晴乗雨読な休日

休日の趣味レベルで晴れの日は自転車に乗ってお出かけ。雨の日は家で読書。

浅田次郎 『きんぴか』

2011-04-28 | 日本人作家 あ
浅田次郎といえば、時代もの、あるいはファンタジックな
感動ものとありますが、いままで読んだなかで、この「きん
ぴか」はバツグンに強烈に面白かったです。

何がそんなにバツグンに強烈な面白さかというと、まず文体
が自由きまま。だからといって文法や物語の構成までもメチャ
クチャ、というわけではなく、そこはさすが稀代のストーリー
テラーといいましょうか、快適な読みやすさ。

物語の軸となるのは、経歴の異なる3人の”悪党”が、定年
した刑事によって集められて、ちょっとした「世直し」をする
といったもの。

天然記念物モノの昔気質のヤクザ、坂口健太、通称”ピスケン”
(ピストルのケンタ)は、ライバルの組の組長と愛人をメッタ
撃ちにしたあげくダイナマイトで爆破し、しめて懲役13年の
実刑をくらい、はれて(お勤め)を終えます。

ピスケンは、塀の外には当然、組の者が列をなしてお出迎えと
想像していたのですが、一歩外へ出るとそこには組の者はおろか
誰もいません。
そのかわりに、かつて世話になった向井という老刑事が立ってい
たのです。なんとこの老刑事がピスケンの身元引受人になってく
れていて、向井から衝撃的な話を聞かされてピスケンは愕然。

ピスケンの所属する天政連合系の金丸組はそれまでどん底の貧乏
でダメダメな組だったのですが、彼がライバルの組を潰したこと
で組長は天政連合内ツートップのひとりにまでのし上がり、立場
が好転したことによって、ピスケンの弟分は会社を立ち上げ業績
(シノギ)は好調、もはや彼は用無しの存在だったのです。

もう一人、自衛隊員、大河原勲一等陸曹は、これもまた天然記念物
かというくらいのゴリゴリの愛国者で、ときは湾岸戦争、政府は
自衛隊の中東地域への派遣をするかどうかで揉めていて、大河原は
これに断固反対、なんと上官の部屋に立てこもり、総理大臣宛ての
意見書を渡すように言い、こめかみに銃をあてて発射。しかし運が
良かったというか不運というか、銃弾は被っていたヘルメットと頭
部の”隙き間”をグルッと回っただけで一命はとりとめたのです。

そして残る一人、元大蔵省のキャリア、広橋秀彦は、大蔵省事務次官
の義父と次期総理大臣候補の議員に呼ばれて、収賄の罪をひとりでか
ぶってくれと頼まれます。しかし家庭を持つ身、そんなことはできな
いとはじめは断わるのですが、玄関先にネコの死体が置かれていたり、
家族の身の安全を脅かすような電話がかかってきたりして、すっかり
まいってしまった広橋はウソの自白で義父と議員を守ることに。

この3人が、向井の誘いで銀座のど真ん中にあるビルに集められて、
ここを根城に、まずは彼らを陥れたヤツに復讐を、それに附随する
世の中の悪をこらしめていくのですが、これが痛快、笑えてそして
ちょっぴり泣けて、ページをめくる手が止まりません。

3人の”悪党”と先述しましたが、彼らは義を曲げずに信念を通した
結果、負けてしまったのであって、真の悪は逆に、彼らの人生を
破滅に追い込んでもなお自分の立場メンツを守ろうとする側なのです。

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レイ・ブラッドベリ 『黒いカーニバル』

2011-04-25 | 海外作家 ハ
だいぶ前にブラッドベリの「火星年代記」を読み、
しょうじきSFというジャンルはあまり好き好んで
読むタイプではなかったのですが、こりゃバツグン
に面白いぞ、と思ったものであります(確かに「
火星年代記」はSFの記念碑的作品と評されていま
すね)。

