晴乗雨読な休日

休日の趣味レベルで晴れの日は自転車に乗ってお出かけ。雨の日は家で読書。

東野圭吾 『さまよう刃』

2010-02-25 | 日本人作家 は
江戸川乱歩賞を受賞し、その後数々のヒット作を世に送り出し、
映画化やドラマ化もされる、そんな東野圭吾という作家、いわゆる
「ハズレのない」稀有な作家の一人であることは既知ですが、一般
的に、乱歩賞の受賞者といえば、華々しいデビューといってもよく、
「新人でありながら実力あり」のお墨付きをいただいているような
もの。プロ野球でいうなら、ドラフトの目玉で1位指名。しかし、
同じようなスタートをした作家は数多くいても、全員が全員、東野
圭吾のようになれるわけではありません。

そこらへんの違いは、テーマであったり筆力であったり、あるいは
乱暴な解釈を許してもらえるならば「時代、タイミング」でしょうか。

『さまよう刃』は、一人娘を陵辱されたうえ殺された父親が、なぞの
匿名電話により二人組の犯人を教えてもらい、まず一人を殺し、残る
主犯格のひとりを追います。
警察は、犯人の目星がついた矢先の、被害者遺族による加害者を殺害
という、なんともやりきれない事件を扱うことに。
しかし、警察が父親宅に向かったときには、すでに不在で、しかも
家にあるはずの猟銃がありません。
彼らは未成年で、指名手配はできず、仮に逮捕できたとしても軽罪で
出所してしまう、この国の法律を、父親は嘆きます。
当然マスコミも黙って見ているはずもなく、世間ではこの父親の罪を、
そして復讐は正義かを問います。
やがて父親は、残る犯人を探しに長野までたどり着き、憎き男を追う
のですが・・・

復讐心に燃える父親、たとえ殺人者に成り果てたとはいえ彼らをかばう
親、二人目の殺害をさせまいと懸命に追う警察、そしてこの事件を面白
がるマスコミ。

正義とはなにか、ほんとうに裁く権利のあるのは誰か、というテーマを
扱うときに、その物語のオチというか、どうやって話の「オトシマエ」を
つけるのか(ガラ悪い表現ですみません)が、その作品の価値となるの
ですが、ここで大事なことは、以前、某文学賞の選考委員だった宮部
みゆきさんの「作家が神になってはいけない」という表現。
これが正義だと断定して、踏み込んではいけない領域に登場人物を踏み
込ませてはいけないのです。

単純に勧善懲悪であれば、ラストに犯人を銃でぶっ放して、ああスッキリ
した、となるのですけど、だからといって「私はこういう結論にしました」
的な締めくくりというのもなんとも寂しいというか。
『さまよう刃』では、ラストに、こういう結論にしたという話のあとに
さらにもうひとつの問題提起があります。
ここが面白い作品とそうでないものとの境目ですね。

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フレデリック・フォーサイス 『イコン』

2010-02-23 | 海外作家 ハ
イコンとは、キリスト教における神や聖人などの絵画や像を意味し、
「崇拝」「崇敬」の対象となるものを指します。
しかし、大昔のキリスト教(ユダヤ教も)は、現在のイスラムと同じ
く、形象化した偶像崇拝を禁止しており、その後の宗教会議にて、
「恋人を描いた絵は恋人そのものではなく、それを見て恋人を大
切に思うためのもの。よって神や聖人の形象はその存在を想い起
こすためにある」という、まあこじつけのような主張ですが、それが
ヨーロッパの美術発展に寄与したことを考えれば、こういった柔軟性
もまた尊いと思われます。

この小説での『イコン』とは、ソビエトの共産主義体制が崩壊し、民主
主義そして資本主義が流入してきたことで市民に自由がもたらされた
までは良かったものの、功罪として貧富の格差、超インフレに歯止めが
きかず、マフィアは暗躍、政治家は腐敗し、もう一度この国には、帝政
ロシア時代のツァー(君主権力・皇帝)、あるいはレーニンやスターリン
といった強力な指導者といった崇拝、崇敬の対象のこと。

