晴乗雨読な休日

休日の趣味レベルで晴れの日は自転車に乗ってお出かけ。雨の日は家で読書。

佐伯泰英 『吉原裏同心(十六)仇討』

2020-08-15 | 日本人作家 さ
たまに書店に行って、「あ、吉原裏同心の続き買おうかな」と思うのですが、何巻まで読んだのか覚えておらず、結局買わず、ということがあり困ってしまってワンワンワワンだったのですが、次に書店に行って「えーと、何巻まで読んだっけ」と迷ったときには、当ブログをスマホで見ればいいんだ!ということを発見したのであります。そう、去年まではガラケーだったのでそういう技を使うことはできなかったのです。

そもそもこのシリーズ、サブタイトルがすべて漢字二文字なので、紛らわしいんですよね。

と、豪快に人のせいにしたところで。

さて、今作は前作からの続きで、といってもメインストーリーではなく、吉原会所の番方、仙右衛門とお芳の新婚旅行といいますか墓参りがいよいよ出立、それと、出刃打ちの女芸人、紫光太夫の舞台に神守幹次郎がゲスト出演する、まあメインの話ではないのでどうでもいいちゃどうでもいいんですが、しかしですよ、この吉原裏同心シリーズにとって、吉原の治安を守るメインのふたりが、ひとりは新婚旅行へ、ひとりは舞台出演と、ある意味ピンチ。

そんな吉原で、掏摸、かっぱらいが多発します。犯人は少年。しかしこれは、背後に大人がいて、それの指示らしいので、探っていくうちに、江戸四宿のひとつ、内藤新宿の元締め、武州屋総右衛門にたどりつきます。この武州屋は当代で五代目なのですが、当代になって、内藤新宿の雰囲気ががらりと変わった、とのこと。

さらに探っていくと、五代目は婿養子で御家人くずれ、つまり元武士。それはいいのですが、そんな男が、なぜ吉原にちょっかいを出すのか。武州屋の背後にも何者かがいるのか。

この話と、花魁道中の最中に仇討がはじまろうとしますがこれを収めて、話を聞けば、とある西国の大名家が関わって・・・

幹次郎が情報屋(身代わりの佐吉)と会う煮売り酒場に小僧の竹松というのがいるのですが、この竹松、いつの日か吉原へ行くのが夢でして、前に幹次郎が「連れてってやる」と安請け合いしたのを真に受けて、それがとうとう実現します。よかったですね。
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柴田錬三郎 『赤い影法師』

2020-08-11 | 日本人作家 さ
暑いです。

と書き込んだところでどうにもならんわけではありますが、それはさておき、まったく読書がはかどりません。自称本好きですらこの暑い中に読書はキツイというのに、本を読むことがまだ習慣化してない小中学生にとって読書感想文とはますます本嫌いになってしまうのではないでしょうか。

若者の読書離れを社会や学校や大人たちのせいにしたところで。

柴田錬三郎さんです。忍者ものです。

時代は、関ケ原の合戦の後。石田三成が捕まって処刑されて、三成に仕えていた「影」と呼ばれる伝説の忍者も捕まります。片目は潰され、片足は切断され、いよいよ処刑されるという時、徳川家康に仕える服部半蔵は「影」と忍者どうしにしか聞き取れない会話をし、そして「影」を逃がす手助けをするのです。「影」は「いつの日か私を必要になったら木曽谷に来てくれ。どんな依頼でも受ける」と言い残して消えてから十五年・・・

半蔵は、ある「頼み」をしに、木曽谷へ。しかし、さすがに「影」も老けて、かつてのような服部半蔵をして「殺すのはもったいない」と思わしめるほどの活躍はできそうもありません。そこに若者が。「影」の子で、徹底的に英才教育を受けた子を「影」の代わりに供に仕えさせます。

半蔵の「頼み」とは、のちに「大坂の役」または「大坂冬の陣夏の陣」と呼ばれる、豊臣方の最後の抗戦、これが長期戦になることを恐れ、さらに相手方の真田幸村の子飼いである「風盗」という忍びの集団が非常に厄介な存在で、家康ならびに本多正純は半蔵に「風盗」を撲滅させてくれと命じたのです。

若い「影」、名前は無いのでかりに「子影」としますが、「子影」は半蔵と「風盗」の本拠地へ。そこで「子影」が取った手段とは、半蔵もビックリというか、忍者にあるまじき、いや人としてあるまじき作戦で、最終的に「風盗」をやっつけたのですが、これには半蔵も怒り、刀を抜いて「子影」につかみかかろうとするのですが、ここでまたさらに半蔵は驚きます。「そなたは・・・」

それから二十年後。

時代は寛永年間。将軍は三代の家光。寛永十一年の某月某日、江戸城吹上にて、御前試合が行われました。しかし、公式にはこの日の前後には家光は日光に行っていたことになっていて、この御前試合は「巷説」ということになっていまして、明治以降になって講釈師が多少の誇張を加えて知られるようになったそうな。
ここでは実際に行われ、しかも十四日かけて十試合も行われた、ということに。

観客は将軍家光のみ。審判は当代名人といわれた柳生宗矩と小野忠常の二名。

この御前試合は、本物の戦場を知らない家光が「どんなんだったか見てみたーい」と無邪気にお願いしたとかで、両者の武器は真剣でも木太刀でも槍でも鎌でもなんでもよく、いわば血闘。
第一試合は、神道流の妻片久太郎時直と一伝流の朝山内蔵助重行の対戦。

