非国民通信

ノーモア・コイズミ

権利と利権と断罪と

2011-05-16 23:13:53 | 編集雑記・小ネタ

 「権利」という言葉と「利権」という言葉があります。どう違うのでしょうか。自らの権利を守ろうとしている人に「利権を手放そうとしない!」みたいな非難が向けられているのを見ると、どうやら指し示す対象は同じもののようです。ただ、前者の方が肯定的な意味合いで使われることが多く、後者は否定的な意味合いで使われることが多いのが最大の違いなのでしょう。「効率化」とか「合理化」というと左派はあまり良い顔をしない人が多いようにも思いますが、これが「ムダ削減」となると諸手を挙げて大歓迎する人も少なからずいたわけで、指しているものに大差はなくとも使う単語次第で擁護されたり罵倒されたりするものなのかも知れません。

 それはさておき、民主党のやったことの中では例外的に幅広い支持を集めたと言える事業仕分のことを考えてみましょう。政権交代当初より内閣支持率とは裏腹に個別政策に関しての支持は決して高くなかった民主党政権ですが、事業仕分に関しては概ね肯定的に評価されてきたわけです。ただ、この事業仕分に関しても2つの基準に沿って、大まかに4通りの受け止め方があったように思います。基準の一つ目は事業仕分を「自民党の路線の延長線上にあるものと見なすか」それとも「自民党とは一線を画すものと見るか」、そして基準その二は「事業仕分を肯定的に評価するか」「事業仕分を否定的に評価するか」ですね。そこで……

 以上の4通りに分けられるのではないでしょうか。まず「1」のパターンに当てはまるのは小泉純一郎に河野太郎、舛添要一など新自由主義+ポピュリズムのタイプが挙げられますし、いわゆる無党派層はここに近いと思います。そして「2」は当事者ではありますが枝野や蓮舫など民主党陣営、そしてネット上の民主党支持層が当てはまるでしょう。「3」は事業仕分に小泉カイカク的な断罪のノリを早い段階から感じ取った人々で、一応は私もここに、政党であれば共産党がここに近かったと言えます。そして「4」は保守本流とは似ても似つかない「真性保守」な人々、民主党のやることなら取りあえず否定せずにはいられない極右層が該当するわけです。(参考、河野太郎と小池百合子のカイカク観

 共に事業仕分を賞賛した1と2のタイプに共通するのは、何らかの「利権」を断罪せずにはいられないというところでしょうか。誰か「悪い奴」をあぶり出して、それを吊し上げることを優先する、そういう政治姿勢ですね。そして事業仕分に関しては民主党の失速と共に悪影響も低減しつつある一方、今度は原発事故を契機に再び「1」と「2」の黄金コンビが結成されつつあるようにも思います。この頃は何かに連れ「利権が、利権が」と喧しい河野太郎が急速に株を上げているみたいですけれど(原発事故に関してはどうしても現・与党が責任を問われがちなこともあって事業仕分に関しては「4」であった極右層も河野太郎の側に回りつつありますし、「3」であった人も原発だけは二重基準で接する人が少なくないわけです)、まぁ相変わらずこの国の人々は小泉カイカクの惨禍を繰り返そうとしているのだなと感じないでもありません。

 原発に関しては、とかく利権によって動かされているとまことしやかに語られています。ただ先日の報道にもありましたが(参考)、火力発電所に関しても「稼働率が上がれば、尾鷲港に入港するタンカーの数が増えるなど、地元経済への波及効果があるだろう」と語り、日頃から発電所の稼働率アップを求めてきた市長もいたりするわけです。何も利権が発生するのは原発だけではありません。何であろうとお金が動けば、そこで儲ける人は必ずいる、美味しい思いをする人は出てくるものなのです。そこで「利権が、利権が」と論って、事業仕分よろしく本業もろとも「ムダ」の烙印を押して葬り去ってしまうようであれば、よほどわかりやすい実績を短期間で上げられるもの以外は何も出来なくなってしまうことでしょう。

 原子力や火力は元より、風力発電でも太陽光発電でも、あるいは地熱発電でもお金が動く限り利権は発生します(現に地熱発電に関しては「地熱開発促進調査事業」と「地熱発電開発事業」が事業仕分の対象とされましたし、逆に「温泉に影響が出たらどうする」と温泉地の利権を持つ人々からの猛反対を受けたりもしているわけです)。原発の利権は汚い利権で、風力や太陽光の利権はクリーンな利権なんてことは決してありません。お金が動く限り、利権を手にする人は絶対に存在するのです。それが嫌ならば研究なり運用なりに携わる人々に無償奉仕を要求するしかありませんし、実際のところ政治、とりわけ地方政治に関しては無償奉仕的なものが理想化される傾向にありますけれど、実際のところ無償奉仕でマトモに活動できる人となると、生まれながらの資産家なり政治家なりの特権階級、言うなれば最初から「利権」を手にしている人しかいなくなってしまいます。普通の人が無償で活動できるだけの「余裕」なんて、とりわけ日本社会には欠如しているものなのですから。

 結局のところ、「ムダ」や「利権」の糾弾に血道を上げる、河野太郎や枝野幸男的なもの、事業仕分的なものが幅を利かせている限り、長い目で見る必要があるものや、必ずしも実利をもたらす保証のないものは潰されてしまうことでしょう。その中には、原子力や化石燃料発電に代わりうる新たなエネルギーの研究も含まれるわけです。原発利権さえ潰せば他の「クリーンな」発電手段が表に出てくると大真面目に信じている人も少なくなさそうですが、民主党が政権を取りさえすれば沖縄基地問題は解決するとか、政権交代さえすれば景気が良くなるとか、そういう風に信じた人と同様の失望を味わうのが関の山でしょう。むしろ安易に利権がどうこうとかムダがどうこうと言わずに、いつ芽が出るかはわからずとも辛抱強く構える鷹揚さを持たないと、本当に時代の枠組みを変えられるものは世に出てこないように思います。

 

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コメント (5)
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