この『黒いカーニバル』というのは短編が収録されて
いて、デビュー作の短編集からと、あとは未収録の
作品をいくつかをまとめた構成となっていています。

移動遊園地が来てから、この小さな町に見かけない子ども
の泥棒が家々のお金を盗みまわっていて、それがどうやら
“あの遊園地”の観覧車が怪しいと目をつけたピーターと
ハンクというふたりの少年は、夜中に忍び込んで、とうとう
その「カラクリ」を見つける・・・これは表題作の『黒い
観覧車』ですが、他にも、子どものころに好きだった戦争
ごっこを大人になってもまだその感覚で、ホンモノの戦争
で戦地に趣き、実弾飛び交う中、戦争ごっこのつもりで
ばったばったと敵を撃ってゆく、「バーン!お前は死んだ!」
という作品だったり、他にもSFの枠にとらわれない、
これはホラー?これはファンタジー?サスペンス?などなど
のラインナップ。






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垣根涼介 『君たちに明日はない』

2011-04-21 | 日本人作家 か
垣根涼介の作品で初めて読んだ「ワイルド・ソウル」に衝撃を
受けて、つぎにデビュー作「午前三時のルースター」に驚きを
おぼえ、そして順番はバラバラですが、この『君たちに明日は
ない』を読み終わり、やはりこの作家は面白いと確信そして感心。

規模こそ小さいながらも確かな実績のリストラ代行会社の村上
真介は、ある建材メーカーのリストラ面接に出向きます。
そこでズバズバと、情け容赦なく「不要」な社員に引導を渡す
べく面接を行うのですが、その中のひとり、課長代理の芹沢
陽子に”興味”を持つのです。

陽子はバツイチ、年齢も41歳と再就職にはなにかと不利。
現在抱えてるプロジェクトを成功させるまで、何としても会社を
去ることを拒否します。

気になるのが、自分は社内のリストラ候補の(どのくらいの位置)
にいるのか、それによっては早期退職の厚遇も受けておいたほう
が得と思い、真介に声をかけると、なぜか陽子は食事に誘われ、
帰りがけにエレベーターの中で無理やりキスされて・・・

真介は、年上の女性と付き合っていた過去があり、若いだけが取り得
の女性よりも年上に惹かれ、陽子にはリストラ面接官と被面接官と
いう関係性がありつつも、どことなく気になる部分があるところに、
自分のリストラの社内順位を知りたいと聞いてきたのです・・・

日本の法律上、従業員に直接解雇はできないので、人事はこういった
リストラ請負の会社にリストを渡し、なんとか「自己退職」という
カタチに運んでいきたいという事情があり、さらには社内派閥を考慮
という部分もあったり。

そんな中、都市銀行のリストラ面接に出向いた真介は、高校の同級生
だった男の名前を見つけて・・・

真介はもともと別の会社にいて、そこで営業職だったのですが、まず
自分が会社に不利益をもたらさない最低限の働きさえすればいいとい
う、あまりマジメではない社員だったのですが、それが現在のリストラ
請負会社の社長の目に止まりスカウトされます。

「自分は往復3時間かけて通勤して自分を犠牲にしてまで会社に貢献
してきたのに!」と訴えるリストラ候補社員。しかし、それはその個人
の事情であって、それが会社の利益とは関係ありません。

会社とは、会社の中の社員という自分とは、仕事とは。リストラという
現代社会の象徴を描きつつも重苦しいわけではなく、シニカルにほどほど
笑えて、かといって言いたい部分はバシッと鋭く。このバランス感覚が
とても読みやすいのですね。

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ジェーン・オースティン 『自負と偏見』

2011-04-18 | 海外作家 ア
この作品の日本語タイトルは翻訳者によって「高慢と偏見」
となったりもするのですが、原題のPride and Prejudice
でいうところの"Pride"をどう捉えるか、によって違ってく
るのでしょう。

というのも、この作品に出てくる登場人物の性格描写は、まあ
明け透けというか、表も裏もしっかりと描かれているので、単純
に善い人悪い人(相関図にして誰にとっての)という区分けが
難しいのです。

これだけひとりひとりの人間を複雑に描くと、そのキャラが
弱くなったりもしますが、そこは揺るがない何かを持たせること
によって確立はさせていますが、しかしその「何か」が誤解や
偏見を生んでしまうことも多々あり、それをどう解きほぐして
いくかのプロセスが楽しいのです。