ロシアでは社会主義連邦が無くなり、共和国が誕生。しだいに政治は
議会から大統領権限へと移り強化され、共産保守派クーデターを倒した
エリツィン時代にはより権力を持つことになります。しかし国民はイデオ
ロギーよりも、明日の平和や今日のパンを欲します。つまり治安や経済の
悪化で資本主義や民主主義に失望していたのです。
そこで台頭してきたのが、コマロフ率いる「愛国勢力同盟」。
美辞麗句を並べたて、母なるロシアの荒廃を嘆き、ふたたび世界に冠たる
国家を目指そうと、国民の支持を集めるようになります。
夏のある日、退役軍人の掃除夫が、愛国勢力同盟の本部の掃除をしてい
ると、コマロフの秘書の部屋の机の上に、黒い手帳が置いてあるのに気づ
きます。何気なくその手帳を見てみると、そこには信じられないような
悪魔の所業が書かれてあり、掃除夫は、その手帳を持ち出してしまいます。

掃除夫は、イギリス大使館の中から出てきた車のあとを追って、その車の
運転手に渡します。
この手帳には、もし愛国勢力同盟がロシアの政治権力を握ることになれば、
ユダヤ人やグルジア人、チェチェン人を殲滅させ、軍のさならる強化、そして
現在ロシアに暗躍するマフィアで、愛国勢力同盟の資金源となっている団体
のみを残し、残る団体を壊滅させる、といった、ナチス顔負けの計画が書か
れていたのです。

手帳を無くした秘書はコマロフの怒りを買い、そして盗んだ掃除夫ともども
死体となって発見されます。
手帳はイギリス大使館からイギリス本国へと運ばれ、諜報部門に渡ります。
その情報はアメリカCIAにも伝わりますが、この狂った計画を政府は止め
ようとしません。そして、この話は元イギリスSIS(情報局秘密情報部)
長官のアーヴィン卿の耳に入り、なんとかして愛国勢力同盟を次の選挙で
負けさせようと画策します。
そこで、白羽の矢が立ったのが、かつてCIAの腕利きスパイで、上司の
裏切り工作によって退職し、現在はカリブ海でクルージングのガイドを
やっている、ジェイスン・モンクであった・・・

物語は、きたる2000年のロシア大統領選挙の半年前、黒い手帳が
盗まれるところからはじまり、そして交差するように、1980年代の
冷戦下、アメリカCIA対ソビエトKGBの諜報合戦でのモンクの活躍、
どのようにして彼がCIAを去らねばならなかったのかが描かれ、そして
モンクはアーヴィン卿に頼まれてふたたびロシアの地を踏むのです。

ジェイスン・モンクというスパイ時代の活躍を描く小説と、ロシアでの
彼のコマロフ失脚工作と、まるで2作の作品を読んだよう。

この作品を最後に、フレデリック・フォーサイスは断筆宣言をしました。
21世紀に入り、自由主義陣営の脅威は、共産主義からテロへと移り、
9月11日の悲劇そしてアフガン、イラクの泥沼戦争となります。
ふたたびフォーサイスは筆を取ることになります。黙って現況を看過でき
なかったのでしょう。
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夏目漱石 『行人』

2010-02-20 | 日本人作家 な
『行人』は、漱石の中期の作品で、この頃の漱石は、所属していた
朝日新聞社を辞め、死のふちをさまようほどの大病を患い、それら
が起因しているかどうか、小説の登場人物の心の葛藤がハンパで
はなく、『行人』の前に書かれた「彼岸過迄」では、なかなか結婚
に踏み切れない男を描き、後に書かれた「こころ」では、恋に悩み
自殺した親友を晩年まで思い苦しむ男が描かれます。

『行人』の前後に書かれた作品との特徴というか共通点があり、
まず物語の軸となる登場人物は、語り手による説明あるいは手紙
といったフィルターを通して描かれます。
「こころ」では、先生は長い手紙で自分の過去を明かすのですが、
これがあとがきによると、原稿用紙200枚は用いたほどの長さ
で、『行人』もラストに手紙があるのですが、ことらも負けじと
原稿用紙100枚ほどの量になるそうです。

物語は、学問のみを心の拠り所とし、妻とはうまく接すること
ができず、弟や両親からまでも扱いにくいとされている一郎が、
妻は弟とはこころ安く会話をするのを浮気と思い込み、なんと
妻と弟とふたりで旅行に行ってくれと頼むのです。
結果、何もなく、また妻のほうも一郎と接する術を模索して、
自分を責めていたのです。
しかしそれを知ったところで一郎はますます殻に閉じこもり、
ついには神や前世といった分野に傾倒しだし・・・