勝ったほうへの褒美として、徳川将軍家秘蔵の無名太刀。かつて大坂の役にて大坂城が陥落したとき、戦利品の中に、秀頼所蔵の無名の太刀が十振あったそうで、これは太閤秀吉が数百本持っていたという無名の太刀コレクションに「正宗」と銘を打たせて武勲の褒美にしていたことがあって、でもなぜかそのうち十振だけは無名のままにしていたそうな。
御前試合は十試合行われるので、その勝者に一振ずつ渡されることになります。

その夜のこと。勝者の方では宴があって、寝室に行くと、そこに何者かが。すると将軍より拝領された太刀の切先三寸が折られていたのです・・・

これと同じことが、第二試合、第三試合の勝者にも起きて、柳生宗矩は、もうすっかり老人になってしまった服部半蔵を呼びます。拝領の太刀の切先が折られるという奇怪な事件は「あやかし」の仕業とされていますが、じつは第一試合の勝者のもとから切先を奪い去るときに「影、とだけおぼえておけ」と言い残したのです。この「あやかし」を退治できるのはお主以外におらぬ、と柳生宗矩は半蔵に頼みます。

半蔵は、江戸の西方、武蔵野のある屋敷に向かいます。その屋敷の前に箒を持った小男がいたので「服部半蔵が来たとご主人に取り次いでくれ」と告げます。この小男こそ、かつて徳川家康の首級を狙い、徳川方の数十人の忍者を仕留めた、真田幸村配下の「赤猿」(佐助)と、半蔵は看破します。
屋敷に通された半蔵は、主である老人に、刀の鑑定をお願いします。すると半蔵はこの主に、御前試合の褒美である「いわくつき」の無名太刀十振についてたずねますが、主は知らないの一点張り。すると半蔵が「かくされるな、左衛門佐殿!」と・・・

「左衛門佐」とは、真田幸村の称のことで、しかし幸村といえば大坂の役で豊臣方につき、家康をさんざん苦しめた末に壮絶に討ち死にしたはず。

屋敷を辞去した半蔵を見、主は小男に「お前の腕であの男を討ち取れるか?」と訊ねると「なかなか・・・」と小男はかぶりをふり「佐助、お前も、老いたか」と・・・

はたして「影」とは二十年前に半蔵が見た「子影」なのか、はたまた、その「子」なのか。将軍拝領の刀の切先三寸を奪っていく目的とは。

もう、壮絶に面白いです。服部半蔵が武蔵野の屋敷に向かうくだり、江戸城の、自分の名前が付いた門から出発するのですが、こういう小ネタを入れるの、上手いですね。
これが連日の猛暑の中でなく、ヒンヤリとしてくる秋の夜長だったらあっという間に読み終えちゃってたでしょう。

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井上靖 『あすなろ物語』

2020-08-02 | 日本人作家 あ
今年初めか去年くらいから唐突にはじまった「井上靖ブーム」は現在も絶賛進行中でございまして、書棚に井上靖さんの本が増えてくるのを眺めてひとりニヤニヤしております。

さて『あすなろ物語』。

もはや井上靖さんといえば、という代表作ですね。「あすなろという木は(明日はヒノキになろう)と願うけど永遠にヒノキにはなれないから(あすなろう)」という文は、この作品を読む前からどこかしらに引用されていたり、誰かの好きな言葉であったりと、耳にした、目にしたことはありました。

梶鮎太という少年は転勤の多い軍医の両親とは住んでおらず、伊豆で祖母と、そしてなぜか土蔵に住んでいます。ある日のこと、祖母の身内で冴子という女性といっしょに住むことになります。この冴子という人、このあとすぐ、田舎ではけっこうセンセーショナルな事件を起こすのですが、まあ人格形成期においての鮎太少年にとって、とても強い影響を受けます。ちなみに先述の「あすなろは明日はヒノキになろうとするけどなれない」と教えてくれたのは冴子です。

その後、鮎太は静岡県西部の中学校(旧制)に進学します。「開校以来の秀才」「神童」などと呼ばれるほど勉強ができたのですが、病弱のため故郷の伊豆に近い学校に転校します。そこでは禅寺に下宿することになるのですが、雪枝という住職の娘とのコミュニケーションが、これまた青年期の鮎太にとって強い影響を受けることに。

鮎太は、北国の城下町にある高等学校を卒業し、九州の大学に進学します。その理由というのが、いちおう「無試験で入学できるから」というのが表向き、じっさいは、好きになってしまった信子という旧家の未亡人の出身が博多だから、というもの。
でも結局、信子は東京に引っ越すことになるので鮎太にしてみたら「なんやねん」ってなもんですが、人生なんてそんなもんです。

夢も希望も無い大学生の鮎太は、友人や知人を(あすなろ)に例えます。夢や目標がある人は(明日はヒノキになろう)ですが、そんな話を信子にしたら「あなたは(あすなろ)ですらないじゃない」と言われます。これにはけっこうショック。

そんなこんなで、鮎太は大坂の新聞社に就職します。徴兵はあったのですが、病弱のため除隊。さてこの記者時代、ライバルと呼べる存在がいたりしますが、またしても鮎太に影響を与えたのは、バラックで喫茶店を営む内儀さんと、オシゲという不良少女。

なんていいますか、男性が成長していく間、女性という存在はとても大事だと思います。どういう女性と出会って、影響を受けたかで、その男性の「カラー」ができる、といいますか。昔、歌手の松山千春さんがなにかのテレビ番組で「男は白いパレットとキャンバスで、そこにさまざまな色を加えてくれるのが女なんだな」と語っていて、なるほどと思いました。
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