晴乗雨読な休日

休日の趣味レベルで晴れの日は自転車に乗ってお出かけ。雨の日は家で読書。

スティーヴン・キング 『グリーン・マイル』

2010-06-29 | 海外作家 カ
映画の公開時(1999年?か2000年くらい)に劇場で観て、
それから10年、原作をようやく読むことに。

この作品は、分冊形式をとっており、アメリカでは珍しい出版の
形だそうで(日本では新聞や週刊誌での連載がある)、日本でも
その形のまま、6巻からなる分冊形式の長編で出版。

まあ、まとめて買ったので、そのまま続けて読んでもよかったの
ですが、どうせなら刊行当時の「ドキドキ感」をちょっとでも
味わおうと、間隔を1週間あけて次巻を読むという自分ルールを
定め、結果読み終えるのに1月半もかかってしまいました。

書評ブログを書く際に、なるべくネタバレは避けるようにしますが、
でもこの分冊形式だと、この作品のここが面白い!特筆すべき感動
した部分、というのが最初の巻以降に書かれているので、「なんだよ
私も間隔あけて読もうと思ってたのに」という方がいたら、なんとも
申し訳ないといいますか。

舞台は1932年アメリカ、コールドマウンテン刑務所。Eブロックは
死刑囚のための房で、中央通路を挟んで両サイドが監房となっており、
その中央通路の床は緑色をしていて、通称「グリーン・マイル(緑の通路)」
と呼ばれています。さしずめ日本なら「13階段」といったところでしょう
かね。
この当時の死刑執行の方法は、電気椅子(現在でも行われている州はある)
で、刑務所の看守たちはこの椅子を「オールド・スパーキー」と呼びます。

このEブロックに収監されて、死刑執行までの死刑囚と看守のやりとり、
ここで起こるさまざまな(不思議な)出来事が描かれていきます。
フランス系の死刑囚、ドラクロアになつくネズミ(ミスター・ジングルズ)
や、幼い双子の少女を殺した罪でEブロックに来たジョン・コーフィの
「不思議な能力」を、Eブロック看守主任だったポール・エッジコムは
目の当たり(体験)するのです・・・

・・・とまあ、正直ここまでしか書けません。あとは、全体としてポール
が老人になってのこの刑務所の回想記である、ということでしょうか。

映画を観た方ならお分かりでしょうが、巨漢の黒人ジョン・コーフィの
「不思議な能力」のシーンは、コンピュータグラフィックスでかなり
「リアル」に映像化していてグロテスク感もあったのですが、今回原作
を読むと、この部分はなんというか、幻想的でアンタッチャブルな美しさ
(畏敬・畏怖)のように感じました。



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スコット・トゥロー 『囮弁護士』

2010-06-26 | 海外作家 タ
スコット・トゥローの作品はこれで2作目、といっても順番は
バラバラで、本来ならばデビュー作の「推定無罪」から順番どおり
に読んでいくのがスジなのですが、いちばん最初に読んだのが
2作目の「立証責任」、そして、この『囮弁護士』は、3,4作
を飛ばしての5作目。

もっとも、ストーリーに連動性があるというわけでもなく、ただ共通の
登場人物が出たりして、その人物像の把握という意味でも、順番どおり
に読むべきなのですが、そうでなくてもちんぷんかんぷんということには
なりません。

連邦検察官のスタン・セネットは、キンドル郡の民事裁判の判事が多額の
賄賂をもらっているのではとの情報をつかみ、その賄賂を贈っている側の
弁護士ロビー・フェヴァーの「弱み」を握って、連邦の捜査に協力させるの
です。

その弱みとは、ロビーの妻はALS(筋萎縮性側索硬化症)という難病に
おかされていて、もし夫である自分が逮捕、収監でもされれば、妻の面倒を
見ることができなくなるのです。

協力とは、囮役を演じてもらうこと。目下、連邦検察が追っている判事の
中でのボス格はブレンダン・トゥーイ判事。しかしこの判事の甥のモート
はロビーの弁護士事務所で働いており、伯父をこよなく尊敬するモートには
この囮捜査を秘密にしなければならず(情報がつつぬけになる)、FBIから
派遣された女性捜査官イーヴォン・ミラーを秘書役として事務所にもぐり込ま
せます。

