晴乗雨読な休日

休日の趣味レベルで晴れの日は自転車に乗ってお出かけ。雨の日は家で読書。

宇江佐真理 『雪まろげ 古手屋喜十為事覚え』

2022-10-30 | 日本人作家 あ

気がついたら10月もおしまい、今年も残すところあと2ヶ月となってしまいました。今年やり残したことを残り2ヶ月でどうにかしようと足掻いても無駄なことは承知ですので、もう今さらジタバタしません。こういうのを「泰然自若」っていうんですかね。ものすごく良いふうに解釈してますが。

お相撲さんが横綱大関に昇進するときの口上で4文字熟語を入れるのが恒例になってましたが、「泰然自若」ってありましたっけ。

どすこいどすこい。

 

宇江佐真理さん。この作品は「古手屋喜十為事覚え」が一作目でその続編というかシリーズ二作目。まだ一作目を読んでないのに先に二作目を読むというウッカリさん。別に可愛くはないですね、むしろ頭の病気を疑いましょう。これもオンラインショップで買う弊害といいますか。でも裏表紙の説明にもそれに関しての説明がなかったのでもしかして本屋さんでもこれしか売ってなかったら間違って買っちゃってたかもしれません。

浅草、田原町にある古着屋「日乃出屋」の主人、喜十と妻、おそめ。お世辞にもあまり繁盛しているとはいえません。町奉行隠密廻り同心、上遠野(かとの)はちょくちょく日乃出屋に顔を出します。犯罪捜査の手がかりのためなのですが、喜十も捜査を手伝ったりしています。

新太という少年は、朝になると本所業平橋の近くでしじみを採って、それを売り歩いて生計の足しにしています。父親は早死にしてしまい、母と下に四人の弟妹がいて貧しい暮らし。そんなある日のこと、母が新太に向かってまだ赤ん坊の末っ子の捨吉をどこかに捨てて来ておくれと頼みます。仕方なくしじみの売り歩きのときに捨吉をちゃんと育ててくれそうな家を探していると、浅草にある古着屋「日乃出屋」から男が出てきて新太のしじみを買うといいます。店の女房も出てきますが、子はいなさそう。優しそうな夫婦だったので、新太はここに決めます。そして真夜中、捨吉を抱いて日乃出屋の玄関先に・・・という「落ち葉踏み締める」。

子のいなかった日乃出屋の夫婦は捨吉を育てることに。同心の上遠野がやって来て、奇妙な話をします。近くに住む十八の男が、いきなり自分は七つのころに幽界に行ったことがあると言い出し、それが偉い学者の耳に入って、その男が学者の家に住み込むことになり・・・という表題作の「雪まろげ」。

上遠野の下で働く岡っ引きの銀助が日乃出屋にやって来ます。なんでも喧嘩騒ぎをしていた男が女物の紙入れを持っていて、しかもその紙入れはかなり高級品ということですが、本人は拾ったというのですがどうにも怪しいということで喜十に探してほしいと丸投げ。この紙入れは「紅唐桟」という生地でできていて、喜十は日本橋にある知り合いの袋物屋で聞くと、これは「鈴よし」の師匠の作じゃないかと教えてもらい、鈴よしに行って紙入れを見せると確かにうちのですといいますがこんな高価な品を落として届け出が出ていないとは・・・という「紅唐桟」。

上遠野と銀助が日乃出屋にやって来ていきなり「行き倒れが出た」と言います。なんで喜十のところに来たのかというと、その死人はとても珍しい半纏のような上着を着ていたというのですが、その上着を見た喜十はたしかに見たことのない上着で、店先にしばらく置いておくことになったのですが、数日後、ある娘が店先の上着を「この縫い取りは(こぎん刺し)ではありませんか」と・・・という「こぎん」。

四十くらいの顔に瘤のある女が「くたくたになった浴衣や襦袢はありませんか」と店に来ます。いっしょに息子も連れてきていて、息子の肌荒れがひどいので着古した柔らかい肌着でないと着られないとのことで、その息子も店に入ってもらいますが、鮫肌といいますか、ざらざらして灰色がかっています。後日、喜十は別の用事である町医者を訪ね、肌荒れの男の話をして・・・という「鬼」。

捨吉が日乃出屋に来てもうすぐ一年になります。するとそこに小さい子が店先をうろついていたので誰だと聞くと捨吉の兄だと名乗ります。しかしあのしじみ売りの新太は捨吉を日乃出屋に置いていったあと死んでしまったはずで、新太の弟の幸太だといいます。たしか弟妹たちは親類の農家に引き取ってもらったはずなのですが、その農家で幸太は毎日ひどい扱いを受けていて、妹たちはどこかに奉公に出されたといいますが、ひょっとして女衒に売り飛ばされたかもしれなくて、幸太は逃げ出してきたのですが・・・という「再びの秋」。

