晴乗雨読な休日

休日の趣味レベルで晴れの日は自転車に乗ってお出かけ。雨の日は家で読書。

夏目漱石 『道草』

2010-03-14 | 日本人作家 な
『道草』は、夏目漱石の自伝的小説ということで、晩年の漱石が
神経衰弱あるいは慢性的に胃痛に悩まされていたのがよく分か
るくらい、日常生活の厄介ごとが多かったと思われます。
まず、こちらは実際の話として、漱石こと金之助少年は4歳のとき
に養子に出されて、その後養父の家出や離婚などで実家に戻され
ます。その後、文学界でスターダムを確立するや、かつての養父
からの金の無心がはじまります。
というのも、籍を戻す際に、それまでの養育費を養父に支払うと
同時に、何かあったときには助けてくれ的な一札も入れてしまい、
義理堅い漱石は養父に金をせびられることになるのです。

主人公の健三は、海外留学から戻り、大学の講師の職につきます。
講師のかたわら、自宅で健三は執筆作業に勤しむのですが、ある日
町中でなつかしい顔を見かけます。
それは、かつて少年時代に養子に出された先の養父であった島田。
しかし、養父は愛人をこさえて家出し、健三は実家に復籍して以来
交流がなく、今ごろ自分の前に現れたことを訝ります。
案の定というか、島田は健三宅に来て、爪に火をともすような貧窮
生活を語り、健三に金を貸してくれと言います。
しかし健三は、姉夫婦や兄にも毎月金を送り、さらに妻の父、健三
にとって義父からも金の相談があるのです。
肉親や妻の家族に金の工面はいいのですが、島田とは縁遠くなって
久しかったのですが、いくらか包んで島田に帰ってもらいます。
しかし再びやって来て、今度はある紙を買ってくれと言ってきます。
それは、籍を戻す際に、実家から島田に「将来困ったときには不実
のないように」という証文で、それを突きつけてきて・・・

金銭問題に苦しむ健三。そんなに高給取りというわけでもないのに
毎月生活費に苦しみます。家庭では、妻との価値観や性格の不一致
にも悩みます。妻は夫に冷たく、だらしなく、狡猾というふうに
健三は思って、一方妻のほうは夫の理屈っぽく常に自分を小ばかに
する態度に辟易しています。
たまにある妻の発作のときには健三はかいがいしく付き添い世話を
するのですが、それ以外はお互い見つめ合うことはありません。

ただ、文中の健三は、おいおいそれは女性、ましてや妻に対する
言動じゃないだろ、、そりゃ家庭不和にもなるわな、という感じ
で、妻の非よりも健三の悪い部分を強く描いています。

というのも、『道草』の前に書かれた「こころ」「行人」、さらに
「彼岸過迄」「虞美人草」での登場人物の苦悩は、そんなに深く
醜く描かれてはいないのですが、『道草』の健三は、これでもかと
人間の心に潜む卑しい部分を抉り出していています。

このような「苦悩、嘆きのスパイラル」を描くのは、それでもどこか
に救いや光明が見出せなければ作品として“しまらない”のですが、
例えばフランスの作家、モーパッサンの「女の一生」という作品があり、
一筋の希望や救いはこのように書くのだよ、という手本があります。
『道草』での光明は、ラストの妻の台詞と生まれたばかりの赤ん坊に
接吻するところにあるのでは、と思いました。



コメント
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