晴乗雨読な休日

休日の趣味レベルで晴れの日は自転車に乗ってお出かけ。雨の日は家で読書。

井上靖 『楼蘭』

2022-04-29 | 日本人作家 あ

日々の健康チェックを大切にということで毎日体重と体脂肪率を記録しているのですが、なぜかたらふく食べた次の日に減ってたり、ごく普通の食事で1.5キロも増えてたりして、そういえば今使ってるデジタル体組成計っていつ買ったんだと思い返してみたらおそらく10年近く前でさすがに寿命だろうということでさっそく新しいのを買ってこようかと。今まで使ってた体組成計、ありがとう。

春は別れと出会いの季節。

さて、井上靖さん。以前に「敦煌」を読んで、シルクロードつながりで次は『楼蘭』を読もうと思い幾年月。長安を出て黄河を渡り敦煌から西に行けば楼蘭へ、北に行けばトルファンで、楼蘭から天山南路と西域南道に分岐します。三蔵法師玄奘はインドからの帰りにすでに廃墟と化していた楼蘭に立ち寄っています。マルコ・ポーロは楼蘭を経由せず別ルートで敦煌に行ったとされています。

二千年ほど前、砂漠地帯(タクラマカン砂漠)にあった小国、楼蘭。遊牧民族の匈奴の侵略に手を焼いて、超大国の漢に助けを求めるも当時の皇帝は砂漠地帯の防衛に真剣に対応してくれません。しかし、漢の都から見て西の砂漠の向こう側に大国があって貿易をするために西域街道を安全に行き来するべく匈奴を追っ払いますが、漢の使者が楼蘭を訪れて「これからは漢のいうことを聞け」と命令します。それから漢の都合で西域に関心を持つときは漢の言いなりに、西域への関心が薄れてきたときは匈奴の侵略に怯えるといった日々が続きます。が、ある年、漢から衝撃的なニュースが。今の楼蘭の都からだいぶ南方に国ごと移動しろ、と無茶苦茶な要求。楼蘭の都の近くにはロブ湖があり、楼蘭人にとってロブ湖とは神であり祖先であり生活の一部で、離れて暮らすことは考えられません。何日も議論が交わされ、最終的に、ひとまず漢に従って南方に移動し、漢の庇護のもと国力も武力も発展させ、頃合いを見てまた楼蘭の地に戻ろうということになります。そうして、南方の鄯善という場所に移動し、国名も「鄯善国」と改名させられて・・・

西暦1900年、スウェーデンの探検家ヘディンが砂漠の真ん中に都があった痕跡を見つけますが、この時点ではそれが楼蘭だとは断定できませんでした。文献によれば楼蘭は「ロブ湖のほとりにあった」とされていますが、近くに湖はありません。その後研究が進み、ロブ湖は近くを流れるタリム河の土砂の堆積と強い風によってできるラグーン(砂州やサンゴ礁により川や外海から隔てられた水深の浅い水域)であることがわかり、およそ1500年周期で南北に移動するのです。これがのちに「彷徨える湖(ロプノール)」と呼ばれるようになります。1927年、ヘディンはふたたび調査に赴き、遺跡の近くに水路を発見し、ここが楼蘭の都があった場所だということになります。

という表題作『楼蘭』と、漢から砂漠地帯に派遣された兵の話「洪水」と「異域の人」、秦の始皇帝時代の伝記「狼災記」、インド南部の伝記「羅刹女国」と「僧伽羅国縁起」、漢の時代の宦官の話「宦者中行説」、笑わない王妃の話「褒 娰の笑い」、明智光秀の話「幽鬼」、和歌山県の寺僧の話「補陀洛渡海記」、会津地方の話「小磐梯」、陸奥の絵図の話「北の駅路」というふうに特にこれといって決まったテーマの短編集というわけでもない短編集となっております。

全部面白かったのですが、個人的にハマったのは「宦者中行説」と「補陀落渡海記」で、「宦者~」は漢から和解の印として匈奴に派遣された中行説という宦官が匈奴のリーダーを気に入ってブレインになるという話なのですが、東の海の向こう側から来た肌の白い口髭の(侵略者)がネイティブアメリカンと暮らす「ダンス・ウィズ・ウルブズ」を思い出しました。

「補陀落~」は、紀州南部、熊野にある補陀洛寺の僧は六十一歳になると南に拡がる大海原のさらに向こう側にあるとされる(観音浄土の無垢世界補陀落山)に行くために少しの食糧だけを積んで南方に船出するという儀式があり、住職の金光坊がもうすぐ六十一になるのでどうしようかという話なのですが、金光坊の渡海以降、生きながら渡海するという行為は無くなり、住職が亡くなると死骸を海に流すというふうに変わります。ある意味ちょっと怖い話です。

井上靖さんの短編を読んだのはこれが初めてで、どの作品も小説というよりはノンフィクションノヴェルとまではいきませんがルポルタージュぽいですね。

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あまりにいいお天気でしたのでサイクリング

2022-04-25 | 自転車

まだ4月の終わりだというのに雨続きでもう梅雨入りしたの?って感じですが、今日は朝からスッキリ快晴。夜勤明けで家に帰ってきて朝ごはん食べてちょっと仮眠して、お昼ご飯を食べてるときに「そうだ、自転車でお出かけしよう」と急に思いついた、のはいいのですが、さてどこに行こう?