イギリスの片田舎に、金持ちで独身の紳士が引っ越してくるとい
うニュースが飛び込んできて、村の独身の娘を持つ家々はちょっと
した騒ぎになります。
これは、文豪夏目漱石も絶賛したこの小説の冒頭「独りもので金が
あるといえば、あとはきっと細君をほしがっているにちがいない、
というのが、世間一般のいわば公認真理といってもよい。」(訳者
によってニュアンスの違いはあるでしょうが)で、まあこれがこの
物語のすべてを語ってるといってもいいでしょう。

この村のベネット家、この家には5人の娘がいて、母はぜひとも
長女のジェーンをこの金持ち独身紳士に”あてがおう”と躍起に
なります。

引越し祝いとでもいいますか、ビングリー家でパーティーが催され
ることになり、ベネット家も招かれます。ビングリーはジェーンと
ダンスを踊り、たがいの第一印象は上々。ところが次女のエリザベス
にとっては、このパーティーは最悪。
というのも、ビングリーの親友のダーシーという男が、何かにつけて
文句タラタラ、あげくエリザベスに向かって、ベネット家の娘たち
はみな美人と聞いてたけど、あんたはそれほどでもない」みたいな
ことを言われる始末。

さて、見栄っ張りな母はさっそくビングリーとジェーンを結婚させよ
うとやる気まんまん、一方父親は、娘たちが幸せなら相手が誰だって
別にいいというスタンス。ところが、なかなかビングリーとジェーン
の恋の進展はうまくゆかず、ビングリーの妹はエリザベスを何かと
目の敵にしたり。というのもビングリーの妹はダーシーとくっつきたい
のですが、それには先のパーティーで彼といっしょにいたエリザベスが
邪魔で・・・

ただでさえゴチャゴチャしているところに、コリンズなる牧師が出て
きたり、ダーシーの過去を知るウィカムという男も登場したりして、
さらに複雑に。

ところで、訳者があとがきで指摘しているように、文中で男の登場人物
どうしが話をしているシーンがほぼ無いというのは読み終わったあとに
そういえば、と思いました。というのも、作者は父親が亡くなったあと、
母と姉妹とで暮らしていたそうで、この作品のベースは「女たちだけ」
の会話になっているので、周りにヒントが無かったとのこと。

ぶっちゃけ、2組のカップルがくっつくかどうか、という他愛もない
話といってしまえばそれまでですが、冒頭の一節にあるような”普遍性”
を感じることができます。

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夏目漱石 『それから』

2011-04-10 | 日本人作家 な
この作品は漱石の「三四郎」と「門」のあいだにきて
三部作として有名な作品ですが、それぞれに共通する
登場人物がいるわけではありません。

時代的に「三四郎」の“それから”ということらしく、
まああの三四郎も『それから』の主人公代助のような
モラトリアムになる素質は備えているわけでして、つま
り“それから”の話、ということなのでしょう。

三十歳で父と兄に経済援助をしてもらいながら日がな
遊びほうけている代助のもとに、親友の平岡から手紙
が届きます。
なんでも神戸で仕事を辞めて、ふたたび東京に戻って
くるとのこと。
この平岡の妻三千代は、代助の大学時代の友人の妹で、
代助もこころ惹かれていたものの、平岡も同じ想いと
いうのを知り、自分は身を引いたという過去が。

そんなこんなで平岡と三千代が東京に来ることになり、
代助はそんな甲斐性も無いくせに、彼らの住まいや新し
い仕事先などを探し回ってあげるのです。
三千代への想いが再燃してしまったのか、いやそれとも
たんに平岡に対する友情のしるしなのか、生活に窮する
夫婦に金を工面したりもします。

しかしそうそう世の中うまく代助の都合の良いようには
まわらず、彼に見合いの話が舞い込んできます。よく聞
けばそれは父と兄の事業のためのいわば政略結婚のよう
なものだったのです。

とにかくこの代助という男は、自己弁護、屁理屈のオン
パレードで、かといって本人が何かするというわけでも
なく、何もしてない人が何かやってる人の文句を言った
り否定したり、というのは何も現代社会に出てきた弊害
ではなく、100年前にもいたんだなあ、と。