いよいよ心配になった弟は兄と交流のあるHに兄を旅行に誘って
もらいます。なんとか旅行に行った兄の様子を、何か変わったこと
でもあれば報告してくれとHに頼みます。
そして、送られてきたのが、原稿用紙100枚量の長い手紙という
わけです。

物語の主軸を語り手によって描くという手法は、エミリー・ブロンテ
の「嵐が丘」で、都会に疲れて田舎に来た青年が、「嵐が丘」と呼
ばれる館で起こった愛憎物語を聞く、という構成に近く、漱石文学
の特徴としては、人物描写を重要なファクターとする考えはイギリス
の作家チャールズ・ディケンズの作品に影響されたとする意見もあり
ますが、「彼岸過迄」から『行人』そして「こころ」へと続く一連の
作風(「彼岸過迄」の前の「虞美人草」も入れてもいい)はブロンテ
に影響されたと考えると、興味深いですね。

「死ぬか、気が狂うか、宗教に頼るか」、ここまで苦悩する一郎。
漱石自身の当時の心の叫びを一郎に投影していたのでしょう。
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角田光代 『空中庭園』

2010-02-16 | 日本人作家 か
『空中庭園』は、著者の直木賞受賞作「対岸の彼女」より前に出された
作品で、帯にはその原点となったとあるのですが、微妙な均衡を保ち
つつもなんとか繋ぎとめられている家族の描き方は、村山由佳の「星々
の舟」に近いのではないでしょうか。

東京から近くもなく遠くもない都市にあるマンションを「ダンチ」と呼ぶ
女子高生マナ。両親は若くして結婚、弟とダンチで4人暮らし。
そんなマナは、両親から、地元にあるダサい名前のラブホテルで自分が
仕込まれたと知ります。
そして彼氏とその自分のルーツともいえるラブホテルへ向かいます。

そんな話からはじまり、弟の話、母の話、父の話、父の愛人の話、さらに
母方の祖母の話と短編で構成されて、いちおうこの家族とその関係者が
主役となるので、それぞれの編はリンクしているのですが、内に秘めた
お互い言えないことが、薄皮を一枚ずつ剥がしていくように分かっていく
のが覗き見趣味でいえば面白く、感情移入すれば怖くもあります。

家族間では、いっさい秘密を持たないというルールがあるのですが、
逆にそのルールを隠れ蓑にして、「これを言っちゃおしまいよ」という
秘密をみんな抱えているのです。

どうしても看過できないのですが、この家族の弟は中学生で、クラスで無視
されています。このような中学生を軸にした小説には、必ずといっていいほど
いじめ問題が取り上げられます。
もっとも、現実世界ではあって当然で、むしろ描かないほうが不自然だと
する考えもあるのでしょうが、これは中学時代独特の悩みというわけではなく、
結局は大人の世界をそのままミニチュアにしただけです。
石田衣良の「フォーティーン」という、それこそ14歳の男子中学生の4人
が主役(4人の10代でフォー・ティーン)の素晴らしい作品があるのですが、
これにはいじめのシーンは描かれておりません。
もっともこの作品は東京の下町版「スタンド・バイ・ミー」的な作品ですので
学校でのリアルな日常はあまり登場しないのですが、中学生を描く場合の
アプローチの仕方が、そこには大人にはない世界があるんだ、という視点
なのです。

そう考えると、弟の章が、もっとほかの悩みを持つテーマであったらなあと、
ちょっと残念。

家族のそれぞれが、もし自分が違う人生を送っていたならばと夢想するの
ですが、切ない。鏡やガラスに映った自分を眺めて、異邦人を感じます。

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スコット・トゥロー 『立証責任』

2010-02-13 | 海外作家 タ
スコット・トゥローとは、アメリカの現役弁護士にして作家、デビュー作
「推定無罪」の大ヒットさらに映画化によって、その後、弁護士の肩書き
を持ちながらの作家が多く出現することになる立役者となったわけで
すが、訳者あとがきによると、弁護士兼作家のもうひとりの代表格の
ジョン・グリシャムは、デビュー作「評決のとき」は「推定無罪」の出版
の数ヶ月前に出版社に原稿を送っているので、トゥローに影響された
わけではない、というような意味の言葉を「誓って」だの「宣誓しても」
といった、ややムキになって否定しているところが面白いのですが、
それにつけても裁判が日常当たり前に存在しているアメリカにとって、
法廷にはドラマチックな、小説のヒントとなるような話題がごろごろ転
がっているのでしょう。