そういえば、前から行きたかったところがあるので、ちょうどいい機会ですので。

川沿いをサイクリング。いい気持ち。

さて、行きたかった場所。成田山ご本尊上陸の地。

毎年、成田山新勝寺に正月と5月と9月の「正五九参り」をしていまして、まあその他の月にもちょくちょく行ったりしてますが、ちなみに新勝寺のご本尊は不動明王で、なんと空海作なんだとか。平将門の乱を鎮めるために当時の天皇が偉いお坊さんに関東に行ってくれと頼んで、船でたどり着いたのが九十九里海岸の尾垂浜というところだったんだとか。それがここ。

鳥居。少し高台になっている場所に登ると、石碑とお不動さま。

ついでに海の近くまで行って久しぶりに潮の香りをたっぷり浴びてきました。

Googleマップで調べましたら、ほぼ平坦、ちょっと遠回りしたので片道19.9キロ。ってマジか。たしか家を出たのが1時45分ごろで、着いたのが3時半くらいだったので、だいたい20キロを1時間45分ですか。初心者にしてはけっこういいタイムなんじゃないですか。ただし帰りはヘロヘロのフラフラ。お尻も痛いし。

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チャリで池に行け

2022-04-19 | 自転車

昨日今日とお休みだったので、昨日の午前中は病院で午後にサイクリングの予定でしたが夕方から雨といっていた予報よりも早くポツポツと降りはじめちゃってしょうがないから家でこの前焼いたスコーン食べながら紅茶飲みながら読書。夜になって本格的にザーザー降ってきて明日だいじょうぶかしら。

で、本日。朝から晴天なり。車で道の駅にお出かけ。目的は農産物直売所でショッピングではなく併設してる温泉。あー気持ち良かったーいいお湯でした。

家に帰ってお昼ご飯を食べて、サイクリングサイクリング。目的地は隣町の池。調整池なんですけど、周囲に公園やスポーツ施設などがあって町民憩いの場。

さっそくお出かけ。途中、線路沿いの細道をひたすらまっすぐ。なんかいい感じ。北海道みたい。千葉ですけど。

そんなこんなで到着。駐輪場に自転車を置いて散策。ベンチに座って池をノンビリ眺めます。横にけっこう広い芝生の広場。池の周りは遊歩道になってて一周だいたい1kmくらいだそうです。ウォーキングされてる方がチラホラいらっしゃいました。

  

Googleマップによるとほぼ平坦で自宅から片道12.1km。だいたい40分くらいで着きました。

平日の昼間からいい大人がプラプラ何をやってるんだって話ですが、日曜も祝日もいっさい関係ない仕事ですので平日が休みになるのです。

 

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宇江佐真理 『髪結い伊三次捕物余話(十一)明日のことは知らず』

2022-04-10 | 日本人作家 あ

一月と二月は諸事情によりけっこう出費しまして、先月はたくさんお買い物してしまい、今月は控えようと思っていたところ、先月の確定申告の還付のお知らせが来まして、ここでは具体的な金額は控えますが、まあ思わず「ニヤリ」としてしまうくらいでして、通帳記入してきて、スーパーに行って普段買わないようなお高めの牛肉を買って夕飯はすき焼き。

ささやかな幸せです。

さて、髪結い伊三次シリーズです。このシリーズも全十六巻ということで残すところあと五巻しかないのか・・・と考えるとじっくりしっかりと読まなくてはいけませんね。

伊三次は久しぶりに直次郎に会います。直次郎とはもともと掏摸で今は足を洗っています。八丁堀に住む町医者のところに花を届けに行く途中で、直次郎はその町医者のことも奥さんのことも知っているので久しぶりに顔でも出すかと思いますがその機会も作れずにいるところに、町医者の奥様、美佐が亡くなったとの知らせが。じつは伊三次が直次郎と会った日が美佐の亡くなった日で、あの日に花を届けに来た男が怪しいという話に・・・という「あやめ供養」。