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フレデリック・フォーサイス 『オデッサ・ファイル』

2011-04-04 | 海外作家 ハ
フォーサイス好きとしては、前々から気になっていた作品
で、まだ読んでないのにフォーサイス好きと言うなんざ10
年早いなどとお叱りを受けそうですが、まあそれはともかく
として、ようやく『オデッサ・ファイル』を読むことに。

タイトルからして、ウクライナにある黒海沿岸の街を想像
していたのですが、冒頭から「本書のタイトルに使われて
いるオデッサ(ODESSA)とは、南ロシアの町でもな
ければ、アメリカ、テキサスの田舎町でもない」と説明が
あり、むむ、と。

これは、元SS隊員の秘密組織のイニシアルをつなげた
造語ということだそうです。
ところでSSとは、第2次大戦の小説や映画ではたびたび
登場する、ナチスドイツ時代の軍隊の一部で、彼らが忌み
嫌われるのは、その“仕事”とは、スラブ系、障害者、
コミュニスト、ナチスを批判する社会階級などを文字通り
「片っ端から」捕まえて“処分”すること。
中でも最大の被害に遭ったのがユダヤ人だったのです。

この物語は、第2次大戦でドイツが敗戦したそのどさくさ
にまぎれてSS幹部たちは逃げおおせて、その後東西ドイツ
分断となり、逃亡先のエジプトや南米からその残党が指揮を
とり、西ドイツの政財界に潜り込み、ふたたび第3帝国樹立
の夢を叶えようとする「オデッサ」と、その組織の実体を
暴こうとし、さらに彼らの計画をストップさせようとする
ルポライター、という話。

ドイツ北部、ハンブルグに住むルポライター、ペーターは、
郊外に住む母の家から自宅に戻ろうとして、知り合いの警官
を見つけます。話を聞くと、ユダヤ人の老人が住まいで自殺
したということで、あまりネタにならないとペーターは思う
のですが、後日、知り合いの警官から連絡が入ります。
その老人が持っていた遺書のようなものがあり、それを警官
はペーターに託すというのです。

さっそくその遺書を読み始めるペーター。そこには、ナチス
ドイツがしでかした、あまりに残酷で恐ろしい出来事が仔細
に書かれていて、自殺した老人は収容所の数少ない生き残り
であり、なんと、その老人がいた収容所長でSS隊員を、
つい先日ハンブルグ市内で見かけたというのです。

しかし、自分にはどうすることもできないと悲観し、その
老人は自ら命を絶った、ということだったのです。

戦後、西ドイツで生まれ、西ドイツで教育を受けてきたペーター
にとって、ナチスの大罪は風化してはならないとは分かって
いても、思い出したくない、できれば触れたくないというの
が本音なのですが、この遺書を読み、ペーターはロシュマンと
いうSSの生き残りを捕まえて裁判にかけると決心します。
さっそく、知り合いの雑誌編集長にこの遺書を掲載してくれ
とお願いするのですが断わられ、警察に戦争犯罪人の捜査や
逮捕の詳しい方法を聞くも、彼らはみな乗り気ではありませ
ん。

そして、調査を続けていくうちに、ペーターはある組織と
コンタクトを取ることに、その組織とは、ユダヤ人で結成
された、ナチスの生き残りを探し出すという活動をしていて、
さっそくウィーンにあるオフィスに向かったペーターは、
そこで「オデッサ」の存在を聞かされ・・・

じっさいに起こった出来事を文中に紛れさせ、その他の創作
部分があたかも“本当なのではないか”と錯覚してしまう、
フォーサイスマジックが発揮されています。
まず、ペーターが老人の自殺現場に出くわすその日は1963
年11月22日。ペーターは運転中、カーラジオでアメリカ
大統領ケネディの暗殺を臨時ニュースで知ります。

中東戦争でイスラエルの(肩を持った)ケネディ大統領の暗殺、
西ドイツの当時の政権もイスラエルへの武器輸出を認めていて、
これが「オデッサ」との関わりをうまいこと絡ませています。
コメント (2)
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