一話目からかなりヘビーな内容でちょっとこれ大丈夫か?と思いましたが、その他の作品は捕物帖といいますか、ミステリ的な短編で、ハートウォーミングというよりか悲しさ切なさやりきれなさが漂う感じです。

ちなみにシリーズ三作目はありません。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ケイト・モートン 『秘密』

2022-10-22 | 海外作家 マ

悲しい知らせ。毎年秋のお楽しみ、千葉県の一部で栽培されてる希少品種の「紅小町(べにこまち)」というサツマイモがありまして、例年ですと9月の下旬には道の駅で販売開始になるのですが、今年は生育不良で収穫がなんと11月になるんだそうな。

なんだか今年の生サンマも細長くて食べるのが可哀想になるくらい。異常気象ですかね。まあ秋の果物系は普通に出回ってますけどね。

以上、地球の気候変動に警鐘を鳴らす。

さて、ケイト・モートン。オーストラリアの作家で、デビュー作「リヴァトン館」が大ヒット、今までの作品は全世界40カ国以上で出版され累計発行部数は1000万部を超えてるそうです。この作品はオーストラリアのなんとかという文学賞を受賞。この前の作品の「忘れられた花園」、そしてこの『秘密』は日本の翻訳ミステリー大賞と翻訳ミステリー読者賞を受賞されています。

 

1961年、イングランド東部のサフォークにある農家。私道のはずれにあるポツンと一軒家「グリーンエイカーズ」敷地内にあるツリーハウスに、ニコルソン家の長女、ローレルが寝ています。そこにある男が家に近づいてきます。この男にローレルは気づきますが、どうみても百科事典かなにかのセールスマン。家の中にいた母が玄関のドアを開けると、母はとっさにそばにいたローレルの弟を背後に投げるように置きます。するとその男は「やあ、ドロシー、久しぶりだね」と母の名前を呼びます。すると母はケーキを切ろうと手に持っていたナイフで男を刺します。その一部始終をローレルはツリーハウスから見ていて・・・

話は2011年。女優になったローレルはある病院にいます。そこに妹のローズが来ます。もうふたりの妹アイリスとダフネ、弟のジュリーはまだ来ていません。ローズから母の様態がだいぶ悪くなったことを聞かされ、ベッド脇に座ったローレルは置いてあったアルバムを見ていると、一枚の写真がはらりと落ちます。ローズに聞くと、家の掃除をしていたらたまたま出てきたそうで、若い女性がふたり写ってます。なんでも芝居の台本に挟まっていたそうで、これを聞いたローレルは母が若い頃に芝居をやっていたことに驚きます。その台本には「真の友は闇を照らす一条の光、ヴィヴィアン」と書いてあったとローズが言います。その名前を耳にしたローレルは脳裏によぎり「ヴィヴィアンって誰なの?」と聞いたところでアイリスが入ってきます。じつはその時、眠っていたと思っていた母がはっと息を呑んで苦しい表情をしたのを3人の娘たちは見ていませんでした。

1961年、母が男を刺して男が動かなくなり、警察が来ますが、母はショック状態からか何も答えません。そこにローレルが「私、あの男を見ました」と言い、男が弟につかみかかろうとしたところを母と揉み合いになったと説明しますが、男が母の名前を口にしたことは言うのを忘れていました。男はピクニック場荒らしの容疑者と外見も年齢も似ていたのでおそらくそいつだろうということで、新聞にはピクニック場荒らしのホームレスがニコルソンの家を襲って正当防衛で刺されて死んだことになっていました。その後、ローレルは俳優養成学校のオーディションに合格し、ロンドンへ旅立ちます。

再び2011年。姉妹たちが実家に帰り、食事をして話をしていると、ローレルは頭が痛いといって先に休ませてもらいます。ローレルは物置に入ってトランクを開けます。そこには1961年の母が刺した男のことが書かれた新聞記事の切り抜きが入っていて、その記事の後半部分に「ジェンキンズは1938年ヴィヴィアン・ロングマイアと結婚したが、1941年、ノッティングヒル大空襲でヴィヴィアン・ジェンキンズは死亡」とあり、病室でヴィヴィアンの名前を聞いたときに脳裏をよぎったのはこれと思い出します。しかしこのヴィヴィアンと母の知り合いと思われるヴィヴィアンは別人の可能性も。