伊三次には九兵衛という髪結いの弟子がいるのですが、その九兵衛に縁談話が。そのお相手とは、九兵衛の父親の働いている魚屋の主の一人娘の(おてん)。おてんは父の魚屋で手伝いをしているのですが、なにしろ男勝りで、さらしを巻いて胸の(ふくらみ)を隠して半纏を羽織って魚河岸で競りに参加し、おてんの目利きは良いと評判。そのおてんから九兵衛に縁談の申し込みが。いったいなにがあったのかと九兵衛の父親に聞くと、魚屋で法事があったのですが、おてんは結ってもらった髪が気に入らないと解いてしまったところ、法事に出席する予定だった九兵衛がおてんに合うように結ってあげて、ついでに眉も襟足も整えてあげると鏡をじっと見てしばらく口を利かなくなってしまったというのですが・・・という「赤い花」。

「あやめ供養」の町医者の奥様、美佐が亡くなった(事件)の下手人が挙がって(直次郎ではありませんでした)、その町医者、松浦桂庵が、犯人捜しに尽力してくれた伊三次にお礼がしたいといい、伊三次ははじめ遠慮しますが、九兵衛の髪結いに使う台箱をあつらえて欲しいとお願いします。するとその(道具開き)で一席設けてはどうかという話になって・・・という「赤のまんまに魚そえて」。

髪結いの伊三次と深川芸者のお文の夫婦のあいだには伊与太という息子がいてただいま絵師になるため師匠の家に住み込みで修業中。そんな伊与太、絵の勉強ということで街中でスケッチをしているのですが、神社の参道にある矢場(現在でいう射的のようなもの)の娘を描きます。するとその娘が表に出て来て・・・という表題作の「明日のことは知らず」。

伊三次とお文の家の女中の(おふさ)が、自分の住んでいる長屋に浪人の夫婦がいて、貧乏で年が越せるか心配だというのです。その浪人は主家がお取り潰しになってしまい今は長屋に住んでいるのですが、、伝手を頼ってあちこち仕官の頼み込みをしていて、妻は内職。その話を聞いた伊三次は何の気なしに町奉行の同心、不破の妻に話をしますが・・・という「やぶ柑子」。

伊三次は日本橋の大店の主のもとに出向いて髪結いに。すると主が、自分の持っている貸家に町医者が住んでいたのですがその町医者が死んでしまったので家の片づけをしていると正体不明のものがあったのでとりあえず持ち帰ってきた、というその正体不明のものを伊三次は見てみると・・・という「ヘイサラバサラ」。

冒頭のほうでも書きましたが、このシリーズもあと残りわずかです。なんとなくですが、もう作者がお亡くなりになってるという前情報があるせいでしょうか、話の全体的な流れが「人生なるようにしかならないさ」といった雰囲気といいますか、達観されてるような印象を受けたのですが、先入観のせいでしょうかね。と思ったら、ご本人のあとがき解説でこの本が出るちょっと前に大病なさったそうですね。

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朝からチャリ活

2022-04-06 | 自転車

春に三日の晴れなし、とはよく言ったもので、せっかくの休日が雨だったりして、まああとは何か用事があって、なかなか自転車に乗ってお出かけの機会を作れませんでした。

気がついたら千葉県の北東部のあたりでは桜がすでに満開。

ちなみに、昨日がお休みだったので、本当は昨日お出かけの予定だったのですが、なんだか風邪っぽかったので家でじっとしてました。ヤバイ、このままでは桜が散ってしまう・・・

昨日は早めにお風呂に入って早めに寝たので、今朝は早く起きてしまい、ああ、この時間だったら隣の市にある桜の名所まで自転車で行って朝焼けの桜をバックに自転車を撮影なんてことができる、と思って、まだ外は薄暗かったのですが起きて準備をしてスタート。

Googleマップで調べたら、ほぼ平坦で片道6.8キロ。さすがにそんな朝早くだと車も少ないので大きな通りをひたすら走り、25分くらいで到着。

春はあけぼの。やうやう白くなりゆく山ぎは。そして湖沿いに咲き誇る桜がいい感じ。ちょい高台のお寺の門前からパシャリ。

愛車のルノーもゴキゲン。

帰りは大きな通りではなく脇道をゆっくりと。家に着いたのがまだ6時前。あ、今日は可燃ゴミの日だったと思い出しゴミ出し。朝ごはんを食べてコーヒーを飲みながらこのブログを書き込み、終わったら仮眠してお昼ごはん食べて昼過ぎにお仕事へ。夜勤です。

早朝サイクリング気持ちよかったです。ちゃんとフロントライトもテールライトも点けて。なんかあれですね、点滅させてると気が散るから(ひらたくいうと「ウザい」ので)やめてくれ、という車を運転してる人の書き込みを見たのですが、うーん、自分が車を運転してるときにライトを点滅させて走ってる自転車を見たことありますが、別に意識もしなかったというか・・・

まあでも、もし万が一、自転車の点滅ライトが「ウザい」と思ってるドライバーからあおり運転や幅寄せされたりしたらいやなので、点滅させないバージョン(つまり普通の灯火)で走ってきました。

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井上ひさし 『手鎖心中』

2022-04-01 | 日本人作家 あ

ついこの前新年を迎えたと思っていたらもう四月です。年を取ると時の過ぎるのがまあ早いこと。なんてなことを書くとナウなヤングの世代から「うっせえジジイ」と罵倒されそうなもんですが、ナウなヤングは「読書ブログ」なんて興味の欠片もなさそうなので、どうかこのブログを見ませんように。

 

というわけで、井上ひさしさんです。「ひょっこりひょうたん島」の脚本の人というイメージがあまりにも強すぎたのですが、『手鎖心中』で直木賞も受賞されてますし、と思いきや名だたる演劇の賞も受賞されてますし、まあ要は優秀なクリエイターってことですね。

井上ひさしさんといえばとにかく「原稿が遅れる」ことで有名だったらしく、自身で「遅筆堂」というペンネームにするくらいふざけてますが、自ら立ち上げに関わった劇団(こまつ座)の台本が遅れて初日延期なんてことも珍しくなく、それでも作品の完成度は逸品だったので成立してたんでしょう。今だったら炎上案件。ギスギスしてなくてなんだかいい時代ですね。

大坂から戯作者になるために江戸にやって来た与七。版元の蔦屋重三郎の家に厄介になることに。蔦屋重三郎からパーティーに誘われる与七。そこで、絵草紙作家志望の清右衛門と太助というふたりを紹介してもらいます。三人でああだこうだと会話していると、深川の材木問屋、伊勢屋の若主人で栄次郎という人物を紹介されます。なんでも栄次郎、絵草紙作家志望とのことですが、はっきりと「絵草紙の作者になりたい。ですがその才能がない」と言ってのけ、さらに「才はないが金はあるので、ひとつ力を貸してほしい」というのです。人を笑わせる、人に笑われることが好きで、ついでに「先生」と呼ばれるように敬われたいので戯作者になりたい、とのこと。どれほど才がないか栄次郎の作品を見た三人はなるほどと納得。はじめは三人にゴーストライターになってほしいというお願いだったのですが、みんな酒が進んで酔っ払ってどうでもよくなって最終的にはどうせなら一流先生の挿し絵と推薦文を付けて栄次郎の作品を売ればいいということになります。

そんなこんなで、浅草にある本屋の店頭にうず高く積まれたのは、辰巳山人(伊勢屋栄次郎のペンネーム)の絵草紙「百々謎化物名鑑」。太田蜀山人と山東京伝の推薦文に、画は歌麿・・・といいたいところでしたが実際は文のあまりのつまらなさに途中で放り出し、弟子の行麿が引き継ぎますが行麿も内容に腹を立て、行麿の弟子の雨麿の、そのまた弟子のナントカ麿が描きました。

ところが本人は売れる気マンマン、この一冊で天下にその名がとどろくはずと思っていて、本は全く売れずにだんだん顔色が悪くなって元気もなくなってきて、こりゃまずいと伊勢屋の番頭に金をもらってサクラを雇うことに。本が売れて栄次郎も元気になって良かったねといいたいところでしたがこれがバレてしまい大変。このままでは大川に身投げでもしかねないということで三人は栄次郎を飲みに連れていきます。そもそも戯作なんて「戯れに作る」であって本業にしてはいけないもので、遊び人が親に勘当されどこかの箱入り娘を騙して婿養子になって金も時間もたんまりあるような、そういう人が遊びで書くもので、本業の材木問屋に戻ったらどうだい、と諭しますが、栄次郎は自分には覚悟が足りないと親に勘当してもらってどこかに入り婿になると宣言。栄次郎の父親は息子に期間限定(三ヶ月)の勘当を言い渡します。二十五歳で独り身の娘がいる本屋に婿入りした栄次郎。しかしまだ不足。そこで時の幕府を批判した作品を発表して、山東京伝が受けた(手鎖五十日)や竈釜人の(江戸所払い)といった錚々たる戯作者たちの刑罰を自分も受けなければ本物ではないと言い出し・・・

この表題作ともう一つ収録されています。こちらは「江戸の夕立ち」という作品で、幇間の桃八と薬種問屋の若旦那の清之助が品川から小舟に乗って江戸湾に出て転覆し、通りかかった千石船に救助されますがふたりを降ろさずそのまま北上して釜石で下船。なんやかやで若旦那に騙され鉱山に売り飛ばされて坑夫として働くことに・・・

まあ今さらではありますが、面白いです。エスカレートしていく展開などはまるで落語のようですが、滑稽というだけではありません。オチが「そう来たか!」と秀逸。

参りました。さっそく他の作品を。

 

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