アメリカの中西部、架空の地域キンドル郡に住む弁護士アレハンドロ・
スターンは、シカゴからの帰り、家に着くと、そこには30年連れ添った
妻のクララの死体が。
状況から自殺と思われ、救急車と警察、それにスターンの子供たち、
医者の長男ピーター、ニューヨークに住む弁護士の長女ステラ、キンドル
郡郊外に住む次女ケイトを呼びます。

ピーターは母の遺体の解剖を拒み、遺書も見つかったことで、そのまま
自殺として処理されます。その遺書は、メモに走り書きで「わたしを許し
てくださる?」とひと言だけ。
スターンは結婚生活で、ちゃんと愛を注いできたつもりでしたが、思い
がけない妻の答えの出し方に打ちのめされます。
そんな中、悲しみにくれる家族に突然の訪問者が。それはFBI特別
捜査官で、スターンの妹の夫、義弟であるディクソンの会社に対する
違法取引の大陪審への召喚令状だったのです。

スターンとディクソンは軍隊時代に知り合い、除隊後にディクソンは
スターンの妹と結婚します。ディクソンはその後商品先物取引の会社
を立ち上げ、いまや大金持ち。しかし強引なやり口で周りには敵も
多く、スターンの家族もあまり好感は持っていません。
ディクソンはなんとか信頼されるべく、スターンを会社の顧問弁護士
にしたり、ピーターを主治医にしたり、ケイトの夫ジョンを会社に
入れたりします。

連邦検察から、関係書類の提出を命じられるスターンですが、どんな
違法な取引があったのか検察から教えてもらえず、ディクソンに聞いても
知らんの一点張り。つまりどんな罪状かも分からずに召喚されること
となり、スターンは会社内に情報リーク者がいると訝ります。

そんな状況ですが、妻クララの遺産の話となり、そこで、生前クララが
現金85万ドルを引き落としていたことが分かります。その使途は不明。
やがて、ディクソンの会社の悪巧みがだんだんと分かってきて、そこに
どうやら娘ケイトの夫ジョンが絡んでいるらしく・・・

スターンはディクソンを救えるのか。そもそも彼の犯した罪とは。
妻の自殺の原因とは。生前に手にした大金は何のためだったのか。

男やもめとなったスターンは、それまで意識していなかった周りの女性
を考えるようになり、そして、ちょっとしたモテ期に突入します。
最終的にディクソンの不正が明らかになり、そしてその情報提供者も
意外な人物だったということも分かり、さらに妻の死の原因もスターン
の知るところとなるのですが、あまりに複雑。ちょっと集中して読まない
と話についていけなくなります。

仮に人物相関図を作るとしたら、その矢印や関係線はこんがらがって
しまうことでしょう。それくらい複雑。

登場人物の心の機微がじつに深く描かれています。スターンはユダヤ系
アルゼンチン人で、子どものころに家族とアメリカに渡り、そこから
苦労して弁護士の地位を手に入れます。しかし、彼の心には大きな穴が
あいているようで、妻を失い、子どもたちとの関係も難しく、さらに
義弟はトラブルメーカー。

「立証責任」というのは、通常裁判における検察側の仕事なのですが、
この物語における「立証責任」とは、スターンが証明しなければならない
数々の問題にたいして、最終的にスターンに責任の所在があるのか、
を問うものです。
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夏目漱石 『彼岸過迄』

2010-02-09 | 日本人作家 な
『彼岸過迄』というタイトルは、物語とは関係がなく、大病を患い、
朝日新聞社を辞し、さらに身内の不幸と、辛い状況にあったときに
元日から書き始めて、彼岸のあたりまでに書き上げる予定、これが
タイトルになったのですが、意気込みとして、個々の短編を相合せて
長編に構成されるように仕組む、というもの。

敬太郎という、これといって職もなくブラブラしているような男
がいて、同じ下宿先の森本という男に興味を持ちます。
彼の話す過去はどうも眉唾ものというか、実際、今は新橋の駅で
働いているという情報もちょっと疑わしいくらい。
そんな森本が、家賃滞納のまま中国に渡ってしまうのです。
そして、彼の残していった、持ち手が蛇の奇妙なステッキを敬太郎
に差し上げるという手紙が届くのでした。