そして話は1938年、ドロシー・スミザムが一家で海へ旅行に行ったときに、青年カメラマンのジミーと出会います。ふたりは恋仲となりますが、ジミーは仕事でロンドンに行くことが決まります。

さて、1961年に死んだジェンキンズは名前をヘンリーといい、小説家でした。母ドロシーはジェンキンズときっと親密な間柄でふたりの間に何かがあってドロシーは彼のもとから消えてずっと探し求めていたのだろうとローレルは考えますが、その証拠はありません。

ここで話は1940年のロンドン。ドロシーはジミーを追ってロンドンへやって来て、お屋敷で気難しい老婦人の世話係をして暮らしています。ジミーは戦場カメラマンとしてロンドンには不在。ドロシーは向かいの家に住む同い年くらいのものすごい美人を気にかけています。向かいの家の主人は作家のヘンリー・ジェンキンズで、美人の女性は彼の妻でヴィヴィアン。ドロシーはどうにかしてヴィヴィアンと知り合いになりたくて、彼女が国防婦人会の活動に参加していることを知ります。

2011年。ローレルは母の病院にお見舞いに。いくらか元気な母に戦争中はなにをしてたか尋ねると「国防婦人会のメンバーだったのよ」と答えます。これはローレルは初めて聞きます。そして例の写真を見せて「お母さんといっしょにいるのはお友達?」と聞くと「ヴィヴィアンは戦争中に死んだの」と答えます。すると母は「大変なことをしてしまった」とつぶやきます。ローレルはそれであの男が来たのかと思いますが、何をしたのか聞こうとしたら看護師が入ってきます。

はたして、ローレルの母ドロシーは戦時中のロンドンでヘンリーとヴィヴィアンのジェンキンズ夫妻となにはあったのか。ヘンリーから身を隠すようになった出来事とは。

時代が現代(2011年)と過去(1940、41年)と交錯し、ローレルがいろいろ調べて、戦時中のロンドンで起きた出来事が明るみになっていって、そして実は・・・というところで驚いてなぜか涙があふれてきてしまいました。ミステリーというにはちょっと弱い気もしますが、まあ「謎解き」という部分では広義の意味でミステリーではあるでしょう。

個人的に今まで読んだ海外の作品でベスト5に入ります。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

安部龍太郎 『関ケ原連判状』

2022-10-05 | 日本人作家 あ

結局、9月は1冊しか投稿できませんでした。まあいつもの言い訳をすれば仕事しながら学校の勉強もして猫と遊んで、って最後のは全く関係ありませんが、寝る前の1時間くらいを読書タイムにしてはいるのですがあまり読めてません。「読めない」のか「読まない」のか、一字違いで意味が変わってきますね。そこまで大げさな話でもありませんが、学校の勉強がひと段落ついたら投稿の回数も増えるでしょう。

 

以上、読書の秋。

 

さて、安部龍太郎さん。基本的には歴史上の実在の人物や史実を描いた作品が多いのですが、市井の人々や架空の武士がメインの作品も読んでみたいですね。

この作品は戦国時代。はじめのページの描写に「豊臣秀吉の廟」とありますから、戦国末期。京の都に石堂多門という男がいます。いちおう侍ですが、羽織の背中には「天下布武」と刺繍がしてあり、腰の刀は刀というより鉈のよう。そこに包みを抱えて走る男と、女の声で「盗人です、どなたかその男を」。多門はその男を倒し、包みを女に渡します。女の名前は千代。お礼をしたいといいますが多門は断ります。

多門は、加賀白山の出身で、石堂家は白山神社所属の護衛集団の家系。しかし織田信長の一向一揆制圧のときに一向宗に味方をしていた石堂家ら護衛集団は滅ぼされ、生き残ったのはわずか。その生き残りが各戦国大名家に傭兵として送り込まれることに。多門が京に来たのは細川幽斎のもとを訪ねて指示に従ってくれと指令が。

女を助けた翌日、細川邸に向かうと、5人の頬かむりをした侍が旅人を囲んでるのを見かけます。なんとその旅人の中には千代が。多門は旅人に助っ人に駆けつけ、分が悪いと侍は引き上げます。細川邸に着いて、多門は幽斎から「金沢まである者を無事に送り届けてくれ」と頼まれます。その「ある者」とは、さきほどの旅人。そのうちのひとりは前田家の家老、横山大膳。この頃、前田家と徳川家康は一触即発の険悪ムードで、殿の前田利長は優柔不断、前田家の家臣たちの意見は好戦派と和解派に分かれています。そこで和解派の家老の大膳は細川幽斎を訪ねて相談をして、家康は利長の母、芳春院(前田利家の妻のまつ)を人質にすれば和解してもいいということで、交渉してなんとか和解にこぎつけますが、金沢では芳春院さまを人質に出すとはふざけるな、こうなったら戦だと非難轟々で針のむしろの大膳はふたたび幽斎のもとに解決策の相談に出向きます。そこで芳春院に戦はやめるようにと文を書いてもらって、その文を金沢の利長に渡そうということに。