盗聴、物的証拠(指紋や筆跡)など、まずは手下格の判事から次々と証拠を
挙げていきます。はたしてキンドル郡裁判所にはびこる腐敗は一網打尽となる
のか・・・

作品の語り手は、ロビーの弁護士であるジョージ・メイソンという人なのですが、
物語は主にロビーを使った囮捜査、そしてロビーの私生活とりわけ妻との闘病、
FBI女性捜査官イーヴォンのことが描かれており、特にロビーとイーヴォンの
関係は、イーヴォンの過去、人となりを詳しく聞きたがるロビー、事前に聞かされて
いたロビーについての注意(奴ににたらしこめられないように)を守るイーヴォン、
このふたりの展開が、人間ドラマとしての幅を持たせます。

あとがきにあったのですが、作者はこの作品を「純文学と大衆文学の橋の中間
あたり」と表していて、だからでしょうか、どうにも読み進むのが遅く(今月は
やたら忙しかったということもあって)読み終わるのにかなりの時間を要して
しまいました。
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宮本輝 『オレンジの壺』

2010-06-20 | 日本人作家 ま
本を読む習慣のない人に、読書の魅力を伝えるときはいつも
「本を読むことは、旅をすること」と言うのですが、宮本輝
の作品を読み終わると、いつもそう実感するのです。

裕福な家庭に生まれるも、心のどこかに自分は幸せではないと
漠然と抱いている、25歳の佐和子。
彼女の父は大企業の社長。祖父の創業した会社を受け継ぎ、成長
させたとの自信からか、佐和子はじめ子供たちに、自分の敷いた
レールの上を歩かせようとします。
佐和子もそんな父のレールの上に乗り、結婚するのですが、わずか
1年で離婚。夫から「きみは石のようだ」と言われるのです。

美人でもない、面白い話のひとつもできない、そんな佐和子ですが、
祖父の遺品である日記がその後の彼女の人生を大きく変えることに
なります。

特別、孫のなかでも佐和子だけが可愛がられたということも思いあた
らなかったのですが、祖父は彼女あてに形見として日記を遺してくれ
ます。しかし、そんな日記などいらないといって、軽井沢の別荘に
置いてきてしまいます。

離婚して、何もやることのない佐和子は、父から二千万円もの大金を
渡され、これでなにか事業でもやれと言われたときに、ふと祖父の日記
を思い出し、軽井沢へ行き、日記を読むことにします。

そして、その日記には、祖父がヨーロッパの商品を日本で販売する権利
を取得するため、単身海を渡り、フランスに安アパートを借りて、そこを
拠点に営業活動をする、といった内容が書かれていたのですが、その中
に、祖父はフランス人女性と恋仲になり、女性は妊娠、ふたりは結婚し、
祖父は身重の女性を残して帰国する、といった出来事が・・・

さらに、他に外国からの手紙が束になって見つかり、フランス語や英語
で書かれた文章は佐和子には読めず、知人のつてで、現在入院中でフラ
ンス語の堪能な滝井という青年を紹介してもらい、内容は他言無用で、
翻訳してもらうことになります。

その手紙には、祖父がフランスに残してきた女性は、出産時に母子ともに
死亡したとあり・・・

なぜか、その後祖父はフランスへは出向かず、女性と子どもの墓にも行かず、
さらに日記には「オレンジの壺」という謎の言葉があちこちにあり、佐和子
は祖父に信用されていたゴーキさん(豪紀でタケノリだが、佐和子たち家族は
ゴーキと呼んでいた)ならよく知っているはずだと思い、訪ねてみることに。

ここから話は、佐和子と退院した滝井とふたりでパリへ行き、祖父の足跡を
たどることになり、やがて「オレンジの壺」の核心を知る人物を訪ねにパリ
からエジプトへと向かいます。

冒頭にも書きましたが、「旅をする」楽しみを与えてくれる作品なのですが、
単純に、人物や情景の描写が素晴らしいだけではなく、ジグソーパズルでいえ
ば、数枚のピースをわざと残して、読者の想像力で一枚の絵を完成させてゆく
作業とでもいいましょうか、これが楽しいのです。
読者の想像する余地のない精緻な描写の文章は、それはそれで素晴らしいとは
思うのですが、しかし「読書」であって「旅」にはならないのです。
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藤本ひとみ 『逆光のメディチ』

2010-06-14 | 日本人作家 は
この作品は、ルネッサンス期のイタリア、フィレンツェで最栄華を
極めたメディチ家と、その名家と関わりを持つことになる稀代の
天才画家、レオナルド・ダ・ヴィンチの話で、冒頭、レオナルドは
老いのため寝たきり状態で、周辺の世話を弟子のフランチェスコに
まかせています。
このフランチェスコのもとに、不思議な微笑みの女性を描いた絵の、
モデルとなった人物は誰なのかと、その絵を買った持ち主は聞いてく
るのですが、レオナルドは明かさず、それがさまざまな憶測を呼びます。

晩年のレオナルドは、小説などを書いたりもするのですが、編纂を弟子
フランチェスコは毎日行い、いつの日にか、師匠レオナルドの本が世に
出回り、画家として名声もあり、さらに学問でも名声を轟かすことにな
ると意気もあがります。
しかし、レオナルドの回顧録は、生まれてからの十数年間と、その後
ミラノへ移り、フランスに渡っての生活は弟子に話したのですが、ミラノ
へ移る前のフィレンツェでの十六年間がまだ話されていないのです。

これを話すには、フィレンツェでの艱難辛苦、神に対する冒涜を吐露する
ことになるので、レオナルドは避けてきたのですが、死が間近に迫ってきて
いると感じてきたレオナルドは、今こそ語ろうと決意します。
そこで、語り手の自分を女性とし、女性の物語としようと・・・

そして、ここから描かれるのは、1460年、70年前後のフィレンツェ
の領主メディチ家を中心に、イタリアの都市国家の情勢、ローマ教皇会の
陰謀渦巻く世界。

メディチ家当主ロレンツォ、弟ジュリアーノ、当主の座をロレンツォに奪われ
幽閉されることになるレオーネとひょんなことから出会うことになる、ひとり
の少女アンジェラ。
アンジェラはロレンツォの計らいで、フィレンツェの有名な工房に弟子入りを
させてもらうことに。その工房によく顔出ししていた人物は、なんと「ビーナス
の誕生」や「春」で有名なボッティチェリ。

アンジェラは工房に入りめきめきと上達してゆくのですが、感性が時代をかなり
リードしている部分もあり、人物画こそすべての時代にあって風景画を重要視
したり、キリスト絵画で天使をバックショットのみで表現したりと、たびたび
周りの人たちと衝突します。

やがてアンジェラは独立、大きな仕事がくるのです。それはフィレンツェの花と
うたわれた当代一の美男子、すれ違う女性はみな彼に惹かれるとまでいわれた
当主の弟君ジュリアーノの肖像画を描くことに。
初めて出会ったころからアンジェラはジュリアーノの美しさの虜となるのです
が、しかしとうとう描けることに喜びかと思いきや、メディチ家を取り巻く
情勢は悪化の一途、さらに当主になれずに幽閉されていたレオーネがいつの間に
か、教皇の秘書となっていて、メディチ家にたいする恨みつらみをはらしてやろう
としており、こんな状況ではフィレンツェの花も曇り顔で、アンジェラはこれぞ
という表情を描けません。

そして、フィレンツェそしてメディチ家に恨みを抱く者たちが集結し、とうとう
打倒メディチの狼煙が上がることに・・・

作品中には1,2回しか名前は出てこないのですが、この時代メディチ家と交流の
あったヴェスプッチ家には、アメリゴという男が。
アメリゴ・ヴェスプッチとは、世界史のトリビア的人物で、さほど有名ではない
のですが、コロンブスが1492年にアメリカ大陸に辿り着き、しかしコロンブスは
この新大陸をアジアだと思っていたので、これをアメリゴが「いや、アジアではなく
別の大陸、新しい大陸である」と初めて明確にしたのです。

しかし、それがどういう経緯があったのか、新大陸の名前は彼の名前から「アメリカ」
となり、その後、後出しジャンケンのずるい奴、他人の業績を横取りする奴のこと
を「アメリゴのようだ」と不名誉な慣用句として残ってしまったのです。

この時代、芸術家というのは、男色であることが多かったようで、いやむしろ
芸術家の条件のひとつだったようですね。
アンジェラの話は、冒頭にもあったように、これは女性の名を借りたレオナルドの
話だと終わりごろになって気づき、芸術の追求とりわけ美への執着の前では、同性
ももちろん対象となるわけですが、後年になって「あれは冒涜だった」と思うように
なるのは、やはり背徳的ではあったのでしょう。

解説によると、作品中に出てくる事件、出来事などはだいたい史実通りだとのこと。
とすれば、内紛だの暗殺だのきな臭いことが日常ありふれていたり、昨日の味方は
今日の敵(逆もしかり)で、ルネッサンスといえば、中世という暗黒の冬の時代から
ようやく明けて、春真っ盛り!といったイメージだったのですが、そうでもなかった
ようですね。

コメント (2)
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フレデリック・フォーサイス 『アヴェンジャー』

2010-06-07 | 海外作家 ハ
つい2ヶ月ほど前にはじめたツイッターなのですが、共通の趣味というか、
たとえば「誰それという作家の○○という小説を読了」などと“つぶやく”と、
それが検索ワードとして検索で探せるというシステムがあり、先日
「フレデリック・フォーサイス」でかけてみたら、なんと1件もなし。
ああ、日本ではフォーサイスって人気ないのかなあ、と思い、国内最大の
SNSで調べてみたら、270人近くいて、ちょっと安心しました。

やはりフォーサイスはマニアックなのか?こんなに「ハズレ」の無い作家
というのも珍しいでしょうし、ただ、スパイスリラー系アクション作品という
ジャンルをはなから苦手な人には受け付けないのでしょうね。

イギリスの作家ですので、基本は自由主義陣営(米英など)寄りの内容では
ありますが、それでも過去の作品では敵側となる共産主義陣営に対する、
たんなる敵視というか蔑視は無く、それなりに敬意をもって描かれていた
ように思われるのですが、『アヴェンジャー』になると、敵側にくるのは、
ゲリラあるいはテロリストとなり、ひと昔前のイデオロギー対決ではなくなり、
厄介なことに、具体的な姿は見えないのです。

コードネーム「アヴェンジャー」という、マニア向け雑誌の片隅に依頼が載ると、
あらゆる困難な仕事も片付ける、凄腕の「仕事人」がいて、今回、依頼してきた
のは、カナダの大富豪で、孫がボスニア紛争のボランティアに行き、現地で殺され
てしまい、その孫を殺したセルビア人グループのリーダーを探してほしい、という
もの。

どうやらそのセルビア人はすでにヨーロッパから脱出して、南米のどこかにいる
らしく、捜索は困難。
そもそも、このアヴェンジャーは、ベトナム帰還兵で、大学に入り、弁護士資格を
取得、弱者の味方の人権派弁護士だったのですが、ある出来事があり、必殺仕事人
のような陰の稼業をやることになります。
カナダの大富豪は、第2次大戦時に、アメリカ兵との友情を結び、そのアメリカ兵は
その後合衆国の大物議員となり、カナダ人大富豪(娘はアメリカ人と結婚、孫はアメリカ
国籍)は彼に連絡、なんとかして孫の仇をとるべく、アメリカの法律を適用させて
憎きセルビア人を生け捕りにしようとします。

しかし、FBIもCIAも、トップからの命令とはいえ、行方不明のセルビア人を探す
のは困難を極めます。
しかし、ただ一人、政府側に、このセルビア人の行方を知っている者がいて、その男
は、セルビア人を泳がすだけ泳がしておいて、さらに大物のテロリストを探し出そう
と企んでいて・・・

アヴェンジャーのベトナム時代の任務は、ベトコンのアジトである地下洞窟に潜り込む
という危険な作戦。2人一組行動は鉄則で、アヴェンジャーは「モグラ」、そして相棒
は先輩兵士の「アナグマ」で、このふたりは数々の洞窟を攻撃します。
しかし「アナグマ」は怪我を負い帰国、「モグラ」は彼以外とパートナーは組めないと
いって帰国します。
カナダ人の大富豪とアメリカの大物議員もそうですが、戦地での友情というものは、
学生風情が居酒屋で「おれたち親友だよな」という程度の浅薄なレベルではなく、
それこそ背中を預ける、命を張れる価値のある他人との絆であって、これはそう簡単
に切れるものではありません。

そして、物語の最後の最後に書かれている日付は2001年9月10日・・・

フォーサイスのストーリーテリングの才能は前々から敬服していたのですが、
『アヴェンジャー』は脱帽です。いや、読み終わって脱力して、しばし呆然と
したので「脱呆」ともいうのでしょうか。
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遠藤周作 『王の挽歌』

2010-06-03 | 日本人作家 あ
先日、NHKで毛利元就をやっていて、一般的に知られる「三本の矢」
の話で、元就はとても子供想いで含蓄のある、そして信長や秀吉も
彼には一目置いていた、ということでさぞかし立派な戦国大名であった
と思っていたのですが、『王の挽歌』では、九州の大名、大友宗麟を
描いていて、当時敵方としてこの元就が登場し、大友側にとっては
「狡猾な卑しい毛利狐」と評していたのが、なんとも立場の違いで
こうも変わるのか、と。

九州北部、現在の熊本と宮崎の北部から、大分、福岡、佐賀にかけて
六ヵ国の領主であった大友義鑑(よしあき)の嫡男として、幼名塩法師丸、
のちの大友宗麟が生まれます。

母を幼くして失くし、守役に武芸を厳しくつけられますが、もともと
宗麟は、武士としての戦の稽古よりも、詩や歌、踊りといった、公卿の
稽古を好み、それが父にも父の重臣にも頼りなくうつります。
のちに、この宗麟の守役が、父義鑑に謀反を起こし殺害、そして他国へ
と逃れるといった事件があり、宗麟はただでさえ自分は武家の統領には
向いてないと感じていたのに、さらに人間不信に陥ります。

なんとかして戦をせずに、中央権力である幕府や朝廷に貢ぎ物を贈り、
叛乱や敵国との争いを回避してきたのですが、戦国乱世はますます混沌
としてきて、尾張では織田家がどんどん勢力を伸ばし、海を渡った中国
地方では毛利元就が九州を虎視眈々と狙っていています。

しかし、宗麟は戦に秀でた重臣が多くいて、彼らの勇敢な戦いで大友領国
はなんとか守られています。そんな中、南蛮渡来の切支丹宣教師である
フランシスコ・ザビエルが、豊後の大友宗麟に接見を求めてきて、豊後の港
を貿易のために開港してほしいと要求。
宗麟はこの時ザビエルに会い、彼らの宗教であるキリスト教について、ほんの
基礎的なことを聞きます。
はじめこそ、性能の高い武器などを輸入するために、キリスト教の布教も「ついで」
に認めていたくらいだったのですが、妻との不和、相次ぐ領国土豪たちの叛乱
で、次第にキリスト教の考えが宗麟の心に滲み入ってくるのです。

息子に家督を譲り、戦乱の世とは離れたいとする宗麟ですが、その息子は宗麟
に輪をかけて優柔不断、戦の才能はからきし無く、しかも中国地方からは毛利が、
そして九州南部からは島津が攻め入ろうとしてきて、やむなく立ち上がった宗麟
は、中央でもはや天下人となった豊臣秀吉に会いに、大坂へと向かい・・・

この当時のヨーロッパは大航海時代で、続々とアジアへと進出し、植民地化して
いくのですが、ここにキリスト教も入っていて、神(デウス)は奴隷や人種差別は否定
するのではないのか、なぜヨーロッパ人はアジア人を見下すのか、この背反した
状況を遠藤周作は指摘していて、日本に来たポルトガル人宣教師のなかにも、
あきらかに東洋人を見下し、布教というよりは同化政策に近いことを信者に強制
したりしていたといいます。
さらに、戦乱の世において、武将の生き方は、まさに屍の山の上に立つような
ものであり、神はそれを許してくださるのか、との問いには、「正義の戦いなら
神は認める」という、それはとても曖昧な、立場によって正義という言葉は
いかようにも見方は変わるし、正義だと肯定しなければ分かって貰えないようなもの
ですら「正義」とみなす人には都合のいい言葉で答えるのです。

しかし、宗麟がはじめ帰依していた禅であり仏教の教義にも、納得できない部分
が多々あり、最終的にはキリスト教の洗礼を受けます。
これは「逃げ」なのか、いや「立派な信念であり決断」なのかは読者に委ねられ
ます。
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