ここから須永という敬太郎の友人の話に移ります。全体的にこの
物語は、須永の周りを描いており、それを敬太郎の視点を介して
語られてゆきます。
敬太郎は須永に、職の斡旋をしてもらおうと須永の叔父にあたる
田口という男に頼みます。
ちょくちょく須永の家に行く敬太郎は、ある日家の前に見たことの
ない女性がいるのを見かけます。その女性は須永の家に入ってゆき、
気まずくなった敬太郎は道をうろうろしていると、二階の窓から
須永に声をかけられます。
家に上がった敬太郎ですが、どうにも先程の女性を聞くことはでき
ません。

さて、田口に会った敬太郎は、なんでもすると請け負い、田口に
探偵のまねごとを頼まれます。
それは、市電のある駅で降りる男を見張って、その行動を報告せよ
よというもの。
現場で男の来るのを見張る敬太郎の前に、田口から聞いていた特徴
の男が市電から降りてきますが、それまで敬太郎と同じく駅の前に
しばらくいた女と待ち合わせていた様子。
一部始終を田口に報告し、この男のもとへ敬太郎を向かわせます。
じつはこの男とは田口と須永の親戚で、松本といい、資産があり
働いていない、本人曰く「高等遊民」という存在。
さらに同伴していた女は田口の娘で、いつか須永の家に入っていった
女性だったのです。

須永と田口の娘である千代子は、お互い惹かれているも、須永の
ほうは彼女をどこか恐れていて、煮え切らない態度に千代子は
苛立つも、想いは断ち切れないまま。
須永の母は千代子と息子との結婚を切望しており、しかし須永は
松本に影響されてか、結婚にも人生にも前向きではありません。

このふたりの関係はどうなったか、さらに須永や田口の家庭の事情
などが敬太郎の聞いた話で描かれてゆきます。
都会のいち青年の苦悩を描くという形式ではなく、敬太郎という
ワンクッションを置くことによって、深刻さは感じられません。
本来、物語の主軸となる話を断片として扱うあたりが「吾輩は猫である」
に通ずるものがあります。
序盤の森本の話ですが、最終的には人物そのものはあまり関係がなく
ステッキが「活躍」します。

ちなみに2月9日は漱石の誕生日だそうです。

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ジェフリー・ディーバー 『コフィン・ダンサー』

2010-02-07 | 海外作家 タ
前作「ボーン・コレクター」に続く、脊椎損傷により首から下の
動かない元ニューヨーク市警察科学捜査部長のリンカーン・ライム
と、ライムの指揮で現場で動くアメリア・サックスのコンビが活躍
するミステリー。
「ボーン・コレクター」では、立て続けにニューヨークで起こる凄惨な
殺人事件を、ライムの神がかり的な鑑識眼と推理力で犯人を追うの
ですが、『コフィン・ダンサー』は、相手はプロの殺し屋、その名も
「コフィン・ダンサー」と呼ばれる、棺桶と踊る女性の刺青を腕に持つ
名うての暗殺請負人で、まさに神出鬼没、正体不明で依頼は完璧に
遂行するすご腕。

話は、小さな民間航空会社のシカゴ行きの飛行機が上空で爆破し、
副社長で航空会社副社長のエドワードが爆死。その妻で社長の
パーシーともう一人の社員は、この航空会社がある武器密売業者
を乗せたときに密売業者にとって都合の悪い何かを目撃されたこと
で、この航空会社の飛行機を時限爆弾で爆発させ、さらに生き残った
ふたりも暗殺のターゲットとなってしまったのです。

そして、業者が依頼した暗殺者は、ニューヨーク市警ならびにFBIが
前から追っていた「コフィン・ダンサー」であることが分かり、ふたたび
監察のスペシャリストであるライムに協力を要請し・・・

検察側は、このふたりを証人として、武器密売業者を陪審にかける
ために保護しようとしますが、ダンサーの恐ろしさをよく知る市警
とライムは拒否し、自分たちの知っている「隠れ家」にふたりを匿い
ます。
しかし、その隠れ家もダンサーにばれてしまい、ライムの読みは後手
後手にまわってしまいます。
はたしてダンサーとライムの駆け引き、頭脳戦はどちらが勝利を
手にするのか・・・

ダンサーとは一体何者なのか。途中、盗聴でライムの存在を知るダン
サーは、自分と肩を並べるほどの頭の回転に驚き、なんとかライムの
居場所を知ろうとしているときに、捕まりそうになるのですが、ある
浮浪者と手を組み、地下に逃げ込みます。
なぜかダンサーは、この浮浪者に心を許し、自分の過去を話します。

現場を動き回るサックスとは、恋愛関係に発展しそうになるも、保護
されている航空会社社長のパーシーとライムの仲に嫉妬します。
それが現場とライムの指揮の歯車が狂って、何度かサックスは危ない
目に合います。

ライムのかつての恋人であり妻の話も出てきて、手に汗握るアクション
ミステリーの合間に人間ドラマも垣間見え、物語の幅が拡がります。

そして、なんだかんだあって、とうとうダンサーを捕まえたかと思いきや
、それはダンサーではなく、ふたたび証人とサックスは殺し屋の恐怖に
脅えることになってしまうのですが、この仕掛け、久しぶりに「えっ!?」
と、思わず声を出してしまったほど、ビックリしてしまいました。

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奥田秀朗 『ガール』

2010-02-05 | 日本人作家 あ
フランスのシモーヌ・ド・ボーヴォワールという女性が「女の人が
男の人と同じことをやったところで、それは真の意味での男女
平等ではない」という言葉を残したのですが、昨今の「草食系」
だの「肉食系」だのといったブームは、男女雇用均等法ができて
20年以上経ち、しかし未だに社会では女性の地位向上は男性と
同等には遠く及ばず、男性と同じレベルの仕事をしたとしても
「女にしてはよくやった」、ミスをすれば「女だから」、そして
賢い女性はたとえ大手企業総合職に入ったとしても、20代の
うちに寿退社なので、結局世の中は変わっておらず、そうして
かつて全否定されていた男性の「おれについて来い」風な価値観
が見直されてきたのでしょう。

じゃあだからといって、世間の草食系を忌み嫌う女性は「女らしい」
かというとそうでもなく、男性ばかりに強くなれと要求しても、
それはフェアではありません。

まあ、しょせんはブームなので、もう5年もすれば、またマッチョな
男性の価値観は否定されるんでしょうけど。

『ガール』は、30代OLたちの、孤軍奮闘あるいは社内の身の置き方
などを描いた短編集。
役職につくも、部下の扱いと態度に悩む女性社員の話、独身ながら
マンション購入を考える女性社員の話、ガールでい続けるのは現実的に
つらくなってきた女性社員の話、子育てを言い訳にしたくなくても
つい家庭の問題を仕事に持ち込んでしまう女性社員の話、新人研修
で好男子の指導につくも周りの若いOLの好奇からなぜか嫉妬して
しまう女性社員の話。

男性作家の描く「女性」は、ちょいちょい理想が入りがちですが、
『ガール』に登場する女性の描き方は、まあおよそ男性の求める
理想像とは違う、現実的で、しかもその現実をただ毒々しく描く
のではなく、皮肉的に、ユーモアも交えて、みんな愛すべきキャラ
クターとなっています。

ただ、ひとつ気になったことが、すべての話に出てくる30代OLが、
人物描写から推察するに、おしなべて容姿は良いということ。
話の中で独身の人物は「その気になればいつだって結婚できるん
だから」といった雰囲気が感じられます。

報道などで「美人OL殺人」とか「美人プロゴルファー」というふうに
なぜか容姿がタイトルに乗っかるのですが、これは男性上位な世界の
女性の捉え方なのでしょうね。
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夏目漱石 『虞美人草』

2010-02-04 | 日本人作家 な
これまで漱石の作品をいくつか読み、うしろの解説も読むことが
楽しみなのですが、漱石は、明治時代当時の文壇では孤立とい
うか、批判されている向きもあったのです。
当時は、散文形式を取ったいわゆる「自然主義文学」が主流で、
坪内逍遥が、それまでの勧善懲悪といったような物語構成を否定
し、またこの時代の自然主義作家は、漱石の作品に登場する人物
を「概念的」とこき下ろしています。

人物描写を、最後まで性格の変わらない一貫性を「概念的」だと
する思考は、漱石のような、人物描写を重要なファクターとして
物語を構成させてゆく作品は、低いフェーズ(段階)とみなして
いたのでしょうが、武士政権の終焉とともに新しい文明が開化し、
それまでの文学を踏襲せず、一旦破壊し、創造し直す作業はある
意味時代の流れだったのかも知れません。

しかし、それまでの文学は、完全には熟しきっていなかったので、
自然淘汰はされなかったのでしょう。つまり、スムーズなバトン
タッチが行われなかったようなもので、結局、戦後に物語文学に
主役の座を明け渡してしまう自然主義文学もまた実が熟しきれず
に落ちてしまうことになります。

漱石が自然主義文学の趨勢に抗い、物語を書いたことに、確固たる
信念があったかどうかは定かではありませんが、当時の文壇を推測
するに、世の中をリードしている花形職業意識、ちょうど1980年代
の「ギョーカイ人」のような鼻持ちならなさがあったように思えて、
そうした一般読者を見下して物を書く立場から一線を画すのはまさに
『石に漱(くちすす)ぎ流れに枕す』のペンネームが体を表している
ようです。

『虞美人草』は、大学を卒業するときに天皇から銀時計を賜るほどの
秀才である小野が、美しくもやや傲慢な気質の藤尾と、恩師の愛娘の
小夜子の二人の女性を天秤にかけます。
東京での生活も慣れ、学術界での出世意欲のある小野は、恩師の娘と
の結婚に二の足を踏みます。そして藤尾との結婚に意思を固めようと
しますが、恩師からは裏切り者の謗りを受け・・・

軟着陸を試みようとするも、優しさゆえに他人を傷付けてしまうこと
もあり、非常な決断を迫られます。立ち位置が定まらないと、どち
らを向いているのか判りません。
小野は、我が理不尽なのか、自分の周囲が理不尽なのか悩みます。

物語の解釈として、不誠実な態度を取っていた小野が原因で、ある
悲劇が起こるのですが、小野を悪者にせず、悪いのは悲劇の側だと
するのは、理不尽の方向性に固執してしまったように思えます。
ただしそれが、登場人物の変わらない性格がゆえに起こさざるをえな
かった悲劇かというとそうではなく、登場人物が俗世から解脱していな
いからこそそこには悲劇があるのです。
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黒武洋 『そして粛清の扉を』

2010-02-02 | 日本人作家 か
この作品は、第1回ホラーサスペンス大賞受賞作で、その募集基準は
「ホラー性、サスペンス性に富んだ」ということで、必ずしも「リング」
のような純粋ホラーでなくてもよいのでしょう。
確かに、『そして粛清の扉を』は、ホラーという観点ではある意味グロ
テスクだったりスリラー(恐怖)はあるのですが、どうしても先入観で
「得体の知れない人間じゃない存在の恐怖」がホラーというのがあって、
こちらの作品は、人間対人間。

どうしようもなく荒廃した高校。女性教師の近藤亜矢子の受け持つ
クラスはこの高校の中でも特にひどい生徒の寄せ集め。
卒業式を間近に控え、亜矢子は教壇に立つのですが、いつもと様子が
違います。そして「あなたがたは人質」と告げるのです。
ふざけるなと詰め寄る、いきがった生徒を亜矢子はナイフで刺し殺し、
冗談ではないことを証明します。
おもむろに教壇に出したのは、ノートパソコンと拳銃。

ここから次々と生徒たちの悪行を明るみにしていき、その生徒を殺して
ゆくのです。死んだ生徒は窓の外から放り出され、異変を感じ教室に
入った他の教師も亜矢子に殺されます。

学校側は警察を呼びますが、教室の外廊下にはカメラが仕掛けられて
おり、近づくことは困難。しかし一人の警官が女生徒一人と交換人質
となり、女生徒は逃れ、警官は撃たれてしまい・・・

そんな中にあっても、不良グループのリーダー格の2人と、父親が
暴力団組長の女生徒1人は、冷静に行く末を見て・・・

身代金を保護者に出させる亜矢子。そのうち、すでに殺された子供の
両親は、悲観にくれる中、どこか安堵ともとれる雰囲気。
子供が手におえなくなってしまった責任と後悔から開放されたかのよう。

とにかく片っ端から、教室の生徒たちの悪行をつまびらかにし、そして
殺してゆきます。普段はおとなしい亜矢子が、武器を使いこなせたり、
肉弾戦でも素人とは思えぬほどの身のこなし。どこかで訓練をしたと
思われるのですが、その謎はラストで明らかにされます。
しかし、この説明がほんのちょっと。どうやって出会い、どうして
亜矢子に共感し、協力することになったのかをもうちょっと描写して
くれるには、選考委員の桐野夏生さんの書評にもあるように「原稿
用紙800枚は必要」つまり書き込みが不十分ということですね。

宇宙怪獣が建物を壊すのを人間は許せないと思いますが、ウルトラマンも
建物を壊します。正義の側は何をしても正義なのでしょうか。

コメント
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