近江の佐和山城にいる石田三成のもとに、作戦に失敗した侍のボスが「芳春院の文を奪うことはできませんでした」と報告。「なら金沢に着くまでになんとしてでも奪え」と命令します。

幽斎は、ときの正親町天皇の異母弟である八条宮智仁親王の御殿に向かいます。その目的は、古今伝授。古今伝授とは「古今和歌集」を伝えることですが、平安時代の頃に公家の中で和歌に独自の解釈を立てるようになり、それが門外不出の秘伝となり、かなり限られた人にしか伝授されないものになります。500年に渡って受け継がれてきた古今伝授ですが、この時代にはそれを伝えることができるのは幽斎ただひとり。古今伝授を絶やしてはいけないので天皇家の智仁親王に教えるという大義名分の他に、じつは幽斎にはもうひとつの目的があったのです。

天下分け目の戦いはいつ起きてもおかしくないとされている徳川家康と石田三成の豊臣方の勢力争い。じつはそこに「第3の勢力」を作ろうと画策しているのが幽斎の細川家と加賀の前田家。両家ともしいていうなら豊臣方ですが石田三成のもとで戦うのはまっぴらごめん、かといって徳川方についたとしても冷遇されることは目に見えてるので、それなら朝廷の後ろ盾を使って両家の存続を図ろうと考えたのです。

そんな中、とうとう事件が。上杉景勝と徳川家康の交渉が決裂、家康は上杉征伐に会津へ向かいます。ところがこれは石田三成の陰謀とされていて、家康が東へ向かったその隙に豊臣方の西国大名を結集させて挟み撃ちしてやろうとします。幽斎の息子の忠興も上杉征伐に向かったため、そうなってきますと古今伝授どころではない幽斎は伝授を中断して所轄地の丹後田辺城に行くことに。

豊臣方は田辺城への攻撃を開始、籠城戦になって必死に守ります。幽斎は朝廷の後ろ盾を使おうと、古今伝授の続きがあるため田辺城への攻撃をやめろという勅命を出してもらおうとしますが・・・

そしてさらに、幽斎にはもうひとつの切り札が。秀吉が生前に「人生最大の汚点」と三成に語っていた、幽斎に渡したというある連判状。その内容とは・・・

史実どおりにいきますと、関ケ原の合戦で家康の東軍が勝ち、江戸に幕府が開かれますが、さて細川家と前田家の運命はといったところですが、細川家は肥後熊本54万国の藩主となり、前田家は加賀100万石の大大名に。

まあそれはいいとしても、ある歴史研究家が「当時の日本が会社としたら家康は代表取締役会長で三成はせいぜい秘書室長、社内の勢力争いははじめから勝負はついていた」と例えていまして、御存知の通り後世の三成の評価はさんざんなものですが、この小説では秀吉が晩節を汚した愚行でお馴染み朝鮮への出兵の真意や徳川家康を敵に回して西軍の大将にならざるを得なかった事情などが説明されていて、なんだか三成が可哀想に思えてしまいました。

文中にありましたが、じつは過去から現在にかけて天皇家が政治の実権を握っていた時期というのは意外と短く、鎌倉幕府の武家政権誕生以降はむしろ苦しい生活だったほど。天皇家や公家の存在意義とはもはや「歴史と伝統」のみ。そこで古今伝授を継承することによって存在意義を守ろうとしていたのですね。大陸では王朝がたびたび変わりますが、日本では大和朝廷ができてから王朝じたいは滅んでいません。ときの権力者は天皇家を「利用」することによって政治の実権を握ります。戦国時代に入って「天下布武」をスローガンに天皇も仏教もすべて邪魔だ敵だと出てきたのが織田信長。つまり大陸のように王朝を滅ぼして自分が次の帝(みかど)になろうとしたのでしょう。しかし天皇崇拝といいますか天皇家は日本そのものという考えはおそらく武士の中で信長以外の全員がそう思っていたわけでして、なんとかしてあいつの暴走をストップさせないと・・・というのがこの物語のキーとなっています。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする