし、兄や姉はひとりまたひとりと家を出て、ジョディもいなくなって、残ったのはジェイクとカイアのみ。台所に残ったわずかな食材でどうにか飢えをしのぎます。ジェイクは恩給の支給日になるといくらかを置いていって飲みに行きます。その金でカイアは村の食料品店でトウモロコシ粉を買います。そんなカイアも本来なら学校に行かなければいけないのですが、家に来た無断欠席補導員を「自分を捕まえに来た」と思って逃げ隠れてしまいます。が、補導員の「学校に来れば毎日無料でランチが食べられます」という言葉に、空腹には勝てずカイアは補導員の前に出てきて、学校に行くことになりますが、それまでまともな教育を受けてこなかったのと他人とのコミュニケーションが取れないことで同級生たちにからかわれて、学校に行くのをやめます。

ある日のこと、カイアは少年と出会います。「きみはジョディの妹だろ」と言われてびっくりします。テイトという少年は兄のジョディと知り合いで、ジョディから話をきいていたのです。

それから数年が過ぎ、カイアはテイトから文字や数の数え方などを教わります。やがてお互い異性として好意を持つようになりますが、テイトは大学に行くことになります。「大学が休みになったらきっとここに戻ってくる」という言葉を信じますが、テイトからはなんの音沙汰もありません。

さて、チェイス・アンドルーズの死因は、火の見櫓から転落して頭を強く打ち付けたというのですが、まずそもそもチェイスはなぜ湿地帯にいたのか。自ら飛び降りるようなことは生前のチェイスからは想像もできません。あたりには発見した少年以外にはチェイスの痕跡しか残っておらず他殺の可能性も見つからず、捜査にあたっている保安官は進展がないことに苛立ちますが、ある漁師がチェイスの死んだ日の夜、ボートに乗った女性を見た、という目撃情報が。その女性は「湿地の少女」と呼ばれているカイアだったのですが・・・

チェイスが死んだ日に目撃されたのはカイアなのか。ふたりの関係は。

 

正直にいうと、ストーリー的には「まあそうだろうな」という展開なのですが、なにより文章が美しい。とても丁寧です。そして湿地帯の風景、動植物の描写が美しい。この作品がアメリカで出版されたのが2018年、今でもまだ売れ続けているそうですが、古今東西、良いものは良いのです。

こんなご時世ではありますが、読み終わって心がほんのりと明るくなる、そんな作品と出会えてしあわせです。

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宇江佐真理 『髪結い伊三次捕物余話(十)心に吹く風』

2022-02-05 | 日本人作家 あ

プライベートな話で恐縮ですが、先日、なんだか右足の脛のあたりが痛くて、でもちょっと我慢すれば歩ける程度の痛みだったのですが、しばらくしたら赤くなって腫れてきたので、かかりつけ医に診てもらったら「整形か皮膚科に行って」と言われたので皮膚科に行ったら診断結果は「蜂窩織炎疑い」。細菌感染症ですね。そういえば、年末辺りから乾燥のせいか体がかゆくてよくボリボリ掻いてるので、そのせいかなあと。蜂窩織炎はほうっておくと入院なんてこともあるので、かかりつけ医は大事ですね。

以上、日本のプライマリケアについて考える。

 

さて、髪結い伊三次シリーズ。フリーランスの髪結いをしていた伊三次が町奉行の同心である不破の手伝いをすることになって・・・というのがこのシリーズのおおまかなあらすじなのですが、前の巻からメインの話が伊三次と不破の子どもたちになってきています。そういえば平岩弓枝さんの人気シリーズ作品「御宿かわせみ」もメインが子どもたちになりましたね。

同心の不破の息子、龍之進が(きい)という娘と結婚することになって、きいは不破家で暮らすことになります。祝言の日ももうすぐというときになって、ある大掛かりな捕物があって、龍之進は品川に泊まり込みになり・・・という「気をつけてお帰り」。

きいは、出かけた帰りに焼き芋を買います。すると、きいをじっと見る薄汚い身なりの娘が。その娘はしばらく飲まず食わずだというのできいは自分の焼き芋をあげます。それからしばらくして、水死体が見つかり、調べると、下手人は十六、七の若い娘だというのですが・・・という「雁が渡る」。

伊三次の息子の伊与太は絵の修業のため師匠のもとに弟子入りしていたのですが、兄弟子と揉めて家に戻ってきます。ほとぼりが冷めるまで龍之進の手伝いをすることに。というのも、龍之進がある事件の下手人の人相書きを伊与太に頼んで、それがきっかけで解決したのです。が、このことに父の伊三次は不満で・・・という「あだ心」。

伊三次の女房のお文は久しぶりにお座敷に呼ばれて、帰りに後ろから誰かがつけているとわかり振り向くとそこには五つか六つくらいの男の子が。どこから来たのと聞くと「あっち」と指を差しますが町の名前を聞くと「銚子」と答えてびっくり。寒い夜なのでとりあえず家に連れて帰ることにしたのですが・・・という「かそけき月明かり」。

お文が連れて帰った男の子は不破のもとで御用聞きをしている松吉の養子になってひとまず安心なのはいいのですが、ちょうど町奉行が探している盗賊一味の一人が、ひょっとしてその子の父親なのではないかと伊三次は考え・・・という「凍て蝶」。

龍之進の妹、茜に見合い話が。ですがそもそも茜に結婚願望はありません。といってこのまま独身というのも体裁が悪いので、そういえばとある大名家の奥女中で別式女(べっしきめ)という、奥方や娘の身辺警護をするお役目を募集しているという話があり・・・という表題作の「心に吹く風」。

 

どの作品も、ぐっと心に染み入ります。

 

 

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